鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 -… 鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 - )は、海上自衛官。第20代潜水艦隊司令官。 神奈川県立横須賀高等学校(高28期)を経て、防衛大学校を1980年3月(第24期)に卒業。海上自衛隊へ入隊する。第27護衛隊司令、護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令、呉地方総監部幕僚長、海上自衛隊第1術科学校長、潜水艦隊司令官などを歴任し、2015年8月4日退官。 高校時代、日本の古典やギ・ド・モーパッサンの小説から太宰治や大森実の著作までを読みあさる読書家であった。また、鍜治の後に第1術科学校長に就いた徳丸伸一は横須賀高校の一年後輩である。
吉田 正紀(よしだ まさのり、1957年〈昭和32年〉2月1… 吉田 正紀(よしだ まさのり、1957年〈昭和32年〉2月11日 - )は、日本の元海上自衛官。 第40代佐世保地方総監、最終階級は海将。元防衛大臣政策参与。 宮崎県出身。1979年(昭和54年)3月に防衛大学校(23期)を卒業し、海上自衛隊入隊。いわせ艦長、在米日本大使館防衛駐在官、海上幕僚監部指揮通信情報部長、海上自衛隊幹部学校長などを歴任し、第40代佐世保地方総監を最後に2014年(平成26年)3月に退官。2014年から2016年の間、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授。2023年(令和5年)12月から2024年(令和6年)10月まで防衛大臣政策参与。 佐世保地方総監挨拶(2012年06月03日アーカイブ)
岩田 清文(いわた きよふみ、1957年〈昭和32年〉2月3… 岩田 清文(いわた きよふみ、1957年〈昭和32年〉2月3日 - )は、日本の陸上自衛官。第34代陸上幕僚長、第33代北部方面総監。 徳島県出身。1等陸佐までの職種は機甲科。初代統合幕僚長を務めた先崎一陸将以来10年ぶりとなる北部方面総監からの陸幕長就任となった。北部方面総監時代の要望事項は「任務即応・訓練精到・地域連携」。約3年にわたり陸上幕僚長を務め、次期統合幕僚長の候補と目されていたが、在任後期には数多くの重大事案が発生。最後は北部方面隊の然別演習場において、隊員による小銃誤射事案が決定打となり、同事案の管理監督責任を取る形で退官に追い込まれた。 選択出版によると、陸上自衛隊の制服を、2018年末に現行のモスグリーンから、統合幕僚監部のイメージカラーである「紫色」に変更する構想は、統幕長を狙いながら勇退を余儀なくされた岩田の「置き土産」であるとされる。
武居 智久(たけい ともひさ、1957年〈昭和32年〉1月1… 武居 智久(たけい ともひさ、1957年〈昭和32年〉1月12日 - )は、日本の海上自衛官。第32代海上幕僚長。長野県出身。 長野県諏訪清陵高校卒業後、防衛大学校(第23期)に入校。1979年(昭和54年)3月、海上自衛隊に入隊。入隊後は主に艦艇や海上幕僚監部で勤務したのち、統合幕僚監部指揮通信システム部長、海上幕僚監部防衛部長、大湊地方総監、横須賀地方総監等の要職を歴任、2014年(平成26年)10月7日の閣議において、10月14日付をもって第32代海上幕僚長に任命する旨の人事が了承・発令された。在任中に海自艦による米艦防護などを可能とする安全保障関連法が施行されたほか、海洋進出の動きを強める中国を念頭に、フィリピンへの海自航空機の貸与も推進するなど安全保障体制の環境整備に尽力した。
福田 築(ふくだ きづく、1956年(昭和31年)10月8日… 福田 築(ふくだ きづく、1956年(昭和31年)10月8日 - )は、福岡県出身の陸上自衛官。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柏原 敬子(かしはら けいこ、1956年〈昭和31年〉9月 … 柏原 敬子(かしはら けいこ、1956年〈昭和31年〉9月 - )は、日本の元航空自衛官である。大阪府大阪市出身。最終階級は空将補。佐伯光海将補(医官)、梶田ミチ子空将補に続いて三自衛隊で3例目の女性自衛官の将官であり、医官を除く一般職の女性で初めて現役の「将補」に昇任、三自衛隊初の女性司令でもあった。 関西学院大学では合気道部に所属した。大学卒業後、女性自衛官の採用が始まって5年目の1979年(昭和54年)、航空自衛隊に第69期一般幹部候補生(A幹部)として入隊した。同期生は男性が150名に対して、女性は5名であった。早朝からラッパで起こされ、夜まで分刻みのスケジュール。とにかく追いまくられるハードな生活で、男女ともに次々と辞めていくなか、10か月後に残った女性は3名だった。
