小沢 健志(おざわ たけし、1925年1月9日 - 201… 小沢 健志(おざわ たけし、1925年1月9日 - 2019年7月4日)は、日本の写真評論家、写真研究家。 東京出身。日本大学法文学部卒業。九州産業大学大学院教授、日本写真芸術学会名誉会長などを歴任。写真評論家としては金丸重嶺の弟子にあたる。 日本の幕末から明治期の古写真蒐集の第一人者であり、近代日本の初期写真史研究に先鞭を付けた人物で、多くの著述刊行、講演を行った。 1991年設立の「日本写真芸術学会」にも関わり、設立当初は副会長(3人のうちの1人、初代会長は渡辺義雄)、続いて第2代会長(1998年就任)を歴任した。2002年に会長を退任し名誉会長となった。 2019年7月4日、老衰により死去。
鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013… 鈴木 文彌(すずき ぶんや、1925年1月4日 - 2013年1月20日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツ評論家。「鈴木文弥」と新字体による表記が用いられる場合もある。 東京府(現:東京都)出身。東京府立第一商業学校を経て早稲田大学卒業。1948年にNHKに入局し、広島中央放送局・大阪中央放送局を経て、1958年より本部編成局アナウンス部に配属され、アナウンサーとして長年に亘り、スポーツ中継の実況担当で活躍。その後一時期、大阪中央放送局のチーフも務めた。 特にオリンピックでは、1964年の東京オリンピックの開会式(ラジオ。市川崑が監督を務めた記録映画で、開会式の場面で流される実況音声は鈴木のものである)や、バレーボール日本女子代表が金メダルを獲得した試合の実況を担当。
津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 20… 津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 2015年6月2日)は、日本の建築家、都市計画家、評論家。愛知県岡崎市出身。 1945年に海軍技術士官として厚木飛行場に赴任するが終戦を迎える。1947年に新制東京大学に再入学する。 1951年、東京大学第一工学部建築学科卒業。丹下健三の下で住宅問題の研究をテーマに卒業論文に取り組む。前川国男の建築設計事務所への入所を希望するが前川と太田博太郎の推薦でアントニン・レーモンドの事務所に所属する。その後坂倉準三の建築設計事務所を経て、1955年日本住宅公団発足と共に入社。 日本住宅公団勤務時、多摩平・高根台団地、阿佐ヶ谷住宅をはじめとする多くの団地を設計するなど、公団初期の全体計画を手がける。
中野 孝次(なかの こうじ、1925年〈大正14年〉1月1日… 中野 孝次(なかの こうじ、1925年〈大正14年〉1月1日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の小説家、ドイツ文学者、評論家。元國學院大學教授。 東大独文科卒。近代化と自己を冷静に分析したエッセイ『ブリューゲルへの旅』(1976年)、自伝小説『麦熟るる日に』(1978年)、愛犬の思い出を綴った『ハラスのいた日々』(1987年)で認められ幅広く活躍する。ほかに『清貧の思想』(1992年)など。 千葉県市川市の大工の子として生まれ、独学で旧制高校に進み、第二次大戦出兵を経て、東京大学独文科を卒業。1952年から28年間、国学院大学で教鞭を執る傍ら、フランツ・カフカ、ギュンター・グラスなど現代ドイツ文学の翻訳紹介に努めた。
原田 実(はらだ みのる、1925年 - )は、日本の美術評… 原田 実(はらだ みのる、1925年 - )は、日本の美術評論家。東京国立博物館資料課長。日本近代美術史。 神奈川県平塚市生まれ。1953年、明治大学文学部卒業。
多田 道太郎(ただ みちたろう、1924年12月2日 - 2… 多田 道太郎(ただ みちたろう、1924年12月2日 - 2007年12月2日)は、日本のフランス文学者・評論家。京都大学名誉教授。 1924年、京都府京都市で生まれた。京都大学文学部文学科に入学し、フランス語学フランス文学専攻で学び、1949年3月に卒業。 同1949年12月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1957年に同研究所講師、1965年8月に同研究所助教授に昇進。1976年6月には同研究所教授となり、西洋思想研究部門に所属した。1976年には、桑原武夫、鶴見俊輔、井上俊、津金沢聡広らと「現代風俗研究会」を創設し、のちに第2代会長を務めた(初代会長は桑原)。1988年3月に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
