日高 普(ひだか ひろし、1923年10月28日 - 200… 日高 普(ひだか ひろし、1923年10月28日 - 2006年10月16日)は、日本の経済学者、文芸評論家。元法政大学経済学部教授、名誉教授。専攻は経済原論。経済学博士。 宇野学派のマルクス経済学者の一人。経済学の著作として『銀行資本の理論』『再生産表式論』や教科書『経済原論』『経済学』などがある。浜田新一の筆名で文芸評論・映画評論を執筆し、中村稔、吉行淳之介、いいだももらが参加した文芸同人誌「世代」(1946年7月創刊、1952年12月に17号で廃刊)の中心的存在だった。1953年に「第三の新人」と呼ばれた作家・批評家が『文學界』編集部のすすめで結成した「一二会」に参加した。書評家としても知られる。
虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1… 虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1991年6月15日)は、日本の作家、評論家、随筆家、翻訳家。
畑田 重夫(はただ しげお、1923年〈大正12年〉9月5日… 畑田 重夫(はただ しげお、1923年〈大正12年〉9月5日 - 2022年〈令和4年〉11月22日)は、日本の国際政治学者、政治評論家、平和運動家。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会代表世話人。1980年代から1990年代にかけて東京都知事選挙に出馬したことでも知られる。 京都府生まれ。東京帝国大学に入学し、在学中20歳で学徒出陣となるが、その際学友の乗っていた船が撃沈され全員が死亡した。1945年9月、東京大学法学部に復学し卒業。 内務省を経て1962年まで名古屋大学助教授を務め、以後は労働者教育協会会長や勤労者通信大学学長などを歴任。 1987年、1991年の各東京都知事選挙に無所属(日本共産党推薦)で出馬するも落選。
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8… 司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2… 木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2000年4月12日)は、日本の新聞記者、作家、文芸評論家。 中央大学法学部卒業。朝日新聞社に入社後、山本周五郎の担当記者となり、のち山本の研究家として多くの著書を著した。 ほか軍人伝、小説などがある。
濱川 博(はまかわ ひろし、1923年7月8日 - )は、日… 濱川 博(はまかわ ひろし、1923年7月8日 - )は、日本の文芸評論家。長崎県生まれ。國學院大學卒。朝日新聞宮崎支部から鹿児島支局長。大妻女子大学教授を務めた。
志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 199… 志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 1999年6月27日)は、日本のアナウンサー、音楽評論家である。本名は小島幸雄。東京府東京市京橋区生まれ。 東京・京橋の写真館に生まれる。専修大学を卒業。1952年(昭和27年)、開局直後のラジオ東京(現・TBSラジオ)の嘱託アナウンサーとなり、局内の「シマさん」の愛称から志摩夕起夫を名乗る。4月1日に放送開始となったラジオ東京の深夜番組「イングリッシュ・アワー」を三國一朗などと担当。同番組は1962年6月9日まで10年間続けられた。これにより、日本でのディスクジョッキーの草分けとして、音楽と自由なおしゃべりで進行するラジオ番組の原型を作り上げた。
菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 20… 菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 2011年1月15日)は、日本の作曲家、音楽評論家。
木幡 瑞枝(こばた みずえ、1923年6月11日 -2018… 木幡 瑞枝(こばた みずえ、1923年6月11日 -2018年1月26日)は、日本の美学者、文芸評論家、東京女子大学名誉教授。 島根県出身。旧姓・須佐。夫は木幡順三。1949年東京女子大学外国語学部卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒。同大学院に学び、実践女子大学助教授、1966年東京女子大学短期大学部教授、88年同現代文化学部教授。92年定年退任、名誉教授。
