坂本 清美(さかもと きよみ、1969年10月12日 - )… 坂本 清美(さかもと きよみ、1969年10月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 大阪府豊中市出身。小学5年から「なんとなく」バレーボールを始める。四天王寺高等学校を経て、1988年に実業団リーグの東洋紡(当時)に入部。ジュニア代表として、アジアジュニア選手権(優勝)や世界ジュニア選手権(3位)などに貢献。1990年、全日本に初めて選出され、世界選手権に出場した。ダイエー移籍後の1996年には、アトランタオリンピックに出場した。 東洋紡では鈴木晶子と共に2枚看板として活躍、チームを支えた。スター軍団的チームであったダイエーに移籍後は控えに回る事が増えたが、要所で起用される等、チームに欠かせない戦力であった。
山内 美加(やまうち みか、現姓:藤本(ふじもと)、1969… 山内 美加(やまうち みか、現姓:藤本(ふじもと)、1969年10月7日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 秋田県由利郡大内町(現由利本荘市)出身。秋田県立由利高等学校卒業後、1988年ダイエーバレーボール部に入部。徐々にレギュラーに定着し、1990年代に入ってチームの上昇と共に注目を集め、1995年第1回Vリーグでは、ダイエー悲願の初優勝に大きく貢献した。 1990年代、世界で主流になってきたバックアタックを、日本人で打ちこなせる選手がほとんどいない中、当時の監督アリー・セリンジャーがパワフルなスパイクを打つ彼女の素質と適性を見抜き、計画的なトレーニングを行った結果、最高到達点317cmという当時の日本人女子選手最高の高さを身につけるとともに、バックアタッカーとして開花し日本のエースへ成長した。
成田 貴志(なりた たかし、1969年10月6日 - )は、… 成田 貴志(なりた たかし、1969年10月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)。身長185cm、体重75kg。北海道登別市出身。ポジションはセッター。 現在、熊本県・鎮西高校女子バレー部の監督を務めている。また、2020年よりアルテミス北海道のGMを務める。
大浦 正文(おおうら まさふみ、1969年9月28日 - 2… 大浦 正文(おおうら まさふみ、1969年9月28日 - 2013年12月20日 )は、日本の元男子バレーボール選手。 長崎県上県郡(現対馬市)出身。現役時代は1m以上の跳躍力から繰り出す強烈なスパイクを武器に、同期入団の荻野正二と共にサントリーサンバーズの主力選手として活躍し、バレーボール全日本では中垣内祐一とスーパーエースのポジションを争った。 引退後に長崎大学に進学し教員免許を取得、卒業後は母校である長崎商業高等学校に赴任し、長崎県立島原商業高等学校を経て最後は長崎県立壱岐商業高等学校で生徒たちを指導していた。並行してバレーボールユース全日本男子代表監督も務めていた。 2013年12月20日、東京都内の病院で胃癌により死去。
宮崎 謙彦(みやざき のりひこ、1969年9月1日 - )は… 宮崎 謙彦(みやざき のりひこ、1969年9月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 愛媛県西条市出身。高槻市立磐手小学校、高槻市立第八中学校(1年生)、西条市立東中学校(2・3年生)、愛媛県立西条高等学校、中央大学(法学部法律学科)を経て松下電器(現:パナソニックパンサーズ)に入社。全日本代表に1992年から選出され活躍した。
酒井 新悟(さかい しんご、1969年8月20日 - )は、… 酒井 新悟(さかい しんご、1969年8月20日 - )は、日本のバレーボール指導者。 滋賀県大津市出身。京都市の花園高等学校・国士舘大学卒業後、地域リーグ日本電装の選手として、実業団リーグの昇格を目指したが、入れ替え戦で勝つことができず、活動休止。福島国体を進める福島県から声がかかり、教員採用試験を受け合格、同県の中学教諭を務めながら、代表チームの一員となる。 国体終了後、当時V1リーグ(2部リーグ)の象印タフボーイズ入り、バレーボール選手として復帰。しかし廃部となった。1999年に新日鉄ブレイザーズ(現・堺ブレイザーズ)に移籍、リベロを担当。引退後はチームに残り、2002年から2009年までコーチ、その間2008年には全日本ジュニアチームのコーチ、そして2009年から2014年まで監督を務め、チームは2010/11シーズンと2012/13シーズンにリーグ優勝を果たした。
