杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 19… 杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 1952年9月24日)は、日本の経済学者。
職業が経済学者:2,177人
杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 19… 杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 1952年9月24日)は、日本の経済学者。
鈴木 武雄(すずき たけお、1901年4月27日 - 197… 鈴木 武雄(すずき たけお、1901年4月27日 - 1975年12月6日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。武蔵大学学長。 1901年、兵庫県生まれ。神戸一中、第三高等学校を卒業。東京帝国大学経済学部に進んで1925年に卒業。 卒業後は、1928年京城帝国大学助教授に着任。1935年、教授昇進。敗戦で日本に引き揚げ、1949年に武蔵大学教授・経済学部長となった。1957年、東京大学経済学部教授となる。1961年、経済学博士号を取得。1962年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は武蔵大学教授となり、学長もつとめた。
井汲 卓一(いくみ たくいち、1901年4月1日 - 199… 井汲 卓一(いくみ たくいち、1901年4月1日 - 1995年7月25日)は、日本の経済学者、東京経済大学学長。 1901年、滋賀県で生まれた。旧制東京府立第一中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学医学部に進学。しかし東京帝国大学文学部に転学して卒業。 卒業後は、富山高等学校講師となり赴任。翌1925年に教授となったが、1927年に京大事件に連座したとして富山高等学校を辞職した。その後、同年中に日本大学講師となって、1929年まで在職した。 1928年9月、産業労働調査所の所員となった。1931年4月に検挙されたが保釈され、その後岩波書店における『日本資本主義発達史講座』の編集作業に参画し、羽仁五郎、大塚金之助と知り合った。
多田 基(ただ もとい、1901年(明治34年)1月23日 … 多田 基(ただ もとい、1901年(明治34年)1月23日 - 1995年(平成7年)12月21日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授、学校法人実践女子学園理事長、大月短期大学名誉教授。 1901年(明治34年)1月23日、鳥取県鳥取市に生まれる。1925年(大正14年)に法政大学経済学部を卒業し、1947年(昭和22年)に法政大学教授に就任する。 1961年(昭和36年)に大月短期大学学長に就任する。1974年(昭和49年)に実践女子学園理事長に就任し、1978年(昭和53年)に実践女子大学・短期大学学長を兼任する。 1995年(平成7年)12月21日に死去、94歳。 内田百閒の教え子で、黒澤明の『まあだだよ』の題材である「摩阿陀会」の肝煎(幹事)の一人である。
酒井 正三郎/正兵衛(さかい しょうざぶろう/しょうべえ、1… 酒井 正三郎/正兵衛(さかい しょうざぶろう/しょうべえ、1901年1月1日 - 1981年4月15日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)校長や、初代名古屋大学経済学部長、経済社会学会会長、日本学術会議会員等を歴任した。 1901年、岐阜県岐阜市生まれ。岐阜中学(現岐阜県立岐阜高等学校)、東京商科大学(現一橋大学)予科を経て、1924年に同大本科を卒業。大学では左右田喜一郎に師事した。1942年に学位論文『国民経済ノ構造変動ノ本質並ニ原因ニ関スル研究』を提出して経済学博士号を取得。 1922年より指導教官左右田が主催した横浜社会問題研究所主任研究員。
渡邉 信一(わたなべ しんいち、1901年 - 1984年… 渡邉 信一(わたなべ しんいち、1901年 - 1984年)は、日本の経済学者。東京帝国大学経済学部教授、名古屋大学経済学部長などを経て、名古屋大学名誉教授。 愛知県出身。1922年第八高等学校文科甲類卒業。1925年東京帝国大学経済学部経済学科卒業、東京帝国大学経済学部助手。1946に東京帝国大学経済学部教授を辞職し、1948年から名古屋大学法経学部教授として経済史講座を担当した。1950年名古屋大学評議員。1952年名古屋大学学生部長。1955年名古屋大学経済学部長。退官後、名古屋大学名誉教授。1984年正四位。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
