藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大… 藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
職業が評論家:2,471人
藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大… 藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
高橋 国光(高橋 國光、たかはし くにみつ、1940年1月2… 高橋 国光(高橋 國光、たかはし くにみつ、1940年1月29日 - 2022年3月16日)は、日本の元レーシングドライバー、オートバイ評論家。東京府北多摩郡小金井町(現:東京都小金井市)出身。血液型はB型。愛称は国さん。 二輪・四輪合わせて489レースに出場し、通算71勝を挙げている。二輪では世界グランプリを転戦したが、四輪のレース活動は日本国内を主戦場とした。 華麗なドリフト走法で知られ、黒澤元治に代表されるグリップ走法派のドライバーが台頭した後もレースでドリフトを多用したことで知られる。そのため、ドリキン(ドリフト・キング)こと土屋圭市達から、師匠的な扱いを受けている。 1999年に59歳で現役を引退し、2000年以降は自らのレーシングチームであるチーム国光の監督を務めた。
松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2… 松原 新一(まつばら しんいち、1940年1月22日 - 2013年8月13日)は、文芸評論家。久留米大学文学部名誉教授。本名・江頭肇(えがしら はじめ)。 兵庫県神戸市出身。京都大学教育学部卒業。1964年、「亀井勝一郎論」で第7回群像新人文学賞評論部門受賞。1993年久留米大学教授。2010年定年、名誉教授。左翼的な立場にたち、内向の世代論争では内向の世代の自閉を批判した。 2013年8月13日、膵臓癌のため福岡県久留米市の病院で死去。73歳没。 長女は脚本家の江頭美智留。 大阪文学学校チューター、神戸大学教育学部助教授を経て、2010年まで久留米大学文学部教授。 1993年から96年まで読売新聞で文藝時評を担当した。
津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2… 津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2日 - 2018年〈平成30年〉8月4日)は、日本の俳優・映画監督・芸能プロモーター・時事評論家。 芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務めた。位階は従五位。 俳優としては1956年の映画『狂った果実』が本格デビューであり、1959年に木下恵介監督の『惜春鳥』、1960年には大島渚監督の『太陽の墓場』など多くの話題作に出演。1980年代以降は『マルサの女』や『スーパーの女』など伊丹十三監督作品に多数出演し存在感を示した。1999年には『プライド・運命の瞬間』で東條英機役を演じ日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。
中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文… 中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文化学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。専門は18世紀英国芸能史。 新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校を経て、1962年東京外国語大学英米科卒業、1968年東京都立大学 (1949-2011)人文科学研究科博士課程中退、同大学英文研究室助手、1969年國學院大學専任講師、1973年慶應義塾大学法学部専任講師、1979年助教授、1986年教授、2005年定年退職、名誉教授。 1996年 - 2002年長岡リリックホール館長。国際音楽フェスティヴァル、オペラなどの総合プロデュースを多数手がけた。雑誌に多くの音楽評を書いた。
権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 -… 権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 - )は、日本の編集者、出版社経営者、随筆家、漫画評論家、映画評論家、文具店経営者。本名でも、著作活動を行っている。特につげ義春にこだわり、つげ作品の多くを世に出すべく奔走したことでも知られる。出版社 北冬書房を主催。貸本漫画史研究会会員。つげの『ねじ式』の原稿の「××クラゲ」を「メメクラゲ」と誤植し、のちにつげが「その方がいいね」といったことから、「メメクラゲ」のまま出版が続けられ流行語となるなど誤植の歴史に名を残したことでも知られる。 元々は白土三平のファンで、その後、水木しげるのファンとなりさらにつげ義春のファンとなった。1961年頃に白土の『忍者武芸帖』を読み、その後貸本漫画で全作品を読んでいく。
