柴小屋 雄一(しばこや ゆういち、1983年6月16日 - … 柴小屋 雄一(しばこや ゆういち、1983年6月16日 - )は、宮城県仙台市出身のフットサル選手、元プロサッカー選手。サッカー選手時代の登録ポジションはディフェンダー。バレーボール選手の柴小屋康行は実弟。 大分トリニータ在籍時は、皇甫官体制時に当時入団一年目だった深谷友基とCBを組み、三木隆司などベテランを退け開幕からレギュラーを掴んだ。経験不足による失点は目立ったが、空中戦には強く、強豪クラブを抑える活躍をした。 ペリクレス・シャムスカの監督就任後、出場機会が減少。2007年4月に出場機会を求めサガン鳥栖へ期限付き移籍。鳥栖ではセンターバックのレギュラーの座を掴み、第二クールにおいて快進撃の原動力となっていた。
山谷 紘大(やまや こうだい、1983年6月7日 - )は岩… 山谷 紘大(やまや こうだい、1983年6月7日 - )は岩手県出身のサッカー選手、元フットサル選手。
水上 玄太(みずかみ げんた、1983年5月24日 - )は… 水上 玄太(みずかみ げんた、1983年5月24日 - )は、北海道札幌市出身のフットサル選手。エスポラーダ北海道所属。ポジションはピヴォ。2024-25シーズン終了時点でFリーグ通算470試合に出場しており、通算最多出場記録を保持している。 北海道札幌市出身。北海道では冬季に屋外でサッカーをプレーすることが難しく、サロンフットボール(室内ミニサッカー)が盛んに行われていた。水上は小学3年次にサッカーを始めたものの、サッカーの練習後には体育館でサロンフットボールに親しんでいた。中学校・高校に進学してもサッカーを続けていたが、腰を痛めたことがきっかけで北海高等学校1年秋にサッカー部を退部。その頃にはサロンフットボールではなくフットサルが広まり始めており、高校在籍時から社会人フットサルチームに加入してプレーしていた。
石田 雅人(いしだ まさと、1983年4月17日 - )は、… 石田 雅人(いしだ まさと、1983年4月17日 - )は、奈良県出身のサッカー選手、フットサル選手。ポジションはFW、MF。 2001年の高円宮杯第12回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会で、優勝した国見高校に2-2からPKの末敗れるも、2得点と活躍した。 奈良育英高校卒業後すぐ入団した横浜FCでは、1年目に18試合に出場。2年目に右大腿直筋部分断裂などの故障に見舞われ、出場機会を失い退団した。2004年にはフットサルに転向し、関東フットサルリーグのPREDATOR FUTSAL CLUB(バルドラール浦安フットボールサラ)に入団。 2004年8月にはサッカー界に復帰し、2007年までバンディオンセ神戸でプレー。
稲葉 洸太郎(いなば こうたろう、1982年12月22日 -… 稲葉 洸太郎(いなば こうたろう、1982年12月22日 - )は、東京都出身の元フットサル選手、フットサル指導者。ポジションはAla。暁星小学校、暁星中学校、暁星高等学校、武蔵大学経済学部卒業。フランス語検定3級取得。メディア活動においてはベンヌ所属。 幼稚園のサッカークラブで年中からサッカーを始める。「サッカーに力を入れている」という理由から小・中・高一貫教育である暁星小学校に入学した。小学1年次から3年次までは、神奈川県横浜市に所在する少年サッカークラブ、あざみ野フットボールクラブに在籍し、小学4年次から6年次まではアストラジュニアでプレーした。中学1年次から高校3年次までは、暁星中・高校のサッカー部でプレーした。
狩野 新(かのう あらた、1982年12月21日 - )は、… 狩野 新(かのう あらた、1982年12月21日 - )は、日本のサッカー選手、元プロフットサル選手。日本フットサルリーグ・バサジィ大分所属。元フットサル日本代表。 小学生の時、兄のサッカーを見てサッカーが好きになり始める。枚方少年サッカーリーグ 中宮JSCに入団していた。 枚方市桜丘中学校、初芝橋本高校学校 を卒業してフットサルを始める。 Fリーグ ペスカドーラ町田、ヴォスクオーレ仙台、移籍 バサジィ大分の選手 兼コーチ。現バサジィ大分監督。 元プロサッカー選手 狩野倫久は、兄。 2018年4月 日本サッカー協会(JFA)公認指導者ライセンス 公認サッカーC級+フットサルC級コーチライセンス 取得。
