金光 威和雄(こんこう いわお、1933年 - 2022年3… 金光 威和雄(こんこう いわお、1933年 - 2022年3月21日)は日本の作曲家。東京都生まれ。 1957年、東京芸術大学作曲科卒業。翌年同専攻科修了。 日本音楽コンクールにおいて、第26回、第27回の作曲・管弦楽の部で第2位受賞。 1964年、第1回エレクトーンコンクール作曲部門で第3位入賞。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月2… 山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 2003年〈平成15年〉4月12日)は、日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。 岡本 正美(おかもと まさみ)名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな前衛風な響き、構成の作品が多い。上皇后美智子の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。 遠縁に吉永小百合がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士)という情報があるが、事実ではない。
高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2… 高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2020年8月31日)は、日本のミュージカル作曲家、編曲家、演出家。大阪音楽大学卒業。元宝塚歌劇団作曲家(1992年まで在籍)。 関西のミュージカル劇団、日本ミュージカル研究会・劇団JMA 創立者・主宰、但馬ミュージカル研究会 創立者・芸術監督、市民ミュージカル劇団『希望』創立者代表・芸術監督を務める。宝塚歌劇団時代の主な作品に、虞美人、華麗なる千拍子、ワン・ボーイ、ガールス・オー!ガールス、ほか。劇団のモットーは、芸術+エンターテイメント=JMAミュージカル。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、日本の指揮者、作曲家。コンサートや映画音楽のレコーディング等で活動している。 福岡県に生まれる。福岡県立八女高等学校卒業後、武蔵野音楽大学作曲学科に入学し、クラウス・プリングスハイムに作曲を師事する。1957年、日本フィルハーモニー交響楽団に打楽器奏者として入団する。1960年代はニューディレクション設立にあたり同人として現代音楽と積極的に拘わる。傍ら指揮を渡邉暁雄に師事し、室内合奏団(スペルーロ合奏団)を組織し、放送(NHK-FM)、演奏会などで指揮活動を行う。 1970年、日本フィルを退団と同時に打楽器奏者を引退、同年日本フィル特別演奏会において指揮者としてデビューする。
永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日-20… 永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日-2020年12月17日)は、日本の現代音楽の作曲家、音楽教育家。東京芸術大学名誉教授。永富正之とも表記される。妻はピアニストの永冨和子。 1932年兵庫県西宮市生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科に学び、池内友次郎、伊福部昭に師事。一級下に作曲家の助川敏弥がいる。1954年に管弦楽作品「演奏会用アレグロ」が第23回日本音楽コンクール作曲部門第3位に入選する。1955年卒業。 1959年フランスに留学、パリ国立高等音楽院に学び、トニー・オーバン、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事。ピュイグ=ロジェに師事した外国人学生は永冨が第1号であった。同時期に留学していた作曲家には篠原眞がいる。
川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月… 川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月29日 - )は、日本の作曲家。青森県出身。東京藝術大学音楽部作曲科卒業。多くの合唱曲を作曲している。作曲家の川崎絵都夫は息子にあたる。
安田 伸(やすだ しん、1932年〈昭和7年〉9月19日 -… 安田 伸(やすだ しん、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 1996年〈平成8年〉11月5日)は、日本のサックス奏者、コメディアン、元ハナ肇とクレイジーキャッツのメンバー、俳優、作曲家。本名は安田 秀峰(やすだ ひでみね)。愛称はヤッさん。 現在の東京都中野区江原町生まれ。父は佐賀県出身で、右翼活動や満州の諜報活動をしていたが、やがて毛皮と皮革の商売を始めた。生後まもなく川崎市の溝の口の大山街道沿いに移り、川崎市立高津小学校6年生のとき旧町役場の延焼を防ぐために強制疎開となる。母の実家がある川崎市柿生を経て厚木市に移り、旧制厚木中学校(現在の神奈川県立厚木高等学校)1年生のとき敗戦を迎える。軍人志望で陸軍幼年学校に願書を出していたが敗戦によって音楽の道に志望を変更し、コルネットを独学で学ぶ。