倉本 初夫(くらもと はつお、1923年5月29日-2013… 倉本 初夫(くらもと はつお、1923年5月29日-2013年12月15日)は、日本の経営評論家、「商業界」主幹。 経営評論家・倉本長治の子。1944年、東京帝国大学文学部卒業。倉本長治の後を継いで商業について評論・講演活動を行う。
真田 重蔵(さなだ じゅうぞう、1923年5月27日 - 1… 真田 重蔵(さなだ じゅうぞう、1923年5月27日 - 1994年5月30日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。
末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )… 末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )は、日本の音楽評論家・会社経営者。駅弁業者である博多鉄道構内営業有限会社(屋号:寿軒)社長。
名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 … 名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 - 2007年4月11日)は、日本の思想史家、評論家。元高千穂商科大学教授。専攻は社会思想史。 岡山市生まれ。山口高等商業学校卒業後、新京の陸軍経理学校を経て出征。朝鮮半島で終戦を迎え、ソビエト連邦に抑留を経て1950年に帰国。岡山県に戻り高校教師となり、高千穂商科大学助教授を経て1982年に教授。1997年に退職後、著作活動に専念。 2007年4月11日、呼吸不全のため死去。 パラオでの戦没者の慰霊活動を多く行っており、その一環として南洋神社にパラオ挺身隊の顕彰碑を建立した。
島田 一男(しまだ かずお、1923年3月5日 - 1995… 島田 一男(しまだ かずお、1923年3月5日 - 1995年10月5日)は、日本の社会心理学者・評論家。 岩手県生まれ。東京文理科大学心理学科卒、研究科修了。1962年「社会的態度に関する組織的研究」で文学博士の学位を取得。聖心女子大学文学部助教授を経て、教授。1993年定年退任、名誉教授、川村学園女子大学教授、文学部長を務める。日本心理学会理事・日本社会心理学会会長を歴任し、マスコミでも幅広く活躍した。日本社会心理学会名誉会員。
谷田 昌平(たにだ しょうへい、1923年2月26日 - 2… 谷田 昌平(たにだ しょうへい、1923年2月26日 - 2007年8月19日)は、日本の編集者、文芸評論家。堀辰雄の研究で知られる。妻は詩人の牟礼慶子。 徳島県生まれ。兵庫県神戸市出身。大阪府立池田師範学校、東京高等師範学校を経て、京都大学文学部卒。在学中から堀辰雄研究を行い、大阪府立桜塚高等学校教諭時代に遠藤周作と知り合った縁から、「三田文学」に「堀辰雄年表」が掲載される。1954年に新潮社に入社。出版部時代、『武者小路実篤全集』を皮切りに、室生犀星『杏っ子』、幸田文『流れる』、安部公房『砂の女』、遠藤周作『沈黙』など、編集者として数々の話題作を手掛けた。1976年『新潮』編集長。町田に転居した遠藤に誘われて「町田会」にも参加し、多くの文豪たちと交友を持った。
小川 徹(おがわ とおる、1923年2月25日-1991年2… 小川 徹(おがわ とおる、1923年2月25日-1991年2月10日)は、日本の映画・文芸評論家。 東京生まれ。学徒出陣を経験。1946年東北帝国大学法文学部経済科卒。1946年から時事通信社に勤務、同人誌「世代」に参加。1961年「映画評論」編集部に移り、のち「映画芸術」編集長。『新日本文学』にもしばしば寄稿した。映画芸術新社社長。日活ロマンポルノ裁判特別弁護人、日活ビデオ、黒い雪裁判検定で証人として出廷、いずれも勝訴となった。
林 邦雄(はやし くにお、1923年-2000年)は、ファッ… 林 邦雄(はやし くにお、1923年-2000年)は、ファッション評論家。 京都生まれ。浅野中学校、青山学院高商部卒業、1947年日米通信社入社、54年独立。日本ユニホームセンター相談役。