冨金原 徹(ふきんばら とおる、1982年10月18日 - … 冨金原 徹(ふきんばら とおる、1982年10月18日 - )は、神奈川県出身の元フットサル選手。ポジションはゴレイロ。フットサル日本代表。日本体育大学卒業。機動力に定評がある。 神奈川県出身。神奈川県立金井高等学校、日本体育大学卒業。2007年にFリーグが発足すると湘南ベルマーレに加入。2007年シーズン開幕戦のバサジィ大分戦でデビュー。2010-11シーズンは22試合出場2得点。 2009年にミゲル・ロドリゴが日本代表の監督に就任すると、東アジアフットサル選手権2009に出場。この大会で日本代表は若手を積極的に招集しており、冨金原の他には藤原潤と篠田龍馬が選ばれた。2010年には川原永光、藤原とともに2010 AFCフットサル選手権に出場。
谷本俊介(たにもと しゅんすけ、1982年9月1日 - )は… 谷本俊介(たにもと しゅんすけ、1982年9月1日 - )は、日本のフットサル指導者。2013年から2017年まで府中アスレティックFCの監督を務める。 所属:府中アスレティックFC 学歴:丸亀市立東中学校→善通寺第一高等学校→高知大学→早稲田大学大学院 座右の銘:Where there's a will, there's a way
北原 亘(きたはら わたる、1982年8月2日 - )は、東… 北原 亘(きたはら わたる、1982年8月2日 - )は、東京都出身のフットサル選手である。フットサル日本代表。 暁星高校、早稲田大学卒。暁星高校卒業後の2001年、暁星高校サッカー部メンバーと共に結成した「森のくまさん」というプライベートチームでフットサルを本格的に始め、初代キャプテンも務めた。また、それと並行して俳優袴田よしひこ率いるアマチュアチーム BAHIA EC にて アサヒ飲料杯優勝 天竜リーグでも活躍。早稲田大学のサッカーサークルである稲穂キッカーズに在籍していた。関東大学フットサルリーグでは2005年に優勝を果たす。フットサル日本代表の稲葉洸太郎や須賀雄大は、暁星高校サッカー部や「森のくまさん」のチームメイトであり、暁星高校の後輩の星翔太(バルドラール浦安)も「森のくまさん」、稲穂キッカーズなどのチームメイトであった。
須賀 雄大(すが たけひろ, 1982年6月30日 - )は… 須賀 雄大(すが たけひろ, 1982年6月30日 - )は、東京都新宿区出身のフットサル選手・フットサル指導者。2021年までフウガドールすみだ監督を務めた。暁星小学校、暁星中学校・高等学校、武蔵大学卒業。 東京都新宿区出身。小学生時代にはわんぱく相撲新宿区大会で優勝。暁星小学校、暁星中学校・高等学校を経て、暁星高校サッカー部引退を機に森のくまさんを立ち上げてフットサルを本格的に始める。暁星高校では1年先輩に前田遼一がおり、北原亘や稲葉洸太郎と同期で、北原や稲葉とはくまさんでも一緒にプレーした。暁星高校サッカー部ではBチームであり、途中からは選手ではなくマネージャーを務めていた。マネージャー経験は、雰囲気作りも含めて、その後のフットサルチームで生かされていく。
那須 信夫(なす のぶお、1982年6月23日 - )は、愛… 那須 信夫(なす のぶお、1982年6月23日 - )は、愛知県豊田市出身のフットサル選手、元サッカー選手。東海フットサルリーグ・DELIZIA磐田所属。ポジションはディフェンダー。
山蔦 一弘(やまつた かずひろ、1982年6月13日 - )… 山蔦 一弘(やまつた かずひろ、1982年6月13日 - )は、大阪府出身のフットサル指導者、元フットサル選手。ポジションはアラ。フットサル日本代表。 東山高校でのサッカー部引退後にフットサルを始める。大阪産業大学入学後もサッカー部には入部せず、関西フットサルリーグ所属の旭屋で本格的にフットサルを学ぶ。2002年10月インドネシアで開催されたAFCフットサル選手権でフットサル日本代表のメンバーに選出された。 翌2003年1月の日本代表ブラジル遠征時に左足靱帯を断裂。ケガから復帰後も関西リーグ所属のCASCAVEL KANSAIでプレーを続け、2007年地元大阪での開催となるAFCフットサル選手権直前に日本代表メンバーに約5年ぶりに選出されるも、本登録メンバーからは外れる。