久保 紘之(くぼ こうし、1940年 - )は日本のジャーナ… 久保 紘之(くぼ こうし、1940年 - )は日本のジャーナリスト・評論家。産経新聞編集特別委員を歴任。
堤 堯(つつみ ぎょう、1940年 - )は日本のジャーナリ… 堤 堯(つつみ ぎょう、1940年 - )は日本のジャーナリスト、評論家。
中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6… 中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 - 2021年6月5日)は、日本の医師、医療評論家。 長野県更埴市(現千曲市)生まれ。長野県上田高等学校を経て、1966年京都大学医学部卒業(医学士)。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。1996年より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰。医師による延命治療の拒否を唱えている。 生前は 毎月第3土曜日に京都市内にて「自分の死を考える集い」を開催し講演をしていた。 また、1970年代にはクイズプレイヤーとして数々のクイズ番組に出場し、「クイズグランプリ」グランドチャンピョンなど数々の優勝経験を持ち、さらに日本テレビ系「アメリカ横断ウルトラクイズ」の栄えある第1回で、機内800問(当時)ペーパーテストでは第1位で優勝者の松尾清三とわずか5点差の707点で第2位の成績を残すが、アメリカ本土上陸後のチェックポイント「サンディエゴ」で敗者となり、シャチにキスされるという罰ゲームを受けた。
國定 浩一(くにさだ こういち、1940年(昭和15年) -… 國定 浩一(くにさだ こういち、1940年(昭和15年) - 2024年(令和6年)1月24日)は、日本の経済評論家。大阪学院大学大学院商学研究科教授。専門は日本経済、関西経済。旧字の「國」が常用漢字に入っていないため、新聞やテレビ等では国定浩一と表記されることもある。 東京府生まれの大阪府育ち。大阪府立北野高等学校、東京大学法学部卒業。 大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件においては専務取締役として最終処理を担当している。 「金は汗を流して稼げ」がモットーである。外資系企業に対しては懐疑的な見解を採り、聖域なき構造改革に反対の立場に立つ。堀江貴文、村上世彰の手法を早くから批判し、小泉改革が格差を生んだとして小泉純一郎や竹中平蔵を強く批判している。
関井 光男(せきい みつお、1939年12月21日 - 20… 関井 光男(せきい みつお、1939年12月21日 - 2014年3月3日)は、日本の文芸評論家。主に坂口安吾と太宰治の研究者として知られる。 弘前学院大学客員教授、近畿大学教授(国際人文経済研究所副所長)、早稲田予備校現代文担当講師などを務めた。 東京府生まれ。本名、山田光男(やまだみつお)。日本大学芸術学部文芸学科卒業。近畿大学では柄谷行人の側近だったが、単著は一冊もない。 2006年3月に近畿大学の運営に不満をもち、柄谷行人とともに近畿大学教授の職を辞任。近畿大学には関井の他にも柄谷側近を自認する者はいたが、職を辞することまで柄谷と行動を伴にしたのは関井のみである。 2014年3月3日午後8時30分、虚血性心疾患のため東京都練馬区の自宅で死去。
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月… 保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家。 北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち(なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない)。 北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる。父親は群馬県、母親は江別市出身。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生、西部邁は中学校の1年先輩に当たる。
小野 耕世(おの こうせい、1939年11月28日 - )は… 小野 耕世(おの こうせい、1939年11月28日 - )は、日本の映画評論家、漫画評論家、海外コミック翻訳家、海外コミック・アニメーション研究家。東京都世田谷区出身。 アメリカンコミックス紹介で、KOSEIというペンネームを使っていたことがある。 日本における海外コミックの翻訳出版および研究、紹介の第一人者。元NHK職員。日本マンガ学会理事をへて3代目会長。日本漫画家協会会員(参与)。 熱気球パイロットのライセンスを持っており、日本気球連盟会員。 父は漫画家の小野佐世男。 東京市世田谷区代田[要出典]に生まれるが、自宅が空襲にあい、埼玉県指扇(さしおうぎ)の母方の親戚宅[要出典]に疎開する。戦中にインドネシアに渡っていた父の小野佐世男が1946年5月末に帰国し、世田谷・北沢の父の姉の家に家族で転居する。
