上島 有(うえじま たもつ、1924年 - )は、日本の歴史… 上島 有(うえじま たもつ、1924年 - )は、日本の歴史学者、摂南大学名誉教授。専門は中世古文書。 三重県生まれ。1950年京都大学文学部史学科卒業。京都府立総合資料館を経て、1980年代から大阪電気通信大学教授、摂南大学教授、花園大学教授。 1971年「京郊庄園村落の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。1999年「東寺・東寺文書の研究」で、密教学芸賞 ・角川源義賞を受賞。京都大学教授で中世史家の上島享は子[要出典]。
田原 嗣郎(たはら つぐお、1924年 - 没年不明)は、日… 田原 嗣郎(たはら つぐお、1924年 - 没年不明)は、日本の歴史学者、北海道大学文学部名誉教授。専門は江戸期の儒学・国学をめぐる日本思想史研究。 松本高等学校理科を経て、1953年に東京大学文学部国史学科卒業、北海道大学教授、敬和学園大学教授などを務めた。丸山眞男と多大な交流があり影響を受けた。 4061155385 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
李 基白(イ・ギベク、り ぎはく、1924年 - 2004年… 李 基白(イ・ギベク、り ぎはく、1924年 - 2004年)は、大韓民国の歴史学者。韓国民族史学の開拓者。「民族に対する愛情と真理に対する信仰は二つではなく一つ」と主張した。本貫は驪州李氏(朝鮮語版)。 平安北道定州生まれ。1942年、早稲田大学史学科に入学。1947年、ソウル大学史学科卒業。梨花女子大学教授、西江大学教授、翰林大学教授を歴任。 小説家の李仁星は息子。 著書『韓国史新論』では、従来、朝鮮ではあまり顧みられることのなかった渤海国を正式に朝鮮の歴史に編入し、渤海国は朝鮮の国家であると主張している。この主張に対して韓東育は、「研究者の動機はどうであれ、以下の言説(李基白の主張)は、論理および学術上の不周延の謗りを招きかねない」と批判している。
島田 次郎(しまだ じろう、1924年(大正13年) - 2… 島田 次郎(しまだ じろう、1924年(大正13年) - 2020年1月1日)は、日本の歴史学者、中央大学名誉教授、第11代中央大学経済研究所長。専攻は日本古代史・国文学。 東京都生まれ。1950年に東京文理科大学史学科国史学専攻を卒業。高校教諭などを経て、中央大学教授、中央大学経済研究所長(1988年 - 1991年)を歴任した。その間、1977年に「中世領主制の形成とその展開」で東京教育大学から文学博士を授与される。中央大学を退職し1995年名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 卓(たなか たかし、大正12年(1923年)12月12… 田中 卓(たなか たかし、大正12年(1923年)12月12日 - 平成30年(2018年)11月24日)は、日本の歴史学者。皇學館大学名誉教授。専門は日本古代史。 皇學館大学学事顧問、皇學館大学学長、有限会社青々企画代表を務めた。平泉澄の弟子。学位は、文学博士(旧制・國學院大學)。大阪府出身。 東京帝國大學に入学して間もない1942年(昭和17年)、当時文学部国史学科の主任教授であった平泉澄が主宰する青々塾に入塾。また平泉が指導する学生団体、東大朱光会に入会し、1943年(昭和18年)、同会の幹事となった。1944年(昭和19年)9月に、学徒出陣し、海軍予備学生として、土浦海軍航空隊に入隊した。
田中 健夫(たなか たけお、1923年〈大正12年〉9月27… 田中 健夫(たなか たけお、1923年〈大正12年〉9月27日 - 2009年〈平成21年〉10月12日)は、日本の歴史学者。文学博士(東京大学・論文博士・1977年)(学位論文「日本中世対外関係史の研究」)。東京大学名誉教授。中世東アジアの国際関係史を研究。 群馬県高崎市出身。1940年旧制群馬県立高崎中学校4年修了。1942年9月旧制新潟高等学校卒業。同年10月東京帝国大学文学部国史学科に入学し、1945年9月卒業。1949年東京大学史料編纂所入所、1961年助手、1966年助教授、1971年教授。1977年「日本中世対外関係史の研究」で文学博士(東京大学)の学位を取得。1984年定年退官、東京大学名誉教授、東洋大学教授。