辻 知恵(つじ ちえ、旧姓:名取 1969年8月9日 - )… 辻 知恵(つじ ちえ、旧姓:名取 1969年8月9日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者である。山梨県甲府市出身。夫は元茂原アルカス監督の辻智之。
永富 有紀(ながとみ あき、現姓:横野、1969年7月15日… 永富 有紀(ながとみ あき、現姓:横野、1969年7月15日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 福岡県北九州市出身。扇城高校時代は、サウスポーのライトプレーヤーとして活躍、1987年、春高・インターハイ・国体優勝の高校三冠を達成した。 1988年日立に入社。1991年セッターに転向。1995年東洋紡オーキスへ移籍。1993年全日本代表に初選出。1996年アトランタ五輪に出場した。 2001年引退。現在は結婚している。 2024年時点では江戸川大学女子バレーボール部のコーチを務めている。 1999年から2001年までのVリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。
夏田 由美(なった ゆみ、1969年7月12日 - )は、日… 夏田 由美(なった ゆみ、1969年7月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 大阪府摂津市出身。大阪女子短大附属高校を経て、1988年ダイエーに入部。1992年から1995年までチーム主将を務めた。 1994年、全日本に選出され、世界選手権に出場した。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
苗村 郁代(なむら いくよ、現姓:立石、1969年5月13日… 苗村 郁代(なむら いくよ、現姓:立石、1969年5月13日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1992年、全日本に選出されバルセロナオリンピックに出場した。 兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。実姉の影響で小学3年からバレーボールを始める。兵庫県立氷上高等学校在学中に、ジュニア代表としてアジアジュニア選手権大会や世界ジュニア選手権大会に出場した。 1988年、日本リーグのイトーヨーカドー(当時)に入部。1992年に全日本に選出され、バルセロナオリンピックに出場した。
青山 繁(あおやま しげる、1969年4月27日 - )は、… 青山 繁(あおやま しげる、1969年4月27日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。元全日本代表。 愛知県名古屋市出身。中京高等学校及び法政大学出身。経営学士。富士フイルムバレー部に入部。1992年バルセロナオリンピックに全日本代表として出場、長きにわたり世界選手権・ワールドカップといった国際舞台で活躍した。 2002年に富士フイルム・プラネッツが廃部になると、東レアローズに移籍し、活躍の幅を広げた。攻撃面では巧みにブロックアウトを狙ったスパイクや、時間差攻撃のタイミングのうまさなど、器用な技を得意とし、サーブレシーブの安定感の高さからレシーバーやリベロもこなした。 2006年の第55回黒鷲旗全日本選手権大会を最後に現役を引退した。
久保 義人(くぼ よしと、1969年4月12日 - )は、日… 久保 義人(くぼ よしと、1969年4月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 山口県美祢市出身。山口県立宇部商業高等学校出身。 高校を卒業後、1988年に旭化成工業(現・旭化成)に入社、同社バレー部(のちの旭化成スパーキッズ)に入部、主にレフトとして活躍した。 1997/98シーズンにVリーグ昇格。1998年から選手兼コーチ、2000年に現役引退しコーチ専任、2002年から監督に就任した。3シーズン務めるも、チームは下位に低迷した。 2005年から全日本Bチームコーチ、2006年日本バレーボール協会へ出向、植田辰哉監督の元、全日本男子およびジュニア全日本男子コーチを経験。同時にNHKで解説者として活躍。
