武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 200… 武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 2002年8月23日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 中学時代から子分を40人も持つガキ大将で、進学校の宮崎大宮高校では100m走を10秒9で走る俊足であった。1年次の1957年に夏の甲子園に出場しているが、自身の出場はなかった。 高校卒業後は1961年に中央大学へ進学し、東都大学野球リーグでは3年次の1963年秋季リーグ、4年次の1964年秋季リーグと2度の優勝を経験。3年時のエースは三浦宏(北海道拓殖銀行)であった。1964年10月には東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に二塁手として出場している。
田中 薫(たなか かおる、1941年3月14日 - )は、日… 田中 薫(たなか かおる、1941年3月14日 - )は、日本のエディトリアルデザイン・書物評論家。 日本出版学会、日本旅行作家協会、日本グラフィックデザイナー協会会員。 埼玉県浦和市(現在のさいたま市)生まれ。1964年東京学芸大学美術学科卒業。1965年桑沢デザイン研究所修了。 図書出版二玄社を経て毎日新聞社出版局に勤務。『毎日グラフ』別冊編集長、美術出版部長、第二図書編集部長を経て、1995年宮崎公立大学人文学部国際文化学科助教授、98年教授。2005年定年退官。
坂本 進一郎(さかもと しんいちろう、1941年3月4日 -… 坂本 進一郎(さかもと しんいちろう、1941年3月4日 - 2025年8月1日)は、農民・農業評論家。 仙台市荒浜南生まれ。1964年東北大学経済学部卒業。北海道東北開発公庫勤務。1969年八郎潟干拓地(大潟村)に第四次入植者として入植。農民の立場から農業問題に関し提言した。
池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日… 池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元調教師、元騎手で現在は競馬評論家、馬主である。 騎手時代には「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝、うち重賞で17勝を挙げた。代表的騎乗馬にはヤマピットがいる。1979年に調教師へ転身、メジロデュレンによる菊花賞を始めとして数々のGI級競走を制し、1994年にJRA顕彰馬に選出されたメジロマックイーン、日本生産馬として初めて国外の国際GI競走を制したステイゴールド、2005年に中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成したディープインパクト(JRA顕彰馬)など、数々の活躍馬を手掛けた。2011年に調教師引退。
大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭… 大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭和16年)2月23日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、コメンテーター。 ジャーナリスト大宅壮一の三女。兄は詩人・大宅歩。芸能事務所ホリプロがマネジメントしている。 株式会社大宅映子事務所代表取締役、公益財団法人大宅壮一文庫理事長。(母・大宅昌から引き継いだ。) CNNj放送番組審議会委員、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、西武ホールディングス社外取締役、日本年金機構理事、公益財団法人日本国際フォーラム評議員、日本ゴルフ改革会議議長。元日本インフォメーションシステムズ (NIS) 代表取締役、元株式会社髙島屋社外取締役、元資生堂社外監査役。
上野 昻志(うえの こうし、1941年2月22日 - )は、… 上野 昻志(うえの こうし、1941年2月22日 - )は、日本の文芸・映画・時事評論家。コラムニスト。 東京出身。父は美術家で神戸大学教授を務めた上野省策。東京都立大学で竹内好に師事し、魯迅を専攻。1966年、東京都立大学大学院在籍中、『ガロ』連載の社会時評的コラム「目安箱」で評論家デビュー。このコラムは反既成政党、反近代、学生運動擁護色が強い。 1969年、季刊誌「シネマ69」にやくざ映画論(「閉ざされた型」「矛盾に向けた求心力」)を発表。1970年以降同誌や「映画芸術」誌上で加藤泰論中心に映画評論を展開。同時に森進一、魯迅、林静一などを論じる。 1971年、東京都立大学人文科学研究科博士課程単位取得退学。
坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )… 坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師で現在は競馬評論家である。 同志社香里中学校・高等学校、同志社大学卒業。父の坂口正二も元調教師でハマノパレード等を管理した。長男の坂口貴大は調教助手。元調教師の坂口正則は従兄弟に当たる。 1965年にアメリカのカリフォルニア競馬・グリーンステッド厩舎でエキササイズボーイ(調教助手)となった後、1966年に父の坂口正二厩舎で調教助手となる。1974年に調教師免許を取得し、1976年に厩舎を開業。初出走は同年3月7日、阪神競馬第10競走のレイクルーラーで落馬・競走中止という珍しい記録である。