大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 -… 大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 - 2004年5月10日)は、日本の歴史学者。専門は近世日本史。学習院大学名誉教授。 近世農村史の研究から歴史研究に入り、その後享保の改革を生涯の研究テーマとした。また、江戸時代が舞台となったNHK大河ドラマの時代考証を数多く担当した。 愛媛県温泉郡正岡村(現松山市)出身で、1949年東京大学文学部国史学科を卒業。東京大学より文学博士の学位を取得。 文部省史料館(現国文学研究資料館)、 高崎短期大学、神奈川大学を経て、1963年学習院大学経済学部教授となり、1975年から1984年まで学習院大学史料館長を兼ね、1983年から1987年まで学習院大学経済学部学部長を2期務めた。
溪内 謙(たにうち ゆずる、1923年9月2日 - 2004… 溪内 謙(たにうち ゆずる、1923年9月2日 - 2004年2月13日)は、日本の歴史学者、政治学者。専門はロシア/ソ連政治史。東京大学名誉教授。 石川県生まれ。金沢一中、四高を経て、1942年、東京帝国大学入学。約1年在学後の1943年12月、学徒出陣により、徴兵検査を受け、合格。大学を休学し、海軍の舞鶴海兵団へ入営し海軍二等水兵任官。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進む。同年10月に予備役編入・復員。その後、東京大学へ復学する。 復学から1年半後、1947年春に東京大学法学部を卒業し、大学院へ入学。
尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 201… 尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 2013年5月4日)は、日本の歴史学者。文学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)(学位論文「幕藩体制の政治的原理と朱子学との関係に関する研究」)。東京大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ。幼少期は旧満州(中国東北部)に移住。第三高等学校を経て1943年東京帝国大学文学部国史学科入学するも同年12月に学徒出陣。1945年8月の終戦は第二航空軍(満州)教官。翌年に復員。 1949年、東京大学文学部国史学科卒業。1958年、名古屋大学文学部講師、1962年1月、名古屋大学文学部助教授。同年4月、東京大学文学部助教授を経て、1970年、東京大学文学部教授。
鎌田 純一(かまた じゅんいち、1923年7月17日 - 2… 鎌田 純一(かまた じゅんいち、1923年7月17日 - 2014年7月15日)は、日本の神道学者・歴史学者。宮内庁侍従職御用掛。皇學館大学名誉教授。 1923年、大阪府大阪市に生まれる。父春雄が神宮皇學館教授として赴任したため、伊勢で幼少期を過ごす。 宇治山田中学校(現在の三重県立宇治山田高等学校)を経て、國學院大學予科、1946年同大学文学部史学科卒業。在学中に学徒出陣し、海軍中尉に至る。学部を卒業のあと、同大学院に進学、1955年より國學院大學日本文化研究所専任所員、また同大学講師として教壇に立つ。 1962年に再興された皇學館大學助教授として赴任、1965年には教授。1989年まで在職した(同名誉教授となる)。
黒板 伸夫(くろいた のぶお、1923年(大正12年)4月5… 黒板 伸夫(くろいた のぶお、1923年(大正12年)4月5日 - 2015年(平成27年)5月11日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。妻は作家の永井路子。歴史学者の黒板勝美は伯父。 1923年(大正12年)、東京府生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学大学院(旧制)修了。平安博物館嘱託、同博物館講師、吉川弘文館編集長を経て、清泉女子大学教授・醍醐寺霊宝館長。 2015年5月11日、肺炎のため死去。92歳没。 2016年、第27回大衆文学研究賞・大衆文学部門を、黒板伸夫・永井路子編「黒板勝美の思い出と私たちの歴史探究」(吉川弘文館)が受賞した。
平野 邦雄(ひらの くにお、1923年〈大正12年〉3月24… 平野 邦雄(ひらの くにお、1923年〈大正12年〉3月24日 - 2014年〈平成26年〉9月20日)は、日本の歴史学者。文学博士(東京大学・論文博士・1971年)。東京女子大学名誉教授。専攻は日本古代史。
今野 国雄(こんの くにお、今野國雄、1923年3月18日 … 今野 国雄(こんの くにお、今野國雄、1923年3月18日 - 2001年5月23日)は、日本の歴史学者。西洋史専攻。 宮城県生まれ。1950年旧制東京商科大学(現一橋大学)で上原専禄に師事。同大を卒業後、関東学院大学経済学部助教授、教授を経て、1983年青山学院大学文学部史学科教授。1991年退任。 妻は歌人の今野さなへ(国語学者山田孝雄の子女)、子息に日本語学者の今野真二(清泉女子大学教授)がいる。