南 由紀夫(みなみ ゆきお、1969年4月3日 - )は、日… 南 由紀夫(みなみ ゆきお、1969年4月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。 北海道出身。東海大四高校時代、成田貴志・清水克彦らと共に春の高校バレーで2年連続決勝進出、1987年の第18回大会では同校史上初めての優勝を果たす。 1992年、富士フイルムに入社。身長は190センチに満たずセンタープレーヤーとしては小柄であったが、サウスポーから繰り出される速攻を武器に活躍。高校時代から一緒にプレーしてきたセッター・成田貴志との多彩なコンビネーションも、外国人選手を採用せずに戦う富士フイルムにとって大きな武器となった。2001年、現役を引退し、社業に専念。引退後は社業の傍らでバレーボール教室等の普及活動にも努めている。
佐藤 浩明(さとう ひろあき、1969年3月4日 - )は、… 佐藤 浩明(さとう ひろあき、1969年3月4日 - )は、バレーボール指導者。郡山女子大学家政学部准教授、郡山女子大附属高校バレーボール部監督。神奈川県大和市出身。 藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)、明治大学を経る。1992年から1998年まで、日立ベルフィーユのアシスタントコーチを務め、チームのリーグ3連覇に貢献し、オーストラリアやオランダの代表チームなどで、コーチ、アシスタントコーチを務めた。 2008年、パイオニアレッドウィングスのアシスタントコーチに就任。 2009年7月に監督に昇格し、後任として多治見麻子が選手兼コーチとなった。 2010年5月に監督を退任し、再びコーチとなった。
番平 守(ばんだいら まもる、1969年1月18日 - )は… 番平 守(ばんだいら まもる、1969年1月18日 - )は、日本のバレーボール指導者。 GAORAのVプレミアリーグ中継では解説者を務める。 2025年、芦屋大学監督を退任。
藤田 幸子(ふじた さちこ、現姓:相楽、1968年1月9日 … 藤田 幸子(ふじた さちこ、現姓:相楽、1968年1月9日 - )は、日本の元バレーボール選手、ビーチバレー選手である。
高橋 有紀子(たかはし ゆきこ、現姓:鬼頭、1967年11月… 高橋 有紀子(たかはし ゆきこ、現姓:鬼頭、1967年11月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、ビーチバレー選手、バレーボール指導者である。 長野県須坂市出身。中学時代はエースアタッカーとして全国大会で優勝。八王子実践高校ではセッターに転向し、同級生の大林素子らと春高バレー準優勝、国体優勝を経験した。 1986年、日立に入社。ルーキーイヤーの第20回日本リーグでは、レギュラーセッターの中田久美の故障によりレギュラーに抜擢され、前人未踏のリーグ6連覇に大きく貢献し、自らもベスト6賞・新人賞の2冠に輝いた。1988年にソウル五輪に出場している。 1989年日立を退社し、富士通長野を経て1990年小田急に入社。
中垣内 祐一(なかがいち ゆういち、1967年11月2日 -… 中垣内 祐一(なかがいち ゆういち、1967年11月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(元全日本主将)、指導者。福井工業大学スポーツ健康科学部教授。筑波大学卒業。 福井県福井市出身。中学生のときにバレーボールをはじめ、福井県立藤島高校では全国大会への出場はかなわなかったが、卒業後に1986年に筑波大学体育専門学群に入学すると才能が開花。大学1年からレギュラーになり、在学中の1989年には全日本代表に初選出。同年開催のワールドカップに初出場。 大学を卒業した1990年に新日鐵入部。ルーキーイヤーにMVPや新人賞・ベスト6など数々の賞を総なめにするなど、90年代を代表する男子バレーボールのスーパーエースとして活躍。
蔭山 弘道(かげやま ひろみち、1967年8月28日 - )… 蔭山 弘道(かげやま ひろみち、1967年8月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市)出身。習志野高校在学中に、第16回春の高校バレーでエースとして初優勝に貢献。卒業後は法政大学に進学。法政大学時代の在学中から日本代表に選出され、1988年のソウル五輪に出場。 1989年のワールドカップに出場し卒業後はバレーボールの名門・富士フイルムに入社し、1990年の世界選手権にも出場した。2メートルの長身を武器にエースとして活躍し、第26回日本リーグでは優勝に貢献し、高校、大学、社会人と全て日本一に輝いている。故障やチーム事情もあり、後年はセンタープレーヤーへ転向するも、晩年までチームの主力選手として活躍した。