太見 寿人(ふとみ ひさと、1982年4月26日 - )は、… 太見 寿人(ふとみ ひさと、1982年4月26日 - )は、東京都出身のフットサル選手である。ポジションはピヴォ。日本代表。 8歳からサッカーを始め、1997年度の全国高校サッカー選手権大会に初出場した東京都立駒場高等学校へ翌年入学。駒場高校では東京都国体選抜メンバーに2年と3年時に連続で選出され、現プロサッカー選手の前田遼一や田中達也と共にプレーした。なお、高校の同期には元アビスパ福岡の福嶋洋がいた。 サッカーの強豪大学から推薦のオファーがあったが、指導者養成(スポーツ指導者・体育教員など)では定評のある日本体育大学体育学部に進学。大学ではサッカー部には所属せず「友人との輪」を最優先に置き、2001年に同年代の駒場高校OBを中心に結成したフットサルチーム「BOTSWANA FC MEGURO」に入団。
内山 慶太郎(うちやま けいたろう、1981年12月23日 … 内山 慶太郎(うちやま けいたろう、1981年12月23日 - )は、千葉県成田市出身の元フットサル選手、フットサル指導者。 Jリーグの影響で小学生からサッカーを始め、高校に入学すると周囲の勧めもありフットサルを始める。2002年からフウガドールすみだの前身にあたるボツワナに所属し、2005年からは日本代表候補に選出される。2007年には新たに設立された日本フットサルリーグ(Fリーグ)のステラミーゴいわて花巻へ移籍。2008年からはタラベラ(スペイン)やマルバFCでプレーしたのち、 2010年に現役を引退。その後はフウガドールすみだで強化本部の副本部長とコーチを務め、2016年からはフットサル日本代表、2018年からは女子を含む全てのカテゴリーでコーチングスタッフを務めている。
瀬戸 彬仁(せと あきひと、1981年10月29日 - )は… 瀬戸 彬仁(せと あきひと、1981年10月29日 - )は、広島県広島市出身の元プロフットサル選手。2007年にフットサル日本代表に選出されている。現役引退後の2015年からはシュライカー大阪アンバサダーを務めている。 大阪府茨木市の天王学園幼稚園でサッカーを始める。親の転勤で広島に移り、森島 寛晃、木村和司などを輩出した大河FCに入団。広島皆実高校では1998年に全国高校サッカー選手権大会出場、1999年にインターハイにて全国優勝。2学年上に的場千尋、1学年上に朝日大輔、同学年に秦賢二、1学年下に柴村直弥、堀健人らがいた。 大阪経済大学体育会サッカー部を経て、2004年よりMAG'S FUTSAL CLUB(2007年よりシュライカー大阪に改称)でプレー。
庄司 紘之(しょうじ ひろゆき 、1981年10月19日 -… 庄司 紘之(しょうじ ひろゆき 、1981年10月19日 - )は、日本の元フットサル選手。ポジションはアラ。 2009年、ステラミーゴいわて花巻に入団するが、レギュラーに定着できず退団。その後スペインでフットサルを学び直す。帰国後、バルドラール浦安セグンドに一時所属したものの、その後は無所属となり2010年に引退。 引退後、古巣インペリオ浦和にてコーチを務めていたが、2011年、現役復帰し古巣のステラミーゴいわて花巻に入団。 2015年にヴォスクオーレ仙台で再度現役を引退。引退後は、フットサル指導者としてデールさいたまU-18監督に就任。当時無名だったチームを埼玉県優勝へ導いた。2020年より埼玉県1部所属デールさいたまで選手兼監督の就任が発表された。
村上 哲哉(むらかみ てつや、1981年9月24日 - )は… 村上 哲哉(むらかみ てつや、1981年9月24日 - )は、山口県宇部市出身のフットサル選手・フットサル指導者。中国フットサルリーグの広島F・DO監督。ポジションはフィクソ。2009年からフットサル日本代表。川崎医療福祉大学卒業。左右両足から強烈なシュートを放つことができる。 山口県宇部市出身で、宇部市立藤山小学校、宇部市立藤山中学校を卒業。福岡県の東海大学付属第五高等学校では1学年下に多田大介などがいたが、3年時の高校サッカー選手権では福岡県大会で敗れている。高校卒業後に進学した川崎医療福祉大学でもサッカー部に所属していたが、名門フットサルチームの練習に参加してフットサルに目覚めた。大学卒業後の進路としては消防士を目指していたが、公務員試験の2ヶ月前に出場したフットサル大会で足首を捻挫したことで公務員試験の実技試験を受験できず不合格。
一木 秀之(いっき ひでゆき、1981年8月31日 - )は… 一木 秀之(いっき ひでゆき、1981年8月31日 - )は、東京都出身のフットサル選手。駒澤大学卒。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