湯山 昭(ゆやま あきら、1932年9月9日 - )は日本の… 湯山 昭(ゆやま あきら、1932年9月9日 - )は日本の作曲家。
仲俣 申喜男(なかまた のぶきお、1932年9月8日 - 2… 仲俣 申喜男(なかまた のぶきお、1932年9月8日 - 2017年12月3日)は、富山県生まれの現代音楽作曲家。 東京大学文学部卒業。作曲を間宮芳生、清瀬保二、オリヴィエ・メシアンに師事。1964年に同門の宗像和とグループ野火を結成。日本音楽集団、現代の音楽展(主催:日本現代音楽協会)などで作品を発表。寡作家ながら、独自性溢れる清新な作風で注目を集める。特に、伝統楽器に対する斬新なアプローチは高い評価を得、邦楽器作品に携わる多くの作曲家たちに多大な影響を与えた。近年では、鳥の歌の研究に基づく作品を多く手掛けている。 現在、日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、日本野鳥の会各会員。 鳥の歌の研究につづいて<風の鳥>シリーズ以降、次のような作品中に、さまざまな形でそれら鳥の声・歌が聞かれる。
和田 香苗(わだ かなえ、1932年9月3日 - 2001年… 和田 香苗(わだ かなえ、1932年9月3日 - 2001年2月8日)は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。愛媛県宇和島市出身。男性。 主にアニメソングや演歌の作・編曲家として知られている。アニメの代表作としてはタツノコプロ製作アニメーション作品のコロムビアレコードの作曲、編曲を多数手掛け『紅三四郎』(丘灯至夫 詩 堀江美都子 唄)、『ハクション大魔王』のエンディング曲『アクビ娘』や『昆虫物語みなしごハッチ』のエンディング曲『ママをたずねて』などがある。 その一方で『会津の小鉄』(作詞:松島一夫 = 宮川左近ショー 、唄: 京山幸枝若 、1967年 キングレコード)、また「ご当地ソング」の先駆けともなった『新宿ブルース』(作詞:滝口暉子、唄: 扇ひろこ 、1967年日本コロムビア)など演歌の大ヒット曲も同時期に手掛けている。
久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26… 久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26日 - 2011年〈平成23年〉3月4日)は、日本の作曲家、合唱指揮者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市西区出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に新潟大学教育学部音楽科を卒業、東京芸術大学委託課程を修了。山田常三、石桁真礼生、松本民之助、柏木俊夫らに師事。 新潟大学教育学部音楽科教室助手、助教授を経て、1981年(昭和56年)から1年間、文化庁芸術家在外研修員としてアメリカのイェール大学宗教音楽研究所に留学、1982年(昭和57年)に教授に就任、1998年(平成10年)に退官。 2011年(平成23年)3月4日午前8時10分に新潟市西区寺地の済生会新潟第二病院で膵臓癌のため死去、78歳没。
伊藤 雪彦(いとう ゆきひこ、1932年8月17日 - )は… 伊藤 雪彦(いとう ゆきひこ、1932年8月17日 - )は、愛知県豊橋市出身の作曲家・編曲家。日本音楽著作権協会評議員、日本作曲家協会理事。東京都中野区に伊藤雪彦音楽事務所を持つ。 全日本カラオケ王座決定戦の第10回(1999年)から第14回(2003年)まで「伊藤雪彦賞」が設置された。2003年2月に「豊橋ふるさと大使」に任命された。作曲した代表曲には、八代亜紀「おんな港町」(1977年)、「恋歌」(1977年)などがある。2011年と2014年に、日本音楽著作家連合「藤田まさと賞」を受賞した。
小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11… 小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11日 - 2021年〈令和3年〉5月30日)は、日本の作曲家、作詞家、俳優、タレント。 日本作詞作曲家協会(J-scat)理事、大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯で6,000曲以上を残した。1976年に「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。 妹はイラストレーターの川村みづえ。次男は元俳優・元学習塾講師の小林朝夫。従甥(母・塩子の兄の孫)に経済学者の有賀敏之がいる。 東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ、杉並区堀ノ内で育った。父方の祖父は新潟で病院を経営していた医師、父は逓信省の官僚、母は新築地劇団の元女優で、小林を産むまで劇団に所属していた。