脇村 義太郎(わきむら よしたろう、1900年12月6日 -… 脇村 義太郎(わきむら よしたろう、1900年12月6日 - 1997年4月17日)は、日本の経済学者。専攻は経営史。1964年から日本学士院会員、1988年から1994年まで第20代日本学士院院長を務める。1992年文化功労者。東京大学名誉教授。 父は実業家・脇村市太郎。甥に日本高等学校野球連盟会長を務めた脇村春夫がいる。 1900年、現在の和歌山県田辺市に生まれる。旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)を経て、1921年第三高等学校卒業。1924年、東京帝国大学経済学部商業学科卒業。 1924年東京帝大助手、1926年東京帝大助教授となる。1935年から37年にかけてヨーロッパへ留学するも、帰国後の1938年人民戦線事件で検挙され、退官。
鬼頭 仁三郎(きとう にさぶろう、1900年12月1日 - … 鬼頭 仁三郎(きとう にさぶろう、1900年12月1日 - 1947年9月29日)は、日本の経済学者。 愛知県名古屋市出身。1925年東京商科大学卒、1928年同研究科卒。高垣寅次郎に師事した。東京商大図書館に勤め、1935年東京商大附属商業専門部教授、1940年東京商大教授を兼任した。1945年東京商大附属商学専門部長、同商業教育養成所長となった。1947年叙官吏一級、正五位。墓所は多磨霊園。 ケインズの「貨幣論」を翻訳し1932-1934年に刊行。「貨幣と利子の動態」をはじめとする貨幣論の著作によって、ケインズ金融理論の発展に努めた。弟子に三上隆三、吉野昌甫らがいる。英文学者で作家の北條文緒は娘。
藤林 敬三(ふじばやし けいぞう、1900年11月8日 - … 藤林 敬三(ふじばやし けいぞう、1900年11月8日 - 1962年9月15日)は、日本の経済学者。専門は労働経済論。 大阪市南区出身。1926年慶應義塾大学経済学部を卒業、経済学部助手に就任。1929年11月~32年2月の間に慶應義塾派遣留学生としてドイツ(ベルリン大学・ライプツィヒ大学)・フランス・イギリス・アメリカに留学し、心理学・産業心理学を学ぶ。1932年慶大経済学部助教授、1934年教授。1937年11月~39年8月の期間、看護兵として中支各地の病院に勤務した。1945年「労働者政策ト労働科学ニ就イテ」で慶大経済学博士を取得。その後も労働経済論・経済心理学を研究し、1959年には慶應義塾大学産業研究所初代所長に就任する。
江頭 恒治(えがしら つねはる、1900年10月7日 - 1… 江頭 恒治(えがしら つねはる、1900年10月7日 - 1978年10月5日)は、日本の経済学者。滋賀大学名誉教授。 佐賀県生まれ。1924年佐賀高等学校を卒業。同年、京都帝国大学経済学部に入学し、本庄栄治郎のもとで日本経済史を学び、1927年卒業。浪速高等学校講師などを務めたのち、1933年黒正巌が開設した日本経済史研究所の所員となる。1937年、満州建国大学助教授、1940年に同大学教授。戦後、1947年2月に彦根経済専門学校講師となり、翌3月同校教授。1949年に同校が新設の滋賀大学に包摂されると、同大学教授となり、兼ねて同大学彦根経済専門学校教授に任ぜられる。1961年、定年退官、名誉教授。
野口祥昌(のぐち よしまさ、1900年(明治33年)7月30… 野口祥昌(のぐち よしまさ、1900年(明治33年)7月30日 - 1970年(昭和45年))は、日本の農業経済学者。 茨城県出身。1918年(大正7年)茨城県立土浦中学校(後の茨城県立土浦第一高等学校)卒業。1927年(昭和2年)北海道帝國大学農学部農業経済学科卒業。同年、北海中学校(後の北海高等学校)教諭。1943年(昭和18年)札幌商業学校(後の北海学園札幌高等学校)教頭。1949年(昭和24年)北海学院兼任教授。1950年(昭和25年)北海短期大学開学に伴い北海短期大学経済科助教授。1959年(昭和34年)札幌商業高等学校(後の北海学園札幌高等学校)校長に就任。学校法人北海学園理事。1968年(昭和43年)上原轍三郎理事長の死去にともない暫定的に学校法人北海学園理事長事務取扱を兼任。
長 守善(ちょう もりよし、1900年(明治33年)5月26… 長 守善(ちょう もりよし、1900年(明治33年)5月26日 - 1971年(昭和46年)6月8日)は、日本の経済学者。中央大学名誉教授、松商学園短期大学第4代学長。 1900年、愛媛県松山市生まれ。第四高等学校から、東京帝国大学経済学部に進み、1926年に卒業した。大学院在籍ののち満鉄調査部へ勤務。ベルリン大学留学。 戦後は1948年に中央大学教授となり、経済学部長、経済学研究所長(1964年 - 1966年)などを歴任した。その間、1959年に「福祉国家イギリスの研究:その理念、形成、政策」を一橋大学に提出し、経済学博士の学位を取得。 中央大学を退職して名誉教授となり、1970年4月1日から松商学園短期大学の第4代学長に就任して、4年制大学への昇格を目指すに取り組みに着手したが、在職中の1971年6月8日に急逝した。
