湯村 光(ゆむら ひかる、1948年 - )は、日本の彫刻家… 湯村 光(ゆむら ひかる、1948年 - )は、日本の彫刻家。 1948年(昭和23年)、鳥取県東伯郡東郷町(現・湯梨浜町)に生まれる。1966年(昭和41年)、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。東京芸術大学美術学部彫刻科に進み、澄川喜一に学んだ。1971年(昭和46年)に東京芸大を卒業し、1972年(昭和47年)までフランスのパリ国立高等美術学校に留学した。その後、個展・美術展に自作品を出展し、1983年(昭和58年)に第10回現代日本彫刻展神戸須磨離宮公園賞を受賞した。 主として黒色の御影石を用いた彫刻作品を製作している。自然石との対話を重視し、鑑賞者に静かな印象を抱かせる作風である。研磨した滑らかな面と、凹凸を残した破断面とが一つの作品に共存しており、それらの対比も特徴的である。
笹戸 千津子(ささど ちづこ、1948年 - )は、日本の彫… 笹戸 千津子(ささど ちづこ、1948年 - )は、日本の彫刻家。 山口県出身。東京造形大学美術学科彫刻専攻卒業。同大学彫刻研究室修了。東京造形大学は彫刻家の佐藤忠良らが創設に尽力した大学であり、彼女はその一期生だった。その関係もあり、佐藤忠良のモデルを三十年あまり務めた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
杉本準一郎(すぎもと じゅんいちろう、1948年 - )は、… 杉本準一郎(すぎもと じゅんいちろう、1948年 - )は、滋賀県出身の彫刻家。新制作協会彫刻部に所属。近年は彫刻を通じた国際交流に主軸を置いた活動を行っている。
加藤 豊(かとう ゆたか、1948年(昭和23年) - )は… 加藤 豊(かとう ゆたか、1948年(昭和23年) - )は、日本の彫刻家。山形県鶴岡市出身。 子供のあどけなさ、女性の優雅さを形にした作品を多く手掛ける。 1978年(昭和53年)二紀会同人となり、1983年(昭和58年)二紀会委員となるが、2001年(平成13年)に二紀会を脱退する。現在、無所属。日本美術家連盟会員である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
津田 裕子(つだ ひろこ、1948年 - )は、日本の彫刻家… 津田 裕子(つだ ひろこ、1948年 - )は、日本の彫刻家。二科会評議員、女子美術大学名誉教授。 東京都杉並区出身。女子美術大学付属高等学校・中学校、女子美術短期大学(現・女子美術大学短期大学部)造形科彫塑教室卒業。女子美で桑原巨守に師事。 第62回二科展特選(1977年)、第63回安田火災美術財団激励賞(現・損保ジャパン美術財団選抜奨励賞)、第69回二科展会友賞を受賞し、二科会会員に推挙(1987年)。第3回高村光太郎賞箱根彫刻の森美術館賞、第10回安田火災美術財団奨励賞展記念特別賞受賞(1991年)。 1991年から1992年まで女子美術大学海外研究員としてフランチェスコ・メッシーナ美術館(ミラノ)へ留学。
岩田 実(いわた みのる、1948年 - )は、日本の彫刻家… 岩田 実(いわた みのる、1948年 - )は、日本の彫刻家。 1948年に生まれる。岐阜県多治見市出身。岐阜県立多治見北高等学校を経て、東京藝術大学美術学部彫刻科に入学、卒業。同大学大学院美術研究科彫刻専攻に進み、修士課程を修了後、ヨーロッパへ美術研修旅行をする。その後、新しい芸術運動を志すグループ新具象彫刻展に参加、志を同じくする仲間と共に東京都美術館で、同グループが解散する第10回展まで、秋季特別展も含め、毎年立体の作品発表を続ける。一方で、創作メダル彫刻展にて日本芸術メダル協会賞(大賞)を2回受賞するなど、レリーフ(浮彫)作品も得意で、数多く手がけている。近年は、屋外彫刻、モニュメントを制作している。
戸谷 成雄(とや しげお、1947年12月24日 - 202… 戸谷 成雄(とや しげお、1947年12月24日 - 2026年4月15日)は、日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授。 長野県上水内郡小川村生まれ。埼玉県在住。1975年、愛知県立芸術大学大学院彫刻専攻修了。1974年に初個展を開催し、1984年から「森」シリーズ、1994年から「《境界》から」シリーズ、2000年頃から「ミニマルバロック」シリーズなどを発表する。2000年、光州ビエンナーレでアジア賞を受賞。2009年、紫綬褒章受章。 主に、チェーンソーで木材を削ることで成形する彫刻作品を手がけてきた。戸谷の作品は、ポストミニマリズム、もの派以降解体された「彫刻」の再構築と新たな可能性を探るものであり、彫刻の定義や構造を骨組みとして提示しつつ、作家によって提示された概念である「表面」「境界」「関係」「影」「存在」といった問題に切り込んでいる。