川越 守(かわごえ まもる、1932年8月5日 - 2017… 川越 守(かわごえ まもる、1932年8月5日 - 2017年12月9日)は、北海道出身の日本の作曲家、指揮者。 北海道を中心に活動した作曲家で、地域の演奏団体、劇団等のために100曲を超える作品を作曲した。 1952年に北海道大学へ入学し北海道大学交響楽団へ入団、1955年には北大交響楽団の常任指揮者に就任した。 1956年に教育学部教育学科音楽専攻を卒業後、1987年まで北海道学芸大学(現北海道教育大学札幌校)で非常勤講師を務めた。 1960年より作曲活動を開始し、主な作品として「北海の幻想」、札幌市の市歌「市民の歌」、「交響詩“サッポロ”」などが知られている。 1970年から札幌大谷短期大学及び1983年から北海道教育大学岩見沢校で1998年まで非常勤講師を務めた。
尾原 昭夫(おばら あきお、1932年6月30日- )は、作… 尾原 昭夫(おばら あきお、1932年6月30日- )は、作詞・作曲家/わらべうた・子どもの文化史研究家。 1932年(昭和7年)島根県簸川郡直江村(現出雲市斐川町直江)生まれ。1958年に島根大学教育学部特設音楽科を卒業(作曲・理論専攻)。上京後、東京都公立小学校・養護学校・盲学校音楽専科教諭として教職のかたわら、日本のわらべうた・民謡の採集・研究を行う。1976年久留島武彦文化賞、1993年毎日出版文化賞特別賞(『日本わらべ歌全集』共著)、1994年田村虎蔵特別賞(鳥取県)。2017年 第41回鳥取県出版文化賞影井賞 1932年(昭和14年)島根県簸川郡直江村立直江小学校入学 。 1945年(昭和20年)島根県簸川郡直江村立直江国民学校卒業、島根県立大社中学校入学 。
船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日… 船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉2月16日)は、日本の作曲家、歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。歌謡曲の作曲家として初めて文化勲章を受章した。位階は従三位。 栃木県塩谷郡船生村(現、塩谷町)出身。栃木県立今市中学校(旧制中学校)、東洋音楽学校ピアノ科卒業。 獣医だった父親がクラシックレコードの収集家であったことや、小学校時代にブラスバンド部でトランペットを吹いていたことなどもあり音楽の道を志す。
端山 貢明(はやま こうめい、1932年〈昭和7年〉4月28… 端山 貢明(はやま こうめい、1932年〈昭和7年〉4月28日 - 2021年〈令和3年〉5月11日)は、日本(東京都出身)の作曲家、メディア研究者、東北芸術工科大学名誉教授。 1932年、東京に生まれる。東京藝術大学音楽学部在学中に、『ヴィオラ協奏曲』(1955)を作曲し文化庁芸術祭文部大臣賞を受賞。同大学卒業後、1957年、フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立音楽院でオリヴィエ・メシアンらに学ぶ。 1959年帰国し作曲を続ける。NHKの放送音楽、映画音楽なども手掛ける。また、芸術的表現と社会的コミュニケーションのメディアとしてのコンピュータに着目した研究活動に取り組む。1969年、『ピアノと管弦楽のための交響的変容』が文化庁芸術祭ラジオ音楽の部優秀賞を受賞。
冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 … 冨田 勲(とみた いさお、1932年〈昭和7年〉4月22日 - 2016年〈平成28年〉5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト(シンセサイザー音楽作家、シンセサイザー奏者)。 1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、映画、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの作品がCD等で愛聴されている。#主な作品を参照。
坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 20… 坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 2022年12月3日)は、日本のバリトン歌手、作曲家、音楽教育者。東京府出身。 1954年、東京藝術大学声楽科卒業。 声楽を城多又兵衛、リア・フォン・ヘッサート(独)、ガエターノ・コメッリ(伊)に、ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、渡邉暁雄に師事。 1957年、藤原歌劇団公演「ラ・ボエーム」マルチェロ役でデビュー。 1960年代初頭ごろ、高島一恵に音楽を教えていた。 1963年から1964年にかけて放送されたNHK総合テレビの音楽番組「歌おう世界の友よ」で歌と司会を担当。 1969年、サカモト・ミュージック・スクールを設立し校長に就任する。
柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ … 柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ まさすけ)、1932年3月28日 - )は、日本の作曲家、合唱指揮者。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒。声楽を畑中良輔、畑中更予、作曲を松本民之助、指揮を渡辺暁雄に師事。1959年、第二次イタリアオペラ日本公演に出演、大歌手を間近に接し大きな示唆を受ける。東京室内歌劇場の副指揮者も務めた。1957年、自身が指揮者を務める合唱団の連合会を提唱し、当初は6団体で結成。クールスィスと命名し、26回の演奏会の後、解散。この間東京交響楽団他のオーケストラ、室内楽団、中澤桂・立川澄人ら著名ソリストで、ハイドンのオラトリオ四季、ブラームスの哀悼歌および運命の歌、モーツァルト、フォーレ、ケルビーニ等のレクイエムを指揮。
福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 -… 福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 - 2005年1月21日)は、日本の作曲家。熊本県八代市出身。 終戦後に結核に侵され、23歳まで療養生活を送る。この間、東京音楽学校(現・東京藝術大学)の通信教育で作曲を学び始める。回復後、東京に出るまでは保険の勧誘員やミシンのセールスマン、五木の山に行って飯場の仕事などをしていた。 東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)卒業。作曲を箕作秋吉、指揮法をアルベルト・レオーネに師事。1962年、「ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー」で第2回TBS賞(日本を素材とする管弦楽曲募集)入賞。1963年、「オーケストラのための<三連画>」で第32回日本音楽コンクール第3位入賞。
今田 勝(いまだ まさる、1932年3月21日 - 2025… 今田 勝(いまだ まさる、1932年3月21日 - 2025年5月30日)は、日本のジャズ・ピアニスト、作曲家。 1932年3月21日、東京生まれ。若い頃、クラシック・ピアノのレッスンを受けた。明治大学在学中に学生バンドでジャズを演奏し、それから1年間ビジネスマンとなって仕事した。その後、プロとして音楽の道を追求することを決心。1953年からクラリネット奏者である北村英治のバンドの一員となった。 1964年から自身のトリオを率いた。1984年にフュージョン・バンドの「NOWIN (ナウイン)」を結成。1970年代からジャズ・フェスティバルで国際的に演奏を行ってきた。 2015年には、コンサートや日本クルーズ客船、太平洋マスターズ等のイベントで活動しており、ライブ・ハウス「六本木サテンドール」には毎月レギュラーで出演していた。
宮内 國郎(みやうち くにお、1932年(昭和7年)2月16… 宮内 國郎(みやうち くにお、1932年(昭和7年)2月16日 - 2006年(平成18年)11月27日)は、日本の作曲家。宮内 国郎と表記されることも多い。 東京府出身。実家は印刷業を営んでいた。 少年時代、音楽好きであった兄の影響でクラシック音楽に親しみ、16歳のときにジョージ・ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』を見てジャズに傾倒する。国立音楽大学附属高等学校に入学、松本文男に師事し、トランペット奏者を志したが、高校2年生の時、軽い肺結核を患い断念した。服部正、入野義朗、斎藤一郎などの指導を受けながら、作曲家としての修業を積む傍ら、フリーの立場でアレンジを中心に、民放ラジオ局ニッポン放送関係の仕事に従事する。
安藤 実親(あんどう さねちか、(本名:安藤 實親)1932… 安藤 実親(あんどう さねちか、(本名:安藤 實親)1932年(昭和7年)2月4日 - 2022年(令和4年)5月6日)は、日本の作曲家。別名:富侑栄(ふゆう さかえ)。 鹿児島県・鹿児島市武町に生まれ、1946年(昭和21年)、国鉄西鹿児島工場(現・JR九州鹿児島車両センター)に就職。1952年(昭和27年)に鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業すると、卒業と同時に国鉄を退職し、上京した。 上京後、1954年(昭和29年)にコロムビアレコード専属作曲家であった松尾健司に師事。そして1961年(昭和36年)にコロムビアレコード専属作曲家となり、主に編曲を担当した。1964年(昭和39年)には村田英雄の「姿三四郎」で作曲家としてデビューし、コロムビアレコードからゴールデンヒット賞・新人作曲賞を受け、以後、こまどり姉妹・舟木一夫・村田英雄・美空ひばり等の作曲を手掛けた。