時子山 常三郎(とこやま つねさぶろう、1900年〈明治33… 時子山 常三郎(とこやま つねさぶろう、1900年〈明治33年〉4月9日 - 1984年〈昭和59年〉6月26日)は、日本の経済学者。早稲田大学第9代総長。日本私立大学連盟第5代会長。 長男は元一橋大学経済学部教授で計量経済学者の時子山和彦。 1900年4月8日、大阪府堺市に生まれる。旧制桃山中学校(現・桃山学院中学校・高等学校)卒業。早稲田大学附属第一高等学院文科(政経)、早稲田大学政治経済学部経済学科を経て、1927年4月、早稲田大学大学院(財政学・統計学専攻)に進学し、1929年3月まで在籍する。1933年4月から在外研究員としてアメリカ合衆国・ドイツに留学する。 1939年4月から早稲田大学専門部政治経済科教授に、1940年2月から同大学政治経済学部教授に、1949年4月から第一・第二政治経済学部教授および同学部長になる。
春日井 薫(かすがい かおる、1900年1月26日 - 19… 春日井 薫(かすがい かおる、1900年1月26日 - 1981年2月10日)は、昭和期の日本の経済学者・教育学者。専門は金融論。学位は、商学博士(明治大学・1939年)。元明治大学マンドリン倶楽部部長。元明治大学総長。 1900年、愛知県西加茂郡小原村上仁木(豊田市小原大倉町)生まれ。1921年、明治大学専門部商科を卒業。1923から1926年までアメリカ、イギリスに留学した。 1928年、明治大学商学部教授に就任。1939年、学位論文『英國に於ける兌換銀行券發行の原則論議の研究』を明治大学に提出して商学博士号を取得。1949年 より明治大学商学部長。1951年、明治大学学長に就任。1970年からは明治大学総長。
四方 博(しかた ひろし、1900年1月2日 - 1973年… 四方 博(しかた ひろし、1900年1月2日 - 1973年5月13日)は、日本の経済学者。専門は朝鮮社会経済史。 1900年、神戸市で生まれた。東京帝国大学経済学部を卒業後、同大学助手として採用され勤務。1924年に京城高等商業学校講師として朝鮮半島に赴任。経済学研究のため欧米に研究留学をした後、1926年に京城帝国大学に法学部が創設されると助教授となった。大学では、経済学第一講座を担当した。1928年には、京城帝国大学に「朝鮮経済研究所」を付設し、資料の収集と整理にあたった。1930年、京城帝国大学教授に昇格。 1945年の太平洋戦争終結にともない日本に帰国。1947年に愛知大学教授に就いた。
渡辺 輝一(わたなべ きいち、1900年 - 1988年)は… 渡辺 輝一(わたなべ きいち、1900年 - 1988年)は、日本の経済学者。専門は経済政策。太平洋戦争中南洋学院教授を務め、日本の降伏後、横浜国立大学経済学部学部長などを経て、横浜国立大学名誉教授。 愛媛県出身。1923年に東京商科大学(現一橋大学)卒業。町田實秀(のちに法制史学者、一橋大学名誉教授)とは三浦新七ゼミの同期。1924年に横浜高等商業学校が開校されると同校教授に着任し、商業政策、交通論、商業英語を担当した。また、同校と横浜市立横浜商業専門学校の教授の懇談会をイスペ会と命名した。ゼミの指導学生に上野豊(のちに横浜商工会議所会頭等)などがいた。 1941年に太平洋戦争が始まると、横浜高等商業学校内に、田尻常雄校長が自らが所長となり設立された太平洋貿易研究所において、各務財団から助成を受けて調査研究に従事し、さらに仏印進駐後には、1942年に新設された南洋学院の教授に就任し、フランス領インドシナでの現地調査も行った。
大野 信三(おおの しんぞう、1900年 - 1997年)は… 大野 信三(おおの しんぞう、1900年 - 1997年)は、大正から昭和の日本の経済学者、教育者。明治大学商学部教授・商学部部長、創価大学経済学部教授・経済学部長、中央大学教授、立教大学教授。理論経済学の泰斗として知られる。 1900年、北海道生まれ。 1921年(大正10年)、立教大学商科を卒業後、立教大学教授に就任。同年、留学生として渡欧し、ベルリン大学において経済学の研究に従事する。 熱心に研究活動を行っていたところ、立教大学より帰国するよう命じられ、1926年(大正15年)にシベリア鉄道経由で帰国するものの、なぜか大学教授の職を解かれてしまう。大野は当時病気のため、仕方なく郷里の北海道へ帰り、静養のかたわらで専攻科目の研究に没頭した。
大林 良一(おおばやし りょういち、1899年11月17日 … 大林 良一(おおばやし りょういち、1899年11月17日 -1988年10月18日 )は、日本の経済学者である。専門は、社会保障学、保険学。一橋大学名誉教授、第9代成城大学学長。
寺尾 琢磨(てらお たくま、1899年〈明治32年〉10月1… 寺尾 琢磨(てらお たくま、1899年〈明治32年〉10月19日 - 1984年〈昭和59年〉9月13日 )は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は統計学と人口論。 1899年静岡県榛原郡相良町生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1924年、慶應義塾大学経済学部卒業。1926年、同学部助手。1929年、イギリス、フランス、ドイツに留学(統計学の研究のため、1932年まで)。帰国後、慶應義塾大学経済学部助教授、1934年、同、教授。1950年、博士号取得。1957年から1959年まで経済学部学部長及び経済学研究科研究科研究科長。 その他、慶應義塾大学産業研究所副所長、同大学国際センター所長、同大学大学院社会学研究科委員長を歴任。