山下 裕貴(やましたひろたか、1956年〈昭和31年〉6月9… 山下 裕貴(やましたひろたか、1956年〈昭和31年〉6月9日 - )は、日本の元陸上自衛官。最終階級は陸将。1等陸佐までの職種は野戦特科。 宮崎県生まれ。1979年(昭和54年)3月に大分工業大学(現日本文理大学)を卒業し、陸上自衛隊に2等陸士として入隊。入隊の動機は大学では造船科に在籍したが、卒業時はオイルショックにより九州には就職先がなく、景気を回復するまで自衛隊にいようと考えたからと語っている。また、幹部で入隊しなかったのは制度を知らなかったと語っている。1981年(昭和56年)3月、陸上自衛隊幹部候補生学校に第62期一般幹部候補生として入校(防衛大学校本科第25期相当)。卒業後は第1特科連隊に配属。
太田 清彦(おおた きよひこ、1956年〈昭和31年〉5月1… 太田 清彦(おおた きよひこ、1956年〈昭和31年〉5月15日 - )は、日本の陸上自衛官。防大23期。秋田県出身。 自衛隊イラク派遣では第5次復興支援群長を務めた。自衛隊カンボジア派遣や中東駐箚の防衛駐在官など、数多くの海外勤務経験を持つ。職種は普通科。
木野村 謙一(きのむら けんいち、1956年2月 - )は、… 木野村 謙一(きのむら けんいち、1956年2月 - )は、日本の岐阜県出身の陸上自衛官。第7代情報本部長。幹部レンジャー課程及び空挺課程を修了。
齊藤 治和(さいとう はるかず、1956年(昭和31年)1月… 齊藤 治和(さいとう はるかず、1956年(昭和31年)1月2日- )は、日本の航空自衛官。第33代航空幕僚長。 福井県丹生郡清水町出身。福井県立羽水高等学校を経て、1978年(昭和53年)3月に防衛大学校(第22期)卒業し、航空自衛隊に入隊。職種は飛行(戦闘機操縦士)、TACネームは「GOA」。総飛行時間は約3,300時間であり、その約半分はF-15戦闘機によるもの。第6航空団司令兼小松基地司令、航空救難団司令、航空幕僚監部運用支援・情報部長、航空総隊司令部幕僚長を経て、2009年(平成21年)3月、空将に昇任、統合幕僚監部運用部長、北部航空方面隊司令官を歴任。航空総隊司令部の組織改編及び移転に際しては初代副司令官から第41代航空総隊司令官を務める等、一貫して関わってきた。
矢野 一樹(やの かずき、1955年〈昭和30年〉12月16… 矢野 一樹(やの かずき、1955年〈昭和30年〉12月16日 - )は、日本の海上自衛官。日本安全保障戦略研究所上席研究員、防人と歩む会理事長。第19代潜水艦隊司令官、三菱重工顧問を歴任。最終階級は海将。防大22期。 愛媛県今治市出身。防衛大学校第22期卒業。海上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了。アメリカ合衆国国防大学修士(国家資源管理)。 海上幕僚監部教育課長、防衛大学校訓練部長、大湊地方総監部幕僚長、海上幕僚監部装備部長を経て、第19代潜水艦隊司令官。2013年(平成25年)8月、海上自衛隊退官。 退官後、三菱重工顧問を務めた。
鮒田 英一(ふなだ えいいち、1955年〈昭和30年〉12月… 鮒田 英一(ふなだ えいいち、1955年〈昭和30年〉12月6日 - )は、日本の海上自衛官、第47代自衛艦隊司令官。最終階級は海将。 東京都出身。東京都立戸山高等学校を経て、東京大学法学部を卒業し、1980年(昭和55年)に海上自衛隊入隊。入隊後は主に航空部隊や海上幕僚監部等で勤務し、1992年にハーバード大学ケネディ・スクールよりMaster of Public Administration取得。その後、海幕監察官、人事教育部長、教育航空集団司令官、海幕副長等の要職を歴任し、2014年(平成26年)3月、第47代自衛艦隊司令官に就任。一年半在職したのち、2015年(平成27年)8月4日に退官した。