山野 浩一(やまの こういち、1939年11月27日 - 2… 山野 浩一(やまの こういち、1939年11月27日 - 2017年7月20日)は、日本の競馬評論家、小説家、脚本家、漫画原作者、鉄道趣味者。 大阪府大阪市港区出身。 大阪市立昭和中学校、大阪府立住吉高等学校を経て、1年浪人して1959年に関西学院大学法学部に入学。大学は阪神競馬場のすぐ近くにあったため、競馬好きの学生が多く、山野も競馬好きになる。また、「映画研究部」に入部し、1960年に、2年生で脚本・監督作『デルタ』を制作。『デルタ』はテレビ放映もされ、その際のゲストだった寺山修司と知り合う。なお、寺山がのちに競馬に熱中するようになったのは、山野の影響だという。また学生映画の全国組織での会合で、日大在学中の足立正生と出会う。
徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉… 徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉11月7日)は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 「有恒」は「ゆうこう」とも読む。本名及び旧筆名は、杉江 博愛(すぎえ ひろよし)。 代表作となる「間違いだらけのクルマ選び」を出版する前は、本名で活動していた。「徳大寺有恒」の名前は、「できるだけ偉そうにしよう」と決定したペンネームである。この筆名の姓に関しては、堂上家で清華家7家のうちの一つである公家の徳大寺家と姻戚関係は一切無い。 「NAVI」(二玄社)や「ベストカー」(三推社)、「ENGINE」(新潮社)などの自動車専門誌や「MEN'S EX」(世界文化社)などの男性ファッション誌、テレビ、新聞、各種講演などを中心に幅広いジャンルで活躍していた。
長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 201… 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家、編集者。 大学在学中から詩を書き始め、第1詩集『われら新鮮な旅人』(1965年)で注目された。その後、『深呼吸の必要』(1984年)、『世界は一冊の本』(1994年)などで読者層を広げた。 1939年、福島県福島市生まれ。福島県立福島高等学校卒業。 1958年3月に福島より上京。1959年4月、早稲田大学第一文学部独文専修に入学。 早稲田大在学中の1960年秋、関根久男と詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1963年3月、早稲田大学卒業。
いその・えいたろう(1939年11月2日- )は、日本の性愛… いその・えいたろう(1939年11月2日- )は、日本の性愛評論家。 東京府東京市(現東京都墨田区)生まれ。本名:山口栄一。関東高校中退、緑ヶ丘音楽舞踊学校卒。幾多の職業を経て25歳で文筆業に就く。主に性産業を旗艦テーマに、スポーツ紙、週刊誌、雑誌等に寄稿を続ける。一方で日本テレビ「11PM」のコーディネーター兼レポーターとして18年間関わる。「いそのえいたろう」とナカグロのない表記もある。
森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - … 森中 千香良(もりなか ちから、1939年10月20日 - 2008年4月14日)は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。1970年から1974年までの登録名は森中 通晴(もりなか みちはる)。 奈良商工では2年次の1956年にエースとして秋季近畿大会に出場したが、1回戦で寝屋川高に敗れたため選抜出場はならなかった。3年次の1957年は春季近畿大会県予選の準々決勝で郡山高に惜敗し、夏も県予選で敗れて甲子園には届かなかった。 卒業後の1958年に南海ホークスへテスト入団。入団当時は制球難で、1年目は選手登録すらしてもらえず、もっぱら打撃投手が主な役割であった。2年目の1959年にウエスタン・リーグで防御率0.90を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得。