丑久保 健一(うしくぼ けんいち、1947年2月25日 - … 丑久保 健一(うしくぼ けんいち、1947年2月25日 - 2002年9月23日)は、日本の彫刻家。東京都江東区生まれ。1971年東京造形美術学校卒業後、栃木県宇都宮市大谷を拠点に制作活動を開始。現代彫刻、野外インスタレーションなどの作品を数多く制作。
國松 明日香(くにまつ あすか、1947年 - 2025年3… 國松 明日香(くにまつ あすか、1947年 - 2025年3月6日)は、日本の彫刻家。星槎道都大学客員教授。名は女性名に多い「明日香」だが、男性である。芸術修士(東京芸術大学)。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。同美術研究科彫刻専門課程修了。札幌市立高等専門学校教授を歴任。 画家國松登の長男として小樽に生まれる。舟越保武、千野茂に師事。鉄を題材にした大型のモニュメントを手がけ、札幌駅前通りや札幌ドームなど、札幌市内の公共施設に多くの作品が展示されており、北海道を代表する美術家である。長男・希根太も彫刻家。 2025年3月6日午前2時25分、肺炎のため札幌市内の病院で死去。
田中 治彦(たなか はるひこ、本名同じ、1946年〈昭和21… 田中 治彦(たなか はるひこ、本名同じ、1946年〈昭和21年〉8月15日 - )は、日本の彫刻家、ジュエリーアーティスト。 東京府東京市日本橋区室町(現:東京都中央区日本橋室町)出身の父と東京府東京市下谷区金杉(現:東京都台東区下谷)出身の母の子として疎開先の東京都世田谷区松原町で生まれた。 戦争による財産喪失の影響が続き成人までの生活費と学費意外に親からの援助は無かった。最終校は東京都世田谷区三軒茶屋にあった日本大学農獣医学部(この学部は1995年12月に日本大学生物資源科学部等に改組されて今はない)。 東京育ちの後、1986年(昭和61年)東京都港区六本木三丁目から山梨県北巨摩郡高根町字念場原(現:山梨県北杜市高根町清里)に移住した。
池ヶ谷 務(いけがや つとむ、1946年 - )は、日本の彫… 池ヶ谷 務(いけがや つとむ、1946年 - )は、日本の彫刻家である。静岡県生まれ。
黒川晃彦(くろかわ あきひこ、1946年 - )は、日本の彫… 黒川晃彦(くろかわ あきひこ、1946年 - )は、日本の彫刻家。1980年頃より写真を始めている。 彫刻の大半は楽器を手にした野外彫刻(ブロンズ)で、人との関係を大切にして、人々の生活の場に置かれている。1989年には初めて”人物とベンチを組み合わせた”「プリーズ・リクエスト」を発表し、具象彫刻の可能性を開いたとして「横浜美術館長賞」を受賞した。その後、トランペット、アルトサックス、フルートの三人の奏者が三重奏を川岸いっぱいに響かせている「リバーサイド・トリオ」などミュージシャンとペンチを組み合わせた野外彫刻(ブロンズ)を次々と発表。「彫刻は人が参加することで完成する」との信条の元に創られた”風景の中に溶け込み、行き交う人とコミュニケーションし、自然そのもののように存在してする”ちゃめっけのあるユニークな人物”や”猫”の彫刻が人々の心に安らぎを与えている。
安田 侃(やすだ かん、1945年1月5日 - )は、北海道… 安田 侃(やすだ かん、1945年1月5日 - )は、北海道美唄市出身で、イタリアを拠点に活動している彫刻家。 大理石やブロンズによる彫刻を中心とした作品が多い。特に野外彫刻作品は緩やかな曲線と量感のある形態をもち、北海道はもとより、東京、酒田市、日立市、イタリア・ミラノ、フィレンツェ、オーストラリア、イギリスなどに設置されている。札幌駅のコンコースにあり札幌の待ち合わせスポットとなっている「妙夢」も安田の作品である。 現在イタリアを主に活動中。出身地である美唄市にもアトリエを持つ。美唄市の野外彫刻公園「アルテピアッツァ美唄」では、閉山になった炭鉱の学校跡地に大理石やブロンズの作品が展示されている。
瀬戸 剛(せと ごう、1945年1月3日 - 2020年7月… 瀬戸 剛(せと ごう、1945年1月3日 - 2020年7月15日)は、日本の彫刻家。本名の読みは「せと つよし」。長野県上伊那郡辰野町出身。父である瀬戸團治も彫刻家で、剛はその4男である。