菅野 幸一郎(かんの こういちろう、1967年8月18日 -… 菅野 幸一郎(かんの こういちろう、1967年8月18日 - )は、バレーボール指導者。福島県二本松市出身。日本男子代表のコーチ、東レアローズ女子チームの監督を歴任。 法政大学第二高校、法政大学を経る。法政大時代は1990年のビーチバレージャパンで高尾和行とのペアで初優勝。 大学卒業後に東レ九鱗会(現・東レアローズ静岡)でプレーし、1996年に監督に就任。4年間監督を務め、優勝こそならなかったものの、上位争いをするチームを作り上げた。 以降は、東レ女子バレーボール部のコーチに就任。2005年に達川実監督から引き継ぐ形で監督に昇格する。チームの総合力・団結力を高め、2007/08プレミアリーグで優勝。
南部 正司(なんぶ まさし、1967年8月6日 - )は、日… 南部 正司(なんぶ まさし、1967年8月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 大阪府大阪市出身。大阪商業大学附属高等学校、大阪商業大学を卒業し、1990年に日新製鋼入社。日新製鋼男子バレー部では高校の先輩でもある柳本晶一が監督を務めており、柳本の下で鍛え上げられた。 1986年の第3回アジアジュニアバレーボール選手権(タイ)、1987年の第4回バレーボール男子ジュニア世界選手権(バーレーン)、1991年の第16回ユニバーシアード大会(イギリス)にそれぞれ日本代表に選出されて出場している。また日本男子代表として1995年バレーボール・ワールドリーグに出場した。 1997年に日新製鋼ドルフィンズが解散したため、松下電器・パナソニックパンサーズへ移籍。
大竹 秀之(おおたけ ひでゆき、1967年7月16日 - )… 大竹 秀之(おおたけ ひでゆき、1967年7月16日 - )は、元全日本男子代表のバレーボール選手。日本バレーボール協会発掘育成委員会副委員長。NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会理事。 神奈川県横浜市出身。法政二高を経て法政大学に入学。大学在学中(4年)に全日本代表になる。卒業後はNECブルーロケッツに入部。日本リーグ/Vリーグでは、優勝3回、ベスト6が4回と活躍した。 1992年バルセロナオリンピック出場。1989年から1999年にかけてワールドカップ4回、世界選手権3回出場し日本を代表する選手となる。2001年に現役生活を引退し、コーチとして指導にあたった。 2008年にバレーボール全日本男子のコーチとして北京オリンピックバレーボール世界最終予選で16年ぶりに本選に切符を手に入れた。
高尾 和行(たかお かずゆき、1967年5月12日 - )は… 高尾 和行(たかお かずゆき、1967年5月12日 - )は、日本のビーチバレー選手、元インドアバレーボール選手である。「ミスタービーチバレー」の異名を持つビーチバレー界の草分け的存在であり、歴代男子最多優勝回数を誇る。 佐賀県出身。法政大学時代よりビーチバレーを始め、1989年のFIVBワールドシリーズ(現ワールドツアー)で3位となる。 1990年のビーチバレージャパンでは大学の同期である菅野幸一郎とのペアで初優勝。 1994年の広島アジア大会でも金メダルを獲得。 1996年には瀬戸山正二とのペアでアトランタ五輪出場、17位となる。 1997年からキングオブザビーチ2連覇など国内外で多くのタイトルを獲得。
泉水 智(せんすい さとし、1967年2月8日 - )は、日… 泉水 智(せんすい さとし、1967年2月8日 - )は、日本の元バレーボール選手(全日本代表)。 県立君津高校から東海大学工学部通信工学科を経て1989年に日本電気に入社、NECブルーロケッツでの背番号は11。入社年度の日本リーグでは新人賞とベスト6を受賞。その後、日本リーグ、Vリーグ通算して4回、黒鷲旗では5回の日本一に輝いた。1993年からは主将を務め、1999年現役を引退するまでの10年間、チームを支え続けた。 引退後は社業の傍ら、春高バレーコーチングキャラバンや小学生と大学生チームのコーチを務めた。 2019年、創部3年目で高校総体(インターハイ)に出場する都城東高等学校の監督を務め、留学生であるアライン・デ・アルマスを指導した。
吉田 康伸(よしだ やすのぶ、1967年 - )は、日本の元… 吉田 康伸(よしだ やすのぶ、1967年 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。体育学者。 法政大学経営学部教授。法政大学スポーツ研究センター所員。法政大学SSI教員。 1990年、法政大学経営学部経営学科卒業後、東レ株式会社バレーボール部(東レ九鱗会→東レアローズ)に所属しながら、筑波大学大学院体育学研究科にてコーチ学を専攻し博士前期修了。 菅野幸一郎は高校から東レまで同じチームの同級生であった。 1996年に東レアローズを退団。 2003年より、法政大学経営学部助教授。2008年、同大学教授となる。 過去に、全日本大学バレーボール連盟強化委員を歴任し、現在は法政大学体育会バレーボール部部長、及び監督を務めている。
