大塚 恭男(おおつか やすお、1930年(昭和5年)1月29… 大塚 恭男(おおつか やすお、1930年(昭和5年)1月29日 – 2009年(平成21年)3月8日))は、日本の医師、医史学者。学位は医学博士(東京大学)。大塚敬節の長男。北里研究所東洋医学総合研究所第3代所長を務め、医史学、特に東西の薬史学に秀でた業績を残した。 1930年(昭和5年)1 月 29 日 高知県香美郡日章村田村に大塚敬節の長男として出生。父大塚敬節は漢方の勉学に駆り立てられて妻と生後間もない恭男を高知において上京し、湯本求真のもとで漢方の勉強をした。1年後の1931年(昭和6年)5月に大塚敬節が妻子を東京に呼び寄せ、牛込区船河原町に転居した。船河原町で育ち、地元の津久戸国民小学校に入学。
瀬尾 摂(せお せつ、1930年1月27日 - 2010年1… 瀬尾 摂(せお せつ、1930年1月27日 - 2010年10月31日)は日本の医師。専門は耳鼻咽喉科。日本医師会理事および常任理事を務めた。 兵庫県尼崎市に生まれる。父は、医師の瀬尾正。旧制浪速高校を4年修了(いわゆる飛び級)で、大阪大学医学部に進学した。1953年に大学卒業後、瀬尾耳鼻咽喉科院院長として、歴代副院長や歴代勤務医らと、入院治療、手術治療を多数手がける。 院外では、兵庫県医師会および尼崎市医師会の会長、日本医師会理事および常任理事、日本耳鼻咽喉科学会理事、兵庫県教育委員委員長、兵庫産業保健センター長などの役職を歴任した。 2010年10月31日、肺炎のため死去(満80歳没)。没後、従五位に叙された。
瀬端 正之(せばた まさゆき、1930年1月25日 - 20… 瀬端 正之(せばた まさゆき、1930年1月25日 - 2007年10月8日)は、日本の歯学者、歯科医師。東京歯科大学名誉教授、元歯科矯正学講座教授 1954年東京歯科大学卒業、以後同大学にて勤務し、1976年同大学主任教授に就任、1995年に名誉教授となる。 1961年 東京医科大学より医学博士の学位を得る。論文名は「咬傷に関する法医学的研究」。 2007年10月8日、肺炎のため死去。
我妻 堯(我妻 尭、わがつま たかし、1930年1月9日 -… 我妻 堯(我妻 尭、わがつま たかし、1930年1月9日 - 2020年5月15日)は、日本の産婦人科医・法医学者。東京大学医学部助教授を経て、国立病院医療センター(現:国立国際医療研究センター)国際医療協力部の初代部長や、米沢有為会我妻榮記念館名誉館長を務めた。 我妻栄の次男として東京に生まれる。青春時代に敗戦を迎えたため、医学なら戦争に利用されないだろうと考え医師を志す。 1955年東京大学医学部卒業。1960年同大学院生物系研究科医学専門課程博士課程修了。「妊娠中毒症の腎クリアランスに関する研究、特に四型分類との関係について」で医学博士の学位を取得、東大医学部助手となる。1962年からロンドン大学、1964年から米国ジョンズ・ホプキンズ大学で学ぶ。
西山 茂夫(にしやま しげお、1930年1月1日 - )は、… 西山 茂夫(にしやま しげお、1930年1月1日 - )は、日本の医学者、皮膚科医。専門は血管炎、膠原病、全身疾患と皮膚。東京生まれ。
中島 道郎(なかしま みちろう、1930年 - )は、日本の… 中島 道郎(なかしま みちろう、1930年 - )は、日本の医師。日本登山医学会の前身である山岳医学会を立ち上げ、その後の登山医学の発展に尽力した。 1970年に日本から初めて派遣されたエベレスト登山隊(5月11日に松浦輝夫と植村直己が登頂)に、医師として参加した。 専門は循環器学で、臨床及び研究の両面から多大な貢献をした[要出典]。 幼少時、漁師であった父の故郷である兵庫県穴見(現・豊岡市)を疎開や帰省で訪れ、豊岡で14歳まで少年時代を過ごした。後にエベレスト登山隊にともに参加することになる植村直己と同郷で、中島の方が10歳ほど年上であった。海が身近であったため、小学校1年時には海軍兵学校を志すと決めていた。
藤田 弘子(ふじた ひろこ、1930年 - 2023年)は、… 藤田 弘子(ふじた ひろこ、1930年 - 2023年)は、日本の小児科医。ダウン症の研究で知られる。元・大阪市立大学生活科学部教授。兵庫県の兵庫県立塚口病院で長期にわたり、自ら考案したダウン症の赤ちゃん体操の指導を担当した。日本ダウン症療育研究会の前身であるダウン症療育研究会を立ち上げ、ダウン症の赤ちゃん体操の指導者の研修制度を始めた。 1930年大阪で生まれる。1953年大阪府立女子大学文学部社会福祉学科卒業。1959年大阪市立大学医学部卒業。1962年京都大学医学部小児科医局を経て、同年10月より大阪市立大学生活科学部児童学科勤務。1994年3月同学部人間福祉学科教授退職。 1969年医学博士(大阪大学)。