匠 秀夫(たくみ ひでお、1924年(大正13年)11月28… 匠 秀夫(たくみ ひでお、1924年(大正13年)11月28日 - 1994年(平成6年)9月14日)は、北海道出身の美術評論家。挿絵など近代日本美術史研究で著書多数がある。 札幌一中(現北海道札幌南高等学校)卒、京都大学文学部選科中退、北海道大学文学部西洋史学科卒、同大学院(旧制)修了。高校教諭を経て、1966年(昭和41年)から札幌大谷短期大学教授。1968年(昭和43年)から神奈川県立近代美術館に勤務、1981年(昭和56年)には同館長となる。1987年(昭和62年)に茨城県立美術博物館(現茨城県近代美術館)の館長となる。
吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年〈大正13年〉11… 吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年〈大正13年〉11月25日 - 2012年〈平成24年〉3月16日)は、日本の詩人、評論家。「隆明」を音読みして「りゅうめい」とも。著書に『共同幻想論』(1968年)など多数。東京工業大学世界文明センター特任教授。第二次世界大戦後、東京下町の生活と文化を思想の下地に、多方面の時代の問題について積極的に批評を展開し、長きにわたって日本の論壇をリードした。長女は漫画家のハルノ宵子、次女は作家の吉本ばなな。 東京市月島生まれ。兄2人姉1人妹1人弟1人の6人兄弟。実家は熊本県天草市から転居してきた船大工で、貸しボートのような小さな船から、一番大きいのは台湾航路で運送の航海をするような船 を作っていた。
青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 199… 青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 1997年11月4日)は、兵庫県三木市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。愛称は「ジャジャ馬」。2009年、野球殿堂入り。
庄司 肇(しょうじ はじめ、1924年11月20日 - 20… 庄司 肇(しょうじ はじめ、1924年11月20日 - 2011年2月1日)は、日本の作家、文芸評論家、眼科医。 千葉県生まれ。九州高等医学専門学校卒。眼科医のかたわら小説、評論を書き文芸誌『きゃらばん』を主宰する。 作品に『庄司肇コレクション』『庄司肇作品集』がある。現代作家論が多い。 2011年2月1日、転移性肺腫瘍のため86歳で死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月… 大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月13日 - 2006年(平成18年)11月23日)は、昭和から平成にかけての日本の美術史家、美術評論家。 栃木県宇都宮市生まれ。1951年(昭和26年)に早稲田大学文学部を卒業。その後、栃木県立高等学校教諭や法政大学文学部講師を経て、1972年(昭和47年)に栃木県立美術館副館長、1981年(昭和56年)に同館長となった。1986年(昭和61年)に世田谷美術館長となり、2005年(平成17年)まで務めた。2006年(平成18年)11月23日、肺炎のため栃木県下野市の病院で死去した。 フランス絵画史やジャポニスムの研究を専門とし、特にジャポニスム研究においては先駆的で本格的な研究業績を残した。
志摩 直人(しま なおと、1924年11月10日 - 200… 志摩 直人(しま なおと、1924年11月10日 - 2006年9月14日)は詩人、競馬評論家。 徳島県出身。関西学院大学文学部英文学科卒、同大学院美学研究科修士課程修了。 詩を数多く発表するとともに競馬に対する造詣も深く、競馬中継(関西テレビ)では1960年代からメイン解説者として出演。競馬に関する詩を番組内で数多く取り上げた。 競馬詩集「風はその背にたてがみに」は競馬書籍として空前のベストセラー商品となった。 競走馬テンポイントのファンでもあった。 2004年、JRA50周年功労賞を獲得。 2006年9月14日、心筋梗塞のため死去。81歳没。 同年、関西テレビの第67回菊花賞の中継内において馬場鉄志アナウンサーが「この実況を志摩先生に捧げたいと思います。