真弓 常忠(まゆみ つねただ、1923年3月6日 - 201… 真弓 常忠(まゆみ つねただ、1923年3月6日 - 2019年4月3日)は、日本の神職・神道学者・歴史学者。皇學館大学名誉教授。住吉大社名誉宮司。 大阪市生まれ。神宮皇學館大學卒業後、1975年まで住吉大社禰宜、1993年まで皇學館大学教授。退任後は八坂神社宮司を経て、住吉大社宮司に就いた。2012年より同名誉宮司。2019年4月3日に死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 20… 小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 2004年7月31日)は、日本の歴史学者、北海道教育大学名誉教授。フランス近代史専攻。兄はドイツ文学者の小栗浩。 北海道函館市生まれ。1949年東北大学文学部西洋史学科卒業。北海道教育大学講師、助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授。1999年秋、勲三等旭日中綬章受勲。 2004年7月31日、多臓器不全のため死去。
井上 鋭夫(いのうえ としお、1923年2月18日 - 19… 井上 鋭夫(いのうえ としお、1923年2月18日 - 1974年1月25日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士(東京大学・1971年)(学位論文「中世末期における一向一揆の研究」)。一向一揆研究の権威。 石川県生まれ。1942年9月、第四高等学校文科乙類卒業。1948年東京大学文学部国史学科卒。跡見学園を経て、1951年新潟大学人文学部助手、1952年講師、後に同学部助教授、1968年4月に教授となり、同年5月に金沢大学法文学部教授となる。1971年に「中世末期における一向一揆の研究」で東京大学から文学博士の学位を取得。 中世・近世の生活、宗教、合戦、日本海文化の総合的研究をすすめながら史料の編纂につとめ、多数の著書がある。
佐野 泰彦(さの やすひこ、1923年2月16日 - 199… 佐野 泰彦(さの やすひこ、1923年2月16日 - 1996年12月5日)は、日本の歴史学者、ポルトガル語学者。 福岡県北九州市生まれ。父の死で叔父を頼って上京し東京・赤坂で育つ。東京帝国大学卒。ブラジルへ留学し、東京外国語大学ポルトガル語助教授、上智大学外国語学部助教授、教授、1992年定年、名誉教授。
高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 19… 高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 1999年9月26日)は、日本の編集者、歴史学者、昭和史研究家。元みすず書房取締役。筆名は渡辺正治。 青森県八戸市出身。1943年中央大学専門部経済学科卒業。同年12月学徒動員で入隊。1946年みすず書房の創立に加わり同書房に勤務。1963年から小尾俊人編集長と協力し企画、刊行した「現代史資料」は、1965年第13回菊池寛賞を受賞した。1991年に退職した後は、昭和史研究に従事。
山田 作男(やまだ さくお、1922年11月27日 - 20… 山田 作男(やまだ さくお、1922年11月27日 - 2001年4月2日)は日本の歴史学者。専門は西洋史学。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。幼少時を三重県桑名市で過ごす。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校を経て、昭和23年(1948年)京都大学文学部史学科西洋史学専攻卒業。同27年(1951年)同大学院中途退学。愛知教育大学教授を経て、同61年(1986年)愛知学院大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岩井 忠熊(いわい ただくま、1922年〈大正11年〉8月1… 岩井 忠熊(いわい ただくま、1922年〈大正11年〉8月17日 - 2023年〈令和5年〉11月4日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近代史。立命館大学名誉教授。 熊本県熊本市出身。名前の「忠熊」は熊本生まれに因む。京都大学文学部卒業。立命館大学教授・副学長を歴任。 京都大学から学徒出陣した、特攻艇・震洋の元特攻隊員である。しかし、石垣島へ移送中に敵軍の魚雷攻撃を受けて船が沈没。3時間泳いだ末に救助され、特攻せずに存命したまま終戦を迎えた。元特攻隊員であることは晩年になってから明かしたことで、明かした理由は「特攻を公然と賛美する動きに腹が立ったからです」と語っている。 2歳上の兄・忠正も慶應義塾大学在学中に学徒出陣し、伏龍・回天の元特攻隊員であった。