川勝 岳夫(かわかつ たけお、1930年 - )は、日本の医… 川勝 岳夫(かわかつ たけお、1930年 - )は、日本の医学者、小児科医。医学博士(東京大学、1963年)。長野県立こども病院名誉院長。富山県生まれ。 1930年、富山県生まれ。1955年、東京大学医学部卒業。1956年、東京大学医学部小児科教室入局。1963年、学位論文「小児における水分代謝の研究」にて、東京大学より医学博士の学位を受ける。1963年、信州大学医学部小児科講師。1966年、長野赤十字病院小児科部長。長野赤十字病院副院長を経て、1993年 - 1999年、長野県立こども病院初代院長を務める。長野県における新生児や乳幼児の医療の向上に尽力した。長野県立こども病院名誉院長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
浅田 高明(あさだ たかあき、1930年 - 2020年2月… 浅田 高明(あさだ たかあき、1930年 - 2020年2月11日)は医師、医学博士(京都大学)。太宰治研究者。 富山市生まれ。旧制富山高等学校理科乙類を経て、1954年京都大学医学部医学科卒業。京都大学結核胸部疾患研究所において結核および呼吸器学を専攻する。1960年京都大学医学博士。論文の題は「ツベルクリン過敏性の局所性受身感作に関する実験的研究」。(財)近江サナトリウム、京都府立洛東病院、国立療養所宇多野病院勤務のあと1988年現在、ダイハツ工業株式会社 京都工場診療所長を務めた。 その傍ら太宰治の人と文学に関する実証的研究に長年携わってきた。 その中で『パンドラの匣』 のモデルとなった木村庄助の実家の取材を通じて、この面における太宰治研究の第一人者として知られる。
林 峻一郎(はやし しゅんいちろう、1930年 - 2008… 林 峻一郎(はやし しゅんいちろう、1930年 - 2008年4月9日)は、日本の精神科医。 大脳生理学者で直木賞作家の木々高太郎(本名:林 髞)の長男として、東京に生まれる。1954年慶應義塾大学医学部卒。精神科医となり、1974年「日本における機能性精神障害の診断ステレオタイプ考究 計量精神病理学の立場より」で神戸大学医学博士。『三田文学』編集主任、創作活動ののち慶大医学部精神科助手、パリ大学医学部精神神経科助手、北里大学教授。1980-82年国際協力でペルーのリマに滞在した。墓所は多磨霊園。
風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は… 風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は、日本の医師、医学博士、開業医、風間病院院長、酒田風間氏分家・東美系の一族。
湯浅 修一(ゆあさ しゅういち、1929年〈昭和4年〉12月… 湯浅 修一(ゆあさ しゅういち、1929年〈昭和4年〉12月18日 - 没年不明 )は、日本の医学者・精神科医。群馬県生まれ。専門は精神病理学。医学博士(群馬大学・1963年)。分裂病(現・統合失調症)の予後研究で知られる。江熊要一、臺弘、中沢正夫らとともに生活臨床グループの創成期メンバー。 1929年群馬県前橋市に生まれる。旧制松本高等学校理科を経て、1953年前橋医科大学(現・群馬大学)卒業。1963年医学博士(群馬大学)。赤城病院院長、群馬大学医学部講師、岸病院神経科医長、東京都精神医学総合研究所副参事研究員、東京大学医学部講師などを経て、榛名病院常勤顧問 。
毛利 子来(もうり たねき、1929年11月27日 - 20… 毛利 子来(もうり たねき、1929年11月27日 - 2017年10月26日)は、日本の小児科医。子供・障害児に関する著書を多数刊行している。 千葉県生まれ。父は内科医。名前の由来は詩経の中の「霊台」の箇所に出てくる成語である。帝が民の楽しみのために霊台の建設を企てて呼びかけたところ、女子どもまでもがやってきたというくだりから取られたもので、「子どももやって来る」の意。大抵、「子来」を「たねき」と読んでもらえないので、自ら「たぬき先生」と称していた。父親は第二次世界大戦の終了3日前に戦場で拳銃自決した。戦時中、岡山県の母方の祖父母に預けられるが、祖父は病死し、祖母も重症の火傷を負っていた。苦学して、岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業。
鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 201… 鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 2010年10月28日)は、日本の医学者、医師。専門は心臓外科学。 冠動脈外科医であり、心臓のバイパス手術の権威。1995年から2008年まで東京医科歯科大学の学長を務めた。 週刊少年チャンピオン1977年10月31日発売45号に掲載された、手塚治虫連載のブラック・ジャック第188話「肩書き」に、J大学(順天堂大学)の鈴木教授なる人物が言及されている。鈴木本人は「彼が僕の記事をどこかで読んだんじゃないかな?」と述べている(手塚治虫は病気の為ブラック・ジャックを長期休載後第188話「肩書き」で連載再開しており充電期間中に構想を書き溜めたものが、第188話「肩書き」である。
