村山 定男(むらやま さだお、1924年〈大正13年〉4月9… 村山 定男(むらやま さだお、1924年〈大正13年〉4月9日 - 2013年〈平成25年〉8月13日)は、日本の天文学者。国立科学博物館に長く奉職し、生涯を通じて天文普及活動に尽力した。 東京府東京市本郷区(現:東京都文京区本郷)で出生。父は村山達三(医師、東京都立駒込病院院長)、母方の祖父は宮入慶之助(寄生虫学者、九州帝国大学医学部名誉教授)。 幼少時から天文学に親しみ、5歳の時に望遠鏡で観望した火星をスケッチした。小尾信彌(天文学者)は、誠之小学校(現:文京区立誠之小学校)の同級生であった。 武蔵高等学校(旧制)を経て東京帝国大学理学部化学科を卒業した。村山自身は東京帝大天文学科への進学を希望していたものの、父の「天文学では食って行けない」という意見に従って化学科に進んだ。
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高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - … 高瀬 文志郎(たかせ ぶんしろう、1924年3月23日 - 2015年1月9日)は、日本の天文学者(銀河天文学)。 学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京大学名誉教授。 兵庫県西脇市出身。萩原雄祐、鏑木政岐、広瀬秀雄に師事。東京大学東京天文台附属木曽観測所の初代所長を務めたことで知られる。 のちに天文学者となった東京大学での学問的な弟子としては磯部琇三、岡村定矩、濱部勝などがいる。また、逗子市長・島根大学法文学部を経て龍谷大学法学部教授となった富野暉一郎(政治家・政治学者)も、高瀬の門下生である。 高瀬の業績を記念してその名前は小惑星に名付けられた。高瀬の名がつけられた小惑星については(2838) Takaseを参照。
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大塚 野百合(おおつか のゆり、1924年3月10日 - )… 大塚 野百合(おおつか のゆり、1924年3月10日 - )は、日本の英文学者、キリスト教文化・賛美歌研究家。恵泉女学園大学名誉教授。キリスト教文化功労者。
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石田 五郎(いしだ ごろう、1924年〈昭和9年〉2月21日… 石田 五郎(いしだ ごろう、1924年〈昭和9年〉2月21日 - 1992年〈平成4年〉7月27日)は、日本の天文学者・文筆家。理学博士(東京大学・論文博士・1978年)。元東京大学教授。 萩原雄祐に師事。自称・二世天文屋。但し、石田にとって初代の天文屋とは野尻抱影のことであり、決して学問上の恩師である萩原のことではない。 東京天文台(三鷹市)に1年、かつて麻布狸穴町にあった東京大学理学部天文学教室に9年、東京大学東京天文台(現:国立天文台)岡山天体物理観測所に24年勤務した。 天文学者である一方で、歌舞伎や能などの日本伝統芸能・文学・美術・音楽などの広い分野に造詣が深く、『天文台日記』をはじめとする一般向け書籍を多く上梓した文筆家としても知られる。
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荒木 博之(あらき ひろゆき、1924年(大正13年)2月1… 荒木 博之(あらき ひろゆき、1924年(大正13年)2月14日 - 1999年(平成11年)12月10日)は、日本の英文学者、評論家。広島大学名誉教授。専門は、比較文化論、人類言語学、説話伝承論。位階は正四位。 東京に生まれる。1949年(昭和24年)、京都大学文学部英文科卒。1952年(昭和27年)、京都大学大学院文学研究科アメリカ文学専攻中退。1962年(昭和37年)、インディア大学大学院民俗学専攻博士課程単位取得退学。 福井大学講師、高知女子大学助教授、立命館大学教授、広島大学総合科学部教授、88年定年退官、名誉教授、宮崎公立大学教授。99年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 「百合若大臣」が「オデュッセイア」の影響を受けたと主張した一人である。
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室井 庸一(むろい のぶかず、1924年2月7日 - 200… 室井 庸一(むろい のぶかず、1924年2月7日 - 2005年10月1日)は、日本のフランス文学者。中央大学名誉教授。スタンダールが専門。 茨城県生まれ。1948年東京帝国大学文学部仏文科卒。1950年同大学院修士課程中退。1951年法政大学専任講師、助教授、中央大学文学部助教授、1965年教授、1994年定年、名誉教授。
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尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )… 尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )は、日本の国語学者・国文学者。専攻は国語学史・国学・古代文学。愛知県立大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。尾崎忠征、尾崎良知の子孫。1949年東京大学文学部国文学科卒業。1949年名古屋大学文学部文部教官三級、1955年愛知県立女子短期大学助教授、1957年愛知県立女子大学助教授、1961年同大学教授、1966年愛知県立大学教授。1988年、定年退職、愛知県立大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1999年、定年退職。