三澤 憲司(みさわ けんじ、1945年 - )は、日本の彫刻… 三澤 憲司(みさわ けんじ、1945年 - )は、日本の彫刻家。長野県長野市信州新町生まれ。 1968年、多摩美術大学油絵科卒業(斎藤義重 教室) 1969年、第1回国際彫刻展(箱根彫刻の森美術館)コンクール賞 受賞。 1970年、1年間に渡る、世界23ヶ国放浪の旅から帰国。 1983年、第16回現代美術展で東京美術館賞受賞。 第3回ヘンリー・ムーア大賞展で、総重量45トン以上の7つの作品「ランドスケープ・オールオーバーウァーク・ウツクシガハラ」 を山頂に据え付け(美ヶ原高原美術館賞受賞)、この作品より巨石石彫時代に入る。 1984年、文化庁芸術家在外研修員として、ニューヨーク、イサム・ノグチのスタジオにて研修。
春山 文典(はるやま ふみのり、1945年 - )は、日本の… 春山 文典(はるやま ふみのり、1945年 - )は、日本の芸術家、彫刻家。横浜美術大学元学長。日本芸術院会員。長野県小布施町出身。蓮田修吾郎に師事。
茂木 弘行(もぎ ひろゆき、1945年 - )は、日本の彫刻… 茂木 弘行(もぎ ひろゆき、1945年 - )は、日本の彫刻家である。東京藝術大学大学院修了。新樹会展招待出品。無所属。 新潟県出身。新潟県立巻高等学校卒業。東京藝術大学美術学部彫刻科(山本豊市教授に師事)を経て、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了。舟越保武教室。1966年より新樹会展に出品(日本橋三越本店。以降毎回)。1969年にサロン・ド・プランタン賞受賞。1971年より同大学助手。1973年に同大学を退官し、彫刻制作専業の道へと進む。1977年にヨーロッパを巡遊し、イタリア・ローマに滞在する。制作に専念できる環境を求めて、1983年にアトリエを東京・世田谷から郷里の新潟に移す。 いずれの公募展にも出品せず、一貫して個展・グループ展のみを発表の場とするとともに、国内外からモニュメントなどの制作依頼を数多く受けるなど、昭和~平成~令和にわたり、具象彫刻界の第一線で活動している。
小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )… 小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )は、日本の彫刻家・インスタレーション・アーティスト。京都市立芸術大学名誉教授。 愛媛県生まれ。小清水は1980年から京都市立芸術大学の専任教員であったが、後に、宝塚大学の教員となり、2011年7月末に前任者の西村武が健康を害して学長職を退いたのを受けて学長代行となり、10月には学長となって、2014年までその任にあった。 また、1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」 グループの中心メンバーとしても知られている。「もの派」とは、作家の干渉を最大限に排除し、主に石、砂、木、綿、ガラスや鉄といったありのままの物質をそのままの形で配置した彫刻やインスタレーションで主に構成された反モダニズム的な作品を発表していた作家達のゆるやかな集まりのことを指す。
神戸 峰男(かんべ みねお、1944年(昭和19年)8月10… 神戸 峰男(かんべ みねお、1944年(昭和19年)8月10日 - )は、日本の彫刻家。名古屋芸術大学名誉教授。 岐阜県土岐市出身(現在は可児市に住む)。1963年(昭和38年)3月、岐阜県立多治見工業高等学校卒業。同年4月、武蔵野美術大学造形学部に入学。清水多嘉示および木下繁に師事。1967年(昭和42年)3月、同大学彫刻科卒業。 1988年(昭和63年)、名古屋芸術大学教授に就任。同大学美術学部長を経て、同大学名誉教授となる。 1970年(昭和45年)、「裸婦像」で日展中日賞を受賞。1974年(昭和49年)「裸婦」が日本彫塑展日彫賞受賞。1978年(昭和53年)「裸婦―伸びゆく」で日展特選。