服部 英太郎(はっとり えいたろう、1899年4月29日-1… 服部 英太郎(はっとり えいたろう、1899年4月29日-1965年12月20日)は、日本のマルクス経済学者。 和歌山県出身。東京帝国大学経済学部卒。東北帝国大学経済学部助教授、1935年教授。42年治安維持法違反容疑で検挙、東京に予防拘禁される。1946年復職。1951年「ドイツ社会政策論史」で東北大学経済学博士。1962年福島大学経済短期大学部学長を兼任、東北大を定年退官、名誉教授。子に服部文男。戦後の社会政策論争で大河内一男の説を批判した。
福井 孝治(ふくい こうじ、1899年4月1日 - 1977… 福井 孝治(ふくい こうじ、1899年4月1日 - 1977年3月13日)は日本の経済学者・社会科学者。大阪経済大学、旧制大阪商科大学、大阪市立大学の学長を歴任。学位は経済学博士(大阪商科大学)。大阪市立大学名誉教授。 愛知県出身。第八高等学校を経て1922年京都帝国大学経済科卒、同大学院に進学、河上肇に師事した。1925年、福島高等商業学校(現・福島大学経済学部)教授。1929年に旧制大阪商科大学助教授に就任し1933年教授、経済学原論やドイツ語を講じた。戦後は学制改革に伴い1949年に大阪商科大などを母体に発足した大阪市立大学経済学部教授。翌1950年からは前年に急逝した黒正巌に代わり大阪経済大学の学長(第2代)も務めた(-1960年)。
高木 寿一(たかぎ としかず、1899年2月26日 - 19… 高木 寿一(たかぎ としかず、1899年2月26日 - 1976年6月30日)は、日本の経済学者・財政学者。慶應義塾大学名誉教授。 東京府東京市浅草区(現台東区)浅草生まれ。1921年慶應義塾大学部理財科卒、大学院に進む。1924年慶應義塾高等部教員、1927年よりヨーロッパに学ぶ。1949年慶應義塾大学経済学部教授となり、1953年「近代資本主義国家財政の経済的機能の発展」で経済学博士の学位を取得。1969年定年となり、名誉教授、流通経済大学教授を務めた。
猪谷 善一(いたに ぜんいち、1899年2月15日 - 19… 猪谷 善一(いたに ぜんいち、1899年2月15日 - 1980年1月16日)は、日本の経済学者。 富山県出身。1923年東京商科大学卒、同年助手、パリ留学をへて1927年助教授、1937年教授。1938年「最近日本貿易の伸展に関する実証的研究」で経済学博士。1939年退職、大阪商工会議所理事。亜細亜大学教授。1971年定年、駒澤大学教授。上田貞次郎に師事した。 妻の妙子は、幼女の頃より中勘助に愛された人として知られる(『中勘助の恋』富岡多恵子、創元社、1993)。中の学友・江木定男(江木鰐水の孫)とその妻・万世(関新平の娘で、定男の継母・悦子の妹でもあり、鏑木清方の代表作「築地明石町」のモデル)との娘で、お茶の水女学校を出て猪谷と結婚し出産もしたが、35歳で早世した。
東畑 精一(とうばた せいいち、1899年(明治32年)2月… 東畑 精一(とうばた せいいち、1899年(明治32年)2月2日 - 1983年(昭和58年)5月6日)は、日本の農業経済学者。農学博士。位階は従二位。次女は東畑朝子。 三重県出身。シュンペーターの革新論や企業者論を中軸に日本の資本主義や農業問題に独自の解明を行った『日本農業の展開過程』などで第二次世界大戦の終結までは主に学究面で活躍、戦後は農林省農業総合研究所所長、アジア経済研究所所長、税制調査会会長など多くの調査研究機関、政策関係委員会の要職を歴任、戦後の日本社会に多方面で大きな影響を与えた。 1899年、三重県一志郡豊地村(現・松阪市)の地主の家に生まれた。東畑吉之助の長男。 三重県立第一中学校を経て、1919年7月旧制第八高等学校第二部丙類卒業ののち、東京帝国大学農学部に入学、農業経済学を専攻した(在学中の友人に蠟山政道・勝次郎(のち山田姓)兄弟がいる)。
平岡 市三(ひらおか いちぞう、1898年(明治31年)12… 平岡 市三(ひらおか いちぞう、1898年(明治31年)12月20日 - 1952年(昭和27年)3月20日)は、昭和期の経済学者、教育者、政治家。参議院議員(2期)、経済学博士。 静岡県富士郡北山村(現・富士宮市)出身。1923年(大正12年)日本大学商学部法律学科を卒業した。アメリカに留学し、ワシントン大学、アリゾナ大学で学んだ。 米国カリフォルニア州カダループ日本人会書記長兼日本語学校長、日本大学専門部教授、同経済学部教授、同大監事、日本女子経済専門学校(現嘉悦大学)校長、日本女子経済短期大学(のち嘉悦大学短期大学部)学長、静岡県田子浦高等学校(現静岡県立吉原工業高等学校)校長、嘉悦学園理事長、平岡政治経済研究所長、公認会計士試験委員などを務めた。