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鹿島 保夫(かしま やすお、1924年1月17日 - 197… 鹿島 保夫(かしま やすお、1924年1月17日 - 1976年10月29日)は、日本のロシア文学者。 東京出身。1949年早稲田大学露文科卒業。戦後、新日本文学会、多喜二・百合子研究会、ソビエト研究者協会などに所属し、また、中央労働学院講師(1958年度 - 1960年度)を務めた。そのほか、日ソ親善協会事務局にも勤務し、その後、著述業に専念した。ソビエト文芸理論の研究にかかせない資料である『ソヴェト芸術論争』(青木文庫、1954年)を江川卓とともにまとめた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015… 秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015年11月18日)は、日本の文学者。専門は、国文学・中古文学。東京大学名誉教授。紫綬褒章受章。日本学士院会員、文化功労者。勲二等瑞宝章受章。 国士舘短期大学助教授、東洋大学助教授、東京大学文学部教授、東京女子大学教授、駒沢女子大学教授、紫式部学会会長などを歴任した。 岡山県出身の国文学者であり、主として中古文学を専攻した。『源氏物語』の成立論をはじめ、構造論、人物論、さらには作者である紫式部に関する作家論など、多彩な方法論を展開した。その結果、『源氏物語』研究の指導的存在となり、学界に大きな影響を与えた。また、平安時代の和歌をはじめ、物語、説話文学、さらには漢文学に至るまで、作品成立時の社会的環境の下での作者の心理、意識、表現などを解明した。
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松岡 陽子 マックレイン(まつおか ようこ マックレイン、Y… 松岡 陽子 マックレイン(まつおか ようこ マックレイン、Yoko Matsuoka McClain、1924年1月1日 - 2011年11月2日)は、アメリカの文学者(比較文学)。オレゴン大学名誉教授。 東京府(現・東京都)生まれ。父は作家松岡譲。母は夏目漱石の長女・筆子。妹は半藤末利子。 1945年に津田塾大学を卒業し、1952年に渡米。オレゴン大学でフランス語を専攻し、1956年に学士号を取得。この間、米国人ジョージ・ロバート・マックレイン (George Robert McClain) と結婚。一男を出産後、再びオレゴン大学に戻る。大学院で比較文学を研究し、1967年に修士号を取得。1964年から1994年まで、オレゴン大学の東アジア言語文学部 (the Department of East Asian Language and Literature) で日本語や近代文学を教えた。
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井沢 義雄(いざわ よしお、1923年12月20日 - 19… 井沢 義雄(いざわ よしお、1923年12月20日 - 1996年12月14日)は、フランス文学者、神戸大学名誉教授。 兵庫県生まれ。東京帝国大学仏文科卒。文芸評論を書いたのち、1954年神戸大助教授、教授。1987年定年退官、名誉教授。ヴァレリーと石川淳を論じた。1996年12月14日、肺癌のため死去。
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浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、19… 浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、1923年12月18日 - 2006年9月25日 )は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 東京府(現東京都)で、実業家・浜川友十郎(三菱倉庫社長)の長男として生まれた。旧制府立高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、佐世保施設部付となり、同年6月、海軍主計少尉に任官して第325設営隊付に転じ終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年9月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。南海電鉄勤務ののち、1952年東京大学文学部独文科卒業。ドイツ学術交流会の奨学金を受けて、西ドイツ・ミュンヘン大学へ留学ののち、1955年中央大学文学部助教授、1967年東京大学文学部助教授、1973年教授。
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外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11… 外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11月3日 - 2020年〈令和2年〉7月30日)は、日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。全日本家庭教育研究会元総裁。 東京文理大英文科卒。専門の英文学にとどまらず、言語学・修辞学・教育学などを広範に研究。言葉のまとまった意味は、視覚に認められる現象と同じような作用によると考えた『修辞的残像』(1961年)を出発点として、日本語の論理、読者論などに新説を出し続けた。『シェイクスピアと近代』(1977年)では、読者論を実践的に示した。また、『異本論』(1978年)、『古典論』(2001年)などでは、従来否定的に扱われてきた異本の積極的な機能を再評価した。