佐伯 隆幸(さえき りゅうこう、本名読み・たかゆき 1941… 佐伯 隆幸(さえき りゅうこう、本名読み・たかゆき 1941年2月15日 - 2017年1月21日)は、日本の演劇評論家、フランス文学者、学習院大学名誉教授。 シンガーソングライターの大和姫呂未は姪にあたる。 広島県生まれ。愛媛県出身。学習院大学文学部仏文科卒、同大学院博士課程中退。演劇集団68/71(現在の劇団黒テント)創立に参加。同集団の制作部門責任者として1960代後期からのアングラ演劇の左翼的活動の興隆に携わった。のち現場を離れ演劇評論家として活躍。またフランス文学者として駒澤大学教授を経て、学習院大学フランス語圏文化学科の教授を務め、フランスを軸にした現代演劇と演劇史を関心領域としていた。
徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿… 徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・現評論家。 騎手出身者として初めてJRA競馬学校騎手課程の教官となった。 同じくJRA騎手であった徳吉孝士は実子。 実家は数頭の馬を飼っており、中学生の時から競馬好きの兄に連れられて公営・鴨池競馬場を訪れ競馬にも親しんだ。中学3年次には小柄であったことから騎手になることを勧められ、中央競馬の騎手養成長期課程を受験。合格後騎手養成所に入り、1958年に東京・森末之助厩舎よりデビューし、同年9月7日にイチツバメで初勝利。 1968年の目黒記念(秋)・メジロタイヨウをはじめ、ヤマブキオーで重賞3勝を挙げるなど、数々の重賞勝利馬に騎乗した。
平岡 正明(ひらおか まさあき、1941年(昭和16年)1月… 平岡 正明(ひらおか まさあき、1941年(昭和16年)1月31日 - 2009年(平成21年)7月9日)は、日本の評論家。東京都出身。 東京市本郷区湯島新花町(現・東京都文京区湯島2丁目)に生まれる。1945年6月、空襲を避けて神奈川県足柄下郡酒匂町(現・小田原市)に疎開。酒匂小学校を経て、1949年7月に東京へ戻り、文京区立汐見小学校に転校。父が旭光学の社長の運転手になったため、同校6年の夏休みに東京都板橋区志村前野町の旭光学寮に転居。京華中学校を経て、1959年7月に同高等学校を卒業。同校では漢文を千田九一に、古文を竹盛天雄に、現代文学を古林尚・紅野敏郎に学ぶ。 7月卒業となったのは、高校の卒業試験を受けている時、カンニングの発覚を恐れて教師の前で答案を破り卒業保留処分を受けたためである。
志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は… 志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は、日本文学研究者、文芸評論家、相模女子大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。立教大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1966年、立教高校教諭。梅光女学院大学助教授、1978年相模女子大学助教授、教授、2006年定年、名誉教授。
根本 萠騰子(ねもと もとこ、1941年1月15日 - )は… 根本 萠騰子(ねもと もとこ、1941年1月15日 - )は、ドイツ文学者、文芸評論家。横浜国立大学名誉教授。 茨城県生まれ。茨城県立下妻第一高等学校卒、東京大学文学部独文科卒、同大学院修士課程修了、ボン大学に学ぶ、フンボルト大学、マールブルク大学研究員。東海大学外国語教育センター助教授、文学部助教授、横浜国立大学教育学部助教授、教育学部教授、教育人間科学部教授、2006年定年退職、名誉教授、帝京大学教授、2011年退職。
大橋 照枝(おおはし てるえ、1941年1月5日 - 201… 大橋 照枝(おおはし てるえ、1941年1月5日 - 2012年8月5日)は、日本の評論家、社会学者。専門はマーケティングだが『未婚化の社会学』などで知られた[誰によって?]。 滋賀県出身。1963年京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業。大広に入社し、マーケティングディレクターを務めた。國學院大學栃木短期大学助教授、1992年麗澤大学経済学部教授、2011年定年退任、客員教授、東北大学客員教授。2001年「持続可能な発展にむけての静脈系社会の設計に関する研究」で昭和女子大学博士(学術)。 2012年8月5日、肺癌のため71歳で死去。
水谷 寿伸(みずたに ひさのぶ、1941年1月3日 - )は… 水谷 寿伸(みずたに ひさのぶ、1941年1月3日 - )は、愛知県名古屋市千種区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