神津 善行(こうづ よしゆき、1932年〈昭和7年〉1月2日… 神津 善行(こうづ よしゆき、1932年〈昭和7年〉1月2日 - )は、日本の作曲家。早稲田大学理工学部特別研究員。東京交響楽団理事、日本民謡協会理事。 東京府(現:東京都)出身。麻布中学校、 国立音楽高等学校、国立音楽大学器楽科卒業。作曲を信時潔、トランペットを中山冨士雄に師事する。主に映画音楽を中心に約300曲を作曲し、歌謡曲や吹奏楽曲も作曲している。エッセイなども執筆している。 1992年に民族音楽の復興のため、琵琶など日中伝統楽器を使った女性11名のグループ「六華仙」を結成する。植物と音楽による研究を早稲田大学で行っており、植物の微弱な信号音で小交響詩「依代」を作曲するという活動もしている。
乙田 修三(おとだ しゅうぞう、1932年 - )は、日本の… 乙田 修三(おとだ しゅうぞう、1932年 - )は、日本の作曲家・歌手。石川県白山市出身。日本作曲家協会会員、石川県歌謡文化協会理事長。 乙田修三歌謡研究所を主宰し、門下生の中にはプロデビューした者も多い。また、公民館などのカラオケ教室でも講師を務める。 北陸放送ラジオで1993年10月から2025年12月まで『乙田修三勝ち抜き歌謡道場』というリスナー参加ののど自慢番組に出演していた。 毎年6月に開催される金沢市の百万石まつりでは前田利家役の俳優が金沢駅前を出発する際に乙田が自作の『あゝ前田利家公』を歌うのが恒例となっている。 鶴来町(現白山市)に生まれる。4歳の時、事故で目を怪我しそれがもとで弱視となる(30代で右目の視力を失い、左目もコンタクトレンズを入れて0.3程度しか見えない)。
鈴木 大八郎(すずき だいはちろう、1932年 - 没年不明… 鈴木 大八郎(すずき だいはちろう、1932年 - 没年不明)は、日本の作曲家、編曲家、演奏家。中央大学応援歌 「中大健児の歌」作曲者。鈴木音楽研究所主宰。 1951年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1955年、中央大学卒業。中央大学音楽研究会に所属、委員長を務めた。大学2年の時、中央大学応援歌 「中大健児の歌」を作曲した。静岡市で鈴木音楽研究所を開設。 昭和27年に「中大建児の歌」が誕生する。新しい中央大学学生歌として募集され、発表会では、「新応援歌」として、昭和27年11月23日、白門祭の期間中の大講堂で行われ現在に至るまで、中大生愛唱歌の一つとして歌い継がれ校歌等と共ににカセットテープ「中央大学校歌」にも収録され、応援部・チアリーディング部のメイン演舞の曲となっている。
篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は… 篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は日本の現代音楽の作曲家。大阪府出身。主としてオランダのユトレヒト在住だが東京と京都にも住まいがある。
菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2… 菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2021年4月24日)は、日本の作曲家、編曲家。青森県弘前市出身。日本大学藝術学部音楽学科卒業。 1961年に映画『八人目の敵』で映画音楽家としてのデビューを果たした後、1963年にはテレビドラマ『野菊の墓』で初のテレビ劇伴を担当した。 それ以来、テレビ番組や映画の劇伴・主題歌を手掛けてきた。 1931年(昭和6年)、鮮魚店の長男として生まれる。幼少のころから映画好きで、弘前市内と青森市内の映画館をほとんどハシゴしたという。 青森県立弘前工業高等学校機械科を卒業後、日本大学藝術学部音楽学科に入学し作曲を専攻。大学卒業後、プロの映画音楽家を目指して木下忠司に師事。
大野 正雄(おおの まさお、 1931年10月23日 - 2… 大野 正雄(おおの まさお、 1931年10月23日 - 2019年3月12日)は日本の作曲家。 1931年(昭和6年)大阪府に生まれる。1953年(昭和28年)大阪音楽大学短期学部作曲学科を卒業。後に日本ビクターの専属作曲家となる。 戦後復興期の歌謡曲を多数作曲したほか、朝日放送・テレビ朝日系列ほかの長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』のテーマソングの作曲など大衆的なもの知られているが、交響曲『大阪』、交声曲『蔵王絶唱』、協奏曲などを手掛けるなど、幅広いジャンルに携わった。 2019年(平成31年)3月12日、肺炎のため死去、87歳没。