楠田 實(くすだ みのる、1924年11月7日 - 2003… 楠田 實(くすだ みのる、1924年11月7日 - 2003年9月29日)は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。 1967年から1972年まで内閣総理大臣佐藤栄作だった首席秘書官を務めたことで知られる。 鹿児島県出身。戦時中は帝国陸軍に入隊し中国大陸の戦線で大陸打通作戦で従軍した。早稲田大学専門部商科に入学し(在学中大学商学部に廃止・改組)、1952年卒業し産経新聞社に入社した。政治部配属後は三木武吉、河野一郎の番記者を歴任するが、河野にはなじむことができず、大蔵大臣(第2次岸内閣)を務める佐藤栄作の番記者に転じ、マスコミを滅多に寄せ付けない言われていた佐藤との間に信頼関係を構築する。その後も総理官邸キャップ、政治部デスクなどを務める傍らで佐藤の寵愛を受けた。
新井 章(あらい あきら、1924年〈大正13年〉10月12… 新井 章(あらい あきら、1924年〈大正13年〉10月12日 - 2001年〈平成13年〉6月11日)は、日本の歌人、文芸評論家。江戸川大学名誉教授。同じく江戸川大学教授を務める新井正彦(1957年 - )は子。 長野県上伊那郡長谷村(現伊那市)生まれ。1945年10月に長野青年師範学校を卒業後、長野県小野青年学校などの教諭を歴任。1958年、國學院大學文学部文学科卒。1970年4月より江東区立亀戸中学校教頭。1985年より江戸川女子短期大学教授、人文学科長。1990年より江戸川大学教授、教養部長。1995年に定年退職し、名誉教授。歌誌『水門』主宰、千葉日報歌壇選者。
門馬 直美(もんま なおみ、男性、1924年10月6日 - … 門馬 直美(もんま なおみ、男性、1924年10月6日 - 2001年9月6日)は、日本の音楽評論家、洗足学園大学名誉教授。 音楽評論家・門馬直衛の次男として東京に生まれる。旧制東京府立第九中学校、旧制第二高等学校、東京帝国大学理学部数学科卒業。洗足学園大学音楽学部教授。1995年、定年、名誉教授。
佐貫 百合人(さぬき ゆりんど、1924年9月21日 - 2… 佐貫 百合人(さぬき ゆりんど、1924年9月21日 - 2007年1月9日)は、演劇評論家。 山口県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。週刊アサヒ芸能新聞社、サンケイ新聞社で芸能記者を務め、のち国立劇場勤務。歌舞伎を中心に演劇評論をおこなった。 2007年1月9日、肺炎のため死去。
坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 -… 坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 - 1999年5月10日)は、日本の小説家、川柳評論家。北海道函館市生まれ。 1942年に函館中学校(現:北海道函館中部高等学校)卒業後、国鉄入社。無線電信講習所(現:電気通信大学)を卒業して国鉄函館船員区に勤務した。 青函連絡船通信長として勤務していた現役当時、洞爺丸台風(1954年9月26日)の際に同航路を就航していた客載車両渡船『石狩丸』の次席通信士として、洞爺丸の転覆・遭難を発信し続けた第六真盛丸からのSOS通信を受信し、公電として発信した経験を有している。1990年、北海道文化賞奨励賞受賞。川柳の研究評論も手がけていた。 1999年、急性心不全のため死去。
塩沢 美代子(しおざわ みよこ、1924年9月18日 - 2… 塩沢 美代子(しおざわ みよこ、1924年9月18日 - 2018年)は、昭和から平成時代の労働問題評論家。 東京生まれ。父は経済学者の塩沢昌貞。1944年日本女子大学校家政学部第3類(社会事業専攻)卒。1946年から1947年同学部社会福祉学科助手。戦時中の勤労動員の経験から年少労働者の指導を志し、YWCA体育専門学院及び指導者養成コースに学ぶ。1948年東京YWCA体育専門学院修了。鐘淵紡績に入社、東京工場の社内学校に勤務。 1949年全国蚕糸労働組合連合会(全蚕糸労連)書記に転職、1963年まで14年間オルグ活動に従事。この間、日本繊維産業労働組合連合会(繊維労連)への改称(1960年)、主要組合の繊維労連から全繊同盟への分裂を経験。