金子 志保(かねこ しほ、1966年12月2日 - )は、日… 金子 志保(かねこ しほ、1966年12月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 北海道室蘭市出身。旭川実業高校を経て、1985年に日本リーグのイトーヨーカドー(当時)に入部。 1990年、全日本メンバーに選出され、世界選手権に出場した。
篠原 孝子(しのはら たかこ、1966年10月1日 - )は… 篠原 孝子(しのはら たかこ、1966年10月1日 - )は、日本の元バレーボール選手、チームスタッフ。 栃木県鹿沼市出身。宇都宮女子商業高校を経て、1984年イトーヨーカドーに入社。 日本リーグで活躍し、1991年アジア選手権にバレーボール全日本女子メンバーに選出された。 1993年現役引退後は、東京家政学院大学に入学。管理栄養士の資格を取得し、イトーヨーカドー・武富士バンブーのアシスタント・トレーナーとしてチームを支えた。
中西 千枝子(なかにし ちえこ、現姓:濱田、1966年8月2… 中西 千枝子(なかにし ちえこ、現姓:濱田、1966年8月24日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 福岡県遠賀郡芦屋町出身。博多女子商業高等学校から1985年にユニチカに入社。 1989年に全日本に初選出されると、1992年バルセロナオリンピックには中田久美の控えセッターとして出場した。 1996年に全日本の主将としてアトランタオリンピックに出場した。 1997年に現役を引退後、2000年までユニチカのコーチを務めた。 2018年に飯塚高等学校女子バレーボール部コーチに就任し、現在は監督を務めている。
石掛 美知代(いしかけ みちよ、1966年3月17日 - )… 石掛 美知代(いしかけ みちよ、1966年3月17日 - )は、日本の元バレーボール選手。全日本代表として1991年にワールドカップ、1992年にバルセロナオリンピックに出場した。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立氷上農業高等学校を経て1983年にイトーヨーカドーに入社。1991年ワールドカップバレーボール、1992年バルセロナオリンピックに出場した。
石原 昭久(いしはら あきひさ、1966年2月10日 - )… 石原 昭久(いしはら あきひさ、1966年2月10日 - )は、日本のバレーボール指導者。 埼玉県新座市出身。練馬区立大泉学園中学校、関東高(現・聖徳学園高)、東海大学を経る。 1990年にイトーヨーカドープリオールのコーチに就任。1995年にはペルー共和国のユース代表監督に就任。 2000年にイトーヨーカドーの監督に就任し、第49回黒鷲旗大会準優勝に導く。2001年の武富士バンブーへの全体移籍後も監督を続投し、Vリーグで上位争い・優勝争いに導く。2009年5月に廃部となるまで監督を務める。 2009年7月1日にJTマーヴェラスの監督に就任し、2010/11Vプレミアリーグ初優勝に導く。2013年5月退任。
川合 庶(かわい ちかし、1965年12月17日 - )は、… 川合 庶(かわい ちかし、1965年12月17日 - )は、日本の元バレーボール選手、ビーチバレーボール選手、指導者。 東京都大田区出身。元バレーボール日本代表でタレントの川合俊一は実兄。大学時代まではバレーボールの選手だったが、兄に勧められ1993年にビーチバレーに転向した。 現在は湘南ベルマーレスポーツクラブ ・ビーチバレーゼネラルマネージャー、産業能率大学女子ビーチバレー部ヘッドコーチ、日本バレーボール協会ビーチバレーボール強化委員長。 1988年4月30日、庶が所属していたクラブチームの旭桜会(主に日体大OBで構成)は、第37回全日本バレーボール選手権1回戦で兄の俊一が所属する富士フイルムと対戦した。
樫野 幸子(かしの さちこ、現姓:西岡、1965年11月24… 樫野 幸子(かしの さちこ、現姓:西岡、1965年11月24日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 兵庫県三原郡西淡町伊加利(現・南あわじ市伊加利)出身。志知高校を経て、1984年に日本リーグのユニチカ(当時)に入部。 ユニチカのエースとして長年活躍し、1989年に全日本に選出され、1989年ワールドカップバレーボールに出場した。1990年に現役引退。 現在は南あわじ市職員として勤務するかたわら、元全日本選手として、スポーツイベントなどに出ている。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