永原 慶二(ながはら けいじ、1922年7月12日 - 20… 永原 慶二(ながはら けいじ、1922年7月12日 - 2004年7月19日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授、和光大学名誉教授。専門は日本中世史。学位は、経済学博士(一橋大学・1962年)。 1922年、関東州大連市に生まれた。1942年3月に東京高等学校文科乙類を卒業後。同年4月、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1943年、文科系学生の徴兵猶予停止にともない、海軍の大竹海兵団に入団。1944年、東京帝国大学国史学科を卒業。 終戦後に帰郷し、東京帝国大学大学院に入学。1947年、東京大学史料編纂所員となり、『大日本史料』第三編の編纂業務に従事した。 このころ一橋大学では、村松恒一郎・川上多助門下の及川完助教授が戦死したのち、ながらく日本経済史担当の専任教員が空席となっており、その伝統が断絶してしまっていた。
藤原 彰(ふじわら あきら、1922年7月2日 - 2003… 藤原 彰(ふじわら あきら、1922年7月2日 - 2003年2月26日)は、日本の歴史学者。日本近代史専攻。一橋大学名誉教授。1980年日本学術会議会員。元歴史学研究会委員長。
原口 清(はらぐち きよし、1922年2月17日 - 201… 原口 清(はらぐち きよし、1922年2月17日 - 2016年11月14日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史。名城大学名誉教授。静岡県榛原郡地頭方村新庄(現牧之原市)出身。
長谷川 昇(はせがわ のぼる、1922年 -2002年 )は… 長谷川 昇(はせがわ のぼる、1922年 -2002年 )は、日本の歴史学者。専門は自由民権運動。横浜市生まれ、早稲田大学文学部卒業。東海学園女子短期大学教授を経て、名誉教授。専攻は日本近代史。 松岡正剛は『博徒と自由民権』を「名古屋事件を詳細に再現した一書。目を洗われた。」と評している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鳥山 成人(とりやま しげと、1921年12月11日- 20… 鳥山 成人(とりやま しげと、1921年12月11日- 2005年2月14日)は、日本の歴史学者。専門はロシア史、東欧史。北海道大学名誉教授。 1921年、北海道生まれ。1943年、東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。財団法人東亜研究所研究員、二十世紀研究所研究員、歴史科学研究所研究員を務める。 1948年に、北海道大学法文学部助教授就任。その後1953年に文学部助教授。1956年に法学部(スラブ研究施設)助教授、1963年、同教授。1969年文学部教授となり、1985年3月の定年退官まで勤務。 その後、中央大学文学部教授に就き、1992年退職。 近世ロシア史を専門としたが、より広く東欧・ビザンツ世界の歴史も日本に紹介した。
古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2… 古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2004年4月26日)は、日本の歴史学者。専門は中国史。東京大学名誉教授。大東文化大学名誉教授。 1921年、長野県飯田市生まれ。1942年、旧制飯田中学を卒業。1943年、旧制浦和高等学校(現埼玉大学)を卒業。東京帝国大学文学部入学したが、徴兵により兵役に就いた。 1945年、太平洋戦争終結にともなって復員。東京帝国大学文学部に復学し、1948年に卒業した。東京大学大学院(旧制)に進んだが、1949年に退学して東洋文化研究所助手となった。1954年、東京大学社会科学研究所助教授に就任。1967年、同研究所教授に昇格。1978年から1983年まで、現代中国学会代表幹事を務めた。