ドクトル・チエコ(ドクトルチエコとも、1924年(大正13年… ドクトル・チエコ(ドクトルチエコとも、1924年(大正13年)8月23日 - 2010年(平成22年)1月6日)は、日本の産婦人科医、性医学評論家である。謝国権、奈良林祥とならぶ日本の性医学評論のパイオニアとして知られる。本名は木下和子(きのしたかずこ)、夫は劇作家のキノトール(本名:木下徹)。 神奈川県生まれ。帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学医学部)を卒業。同付属病院と実家の医院で診察にあたる。 1950年から『オール讀物』に健康解説「お脈拝見」を連載し、医事評論家となる。 1956年、夫のキノトール原作の映画『牛乳屋フランキー』(監督中平康、主演フランキー堺)に、夫とともに出演した。
塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、… 塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、日本の作家・評論家である。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。
桑原 住雄(くわばら すみお、1924年7月15日 - 20… 桑原 住雄(くわばら すみお、1924年7月15日 - 2007年12月15日)は、日本の美術評論家。 広島県広島市生まれ。幼少時、両親とともに台湾に渡り旧制台北高校から東京帝国大学に進む。三重海軍航空隊を経て広島で原爆投下により被爆。戦後復学して美術史を専攻。同大学院修了ののち東京新聞社勤務を経て朝日新聞社企画部に入社。1977年筑波大学教授に転じ、その後武蔵野美術大学教授に就任。世田谷美術館開設準備委員など数多くの美術館運営にも参画した。 1993年、脳出血に倒れ療養生活に入り、2007年12月15日心不全で死去。 美術記者として戦後の美術界を精力的に取材してまわった一方、1960年代初頭には米国務省の招聘で渡米し、アメリカ美術の紹介でも先駆的役割を果たした。
鈴木 五郎(すずき ごろう、1924年7月13日 - )は、… 鈴木 五郎(すずき ごろう、1924年7月13日 - )は、日本の航空評論家、航空史研究家。 京都府加佐郡中舞鶴町(現・舞鶴市)生まれ。1943年大日本飛行協会横浜飛行訓練所(学生航空連盟)で水上機の操縦訓練を受ける。1944年8月三重海軍航空隊2期飛行予備生徒隊に入隊。 1948年9月東京大学文学部を卒業。小学館児童編集部を経て読売新聞社出版局に勤務。1979年定年退職。
生田 耕作(いくた こうさく、1924年(大正13年)7月7… 生田 耕作(いくた こうさく、1924年(大正13年)7月7日 - 1994年(平成6年)10月21日)は、日本のフランス文学者、評論家。京都大学名誉教授。雅号に「双蓮居」「鷹峰閑人」「敗荷」ほか。 京都祇園出身。曽祖父は、富山県と岐阜県境の平家谷、五箇山(現在、世界遺産の富山県南砺市五箇山)上平村、の初代村長・生田長四郎。 1947年大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)フランス科卒、1950年京都大学文学部仏文科卒。 フランス異端文学の紹介に努め、自らの著作を出版するプライベートプレス(私家版出版)「奢灞都館」(さばとやかた、「サバト館」と記される場合もあり)を監修、多くの著作を残した。
大木 正興(おおき まさおき、1924年6月20日 - 19… 大木 正興(おおき まさおき、1924年6月20日 - 1983年6月10日)は、日本の音楽評論家。 東京府または千葉県出身。1947年、東京帝国大学文学部美学科卒業。1951年、来日したヴァイオリニスト・ユーディ・メニューインの批評でデビュー。『音楽芸術』「東京新聞」「毎日新聞」で演奏批評を担当し、ラジオ・テレビの音楽番組の解説を務めた。跡見学園女子大学教授。子も音楽批評家の大木正純(1945- )。
瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1924年〈大正13年〉6月1… 瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1924年〈大正13年〉6月18日 - 2021年〈令和3年〉12月29日)は、日本の評論家。評論対象は、音楽(特にジャズ)、映画、ミュージカルと幅広い。日本ポピュラー音楽協会名誉会長。『月刊ミュージカル』(ミュージカル出版社)元編集長。 東京府出身。学習院初等科、中等科、高等科、東京帝国大学法学部を通じて三島由紀夫と交流があった。 1944年(昭和19年)、学徒出陣となり海軍に入営。1945年(昭和20年)の敗戦後は引揚者の輸送任務を行う氷川丸に乗務。乗組員らを慰労するため日本劇場にて公演していたバンドを船内に招いてジャズコンサートを行った。 1950年(昭和25年)東京大学法学部卒業後、富士銀行に入行する。
