大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 20… 大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 2005年1月8日)は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
職業が評論家:2,471人
大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 20… 大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 2005年1月8日)は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 … 竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 - )は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長。
荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9… 荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9月7日 - 1998年5月6日)は、日本の作家、詩人、文芸評論家。 岩手県下閉伊郡崎山村(現・宮古市)出身。慶応義塾大学文学部哲学科卒。 1951年、千葉県で地方公務員の公立高校教諭となり、千葉県立佐原第一高等学校教諭、1959年千葉県立成東高等学校教諭。 1965年第3次千葉県詩人クラブ初代会長に就任。1977年日本現代詩人会常任理事。1989年多摩美術大学教授。
宇野 一(うの はじめ、1921年9月6日 - )は、日本の… 宇野 一(うの はじめ、1921年9月6日 - )は、日本の教育者、教育評論家。 東京生まれ。1942年東京帝国大学文学部教育学科入学、1943年学徒出陣で仏印に従軍。敗戦後復学、1948年卒業。葛飾実践女学校、東京都立第九女子高校(定時制)高校、東京都立多摩高等学校、同福生分校教諭、1962年東京都立小松川高等学校定時制主事、1969年東京都立小山台高等学校教頭、東京都立竹早高等学校教頭、1975年東京都立南葛飾高等学校校長、東京都立江北高等学校校長。日本教職員組合、日本戦没学生記念会で活動した。
中村 渓男(なかむら たにお、1921年8月26日 - 20… 中村 渓男(なかむら たにお、1921年8月26日 - 2001年5月19日)は、日本の美術評論家。日本画家・中村岳陵の長男。息子の中村宗弘も日本画家。 神奈川県生まれ。本名は秀男。慶應義塾大学文学部史学科卒。美術史学会・美術評論家連盟所属。宇都宮文星短期大学教授、成田山書道美術館副館長。 2001年5月19日、心不全のため死去。
別所直樹(べっしょ なおき、1921年8月16日 -1992… 別所直樹(べっしょ なおき、1921年8月16日 -1992年)は、詩人、評論家。シンガポールにて生まれる。原籍地は宮城県。 母の築地藤子は、アララギの歌人であり、斎藤茂吉、島木赤彦などと親交があり同時代に活動していた。 上智大学経済学科卒業後、新聞、雑誌記者を経て文筆生活に入る。1938年頃から「アララギ」に短歌を寄せ、土屋文明の門にあったが、同時に現代詩にも手を染め、次第に短歌から遠ざかる。「日本詩壇」「若草」に投稿。1943年太宰治の知遇を得、その死までの5年間を師事する。「鱒」「詩行動」「新日本詩人」「文学者」にも寄稿。「灰」主宰。 太宰治との親交にかかわる逸話として、戦時中の物資不足の折、酒が手に入ったとの報に仲間達と共に太宰のもとに集まりささやかな宴の最中、直樹は、誤って酒をこぼしてしまい、ひたすら恐縮する別所に対し太宰は次のように語ったという。
増井 敬二(ますい けいじ、1921年8月14日 - 200… 増井 敬二(ますい けいじ、1921年8月14日 - 2007年9月21日)は、オペラ評論家、音楽ディレクター。 東京出身。慶應義塾大学経済学部卒。1946年、NHKに入社し音楽ディレクターを務める。またラジオのステレオ音楽番組を創始した。1958年、第10回イタリア賞を受賞。NHKを定年退職後は音楽評論の他、神奈川大、横浜国大、武蔵大、東京声專音楽学校で講師を務めた。
藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月… 藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月31日 - 1999年〈平成11年〉3月3日)は、日本の政治学者、評論家。広島県尾道市生まれ。「ふじわら こうたつ」と呼ばれることが多い。 雑貨店の忠雄と美容師キクノの長男。5歳の時に父を腸チフスで亡くし、母は国鉄駅員と再婚。尾道市立筒湯小学校(現・尾道市立久保小学校)、福山誠之館中学を経て、第六高等学校に入学。同級生に星野直樹次男の星野良二。 1942年(昭和17年)東京大学法学部に入学。同級生に志垣民郎。高等学校の教師の伝手で法制局参事官の長村貞一の邸宅に下宿していた。1943年(昭和18年)12月末に学徒出陣に召集され、歩兵第11連隊補充隊(広島西部第2部隊)にて3か月間の普通教育を受けたのち、久留米第一予備士官学校に入学。
土井垣 武(どいがき たけし、1921年7月1日 - 199… 土井垣 武(どいがき たけし、1921年7月1日 - 1999年1月25日)は、鳥取県米子市出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。 後に若松(わかまつ)と改姓。なお、姓の読みはどいがきではなく正しくはどいかいとと読むと言うが、なかなか正しく読んでもらえず、そのまま「どいがき」で通したと言う。 両リーグ分立前後を代表する捕手で、1947年から1952年まで6年連続でベストナインを獲得。熱血的な性格からニューヨーク・ヤンキースの往年の名捕手にあやかって和製ヨギ・ベラと呼ばれた。末弟にパシフィック・リーグ審判を長らく務めた土井垣幸男がいる。 幼い頃から大阪鉄道局米子野球部のマスコット的存在として可愛がられていた。
山田 修(やまだ おさむ、1921年〈大正10年〉5月8日 … 山田 修(やまだ おさむ、1921年〈大正10年〉5月8日 - 2017年[要出典])は、日本の教育者、教育評論家。 群馬県多野郡藤岡町(現:藤岡市)出身。農家の二男として生まれる。 美土里小学校尋常高等小学校卒業後、高津仲次郎の設立した多野実業公民学校に入学し農業や養蚕を学ぶも月謝が払えず2年で中退、月謝が不要な熊谷陸軍飛行学校に入り、1938年卒業後は教官を打診されていたが、中国戦線を志願し、41年まで北京の南苑飛行班に属した。整備班長はのちに東大野球部監督となる神田順治中尉だった。乗機は九七式軽爆撃機や九七式重爆撃機で、上海や南京とを行き来して内地から送られてきた機体の回送を任務としており、南寧作戦では物資輸送に従事したこともある。
永田 久光(ながた ひさみつ、1921年4月14日 - 19… 永田 久光(ながた ひさみつ、1921年4月14日 - 1975年5月17日)は、日本の広告研究者、評論家。 山梨県塩山市郊外に生まれる。山梨県立日川中学校、多摩美術大学卒業。台糖株式会社宣伝課長、日本経済新聞社『日経広告手帖』編集長、中部日本放送「CBCレポート」編集長、「週刊明星」創刊にかかわり、市場調査機関・永田オペレーション・センターを設立、のち電通PRセンターとし、初代社長となる。1970年株式会社ジャパーク(JPRC)を創立。評論家として著書多数を著した。 1960年代、永田が電通PR(現電通パブリックリレーションズ)社長時代提唱したとされる。
清川 妙(きよかわ たえ、1921年3月20日 - 2014… 清川 妙(きよかわ たえ、1921年3月20日 - 2014年11月16日)は、昭和時代後期・平成時代日本の小説家、評論家、随筆家。 山口県防府市生まれ。下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)を経て奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)を卒業。教職を経たのち、30代半ばから文筆活動に入る。古典評論、エッセイ、手紙の書き方、映画評論など、多方面にわたる執筆や講演会で活躍した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
武蔵野 次郎(むさしの じろう、1921年(大正10年)3月… 武蔵野 次郎(むさしの じろう、1921年(大正10年)3月14日 - 1997年(平成9年)7月9日)は、日本の文芸評論家。日本文芸家協会会員、日本推理作家協会会員。 本名・富永真平。福岡県福岡市出身。早稲田大学法学部卒業。 主婦の友社の編集者を経て、1959年『大衆文学への招待』を南北社から刊行したことをきっかけに、大衆文学の評論家となる。1961年尾崎秀樹らと大衆文学研究会を発足。『代表作時代小説選集』の編纂を務め、江戸川乱歩賞の選考委員も担った。1976年、長谷川伸賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