山根 貞男(やまね さだお、1939年10月15日 - 20… 山根 貞男(やまね さだお、1939年10月15日 - 2023年2月20日)は、日本の映画評論家、漫画評論家、翻訳家。かつては、菊池浅次郎のペンネームを使用していた。 大阪府出身。大阪外国語大学フランス語科卒業。大学時代は演劇部の活動に熱中する。 25歳で書評紙『日本読書新聞』の編集者となる。1967年には、読書新聞の同僚だった権藤晋(高野慎三)や、石子順造らと日本初の漫画評論誌『漫画主義』を創刊。菊池浅次郎名義で、3月の創刊号に漫画史上画期的なつげ義春の「沼」を論じた「不可能性への出発」を掲載。白土三平以外で最も早い時期につげ義春を絶賛。同誌や「夜行」などでつげ義春の作品などを論じた。 1969年から1971年まで波多野哲朗(大学の演劇部の先輩だった)、手島修三とともに映画批評誌『シネマ69』(誌名は『シネマ70』『シネマ71』と変遷し、毎年3号を刊行)を創刊し、編集・発行に携わった。
岡田 隆彦(おかだ たかひこ、1939年9月4日 - 199… 岡田 隆彦(おかだ たかひこ、1939年9月4日 - 1997年2月26日)は、日本の詩人・美術評論家。 祖父は第35代衆議院議長・岡田忠彦。妻は俳人・岡田史乃。長女は俳人・辻村麻乃。 東京府出身。永田町小学校(現麹町小学校)、麹町中学校、獨協高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。「三田詩人」復刊に参画。1961年、会田千衣子、井上輝夫、鈴木伸治、吉増剛造と詩誌「ドラムカン」創刊。大学卒業後は美術出版社に就職し、20代の終わりにはヴェネツィア・ビエンナーレのコミッショナーを務めていた。 1968年、中平卓馬、高梨豊、多木浩二らと写真批評詩「provoke」創刊。1985年『時に岸なし』で高見順賞受賞。
斎藤 次郎(さいとう じろう、1939年9月3日 - )は、… 斎藤 次郎(さいとう じろう、1939年9月3日 - )は、日本の教育評論家、漫画評論家、漫画原作者。個人紙『まんがコミュニケーション』主宰。斉藤次郎と表記される場合もある。 埼玉県飯能市生まれ。1963年法政大学文学部日本文学科卒業。子ども調査研究所を経て、教育評論活動を開始。真崎守の漫画『共犯幻想』『寂光院蝉しぐれ 甦春記・京都大原』『紫陽花寺・流謫 甦春記・鎌倉明月院』では原作者を担当。『COM』で漫画評を連載し、村上知彦や米澤嘉博らの「私語り」漫画論に大きな影響を与えたとされる。1987年から、子供や子供文化に係るミニコミ誌『三輪車疾走』『子どもプラス』『子どもプラスmini』の編集代表を務める。
佐藤 守(さとう まもる、1939年8月27日 - )は、日… 佐藤 守(さとう まもる、1939年8月27日 - )は、日本の軍事評論家。元幹部自衛官(最終階級は空将)。
宗 肖之介(そう しょうのすけ、1939年8月25日 - 2… 宗 肖之介(そう しょうのすけ、1939年8月25日 - 2011年5月5日)は、日本の文芸評論家・著作家。 本名は重岡 重雄(しげおか しげお)。
齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 20… 齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 2023年3月28日)は、日本の俳人、編集者、文芸評論家。 朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋元不死男主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日… 菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日本の思想家、評論家、劇作家。 反天皇制運動連絡会(反天連)の結成等で新左翼系知識人を代表する人物として知られる。者元『変革のアソシエ』運営委員・編集長、公益財団法人利賀文化会議評議員、ルネサンス研究所運営委員、河合文化教育研究所研究員、。元桐朋学園短期大学演劇専攻科非常勤講師(2004年まで)、元財団法人静岡県舞台芸術センター文芸部(2010年まで)、元河合塾小論文科講師(2016年まで)、元梅光学院大学特任教授(2017年まで)。父は陸軍中将を務めた菅晴次。 東京府東京市牛込区市谷に生まれる。 学習院初、中、高等科に進学。学習院での同級生は坂口芳貞、松井康子、山中祥子、太田省吾、本田義勝、植村泰久、亀井久興ら。
海野 弘(うんの ひろし、1939年7月10日 - 2023… 海野 弘(うんの ひろし、1939年7月10日 - 2023年4月5日)は、日本の評論家。世紀末芸術などに関する多くの著書がある。本名は中村 新珠(なかむら あらたま/しんじゅ)。 東京都出身。幼少の一時期、母の故郷の青森県脇野沢村(現在のむつ市)に住む。1962年、早稲田大学第一文学部ロシア文学科を卒業。平凡社に入社、『太陽』編集に関わり、1976年から編集長を務めた。在職中、当時ほとんど評価されていなかったアール・ヌーヴォーに注目し、1968年に処女作『アール・ヌーボーの世界』を刊行。 退社独立後は幅広い分野で著述活動を行い、アール・デコの再評価、都市論、文学、音楽、映画、ファッション史などに加え、小説作品も手掛けた。