梶井 純(かじい じゅん、1941年1月2日 - 2019年… 梶井 純(かじい じゅん、1941年1月2日 - 2019年7月23日)は、日本の漫画評論家。本名は長津忠。貸本漫画を主な評論対象とする。東京都出身。 東京都豊島区目白生まれ。1963年中央大学経済学部卒業。出版社勤務、編集プロダクション代表を経てフリーの評論家。 十代のある時期、トキワ荘に近い場所に居住していた。また、小学生のころから野球に熱中しており、高校では野球部に入り、大学では準硬式野球部に入った(1年の途中で退部)。 1967年に石子順造、権藤晋、菊池浅次郎(山根貞男)と、日本初の漫画評論誌『漫画主義』を創刊。1972年から7年間、『週刊読書人』にてマンガ時評を連載した。 また、著書『戦後の貸本文化』は、かつてはメジャーな文化でありながらほとんどその分析がされていない貸本文化についての、貴重な研究資料である。
佐々木 徹(ささき とおる、1941年 - )は、日本の哲学… 佐々木 徹(ささき とおる、1941年 - )は、日本の哲学者、美術評論家、追手門学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。関西学院大学経済学部卒業。同大学院文学部哲学科博士課程修了。 大阪商業大学専任講師、追手門学院大学文学部専任講師、同助教授・教授を経て、国際教養学部教授。 2012年定年、財団法人国際日本研究所理事1980年−2001年、日本文化会議1986年−1994年、日中文化交流日本代表団2002年、日本文化研究会主宰2001年−、専門は哲学・比較思想比較文化論。 英・独・仏・伊・西・中の六ヶ国による国際共同出版、 巻頭論文
木原 武一(きはら ぶいち、1941年 - )は、日本の文芸… 木原 武一(きはら ぶいち、1941年 - )は、日本の文芸・思想・人生評論家、翻訳家。 東京生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1965年、東京大学独文科卒。『リクルート』編集長を経て、当初は現代米国文明論などを翻訳していたが、その後、人生論、読書案内などを多く執筆している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
神子 久忠(かみこ ひさただ、1941年 - )は、日本の建… 神子 久忠(かみこ ひさただ、1941年 - )は、日本の建築評論家、ジャーナリスト。 1967年日本大学建築学科を卒業後、新建築編集部、相模書房、日刊建設通信新聞社をへて日刊建設工業新聞社編集部長。神楽坂建築塾顧問もつとめる。2009年神子編集室設立。 共著に『建築21世紀はこれからだ―編集者・写真家 三〇〇年の視点』(スパイラル 2013)、共に『村野藤吾著作集』(同朋舎出版 1991)がある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
三浦 紘朗(みうら ひろあき、1941年 - )は、関西を中… 三浦 紘朗(みうら ひろあき、1941年 - )は、関西を中心に活動するフリーアナウンサー、音楽評論家。広島県・尾道市出身。 1965年ラジオ関西局アナウンサーとして入社(同期入社に小山乃里子)。主に洋楽系の音楽番組と報道を中心として出演し、親しみのある語り口とわかりやすい解説でラジオ関西の名パーソナリティーとして親しまれた。 2002年に定年退職、フリーアナウンサーになってからも、ラジオ関西を中心とした関西の放送局で番組を担当している。 80歳を迎え、2022年3月をもって「名曲ラジオ 三浦紘朗です」が終了することになり、長年続けたラジオ関西の番組からすべて降板となる(エフエム宝塚での番組は継続する)。
湯浅 誠(ゆあさ まこと、1941年 - )は、中国問題の評… 湯浅 誠(ゆあさ まこと、1941年 - )は、中国問題の評論家。
山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年〈昭和15年〉12月1… 山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年〈昭和15年〉12月17日 - 2008年〈平成20年〉8月19日)は、日本の放送評論家。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)生まれ。立教大学文学部 でロシア語を学び、在学中の1960年からNHK国際局でアルバイトを開始した。大学卒業後の1963年にキングレコードに就職。洋楽部ディレクターを務めたが、後にワーナー・パイオニアに移籍する。 1955年頃からBCL(海外の短波放送を受信する趣味)を開始し、1964年5月に「アンデスの声」(HCJB)が日本語放送を開始した際には、日本から最初の受信報告書を送った。1970年代から1980年代にかけてのBCLブームの時期には、ディレクターとしての仕事の傍ら、月刊「ラジオの製作」(電波新聞社)などにBCL関連の記事を連載し、さらに『BCLマニュアル』(1976・1980年、電波新聞社)、『入門BCLブック』(1977-1981年、82年版は『BCLデータブック』。