大藤 正雄(おおとう まさお、1929年10月7日 - 20… 大藤 正雄(おおとう まさお、1929年10月7日 - 2012年2月1日)は、日本の医学者、医師。 千葉県東金町生まれ。旧制成東中学校、旧制浦和高等学校を経て、千葉大学医学部卒、同大学院博士課程修了、1959年医学博士。千葉大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。放射線医学総合研究所、国保成東病院。さんむ医療センター顧問。海堂尊は大藤を心の師と呼んでいる。
内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016… 内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016年12月11日)は、日本の外科医、ジャズ愛好家。愛知県岡崎市出身。名古屋大学医学部卒業。数多くのジャズミュージシャンを支援したことから親しみをこめて「Dr.U(ドクター・ユー)」「Dr.Jazz(ドクター・ジャズ)」と呼ばれる。その膨大なコレクションは、愛知県岡崎市に寄付された。「ジャズの街岡崎名誉顧問」。 1929年10月5日、愛知県岡崎市に産婦人科医院の二男として生まれる。1945年7月、岡崎空襲により家を失い、一家で額田郡岩津町(現・岡崎市岩津町)に疎開する。1947年3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1950年、名古屋大学医学部に入学。
辻井 正(つじい ただす、1929年9月19日 - 2014… 辻井 正(つじい ただす、1929年9月19日 - 2014年7月3日)は、日本の医師・医学者。奈良県立医科大学名誉教授。元日本消化器病学会理事長。2006年、瑞宝中綬章受章。医学博士(東京大学・1960年)(学位論文「アルファーグロブリン増加の機序に関する研究」)。 昭和22年03月 奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)卒業 昭和29年03月 奈良県立医科大学卒業 昭和33年07月~昭和35年3月 奈良県立医科大学(第一内科学)助手 昭和35年04月~昭和35年9月 奈良赤十字病院医員 昭和35年10月 奈良県立医科大学(第一内科学)助手 昭和39年06月 奈良県立医科大学(第一内科学)講師 昭和52年06月 奈良県立医科大学拡充に伴い、新設された、第三内科学[=消化器内科分野]の初代教授となり、平成07年3月までつとめる、以下退職まで学長専任 昭和63年04月~平成04年3月 奈良県立医科大学 附属病院長 平成06年04月~平成10年3月 奈良県立医科大学長(平成08年4月より、奈良県立医科大学看護短期大学部の学長を兼任) 内科学一般、消化器、肝臓病学 肝硬変合併症の病態生理学的背景と治療 胆汁酸代謝、胆汁酸の免疫 次の学会長を務めた。
小黒 八七郎(おぐろ やなお、1929年〈昭和4年〉7月24… 小黒 八七郎(おぐろ やなお、1929年〈昭和4年〉7月24日 - 1997年〈平成9年〉11月18日)は、日本の医師・内科学者・消化器病学者。学位は、医学博士(東京大学・1959年)。位階は従四位、勲三等瑞宝章受章。 新潟県三島郡寺泊町(現長岡市)出身。 祖父は医師で儒学者、父親はじめ兄弟も医師。 新潟県立新潟中学校を経て1945年海軍兵学校に入学。その後、1953年東京大学医学部に入学、首席で卒業。 日本に内視鏡治療を広めたパイオニア、内視鏡レーザー治療による胃癌治療の第一人者である。 『胃癌の内視鏡診断の確立』により田宮記念賞受賞。 母校の第一内科研究生・講師を経て、1962年から国立がんセンターの内科医長・内視鏡部長を歴任。
なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は… なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は、日本の精神科医・作家・評論家。日本テレビ放送番組審議会委員。 本名は堀内 秀(ほりうち しげる)。「なだいなだ」はペンネームで、スペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来する。本名名義での翻訳書もある。 東京生まれ。両親は蒲田で小さな酒屋を営んでいたが、大震災で店が焼失してしまったので、酒屋稼業に見切りをつけて、御嶽山と呼ばれる田園地帯(現:東京都大田区)に移り、自宅を建てた。家の周りはじゃがいも畑だらけだったという。父は耕地整理組合に勤めた。 1942年旧制の私立麻布中学に入学。同級生に小沢昭一、フランキー堺、加藤武、仲谷昇、2年上に北杜夫、3年上に奥野健男、5年上に吉行淳之介がいた。