久徳 重盛(きゅうとく しげもり、1924年6月14日 - … 久徳 重盛(きゅうとく しげもり、1924年6月14日 - 2002年8月11日)は日本の小児科・精神科医師、医事評論家。 名古屋大学講師、愛知医科大学教授を経て久徳クリニック院長を勤め、人間形成医学研究所長も務めた。「母原病」という言葉を同名著書によって広めたとされる。 1924年6月14日、愛知県名古屋市に生まれる(出身地を大阪府高槻市とする文献もある)。 1949年、名古屋大学医学部卒業。 1950年、名古屋大学小児科学教室入局。 1951年、名古屋第一赤十字病院小児科勤務。 1955年、名古屋大学に復帰。 1959年、名古屋大学医学部附属病院分院小児科長。同年に名古屋大学の医学博士となった。
川端 要壽(かわばた ようじゅ、1924年6月10日 - 2… 川端 要壽(かわばた ようじゅ、1924年6月10日 - 2013年3月14日)は、文芸・相撲評論家、小説家。 岐阜県出身。のち東京府南葛飾郡小岩町(現・東京都江戸川区)に移る。小岩町立下小岩尋常小学校(現・江戸川区立下小岩小学校)に入る。尋常小学校では後の横綱栃錦とは同級生だった。その後横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)を卒業する。数々の職業遍歴を経て、1969年から東京都板橋区の三和化学に勤務した。競馬を好む。
玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010… 玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010年7月13日)は、昭和・平成期の歌人、文芸評論家。 宮城県仙台市米ヶ袋生まれ。1931年(昭和6年)東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺に転居。1939年(昭和14年)北原白秋主宰の『多磨』に入会。白秋没後は巽聖歌に師事した。青山学院中学部を経て、1944年(昭和19年)第二高等学校卒、東京帝国大学文学部美学美術史科卒。戦時中は学徒動員を経験した。 戦後は都立高校の教師を務めるかたわら短歌を続け、歌壇や戦後派短歌、前衛短歌から距離を置いた独自のスタンスを保ち続けた。1972年(昭和47年)『樛木』で第24回読売文学賞受賞。1978年(昭和53年)歌誌「うた」創刊、2002年(平成14年)まで続けた。
坂本 秀夫(さかもと ひでお、1924年5月20日 - )は… 坂本 秀夫(さかもと ひでお、1924年5月20日 - )は、日本の教育評論家。 栃木県出身。中央大学法学部卒業。東京都立桜水商業高等学校教諭、全国高等学校教育法研究会長、日本教育法学会理事、のち名誉理事。東京都立大学 (1949-2011)・中央大学非常勤講師などを務める。管理教育批判で論陣を張る。
青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013… 青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013年11月6日)は、日本の新聞記者、評論家。帝塚山短期大学名誉教授。専門は日本文化史。 大阪府出身。旧制郡山中学校、旧制松山高等学校文科卒、1948年京都帝国大学法学部卒。1950年に毎日新聞社に入社し、奈良支局で11年間美術文化担当記者。大阪本社学芸部副部長、編集局部長を経て退社。1976年帝塚山短期大学教授。1995年定年、名誉教授。古都調査保存協力会長、奈良国立博物館評議員、飛鳥資料館運営協議会長。奈良学を提唱した。 2013年11月6日、肺炎のため死去。89歳没。
西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 20… 西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 2013年6月11日)は、医事評論家、浄土真宗の僧、仏教系の電話カウンセラー。新字体で西来 武治とも表記される。 北海道生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒。中学、高校教師をへて医事雑誌の編集に携わり、健康雑誌『ホームドクター』編集長、1982年退任。『ぴいぷる』編集長。朝日ホームドクター社取締役。1971年より海老名市の自宅で夫人のみわと「ダイヤルフレンド」を始め電話相談にのる。ヘルスプランニング西来代表取締役。1998-2002年千代田女学園中学校・高等学校長。真宗高田派住職。彰見寺衆徒。2012年仏教伝道文化賞受賞。 2013年6月11日、肺癌のため死去。
岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 - 2017… 岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 - 2017年11月3日)は、日本の歌人、評論家。妻で歌人の馬場あき子と「かりん」を創刊。 東京世田谷駒沢生まれ。国士舘中学校在学中に短歌を知る。早稲田大学高等学院予科を経て、早稲田大学文学部国文科卒。在学中の1946年に早稲田大学短歌会に入会し、同年歌誌「まひる野」創刊に参加。窪田空穂、窪田章一郎に師事。また渡辺順三編集の「人民短歌」(後の「新日本歌人」)の編集手伝いを行う。大学卒業後、都立高等学校教諭となり定年退職まで務める。 1977年に「まひる野」を退会。1978年に馬場あき子とともに歌誌「かりん」を創刊。朝日カルチャーセンター、角川短歌通信講座などで短歌を指導。
藤島 宇内(ふじしま うだい、1924年4月7日 - 199… 藤島 宇内(ふじしま うだい、1924年4月7日 - 1997年12月2日)は、日本の詩人、評論家。 兵庫県出身。慶應義塾大学卒。在学中から「三田文学」「歴程」に参加。1951年詩集「谷間より」を発表。ルポライターとして沖縄、在日朝鮮人、被差別部落などを扱う。 藤岡信勝は、藤島が「朝鮮人強制連行」という造語の生みの親であると主張している。
金森 久雄(かなもり ひさお、1924年4月5日 - 201… 金森 久雄(かなもり ひさお、1924年4月5日 - 2018年9月15日)は、日本の経済官僚・経済評論家。 1924年 、岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の憲法担当国務大臣を務めた 金森徳次郎の子として東京都に生まれる。弟金森博雄は地震学者。1937年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、同級生に柳谷謙介(外務事務次官)がいた。1942年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業する。昆虫採集に夢中になり、水泳、剣道、相撲もやったが上達しないので、将棋に没頭した。大川周明の『日本二千六百年史』、福澤諭吉の『福翁自伝』、斎藤茂吉『万葉秀歌』に感銘、張遷碑の書を習う。
薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 201… 薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 2017年12月24日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者、舞踊評論家、舞踊史研究家。 蘆原英了、東勇作に師事してバレエを学び、第2次世界大戦後の日本バレエ界で活躍した。1930年代から収集を続けているバレエ関連の文献資料は、個人が収集したものとしては世界有数といわれる。 モスクワ国際バレエコンクールやヴァルナ国際バレエコンクールなど内外のバレエコンクールの審査員を歴任し、2006年に第4代日本バレエ協会会長に就任した。 東京で生まれた。母や姉とともに歌舞伎や宝塚歌劇団などの舞台を観に行くことが多く、幼少時から踊りを見るのは好きだった。
邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 201… 邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 2012年5月16日)は、日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。株式会社邱永漢事務所代表取締役。 旧本名は邱炳南、帰化後の本名は丘永漢。初期の筆名は邱炳南および丘青台。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれた。日本亡命後に筆名「邱永漢」を使うようになり、この筆名は戦前の台湾文学界で活躍した作家の西川満がつけたという説があるが、邱本人が否定している。 1924年3月、婚外子として日本統治時代の台湾台南市に生まれる。10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人。 1937年、13歳のとき台北高校尋常科に入学。