五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2… 五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2025年2月12日)は、日本の彫刻家、デザイナー。多摩美術大学名誉教授。 北海道滝川市生まれ。中学入学時に上京。グラフィック・プロダクトデザイナーとして活動後、1994年以降は本拠をロサンゼルスへ移し彫刻制作に専念、その後2004年6月に帰国した。代表作はニューヨーク近代美術館をはじめ、世界30カ所以上の公立美術館に永久保存され、個人作品集は現在までに、日本、中国、韓国、ドイツ、スイス、英国、米国で出版されている。 おじは建築家の五十嵐正。元新十津川町応援大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中垣 克久(なかがき かつひさ、1944年 - )は、日本の… 中垣 克久(なかがき かつひさ、1944年 - )は、日本の彫刻家・美術家。飛騨市立中垣克久彫刻庭園美術館名誉館長。 1944年飛騨に生まれ飛騨で育つ。1968年東京藝術大学大学院彫刻家修了。1978年第1回ロダン大賞展を皮切りに、長野野外彫刻特別賞など受賞。1987年芸術と文化に貢献したとして中曽根内閣総理大臣より表彰。イタリア・ミラノ国立ブレラ美術学校で学び、全国各地にモニュメントを制作建立。
中嶋 大道(なかじま だいどう、1944年 - )は、日本の… 中嶋 大道(なかじま だいどう、1944年 - )は、日本の彫刻家、造形作家。長野県安曇野市出身。出身地である安曇野市に工房を構え、おもに昆虫などをモチーフとして、ステンレス彫刻作品を制作している。 中島大道と記される場合もある。 長野県南安曇郡穂高町(現在の安曇野市穂高)に生まれた。最初は木彫に取り組んだが、後に金属溶接を学んで、様々な金属素材による造形を試行錯誤し、最終的にステンレスを素材に溶接によって造形する技法を編み出した。 1980年代はじめから、ステンレスによる巨大彫刻制作に取り組みはじめた。巨大な作品では、厚さ4mm〜5mmほどのステンレス鋼板などを使用し、溶接や研磨によって作品が造形される。
井上 久照(いのうえ ひさてる、1944年 - 2009年2… 井上 久照(いのうえ ひさてる、1944年 - 2009年2月2日)は東京都町田市在住の彫刻家。現在日展会員・日本彫刻会会員。 日彫展・日展などで数々の賞を獲得し、自身の出身地神奈川県秦野市には数多くの彫刻が公園や学校などに建立されている。学校関係では代表的なものに日本体育大学横浜健志台キャンパスにエッサッサ像が1995年(平成7年)に建立された。
吉野 毅(よしの たけし、1943年 - )は、日本の彫刻家… 吉野 毅(よしの たけし、1943年 - )は、日本の彫刻家。日本藝術院会員。日本藝術院賞受賞者。 1943年、千葉県に生まれる。1967年に東京藝術大学美術学部彫刻科を卒業した。1968年、第53回二科展彫刻部に初出品し、特選を受賞した。1974年、二科会彫刻部会員に推挙された。 1982年、第67回二科展彫刻部でローマ賞を受賞し、2003年、第88回二科展彫刻部で文部科学大臣賞を受賞した。その後も二科会を中心に活動し、多摩美術大学客員教授も務めた。 精神性の高い品位ある女性像を中心に創作したと評される。また、《夏の終り》は長年にわたって繰り返し制作した主題の一つであり、1995年設置の《夏の終り》や1991年制作の《夏の終り’91》など、同系列の作品が各地に確認できる。
山田 朝彦(やまだ ともひこ、1943年〈昭和18年〉 - … 山田 朝彦(やまだ ともひこ、1943年〈昭和18年〉 - )は、日本の彫刻家。広島県出身。東京都文京区在住。 2012年より日展評議員を務める。2016年日展理事。また、日本彫刻会運営委員も務めている。日本金属工芸研究所会長取締役。 1943年、日本統治時代の朝鮮に生まれる。2年後の1945年、太平洋戦争敗戦により日本へ引き揚げ、本籍地を広島県福山市に移す。さらに翌々年の1947年、東京都へ移住した。 年度不明ながら私立城北高等学校卒業。 1966年、明治大学商学部を卒業。1970年、太平洋美術学校入学、彫刻を学ぶ。 1973年、太平洋美術展にて文部大臣奨励賞を受賞、以後1996年まで出品を続ける。