内藤 一郎(ないとう いちろう、1921年2月24日 - )… 内藤 一郎(ないとう いちろう、1921年2月24日 - )は、日本の軍事航空評論家、翻訳家。筆名に嵯峨 浩一。 滋賀県伊香郡高月町(現長浜市)生まれ。1944年京都帝国大学工学部航空工学科卒。同年海軍技術中尉。 1951年事業用操縦士。1954年航空大学校教授。1959年防衛庁技術研究本部勤務、1981年定年退官。航空医学実験隊技術顧問、東海大学講師など。著述のほか翻訳も行う。
白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 199… 白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、日本の評論家、翻訳家、児童文学者。 少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 静岡県浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。学徒動員で二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はせず、事実婚だった。
牧野 昇(まきの のぼる、1921年1月18日 - 2007… 牧野 昇(まきの のぼる、1921年1月18日 - 2007年3月2日)は、日本の技術評論家。元三菱総合研究所会長、東京大学工学博士。 栃木県出身。1944年東京帝国大学工学部卒業。同大学院修士課程修了。1956年東京大学工学博士。 東大の講師をへて、1951年東京計器製造所(現東京計器及び長野計器)に入社。在学中に発明したMT磁石の工業化に成功する。1964年三菱製鋼に移る。1970年三菱総合研究所の設立に参画し、専務、副社長を経て、1984年会長、1994年相談役。技術予測、産業政策の論評で知られた。1999年原子力事故防止のための「NSネット」初代理事長に就任。
阿川 弘之(あがわ ひろゆき、1920年〈大正9年〉12月2… 阿川 弘之(あがわ ひろゆき、1920年〈大正9年〉12月24日 - 2015年〈平成27年〉8月3日)は、日本の小説家、評論家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。広島県名誉県民。日本李登輝友の会名誉会長。 海軍体験を基にした戦争物や私小説的作品、伝記物で知られる。代表作として『春の城』『雲の墓標』のほか、大日本帝国海軍提督を描いた3部作(海軍提督三部作)『山本五十六』『米内光政』『井上成美』などがある。 法学者の阿川尚之は長男、タレント・エッセイストの阿川佐和子は長女。 自身は『私の履歴書』では、〔私の「履歴」を一と言で記せば、「地方の平凡な中流家庭に生まれ、小学校から大学まで、ごく平坦平凡な学生生活を送り、戦争中は海軍に従軍して多少の辛酸を嘗めたが、戦後間もなく志賀直哉の推輓により文壇に登場、以来作家としてこんにちに至る」、これだけである〕と回顧している。
清水 信(しみず しん、本名の読み:しみず まこと〈漢字表記… 清水 信(しみず しん、本名の読み:しみず まこと〈漢字表記は同じ〉、1920年11月20日 - 2017年2月7日)は、日本の文芸評論家。。 長野県出身。明治大学専門部文科(文芸科)卒。大学時代には評論家・小林秀雄の講義を受講した。卒業後、外務省事務官として北京の日本大使館に勤務。この間、中薗英助らと文芸同人誌『燕京文学』を創刊。また、最初の評論集『日曜手帳』(北京書房刊)を刊行。 戦後になると、三重県鈴鹿市で中学校の国語科教諭を務める傍ら、評論活動を続けた。「読みたい文学は、自分たちの手で書く。その発表の方法も、自分たちで作る」という信念のもと、1949年に仲間4人で同人誌『北斗』を創刊主宰。
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月2… 村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 東京で生まれ、父はホーリネス教会派のクリスチャンだった。栃木県宇都宮市で育つ。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。高島善哉ゼミ出身。 1943年に大学を卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入校。小島直記らは同期生にあたる。1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後は三菱化成(現三菱ケミカルホールディングス)に入社したがやがて退社。
鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23… 鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年〈大正9年〉8月23日 - 1986年〈昭和61年〉10月17日)は、日本の詩人・評論家・翻訳家。別名・二宮 佳景(にのみや よしかげ)。本名・上村 隆一(うえむら りゅういち)。 戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。第1次、第2次『荒地』の創刊に関わる。「詩人の条件」「なぜ詩を書くか」などの詩論で、戦後詩を性格づける中心的役割を果たした。作品に詩「死んだ男」(1947年)、『鮎川信夫詩集』(1955年)など。 東京小石川の高田豊川町に生まれる。父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農本主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。
塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 200… 塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人・詩人・評論家・小説家。 朝日歌壇の選者の前川佐美雄に師事。第一歌集『水葬物語』(1951年)は、斬新なあまり歌壇から黙殺されたが、三島由紀夫に注目された。 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。若い頃の別名に碧川瞬、火原翔(この二つは、日本現代詩歌文学館にて確認 )、菱川紳士( 士 は省かれる場合もある )等があり、晩年の教授時代の学生たちとの歌会では鴻池黙示を好んで使った。それでも、著書目録にある単行本や文庫では、これらの著者名で出版されたものはない。
柴谷 篤弘(しばたに あつひろ、1920年8月1日 - 20… 柴谷 篤弘(しばたに あつひろ、1920年8月1日 - 2011年3月25日 )は、日本の生物学者・科学・国際問題評論家。 専門は分子生物学。学位は、理学博士及び医学博士。京都精華大学名誉教授。本名、横田篤弘。 大阪府堺市生まれ。旧制京都一中、旧制三高卒業、京都帝国大学工学部応用化学科入学を経て、1946年に京都帝国大学理学部動物学科を卒業。ミノファーゲン製薬研究部、大阪大学を経て、山口県立医科大学教授、広島大学原爆放射能医学研究所教授、オーストラリア連邦科学産業研究機構上級主任研究員、関西医科大学教授、ベルリン高等学術研究所客員研究員、京都精華大学教授、同学長などを歴任。京都精華大学名誉教授。
垣花 秀武(かきばな ひでたけ、1920年6月8日 - 20… 垣花 秀武(かきばな ひでたけ、1920年6月8日 - 2017年1月27日)は、日本の核物理学者、核化学者、文明評論家。 名古屋大学、東京工業大学名誉教授。瑞宝中綬章受章者。正四位。 東京出身。両親は沖縄県出身。東京帝国大学理学部卒。東京工業大学助教授、1958年教授。1977年国際原子力機関事務次長兼研究・同位体局長。 1970年代から80年代当時は、今日と違って国際原子力機関の幹部は圧倒的大多数が欧米出身で、垣花だけが唯一の欧米以外出身の科学者であり、副局長(次長から昇進)まで務め上げた。これは、後述するウラン濃縮も画期的効率化、海水からの核物質抽出考案・成功などの実績をあげてきたことが大きい。
白崎 秀雄(しらさき ひでお、1920年5月25日-1992… 白崎 秀雄(しらさき ひでお、1920年5月25日-1992年2月22日)は、作家、美術評論家。福井市出身。 法政大学修了。1966年「真贋」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。伝記小説に新境地を開き、骨董、書画、日本絵画、篆刻などの関連著作が多い。北大路魯山人を世に広めた人物としても知られる。魯山人の芸術性・技術的な特異性を鋭く評価した。
西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 - 20… 西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 - 2011年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手)、コーチ・監督、解説者・評論家。 選手としては、社会人野球の星野組時代に選手兼任監督として都市対抗野球大会で優勝し、その戦力を見込まれて他のメンバーとともに入団した毎日オリオンズでは最初の日本選手権シリーズにも出場して優勝を経験した。 現役引退後、40歳でオリオンズ(当時は「大毎オリオンズ」)監督に就任して初年度にリーグ優勝を達成する。以後61歳で退任するまで、3球団で合計8回のリーグ優勝を成し遂げた。阪急ブレーブスと近鉄バファローズでは弱小チームを鍛えて強豪に育てあげ、その手腕が高く評価されて野球殿堂の表彰者となった。