鳥丸 太作(とりまる だいさく 、1981年8月22日 - … 鳥丸 太作(とりまる だいさく 、1981年8月22日 - )は、日本のフットサル選手。ポジションは主にフィクソ。 FC東京U-18、明治大学サッカー部を経て、フットサルに臨む。明治大学では松ヶ枝泰介と同期だった。 2008年、Fリーグ・ステラミーゴいわて花巻に加入。プレーの傍ら、フットサルスクールの開校を自らスポーツ施設に働きかけ、クリニックを開催するなど、フットサル普及に努めた。 2010年、バルドラール浦安へ移籍。
久光 重貴(ひさみつ しげたか、1981年7月8日 - 20… 久光 重貴(ひさみつ しげたか、1981年7月8日 - 2020年12月19日)は、神奈川県出身のフットサル選手。フットサル日本代表。 1981年、神奈川県に生まれる。1987年、小学校1年から横浜サッカークラブつばさに入団しサッカーを始める。1993年、セレクションに参加した約500人中9人の狭き門を突破しヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)ジュニアユースに入団し中学時代の3年間プレー。中学卒業後、高校サッカーの名門・帝京高校に進学し、ナオト・インティライミとの出会いをきっかけにカスカヴェウ(現ペスカドーラ町田)の一員となる。2008年、湘南ベルマーレフットサルクラブに移籍。 2009年にはフットサル日本代表にも選出されたが、2011年に骨髄炎を発病。
松井 大輔(まつい だいすけ、1981年5月11日 - )は… 松井 大輔(まつい だいすけ、1981年5月11日 - )は、京都府京都市山科区出身の元プロサッカー選手、元フットサル選手、元サッカー日本代表。サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー・フォワード、フットサルのポジションはアラ。 元妻はタレントの加藤ローサ。 姉2人の末っ子長男である。寺西幼稚園卒園。京都市立大宅小学校進学。同級生の兄がサッカーをやっていたこともあり、小学3年生より大宅サッカースポーツ少年団に18期生(大宅小学校の生徒のみのチーム)で入団。同チーム内には同級生の山崎雅人も在籍し、他にも後にJリーグや実業団で活躍した同級生も多く在籍していた。特に松井と山崎は多くの大会で優秀選手賞を受賞した。
岡谷 良(おかたに りょう、1981年1月13日 - )は、… 岡谷 良(おかたに りょう、1981年1月13日 - )は、滋賀県蒲生郡竜王町出身のサッカー選手、フットサル選手。 ポジションは、MF。 滋賀県立草津東高等学校サッカー部時代には、高校総体、近畿大会、天皇杯、全日本ユース、高校選手権などに出場。立命館大学に進学後も、関西大学新人戦に出場して優勝を果たす。 2003年、アルゼンチン国内1部リーグ所属のクラブ・オリンポ(英語版)とプロ選手契約を交わし、日本人としては、高原直泰以来2人目のアルゼンチン国内1部リーグプレーヤーとなった。2005年には同国2部リーグのティロ・フェデラル(英語版)にも在籍したが、トップ出場は果たせなかった。アルゼンチン、ウルグアイに約2年間滞在し、帰国。
鈴木磨人(すずき きよと、1980年6月30日 - )は、大… 鈴木磨人(すずき きよと、1980年6月30日 - )は、大阪府出身のフットサル選手。ポジションはFP。 大阪府立泉北高等学校・桃山学院大学卒業
小野 大輔(おの だいすけ、1980年1月25日 - )は、… 小野 大輔(おの だいすけ、1980年1月25日 - )は、東京都出身のフットサル選手。ポジションはピヴォ。日本代表。 ファイルフォックスで第5回全日本フットサル選手権大会優勝を経験し、その後フトゥーロ旗揚げに参加。 フットサル日本代表にも選出され、2004年11月の2004 FIFAフットサル世界選手権にも出場している。 2005年にはイタリア1部のCLTテルニに移籍したが出場機会に恵まれなかった。2006年にはスペイン2部のタラベラFSに移籍したが、2006-07シーズン中に監督が2度代わるなどのチーム事情によって満足な活躍ができなかった。2007-08シーズンはスペイン2部のCFSバルガスに在籍し、2008年に日本に帰国してバルドラール浦安と契約した。