渡部 悦和(わたなべ よしかず、1955年(昭和30年)8月… 渡部 悦和(わたなべ よしかず、1955年(昭和30年)8月1日 - )は、日本の元陸上自衛官。第36代東部方面総監。 愛媛県出身。愛媛県立松山東高等学校を経て、1978年(昭和53年)3月に東京大学工学部電気工学科を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第28普通科連隊長兼函館駐屯地司令、自衛隊東京地方連絡部長、防衛研究所副所長、第2師団長、陸上幕僚副長等の要職を経て、第36代東部方面総監を最後に退職。退職後は富士通システム統合研究所長、ハーバード大学アジアセンター・シニアフェロー、日本安全保障戦略研究所上席研究員。
廣中 雅之(ひろなか まさゆき、1955年5月 - )は、日… 廣中 雅之(ひろなか まさゆき、1955年5月 - )は、日本の航空自衛官。最終階級は空将。山口県出身。 ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院修士課程修了。一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ シニアフェロー。戦略国際問題研究所、スタンフォード大学国際安全保障研究所客員研究員を経て、大阪大学大学院招聘教授、政策研究大学院大学非常勤講師。
平田 英俊(ひらた ひでとし、1955年〈昭和30年〉4月 … 平田 英俊(ひらた ひでとし、1955年〈昭和30年〉4月 - )は、日本の航空自衛官、航空工学者。職種は研究開発。第19代航空教育集団司令官。スタンフォード大学Ph.D.。高知県出身。 東京大学工学部卒業、同大学院工学研究科修士課程修了(航空宇宙工学)。 在職中、スタンフォード大学大学院にて工学博士号を、米国防大学にて戦略論の修士号を取得。
池田 整治(いけだ せいじ、1955年〈昭和30年〉3月22… 池田 整治(いけだ せいじ、1955年〈昭和30年〉3月22日 - )は、日本の作家、元陸上自衛官、最終階級は陸将補。空手道七段。 ほか全日本実業団空手道連盟理事長、東藝術倶楽部顧問でもある。愛媛県南宇和郡愛南町(旧一本松町)生まれ。
中川 義章(なかがわ よしあき、1955年(昭和30年)2月… 中川 義章(なかがわ よしあき、1955年(昭和30年)2月 - )は、兵庫県出身の元陸上自衛官。東京大学工学部卒業。第1師団長、陸上自衛隊研究本部長を歴任。最終階級は陸将。 1978年3月に東京大学工学部原子力工学科を卒業(同学科の後輩に松村五郎(第37代東北方面総監))し、陸上自衛隊入隊(同期に渡部悦和(第36代東部方面総監))。マサチューセッツ工科大学修士課程修了。世界平和研究所客員研究員。
河野 克俊(かわの かつとし、1954年〈昭和29年〉11月… 河野 克俊(かわの かつとし、1954年〈昭和29年〉11月28日 - )は、日本の海上自衛官。第31代海上幕僚長、第5代統合幕僚長。 父の河野克次(かわの かつじ)は、海軍機関学校(40期)を卒業して海軍機関科将校となり、特殊潜航艇を搭載した伊16潜水艦の機関長として真珠湾攻撃に参加した。 帝国海軍での最終階級は海軍中佐。戦後は復員業務に従事した後、公職追放に遭わずにそのまま海上保安庁で勤務した。1952年(昭和27年)に設置された海上警備隊(海上自衛隊の前身)に移り、1954年(昭和29年)に海上自衛隊が設置されると海上自衛官となり、海上自衛隊第2術科学校長を最後に退官した。海上自衛隊での最終階級は海将補。
宮崎 泰樹(みやざき やすき、1954年 - )は、愛知県出… 宮崎 泰樹(みやざき やすき、1954年 - )は、愛知県出身の元陸上自衛官、元第10師団長。中国人民解放軍の諸問題に関する研究の第一人者として、戦略的互恵関係に基づく日中の友好と相互理解の増進を主張する。退官後、東京都庁の局長級ポストである危機管理監に就任。 なお、東京都の危機管理監の自衛官登用はこれが初だが、他の都道府県庁では既に数名の幹部自衛官が都道府県庁の防災担当部署等における管理監として再就職(太田清彦など)しており、それぞれの分野において活動している この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