戸部 銀作(とべ ぎんさく、1920年4月25日 - 200… 戸部 銀作(とべ ぎんさく、1920年4月25日 - 2006年1月7日)は、日本の古典演劇評論家、脚本家、演出家である。 東京生まれ。1945年旧制早稲田大学文学部国史学科を卒業後、早稲田大学演劇博物館、国立文化財研究所などを経て、演劇評論家として活躍。1967年国立劇場開場時、演出室長に就任。2003年まで国立劇場参与、日本演劇協会評議員。 1983年紫綬褒章、1991年勲三等瑞宝章、1998年松尾芸能賞受賞。 2006年1月7日、呼吸不全のため東京都千代田区の病院で死去、85歳没。 復活狂言や、上演が途絶えていた場面の上演を積極的に行う。歌舞伎の演出、補綴の第一人者として数多くの作品を手がけ、宙乗りの仕掛け人としても知られる。
大原 恆一(おおはら こういち、1920年(大正9年)4月1… 大原 恆一(おおはら こういち、1920年(大正9年)4月18日- 1998年(平成10年)7月20日)は、日本のロシア文学者、評論家、翻訳家、実業家。本名は大原嘉蔵。 太平洋戦争後の冷戦期、ソヴィエト社会主義共和国連邦のモスクワ大学に初めて留学した日本人の一人である。 帝政ロシア時代の詩人ニコライ・ネクラーソフの研究、翻訳において日本の第一人者である。ネクラーソフの叙事詩『だれにロシアは住みよいか』(原題Кому на Руси жить хорошо)を日本で初めて翻訳出版した。 作家の佐多稲子によると、佐多と大原とは昭和16年頃からの知り合いで、その時大原は、法政大学の学生であった。福岡の大きな材木店の、あるいはそのときから店主だったのかもしれない。
香川 茂(かがわ しげる、1920年4月14日 - 1991… 香川 茂(かがわ しげる、1920年4月14日 - 1991年5月13日)は、日本の児童文学作家、教育評論家。 香川県高松市中新町出身。旧制高松中学から日本大学(芸術科)に進むも中退し、香川県師範学校を卒業。 終戦まで北支と満洲で軍隊生活を送る。戦後、高松市内の小・中学校で教鞭をとった。1951年に上京。川越市立富士見中学校を振り出しに、1960年志木市立志木中学校の校長となり、1980年新座市立新座中学校の校長を最後に退職した。 その間作家として活動、1967年「セトロの海」で野間児童文芸賞、1980年「高空10000mのかなたで」で小学館文学賞受賞。 「中学生文学」を創刊し、編集長を務めて文学教育にも取り組んだ。
寺西 春雄(てらにし はるお、1920年3月20日-2003… 寺西 春雄(てらにし はるお、1920年3月20日-2003年6月22日)は、日本の音楽評論家である。 兵庫県出身。1944年、慶應義塾大学経済学部卒。野村光一らの指導を受け、1944年『音楽評論』に寄稿。戦後「子供のための音楽教室」設立に参加、のち桐朋学園大学教授。日本フィルハーモニー交響楽団事務局長。日ソ音楽家協会会長。
内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2… 内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2009年1月30日)は、日本のロシア文学者、評論家。文芸誌『(第2次)同時代』同人。本名、内藤操。 栃木県那須郡境村大字大木須(烏山町を経て現・那須烏山市大木須)で零落した百姓の次男として生まれる。中学進学を断念させられて自らの意志で、1934年高等小学校卒業と同時に満州に渡る。満鉄育成学校に入学したのち、転校先の旧制大連第二中学校を経て、1940年ハルピン学院に入学してロシア語を学び、1943年同校を繰上卒業。同年、結婚するも束の間のうちに関東軍総司令部へ徴用される。 敗戦後の混乱の中でソ連のゲー・ペー・ウーにスパイ容疑で逮捕された後、イルクーツクやモスクワの監獄(ラーゲリ)につながれて11年余りの長きにわたって独房生活を送った。