福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、… 福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、日本の作曲家、指揮者である。 東京都出身。母の方針によって5歳のときから絶対音感教育を受け、モスクワ音楽院の教授を務めていたポール・ヴィノグラードフにピアノを学んだ。 1937年、学習院初等科に入学し、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部に進んだ。この頃から、幼時から習得していたピアノの腕を生かして音楽関係のアルバイトを始め、ジャズバンドでピアノを弾いたり、進駐軍のクラブ回りなどに参加したりしていた。やがて友人の近衛秀健(近衞秀麿の子)の紹介によって東宝交響楽団(後の東京交響楽団)や東京フィルハーモニー交響楽団、近衛管弦楽団などでもピアニストを務めた。
小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年… 小町 昭(こまちあきら、1931年9月18日 - 2017年1月25日)は、北海道釧路市出身 の作曲家・編曲家。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、明治大学ではマンドリン倶楽部に入部。アコーディオンの演奏は当時、六大学一の腕前と言われた。卒業後はキングレコード専属の作家として活躍し、主に歌謡曲の編曲を手掛け、川上英一とともに三橋美智也のヒット曲を数多く担当した。その傍らでNHK紅白歌合戦・演歌の花道・にっぽんの歌のオーケストラ、母校・明大マンドリン倶楽部の指揮者も務めた。
小野崎 孝輔(おのざき こうすけ、1931年8月28日 - … 小野崎 孝輔(おのざき こうすけ、1931年8月28日 - 2017年11月11日)は、日本の作曲家、編曲家。秋田県出身。 1954年東京芸術大学楽理科卒業。作曲家、編曲家、指揮者、伴奏者として活動。小椋佳の初期作品やペギー葉山の作品等を手がける。20年にわたりヤマハ世界歌謡祭の音楽監督と指揮を務めたほか、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団とのコンサートや、昭和のNHK番組「音楽の花ひらく」「音楽は世界をめぐる」他クラシック音楽を世に広める番組で編曲及び指揮。1992年には福岡市民芸術祭「世界のうた」や、1995年には「ときめく愛のうた」の指揮、編曲を担当するなど、幅広い分野で活動した。
外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は… 外山 雄三(とやま ゆうぞう、1931年5月10日 - )は、日本の指揮者・作曲家。東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒。父は作曲家の外山國彦。弟は声楽家・合唱指揮者の外山浩爾。
南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年… 南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年8月21日)は日本の作曲家、編曲家、指揮者。本名・岡田定夫。 京都市左京区出身。京都市立堀川高等学校音楽科卒業。 合唱曲の作曲や声楽曲の編曲を数多く手がけた。代表作品に詩人蓬萊泰三の詩をもとに作曲した「チコタン」は、現在も児童合唱の定番曲として有名。他にも蓬莱が作詞した「日記のうた」、「お菓子のうた」(前三作をまとめて三部作とも呼ばれる)、「日曜日~一人ぼっちの祈り~」などがある。いずれも詩の世界は深刻で衝撃的な内容をはらんでいるが、コロムビア合唱団には好んで取り上げられている。 長年NHKテレビの専属編曲家として活躍し、連続テレビ小説の『わたしは海』、『はっさい先生』のテーマ曲を担当したのをはじめ、『みんなのうた』、『音楽の広場』、『徹子と気まぐれコンチェルト』、『名曲アルバム』、『歌謡チャリティーコンサート』などにその名が見られる。
小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 20… 小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 2016年6月5日)は、日本の作曲家、編曲家、医師。 童謡を多く作曲した。主な作品に、『ブーフーウー』、『勇者ライディーン』、「げんこつやまのたぬきさん」、「おべんとうばこのうた」、「いとまきのうた」、音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』、NHK朝ドラマ『いちばん星』、編曲作品「黒猫のタンゴ」がある。 息子に男性俳優、声優の小森創介がいる。 1931年に東京で生まれ、幼少時からピアノを習う。旧制東京都立九段中学校、慶應義塾高等学校(塾高の同級生に小林亜星、 冨田勲、林光らがいた )を経て、1957年に慶應義塾大学医学部を卒業し、外科学教室助手を経て、脳外科医師として活動した。