林 一也(はやし かずや、1953年10月 - )は愛知県出… 林 一也(はやし かずや、1953年10月 - )は愛知県出身の陸上自衛官。職種は通信科の出身。防衛大学校本科第21期卒、ワシントン大学大学院修了(修士)。勲章は瑞宝中綬章。
寺崎 芳治(てらさき よしはる、1953年4月 - )は、日… 寺崎 芳治(てらさき よしはる、1953年4月 - )は、日本の元陸上自衛官。1佐までの職種は普通科。最終階級は陸将。山形県出身。防衛大学校第20期生、同期には後に東北方面総監から初となる陸上幕僚長である君塚栄治などがいる。
岩崎 茂(いわさき しげる、1953年(昭和28年)2月3日… 岩崎 茂(いわさき しげる、1953年(昭和28年)2月3日 - )は、日本の元航空自衛官。第31代航空幕僚長を経て、第4代統合幕僚長、現任の中華民国(台湾)行政院政務顧問。 岩手県岩手郡岩手町土川出身。一方井小、一方井中、盛岡第三高を経て防衛大学校(第19期)へ進む。防大では航空工学を専攻し、1975年(昭和50年)3月、防衛大学校を卒業後に航空自衛隊に入隊。職種は操縦幹部(戦闘機パイロット)。第201飛行隊長(TACネーム"Garfield")、第2航空団司令、航空幕僚監部人事教育部長、西部航空方面隊司令官、航空幕僚副長等を経て、2009年(平成21年)7月に航空総隊司令官に就任。2010年(平成22年)12月24日に第31代航空幕僚長に就任。
榊枝 宗男(さかきえだ むねお、1953年(昭和28年)2月… 榊枝 宗男(さかきえだ むねお、1953年(昭和28年)2月 - )は、日本の東京都出身の陸上自衛官。 PKO業務に関する経験が豊富なことから、三自衛隊の将官として初となる単身での海外訓練に派遣された。通訳を介さない流暢な英語を駆使することで知られる。
下平 幸二(しもひら こうじ、1952年(昭和27年)10月… 下平 幸二(しもひら こうじ、1952年(昭和27年)10月 - )は、佐賀県出身の航空自衛官、第6代情報本部長。職種は飛行。
君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年〈昭和27年〉7月1… 君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年〈昭和27年〉7月16日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の陸上自衛官。第33代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。自衛隊初の災統合任務部隊(JTF)指揮官・東北方面総監経験者初の陸上幕僚長。位階は従三位。 神奈川県相模原市出身。東京都立豊多摩高等学校卒業。防衛大学校(第20期)卒業後、陸上自衛隊に入隊。アメリカ陸軍上級砲兵学校、アメリカ陸軍指揮幕僚大学及び幹部レンジャー課程、空挺課程を修了。東北方面総監在任時に発生した東日本大震災においては自衛隊の統合運用史上最大となる10万人規模からなる陸海空の統合任務部隊(JTF-TH:Joint Task Force - Tohoku)の指揮官を務め、人命救助や被災地支援などの陣頭指揮にあたった(東日本大震災に対する自衛隊の対応)。
用田 和仁(もちだ かずひと、1952年7月16日 - )は… 用田 和仁(もちだ かずひと、1952年7月16日 - )は、福岡県出身の元陸上自衛官。陸将。
高嶋 博視(たかしま ひろみ、1952年(昭和27年)4月2… 高嶋 博視(たかしま ひろみ、1952年(昭和27年)4月25日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。第40代横須賀地方総監。 香川県出身。1975年(昭和50年)3月、防衛大学校(第19期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は護衛艦、海上幕僚監部、在ノルウェー日本国大使館付防衛駐在官や統合幕僚会議事務局等で勤務したのち、2002年(平成14年)11月に第1護衛隊群司令に就任し、第4次インド洋派遣海上支援部隊指揮官として派遣された。その後、海上幕僚監部人事教育部長を経て、海将に昇任、第32代護衛艦隊司令官、統合幕僚副長を歴任し、2010年(平成22年)7月に第40代横須賀地方総監に就任した。