小宮山 友祐(こみやま ゆうすけ、1979年12月22日 -… 小宮山 友祐(こみやま ゆうすけ、1979年12月22日 - )は、神奈川県出身のフットサル選手・フットサル指導者。元フットサル日本代表主将。 闘志を前面にむき出すディフェンスが特徴。 小学1年生でサッカーを始め、高校3年時にフットサルと出会う。駒澤大学卒業後はプレーの傍ら、2007年3月まで東京文理学院高等部で日本史の教師を4年間務めた。同年のFリーグ開幕後はフットサルに専念。2004年、2008年、2012年のFIFAフットサルワールドカップ日本代表に選出された。日本代表の世代交代を図るため、日本代表監督のミゲル・ロドリゴから、2012年のW杯を最後に木暮賢一郎ともども日本代表には選出しないことを告げられ、代表を引退した。
完山 徹一(かんやま てついち、1979年12月8日 - )… 完山 徹一(かんやま てついち、1979年12月8日 - )は、鳥取県倉吉市出身のフットサル選手。府中アスレティック所属。ポジションはフィクソ/アラ。 鳥取県倉吉市出身であり、由良育英高等学校を経てサッカークラブのSC鳥取に在籍した。 その後フットサルに転向し、2002年から2004年には極端なまでに足技を重視する方針を持つ奥山蹴球雑技団に在籍。 2004年には関東フットサルリーグの府中アスレティックに移籍。2007年の全日本フットサル選手権大会では決勝に進出し、後に名古屋オーシャンズとなる大洋薬品/BANFFに敗れた。 2007年には新たに創設されたFリーグに参加する名古屋オーシャンズに移籍。
上澤 貴憲(かみさわ たかのり、1979年12月4日 - )… 上澤 貴憲(かみさわ たかのり、1979年12月4日 - )は、埼玉県川越市出身のフットサル選手。ポジションはフィクソ。フットサル日本代表。 埼玉県川越市出身。小学4年時に高階イレブンズでサッカーを始めた。中学年代では川越市立高階西中学校サッカー部でプレーし、埼玉県中学選抜に選ばれた。中学時代に背番号7を付けたことがきっかけで、後の高西クラッシャーズ、大洋薬品BANFF、名古屋オーシャンズ、府中アスレティックでも7番を付けている。 サッカー推薦で狭山ヶ丘高等学校に進学してサッカー部に所属したが、2年時からは町クラブの三菱養和サッカークラブユースでプレーした。やはりサッカー推薦で城西大学に進学し、大学でもサッカー部に所属した。
木暮 賢一郎(こぐれ けんいちろう、1979年11月11日 … 木暮 賢一郎(こぐれ けんいちろう、1979年11月11日 - )は、神奈川県出身の元フットサル選手、名古屋オーシャンズ監督。ニックネームはグレ。ポジションはピヴォ・アラ。 幼稚園の頃にサッカーを始め、小学3年時より読売サッカークラブジュニアユースに所属。小学6年時の1992年1月には第1回全日本少年フットサル大会に出場し、決勝では小野伸二が所属する沼津FCを下して優勝した。湘南工科大学附属高等学校2年時にはサッカーの神奈川県代表に選ばれた。高校卒業前には川崎フロンターレの入団テストを受験するが不合格となった。中央大学商学部進学後には神奈川県リーグのウィニングドッグスに在籍し、大学1年時・2年時には関東選抜の一員として全国選抜フットサル大会に出場した。
冨沢 和未(とみざわ かずみ、1979年10月15日 - )… 冨沢 和未(とみざわ かずみ、1979年10月15日 - )は、日本のフットサル選手。群馬県中之条町出身。中之条中学校、中之条高等学校卒業。日本サッカー協会技術部(フットサル委員会)所属。フットサル日本選抜選手として国内の最高峰位置に属した後に普及の道に進み、指導者となる(当時25歳)。選手時代には、日本国内の主要の全国大会のタイトルを一通り所属クラブを移りながら獲得。指導者転向後もエリートプログラムを受けるほどの活躍を見せ日本代表スタッフにも帯同した。 指導者をしながら2014年にフットゴルフにも存在感を放ち出す。2015年には日本初となる日本代表の一員になり、その年の国内チャンピオンとなる。
曽根田 盛将(そねだ もりまさ、1979年10月7日 - )… 曽根田 盛将(そねだ もりまさ、1979年10月7日 - )は、静岡県出身のフットサル選手、フットサル指導者。DUELO(デュエロ)とアパレル契約を結んでいる。 幼稚園の頃にサッカーを始める。足は速くなかったが「足元の技術があれば」とテクニックを磨き続けた。ところが沼津学園高等学校時代は「走れない奴は使えない」と、なかなか出場機会に恵まれなかった。その後、地元富士市の印刷会社で働きながらMATO GROSSOでフットサルを始める。2005年には第5回FUTSAL地域チャンピオンズリーグに出場した。 Fリーグ開幕の2007年からは湘南ベルマーレに在籍。以降6シーズンの長きにわたりチームを牽引した。