長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 20… 長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 2018年6月25日)は、日本の政治家・政治評論家。鹿児島県議会議員、衆議院議員(3期)。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島玉龍高等学校第9回卒、同級生には元厚生労働大臣の尾辻秀久がいる。高校時代は弁論部で活動し、1957年10月に広島大学主催の全国高校弁論大会に出場、演題「高校生の使命に思う」で優勝。1963年、中央大学法学部政治学科卒業。 田中茂穂参議院議員秘書や鹿児島県議会議員、新自由クラブ鹿児島県連代表を経て、1980年第36回衆議院議員総選挙では鹿児島1区において自由民主党公認・中曽根派所属の新人候補として初当選、以降3期連続で務める。
石川隆俊(いしかわ たかとし、1939年5月20日-2023… 石川隆俊(いしかわ たかとし、1939年5月20日-2023年2月3日)は、日本の医学者、評論家、東京大学名誉教授。 東京府福生村生まれ。東京都立西高等学校出身。1968年東京大学医学部卒業、75年医学博士。がん研究所を経て、89年東京大学医学部教授、97年4月〜99年3月医学部長。 2000年定年退官、名誉教授、東京医科大学教授、2002年米国・メリーランド大学医学部客員教授就任と同時にジョンズ・ホプキンス大学ピーボディ音楽院(英語版)ヴァイオリン科に学ぶ。公益財団法人・喫煙科学研究財団理事長を務めるかたわら、ガン発生のメカニズムを生涯のテーマとしている。性の問題を含め、「熟年の生きがい」や「音楽と脳科学」の研究に積極的に取り組む。
安原 顯(やすはら けん、1939年4月29日 - 2003… 安原 顯(やすはら けん、1939年4月29日 - 2003年1月20日)は日本の編集者、評論家。本名の読みは「あきら」。名前を簡略体で「安原顕」と表記することもある。 自称「天才ヤスケン」「スーパーエディター」。主に『海』『マリ・クレール』の編集者として活躍した。チリチリパーマの髪に、サングラスと髭という独特の容貌をもつ。 妻・筑土まゆみの父は、僧侶、宗教民俗学者の筑土鈴寛(つくどれいかん)。娘の安原眞琴は日本文学研究者で、2013年にドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者四代目みな子姐さん - 吉原最後の証言記録」を制作した。 東京市目黒区緑が丘に生まれ育つ。父親はサラリーマンだったが、切手やレコードのコレクションも行っている「趣味人」だった。
井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は… 井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は、日本の経済学者、音楽評論家,神戸商船大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。神戸大学大学院経済研究科博士課程中退。大阪府立大学教養部助手、同経済学部講師、神戸商船大学(現・神戸大学海事科学部)教授。1962年、中央公論社『モーツァルト大全』の懸賞論文に「読者のモーツァルト論」が入選。1987年『モーツァルト心の軌跡』でサントリー学芸賞受賞。2003年定年退官、名誉教授。自身で弦楽四重奏団を結成し、画も描く。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月… 重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月18日 - )は、日本のエッセイスト、食味評論家。 東京生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入り、編集委員、常磐大学人間科学部教授(ジャーナリズム論)を経て、文芸ジャーナリスト。「週刊朝日」在籍中に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一といった作家たちの担当編集者を務めた。食や酒に関する随筆を主に手がける。
安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1… 安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1939年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身(兵庫県西宮市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 兵庫県西宮市平松町で出生後に、実父の転勤で土浦市内に転居。土浦一高進学後は、2年次の1956年まで木内幸男監督の指導を受け、3年次の1957年夏に遊撃手兼控え投手として夏の甲子園へ出場。山本秀一を擁する県和歌山商との初戦に勝利したものの、高木守道を擁する県岐阜商の前に完封負けを喫した。 高校卒業後は1958年に慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、3年次の1960年秋季リーグの早慶六連戦では一番打者、遊撃手として活躍。