片岡 晴彦(かたおか はるひこ、1952年(昭和27年)4月… 片岡 晴彦(かたおか はるひこ、1952年(昭和27年)4月18日 - )は、日本の航空自衛官、化学者(電気化学)。第32代航空幕僚長。特技(職種)は研究開発。内閣府宇宙政策委員会委員、防衛省防衛科学技術委員会委員。学位は理学博士(東京工業大学)。 北海道札幌市生まれ。北海道札幌南高等学校を経て、1976年(昭和51年)3月に防衛大学校(第20期)を卒業し、航空自衛隊に入隊。職種は研究開発。第8航空団司令兼築城基地司令、航空幕僚監部技術部長、防衛部長を経て、2007年(平成19年)7月に空将に昇任。中部航空方面隊司令官、航空教育集団司令官を歴任し、2010年(平成22年)12月に第41代航空総隊司令官に就任。
安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は… 安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は、日本の元陸上自衛官、剣道家。最終階級は陸将補、剣道の段位は教士八段。 山形県鶴岡市出身。第11特科連隊長、自衛隊福岡地方連絡部長、陸上自衛隊輸送学校長などを歴任した。1佐までの職種は野戦特科。 6歳から剣道を始め、2008年に合格率わずか1%の難関である八段昇段試験に合格した(防衛大学校出身者では2人目)。座右の銘は「謙虚精進」である。陸上自衛隊剣道連盟副会長、関東自衛隊剣道連盟会長を務める。
西村 金一(にしむら きんいち、1952年 - )は、日本の… 西村 金一(にしむら きんいち、1952年 - )は、日本の軍事評論家、元陸上自衛官。佐賀県出身。 軍事・情報戦略研究所所長。北朝鮮(特に軍事)情勢分析、中国軍事戦略、対テロ、危機管理に関する著作がある。 1968年に陸上自衛隊生徒14期として陸上自衛隊少年工科学校に入校する。その後法政大学文学部地理学科を卒業。 1978年、陸上自衛隊幹部候補生学校に入校し、第1特科連隊、第1空挺団を経て、防衛省内部部局、統合幕僚会議事務局、陸上幕僚監部、情報本部等で情報分析官を務める。その後防衛研究所研究員、12師団第2部長、陸上自衛隊幹部学校戦略教官室副室長(主任教官1等陸佐)等を歴任した。 2008年、定年退官となり、三菱総合研究所の国際政策研究グループに専門研究員として勤務する。
梶田 ミチ子(かじた みちこ、1952年〈昭和27年〉- )… 梶田 ミチ子(かじた みちこ、1952年〈昭和27年〉- )は、日本の航空自衛官である。最終階級は空将補。佐伯光海将補(海上自衛隊医官)に続いて三自衛隊で2例目、航空自衛隊では初の女性将官であった。梶田は同じ自衛官であっても特別とされる医官・歯科医官を除く初の女性将官であるが、退職日特別昇任による空将補(いわゆる営門将補)である。 奈良女子大学を卒業後、1977年(昭和52年)航空自衛隊に一般幹部候補生(A幹部)として入隊。卓越した指揮能力が認められ、三自衛隊女性自衛官として初めて指揮幕僚課程教育を受けた。最終補職は2006年(平成18年)4月から務めた航空自衛隊航空教育隊第2教育群司令。2007年(平成19年)12月3日の退官日に空将補に特別昇任した。
杉本 正彦(すぎもと まさひこ、1951年〈昭和26年〉12… 杉本 正彦(すぎもと まさひこ、1951年〈昭和26年〉12月13日 - )は、日本の海上自衛官。第30代海上幕僚長。 富山県出身。1974年(昭和49年)3月、防衛大学校(本科第18期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「はるゆき」艦長など艦艇勤務を経て、2001年(平成13年)12月に第3護衛隊群司令に就任。在任中の2002(平成14年)2月から第2次インド洋派遣海上支援部隊を指揮した。 2005年(平成17年)7月、海将に昇任、潜水艦隊司令官、呉地方総監、自衛艦隊司令官等の要職を歴任し、2010年(平成22年)7月、第30代海上幕僚長に就任した。自衛艦隊司令官を経ての海上幕僚長就任は第16代長田博以来23年ぶりであった。