松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 … 松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 - )は日本の彫刻家、基礎造形研究家、中国中央美術学院教授、中国清華大学美術学院彫塑学科客座教授。熊本県出身。東京藝術大学美術学部卒。 柳宗理に師事。東京南画廊にて楕円形をモチーフとした作品で第一回個展を開催、作品が文化庁買上げ(東京国立近代美術館収蔵)となる。文化庁芸術家在外研修員、ハーバード大学視覚芸術センター客員芸術家。 日中両国で、造形教育及び医療福祉に活用可能な『情報造形(INFORMART)』の特許を取得し、 普及事業の実施を開始 中国清華大学芸術博物館前庭に『歴史の輪』を設置 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 中国深圳第二回琵鷺杯公共芸術精鋭展にて『里・外 夜間』を発表 日本基礎造形学会名誉会員に任命される 中国河南省鄭州国際彫塑公園に『繁衍』を設置 『繁衍』鄭州国際彫塑公園(河南省) 福井・滋賀・三重市民活動フォーラムʻ98(三重県)実行委員長 ヘルスケアアートフォーラム東海イン四日市実行委員長横浜市磯子区公会堂緞帳を障害を持つ画家の原画で構成監修国際バリアフリーアート2000カレンダー発行(2009年迄10回発行) 国際バリアフリーアートサミット展(福岡・宮崎・沖縄) 主宰 バリアフリーアート中国交流展(ウェファン市図書館)主宰みえ健康福祉フェスタ企画プロデュース 水俣国際エコ・バリアフリーカイトフェスタ企画プロデュース 中国美術系教育機関での基礎造形及び抽象造形についての指導、教諭を本格的に実施 造形言語と基礎造形への応用》を発表 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 日本基礎造形学会名誉会員に任命される
関根 伸夫(せきね のぶお、1942年9月19日 - 201… 関根 伸夫(せきね のぶお、1942年9月19日 - 2019年5月13日)は、日本の現代美術家、彫刻家。多摩美術大学客員教授。埼玉県大宮市(現・さいたま市)生まれ。埼玉県と米カリフォルニア州に在住した。 1968年から1970年にかけて「もの派」をリードする作品を次々に発表。その後、「公共空間を活性化させるアート」に関心を移し、1973年、環境美術研究所を設立。東京都庁舎シティーホール前の《水の神殿》をはじめ、さまざまなモニュメントやプロジェクトを実現している。 1962年から1968年まで、多摩美術大学絵画科に在籍し、斎藤義重と高松次郎に師事する。 高松次郎のイリュージョニスティックな絵と立体作品は当時の東京のアートシーンで中心的な存在だった。
皆川 嘉左エ門(みながわ かざえもん、1942年3月10日 … 皆川 嘉左エ門(みながわ かざえもん、1942年3月10日 - 2018年4月3日)は秋田県平鹿郡十文字町(現:横手市)出身の彫刻家。自他ともに「農民彫刻家」を称する。 1942年、秋田県平鹿郡十文字町仁井田に生まれる。1960年に秋田県立増田高等学校を卒業、農業をはじめる。かたわら能面づくりをおこなうが、1962年より彫刻を手がける。おもに木彫を制作している。「老人百姓」「百歳のばあさま」「休耕田に佇む」などの作品は県内各地の公共施設等に展示されている。1999年には、大雄村(現:横手市)の重福寺より仁王像の制作依頼を受け、その作品は「平成の仁王」と呼ばれて注目を浴びた。 1975年11月、日展に初入選、以後、数回にわたり入選した(全7回)。
黒田 能勝(くろだ よしかつ 1942年 - )は、日本の彫… 黒田 能勝(くろだ よしかつ 1942年 - )は、日本の彫刻家、教育学者。元群馬大学教授。栃木県出身。 群馬県立高崎女子高等学校、前橋市、高崎市、伊勢崎市、大田原市などの記念碑を制作している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
脇田 愛二郎(わきた あいじろう、1942年 - 2006年… 脇田 愛二郎(わきた あいじろう、1942年 - 2006年1月26日)は、日本の彫刻家・造形作家。
瀧口 政満(たきぐち まさみつ、1941年2月18日 - 2… 瀧口 政満(たきぐち まさみつ、1941年2月18日 - 2017年4月5日)は、日本の彫刻家。木彫りの彫刻家。北海道・阿寒湖畔に在住し、「イチンゲの店」を経営していた。 満州・奉天(現・瀋陽)生まれ。1960年、東京教育大学教育学部(現・筑波大学)高等部卒業。1963年一人旅で北海道を訪れた際、阿寒湖畔の土産物店の店先でアイヌの青年が木彫りをしている光景を目にし、その活気と技術・迫力に感激し東京での仕事を辞めて北海道に渡ることを決意。1967年に阿寒湖畔へ移住し、木彫り彫刻家として活動を始める。以降、1987年に釧路新聞社芸術賞、1989年北海道ろうあ連盟福祉大会文化賞、1991年厚生大臣賞、2000年北海道知事賞を受賞。