大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)… 大前 正臣(おおまえ まさおみ、1923年 - 2004年)は、日本の国際政治評論家、作家、翻訳家。 岐阜県生まれ。東京大学文学部卒業後、コロンビア大学に学ぶ。電通、東京新聞外報部記者を経てフリーになる。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 20… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 2021年10月20日)は、日本の評論家(とくに演劇・映画)、フランス文学者、翻訳家。旧・東京都立大学名誉教授。本名は名前を「あつし」と読む。兄の渡辺仁は人類学者で、東京大学教授ほかを務めた。 三重県久居町(現津市)生まれ。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校、3年まで)、長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制富山高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部仏文学科に入学したが、同年学徒出陣の対象者となる。1945年まで兵役(海軍)に就き、戦後に復学(渡辺一夫に師事)して1948年卒業。 戦後、まず現代フランス文学、とくにナチス・ドイツの占領を契機に変貌した文芸・思想の紹介、評論を各種新聞、雑誌、単行本上に発表してデビュー。
金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 -… 金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 - 2004年11月29日)は韓国の詩人、文学評論家、国文学者、政治家である。本貫は光山金氏。慶尚南道忠武市(現在の統営市)出身。 代表作は「花」「ブダペストでの少女の死」など、韓国の教科書に収録されることもある。 1922年11月25日、慶尚南道の忠武で生まれる。統営普通学校と京畿中学校を卒業して、日本大学の芸術科に入学したが、1942年12月に不敬罪の疑いにより退学処分になった。 統営中学校、馬山高校の教師、それから馬山の海印大学(現・慶南大学校)、慶北大学校、嶺南大学校などで教授を務めた。文芸振興院の顧問、韓国詩人協会長などを歴任。
安田 武(やすだ たけし、1922年11月14日 - 198… 安田 武(やすだ たけし、1922年11月14日 - 1986年10月15日)は、日本の評論家。 東京都出身。1943年法政大学国文科在学中に学徒出陣。朝鮮の羅南で敗戦を迎え、ソ連軍捕虜となる。復員後、大学を中退。出版社勤務の後、1959年から評論家として独立文筆生活に入る。 思想の科学研究会に属し鶴見俊輔、藤田省三らと「共同研究・転向」(1959年~1967年)に最初の業績を発表。1964年から1966年まで思想の科学研究会長。また1960年の日本戦没学生記念会「わだつみ会」の再建に尽力し、常任理事を務めた。 そのほか、日本文化に関する著作が多く、特に多田道太郎との対談『『「いき」の構造』を読む』などが有名である。
山谷 親平(やまたに しんぺい、1922年〈大正11年〉11… 山谷 親平(やまたに しんぺい、1922年〈大正11年〉11月4日 - 1984年〈昭和59年〉11月28日)は、日本の評論家・ラジオパーソナリティ。福井県出身。日本において実質的な意味で初のラジオパーソナリティであったと言われている。 ジャーナリスト・政治家の山谷えり子(戸籍名は小川恵理子、結婚により改姓)は娘。 実母の実家のあった現在の福井県あわら市(旧・坂井郡芦原町)芦原温泉で生まれる。東京で育ち、日本大学法文学部に進学するが学徒動員となる。1944年(昭和19年)8月、志願して加藤隼戦闘隊(飛行第64戦隊)に加わり、3度撃墜されたが生還した。 戦後は産経新聞政治部記者、福井新聞政経部長を経て、1953年(昭和28年)に福井放送に入社。
島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月… 島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月22日 - 2014年12月11日)は、日本の放送評論家。 北海道札幌市出身。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 慶應義塾大学在学中に学徒徴兵され、復員後に新聞界に入る。報知新聞の芸能記者を経て、報知新聞東京本社編集局次長、電通PRセンター企画局長、渡辺音楽出版制作部長などを歴任。その後は放送評論家として活躍。特に時代劇に造詣が深く、それに関する著書も多い。 2014年12月11日、急性心不全のため死去。92歳没。