神田 信夫(かんだ のぶお、1921年(大正10年)10月2… 神田 信夫(かんだ のぶお、1921年(大正10年)10月2日 - 2003年(平成15年)12月30日)は、日本の歴史学者。専門は東洋史、特に清朝史、満州族史。明治大学名誉教授。父は東洋史、書誌学者の神田喜一郎。岳父は恩師でもある和田清。 1921年、京都府京都市で生まれた。父の神田喜一郎が京都帝国大学文学部史学科支那史学専攻を卒業した年に生まれ、1929年に父が台北帝国大学に赴任した際には同行し、幼少期は当時日本領だった台湾で過ごした。 1941年に台北高文科を卒業し、東京帝国大学に入学し、文学部東洋史学科で山根幸夫と同期で学んだ。1943年9月に卒業。同年10月より2年間、大学院特別研究生として、指導教授和田清のもと「満州八旗の研究」のテーマで研究を始めた。
稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1… 稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1982年2月28日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 広島県呉市生まれ。1939年に広島県立呉第一中学校を卒業し、広島高等学校文科に進学。同校2年生だった1940年の夏、東京中野在住だった兄の家に滞在していたときに、隣家に住んでいた宝月圭吾を紹介され、進学先の相談をしたところ、東京帝国大学を勧められ、同大学への進学を決めたという。1942年に高校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同期入学に永原慶二、安田元久、山口啓二らがいる。翌年、海軍に入隊し、その間の1944年9月に卒業。1947年、東京帝国大学大学院を退学。 同年、東京帝国大学史料編纂所に入所、1966年助教授、1969年教授。
荒 松雄(あら まつお、1921年(大正10年)5月7日 -… 荒 松雄(あら まつお、1921年(大正10年)5月7日 - 2008年(平成20年)11月8日)は、日本の歴史学者(インド史・南アジア史)、小説家。位階は従四位。勲等は瑞宝重光章。学位は博士(史学)(専修大学・2001年)。筆名は「新谷 識」(しんたに しき)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学東洋文化研究所教授、東京大学東洋文化研究所所長、津田塾大学学芸学部教授、恵泉女学園大学人文学部教授、財団法人東洋文庫研究員などを歴任した。 1921年、東京府東京市浅草区浅草材木町(現在の東京都台東区雷門二丁目)の裕福な商家、材木問屋に生まれた。5人きょうだいの末っ子であった。
千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 20… 千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 2008年4月12日)は、浄土真宗の僧侶、仏教学者・歴史学者。学位は、文学博士(論文博士・1977年)。龍谷大学名誉教授・元学長、元相愛学園長・理事長。 真宗史、真宗教団史他の研究において数多くの研究、業績を残した。浄土真宗本願寺派安楽寺第26世住職。徳島県生まれ。
松田 毅一(まつだ きいち、1921年(大正10年)5月1日… 松田 毅一(まつだ きいち、1921年(大正10年)5月1日 - 1997年(平成9年)5月18日)は、日本の歴史学者。専門は、戦国時代から江戸時代初期の日欧交渉史、特にポルトガル・スペインとの関係史。京都外国語大学名誉教授。香川県高松市出身、大阪市育ち。 ヨーロッパ各地(ポルトガル・スペイン・バチカン等)やフィリピン、マカオ等の文書館に保存されている日本関係史料の発見・翻訳・紹介に取り組み、また多数の著書・論文を発表して日本における上記分野の研究の進展に貢献する一方、こうした研究成果の一般市民への啓発・普及、関係諸国との学術・文化交流にも尽力した。 清泉女子大学教授時代に、非常勤講師として横浜国立大学でスペイン語の講義をおこない、沢木耕太郎も授業を受けている。
滝沢 武雄(たきざわ たけお、正字体:瀧澤 武雄、1921年… 滝沢 武雄(たきざわ たけお、正字体:瀧澤 武雄、1921年4月12日 - 2022年6月6日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。日本貨幣史、東北史を研究した。 東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)出身。1943年早大文学部史学科国史学卒、1947年同大学院中退。早大文学部助教授、1971年教授、1992年定年退任、名誉教授。1996年春、勲四等旭日小綬章受勲。