加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日… 加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日 - 2023年〈令和5年〉1月12日)は、日本の小説家、医学者(犯罪心理学)、精神科医。勲等は旭日中綬章。学位は医学博士(東京大学・1960年)。日本芸術院会員、文化功労者。本名は小木 貞孝(こぎ さだたか)で、本名でも著作がある。 東京大学医学部助手、東京大学医学部脳研究所助手、東京拘置所医務部技官、フランスのパリ大学サンタンヌ病院とサンヴナン病院の医師、東京大学医学部附属病院精神科助手、東京医科歯科大学医学部助教授、上智大学文学部教授などを歴任した。 東大を卒業してフランスに留学した後、『帰らざる夏』(1973年)で谷崎潤一郎賞を受賞。
坪井 榮孝(つぼい えいたか、1929年3月22日 - 20… 坪井 榮孝(つぼい えいたか、1929年3月22日 - 2016年2月9日)は日本の医師。元日本医師会会長、元世界医師会会長。郡山市名誉市民。専門は呼吸器内科(呼吸器がん全般)。叙正三位。 福島県郡山市生まれ。旧制安積中学校(現福島県立安積高等学校)を経て、1952年、日本医科大学卒業。1953年に医籍登録。国立がんセンター病院放射線部医長を経て、1970年、福島県郡山市にて坪井診療所を開設する。1974年、慈山会医学研究所を設立し、理事長に就任。同研究所付属坪井病院において地域医療に従事する。2011年6月より財団法人慈山会医学研究所付属坪井病院名誉理事長。 医師会の活動としては福島県医師会役員を経て、1988年より日本医師会常任理事。
小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日… 小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日 - 2010年(平成22年)9月27日)は、日本の精神科医、作家、翻訳家。 日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰。 青森県弘前市出身。1953年(昭和28年)、新潟大学医学部卒業。1959年(昭和34年)、東京大学大学院修了、医学博士。大宅壮一東京マスコミ塾第7期生。上智大学カウンセリング研究所教授を経てメンタル・ヘルス国際情報センター所長。 洋子夫人は東山あかねという筆名で、「二人で一人」と公言している位である。「シャーロック・ホームズ」関連の共著・訳を中心に数十冊刊行している。 小林は極めて闊達なエスペランティストとしても知られ、日本エスペラント学会の顧問でもあった。
有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 202… 有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 2022年12月12日)は、日本の医師、医学者。小児科学と神経科学が専門で、小児神経学、障害児医学(障害者医学)のパイオニア。国立精神・神経医療研究センター病院(旧:国立精神・神経センター武蔵病院)名誉院長、東京都立東部療育センター名誉院長、日本重症心身障害学会名誉理事長、日本発達障害学会第4代会長。学位は、医学博士。 1971年に乳幼児に発症する常染色体劣性遺伝性疾患「有馬症候群」を報告したことで知られる。 1929年に鹿児島県鹿児島市で生まれる。父方の故郷は同県日置郡伊集院町(現:日置市)。幼少期より鹿児島、伊集院、佐世保、呉、杉並、木更津、逗子と、転居・転校を繰り返し、1942年に旧制神奈川県立湘南中学校(現:神奈川県立湘南高等学校)へ入学。
下坂 幸三(しもさか こうぞう、1929年2月14日 - 2… 下坂 幸三(しもさか こうぞう、1929年2月14日 - 2006年3月26日)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神分析学。元順天堂大学医学部助教授。医学博士。摂食障害の治療で知られる。 精神分析学、精神病理学の広汎な知見をもとに、主として摂食障害の治療を行った。家族面接を基盤とした治療法の開発や、摂食障害・強迫性障害に関する業績で知られる。
長島 正治(ながしま まさじ、1929年2月6日 - 201… 長島 正治(ながしま まさじ、1929年2月6日 - 2010年5月30日)は、日本の医学者、皮膚科医。杏林大学医学部皮膚科初代教授。色素性痒疹を提唱したことで知られる。日本臨床皮膚科学会会長も務めた。