山本 浩正(やまもと ひろまさ、1979年6月5日 - )は… 山本 浩正(やまもと ひろまさ、1979年6月5日 - )は、愛知県岡崎市出身の元サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(フットサルではゴレイロ)。 清水東高等学校時代には高原直泰と同期だった。1998年にジュビロ磐田に加入。当初は大神友明とアルノ・ヴァン・ズワムの後塵を拝していたが、大神が退団した2002年は一時ヴァンズワムからレギュラーを奪い、磐田完全優勝時は正GKとして試合に出場していたが、2003年はヴァンズワムにポジションを奪回された。ヴァンズワムが退団した2004年は前年から加入した佐藤洋平に正GKを奪われてしまい、岩丸史也と入れ替わる形でヴィッセル神戸へレンタル移籍するが出場機会に恵まれずに復帰。
久米田 大輔(くめだ だいすけ、1979年1月7日 - )は… 久米田 大輔(くめだ だいすけ、1979年1月7日 - )は、福岡県出身のフットサル選手である。ポジションはゴレイロ。
鳥井 貴憲(とりい たかのり、1978年11月22日 - )… 鳥井 貴憲(とりい たかのり、1978年11月22日 - )は、京都府京都市出身の元サッカー選手、元フットサル選手。
鈴村 拓也(すずむら たくや、1978年9月13日 - )は… 鈴村 拓也(すずむら たくや、1978年9月13日 - )は、愛知県名古屋市出身のサッカー選手、フットサル選手、フットサル指導者。日本フットサルリーグ(Fリーグ)のデウソン神戸監督。ポジションはフィクソ。フットサル日本代表。 愛知県名古屋市出身。1997年に三重県立四日市中央工業高校を卒業してJリーグのヴィッセル神戸に入団。プロサッカー選手として2年間プレーし、1998年シーズン終了後にヴィッセル神戸を退団。 ヴィッセル神戸退団後には合同トライアウトなどで移籍先を探したが、契約には至らなかった。コーチとしてフットサル場に就職し、2000年に神戸ハーバーランドクラブでフットサルに転向した。フットサル開始から1年も経たず、2000年にフットサル日本代表に初招集された。
内田 由布子(うちだ ゆうこ、1978年9月8日 - )は、… 内田 由布子(うちだ ゆうこ、1978年9月8日 - )は、宮城県石巻市出身の女子フットサル選手、元女子サッカー選手。石巻市立女子商業高等学校卒。現役時代のポジションはゴールキーパー。憧れの選手はホルヘ・カンポス。
安藤 信仁(あんどう のぶひと、1978年6月9日 - )は… 安藤 信仁(あんどう のぶひと、1978年6月9日 - )は、静岡県出身のフットサル指導者。 鹿屋体育大学体育会サッカー部在部中に全日本フットサル選手権大会で活躍。1999年にはフットサル日本代表としてアジア選手権に出場した。 大学卒業後はカスカヴェウ東京やバルドラール浦安でプレー。これに併行し長らくFC東京のスクールコーチを続けていた。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
伊藤 雅範(いとう まさのり、1978年4月20日 - )は… 伊藤 雅範(いとう まさのり、1978年4月20日 - )は東京都調布市出身のフットサル指導者。元サッカーおよびフットサルの選手。高等学校教員免許を保持。 読売日本サッカークラブジュニアユースから読売ユースへと進み、多数のタイトル獲得に貢献。高校卒業後に駒澤大学へと進学。4年時には主将を務め、FC東京の練習に参加。2001年、同クラブに入団。サテライトの試合やチームの紅白戦では守備的なポジション(ボランチやセンターバック)で相手との1対1のディフェンスに強さを見せたが、トップチームの試合には出場することなく1年限りで自ら退団を希望し、契約非更新となった。 その後2003年よりフットサルに転向。恵まれた体格を活かし、ピヴォやフィクソのポジションをこなした。
古庄 亨(ふるしょう とおる、1978年3月11日 - )は… 古庄 亨(ふるしょう とおる、1978年3月11日 - )は、京都府出身のフットサル選手・フットサル指導者・サッカー指導者。ポジションはゴレイロ。 京都府出身。小学生の時にサッカーを始め、京都外大西高等学校、中京大学、トヨタ蹴球団でサッカー選手としてプレーした。その後ブラジルに渡り、フットサルクラブのCRヴァスコ・ダ・ガマフットサルでプレーした。 日本帰国後の2004年にはグッドウィル・カスカヴェウ(後のペスカドーラ町田)に加入。2006年のFリーグ発足時にもペスカドーラ町田でプレーした。2009年にはタイのチョンブリー・ブルーウェーブFCに所属した。 現役引退後は北澤豪が主宰するサッカースクールのフットボールコミュニケーションアカデミーでコーチを務めた。