ロック岩崎( - いわさき、本名:岩崎 貴弘(いわさき たか… ロック岩崎( - いわさき、本名:岩崎 貴弘(いわさき たかひろ)、1951年11月28日 - 2005年4月21日)は、元航空自衛官、エアショーパイロットである。群馬県勢多郡赤城村(現:渋川市)出身。曲技飛行の第一人者として知られた。 1951年11月28日生まれ。1970年3月、千葉県立船橋高等学校卒業。 1970年4月、航空自衛隊に航空学生第26期として入隊。F-86F、F-104、F-15などのジェット戦闘機操縦者として飛行任務に従事する。ニックネームの「ロック」は「岩崎」の岩を英訳した在官時代のTACネームに由来する。 また、F-15戦闘機で低高度での「ナイフエッジ」飛行を成功させたほか、「横転コルク抜き」という独自の空戦機動を編み出したことでも有名である。
外薗 健一朗(ほかぞの けんいちろう、1951年(昭和26年… 外薗 健一朗(ほかぞの けんいちろう、1951年(昭和26年)9月15日 - )は、日本の航空自衛官。第30代航空幕僚長。職種は要撃管制。鹿児島県出身。
火箱 芳文(ひばこ よしふみ、1951年〈昭和26年〉5月1… 火箱 芳文(ひばこ よしふみ、1951年〈昭和26年〉5月15日 - )は、日本の陸上自衛官。第32代陸上幕僚長。三菱重工業株式会社顧問。全日本柔道連盟特別顧問。公益財団法人陸修偕行社理事長。日本会議代表委員。 福岡県出身。1974年(昭和49年)3月、防衛大学校(第18期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後、普通科幹部として第1混成群に配属。第1空挺団中隊長、第3普通科連隊長等の指揮官、陸上幕僚監部・方面総監部等の幕僚、学校教官等を務める。空挺基本降下課程、富士幹部レンジャー課程、陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程、統合幕僚学校一般課程を修了。1999年(平成11年)7月、陸将補に昇任し、第1空挺団長、北部方面総監部幕僚長を経て、2005年(平成17年)7月、陸将に昇任し、第10師団長、防衛大学校幹事、中部方面総監を歴任し、2009年(平成21年)3月に第32代陸上幕僚長に就任した。
石濱 哲信(いしはま てつのぶ、1951年(昭和26年)5月… 石濱 哲信(いしはま てつのぶ、1951年(昭和26年)5月9日 -)は、日本の海上自衛官、政治活動家。政治団体「日本党」党首。 茨城県下妻市に生まれる。父は鹿児島県出身の近衛士官。茨城県立下妻第一高等学校卒業。高校卒業後は航空学生となり、後に海上自衛隊の対潜哨戒機機長となる。1992年に民間企業に入社。2004年に退社し自営業を始める。2019年に一般社団法人日本安全対策推進機構代表理事に就任。2019年10月17日に日防隊を結成し初代代表に就任。 2021年に政治団体・日本保守党を設立する。この日本保守党は2023年に百田尚樹が設立した日本保守党より以前から存在する政治団体である。石濱は立ち上げた日本保守党を休眠団体にしておらず、石濱自らが党首として結党時から政治活動を行ってきており、その中にはつばさの党の黒川敦彦との連携もある。
泉 一成(いずみ かずしげ、1951年〈昭和26年〉5月- … 泉 一成(いずみ かずしげ、1951年〈昭和26年〉5月- )は、日本の陸上自衛官。防衛大学校本科第18期卒業。1佐までの職種は普通科。第34代東部方面総監を務めた。 退官後の2013年5月に、ロシアの駐在武官、セルゲイ・コワリョフに対して、陸上自衛隊の普通科部隊の運用についての教範である「普通科運用」や、特殊作戦群や第一空挺団が駐屯する習志野駐屯地を紹介するパンフレット、及び生活家電を渡していたことが2015年に発覚した(ただし、教範等の受け渡しはすでにコワリョフを視察下に置いていた警察官に確認されていた)。この駐在武官はロシアの軍事情報機関であるロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)所属と見られ、また、自衛隊を除隊した泉が富士学校長の渡部博幸(渡部は泉が方面総監当時の総監部防衛部長)を始めとした現職自衛官に教範調達を依頼していたことも明らかになっている。