片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、… 片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、日本の小説家、エッセイスト、写真家、翻訳家、評論家である。 東京生まれ。祖父の片岡仁吉は山口県の屋代島(周防大島)出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は米国の市民権を有する日系二世 である。父は若い頃に苦学をして米本土に渡り、金銭的に余裕ができると、横浜や神戸に遊びにきていた。母は近江八幡の古くから続く数珠屋の娘で、奈良女子高等師範学校を卒業して、山口県の岩国で女学校の講師をしていた。父母は岩国で見合い結婚をして、その後アメリカに戻る予定であったが、戦争が近づいていたため、アメリカにはもどれず、母の希望で東京に出る。父は家庭内では英語しか話さず、家庭は英語と関西言葉が飛び交う場所だった。
前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典]… 前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典] - 2014年11月17日)は、カーデザイナーであり、日本の自動車評論家である。元・日産自動車チーフデザイナーとして、おもに自動車のデザインについての評論を行っていた。 東京都青梅市出身。1965年3月東京藝術大学美術学部を卒業後、同年4月プリンス自動車工業(現・日産自動車)に入社。1980年10月から1984年3月までの日産ディーゼル工業(当時)への出向期間を含め、1992年12月に日産自動車を退社するまでの長期間にわたって数々の日産車のデザインに携わった。 1993年1月、フリーランスの自動車評論家、デザインコンサルタントとして独立し、自動車関連メディア等において活動していた。
西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日… 西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日 - 2018年〈平成30年〉1月21日)は、日本の思想家、評論家、経済学者。東京大学大学院修了。秀明大学教授・学頭、東京大学教養学部教授、隔月刊誌『表現者』顧問を歴任。 北海道出身。東大入学後にブントのメンバーとなり、東大自治会委員長として安保闘争に参加した。安保闘争から離脱後は東大大学院で近代経済学を専攻し、横浜国立大学助教授、東大助教授、英米への留学を経て東大教授となる。1980年代から保守の論客として活躍し、東大駒場騒動の際に東大教授を辞職。それ以後は在野の評論家として評論活動を行った。2018年に多摩川にて入水自殺。 1939年(昭和14年)、北海道の南部に位置する山越郡長万部町に生まれる。
松島 悠佐(まつしま ゆうすけ、1939年3月15日 - )… 松島 悠佐(まつしま ゆうすけ、1939年3月15日 - )は、福岡県出身の軍事評論家、元陸上自衛官(最終階級は陸将)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年… 鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年8月1日)は、兵庫県三原郡広田村(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。 男四人兄弟の末っ子として生まれ、生まれて10日目に父が亡くなった。父は近隣地区の情報を特化する新聞を発行して生計を立てていたが、大黒柱が倒れ、家族は窮地に追い込まれる。長男もまだ働く年齢ではなく、母が新聞発行を引き継げるわけもなく、乳呑み児を抱いて淡路島内の実家に引っ越し、呉服を売り歩く商売を始めた。買ってくれるのは親戚だけで、母は自分の着物を質屋に入れ、実父の助けも借りて生きた。淡路島は空襲も少なく、周りは海で温暖な気候であったため、魚や野菜など食べ物に困ることはなかった。
木島 俊介(きじま しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉2月… 木島 俊介(きじま しゅんすけ、1939年〈昭和14年〉2月27日 - 2024年〈令和6年〉4月20日)は、日本の美術史家、美術評論家。共立女子大学名誉教授。元地中海学会副会長。 鳥取県八頭郡若桜町生まれ。木島公之の長男。1964年、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史攻卒業。同大学大学院修士課程修了。フィレンツェ大学、ニューヨーク大学大学院、同美術史研究所に学ぶ。 共立女子大文芸学部教授、2009年、定年退任、名誉教授。群馬県立近代美術館館長、群馬県立館林美術館館長、Bunkamuraザ・ミュージアムプロデューサー。1992年地中海学会常任委員・副会長、日本美術評論家連盟常任委員。 2014年7月1日よりポーラ美術館館長を務め、2023年7月1日に退任。