広沢 吉平(ひろさわ きちへい、1898年12月20日 - … 広沢 吉平(ひろさわ きちへい、1898年12月20日 - 1989年1月4日)は、昭和時代の日本の農業経済学者。茨城県西茨城郡西那珂村(現在の桜川市)出身。専攻は農業史。旭川大学学長として、再建の立役者となった。 地主の末子に生まれ、当初は第二高等学校に入り医大を目指していたが、解剖学の授業に衝撃を受けて農学志望に転向する。1925年東京帝国大学農学部卒業後、更に法学部に転じて1929年卒業する。この間に吉野作造の新人会に所属していた。卒業後は恩師の佐藤寛次の勧めで農学部講師となる。1936年には東京農業大学農学部農業経済学科教授となった。 1941年、日本の支援で中華民国南京政府(汪兆銘政権)が設置した国立上海大学設置に際し、教授に招聘されて上海に渡るが、日本の第二次世界大戦敗北と同時に同大学も閉鎖される。
榊原 巌(さかきばら がん、1898年〈明治31年〉11月1… 榊原 巌(さかきばら がん、1898年〈明治31年〉11月17日 - 1994年〈平成6年〉11月30日)は、日本の経済学者、キリスト教(アナバプティズム)研究家、政治家、実業家。青山学院大学名誉教授。筆名は、吾妻 東一、福田 逸史。 妻は衆議院議員の榊原千代。息子はヒッポファミリークラブ創設者の榊原陽。 愛知県碧南市生まれ。1921年(大正10年)3月、官立神戸高等商業学校を中途退学する。同年4月に東京商科大学(現・一橋大学)本科に入学し、1924年(大正13年)3月に卒業する。同年4月に横浜社会問題研究所の研究員に就任する。 1926年(大正15年)6月から福島高等商業学校(現・福島大学)講師、1927年(昭和2年)7月から同校教授に就任する。
大森 義太郎(おおもり よしたろう、1898年〈明治31年〉… 大森 義太郎(おおもり よしたろう、1898年〈明治31年〉9月26日 - 1940年〈昭和15年〉7月28日)は、日本のマルクス経済学者。筆名に成瀬 光雄がある。 神奈川県横浜市で大森啓助の子として生まれる。1922年(大正11年)東京府立四中から一高を経て、東京帝国大学経済学部卒。卒業と同時に同学部助手。1924年(大正13年)東京帝大助教授。 1928年(昭和3年)4月、赤化教授への政府の弾圧が徹底的であり、早晩退職を余儀なくされるとして、先手を打つように辞表を提出して辞職。以後は講壇ジャーナリストとして生活することになる。 1933年(昭和8年)に『唯物弁証法読本』を出版。 1937年(昭和12年)の人民戦線事件で検挙される。
中山 伊知郎(なかやま いちろう、1898年9月20日 - … 中山 伊知郎(なかやま いちろう、1898年9月20日 - 1980年4月9日)は、日本の経済学者。経済学博士(東京商科大学・1939年)。一橋大学初代学長、一橋大学名誉教授。日本における近代経済学の導入に貢献した。1963年から1980年まで日本学士院会員。1968年文化功労者。第4期日本学術会議副会長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。勲一等瑞宝章受章。 父である中山朝之助は福島の平(現・いわき市)で生まれ、その後三重の宇治山田(現・伊勢市)で山田朝報という新聞社を創業し、主筆を務めた。旧制宇治山田中学(現・三重県立宇治山田高等学校)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、1923年に東京商科大学(現・一橋大学)本科を卒業し、同年4月、東京商科大学大学助手に就任。
志村 茂治(しむら しげはる、男性、1898年(明治31年)… 志村 茂治(しむら しげはる、男性、1898年(明治31年)9月10日 – 1971年(昭和46年)8月9日)は、神奈川県出身の政治家、経済学者。衆議院議員(3期)。 三浦郡初声村和田(現・三浦市)に、志村広太郎の長男として生まれる。1921年(大正10年)東京帝国大学農学部実科、1925年(大正14年)京都帝国大学経済学部を卒業、東京帝国大学農学部教授・佐藤寛次の研究室に入り農業経済学を専攻。ベルリン大学、ハイデルベルク大学にも学び、帰国後は専修大学経済学部講師、日本大学商経学部教授、中央物価統制協力会議調査部長を務める。 戦後、神奈川県農地委員を務めていた1952年(昭和27年)、第25回衆議院議員総選挙において、旧神奈川2区にて 左派社会党から立候補し当選。
大野 純一(おおの じゅんいち、1898年8月5日 - 19… 大野 純一(おおの じゅんいち、1898年8月5日 - 1982年1月31日)は、日本の経済学者。専門は財政学。初代小樽商科大学学長。 北海道滝川町出身。1919年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業。1922年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部卒業。同年小樽高等商業学校講師。同年小樽高等商業学校助教授。 1924年小樽高等商業学校教授。1927年から1931年までドイツに留学。1945年小樽経済専門学校図書館主幹。1946年から校長を務め、1947年には男女共学制度を施行。1949年から初代小樽商科大学学長。1950年小樽セーリング協会会長。 1952年に小樽商科大学短期大学部を設置。1962年定年退官、小樽商科大学名誉教授。