長谷川 和夫(はせがわ かずお、1929年2月5日 - 20… 長谷川 和夫(はせがわ かずお、1929年2月5日 - 2021年11月13日)は、日本の医学者・精神科医。認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。専門は老年精神医学・認知症。認知症医療の第一人者と称された。 愛知県東春日井郡牛山村(現・春日井市牛山町)で銀行員の子として生まれる。18歳ころにキリスト教徒となる。1953年に東京慈恵会医科大学(慈恵医大)を卒業する。IBC(基督教事業連合委員会)のキリスト教振興事業のひとつである留学生派遣に選ばれて1956年から2年間米国へ留学し、米国で最古かつ最大の精神病院聖エリザベス病院とジョンズ・ホプキンズ病院で研修生として精神医学と脳波学を学ぶ。
玉置 敏夫(たまき としお、1929年 - )は日本の歯学者… 玉置 敏夫(たまき としお、1929年 - )は日本の歯学者、歯科医師。大阪歯科大学客員教授。元大阪歯科大学歯科技工士専門学校校長。 全国歯科技工士教育協議会会長、日本歯科技工学会会長、【歯科技工士養成の在り方に関する検討会(厚生労働省)】委員長を歴任
丹澤 章八(たんざわ しょうはち、1929年 - )は、日本… 丹澤 章八(たんざわ しょうはち、1929年 - )は、日本の医師、医学博士。明治国際医療大学名誉教授。 1951年松本医学専門学校(現信州大学医学部)卒業。神奈川県総合リハビリテーションセンター・七沢リハビリテーション病院にてリハビリテーション部長および東洋医学科部長を務めた。明治鍼灸大学大学院教授、社団法人全日本鍼灸学会会長を歴任。 1929年、東京に生まれる。1951年、信州大学松本医学専門学校(現信州大学医学部の前身)を卒業し医師となる。1957年に京都府立医科大学で医学博士を取得し、産婦人科医として臨床にあたった。1959年、厚生技官を経て家庭の事情により医師を退き、その後13年間、製薬業界で実業家として活動した。
井上 令一(いのうえ れいいち、1929年 - )は、日本の… 井上 令一(いのうえ れいいち、1929年 - )は、日本の精神科医である。順天堂大学名誉教授。財団法人順天堂精神医学研究所所長。専門分野は臨床精神医学全般、脳波学、神経生理学。東京都杉並区出身。 1950年武蔵大学医学部進学過程卒業、1956年順天堂大学医学部卒業。その後、順天堂大学名誉教授、(財)順天堂精神医学研究所所長となり、東京産業推進センターの相談役として、企業のメンタルヘルスにも応じている。その功績によって、東京労働局から局長賞を受賞した。
安永 浩(やすなが ひろし、1929年 - 2011年)は、… 安永 浩(やすなが ひろし、1929年 - 2011年)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。元東京大学医学部助教授。学位は、医学博士(東京大学・1960年)。東京生まれ。 統合失調症に関してファントム理論(詳細は後述)を著した。笠原嘉、中井久夫、木村敏、宮本忠雄らと共に、日本の精神病理学第2世代を代表する人物である。 統合失調症に関するワークショップの成果をまとめた『分裂病の精神病理』にも参加した(詳細は当該記事を参照)。日本精神病理学会所属。 1928年東京生まれ。1953年東京大学医学部卒業。 東京大学医学部助手、東京拘置所医務部、東京家庭裁判所医務室、東京都立松沢病院勤務。1962年東京大学医学部講師、東大分院神経科病棟医長。
伊東 貞三(いとう ていぞう、1929年 - 2025年9月… 伊東 貞三(いとう ていぞう、1929年 - 2025年9月19日)は、日本の医師。内科医。昭和天皇の侍医を務めた。小田原新幹線クリニック院長、小田原循環器病院医療顧問を経て、三宿病院循環器内科勤務。幕末・維新期の蘭方医・伊東玄朴の子孫にあたる。医学博士。 東京都出身。1947年、法政二中卒業。1955年、東京大学医学部卒業。1961年、同大学医学部生物系研究科修業、医学博士。1976年、UCLA留学。 1983年〜1989年、宮内庁に入り昭和天皇及び香淳皇后の侍医を務める。1989年〜2000年、皇太后宮(香淳皇后)侍医。 2001年、勲三等瑞宝章受章。 2000年〜2010年、小田原新幹線クリニック院長。
関根 日出男(せきね ひでお、1929年 - 2017年1月… 関根 日出男(せきね ひでお、1929年 - 2017年1月18日)は、医師、チェコ語の翻訳家、チェコ音楽研究家。 長野県北安曇郡大町(現大町市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、大阪陸軍幼年学校を経て、旧制松本医学専門学校(信州大学医学部)卒。1959年北海道大学医学博士。東京都内に耳鼻科医院を開業、同院長。1959年からチェコ音楽を研究、1964年からチェコ語を研究し、翻訳する。