護 雅夫(もり まさお、1921年〈大正10年〉3月30日 … 護 雅夫(もり まさお、1921年〈大正10年〉3月30日 - 1996年〈平成8年〉12月23日)は、日本の東洋学者・歴史学者。専攻はトルコ民族史・内陸アジア史・トルコ学。東京大学名誉教授。勲二等瑞宝章受章。日本学士院会員。 滋賀県長浜町(現長浜市)真宗大谷派一心寺 11世住職 釋雅亮・春枝の長男として生誕 。旧制 県立虎姫中学校(現:滋賀県立虎姫高等学校)から1938年第三高等学校文科甲類へ入学、「自由寮」での寮生活を始める。 1941年東京帝国大学文学部東洋史学科入学、1943年9月卒業と同時に同大大学院入学即日休学、10月に三期兵科予備学生として広島県江田島の海軍兵学校に入校、同年末まで教育・訓練をうけ、1944年より海兵教官として国史を担当する。
武者小路 穣(むしゃのこうじ みのる、1921年(大正10年… 武者小路 穣(むしゃのこうじ みのる、1921年(大正10年)3月27日 - 2010年(平成22年)11月11日)は、日本の歴史学者、著述家。和光大学名誉教授。日本文化史専攻。筆名はむしゃこうじ・みのる(すべて平仮名、「むしゃ」と「こうじ」の間に「の」を入れずに、姓と名の間には中黒を入れる)。旧姓は久保田(くぼた)。 子爵武者小路実世の末弟・公敏の妻・喜佐の甥にあたり、6歳の時に従兄にあたる公敏の長男・敏雄の養子に入った。妻は小説家武者小路実篤の三女・辰子で、穰の又従姉にあたる。長女・有紀子は元バレリーナで歌舞伎役者の四代目中村梅玉夫人。 奈良市出身。1943年(昭和18年)東京帝国大学文学部国史学科卒業。
高橋 昌郎(たかはし まさお、1921年3月13日 - 20… 高橋 昌郎(たかはし まさお、1921年3月13日 - 2016年11月4日)は、日本の歴史学者。日本近代史専攻。元清泉女子大学教授。 1921年、群馬県高崎市で生まれた。東京帝国大学文学部に進学し、国史学科で学んだ。1946年9月に卒業。 卒業後は、教諭として東京都立北園高等学校に勤務。1974年から1991年まで清泉女子大学の教授を務めた。日本プロテスタント史研究会の世話人を務め、また3年間牧師を務めた。2016年に死去。
吉田 悟郎(よしだ ごろう、1921年2月8日 - 2018… 吉田 悟郎(よしだ ごろう、1921年2月8日 - 2018年5月21日[信頼性要検証])は、日本の歴史学者。 金沢市に技術者・吉田恵一の子として生まれる。東京府立第五中学校(現東京都立小石川高等学校)卒、成城高等学校卒、1942年東京帝国大学文学部西洋史学科を学徒出陣で繰り上げ卒業、1945年敗戦で復員し、GHQで検閲の仕事をしたのち日本評論社の編集者となる。1952年東京都立広尾高等学校教諭、81年退職。大学非常勤講師として世界史を教える。歴史教育者協議会会員。
梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日… 梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日 - 2016年2月18日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本近代史・軍事史。文学博士(大阪大学・1962年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 20… 有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 2004年6月18日)は、日本の歴史学者、関西大学名誉教授。専門は日本近世史。 1921年、東京生まれ。京都帝国大学文学部史学科で国史を専攻して卒業。1979年に学位論文『日本洋学史の基礎的研究』を関西大学に提出して文学博士の学位を取得。関西大学文学部助教授、後に教授。1992年に関西大学を定年退職し、名誉教授となった。 山片蟠桃や麻田剛立など日本洋学史を研究。古代史研究も行う。
岩沢 愿彦(いわさわ よしひこ、1921年 - )は、日本の… 岩沢 愿彦(いわさわ よしひこ、1921年 - )は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所教授を経て、東京大学名誉教授。 國學院大學史学科卒。1948年東京大学史料編纂所勤務、62年助手、70年助教授、73年教授、82年定年退官、名誉教授、日本大学文理学部教授。神奈川県川崎市に居住した。 高柳光壽、桑田忠親、奥野高廣らと共に、昭和初期に活躍した國學院大學系の歴史学者である。特に奥野高廣と共同校注した『信長公記』(角川文庫・1969年)は現在でも広く利用されている。また織田信長、豊臣秀吉期の史料研究を展開し、「山城・近江における豊臣氏の蔵入地について」(『歴史学研究』288号、1964年)、「石田三成の近江佐和山領有」(高柳光寿博士頌寿記念会編『戦乱と人物』吉川弘文館、1968年)、「本能寺の変拾遺-『日々記』所収天正十年夏記について」(『歴史地理』 91巻4号、 1968年)などの重要な論文を発表し、戦国史解明に貢献した。
藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) -… 藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) - 2012年(平成24年)9月10日)は、日本の歴史学者・教育者。北海学園大学名誉教授。 北海道深川市出身。庁立旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)を経て、1942年横浜高等商業学校(現・横浜国立大学経済学部)卒業。庁立深川中学校(現・北海道深川西高等学校)教諭。1949年北海道札幌西高等学校教諭。1952年北海道大学文学部東洋史学科卒業。1954年同大学院文学研究科修了。同文学部助手。同非常勤講師を経て、1958年北海道札幌星園高等学校教諭。1972年北海学園大学法学部の専任講師として就任。1974年同法学部教授。1996年北海学園大学退職。
武部 敏夫(たけべ としお、1920年11月26日-2008… 武部 敏夫(たけべ としお、1920年11月26日-2008年7月15日)は、昭和・平成時代の歴史学者。 1940年(昭和15年)富山高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1942年(昭和17年)卒業。 1943年(昭和18年)宮内省公刊明治天皇御紀編纂事務嘱託となるが、応召。1945年(昭和20年)召集解除により、宮内庁図書寮編修官補に任じられる。その後、書陵部編修課長・正倉院事務所長を歴任。1984年(昭和59年)退官後、大正大学に遷り文学部教授として1991年(平成3年)まで近世史を講じる。 和宮の評伝として高い評価を受ける。 『日本歴史』第726号・2008・P.141 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
服部 治則(はっとり はるのり、1920年(大正9年)7月1… 服部 治則(はっとり はるのり、1920年(大正9年)7月18日 - 2015年(平成27年)2月28日)は、日本の歴史学者・民俗学者である。山梨大学名誉教授。山梨郷土研究会常任理事。正四位。 三重県上野市(現伊賀市)に生まれる。1945年(昭和20年)に東京文理科大学(のちの東京教育大学)史学科国史科を卒業し、1947年には山梨師範学校(のちの山梨大学)助教授になる。山梨県の農村地域における柳田國男の調査にも同行している。 歴史学と民俗学の手法を組み合わせた歴史民俗学的アプローチの研究を行い、1950年代から60年代には山梨県独自の民俗事例として知られる親分子分慣行の研究を行う。これは非血縁の親子関係を結び、親分は子分に経済的庇護を加え子分は親分に対して奉仕する伝統的な人間関係で、服部はその起源を求め武田氏研究へと研究対象を移行する。
山口 啓二(やまぐち けいじ、1920年5月22日 - 20… 山口 啓二(やまぐち けいじ、1920年5月22日 - 2013年7月7日)は、日本の歴史学者。日本近世史が専門。 後に衆議院議員となる弁護士の山口政二の次男として、東京に生まれる。1942年、第一高等学校文科丙類卒業。同年、東京帝国大学文学部国史学科入学。 1944年、卒業。のち東京大学史料編纂所教授を経て、1979年、名古屋大学文学部教授となり、1983年退官。歴史科学協議会会員。
山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 200… 山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 2001年5月7日)は、日本の歴史学者、新潟大学名誉教授。専攻は日本古代史・国文学。 1920年、東京で生まれた。父・山田孝雄の東北帝国大学赴任に従って仙台で育った。第二高等学校を卒業し、東京帝国大学国史学科に進学。卒業後、1942年に召集。 戦後は三重県立宇治山田高等学校の歴史教師、1952年より新潟大学人文学部で専任講師を務めた。1954年より助教授、1965年に教授昇任。1972年には人文学部長、図書館長を務めた。1986年に定年退官し、同時に名誉教授となった。2001年に死去。
筑紫 申真(つくし のぶざね、1920年(大正9年)3月28… 筑紫 申真(つくし のぶざね、1920年(大正9年)3月28日 - 1973年(昭和48年)1月9日)は、在野の神話学者、歴史学者、民俗学者。 1920年(大正9年)、広島県に生まれる。広島県三原市の沼田神社社家で沼田国造家を称する筑紫家に連なる家系であったため、筑紫家の養子となる。実父は侍従武官も務めた陸軍中将坪島文雄。國學院大學を卒業し、第59代沼田国造として沼田神社の神職を務めながら、郷里の中学校の教師ともなる。戦中は応召し、戦後は広島県内の中学・高校教師を歴任。1952年6月に転任した三重県立亀山高等学校を振り出しに、三重県立鳥羽高等学校・三重県立志摩高等学校・三重県立上野高等学校・鳥羽・三重県立四日市高等学校・三重県立明野高等学校の各高校へと転任した。