矢野 美紀(やの みき、1965年11月6日 - )は、日本… 矢野 美紀(やの みき、1965年11月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現指導者である。 愛媛県松山市出身。愛媛大学附属中学校からバレーボール強豪校であった京都市の成安女子高校にバレーボール留学し、同校在学中にインターハイ3位、国体5位などの好成績を残した。青山学院大学法学部に進学後は、1984年に東日本インカレ優勝や1985年インカレ準優勝など輝かしい成績をあげて、1988年に日本リーグの日本電気に入部した。 日本電気時代には長年チームの司令塔として活躍し、1992年度には主将を務めた。1991年には第24回日本リーグでサーブ賞を、第3回Vリーグでは優勝に貢献してベスト6賞を獲得した。
中野 照子(なかの てるこ、1965年10月3日 - )は、… 中野 照子(なかの てるこ、1965年10月3日 - )は、日本の元女子バレーボール・ビーチバレー選手。 東京都八王子市出身。青山学院大学在籍時に、ユニバーシアードのインドア日本代表に選ばれ金メダルを獲得。 卒業後、小田急に入社。バレーボール部に所属し活躍後、ビーチバレーに転向。 ジャパンレディースでタイトルを獲得[いつ?]。1996年、アトランタオリンピックにも石坂有紀子とのペアで出場し9位となる。 近年はバレーボールクリニックでの普及活動や、バレーボール解説者活動を行っている。 2013年からは母校である青山学院大学女子バレーボール部でコーチを務めている。
宮島 恵子(みやじま けいこ、1965年9月24日 - )は… 宮島 恵子(みやじま けいこ、1965年9月24日 - )は、日本の女子元バレーボール選手。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボール女子銅メダリスト。
大谷 佐知子(おおたに さちこ、女性、現姓:松野、1965年… 大谷 佐知子(おおたに さちこ、女性、現姓:松野、1965年8月3日 - )は、日本の元バレーボール選手。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボール女子銅メダリスト。 大阪府吹田市出身。中学2年の時にバレーボールを始め、中学3年の時に山田重雄に抜擢され、中田久美と共に全日本入りをする。 四天王寺高等学校に進学後はエースアタッカーとして活躍し、高校三冠(インターハイ、国体、春の高校バレー)の原動力となった。尚、高校までは『大谷佐知代』を名乗っていた。 1983年にアジア選手権で優勝してロサンゼルスオリンピック出場権を獲得し(当時はアジア選手権がオリンピック予選を兼ねていた)、ベスト6に選ばれた。
河野 克巳(かわの かつみ、1965年7月28日 - )は大… 河野 克巳(かわの かつみ、1965年7月28日 - )は大分県出身の元男子バレーボール選手、指導者。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
廣 紀江(ひろ のりえ、1965年7月26日 - )は、日本… 廣 紀江(ひろ のりえ、1965年7月26日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。現在は学習院大学スポーツ・科学健康センター教授。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボール女子銅メダリスト。 愛知県名古屋市出身。愛知淑徳高等学校3年のときに母校を全国大会に導き、実姉の廣美里とともに全日本入りを果たし、日ソ対抗最終戦でデビューを飾った。実業団の熱心な誘いを断り、教職を志望し筑波大学に進学した。 筑波大学在学中に、1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪にセンターとして出場した。また1988年に日立の嘱託社員となり、日本リーグでも活躍した。1990年に現役引退。 1985年11月7日に『一枚の写真』(フジテレビ)に出演。