山口 昇(やまぐち のぼる、1951年〈昭和26年〉 - )… 山口 昇(やまぐち のぼる、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の陸上自衛官、研究者、軍事評論家。最終階級は陸将。国際大学国際関係学研究科教授。タフツ大学フレッチャー・スクール修士。元ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所国家安全保障客員フェロー。三重県出身。 1974年、防衛大学校卒業。第18期。同期に火箱芳文、杉本正彦など。 同年、陸上自衛隊航空科部隊配属。1983年、陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了。1988年フレッチャー・スクール修了、同修士号取得。1991年、ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所客員研究員。 外務省北米局日米安全保障条約課出向、統合幕僚会議事務局軍備管理・軍縮班長、第11師団司令部第3部長(作戦担当)、陸上幕僚監部防衛調整官を経て、1999年から2001年まで外務省在アメリカ合衆国日本国大使館首席防衛駐在官(外務事務官・在米国日本大使館付参事官(国防・陸軍担当))。
武田 正德(たけだ まさのり、1950年(昭和25年)10月… 武田 正德(たけだ まさのり、1950年(昭和25年)10月 - )は、宮城県出身の陸上自衛官。最終階級は陸将。平和・安全保障研究所事務局長兼常務理事。埼玉県在住。
赤星 慶治(あかほし けいじ、1950年(昭和25年)9月2… 赤星 慶治(あかほし けいじ、1950年(昭和25年)9月23日 - )は、日本の海上自衛官。第29代海上幕僚長。熊本県出身。 哨戒機PS-1およびP-3Cのパイロット出身で、飛行時間は約4,000時間である。
折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月… 折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月10日 - )は、日本の元陸上自衛官。熊本県津奈木町出身。第31代陸上幕僚長、第3代統合幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。 熊本県立八代高校を経て、1972年(昭和47年)3月に防衛大学校(第16期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第3特科群長、陸幕補任課長、同装備部長を経て、 2003年(平成15年)3月に陸将に昇任、第9師団長、陸幕副長、中部方面総監の要職を歴任し、2007年(平成19年)3月、第31代陸上幕僚長に就任。2009年(平成21年)3月には統合幕僚長に就任した。統合幕僚長就任直後に発生した北朝鮮による弾道ミサイル発射実験への対処、ソマリア沖の海賊対処及び自衛隊ハイチPKO派遣並びに自衛隊南スーダン派遣の実施計画の制定し、2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災では、3自衛隊10万人の統合任務部隊を編成、史上初の災害派遣態勢を確立して北澤俊美防衛大臣(当時)の指揮を補佐した。
椋木 功(むくのき いさお、1950年2月 - )は、日本の… 椋木 功(むくのき いさお、1950年2月 - )は、日本の島根県出身の陸上自衛官、官僚。
矢野 義昭(やの よしあき、1950年(昭和25年)1月5日… 矢野 義昭(やの よしあき、1950年(昭和25年)1月5日 - )は、日本の陸上自衛官、研究者。拓殖大学・岐阜女子大学客員教授。学位は博士(安全保障)(拓殖大学・2013年)。最終階級は陸将補。日本安全保障フォーラム会長。 大阪府の出身で、大阪市立堀江中学校、大阪府立大手前高等学校を経て、1972年(昭和47年)に京都大学工学部機械工学科を卒業すると京都大学文学部中国哲学史学科へ学士入学して1974年(昭和49年)に卒業する。2013年(平成25年)7月に拓殖大学で博士(安全保障)を修得する。 京都大学卒業後に陸上自衛隊へ一般幹部候補生として入隊し、第6普通科連隊長、兵庫地方連絡部長、第1師団副師団長兼練馬駐屯地司令などを務め、2006年(平成18年)12月に陸上自衛隊小平学校副校長から退官する。