小藤田 千栄子(ことうだ ちえこ、1939年2月20日 - … 小藤田 千栄子(ことうだ ちえこ、1939年2月20日 - 2018年9月11日)は、日本の映画演劇評論家。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業。 1964年から映画雑誌『キネマ旬報』編集部勤務に勤務し、別冊編集部で1969年から刊行された「世界の映画作家」シリーズ全40巻を担当。 1976年からフリー。映画は女性映画を中心に、演劇はミュージカルを中心に取材して評論する。 2018年9月11日、大動脈解離のため死去。79歳没。2019年3月10日に都内のホテルで「小藤田千栄子さんを偲ぶ会」が開催された ※いずれもパド・ウィメンズ・オフィスより刊行。タイトルは2004 - 2005年は『女性監督映画』、2006年以降は『女性映画』。
式場 壮吉(しきば そうきち、1939年(昭和14年)2月9… 式場 壮吉(しきば そうきち、1939年(昭和14年)2月9日 - 2016年5月17日)は、日本の実業家、自動車評論家、元レーシングドライバー。 伯父は精神科医で精神病理学者の式場隆三郎。妻は歌手の欧陽菲菲。 千葉県市川市国府台の精神科病院「式場病院」の理事長であった父の元に生まれる。 成城大学文芸学部在学中より輸入車をドライブし、同郷の後輩であった浮谷東次郎や、生沢徹、本田博俊、杉江博愛(後の徳大寺有恒)、福澤幸雄など日本のモータースポーツ草創期を支えたドライバー達と親交があった。 音楽にも親しみ、アマチュアのジャズマンとしてホテルオークラや東京・飯倉のイタリア料理店「キャンティ」などに出入りし、ミッキー・カーチス(のちにレーサーとしても活躍)やムッシュかまやつ、堺正章などの芸能人とも親しかった。
賀来 弓月(かく ゆづき、1939年2月3日 - )は、日本… 賀来 弓月(かく ゆづき、1939年2月3日 - )は、日本の外交官・評論家。ウィニペグ総領事、チェンナイ総領事、ムンバイ総領事を歴任した。 愛知県生まれ。1960年名古屋大学法学部在学中に外交官上級試験に合格。1961年外務省入省、オックスフォード大学修士課程に留学(国際関係論、国際法、EC法専攻)。 在英国日本国大使館、在ジュネーブ政府代表部、在ブラジル日本国大使館、在ニューヨーク日本国総領事館勤務を経て、外務省経済局国際経済第一課長、在デンマーク日本国大使館参事官、防衛庁防衛研究所、在イタリア日本国大使館公使、国際農業開発基金(IFAD)日本政府代表理事、在ブラジル日本国大使館公使、在ウィニペグ総領事、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1992-1994年東西センター(米議会設置シンクタンク)客員上席研究員兼所長特別顧問、在マドラス総領事、ボンベイ総領事。
川上 源太郎(かわかみ げんたろう、1939年1月13日- … 川上 源太郎(かわかみ げんたろう、1939年1月13日- 2013年)は、日本の社会学者、社会評論家・社会評論家。元清泉女学院大学副学長。 東京生まれ。1962年一橋大学社会学部卒業。1967年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。 1968年東京女子大学助教授、非常勤講師を務めたのち1985年から八千代国際大学(現秀明大学)教授、清泉女学院大学教授、副学長。 一橋大学では修士課程ではマルクス主義研究の高島善哉ゼミで、博士課程ではモンテスキュー研究の古賀英三郎ゼミで指導を受け、マックス・ヴェーバーを研究。 やがて民社党・公明党と関わりを持つ様になり、1975年に『親の顔が見たい』を上梓。
山下 勝利(やました かつとし、1939年(昭和14年)- … 山下 勝利(やました かつとし、1939年(昭和14年)- )は、日本のジャーナリスト、ルポライター、不倫評論家。 東京生まれ。早稲田大学文学部演劇専修卒。 光文社『女性自身』編集部を経て1971年、朝日新聞社に入社。1999年5月まで『週刊朝日』記者、編集委員を務める。またBS朝日の報道番組キャスターも担った。 芸能人に関するルポを上梓していたが、『週刊朝日』に連載した不倫のルポルタージュが好評で、「不倫評論家」を名乗り、恋愛小説など執筆多数。テレビドラマ化された作品も多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宮城 篤正(みやぎ とくまさ、1939年 - )は、沖縄県浦… 宮城 篤正(みやぎ とくまさ、1939年 - )は、沖縄県浦添市出身の美術史研究者、博物館学芸員、琉球工芸研究者、大学教員、空手史研究者、美術評論家。沖縄県立芸術大学第5代学長、浦添市美術館初代館長、浦添市立図書館初代館長、沖縄民芸協会会長を歴任した。 沖縄県立博物館では琉球陶器や県内絵画遺品の調査研究に従事し、浦添市では市立図書館および美術館の開設・運営に関わった。沖縄美術・琉球工芸に関する監修・著作のほか、沖縄空手史に関する著作・連載でも知られる。 1939年、沖縄県浦添市に生まれる。1962年、琉球大学文理学部美術工芸科を卒業した。中学校美術教諭を経て、琉球政府立博物館、のちの沖縄県立博物館に勤務した。