松田 明彦(まつだ あきひこ、1965年6月22日 - )は… 松田 明彦(まつだ あきひこ、1965年6月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 京都府京都市伏見区出身。1986年に東レ九鱗会(現・東レアローズ)に入団。1990年に日新製鋼ドルフィンズに移籍。 1992年にバルセロナオリンピックに出場するなど、全日本でも1990年代前半に国際大会で活躍した。 1997年に、所属チーム日新製鋼の廃部を受けて、当時実業団リーグ(2部リーグ)であった豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)に他のチームメイトと一緒に入団し、リーグで低迷していたチームが一気に強化されてのVリーグ(1部リーグ)昇格に貢献した。 2005年に豊田合成の監督に就任、2010年に監督を退任し、同チームのアドバイザーに就任した。
原 秀治(はら ひではる、1965年3月22日 - )は、日… 原 秀治(はら ひではる、1965年3月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。1988年ソウルオリンピックバレーボール全日本男子代表。 鹿児島県国分市(現霧島市)出身。鹿児島商業高校卒業。 1983年に猫田勝敏にスカウトされ、専売広島バレー部(現広島サンダーズ)に入部。ちなみに猫田が最後にスカウトした選手である。1994年から始まったVリーグにもJTサンダーズ(当時)の一員として引き続き参加、エースとして活躍した。 全日本では1986年世界選手権に出場。1987年アジア選手権優勝。1988年ソウルオリンピック代表。翌1989年ワールドカップ出場、同年のアジア選手権準優勝に貢献した。
佐藤 伊知子(さとう いちこ、1965年3月11日 - )は… 佐藤 伊知子(さとう いちこ、1965年3月11日 - )は、日本のバレーボール指導者、元選手。東北福祉大学総合福祉学部通信教育部准教授。日本バレーボール協会女子強化委員。 宮城県仙台市出身。アニメ「アタックNo.1」の影響で小学校5年生からバレーボールを始め、仙台市立三条中学校から聖和学園吉田高校に進み、高校時代は3年時に国体に出場した。 東北福祉大学社会福祉学部(現・総合福祉学部)福祉心理学科に進学し、大学4年次の1985年にはユニバーシアード代表に招集され、神戸ユニバーシアードに出場して日本の優勝に貢献する。それが評価されて同年に全日本代表に初選出され、ワールドカップで代表デビューを果たした。
杉山 明美(すぎやま あけみ、1965年3月1日 - )は、… 杉山 明美(すぎやま あけみ、1965年3月1日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、スポーツコメンテーター、ヘルスコーディネーター。 神奈川県平塚市出身。中学時代にバレーボールを始め、神奈川県立五領ヶ台高等学校で頭角を現した。 東海大学時代の1985年、神戸ユニバーシアード優勝、関東大学1部春季リーグ優勝に貢献。 1987年日本電気に入社し、1年目からレギュラー獲得。第21回日本リーグではスパイク賞を獲得した。1988年全日本に初選出。同年開催のソウル五輪に出場。 1997年第3回Vリーグ優勝を最後に現役引退。1998年まで後進の指導などに当たり、その後社業専念。2001年退社。 現在は日本放送協会のプレミアリーグ中継解説者、分子整合栄養医学管理士として栄養療法のヘルスコーディネーターとして活動。
栗生澤 淳一(くりうざわ じゅんいち、1965年2月25日 … 栗生澤 淳一(くりうざわ じゅんいち、1965年2月25日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。元バレーボール日本男子代表。 現福井工業大学バレーボール部監督。 岩手県大船渡市出身。大船渡高、中央大学を経て、1987年日本たばこ産業(JT)広島支店に入社、日本たばこバレー部に入部。主力センターとして活躍した。 その活躍から全日本代表に選抜される。1992年バルセロナオリンピック出場、アジア選手権には3度出場し、1989年準優勝、1991年優勝、1993年3位に貢献した。 1994年から始まったVリーグにもJTサンダーズの一員として引き続き参加。1998年現役を引退。 直後から母校中央大学バレー部監督に就任し6年間務めた。
楊 成太(よう せいた、양 성태、ヤン・ソンテ、1965年2… 楊 成太(よう せいた、양 성태、ヤン・ソンテ、1965年2月24日 - )は、兵庫県出身の元バレーボール選手、バレーボール指導者である。 兵庫県尼崎市出身。神戸朝鮮高級学校を経て東海大学に進学。昭和61年度秋季リーグ戦やインカレで優勝。 卒業後の1987年に日本電気に入社。1989年からは主将を務め、チームを支えた。1991年度の第25回日本リーグではチームの初優勝に大きく貢献し、最高殊勲選手賞に輝いた。また、1996年度の第3回Vリーグではベスト6に選ばれた。 ビーチバレージャパンでは日本電気(同期入社)の金子敏和と組み、第5回準優勝、第7, 9回優勝。 2000年現役引退。コーチに転じる。