山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 20… 山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 2022年8月20日)は、日本の歴史学者。神戸女子大学名誉教授。専門は日本近代史。 京都府出身。1939年12月、陸軍士官学校卒業。1949年3月、京都大学文学部史学科卒業。1971年5月、京都大学文学博士。神戸女子大学教授を経て、同大学名誉教授。 2022年8月20日、老衰のため死去。102歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
森井 眞(もりい まこと、1919年10月14日 - 202… 森井 眞(もりい まこと、1919年10月14日 - 2023年8月10日)は、日本の歴史学者。明治学院大学文学部名誉教授、元同学学長。長年、宗教改革者ジャン・カルヴァンの研究に従事した。日本基督教団千歳丘教会員。 1919年、秋田県生まれ(東京都生まれとする情報もある)。旧制第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学文学部西洋史学科を繰り上げ卒業。敗戦時まで従軍する。1959-1961年、ストラスブール大学プロテスタント神学部に留学。1961年、宗教学博士号取得。1965年、明治学院大学文学部フランス文学科助教授、1967年、同教授。1979年、同大学文学部長(- 1982年)、1982年、同大学学長(- 1992年)。
小林 計一郎(こばやし けいいちろう、1919年5月21日 … 小林 計一郎(こばやし けいいちろう、1919年5月21日 - 2009年11月1日)は、日本の歴史学者、郷土史研究家。長野県史編纂委員、長野郷土史研究会会長(初代)。長野工業高等専門学校、文化女子大学長野専門学校、信州短期大学の元教授。長子は、長野郷土史研究会の二代目会長の小林一郎。脚本家の小林雄次と小林英造は孫。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学校(現長野高校)を卒業し、神宮皇學館に進学する。小林一茶研究で知られる伊藤正雄に師事して国文学を学ぶ。1941年に卒業。兵役を経て、1946年から大阪府立農学校や長野県の高等学校教諭、長野工業高等専門学校教授、信州短期大学教授などを歴任。1991年信州短大退職、名誉教授の称号を受ける。
中田 易直(なかだ やすなお、1919年4月6日 - 201… 中田 易直(なかだ やすなお、1919年4月6日 - 2015年1月21日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1985年)(学位論文「近世対外関係史の研究」)。中央大学名誉教授。日本近世史専攻。特に近世経済史・近世対外関係史を専門とする。米国初期日本占領政策の研究も行った。 秋田県仙北郡角館町(現仙北市)生まれ。本籍は大館町(現大館市)。1943年東京帝国大学文学部国史学科を卒業。中村孝也、辻善之助、坂本太郎に師事する。中村孝也『徳川家康文書の研究』編纂に尽力した。1985年「近世対外関係史の研究」で國學院大学より文学博士の学位を取得。 1945年文部省国史編修院編修官補となり、その後、文部省科学局科学官補として文部省史料館の設立の事務に携わる。
直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - … 直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - 2019年2月2日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1969年)。日本古代史研究を代表する研究者。 1919年、兵庫県神戸市で生まれた。1936年、兵庫県立第一神戸中学校を卒業。1938年、第一高等学校文科乙類へ入学。1941年に第一高等学校を卒業し、 京都帝国大学文学部史学科に進んだ。太平洋戦争の時局悪化に伴い、1943年に京都帝国大学文学部国史学科を卒業。卒業後は、海軍土浦海軍航空隊に入隊した。 1945年、終戦により復員。最終的な階級は海軍中尉であった。翌1946年、京都帝国大学特別研究生として研究の道に戻った。