島田 紀夫(しまだ のりお、1940年12月11日 - )は… 島田 紀夫(しまだ のりお、1940年12月11日 - )は、日本の美術評論家。実践女子大学名誉教授。ブリヂストン美術館館長。 山梨県甲府市生まれ。 東北大学理学部卒、1965年同文学部美学美術史学科卒、1967年同大学院修士課程修了。石橋財団ブリヂストン美術館学芸課長、実践女子大学教授。2000年山梨県立美術館館長兼務。2006年ブリヂストン美術館館長。2008年実践女子大退職、名誉教授。
大坪 元雄(おおつぼ もとお、1940年11月23日 - )… 大坪 元雄(おおつぼ もとお、1940年11月23日 - )は、おもに関西地方を中心に活動する競馬評論家。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)生まれ。 遠戚にホースニュース・馬のオーナーがいた縁で1958年に同社へ入社。1958年9月、同社の関西進出に伴い異動。1964年に東京へ戻ってから本紙予想を任される。その後競馬ブックに移籍し同社のトラックマンを経て、2011年現在はフリー。ただし新聞関係は引き続き競馬ブックと専属契約を結ぶ。 長らくラジオNIKKEI(旧・ラジオたんぱ)毎週土曜日午後の『中央競馬実況中継・第2放送(現在は同題名第2部)』と、関西テレビ『DREAM競馬』(旧題・ドリーム競馬)のメイン解説を務め、JRAが大レース前に場内放送する調教ビデオ(関西開催のものに限る)の解説も担当。
枝川 公一(えだかわ こういち、1940年11月12日 - … 枝川 公一(えだかわ こういち、1940年11月12日 - 2014年8月15日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、翻訳家。
清水 昶(しみず あきら、1940年11月3日 - 2011… 清水 昶(しみず あきら、1940年11月3日 - 2011年5月30日)は、日本の詩人、評論家。花火研究者の清水武夫は父、詩人の清水哲男は兄。 東京生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。在学中、正津勉らと詩誌「首」を創刊。1966年、第7回現代詩手帖賞受賞(選者:大岡信、入沢康夫、中江俊夫)。詩のほかに、文芸評論、俳句も書く。 2011年5月30日、心筋梗塞のため東京都武蔵野市の自宅で死去。70歳没。墓所は三鷹市野崎のメモリアルガーデン三鷹。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
正慶 孝(しょうけい たかし、1940年11月1日 - 20… 正慶 孝(しょうけい たかし、1940年11月1日 - 2008年2月1日)は、日本の政治経済学者、政治経済評論家。 産業能率大学、明星大学で教鞭をとり、政治経済評論のほか翻訳も手掛けた。 東京生まれ。1963年早稲田大学第一政治経済学部卒業。1966年同大学院経済学専攻修士課程修了後、日本貿易振興会勤務、1970年中央公論社勤務、『中央公論』(編集部、次長。1986年に退社し、1988年産業能率大学助教授、教授、1992年明星大学経済学部教授。
片山 修(かたやま おさむ、1940年10月21日- )は、… 片山 修(かたやま おさむ、1940年10月21日- )は、日本の経済ジャーナリスト、経営評論家。 愛知県名古屋市に生まれる。 明治大学経営学部を卒業し、名古屋タイムズ記者を経て、1970年以降はフリーランスのジャーナリストとして活動する。 2001年から2011年にかけて、学習院女子大学客員教授であった。日本ペンクラブ会員。
西舘 代志子(にしだて よしこ、1940年(昭和15年)10… 西舘 代志子(にしだて よしこ、1940年(昭和15年)10月5日 - )は日本の評論家、緑化運動家。旧名は西舘好子、井上好子。近年は再び西舘 好子名義で活動している。NPO法人「日本ららばい協会」理事長。 旧姓名内山好子として、東京市浅草区鳥越のかもじ職人の次女に生まれ、文学に親しんで育つ。 大妻中学校・高等学校卒業後は電通に勤めていたが、1961年12月、井上ひさしと結婚。1963年に長女、1965年に次女、1967年に三女を出産。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は株式会社こまつ座社長の石川麻矢。 1983年1月、こまつ座の発足に伴い、その運営に参加。1984年4月、こまつ座旗揚げ公演『頭痛肩こり樋口一葉』の台本が遅れたことから井上と不和になり、こまつ座舞台監督の西舘督夫と親しくなる。
鈴木 史楼(すずき しろう、1940年10月3日 - 199… 鈴木 史楼(すずき しろう、1940年10月3日 - 1997年8月15日)は、「書」の評論家。 東京出身。早稲田大学英文科専攻卒。独学で書道史を学び、28歳頃から書の評論を始めた。 1982年から書の個人批評誌「紅糸」を年3回発行した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
高橋 康雄(たかはし やすお、1940年10月2日 - 20… 高橋 康雄(たかはし やすお、1940年10月2日 - 2000年7月4日)は、日本の評論家、俳人。 旧満州生まれ。1965年早稲田大学商学部卒業後、山形新聞記者、潮出版社編集者、『潮』編集長、論風社取締役、大学非常勤講師、1997年札幌大学文化学部教授、1999年学部長。
渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1… 渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1日 - )は、日本の弁護士、評論家。 静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松北高等学校を経て、1963年に中央大学法学部を卒業後、1966年に弁護士開業。 千葉県の女性弁護士第1号。 家族、遺産相続、DVなどの問題を担当、人生相談の回答者として活動している。 女性と仕事の未来館館長(2003年 - 2011年)を務めたほか、NPO法人DV被害者支援活動促進のための基金を設立(同理事長)、NPO法人高齢社会をよくする女性の会監事などを務めている。2005年に男女共同参画社会づくり功労者として内閣総理大臣表彰を受けている。 法律事務所の会議室に高座をもうけて講談師を招き、「渥美講談塾」を開設。
蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音… 蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音楽評論家。本名、鎌田紘次。 愛媛県今治市出身。1964年、東京外国語大学フランス語科卒。同年、音楽之友社に入社。1969年、日本リーダーズダイジェスト社に転じる。1976年に独立しフリーとなる。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
星加 ルミ子(ほしか ルミこ、1940年9月10日 - )は… 星加 ルミ子(ほしか ルミこ、1940年9月10日 - )は、日本の音楽評論家。北海道赤平市出身。1965年から1975年まで、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の編集長を務める。1965年に日本人ジャーナリスト初のビートルズとの単独会見を成功させた。ビートルズに最も近いジャーナリストとして知られている。 1940年9月10日、北海道札幌市に生まれ、赤平市で育つ。小学4年生の時に父親の転勤で、青森県八戸市に転居。6年生の時からFNSのアメリカのポピュラー・ソングを聴くようになり、青森県立八戸高等学校に通学していた16歳の時、エルヴィス・プレスリーの曲を聴いて衝撃を受ける。高校2年生の時に母親が死去。
中村 英樹(なかむら ひでき、1940年〈昭和15年〉9月1… 中村 英樹(なかむら ひでき、1940年〈昭和15年〉9月10日 - 2021年〈令和3年〉11月14日)は、日本の美術評論家、名古屋造形大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋大学文学部哲学科美学美術史卒業。1965年、69年美術出版社主催芸術評論募集に入選。近現代美術の評論を書く。名古屋造形芸術短期大学助教授、名古屋造形大学教授。国際美術評論家連盟会員。 2021年11月14日、肺炎のため死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
千足 伸行(せんぞく のぶゆき、1940年9月5日 - )は… 千足 伸行(せんぞく のぶゆき、1940年9月5日 - )は、日本の美術評論家、成城大学名誉教授。広島県立美術館館長。 東京生まれ。1964年東京大学文学部を卒業後、TBS(東京放送)を経て国立西洋美術館勤務。1970年西ドイツ政府給費留学生としてミュンヘン大学に留学、1972年国立西洋美術館に復職。1979年成城大学文芸学部助教授を経て教授、2011年に退職し名誉教授。女優の鶴田真由は教え子。 2015年より広島県立美術館館長。世紀末芸術(象徴主義・耽美主義ほか)を専門とし多くの展覧会を企画した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
阿子島 たけし(あこじま たけし、1940年8月30日 - … 阿子島 たけし(あこじま たけし、1940年8月30日 - 2005年12月13日)は、日本の音楽評論家。 宮城県白石市出身。早稲田大学第一文学部卒業。1964年に報知新聞社に入社し、文化部記者として映画・音楽を担当したが、1972年に退社。翌年、ミュージック・ラボ社に入社し、音楽業界専門誌『ミュージック・ラボ』編集長を務めたが、1976年退社し、フリーの音楽評論家として独立。執筆活動のかたわら、日本レコード大賞の審査委員長、全日本有線放送大賞等の審査員を務めた。 阿子島は2005年12月12日夜に東京都のホテルで行われたディナーショー終了後に行方がわからなくなった。その後の阿子島の目撃証言は一切なく、また通話など連絡をとったものも当時実家滞在中の妻も含め一切いない。
黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は… 黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 茨城県日立市にて日立製作所に勤める技術者の息子として生まれる。1960年代から1970年代に掛けて自動車競技で活躍した後、評論家に転向した。「ガンさん」のニックネームでも知られる。2012年からSUPER GTに関わり、LEON RACINGの監督も歴任した。 年齢が2025年8月で85歳となった現在においても、ビデオマガジンやYouTubeなどで高度な運転技術を披露する。 ホンダ系チームで2輪ライダーとして活動。1962年に鈴鹿サーキットで初開催された、第1回全日本選手権ロードレースの50ccクラスで優勝するなどの実績がある。