関口 豊三(せきぐち とよぞう、1929年 - 2012年)… 関口 豊三(せきぐち とよぞう、1929年 - 2012年)は、日本の医学者、医師。 東京帝国大学医学部卒業。東京大学医学部助教授(放射線生物研究室)、国立がんセンター研究所放射線生物研究室長、財団法人河野臨床医学研究所副所長を歴任。 主婦の友新書として出版された著書「幸子」がテレビドラマ化され、1966年2月18日の近鉄金曜劇場としてゴールデンタイム(20時~20時56分)にJNN系列で放送された。 1984年、「哺乳動物再構成細胞による遺伝子発現の新たな制御機構、細胞質制御の分子生物学的アプローチとその医学的意義」で第21回ベルツ賞2等賞を受賞。この年の1等賞受賞者は、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞する本庶佑であった。
蠣崎 要(かきざき かなめ、1929年 - 1980年3月2… 蠣崎 要(かきざき かなめ、1929年 - 1980年3月20日)は、日本の産婦人科医。北海道森町出身。愛称は「がま先生」。医学博士。日本ペンクラブ会員、日本文芸家協会会員。 1954年(昭和29年)、弘前大学卒業後、九州大学講師を経て1964年、国立浜松病院産婦人科医長に就任。1967年、静岡県浜松市にがま産婦人科医院を開業した。1972年(昭和47年)には鍼麻酔を使った帝王切開手術を日本で初めて成功させている。この他、テレビや雑誌にセックスカウンセラーとして出演した。 1980年3月20日、自宅の火事により妻、長女、住み込みの助産婦とともに焼死した。49歳没。 国立国会図書館サーチより作成 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
久保田 康耶(くぼた やすや、1928年12月3日 - 20… 久保田 康耶(くぼた やすや、1928年12月3日 - 2010年11月14日)は、日本の歯学者・医師・歯科医師。東京医科歯科大学歯学部歯科麻酔学講座教授。国際歯科麻酔学連合初代会長。元日本歯科麻酔学会理事長。日本で最初の歯科麻酔学の教授。 歯科麻酔、障害者歯科の普及に努め、歯科麻酔学の父とよばれることもあり、1979年に立ち上げた沖縄県重度心身障害者全身麻酔下歯科治療事業は2010年現在も継続されている。 1950年に東京医学歯学専門学校医学科を、1957年東京医科歯科大学歯学部を卒業、同大学院、歯学部助手、講師、助教授を経て1967年東京医科歯科大学歯学部歯科麻酔学講座教授に就任、1994年より名誉教授。
手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治〈読み同じ〉、19… 手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治〈読み同じ〉、1928年〈昭和3年〉11月3日 - 1989年〈平成元年〉2月9日)は、日本の漫画家、アニメ監督、医師。学位は医学博士(奈良県立医科大学、1961年)。大阪府豊能郡豊中町(現・豊中市)生まれ、兵庫県宝塚市出身。宝塚市名誉市民。大阪帝国大学附属医学専門部(現・大阪大学医学部)卒業。戦後日本に於いて、漫画表現の開拓者的存在として、デビューから死の直前まで第一線で作品を発表し続け、存命中から「マンガの神様」と評された。 大阪帝国大学附属医学専門部在学中の1946年1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビュー。
清水 妙正(しみず みょうせい、1928年10月29日 - … 清水 妙正(しみず みょうせい、1928年10月29日 - 2004年4月23日)は、日本の整形外科医。 整形外科医でありながら、柔道に長けており晩年には八段を取得。叔父には柔道の神様と呼ばれた三船久蔵十段がいた。 1996年に自らが経営する病院で、外来患者の診察にあたっていた。午後の三時から四時ごろ突然、腹部に激痛が走りそのまま倒れ、岩手医大に搬送され検査をした所ガンとの診断。手術・三大療法等の治療を拒否をした。 後に、MD-フラクションエキス・MD-フラクションタブレット・AHCCイムノメディックピュアタイプ・フコイダン等の健康食品と出会い、ガンを克服(今では一般的な免疫治療である[要出典])。
森岡 俊夫(もりおか としお、1928年10月15日 - )… 森岡 俊夫(もりおか としお、1928年10月15日 - )は、日本の歯科医師・歯学者。九州大学名誉教授、元九州大学歯学部予防歯科学講座教授、大垣女子短期大学名誉教授、日本歯科学院専門学校理事、学科長。元日本レーザー歯学会理事長、元ピエールフォシャールアカデミー国際歯学会日本部会会長。 1949年大阪歯科医学専門学校卒業、1950年 大阪大学医学部選科修了。以後大阪大学助手、講師、助教授を経て1970年より九州大学教授に就任。1958年 医学博士 論文の題は「免疫溶菌現象の機作に関する実験的研究 」。1992年同大学名誉教授、大垣女子短期大学教授、1999年日本歯科学院専門学校理事、学科長に就任。