倉田 保雄(くらた やすお、1924年3月19日 - 201… 倉田 保雄(くらた やすお、1924年3月19日 - 2011年11月18日)は、国際問題評論家、エッセイスト。 東京都生まれ。暁星中学を経て1945年慶應義塾大学経済学部卒業後、時事通信、ロイター、UPI通信社東京支局勤務。 1952年フルブライト留学生として米国留学。1953年共同通信に入社。ロンドン特派員、パリ支局長、編集委員。早稲田大学・慶大講師。 1989年から2002年までNHK「視点・論点」のコメンテーター。1994年フランス国家功労勲章(シュバリエ級)受章。ヨーロッパ特に英国、フランスについての著書多数。 2011年11月18日、虚血性心疾患のため死去。87歳没。
井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2… 井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2000年1月1日)は、日本の写真家、城郭研究家、ワイン評論家。推理小説も手がけた。 愛媛県宇和島市生まれ。日本大学農学部拓殖学科に在学中に学徒出陣し、名古屋の高射砲兵科に配属。陸軍病院に入院中、名古屋大空襲により名古屋城天守閣が焼け落ちる様子を目撃している。これを機に、城郭に関心をもち続けた。 戦後は公職追放を受け一時帰郷。復学後、元担任教授の今村忠助の勧めで新設の新聞学科を卒業。カメラマン編集者として雑誌・新聞社に勤務。1955年2月日本城郭協会を設立し、代表世話人に就任。のちに常務理事を務めた。 1964年、井上フォトプロダクションを設立。
荒木 博之(あらき ひろゆき、1924年(大正13年)2月1… 荒木 博之(あらき ひろゆき、1924年(大正13年)2月14日 - 1999年(平成11年)12月10日)は、日本の英文学者、評論家。広島大学名誉教授。専門は、比較文化論、人類言語学、説話伝承論。位階は正四位。 東京に生まれる。1949年(昭和24年)、京都大学文学部英文科卒。1952年(昭和27年)、京都大学大学院文学研究科アメリカ文学専攻中退。1962年(昭和37年)、インディア大学大学院民俗学専攻博士課程単位取得退学。 福井大学講師、高知女子大学助教授、立命館大学教授、広島大学総合科学部教授、88年定年退官、名誉教授、宮崎公立大学教授。99年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 「百合若大臣」が「オデュッセイア」の影響を受けたと主張した一人である。
後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 201… 後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 2016年5月30日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
小島 信一(こじま しんいち、1924年1月3日 - )は、… 小島 信一(こじま しんいち、1924年1月3日 - )は、日本の詩人、文芸評論家。 東京出身。中央大学卒。佐藤春夫に師事。1954年からエッソ・スタンダード石油に11年間勤務。万葉集を現代詩化した『万葉集―運命の歌』で1971年芸術選奨新人賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松浦 武(まつうら たけし、1924年 - ?)は、日本史学… 松浦 武(まつうら たけし、1924年 - ?)は、日本史学者、文芸評論家。旧姓・社本(しゃもと)。 愛知県生まれ。國學院大學文学部国史学科卒。名古屋市立保育短期大学助教授、名古屋市立短期大学教授、愛知工業大学教授。 松浦武の名で歴史研究、社本武の名で文芸評論を書く。豊田工業高等専門学校名誉教授・松浦由起(よしき、1950 - )は息子。
門 茂男(かど しげお、1924年 - 1998年)は、日本… 門 茂男(かど しげお、1924年 - 1998年)は、日本のプロレス評論家。 福井県大野郡上味見村(後の福井市)に生まれる。 1943年、東京府豊島師範学校(後の東京学芸大学)卒業。学生時代は柔道で鳴らした。前橋陸軍予備士官学校入学。1947年、東京高等体育学校(後の筑波大学体育専門学群)卒業。 1947年、書籍出版社「万里閣」に入社、編集者となる。別の書籍出版社「玄理社」編集長。この時期に会社勤めの傍らフリーのライターとしての仕事も多くこなしていた。 1950年、百貨店「上野松坂屋」入社(宣伝部)。 1953年、「内外タイムス」に新聞記者として入社。社会部に配属(当時同社には運動部は存在しなかった)。