長澤 英俊(ながさわ ひでとし、1940年10月30日 - … 長澤 英俊(ながさわ ひでとし、1940年10月30日 - 2018年3月24日)は日本の彫刻家。現在の中国黒龍江省生まれ。 父親が日本軍の軍医として勤務していた満洲国牡丹江省東寧(トウネイ―現在の中国吉林省東寧・トンニン)で生まれた。1945年の敗戦時、ソ連軍が満洲に侵攻してきたため、長澤と家族は、突然の引揚げを余儀なくされた。助産婦だった母親の実家のある埼玉県比企郡川島郷三保谷村(現在の川島町)に定住した長澤は、県立川越高校時代に数学と絵画に傾倒し、多摩美術大学に進学してからは1963年の卒業まで、建築とインテリア・デザインを学ぶかたわら、空手と徒歩旅行に打ち込んだ。その間、東京上野で毎年開催されていた読売アンデパンダン展などをとおして「グタイ」、「ネオダダ」など当時最先端の前衛動向に親しく接し、芸術の本質が物質・物体に記録されなくても行為と精神に宿るものであることを理解した。
沖村 正康(おきむら まさやす、1940年7月13日 - 2… 沖村 正康(おきむら まさやす、1940年7月13日 - 2012年9月4日)は、日本の彫刻家、鋳造家。東京芸術大学大学院において高田博厚の講義を受けたことがきっかけで、卒業と同時にアトリエを引き継ぎ、以来師事する。ロストワックス法による鋳造を独学でマスターし、埼玉県三郷市で有限会社三郷工房を創立。 東京都生まれ、東京芸術大学大学院で高田博厚の「彫刻論」を受講。大学院修了と同時に高田が借りていた新宿区西落合のアトリエを引き継ぎ、鎌倉市稲村ガ崎に転居した高田の第一作「ガンジー立像」の制作を手伝い、以来、高田を師と仰ぐ。群馬県前橋市の書店、煥乎堂において高田を中心に「一元会」を結成し、中心メンバーとして「一元会展」を25年以上にわたり参加する。
若山 美子(わかやま よしこ、1940年〈昭和15年〉5月1… 若山 美子(わかやま よしこ、1940年〈昭和15年〉5月19日 - 1973年〈昭和48年〉8月3日)は、日本の登山家、彫刻家。1967年(昭和42年)に今井通子と共に、アルプス山脈三大北壁の一つであるマッターホルンの北壁へ、世界初の女性だけのパーティでの登攀を果たした。卓越した登攀技術の持主として将来を期待されていたものの、新婚旅行を兼ねたマッターホルン登山で、夫と共に滑落死した。登山小説『銀嶺の人』のモデルの1人。「若山」は旧姓で、結婚後の本名は「岡本 美子」。満州里市出身。 満洲国に渡って水産会社を興した父のもとに誕生。父の事業成功により家は裕福であったが、終戦直前の1945年(昭和20年)7月に父が召集され、翌月にはソ連軍の侵攻に遭い、逃避行の生活を強いられた。
田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5… 田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5月13日 - 2019年〈令和元年〉8月23日)は、日本の現代美術家、彫刻家。 1960年代の「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を経て、ミニマリズムやインスタレーションの分野で活動。国内外で評価された。 1940年東京生まれ。太平洋戦争末期に茨城県日立市へ疎開し、茨城県立日立第一高等学校卒業。その後上京し、1959年二紀展に入選しデビューする。1960年より読売アンデパンダン展に出品し、篠原有司男らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」で活動する。 1960年代後半、ミニマル・アート的作風へ転向。1968年の個展「点・線・面」や、1970年の第10回日本国際美術展「人間と物質」展へ参加。
松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 20… 松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 2022年2月23日)は、日本の彫刻家、美術教師、絵画教育の研究者であり、1975年に誰でもたのしく絵が描ける指導方法として「キミ子方式」を発表した。キミ子方式は仮説実験授業研究会に紹介されると広く実践され、その指導法の有効性が確立した。また「美術の授業研究会」と「キミコ・プラン・ドゥ」を設立しアートスクールで多くの人々に絵の描き方を教えた。 1975年に松本は三原色と白だけを使って、モデルごとに描き始めを決めて、色作りをしながら隣へ隣へと描き進めていく絵画指導法を開発した。松本はそれをキミ子方式と名付けて、臨時教員として小中学校で実践していった。