武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1… 武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1998年6月2日)は、福岡県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 名前は、悉昌を音読みして「しっしょう」とも称した。 福岡県筑紫郡の農家の家系に生まれる。父が農業を継がせようとする両親(武末にとっては祖父母にあたる)に反発して家を出奔して銀行員となったため、1人残った武末は祖父母からの迫害を受けることになった。旧制筑紫中学(現:福岡県立筑紫丘高等学校)を卒業後、親類から逃れて野球を続けるために旧満州に渡り、大連高等商業学校を経て、満協中央銀行に入る。その後、1944年に召集令状を受け取り、関東軍に経理将校として召集される。
別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1… 別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
西川 勢津子(にしかわ せつこ、1922年9月13日 - )… 西川 勢津子(にしかわ せつこ、1922年9月13日 - )は、日本の家事評論家。筆名に、山田のぶ、東山花子、桑井いねがある。 奈良県出身。日本女子大学校卒業。 掃除、洗濯、料理、家族関係まで多岐にわたる家事評論で活躍。1961年西武百貨店池袋店の家庭用品コンサルタントとなる。 桑井いねの筆名で書いた『おばあさんの知恵袋』(文化出版局)がロングセラーとなった。
橋本 邦治(はしもと くにはる、1922年9月3日 - 20… 橋本 邦治(はしもと くにはる、1922年9月3日 - 2010年8月19日)は、東京府(現・東京都)府中市出身(東京市浅草区 (現・台東区浅草)生まれ)の競馬評論家。 父方の祖父は日本画家の橋本雅邦。 1923年9月1日に発生した関東大震災の影響で府中に移り、以後同所で育った。父が野戦重砲兵であったため、子供の頃から馬が好きであった。1933年に東京競馬倶楽部が従来使用していた目黒競馬場に代わる新競馬場を府中に新設したことが競馬との最初の出会いになり、1935年にはガヴアナーが東京優駿に勝利した後で急死して、墓地に運ばれる、悲運な姿を目撃している。 太平洋戦争真っ只中の1944年、東京高等農林学校を卒業。
森川 達也(もりかわ たつや、1922年8月14日 - 20… 森川 達也(もりかわ たつや、1922年8月14日 - 2006年5月5日)は、日本の文芸評論家、僧侶。 兵庫県出身、本名は三枝洸一。京都大学文学部卒。1951年作家の三枝和子(結婚後の姓)と結婚、ともに同人雑誌『文藝人』を創刊。1963年兵庫県の実家の寺を継ぐ。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
内田 健三(うちだ けんぞう、1922年7月28日 - 20… 内田 健三(うちだ けんぞう、1922年7月28日 - 2010年7月9日)は、日本の政治評論家・政治ジャーナリスト。元共同通信社政治部長・論説委員長。退職後、法政大学法学部教授。東海大学教授を歴任。専門は、日本政治論、政治過程論。 熊本県八代郡氷川町(旧竜北町)生まれ、祖父内田康哉は外交官、政治家。旧制八代中学(現・熊本県立八代高等学校)、旧制第五高等学校卒業。旧制東京帝国大学在学中に、学徒出陣し、内蒙古・駐蒙軍に従軍。抑留・復員後、新制東京大学法学部に復学し、政治学者・丸山眞男に師事。1953年に東京大学法学部を卒業し、共同通信社に入社。以後岸内閣の安保闘争から小泉内閣まで50年以上にわたり、日本の政治の動向を取材・分析した。
林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年1… 林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年10月19日)は、日本の囲碁に関する評論家、編集者、観戦記者、研究家。日本棋院所属の後に執筆に専念。 東京渋谷出身。姉が福原義虎七段と結婚した縁で、1941年頃から日本棋院に出入りするようになる。1943年に学徒動員で応召。 1946年、中央大学法学部卒。戦後1948年に、村島誼紀らが『碁の新聞』を出す際に編集を任される(3号で終刊)。その後『棋道』編集の手伝いをしていて、1950年日本棋院事務局に入り、『棋道』『囲碁クラブ』や棋書を編集。編集部長、中央会館事務局長を務め、1968年には「囲碁史展」(日本橋東急百貨店)を主導した。1969年退職。
遠山 一行(とおやま かずゆき、1922年(大正11年)7月… 遠山 一行(とおやま かずゆき、1922年(大正11年)7月4日 - 2014年(平成26年)12月10日)は、日本の音楽評論家・実業家。日興證券会長を務めた遠山元一の長男。 遠山元一の長男として東京市麻布区笄町(現在の港区西麻布)に生まれ育つ。クリスチャンの家庭であり、一行自身もプロテスタントの信仰で育った。 1929年(昭和4年)、成城学園小学校に入学。同級に加藤一郎がいた。1933年(昭和8年)、澤柳政太郎没後の学園経営をめぐるトラブル、いわゆる成城事件(成城騒動)により小学6年時に自主退学し、第2学期から麻布区立南山小学校に転校。1935年(昭和10年)、府立高等学校尋常科に入学。第1学年2学期からピアノを朴啓成(後の属啓成)に師事。