小林 良正(こばやし よしまさ、1898年3月1日 - 19… 小林 良正(こばやし よしまさ、1898年3月1日 - 1975年12月29日)は、日本の経済学者。経済学博士。専修大学名誉教授(第一号)。いわゆる『講座派』に属し、マルクス経済学の立場から日本資本主義の分析をおこなった。 東京に生まれる。東京帝国大学卒業後、1923年(大正12年)に専修大学講師、1929年(昭和4年)には同学教授になった。1930年(昭和5年)、山田盛太郎、平野義太郎とともに治安維持法違反の名目で検挙、不起訴となるが教授を辞任して社会評論家として活動する。1932年(昭和7年)から岩波書店で刊行された『日本資本主義発達史講座』に論文を執筆、『講座派』の有力なメンバーとして労農派との論争を行う。
金原 賢之助(きんばら けんのすけ、1897年11月30日 … 金原 賢之助(きんばら けんのすけ、1897年11月30日 - 1959年1月18日)は、日本の経済学者。慶應義塾大学教授。 1897年に静岡県浜松市に生まれる。1916年に浜松商業学校を卒業後、慶應義塾大学部理財科に入学し、高橋誠一郎のゼミナールで学ぶ。1921年に同大学を卒業し、助手となる。1923年に慶應義塾大学予科教員となり、1925年から1928年まで欧米(イギリス、ドイツ、フランス、オーストリア、アメリカ)に留学する。1928年に慶應義塾大学経済学部助教授、1929年に教授となる。1937年に「世界経済の動向と金本位制度」の題目の論文で博士号を取得する。1946年に経済学部長となり、1957年に商学部設置に伴い商学部長・商学部教授となる。
奥井 復太郎(おくい ふくたろう、1897年(明治30年)1… 奥井 復太郎(おくい ふくたろう、1897年(明治30年)11月21日 - 1965年(昭和40年)2月16日)は、昭和期の日本の都市経済学者・都市社会学者・農業経済学者。経済学博士。慶應義塾長、日本における都市研究の先駆者。景観論や風景へのアプローチも行った。 日本都市学会初代会長、文化勲章受章者選考委員会ならびに文化功労者選考審査会委員、特殊法人国民生活研究所(現・独立行政法人国民生活センター)所長、日本開発センター顧問、財団法人観光産業研究所所長、地域開発研究所所長、海運経済研究所調査委員会委員、ユネスコ国内委員、社会開発懇談会委員等を歴任。
宇野 弘蔵(うの こうぞう、1897年11月12日 - 19… 宇野 弘蔵(うの こうぞう、1897年11月12日 - 1977年2月22日)は、日本のマルクス経済学者。 日本のマルクス経済学者の中でも特に影響力の大きな一人であり、その学派は宇野学派と称された。宇野学派は新左翼や社会主義協会に影響をあたえた。 岡山県倉敷市に生まれる。旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)に入学し、同期には、後に宇野の人生に大きな影響を与えた西雅雄や一高の特待生となる松田享爾、関西大学法学部教授になる高木益郎がいた。卒業後、第六高等学校を経て、1921年に東京帝国大学経済学部卒業。1954年、経済学博士(東京大学)。 1921年、大原社会問題研究所入所。ドイツ留学を経て、1924年に東北帝国大学法文学部経済学第三講座(経済政策論)助教授。
水谷 一雄(みずたに かずお、1897年10月12日 - 1… 水谷 一雄(みずたに かずお、1897年10月12日 - 1981年9月12日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(神戸経済大学・1955年)(学位論文「数学的思惟と経済理論」)。神戸大学名誉教授。従四位勲二等瑞宝章。 1897年、愛知県渥美郡高豊村字七根に生まれる。1923年、神戸高等商業学校卒業、1926年、東京商科大学卒業。 1926年神戸高等商業学校講師、1929年神戸高等商業学校附属商業専門部教授、1932年神戸商業大学助教授、1939年同大学教授、1944年神戸経済大学教授に就任。 1946年、授勲三等瑞宝章、叙従四位。 1953年、神戸大学経済学部教授(1950年とする記述もある)に就任、1955年、学位論文「数学的思惟と経済理論」で神戸経済大学から経済学博士の学位を取得。