土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009… 土居 健郎(どい たけお、1920年3月17日 - 2009年7月5日)は、日本の精神科医・精神分析家・評論家。東京大学名誉教授。学位は医学博士(東京大学・1960年)。 日本人の心理特性として「甘え」の概念を精神分析に導入し、その精神構造を解明した『「甘え」の構造』(1971年)は、日本人論に新局面をもたらした。他の著書に『表と裏』(1985年)、『時のしるし』(1990年)など。 1920年、東京生まれ。府立高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学医学部に入学。1942年に卒業し、陸軍軍医となった。 戦後、アメリカ・メニンガー精神医学校、サンフランシスコ精神分析協会に研修留学。自身、キリスト教カトリック教会の信徒であった。
関 俊治(せき しゅんじ、1920年〈大正9年〉3月4日 -… 関 俊治(せき しゅんじ、1920年〈大正9年〉3月4日 - 2001年〈平成13年〉11月29日)は、昭和時代に活躍した日本の随筆家・文芸評論家。群馬県立図書館長・群馬県文学会議議長などを歴任した。 1920年(大正9年)群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)から関西学院大学に進み卒業。 県立高校教諭として勤めたのち、群馬県教育委員会社会教育課に勤務。県立社会教育館長、県立図書館長などを歴任。『形成』『果実』『みやま』などの同人誌に評論・随筆の発表を続けた。 1970年(昭和45年)風雷文学賞、1972年(昭和47年)高橋元吉文学賞を受賞。1987年(昭和62年)群馬県文学会議議長となる。
角本 良平(かくもと りょうへい、1920年3月2日 - 2… 角本 良平(かくもと りょうへい、1920年3月2日 - 2016年2月7日)は、交通評論家。日本国有鉄道OB。経済学博士。 石川県金沢市出身。旧制第四高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1941年鉄道省入省。東京、四国、門司などの鉄道管理局に勤務し、運輸省の官僚として1958年東海道新幹線の建設計画に参加。都市交通課長、国鉄新幹線総局営業部長、1966年国鉄監査委員、1970年運輸経済研究センター理事、のち理事長などを歴任。早稲田大学客員教授等も務めた。 国鉄分割民営化の際には、電力会社を参考に地域分割が必要であると主張した。 2016年2月7日、間質性肺炎のため死去。95歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
川内 康範(かわうち こうはん、1920年〈大正9年〉2月2… 川内 康範(かわうち こうはん、1920年〈大正9年〉2月26日 - 2008年〈平成20年〉4月6日)は、日本の作詞家、脚本家、政治評論家、作家。本名は川内 潔(かわうち きよし)。北海道函館市出身。 1920年(大正9年)、函館市青柳町の日蓮宗住職の家に生まれた。実家は寺を持たず貧しい生活で、大森尋常小学校(現・大森浜小学校)を卒業後、様々な職業を転々とする。大都映画で大道具だった兄を頼って上京、新聞配達をしながら独学で文学修業を重ね日活のビリヤード場に就職、人脈を広げて日活の撮影所に入社する。 1941年(昭和16年)に東宝の演劇部へ入社。やがて撮影所の脚本部へ転属となり、特撮や人形劇映画を担当した。
林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - 2008年… 林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - 2008年1月17日)は、徳島県徳島市常三島出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
岩瀬 孝(いわせ こう、1920年1月7日- 2002年1月… 岩瀬 孝(いわせ こう、1920年1月7日- 2002年1月26日)は、日本のフランス文学者、演劇評論家、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。父は不二サッシ会長を務めた岩瀬悌。早稲田大学文学部仏文科卒。昭和25年(1950年)フランスのアンジェー・カトリック大学に留学の後、パリ大学文学部博士課程第一年度修了。フランス演劇の翻訳、演劇評論で活躍し、早大文学部助教授、教授、1990年定年退職、名誉教授。長女の夫・安川壮一は安川第五郎の孫。
廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 19… 廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 1993年10月26日)は、日本の近世文学研究者、演劇評論家。法政大学教授。主に松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴、弘瀬金蔵(絵金)、鶴屋南北などを研究した。 高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部国文学科卒。1948年、法政大学第一教養部教授。戦後、日本文学協会で活動し、1955年の最初の著書『元禄文学研究』で注目された。1967年、法政大学文学部教授。1976年に文学部教授を務めた。 柳田國男、折口信夫の民俗学的方法に学び、「悪場所」と呼ばれた芝居と遊廓を、民衆のエネルギーの源泉として近世文化を捉えなおした『悪場所の発想』は、その後の近世論に大きな影響を与えた。
徳山 二郎(とくやま じろう、1919年12月4日 - 20… 徳山 二郎(とくやま じろう、1919年12月4日 - 2000年10月14日)は、日本の実業家、経済評論家。野村総合研究所取締役副社長。
兵藤 正之助(ひょうどう まさのすけ、1919年12月2日 … 兵藤 正之助(ひょうどう まさのすけ、1919年12月2日 - 1995年10月1日)は、文芸評論家。 長崎県生まれ。京都帝国大学哲学科卒。久松真一に仏教を学ぶ。戦後、京都の生活社に勤め、文学者たちと交流、文芸評論を書く。1950年代に関東学院女子短期大学助教授、のち関東学院大学教授、1985年定年、名誉教授。関東学院大学では兵藤奨学金を出している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石山 四郎(いしやま しろう、1919年11月16日 - 1… 石山 四郎(いしやま しろう、1919年11月16日 - 1992年5月3日)は、日本の経済評論家、実業家。元ダイヤモンド社社長。 東京・赤坂にて、石山賢吉の長男として生まれる。1943年早稲田大学卒。1948年早稲田大学大学院特別研究生修了。ダイヤモンド社入社。編集局長、副社長、社長を経て、1973年退社。1976年新しい経営者像の会(AKK)を設立。
徳大寺 公英(とくだいじ きんひで、1919年(大正8年)1… 徳大寺 公英(とくだいじ きんひで、1919年(大正8年)11月2日 - 没年不詳)は、日本の美術評論家。旧公爵・徳大寺家32代当主。戸籍上の表記は德大寺。 徳大寺実厚の長男。母は松平直之の娘・米子。子に徳大寺実啓。東京府東京市(現:東京都)出身。 1945年東京帝国大学法学部政治学科卒。学習院大学講師、ブリヂストン美術館嘱託。 美術評論家。「原色版美術ライブラリー(世界美術)」(みすず書房)第18巻解説を執筆。 文芸春秋1968年4月号(46巻4号)に「藤田嗣治--その愛の履歴」を執筆するなど、美術評論を多数執筆する。 武蔵野美術大学名誉教授の藤枝晃雄は、徳大寺公英が中野に住んでいた頃、「美術だけではなくて、いろいろなものを若いときから勉強しなさい」と言われたことを記憶していると述べた。
広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1… 広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1日 - 2007年(平成19年)11月25日)は、日本の小説家、評論家、ヨーガ研究家。埼玉県出身。本名は増田秋子。東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)卒。丹羽文雄に師事し、1953年「オンリー達」で芥川賞候補となる。以後は評論家として活動。 「オンリー達」は、『現代の女流文学 第1巻』(毎日新聞社、1974)、『女性作家シリーズ 現代秀作集』(角川書店、1999)、『戦後の出発と女性文学 第8巻 (昭和28年)』(ゆまに書房、2003)所収。
阿部 幸男(あべ ゆきお、1919年〈大正8年〉10月20日… 阿部 幸男(あべ ゆきお、1919年〈大正8年〉10月20日 - 2008年〈平成20年〉3月2日)は、日本の経営評論家。専門はコンビニエンスストア経営。 1919年、新潟県五泉市に生まれる。1941年に東京大学文学部心理学科を卒業したのち、1945年に雪印乳業に入社。研修センター主幹、研修センター所長を歴任し、定年退職した。1970年代前半から海外のコンビニエンスストアを日本に紹介し多数の著作を残したほか、中小企業庁コンビニエンスストアマニュアル委員、農林省食品小売業経営合理化推進委員などを歴任した。2008年に死去。
倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 20… 倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 2000年5月17日)は、日本の英文学者、演劇評論家、演出家。早稲田大学名誉教授。本名の読みは「けん」。 日本統治時代の朝鮮京城で出生後、現在の長野県飯山市で育つ。弟の倉橋潔は化学者(大阪大学名誉教授)。1941年早稲田大学英文学科卒。応召、1947年復員、1949年ワシントン州立大学留学、帰国後は早稲田大学文学部助手、講師、助教授、1958年教授。1970年から1989年まで早稲田大学演劇博物館館長。1988年から1990年まで日本演劇学会会長。1990年定年退任、名誉教授。1983年秋、紫綬褒章受勲。 アーサー・ミラーなどの翻訳だけでなく、劇団青俳に参加し安部公房の戯曲『どれい狩り』『快速船』の舞台演出を担当した。
徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年… 徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年不明)は、日本の教育評論家、平和運動家。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。1946年から1959年まで出版社勤務、1965年大連外語外賓教授として渡中。1967年から歴史教育者協議会副委員長に就く。1975年高知大学、1981年和光大学、1982年法政大学で非常勤講師を務める。家永三郎の教科書検定訴訟を30年以上支援し、支援する全国連絡会常任委員。
加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月1… 加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月19日 - 2008年(平成20年)12月5日)は日本の評論家。医学博士(専門は内科学、血液学)。妻は評論家・翻訳家の矢島翠。
高松 利夫(たかまつ としお、1919年8月15日 - 没年… 高松 利夫(たかまつ としお、1919年8月15日 - 没年不明)は、東京都出身のプロ野球選手(投手)・解説者・評論家。 東京府立第一商業 から慶應義塾大学へ進学。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)10月16日に行われた出陣学徒壮行早慶戦(別名・最後の早慶戦)では先発の久保木清の中継ぎとして登板した。卒業後に菊水クラブへ進み、1950年に大映スターズへ入団。1951年から1953年まで3年連続で9勝を記録。現役生活は6年のみであり通算では負け越しているものの、終始大映の主力投手として活躍した。1955年引退。 引退後はニッポン放送解説者・スポーツニッポン評論家を務めた。
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日… 安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。第二神戸中学校卒業後、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。
宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6… 宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、日本の詩人・評論家・仏文学者・翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県遠賀郡戸畑町(後の北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。 同年5月25日の東京大空襲により、母を亡くす。母と一緒に逃げ込んだ墓地の中で炎に取り囲まれた彼が「炎の一本道」(『絆――ドキュメント・わが母』)を通って脱出しようと走り去った時、母が転倒。
佐古 純一郎(さこ じゅんいちろう、1919年〈大正8年〉3… 佐古 純一郎(さこ じゅんいちろう、1919年〈大正8年〉3月7日 - 2014年〈平成26年〉5月6日)は、日本の文芸評論家、二松学舎大学名誉教授、日本基督教団中渋谷教会名誉牧師。 大正8年(1919年)、徳島県名西郡神山町生まれ。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)を経て朝鮮全羅南道光州東中学校を卒業。 昭和13年(1938年)、二松学舎専門学校入学。在学中の昭和15年(1940年)に亀井勝一郎を訪問。以後師事する。昭和16年(1941年)、二松学舎専門学校卒業。同年、日本大学法文学部宗教学科入学。同年5月、改造社が募集した第一回文芸推薦評論に『歴史と人間』が佳作入選。大学在学中の昭和18年(1943年)、創元社に入社。