藤森 汎(ふじもり はん、1940年 - )は、日本の彫刻家… 藤森 汎(ふじもり はん、1940年 - )は、日本の彫刻家。三軌会彫刻部会員・部長。 長野県諏訪市出身。諏訪市立高島小学校、諏訪市立上諏訪中学校を経て、1959年長野県諏訪清陵高等学校卒業。1963年東京都立大学人文学部卒業後、金属工芸家小川正波に師事した。1964年パリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール・ド・パリ)彫刻科留学。彫刻家ロベール・クーチュリエに師事した。1967年プリ・ド・エコール賞受賞。ギャラリーホワイエ(パリ)にて、山本平と二人展開催。1968年帰国。1970年、東京都世田谷区三軒茶屋の自宅に藤森彫金アトリエ(のちの株式会社フジモリ)を開設。1970年〜1985年立動美術展に会員として毎年出展。
石丸 雅通(いしまる まさみち、1940年)は、画家、彫刻家… 石丸 雅通(いしまる まさみち、1940年)は、画家、彫刻家。甥に造形作家の河野甲がいる。 銀座和光や鎌倉ポロ・ラルフローレン店のディスプレイも手がけたレザーアートの第一人者。1980年に日本ディスプレイ大賞を受賞。現在は、石丸美術館として鎌倉の自宅アトリエ「Salon de 酔鯨館」を公開している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
阿部 典英(あべ てんえい、1939年12月 - )は日本の… 阿部 典英(あべ てんえい、1939年12月 - )は日本の彫刻家。本名は阿部典英(あべ のりひで)。 北海道札幌市生まれ。疎開により同島牧村で少年期を過ごす。。北海学園大学経済学部卒業。元浅井学園大学(現在の北翔大学)教授。立体造形の作品を多数発表している。 1939年札幌市生まれ。父親は島牧郡東島牧村(現島牧村)、母親は寿都郡寿都町出身。疎開により、幼年期を茅部郡森町・寿都郡黒松内町などで過ごした後、5歳の時東島牧の父方の祖父母の家に移り、中学時代まで育った。本人も「島牧に自分の原風景がある」と語る。北海道札幌東高等学校に入学、美術部に入部したが、部の顧問教師に阿部の抽象絵画が受け付けられず、退部した。
田辺 光彰(たなべ みつあき、1939年2月15日 - 20… 田辺 光彰(たなべ みつあき、1939年2月15日 - 2015年3月30日)は、日本の彫刻家。 1939年(昭和14年)、神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、多摩美術大学彫刻科を卒業後、イサム・ノグチと出会い、影響を受ける。巨大なステンレス鋼製のモニュメント作品を数多く手がけ、農業、野生稲、種の保全などをテーマに活動した。2015年(平成27年)3月30日、肺炎のため川崎市の病院で死去。76歳没。
佐々木 明(ささき あきら、1939年 - )は日本の造形家… 佐々木 明(ささき あきら、1939年 - )は日本の造形家、彫刻家。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)卒。代表作はウルトラマン、ウルトラセブンなど。入間市在住。 1939年長野県生まれ。武蔵野美術学校卒業。特殊美術家の成田亨の後輩にあたる。1964年9月より、円谷特技プロダクションの特撮テレビ映画『ウルトラQ』の美術スタッフとして、制作第1話から参加。主にミニチュアセットを担当した。 続く円谷特技プロ作品『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』(ともにTBS)では主役ヒーローであるウルトラマン、ウルトラセブンのマスク(仮面)を制作し、このマスクはのちの「ウルトラシリーズ」に登場する歴代「ウルトラマン」の基本となる造形となった。
金城 実(きんじょう みのる、1939年 - )は、日本の彫… 金城 実(きんじょう みのる、1939年 - )は、日本の彫刻家。沖縄県読谷村在住。 沖縄県浜比嘉島に生まれ、京都外国語大学卒業後、西宮市立西宮西高等学校や近畿大学附属高等学校で英語を教える傍ら、彫刻制作を始める。1986年に沖縄県読谷村で彫刻制作を村の人達と共に始める。沖縄靖国訴訟原告団の団長を務めている。強制動員真相究明ネットワーク呼びかけ人。 2025年5月には重慶爆撃遺跡を見学した。 また、中国メディアの鳳凰衛視のインタビューに「自分を日本人だとは思っておらず、琉球人である」と答えている。 こころの時代「沖縄は我が念仏」(2017年7月30日、NHK Eテレ)