寺田 瀧雄(てらた たきお、1931年4月25日 - 200… 寺田 瀧雄(てらた たきお、1931年4月25日 - 2000年7月30日)は、日本の作曲家。宝塚歌劇団専属として活躍した。 数多くの名旋律で舞台を彩り、20世紀後半の宝塚歌劇を支えたメロディーメーカーであり、「宝塚のモーツァルト」との異名も持つ。 和歌山県出身。大阪音楽大学を卒業後、1956年に作曲家として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。1958年頃から公演の作曲家に名を連ね、劇団専属作曲家として本格的に活動を開始する。 同時期の入団だった演出家植田紳爾や柴田侑宏などの作品に多くの楽曲を提供、大ブームになった『ベルサイユのばら』の主題歌「愛あればこそ」、『風と共に去りぬ』の「明日になれば」など300舞台作品中の約3000曲を手がけた。
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931… すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。位階は従四位。 日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。 1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。 父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
松平 頼暁(まつだいら よりあき、1931年3月27日 - … 松平 頼暁(まつだいら よりあき、1931年3月27日 - 2023年1月9日)は、日本の現代音楽作曲家、生物物理学者。理学博士。立教大学理学部教授。 東京府に作曲家の松平頼則の長男として生まれる。祖父の松平頼孝は子爵で鳥類標本収集家。水戸徳川家の連枝(分家)で常陸府中藩の藩主家であった府中松平家の直系の子孫で、同藩の最後の藩主・松平頼策は曾祖父にあたる。出版楽譜によっては、父・頼則との区別を明確にするため Yori-Aki Matsudaira と書き、さらに生年を併記しているものもある。 1953年、東京都立大学理学部を卒業し理学士号を得る。この間、作曲とピアノを独学で学ぶ。1950年代より活発な作曲活動を始める。
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 200… 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家・編曲家・ピアニスト・タレントである。
船川利夫(ふなかわ としお、1931年(昭和6年)3月10日… 船川利夫(ふなかわ としお、1931年(昭和6年)3月10日 - 2008年(平成20年)10月4日)は、島根県安来市後小路(うしろこうじ)生まれの作曲家である。箏曲家・作曲家古川太郎の高弟。代表作に、組曲「出雲路」・尺八と箏のための「複協奏曲」・交響詩「海」・飾画などがある。 富士山・九月十日・春日山懐古・峨眉山月の歌・金州城外・寒梅・常盤狐を抱くの図に題す・山行・江南の春・早に白帝城を発す 己亥の歳・静夜思・生田に宿す・海南行・川中島・夜墨水を下る・宝船・城山・楓橋夜泊・青葉の笛
青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026… 青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026年2月20日)は、日本の作曲家、編曲家。JASRAC会員。 クリスチャンの家系であり、幼少期から母親のオルガン演奏に合わせ賛美歌を毎週歌っていた。これが好きだったといい、後に青木は「私の音楽の原点だった」と回想している。 少年時代から音楽に親しみ、ヴァイオリンが得意であったという。 旧制東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)在学中、知人に誘われてバンド活動を始める。そこでステージ演奏の魅力に摂りつかれたことで学校を中退し、15歳でプロのミュージシャンとしてデビュー。様々なバンドを転々としながら活動する。 当初は、自分が所属するバンドのために作曲・編曲をはじめたが、外部からも頼まれるようになり、放送やレコーディングが多くなると演奏家より稼げるようになったため、作・編曲家に転向。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 20… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 2017年7月25日)は、日本の作曲家。 出生地は下北沢であるが、父親の転勤に伴い幼少期を愛知県犬山市、次いで三重県伊勢市で過ごす。宇治山田中学校卒業後、東京音楽学校を経て東京藝術大学師範科作曲専攻を卒業。作曲を長谷川良夫、ピアノを水谷達夫、宅孝二、奥川坦、稲垣寿子に師事。1959年・1961年 NHKから委嘱された芸術祭参加作品のラジオ音楽劇2作がそれぞれ芸術祭奨励賞を受賞する。1966年に中田喜直らと「波の会」(現・日本歌曲振興波の会)を創設し、第二代会長を経て、後に社団法人となった同会の名誉会員を務めた。 東京藝術大学音楽学部講師、愛知県立芸術大学教授、聖徳大学・同短期大学教授、活水女子大学教授などを歴任した他、1979年には文部省派遣在外研修生としてパリに留学した。