志村 章子(しむら しょうこ、1939年〈昭和14年〉 - … 志村 章子(しむら しょうこ、1939年〈昭和14年〉 - 2022年〈令和4年〉1月26日)は、日本のジャーナリスト、評論家、ガリ版文化研究者。 東京府生まれ。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)第2西洋画科卒。足尾鉱毒事件、女性問題、老人問題などのジャーナリストとして活動、のちガリ版文化研究者。1994年、ガリ版愛好者の会「ガリ版ネットワーク」を創設(現・新ガリ版ネットワーク)。
高本 公夫(たかもと きみお、1939年 - 1994年10… 高本 公夫(たかもと きみお、1939年 - 1994年10月16日)は昭和後期に活躍した競馬評論家、作家。 北海道色丹島出身。明治大学文学部卒業。北海道内の私立高校で英語教師を務めていたが、35歳の時に作家を志して再上京。1977年、小池一夫主宰の「劇画村塾」に参加。 出版業界に顔を出している内に、趣味である競馬の予想にまつわる『競馬で勝って歓喜する本』・『馬券革命』シリーズなど主に中央競馬の馬券予想に関する競馬予想理論の本を著し、これらがヒットして時代の寵児となる。 サイン理論(暗号馬券理論)の事実上の元祖として知られており、そのため競馬業界ではそのような予想のことを「タカモト式」(あるいは単に「タカモト」)と呼ぶほどである。
鈴木 棟一(すずき とういち、1939年 - 2022年8月… 鈴木 棟一(すずき とういち、1939年 - 2022年8月11日)は、日本の政治評論家。 東京都出身。早稲田大学政経学部卒業後に毎日新聞社に入社。同社の編集委員などの要職を歴任したのち、退社して政治評論家になる。 特に自由民主党の内部事情に詳しい。週刊ダイヤモンドや夕刊フジなどに連載を持ち、著書が多い。公益財団法人日本国際フォーラム政策委員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三島 瑞穂(みしま みずほ、1938年12月30日 - 20… 三島 瑞穂(みしま みずほ、1938年12月30日 - 2007年4月7日)は日本出身のアメリカ合衆国の作家、軍事評論家、安全保障/危機管理コンサルタント、元アメリカ陸軍特殊部隊群曹長。ベトナム戦争従軍者。鹿児島県奄美大島(現大島郡瀬戸内町)生まれ。既婚で一人娘がいる。アメリカ名はMizuho Mishima Bobroskie、ニックネームは"Bo"。 米陸軍勤務歴21年で約950回の落下傘降下経験を持つ。Special Forces Association(特殊部隊協会。グリーンベレー関係者の交流団体)の終身会員で、"D-446"のIDを持つ(D-###のIDが与えられるのはグリーンベレー在隊10年以上の者のみで、三島はその446人目ということになる)。
高齋 正(こうさい ただし、1938年12月21日 - 20… 高齋 正(こうさい ただし、1938年12月21日 - 2025年6月28日)は、日本の作家、自動車評論家。高斎 正とも表記される(高斉 正の表記も見受けられるが、一般的ではない)。 群馬県前橋市生まれ。のちにSF作家仲間となる豊田有恒とは群馬大学附属小学校・中学校の同級生であり、大学進学後も交友した(1960年、豊田に『SFマガジン』の存在を伝えたのは高斎)。1957年群馬県立前橋高等学校卒業。1961年慶應義塾大学経済学部卒業。 自動車レース小説を多く書く。SF作家でもあり、日本SF作家クラブ第3代事務局長を務めた(星新一が初代会長をつとめた際の、事務局長であった)。2013年、他のベテラン作家らとともに、日本SF作家クラブの名誉会員に。
黒江 透修(くろえ ゆきのぶ、1938年12月12日 - )… 黒江 透修(くろえ ゆきのぶ、1938年12月12日 - )は、鹿児島県姶良郡姶良町(現・姶良市)出身(台湾台北市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。旧名は幸弘。 父親は海軍軍人で、香港に移住後に除隊となってから、軍需品を扱う仕事をしていた。幼少期は裕福であったが、終戦を機に財産を消失して貧しくなる。1946年、両親の故郷である鹿児島市に引き揚げ、父親は精米所の経営を始めた。 黒江は8人兄弟の三男で、4人の男兄弟の中で最も運動神経に優れており、小学校3年生の時に野球を始める。両親は黒江をプロ野球選手にしたいとの夢を抱いており、『野球界』などの野球雑誌を買い与えられたほか、食事の際にも肉を兄弟の中で一番多く出されるなど、優遇されていたという。