梅津 一美(うめづ かずみ、1965年2月9日 - )は、日… 梅津 一美(うめづ かずみ、1965年2月9日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 茨城県行方郡潮来町(現潮来市)出身。八王子実践高校を経て、1983年に実業団のダイエー(当時)に入部。チームの実業団リーグ入り、翌年の日本リーグ入りに貢献した。 1986年、第19回日本リーグ敢闘賞に輝き、同年のバレーボール世界選手権に出場した。
瀬戸山 正二(せとやま しょうじ、1965年1月25日 - … 瀬戸山 正二(せとやま しょうじ、1965年1月25日 - )は、宮崎県出身の元ビーチバレー選手。現在は日本ビーチバレーボール連盟理事長、日本ビーチ文化振興協会理事長、一般社団法人川崎ビーチスポーツクラブ理事長。一般社団法人イマジンワンワールド理事。一般社団法人イマジンワンワールドのKIMONOプロジェクトが、KIMONOを大使館とデザインする仕組みとなったのは、瀬戸山正二と手嶋信道(一般社団法人イマジンワンワールド代表理事)のアイデアからである。 日本体育大学在学時まではインドアでスパイカーとして活躍。 卒業後は高校教員を務めるが、大学の先輩である川合俊一とロサンゼルスを旅した際にビーチバレーと出会い、プロビーチバレー選手に転向。
植田 辰哉(うえた たつや、1964年7月25日 - )は、… 植田 辰哉(うえた たつや、1964年7月25日 - )は、日本の元バレーボール選手(元全日本主将)、指導者(元バレーボール全日本男子代表監督)。 日本バレーボール協会男子強化委員会委員・発掘育成委員会副委員長(元・育成強化委員会ディレクター)。大阪商業大学特任教授。東かがわ市ふるさと大使。 香川県東かがわ市(旧大川郡白鳥町)出身。大阪商業大学附属高等学校(現・大阪商業大学高等学校)を経て大阪商業大学を卒業後の1987年、新日鐵(現・堺ブレイザーズ)に入る。センタープレイヤーとして日本バレーボールリーグ・ベスト6賞に5年連続選出された。全日本男子では、1992年バルセロナオリンピックにキャプテンとして出場するなど活躍した。
金子 敏和(かねこ としかず、1964年6月27日 - )は… 金子 敏和(かねこ としかず、1964年6月27日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 神奈川県鎌倉市出身。 藤沢商業高等学校(現・藤沢翔陵高等学校)では、春高バレーの第12回大会でベスト8、第13回大会で優勝の成績を残した(バックアタックなどで貢献)。 明治大学に進学、卒業後の1987年に日本電気(NECブルーロケッツ)に入社。 同チームにおいて、1993年度から選手兼任コーチ、1996年度は選手兼任監督、翌1997年度からは専任監督となった。1998年度(第5回Vリーグ)では優勝監督賞を受賞した。2003年度(第10回Vリーグ)まで監督を務めた(2004年5月17日付、後任は楊成太)。
東谷 友恵(ひがしたに ともえ、旧姓:本郷(ほんごう)、19… 東谷 友恵(ひがしたに ともえ、旧姓:本郷(ほんごう)、1964年6月19日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。 石川県珠洲市出身。1982年、金沢商業高校在学時に全国高校選抜メンバーに選抜され中国遠征を経験。1983年、ユニチカに入部。 1986年に全日本に選抜され、世界選手権やワールドカップに出場した。一方、国内リーグでも1989年にベスト6・レシーブ賞、翌年もレシーブ賞を獲得した。当時はリベロ制度がなく、センタープレーヤーもレシーブを行う時代だったが、センタープレーヤーが2年連続レシーブ賞を獲得したことは異例だった。ユニチカ監督の吉田国昭は、「攻守ともにバランスのとれた申し分のない選手」と評している。
神林 正文(かんばやし まさふみ、1964年4月16日 - … 神林 正文(かんばやし まさふみ、1964年4月16日 - )は、日本の男子元バレーボール選手。元サントリーサンバーズ所属。 長野県須坂市出身。法政二高から法政大学を経て1987年にサントリー入社。NECブルーロケッツ大竹秀之の208cmに次ぐ国内2番目の長身選手として活躍。1989年日本バレーボールリーグ(現Vプレミアリーグ)ブロック賞受賞。1994年に引退した。