山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年〈明治30年〉1… 山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年〈明治30年〉10月7日 - 1982年〈昭和57年〉6月7日)は、日本の農業経済学者、実業家。筆名は柏崎次郎。旧姓・蝋山。蠟山政道の弟、小山長四郎(美峰酒類社長)、蝋山芳郎の兄。 群馬県高崎市歌川町に、蝋山政次郎の次男として生まれる。新潟県柏崎の祖父母のもとで育ち、旧制柏崎中学校(現・新潟県立柏崎高等学校)、旧制第一高等学校を卒業。1922年(大正11年)東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。同年山田昌吉(高崎商工会議所第6代会頭)の娘・とくと結婚し、山田に改姓。 東京帝国大学の副手・助手を経て、1925年(大正14年)京都帝国大学助教授となる。1926年(大正15年)から文部省在外研究員として1928年(昭和3年)までイギリス・ドイツ・フランスに滞在した。
我妻 東策(あずま とうさく、1897年9月22日 - 19… 我妻 東策(あずま とうさく、1897年9月22日 - 1983年1月19日)は、農業経済学者。 栃木県上都賀郡今市町(現・日光市)出身。1923年東京帝国大学農学部農業経済学科卒、1924年同経済学部卒。1924年東京農業大学講師、1925年教授。1937年「士族授産ニ関スル研究」で農学博士。1960-1966年農学部長、1967年定年退職、名誉教授。1952年日本農業経済学会理事。農村の家族制度、農業政策などを研究。
生島 広治郎(生島 廣治郎、いくしま ひろじろう、1897年… 生島 広治郎(生島 廣治郎、いくしま ひろじろう、1897年(明治30年)7月4日 - 1983年(昭和58年)10月2日)は、日本の経済学者。経済学博士。近畿大学名誉教授。 兵庫県神戸市元町通1丁目、生島藤吉の二男。1920年、神戸高等商業学校卒業。1922年、東京商科大学専攻部卒業(商学士)、同年に神戸高等商業学校商業研究所調査員。1923年、神戸高等商業学校講師。1926年、神戸高等商業学校教授。 1930年、神戸商業大学助教授。1933年、神戸商業大学教授。1944年、神戸経済大学教授となる。1945年、神戸経済大学より「世界経済学ノ根本問題」で経済学博士の学位を授与され、同大学を退官する。
長谷部 文雄(はせべ ふみお、1897年(明治30年)6月2… 長谷部 文雄(はせべ ふみお、1897年(明治30年)6月29日 - 1979年(昭和54年)6月13日)は、日本の経済学者。 愛媛県出身。愛媛県立今治中学校卒業後、第一高等学校に進学し、1920年に同校英法科を卒業し、京都帝国大学経済学部に入学。1923年に学士試験に合格し、「経済原論」の研究のため、同大学大学院に進学する。その後、同志社大学講師となり、教授であった1933年には治安維持法違反で検挙起訴され、同志社大学を退職した。戦後、立命館大学教授、龍谷大学教授、1977年退職。 マルクス主義経済学文献の翻訳を行い「資本論」を完訳した。
山田 文雄(やまだ ふみお、1897年5月14日 - 197… 山田 文雄(やまだ ふみお、1897年5月14日 - 1978年8月16日)は、昭和期の経済学者。東京帝国大学経済学部教授、愛知大学第7代学長。 1897年、東京生まれ。海軍兵学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業。大学院に進み河合栄治郎に師事した。卒業後は京城帝国大学予科講師となり、同大学法文学部助教授を経て、1930年東京帝国大学経済学部助教授となった。1931年に教授に昇進し、工業政策を担当した。しかし、1939年に平賀粛学により河合栄治郎に殉じて木村健康助手とともに辞職。同年、鶴見祐輔の運営する太平洋協会に入り調査部長となる。 戦後は1947年東京都副知事を経て、1950年より愛知大学法経学部教授となった。
蜷川 虎三(にながわ とらぞう、1897年2月24日 - 1… 蜷川 虎三(にながわ とらぞう、1897年2月24日 - 1981年2月27日)は、日本の政治家、経済学者、統計学者。初代中小企業庁長官。元京都府知事(1950年 - 1978年)。 東京府東京市深川区深川入船町(現在の東京都江東区木場一丁目)の材木商の家に生まれた。旧制東京府立第三中学(現:東京都立両国高等学校・附属中学校、同学年に正木ひろし(弁護士)がおり、英語教諭だった北昤吉(北一輝の弟)の授業を受ける)、農商務省水産講習所(現:東京海洋大学)卒業後、京都帝国大学経済学部に入学、1923年に卒業。1927年、同助教授となる。当初はマルクス経済学者の河上肇に私淑し、漁業水産経済学を研究していたが、ドイツに留学後、『統計利用に於ける基本問題』で経済学博士号を取得するも教授に昇格するのはずっと遅く1942年(昭和17年)だった。