三木 申三(みき しんぞう、1928年10月4日 - 201… 三木 申三(みき しんぞう、1928年10月4日 - 2010年10月26日)は、日本の医師、政治家。徳島県知事(3期)、徳島県議会議員(3期)を歴任した。 徳島県麻植郡山川町(現在の吉野川市山川町)出身。旧制徳島県立麻植中学校(現在の徳島県立川島高等学校)を経て、1954年に徳島医科大学(現在の徳島大学医学部)を卒業。三菱鉱業大夕張炭鉱病院で勤務医を務めた後、郷里の山川町で医院を開業した。 1967年徳島県議会議員に初当選し、以来連続3期当選した。1977年知事選に出馬するが惜敗。1981年知事選で雪辱を果たした。1981年10月9日から1993年10月4日まで3期12年間知事を務め、明石海峡大橋の工事計画や橘湾石炭火力発電所の稼働など多くの実績を残した。
藤縄 昭(ふじなわ あきら、1928年10月4日 - 201… 藤縄 昭(ふじなわ あきら、1928年10月4日 - 2013年1月29日 )は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。学位は、医学博士(京都大学・1959年)。京都大学名誉教授。国立精神・神経センター精神保健研究所所長などを歴任。 兵庫県神戸市生まれ。京都大学精神科において村上仁教授のもとで精神病理学を学んだ。加藤清、笠原嘉、木村敏らと共に研究を行い、『京都学派』を形成した。 1928年兵庫県神戸市生まれ。1953年京都大学医学部医学科卒業。1960年四日市日永病院、三重県立大学医学部講師。1959年京都大学より医学博士の学位を取得。1976年京都大学教養部教授。1977年-1983年文部省在外研究によりウィーン大学、ミュンヘン大学精神医学教室出張。
西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2… 西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2022年4月19日)は、日本の医学者・精神科医。福岡大学名誉教授。学位は、医学博士(論文博士・1959年)(学位論文「神経症に関する臨床的研究」)。 福岡県生まれ。1953年九州大学医学部卒業。1959年論文「神経症に関する臨床的研究」で医学博士の学位の取得。 1971年九州大学医学部助教授。1973年福岡大学医学部教授。医学部学部長。1993-2001年WHO協力センター(福岡大学)所長。1999年定年退任、名誉教授。 1999年、福岡市博多区に心理社会的精神医学研究所を開設して活動の拠点としたが、2019年に自ら閉鎖。 長いキャリアの間に、日本精神神経学会、日本精神分析学会、西太平洋地域医学教育連合、環太平洋精神科医会議、アジア児童思春期精神医学会、多文化間精神医学会、日本精神分析協会の会長などを歴任した。
菅 朝照(かん ともてる、1928年〈昭和3年〉9月24日 … 菅 朝照(かん ともてる、1928年〈昭和3年〉9月24日 - 2000年〈平成12年〉3月31日)は、日本の政治家、歯科医師。愛媛県北条市(現・松山市)長(2期)。位階は正六位。 愛媛県出身。東京歯科医学専門学校(現・東京歯科大学)卒業。地元で歯科医を開業し、北条市歯科医師会会長、愛媛県歯科医政治連盟副会長などを務める。1987年愛媛県議会議員選挙に立候補し、当選。2期務める。1992年北条市長選挙に立候補し、現職を破って初当選する。1996年に再選。2000年1月31日北条市長のまま死去。死没日付をもって正六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
鈴木 清(すずき きよし、1928年9月21日 - )は、日… 鈴木 清(すずき きよし、1928年9月21日 - )は、日本の医師、教育学者。青山学院大学名誉教授。 愛知県出身。1945年(昭和20年)旧制愛知県立津島中学校(現・愛知県立津島高等学校)卒業。1953年(昭和28年)慶應義塾大学医学部卒業。 1954年(昭和2年)12月から1960年(昭和28年)3月まで慶応堂病院に在籍。この後、転出して東京医科歯科大学第二内科学講師。後に青山学院大学公衆衛生学教授、青山学院診療所長を務める。現在は青山学院大学名誉教授。
森 納(もり おさむ、昭和3年(1928年)9月1日 - 平… 森 納(もり おさむ、昭和3年(1928年)9月1日 - 平成24年(2012年))は、日本の医師、郷土史研究家。森医院理事長。医学博士。 鳥取県西伯郡夜見村(現・米子市夜見町)に生まれる。鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)を経て、昭和26年(1951年)米子医学専門学校卒業。昭和27年(1952年)鳥取大学医学部第二内科研究生、西伯病院勤務。 昭和36年(1961年)島根県大田市祖式診療所長。昭和41年(1966年)鳥取県岩美郡国府町糸谷で開業。岩美郡医師会理事、鳥取県東部医師会理事、鳥取県医師会理事を歴任した。 森が20歳になる前、米子医学専門学校3年の時に父が死去。残されたものは先祖伝来の土地の一部、五反ほどの畑と借金だけであった。