丸山 尚一(まるやま なおかず、1924年 - 2002年9… 丸山 尚一(まるやま なおかず、1924年 - 2002年9月12日)は、日本の美術評論家。 東京生まれ。早稲田大学仏文科卒業。平凡社に入社。『世界美術全集』などの編集に携わった後、仏像調査、研究執筆生活に入る。 円空仏の取材・評論では第一人者である。 東京都世田谷区の自宅はル・コルビュジエの弟子の建築家吉阪隆正に設計を依頼したもので、吉阪の住宅建築の中でも珍しい木造建築であった(1957年~2021年解体)。丸山尚一は吉阪の早稲田大学山岳部の後輩であり、個人的な交友があった。 山岳雑誌「アルプ」227号(創文社)に執筆。 父親は日本画家の丸山永畝
谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)… 谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)、1923年12月25日 - 1995年2月2日)は、日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた。 熊本県水俣市に開業医の、六人兄妹の次男として生まれる。兄は民俗学者の谷川健一、弟に東洋史学者の谷川道雄、日本エディタースクール創設者の吉田公彦。旧制熊本中学、第五高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。従軍する。 戦後、西日本新聞社に勤務。同人誌「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月… 戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月16日 - 1983年(昭和58年)3月19日)は、日本の政治評論家・作家。神奈川県平塚市出身。父親は小説家で平塚市市長を務めた戸川貞雄、弟は小説家の菊村到。 旧制湘南中学を経て早稲田大学政治経済学部へ入学するが、赤紙が来て陸軍へ召集される。しかし、徴兵検査で病気が分かり延期となる。 回復後に再び召集されるが直後に終戦を迎え、早大に復学して卒業する。 1947年(昭和22年)、読売新聞に入社。政治部記者として、数多くの政治家に取材して顔を知られるようになる。一時期は特派員としてモスクワにも滞在していた。1955年に河野謙三から、父・貞雄の平塚市長選挙への出馬説得を依頼されたことから、仲介役を務め、父親を当選させることに成功している。
村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12… 村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12月6日 - 2003年(平成15年)1月6日)は日本の陸軍軍人、評論家、作家。本名は宏城(ひろき)。兄は武藤電機創業者の村上稔夫。
大谷 晃一(おおたに こういち、1923年11月25日 - … 大谷 晃一(おおたに こういち、1923年11月25日 - 2014年5月25日)は、日本の作家、時事評論家、帝塚山学院大学名誉教授・元学長。 大阪府生まれ。関西学院大学法文学部卒業後、朝日新聞社入社。大阪本社学芸部次長、編集委員を歴任。その間の1971年、「続関西名作の風土」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。 1979年、帝塚山学院大学教授就任。1997年には、同大学の学長に就任。2001年に退任後、同大学名誉教授。 大阪を中心とした伝記文学、歴史小説、近代日本文学研究で著書多数。 「大阪学」シリーズはロングセラーで、個別都市学もののさきがけとなった。また、沖積舎から『大谷晃一著作集』全6巻を刊行。
外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11… 外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11月3日 - 2020年〈令和2年〉7月30日)は、日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。全日本家庭教育研究会元総裁。 東京文理大英文科卒。専門の英文学にとどまらず、言語学・修辞学・教育学などを広範に研究。言葉のまとまった意味は、視覚に認められる現象と同じような作用によると考えた『修辞的残像』(1961年)を出発点として、日本語の論理、読者論などに新説を出し続けた。『シェイクスピアと近代』(1977年)では、読者論を実践的に示した。また、『異本論』(1978年)、『古典論』(2001年)などでは、従来否定的に扱われてきた異本の積極的な機能を再評価した。