清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月… 清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。位階は従四位。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。 ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月… 鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 米国ハーバード大学で哲学を学んだのち、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。思想史から大衆文化まで幅広い分野を扱う。著書は『戦時期日本の精神史』(1982年)、『アメリカ哲学』(2008年)など多数。 1922年6月25日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの2番目(長男)として生まれる。
西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日… 西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日 - 2008年(平成20年)10月9日)は、日本のドイツ文学者、評論家、翻訳家。東京大学教養学部名誉教授。 日本統治時代の台湾台中市生まれ。東京大学独文科卒業。金沢大学助教授、1964年東京大学教養学部助教授、1970年教授。1983年定年退官、名誉教授、金城短期大学学長を務めた。 ドイツ文学専攻で、ヘルマン・ヘッセ、シュテファン・ツヴァイクなど翻訳多数。1960年代から1970年代にかけて、進歩的知識人を批判、論争し、相手方から「ファシスト」と呼ばれた。[要出典] 1975年の『誰がファシストか』では、西欧のファシズム研究を紹介しつつ、進歩派こそファシストではないかと批判した。
宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 201… 宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 2012年5月24日)は、日本の民藝運動研究者、美術評論家、編集者、記者。妻の宇賀田けようは板画家棟方志功の長女。
巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995… 巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995年10月13日)は、日本の評論家、翻訳家。 福島県郡山市に生まれる。第一高等学校を経て1948年東京帝国大学文学部哲学科卒業、大学時代は出隆に師事。 東洋経済新報社に勤め、1959年カッパ・ブックスより『姦通のモラル』を刊行、一夫一婦制には無理があるとして夫婦の自由恋愛を勧め、嫉妬心を批判した。バートランド・ラッセルの結婚観の影響を受けつつ、博識に裏打ちされた優れた著作である程度売れたが、むろん現状に変化はなく、続編を四部作まで刊行したものの、以後は女性向けの恋愛論や消費者問題に移行。 日本消費者協会勤務の後、消費者問題研究所長。相模女子短期大学教授、相模女子大学教授、同学芸学部長を務めた。
佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月… 佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2016年〈平成28年〉1月1日)は、日本のアメリカ文学者・比較文学研究者・文芸評論家・翻訳家。東京大学名誉教授。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章受章。 富山県出身。古代日本に存在した佐伯部の子孫で神官の家柄。先祖に佐伯有頼がいる。旧制富山高校を経て、東京帝国大学文学部英文科卒業、同大学院修了。旧・東京都立大学助教授を経て、1967年にカナダ・トロント大学で客員教授として日本文学を講義、1968年東京大学教養学部教授、1976年から大学院比較文学比較文化研究室主任。1983年定年退官後は中央大学教授を1993年まで勤め、世田谷文学館館長、2007年退任し名誉館長。