松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11… 松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)1月1日)は、日本の学者、実業家、作曲家。学位は社会科学博士(ストラスブール大学)。放送史、音楽史を専門とした。学校法人東海大学副理事長、東海大学平和戦略国際研究所所長、同松前記念館館長、同文明研究所長、同総合教育センター教授などをそれぞれ歴任した。東京都出身。 父は松前重義、妻澄子方の義父は池田清就。松前国際友好財団理事長や日本衛星放送取締役、エフエム東京取締役、札幌コンサートホールKitara館長なども務め、東海大学及び東海大学系列小・中・高等学校の校歌を作曲している。
野崎 眞一(のざき しんいち、1931年1月28日 - 20… 野崎 眞一(のざき しんいち、1931年1月28日 - 2014年1月27日)は、日本の作曲家である。永年の作家名は野崎 真一であった。 1931年(昭和6年)1月28日、現在の愛知県半田市に生まれる。 1957年(昭和32年)、26歳のときに、日本マーキュリーレコードより発売された藤島桓夫歌唱の「俺らは東京へ来たけれど」で作曲家デビュー。この時の名前の表記は「野崎眞一」だった。 1958年にテイチクレコードの専属作曲家となる。 「星屑のブルース」(1965年)をはじめ数多くの石原裕次郎、八代亜紀の楽曲を作曲した。とくに野崎が40代半ばのころに八代に提供した「もう一度逢いたい」 (1976年)、「愛の終着駅」 (1977年)では、当時20代半ばの八代を日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞に2年連続で導いた。
中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1… 中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1992年6月10日)は、日本の作曲家、ジャズピアニスト。 『上を向いて歩こう』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日があるさ』など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。 兄の中村二大(1921年 - 生死不明)はクラリネット奏者。妹の夫は漫画家の寺田ヒロオ。 1931年、青島にて誕生。父親は青島の日本人学校で校長を務めており、自宅にはピアノや蓄音機、レコードなどがあるという恵まれた音楽環境であった。音楽的素養を認めた父の勧めで1940年春、小学4年生に進級すると同時に日本へ単身留学、新宿の国民学校へ転校。
藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 199… 藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 1994年7月24日)は、日本の作曲家、指揮者、音楽教育家である。 大分県竹田市生まれ。 幼児の頃から母に生田流箏曲を学ぶ。旧制福岡高等学校時代、福岡合唱協会で知り合った指揮者の石丸寛から影響を受ける。 九州大学工学部造船学教室へ進学し、1953年卒業。在学中より作曲を始める。同年、東京新聞主催の全国邦楽コンクール作曲部門で「和楽器と管弦楽協奏の為の一楽章」を自演(箏)して作曲部門の第1位となり、文部大臣賞、NHK賞を受賞。以後、放送音楽を中心とする作曲・指揮活動に入る。 作品には「東洋の楽器による交響曲・西遊記」(1967年文部省芸術祭レコード部門受賞)、「絲竹交響」、「伊勢物語抄」などの邦楽器楽曲、「北原白秋の詩による9つのカノン」、「筑紫のわらべ唄」などの合唱曲、オーケストラ作品等、作曲・編曲多数。
池多 孝春(いけだ たかはる、本名:池田 孝(いけだ こう)… 池多 孝春(いけだ たかはる、本名:池田 孝(いけだ こう)、1931年 - 2014年6月12日)は、日本の作曲家・編曲家。
諸井 誠(もろい まこと、1930年〈昭和5年〉12月17日… 諸井 誠(もろい まこと、1930年〈昭和5年〉12月17日 - 2013年〈平成25年〉9月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家。東京府(現・東京都)出身。イタリア語めかした変名マコトニオ・モンロイ名義による著作もある。 秩父セメント(現・太平洋セメント)の創業者一族であり、祖父は秩父セメント創業者の諸井恒平、父は作曲家諸井三郎、兄は秩父セメントの社長・会長を務めた諸井虔である。作曲家・指揮者の尾高尚忠・惇忠・忠明一家とも縁戚関係にある。 二十世紀音楽研究所に参加し、十二音技法、ミュジーク・コンクレートなどの新技法を早い時期に日本で実践した作曲家のひとりである。評論やNHKのクラシック音楽番組への出演でも知られる。