金山 友紀(かなやま ゆうき、1977年9月2日 - )は、… 金山 友紀(かなやま ゆうき、1977年9月2日 - )は、島根県浜田市出身の元フットサル選手である。ポジションはアラ。小柄な体型を活かし、スピードで勝負するプレースタイルである。 島根県浜田市久代町出身。小学生と中学生の頃は野球をプレーしており、敏捷性を活かして主に1番や2番を打っていた。中学3年時にはJリーグが開幕し、1992年に入学した島根県立浜田高校で初めてサッカー部に入部。浜田高校在学時には島根県国体選抜に選ばれている。1995年に浜田高校を卒業し、金沢総合科学専門学校に入学。石川県国体選抜に選ばれ、1997年にはなみはや国体に出場している。フットサルに出会ったのは専門学校在学時である。
佐藤 光治(さとう こうじ、1977年8月24日 - )は、… 佐藤 光治(さとう こうじ、1977年8月24日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、フットサル選手である。ポジションはディフェンダー。現在は熊本国府高等学校サッカー部の監督を務める。
千葉 直樹(ちば なおき、1977年7月24日 - )は、宮… 千葉 直樹(ちば なおき、1977年7月24日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロサッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者、ファッションモデル、ローカルタレント。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 1996年、東北学院高校から当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属のブランメル仙台に入団。クラブ名称が「ベガルタ仙台」に変更された後も移籍せず、引退まで仙台に在籍し続けた。チームのJ1初昇格(2001年J2最終節)、2年後のJ2降格(2003年J1・2ndステージ最終節)、7年ぶりのJ1復帰(2009年J2第48節)ならびにJ2初優勝(同年J2最終節)の全てを経験した唯一の選手である。
浅利 真(あさり しん、1977年5月4日 - )は、岩手県… 浅利 真(あさり しん、1977年5月4日 - )は、岩手県出身のフットサル選手、フットサル指導者。 岩手県立遠野高等学校から山形大学に入学。 1997年、浅利を中心とした山形大学サッカー部のメンバーを中心にフットサルチームFC小白川(現Paragosto/T.F.N.)を結成。1999年にチームの主将として第5回全日本フットサル選手権大会3位の原動力となった。 2000年から2001年にかけてフットサル日本代表に選出された。 2002年にはこれまでのフットサルでの活動などを評価され山形大学から学長表彰を受ける。 2007年にはFリーグステラミーゴいわて花巻に入団。 2010年にはVIVALE一関監督(選手兼任)に就任。
前田 喜史(まえだ よしふみ、1977年4月25日 - )は… 前田 喜史(まえだ よしふみ、1977年4月25日 - )は、東京都府中市出身の元フットサル選手、現フットサル指導者。
藤井 健太(ふじい けんた、1976年8月3日 - )は、奈… 藤井 健太(ふじい けんた、1976年8月3日 - )は、奈良県出身のフットサル選手。ポジションはアラ、フィクソ。 幼稚園でサッカーを始める。奈良育英高校では同期の楢﨑正剛らと共に第73回全国高等学校サッカー選手権大会でベスト4。 ルネス学園甲賀に進学し、20歳でフットサルと出会う。第1回全日本選手権で優勝し、フットサル日本代表にも選ばれる。 卒業後は、ASPA FC、MAG'S FUTSAL CLUB(現シュライカー大阪)、2005年からはPREDATOR URAYASU FUTSAL CLUB(現バルドラール浦安フットボールサラ)でタイトルを次々と獲得。代表にも定着しキャプテンを務めた。日本を代表するフットサルプレイヤーとして活躍。