神代 雄一郎(こうじろ ゆういちろう、1922年4月2日 -… 神代 雄一郎(こうじろ ゆういちろう、1922年4月2日 - 2000年)は、日本の建築史研究者、建築評論家、明治大学名誉教授。専門は、近代建築史。建築と環境の関係を研究した。 東京出身。東京帝国大学工学部卒。大学院を経て明治大学理工学部助教授。1962年、「近代建築思潮形成過程の研究」で東京大学工学博士。1962年、教授。1993年、定年退任、名誉教授。
古川 清蔵(ふるかわ せいぞう、1922年3月4日 - 20… 古川 清蔵(ふるかわ せいぞう、1922年3月4日 - 2018年10月17日)は、鹿児島市下荒田町出身のプロ野球選手(外野手、1942年のみ捕手)・競馬評論家。 鹿児島二中から、鹿児島商業学校に進学、八幡製鉄を経て、赤嶺昌志の勧誘で1941年に名古屋に外野手として入団。 捕手を務めていた三浦敏一、服部受弘が2人とも応召されてしまったため、1942年は開幕から捕手として起用される。5月12日の対南海軍戦で川崎徳次からサヨナラ本塁打を放つと、5月24日の大洋戦では、2点ビハインドの9回に野口二郎から同点本塁打を放っている。この試合はそのまま延長戦に入り、当時世界最長の延長28回の末、4対4で引き分けている。
今村 武俊(いまむら たけとし、1922年2月22日 - 2… 今村 武俊(いまむら たけとし、1922年2月22日 - 2012年10月10日)は、日本の文部官僚、教育評論家。鹿屋体育大学第3代学長・名誉教授、鹿児島女子大学第2代学長。 鹿児島県姶良郡東国分村(後の国分市、霧島市の一部)出身。父は鹿児島県(男子)師範学校附属小学校教頭や柁城小学校校長を歴任する今村武彦。父が教頭を務める附属小学校を卒業後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校へ進学して4年次に「高校組」(高等学校進学志望者特別学級)の級長を務め、1939年第七高等学校造士館に首席合格し旧制中学四年修了。1942年第七高等学校造士館文科を卒業。1947年東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年鹿児島県立加治木中学校 (旧制)教諭となる。
鈴木 均(すずき ひとし、1922年2月18日 - 1998… 鈴木 均(すずき ひとし、1922年2月18日 - 1998年10月27日)は、日本の評論家。 東京出身。慶應義塾大学卒。自由社、『世界評論』、『婦人』、『改造』、『女性改造』、平凡社の編集者、『現代の眼』編集長をへて、評論家。
服部 達(はっとり たつ、1922年(大正11年)2月13日… 服部 達(はっとり たつ、1922年(大正11年)2月13日 - 1956年(昭和31年)1月1日)は日本の文芸評論家、翻訳家。 第一高等学校理科を経て京都大学文学部独文科中退(学徒兵として応召)。1954年(昭和29年)、奥野健男、日野啓三、清岡卓行、村松剛、島尾敏雄、遠藤周作、吉本隆明たちと「現代評論」を創刊。同年「新世代の作家たち」を発表。1955年(昭和30年)、評論「われらにとって美は存在するか」を「群像」3月号から9月号まで連載。マルクス主義を背景にしたイデオロギー的批評の全盛期にあって、それとは全く異質な審美的批評の確立を図り、新進批評家として注目を集める。 しかし出版社への借金が嵩み、このことを苦にして、1956年(昭和31年)1月1日、八ヶ岳山麓の清里村キリスト教団清里センター清泉寮から失踪。
畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2… 畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2月12日 - 2012年(平成24年)5月24日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者、合唱指揮者、音楽評論家、作曲家、詩人、翻訳家(訳詞家)、エッセイスト。日本芸術院会員。日本の洋楽の発展に多大な功績を残した。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)に浅野セメントに勤める父・勝次郎と、琴および三絃の師匠をしていた母・筆の長男として生まれる。四人家族で、二つ上の姉がいる。旧制門司中学校に入学、ラッパ鼓隊に所属し小太鼓を担当する。進学先として受験科目に苦手の数学が無い東京音楽学校を選び、人前で歌ったことはなかったが消去法で「声楽科」と書いたという。