稲葉 右二(いなば ゆうじ、1928年8月13日 - 201… 稲葉 右二(いなば ゆうじ、1928年8月13日 - 2017年1月8日)は、日本の獣医師。学位は医学博士(順天堂大学・1961年)。元日本大学教授。 畜産農家に恐れられていた牛の伝染病「牛流行熱」「イバラキ病」「アカバネ病」の原因がアルボウイルスであることを突き詰め、診断法やワクチンを開発した。家畜衛生試験場製剤研究部長、日本ウイルス学会理事、日本大学生物資源科学部教授、獣医師免許審議会委員などを歴任した。 1971年、「牛の流行熱の研究」により日本獣医学会賞を受賞。1977年、「牛流行熱及び牛伝染性鼻気管炎の予防液の開発」により農林水産省職員功績者。1994年、「各種牛のウイルス病の防除技術の開発及び実用化に関する研究」により日本農業研究所賞を受賞。
石川 達也(いしかわ たつや、1928年7月21日 - 20… 石川 達也(いしかわ たつや、1928年7月21日 - 2014年7月2日)は、日本の歯科医師、歯学者。元東京歯科大学学長、名誉教授、歯科保存学第三講座教授。元日本全身咬合学会会長、元日本コンピューター歯科医学会会長。 1951年神戸経済大学卒業、1955年東京歯科大学卒業。以後、同大学助手、講師、助教授を経て1965年教授に就任。1995年より2004年まで東京歯科大学学長。 この項目は、歯学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:歯学/Portal:医学と医療)。
川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 20… 川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 2015年5月22日)は日本の医師(外科医)。 長野県長野市出身。1952年に名古屋大学医学部卒業。1953年、暁子(さとこ)と結婚。夫婦として医師として一緒に歩み始める。 1962年JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)入会。理事を務めた。 アメリカ合衆国のオールバニ医科大学(en)留学を経て一般外科、胸部外科にたずさわる。 1976年ネパール王国での短期医療協力の経験を生かし、1980年アジア保健研修所を設立。1981年愛知国際病院を開設し院長に就任。 1992年老人保健施設 愛泉館発足。1999年よりホスピス病棟を開設。 1959年 医学博士(名古屋大学)。
阪本 健二(さかもと けんじ、1928年6月26日- )は、… 阪本 健二(さかもと けんじ、1928年6月26日- )は、日本の精神科医。 大阪府に坂本病院創設者・阪本三郎の長男として生まれる。弟は阪本良男。1953年京都大学医学部卒、55年助手、1956年ニューヨーク大学ベルビュー病院助手、57年ロンドン大学神経学研究所助手、58年阪本病院副院長、1959年京都大学医学博士。62年京大講師。68年父三郎の死により阪本病院院長、1979年財団法人阪本精神病理学研究所設立。長女の夫は岩井圭司(神戸大学医学博士、兵庫教育大学教授)。
中嶋 宏(なかじま ひろし、1928年5月16日 - 201… 中嶋 宏(なかじま ひろし、1928年5月16日 - 2013年1月26日)は、日本の医師、神経精神医学者。位階は従三位。勲等は勲一等。 世界保健機関(WHO)事務局長(第4代)を務め、国連傘下の国際機構を率いる長としては初めての日本人であった。東京医科大学難病治療研究所所長、国際医療福祉大学国際医療福祉総合研究所所長なども歴任した。 千葉市に生まれ、1955年(昭和30年)に東京医科大学を卒業。 その後、パリ大学において、薬物が脳や神経への効果を通していかにして人間の行動に影響するかを研究する、神経精神薬理を専攻した。その間、1956年もしくは1958年(昭和31-33年)から1967年(昭和42年)までフランス保健医療研究局(INSERM)に科学者として勤務し、同分野での基礎研究と臨床研究を継続した。
中浜 博 (なかはま ひろし、1928年5月16日 - 20… 中浜 博 (なかはま ひろし、1928年5月16日 - 2008年4月3日)は、医師。元聖霊病院(名古屋)院長。専門は、心臓外科で、医学博士(名古屋大学)。スペイン医学博士。東京都出身。ジョン万次郎の直系の子孫(4代目)で、日本海事史学会会員でもあり、ジョン万次郎に関する研究と著作で知られる。 中浜東一郎の長男・清の子として生まれる。学習院高等科(旧制)を経て、名古屋大学医学部を卒業。その後、心臓外科治療の研究のためスペインに赴き、マドリッド大学大学院を修了。帰国後、東京において、聖母病院、東京厚生年金病院に勤務した後、1996年名古屋に移住。以後、聖霊病院院長、中日病院外科部長等を歴任した。2008年4月3日、虚血性心疾患のため79歳で死去。