牧野 真二(まきの しんじ、1976年5月29日 - )は、… 牧野 真二(まきの しんじ、1976年5月29日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手、現フットサル・ビーチサッカー選手、指導者。ビーチサッカー日本代表選手。ポジションはサッカーではミッドフィールダー、フットサル・ビーチサッカーではフィクソ。
岩本 昌樹(いわもと まさき、1976年1月5日 - )は、… 岩本 昌樹(いわもと まさき、1976年1月5日 - )は、千葉県出身のフットサル選手。Fリーグのバルドラール浦安一筋の選手であり、2018年に現役引退した。 明海大学卒業後、明海大学OBを中心にフットサルチームを結成し、このチームがバルドラール浦安の前身である。2018年に現役引退した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
山木 里恵(やまき りえ、1975年10月2日 - )は、千… 山木 里恵(やまき りえ、1975年10月2日 - )は、千葉県出身の元女子サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。 小学校3年生の時に部活でサッカーを始める。市川市立第八中学校に在籍していた頃、日産FCレディースに加入。1989年の第1回日本女子サッカーリーグ (JLSL) でヤングプレーヤー賞を受賞した4選手のうちの1人となった。 昭和学院高等学校に在籍中の1993年には日本代表に選出され、マレーシアのクチンで開催された第9回アジア女子選手権のチャイニーズタイペイ戦で初出場を果たした。 1994年、日産FCレディースの廃部により日興證券女子サッカー部ドリームレディースへ移籍。
阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、… 阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、神奈川県高座郡寒川町の元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはゴレイロ。 2010年よりFリーグ湘南ベルマーレGKコーチ。 寒川町立旭小学校2年生からサッカーを始める。寒川町立旭が丘中学校、帝京高校から国士舘大学を経てアルビレックス新潟に練習生として加入。いわばエリートコースである。(本契約には至らず)。佐川急便東京SCに移籍し引退。 その後、esporte藤沢でフットサル転向し、湘南ベルマーレの前身であるP.S.T.C.LONDRINAに入団。別名「ロンドリーナの師範ゴレイロ」と呼ばれ、2003年には全日本フットサル選手権大会優勝に導いた。
岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県… 岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。 1994年に浦和レッズに入団。同期には山田暢久などがいる。1995年に途中出場を果たす。1996年は怪我がちだったバインに代わり、背番号10をつけてスタメン出場を果たし、10節のマリノス戦ではJリーグ初ゴールを決めた。 のちに大宮アルディージャに在籍。引退後はPREDATOR FUTSAL CLUB(現:バルドラール浦安フットボールサラ)でフットサルに転向しフットサル日本代表にも選ばれた。その後、浦和レッズハートフルクラブや下部組織でコーチを務め、2013年からは柏レイソルのアカデミーで指導者を務めた。
相根 澄(さがね きよし、1973年10月4日 - )は、京… 相根 澄(さがね きよし、1973年10月4日 - )は、京都府綾部市出身の元フットサル選手、元サッカー選手、フットサル指導者。 綾部サッカースポーツ少年団 (現:綾部フリーゲンフースバルクラブ)でサッカーを始めて、京都府立綾部高等学校に入学。卒業後は京都紫光クラブ(現:京都サンガF.C.)、ヴァンフォーレ甲府などでプレーし、後にフットサルに転向した。 フットサル転向後1999年にフットサル日本代表入り。2002年から2004年にかけてAFCフットサル選手権で3年連続準優勝した際のメンバーでもある。その後イタリア等で長くプレーした後、2007年に発足した日本フットサルリーグ(Fリーグ)の立ち上げに関与し、自らもASVペスカドーラ町田に加入して選手としてプレーするが、同年限りで現役を引退した。