星野芳郎(ほしの よしろう、1922年1月13日 - 200… 星野芳郎(ほしの よしろう、1922年1月13日 - 2007年11月8日)は、日本の技術評論家。 東京府生まれ。松本高等学校理科甲類を経て、1944年(昭和19年)東京工業大学電気化学科卒業。内閣技術院参技官補、海軍少尉兵学校教官、文部省科学官補を経て、1946年(昭和21年)に民主主義科学者協会の設立に参加する。 1962年(昭和37年) - 1968年(昭和43年)立命館大学経営学部教授。1981年(昭和56年) - 1997年(平成9年)帝京大学経済学部教授。その他の時期は、主に技術評論家として技術論と現代技術史の研究に専念する。 1961年(昭和36年)に発表された代表的な著作『マイ・カー』は、日本の本格的モータリゼーション初期におけるオーナードライバー向け通俗啓蒙書であり、オーナー自らが運転する自家用自動車を指す「マイカー」my car という和製英語を一般に普及させたとされる。
伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈… 伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈大正11年〉1月11日 - 2010年〈平成22年〉1月31日)は、日本の建築史家・建築評論家・作家。学位は、工学博士。日本の民家研究を行った。 工学院大学学長および理事長。ワシントン大学客員教授、文化財保護審議会委員、文化財建造物保存技術協会理事長などを歴任。 岐阜県安八郡北杭瀬村(現・大垣市)生まれ。旧制大垣中学校を卒業し、第四高等学校に入学。1942年に同校を卒業し、東京帝国大学第二工学部建築学科に進学。1945年に卒業後、東京大学第二工学部大学院で関野克に師事。同大学副手・助手になるが肺結核が悪化し、7年間の入院生活を強いられる。
品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016… 品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016年1月27日)は、日本の教育評論家。新潟県妙高高原町生まれ。日本女子大学家政学部卒。児童科で児童心理学を専攻し卒業。田中教育相談所、主婦の友相談室で教育相談を担当。品川不二郎と結婚、共著も多く、マスコミ、講演を行った。
橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう、1922年1月1日… 橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう、1922年1月1日 - 1983年12月17日)は、日本の政治学者、評論家。弘文堂社員などを経て、明治大学政治経済学部教授。在任中に没した。 長崎県上県郡峰村(現・対馬市)の生まれ。父祖の地は広島県。橋川家は、代々対馬の海産物や木炭などを広島まで運ぶ商いをしていた。 文三3歳の時、父親の故郷・広島県安芸郡仁保村(現・広島市南区仁保)に一家で帰郷。安芸郡海田町などで育つ。青崎尋常小学校(現・広島市立青崎小学校)、広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属高等学校)を経て上京、第一高等学校文科乙類に入学。文芸部に所属。1942年卒業。 同年、東京帝国大学法学部入学。
進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1… 進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1月1日 - 1999年(平成11年)5月9日)は、東京出身の文芸評論家、随筆家、小説家。本名は若倉 雅郎(わかくら まさお)、旧姓は進藤(しんどう)。 川端康成・志賀直哉・芥川龍之介などの論考や、同時代の第三の新人を含む昭和文学の評伝で知られるほか、随筆・回想や小説も書いた。長男は眼科医・作家の若倉雅登。
佐藤 一(さとう はじめ、1921年12月10日 - 200… 佐藤 一(さとう はじめ、1921年12月10日 - 2009年6月17日)は、日本の労働評論家。松川事件の被告の一人。 栃木県日光市に生まれる。1936年今市高等小学校卒業、38年5月国際精機設計部に入り、W・R・ゴーハム技師長の指導を受ける。1941年東京芝浦電気・マツダ研究所に入る。 1943年6月海軍に召集され、通信学校で電探の教育を受けて青森、稚内、樺太に勤務。 1945年8月復員、東芝に復帰。鶴見工場設計部勤務となり、労働組合役員兼務。 1949年、松川事件の被疑者として逮捕され、第一審で死刑の判決を受ける。1963年9月12日、最高裁は検察側の再上告を棄却し、被告人20人の無罪が確定した。