向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 19… 向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 1985年1月22日)は、日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。 福岡県大牟田市に会社員の息子として生まれる。弟に向坂正男、山崎八郎がいる。福岡県立八女中学校(1年夏から3年夏までは北海道庁立小樽中学校に転校。)、同県立小倉中学校、第五高等学校を経て、1921年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業すると、同学部の助手となった。五高在学中、ドイツ語の勉強のために、カール・マルクスの著作を読んだことからマルクス主義に傾倒するようになったという。 1922年11月より1925年5月までドイツ・ベルリンに留学。
山田 盛太郎(やまだ もりたろう、1897年(明治30年)1… 山田 盛太郎(やまだ もりたろう、1897年(明治30年)1月29日 - 1980年(昭和55年)12月27日)は、昭和期日本のマルクス経済学者。東京大学名誉教授。愛知県出身。東京帝国大学卒業。
青木 孝義(靑木孝義、あおき たかよし、1897年1月19日… 青木 孝義(靑木孝義、あおき たかよし、1897年1月19日 - 1962年1月14日)は、日本の経済学者、政治家。位階は正三位、勲等は勲二等。日本大学教授、衆議院議員(3期)、国務大臣、経済安定本部総務長官(第7代)。経済学博士。 愛知県南設楽郡平井村(現在の新城市)出身。1920年3月、日本大学専門部政治科を卒業。さらに1921年に同大高等専攻科を卒業。その後、日大から派遣されドイツに留学し、ベルリン大学、ハイデルベルク大学、ゲッティンゲン大学で、金融などを学び経済学博士の学位を取得。帰国後、日本大学の教授、経済学部長、理事を歴任。 戦後、1946年4月の第22回衆議院議員総選挙で愛知県第2区に日本自由党から立候補し初当選。
伊藤 久秋(いとう ひさあき、1897年 - 1980年10… 伊藤 久秋(いとう ひさあき、1897年 - 1980年10月27日)は、日本の経済学者。青山学院大学経済学部名誉教授。立地論が専門。 長崎県出身。長崎高等商業学校卒、1944年「地域の経済理論」で京都帝国大学より経済学博士の学位を取得。長崎高等商業学校教授、1926年までドイツ・フライブルクに学び、のち青山学院大学経済学部教授。1968年定年、名誉教授、大東文化大学教授。
堀江 邑一(ほりえ むらいち、1896年12月18日 - 1… 堀江 邑一(ほりえ むらいち、1896年12月18日 - 1991年11月24日)は、日本の経済学者。 専攻はソ連経済、マルクス経済学。妻は日本共産党衆議院議員の苅田アサノ。日ソ協会(現日本ユーラシア協会)顧問などを務めた。 徳島県の出身。京都帝国大学経済学部を卒業後、同大大学院に進学し河上肇の一番弟子として彼の薫陶を受ける。1926年に高松高等商業学校(現・香川大学経済学部)教授となり、翌年ドイツへ留学しベルリン社会科学研究会(後のベルリン反帝グループ)に参加、ドイツ共産党へも入党した。また、1933年には上海の東亜同文書院に留学するが、この時高商時代の政治活動を理由に検挙、留学から半年足らずで内地へ戻ると共に休職。
土屋 喬雄(つちや たかお、1896年〈明治29年〉11月2… 土屋 喬雄(つちや たかお、1896年〈明治29年〉11月21日 - 1988年〈昭和63年〉8月19日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。東京都生まれ。日本経済史専攻。 仙台一中卒業ののち、1918年に旧制第二高等学校を卒業し、1921年に東京帝国大学卒業。1924年、東京帝国大学経済学部助教授。日本資本主義論争では労農派の論客として活躍。人民戦線事件に連座し、大学を追放される。戦後、大学復帰。1954年に「封建社会崩壊過程の研究」により東京大学から経済学博士の学位を授与される。 1957年に東京大学を定年退官した後は明治大学、千葉敬愛経済大学、駒澤大学、拓殖大学、城西大学で教授として教鞭をとる。
福田 敬太郎(ふくだ けいたろう、1896年9月24日 - … 福田 敬太郎(ふくだ けいたろう、1896年9月24日 - 1980年1月15日)は、日本の商学者・経済学者。学位は、商学博士。神戸大学名誉教授。第3代神戸大学学長(在任:1959年12月16日 - 1963年12月15日)。名古屋学院大学初代学長。独自の観点で商学を体系化した「福田商学」で知られる。弟子は荒川祐吉。 1896年、大阪府大阪市東区で生まれた。大阪府立茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)、神戸高等商業学校(のちの神戸大学、1918年卒)、東京高等商業学校(のちの旧制東京商科大学、現一橋大学)専攻部に進学し、1920年に卒業。同期に平井泰太郎神戸大学名誉教授がいる。 神戸高等商業学校では田崎慎治ゼミナールに所属し、卒業論文のテーマは「海上保険における再保険の研究」であった。
広島 定吉(ひろしま さだきち、1896年9月22日-196… 広島 定吉(ひろしま さだきち、1896年9月22日-1964年9月17日)は、日本の経済学者。宮崎県出身。早稲田大学卒。マルクス主義の文献を翻訳した。戦後は日ソ親善協会常任理事、日ソ翻訳出版協会懇話会役員など。