中村 秀樹(なかむら ひでき、1950年(昭和25年) - … 中村 秀樹(なかむら ひでき、1950年(昭和25年) - )は、日本の元海上自衛官(2等海佐)。軍事史家。
香田 洋二(こうだ ようじ、1949年(昭和24年)12月 … 香田 洋二(こうだ ようじ、1949年(昭和24年)12月 - )は日本の海上自衛官、第36代自衛艦隊司令官(海将)。徳島県出身。 海上幕僚長の有力候補であったが、いくつかの理由から、自衛艦隊司令官を最後に退官した。
山口 淨秀(やまぐち じょうしゅう、1949年〈昭和24年〉… 山口 淨秀(やまぐち じょうしゅう、1949年〈昭和24年〉3月 - )は、富山県出身の元陸上自衛官。防衛大学校本科第17期卒業。第2普通科連隊長時代に発生したナホトカ号重油流出事故災害派遣に際し、部隊指揮官として陣頭指揮を執った経歴を持ち、2007年3月に新編された中央即応集団の初代司令官を務めた。
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月… 田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月22日 - )は、日本の航空自衛官、軍事評論家、政治活動家。第38代航空総隊司令官、第29代航空幕僚長。最終階級は空将(空軍中将相当)。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長。 防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊し、2007年3月に航空幕僚長に就任。2008年10月31日に政府の歴史認識と異なるアパグループ主催の懸賞論文を公表し、航空幕僚長を更迭された。論文では、日本は第二次世界大戦に蒋介石とルーズベルトの策略によって巻き込まれたと主張した。また、日本の戦時中の行動は「西洋の植民地主義からアジアを解放する」ための努力であったと論じた。
吉田 正(よしだ ただし、1948年〈昭和23年〉2月15日… 吉田 正(よしだ ただし、1948年〈昭和23年〉2月15日 - )は日本の元航空自衛官である。大阪府出身。第28代航空幕僚長。 防衛大学校に在学中から「将来の航空幕僚長」と嘱望されており、このためパイロットとしての基礎課程を終え機種を選択する際には周囲から墜落事故による殉職が続発していた戦闘機ではなく輸送機を希望することを強く勧められたと言われている。このことを本人は「個人プレイの戦闘機ではなく乗員や貨物を預かり送り届ける輸送機のパイロットになったことは指揮官としての資質を養う上で有益だった」と回想している。 またコロラドスプリングスのアメリカ空軍士官学校の教官を務めたため後年航空幕僚長として航空総隊司令部を府中基地からアメリカ空軍横田基地内に移転する事業を推進するのに、かつての教え子たちが中堅幹部となっていたことで事実上の日米協同作業になった。
齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11… 齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11日 - )は、日本の海上自衛官。第2代統合幕僚長、第27代海上幕僚長。防大14期。戦後生まれ(団塊の世代)初の統合幕僚長でもある。神奈川県出身。 父の斎藤頼男は海軍機関学校(第47期)を卒業し、海上自衛隊では防衛大学校学生課長などを務め、第2術科学校長(海将補)を最後に退官した。祖父も海軍水兵であった。横須賀市立池上小学校、横須賀市立池上中学校を経て、父(中22期)と同じく神奈川県立横須賀高等学校(高18期)に進学。高校時代は陸上部に所属し、200メートルハードルでインターハイ出場。のちに齋藤の海幕長在任時に海幕副長となる荒川堯一は高校の同窓である。
吉川 榮治(よしかわ えいじ、1948年(昭和23年)1月2… 吉川 榮治(よしかわ えいじ、1948年(昭和23年)1月28日 - )は、日本の海上自衛官。第28代海上幕僚長。大阪府出身。