平子 義雄(ひらこ よしお、1940年7月28日 - 201… 平子 義雄(ひらこ よしお、1940年7月28日 - 2011年)は、ドイツ文学者、哲学者、環境問題評論家。兵庫県立大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立小山台高等学校卒、1963年東京外国語大学ドイツ語科卒、1967年東京大学大学院独文専攻修士課程修了。その後マールブルク大学、ハンブルク大学に学ぶ。 帰国後、大阪教育大学助教授、大阪大学言語文化部助教授、88年東大教養学部助教授、89年教授、1998年姫路工業大学環境人間学部教授、兵庫県立大学環境人間学部教授、名誉教授。 夫人は歌人、教育学者の平子恭子。
一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - … 一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - )は、大阪府大阪市天王寺区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。
河村 保彦(かわむら やすひこ、1940年7月15日 - 2… 河村 保彦(かわむら やすひこ、1940年7月15日 - 2012年2月21日)は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007… 鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007年6月14日)は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)・コーチ、評論家。 清水東高校では1年次の1956年秋から捕手として活躍し、2年次の1957年には春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年には1年上のチームメイトに4番・遊撃手の漆畑勝久を擁して夏の甲子園に出場するが、2回戦(初戦)で法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封負けを喫す。 同年の秋季中部大会では同期の山田茂利(明大-日本鋼管)とバッテリーを組み決勝に進出し、中京商のエース伊藤竜彦に完封を喫するが、3年次の1958年の選抜へ出場を決めた。
扇田 昭彦(せんだ あきひこ、1940年6月26日 - 20… 扇田 昭彦(せんだ あきひこ、1940年6月26日 - 2015年5月22日)は、演劇評論家、元朝日新聞記者。 東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。1964年に朝日新聞に入社。1968年より学芸部に配属され、長く演劇記者として活動した。1960年代以降の小劇場運動を高く評価し、積極的に紹介し続けた。1989年に『現代演劇の航海』で芸術選奨新人賞受賞。1997年以降、NHK衛星第二放送の深夜番組「80年代演劇大全集」「20世紀演劇カーテンコール」「新世紀演劇パレード」で長く司会を務めた。2003 - 2006年までAICT国際演劇評論家協会日本センター会長。静岡文化芸術大学文化政策学部特任教授。
池田 浩士(いけだ ひろし、1940年6月20日 - )は、… 池田 浩士(いけだ ひろし、1940年6月20日 - )は、日本のドイツ文学者、評論家、京都大学名誉教授。 専門分野はドイツ文学、現代文明論、ファシズム文化研究。 1940年、滋賀県大津市で生まれた。慶應義塾高校から、慶應義塾大学文学部独文科に進んだ。後に作家となる車谷長吉とは大学時代の友人であった。1963年に卒業し、同大学大学院に進学。1968年、博士課程を満期退学した。 1968年、京都大学教養部講師に就いた。後に助教授昇格。教養部が改組後、京都大学総合人間学部教授となった。2004年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都精華大学教授として教鞭をとった。2013年に京都精華大学を退職。
張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、… 張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家、日本プロ野球名球会会員、韓国野球委員会(KBO)コミッショナー特別補佐官。在日韓国人二世であり、本名は張 勲(読みがな:チャン・フン、ハングル:장훈)。