藤原 信(ふじわら まこと、1938年4月8日 - 2019… 藤原 信(ふじわら まこと、1938年4月8日 - 2019年6月3日)は、ドイツ(ハノーファー)とノルウェー(ラルヴィク)を拠点とする日本の彫刻家。岐阜県出身。 出典: 石の彫刻家として、1967年より数々の国際彫刻シンポジウムに参加。
細谷 泰茲(ほそや やすじ、1938年 - )は、日本の彫刻… 細谷 泰茲(ほそや やすじ、1938年 - )は、日本の彫刻家。子供や母子をモチーフにしたモニュメントを中心に屋内外展示作品を多数発表している。 1938年、静岡市に生まれる。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年、東京芸術大学美術学部専攻科彫刻修了。1967年、静岡大学教育学部助手。1968年、新制作協会会員。1972年、イタリア政府給費留学生 ローマ美術学校 ペリクレ・ファッツィーニ教室に学ぶ(〜1973年)。1984年、静岡大学教育学部教授。1991年、静岡大学教育学部附属浜松小学校校長(〜1994年)。2004年、静岡大学名誉教授。2018年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
新谷 琇紀(しんたに ゆうき、1937年7月26日 - 20… 新谷 琇紀(しんたに ゆうき、1937年7月26日 - 2006年8月31日)は、日本の具象彫刻家。
新宮 晋(しんぐう すすむ、1937年7月13日 - )は大… 新宮 晋(しんぐう すすむ、1937年7月13日 - )は大阪府豊中市出身の彫刻家。画家の小磯良平は、遠縁の親戚に当たる。 1960年代から風や水で動く彫刻を多々創作していることから、「造形作家」「風の彫刻家」と紹介されることも多いが、絵本や舞台作品なども手掛けている。 作風のルーツは、書物や焼き物が数多く飾られていた豊中市の生家にある。このような書物や焼き物を集めていたのが、総合商社に勤務していた実父で、海外へ頻繁に駐在していた。 実父は古裂(骨董としての高い価値が認められる古い布)の収集家として名高く、石井柏亭や上村松園といった日本画の大家が、創作活動の参考にすべく古裂を生家へ借りに来るほどであった。
秋山 礼巳(あきやま ひろみ、1937年4月29日 - 20… 秋山 礼巳(あきやま ひろみ、1937年4月29日 - 2012年2月14日)は、日本の彫刻家。 広島県広島市に生まれる。武蔵野美術大学で学び、その後、パリへ移住。 1966年から1968年まで、パリ国立高等美術学校で学び、ジャン・アルプを通じてアレクサンダー・アルチペンコからコンスタンティン・ブランクーシまでの現代彫刻を学んだ。また、秋山は共同作業を重視する彫刻シンポジウムの運動にも参加。1967年には、オーストリアのサンクト・マルガレーテン・イン・ブルゲンラントで開催された「ヨーロッパ彫刻家シンポジウム」に参加した。 秋山は、ドイツではニュルンベルク、サンクト・ヴェンデル、オッゲルスハウゼン、イタリアではローマ、カナダではバンクーバー、オーストリアではウィーン、バッド・クロイツナハ、そして日本で開催された石彫刻家のシンポジウムに参加した。
雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 20… 雨宮 淳(あめのみや あつし、1937年4月18日 - 2010年2月8日)は、彫刻家。位階は従四位。日本芸術院会員。 雨宮治郎の子、雨宮敬子の弟として東京府に生まれる。父、姉とともに芸術院会員となっている。 日本大学芸術学部を卒業後、彫刻家北村西望に師事し、1963年日展初入選、1984年西望賞受賞、1991年内閣総理大臣賞受賞、1997年日本芸術院賞受賞、2001年日本芸術院会員。日展常務理事。 2010年2月8日、心不全のため死去。72歳没。墓所は多磨霊園。叙従四位に叙され、旭日中綬章追贈。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
半田 富久(はんだ とみひさ、1937年〈昭和12年〉 - … 半田 富久(はんだ とみひさ、1937年〈昭和12年〉 - 2017年〈平成29年〉4月20日)は、日本の巨石彫刻家。
峯田 義郎(みねた よしろう、1937年 - )は日本の現代… 峯田 義郎(みねた よしろう、1937年 - )は日本の現代具象彫刻家。山形県生まれ。新座市在住。東北芸術工科大学芸術学部美術科教授。