出谷 啓(でたに けい、1940年〈昭和15年〉6月14日 … 出谷 啓(でたに けい、1940年〈昭和15年〉6月14日 - )は、日本の音楽評論家。 大阪府豊中市出身。関西大学文学部独文科卒。 高校生から大学生の頃に、東映京都撮影所で時代劇のサウンドトラックの写譜のアルバイトに従事する。関西大学文学部独文学科を卒業後、1964年に京都の楽器・レコード店の十字屋(現JEUGIA)に入社する。1971年に退社、独立しフリーの音楽評論家となる。 当時きわめて人気の高かった晩年のカール・ベームの演奏を、リズムの硬直した凡演と酷評した。晩年のベームを神格化するような音楽愛好家全体の雰囲気からすれば傍若無人ともいえる批評活動を行ったが、今日のベームの評価からすれば、そのスタンスはあながち的外れではなかった。
立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和… 立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和15年〉5月28日 - 2021年〈令和3年〉4月30日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、「田中角栄研究」・「臨死体験」・「日本共産党の研究」など、詳しくは下に書いてあるが、多くの著書がベストセラーとなっている。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ。 1974年(昭和49年)、『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表して田中金脈問題を暴いて田中角栄首相退陣のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。
岡崎 宏司(おかざき こうじ、1940年4月20日 - )は… 岡崎 宏司(おかざき こうじ、1940年4月20日 - )は、日本の自動車評論家。本名は同じ字だが「ひろし」と読む。内閣府第7次中央交通安全対策会議専門委員。国土交通省安全基準検討会委員。2000年から2001年に開催された三菱自動車品質諮問委員会のメンバー。東京生まれ、1964年日本大学芸術学部放送学科卒業。日本自動車ジャーナリスト協会会員。「クルマの動質」「ブランディング」についての研究評価を専門とする。 息子に自動車ジャーナリストの岡崎五朗がいる。 現在の主な出稿先は、『Web LEON』、『CAR and DRIVER』、 他に、『モーターファン』、『毎日新聞(夕刊)』、『報知新聞』、『週刊プレイボーイ』、『月刊プレイボーイ』、『メンズエクストラ』、『LEON』、『サンデー毎日』(2011年をもち、722回の連載終了)、『MADURO』、『メンズクラブ』、『SAPIO』、『NAVI』、『THE EV TIMES』などに連載。
大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023… 大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023年11月28日)は、静岡県清水市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 「剃刀」と喩えられたストレートとスライダーを武器に、「カープ史上最速のピッチャー」と評された。 清水商業高校では3年次の1958年に春季中部大会1回戦で岐阜商に逆転負けし、夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。卒業後は清水商野球部後援会と立教大学校友会静岡支部の推薦で立大進学が決まっていたが、家庭の事情でプロ入りが決まる。 1959年に広島カープへ入団し、同期には後に阪急でもコーチとして同僚となる上田利治らがいた。選手の給料もままならない弱小・広島において、1年目から39試合に登板して9勝を挙げ、若くして主戦投手となる。
安田二郎(やすだ じろう、1940年2月4日-2008年1月… 安田二郎(やすだ じろう、1940年2月4日-2008年1月30日 )は、日本の証券評論家、作家。 東京生まれ。父も投資評論家の益田金六(本名・安田清臣)。慶應義塾大学文学部哲学科卒。株での利殖に関する評論のほか兜町などを舞台とした小説も多く書いた。晩年は静岡県熱海市の伊豆多賀にて執筆業務に専念。 2008年1月癌の為都内の病院で死亡。 配偶者安田萱子は詩人、長女は関西大学社会学部教授安田雪 次女はMPI(Meeting Professional International)日本支部会長(2018/20期)、日本コソボ協会の安田弓、長男安田潮太郎は都内商社勤務。
曾根 博義(そね ひろよし、1940年(昭和15年)2月3日… 曾根 博義(そね ひろよし、1940年(昭和15年)2月3日 - 2016年(平成28年)6月19日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。日本大学名誉教授。日本近代文学館常務理事などを務めた。日本近代文学者として、伊藤整や井上靖、福永武彦らを研究、全集編集などを担当した。静岡県出身。 1958年(昭和33年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京大学経済学部卒業。二年間サラリーマンをした後、1966年(昭和41年)に『伊藤整の方法』が群像新人文学賞評論部門の優秀作に選ばれる。以後『群像』などに文藝評論を書き、日本大学芸術学部非常勤講師を経て、1972年(昭和47年)より、同文理学部専任講師などを経て日本大学文理学部国文学科教授。