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佐分純一(さぶり じゅんいち、1923年9月9日-1999年… 佐分純一(さぶり じゅんいち、1923年9月9日-1999年12月13日)は、日本のフランス文学者。 東京生まれ。画家佐分眞の長男。幼くして母をなくし、12歳で父が自殺。開成中学校から、1949年慶應義塾大学文学部仏文科卒。1950年慶應義塾高等学校教諭、1958年慶大法学部講師、1963年助教授、1970年教授、1988年定年、名誉教授、杏林大学教授。ジュリアン・グリーンを主として研究した。菊池英博は母の甥。法号 法覺院博譽慶純居士 多磨霊園に葬る。
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前川 道介(まえかわ みちすけ、1923年9月2日 - 20… 前川 道介(まえかわ みちすけ、1923年9月2日 - 2010年6月11日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。同志社大学名誉教授。 京都市出身。京都大学文学部卒業。同大学院中退、1954年天理大学助教授、1956年西京大学助教授(1958年、京都府立大学に改称)、1967年同志社大学教授、1989年定年退任し名誉教授。 国書刊行会「ドイツ・ロマン派全集」責任編集を務めた。ドイツ文学の怪奇・幻想文学を多く翻訳し、評論を刊行した。 2001年春、勲三等瑞宝章を受章。2010年、呼吸不全により死去(没年86歳)。
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鈴木 修次(すずき しゅうじ、1923年8月13日- 198… 鈴木 修次(すずき しゅうじ、1923年8月13日- 1989年6月11日)は、日本の漢文学者。広島大学名誉教授。 1923年、東京府に生まれ、埼玉県に育った。東京文理科大学漢文学科を卒業。卒業後は、北海道教育大学講師に就いた。当初は詩経の研究をテーマとし、その後中国古典詩の研究を進めた。 1968年、学位論文『漢魏詩の研究』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。東京教育大学助教授。1976年、広島大学総合科学部教授となった。それまでの「文学部」から「総合科学部」勤務となったことから、より広い視点で中国文学をとらえ、中国詩学を考察するようになった。1987年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。
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益田 勝実(ますだ かつみ、男性、1923年〈大正12年〉6… 益田 勝実(ますだ かつみ、男性、1923年〈大正12年〉6月29日 - 2010年〈平成22年〉2月6日)は、日本の国文学者。古代文学専攻。元・法政大学文学部教授。 山口県下関市で、父繁蔵、母コフジの次男として生まれる。兄1人、姉3人の末っ子であった。 家の学問として漢文を教わるチャンスがあって、小学校の終わりごろから 『十八史略』や『日本外史』を読まされていた。旧制山口県立下関中学校時代には、西洋哲学を専攻したい夢があり3年の時から下関バプテスト教会の末崎富彌牧師にギリシャ語を習い始める。 1941年3月に下関中学校を卒業して、4月から下関市立養治国民学校助教として勤めながら、中等教員検定試験合格を目指す。
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杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 20… 杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 2011年10月8日)は、日本の人文学者。専門は日本キリスト教史。同志社大学名誉教授。 静岡県藤枝市生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1942年、第二早稲田高等学院入学、翌年3月退学。1943年、弘前高等学校 (旧制)文科二類入学、同年12月、学徒出陣により中部第三部隊に入隊。1947年、シンガポールより復員、弘前高校に復学。1949年、弘前高等学校文科乙類卒業。同年4月、京都大学文学部史学科国史学専攻入学、1952年、同専攻卒業。同年4月、京都大学大学院(旧制)入学。1961年3月、京都大学非常勤講師に就任するため大学院を退学。 1952年、京都府立園部高等学校教諭、1953年、同志社高等学校講師、1955年同校教諭。
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武田元治(たけだ もとはる、1923年4月25日-2012年… 武田元治(たけだ もとはる、1923年4月25日-2012年2月17日)は、日本の国文学者。 神戸市出身。1943年学徒出陣、中国戦線を転戦。1949年東京帝国大学文学部国文学科卒。51年同大学院(旧制)修了。高校教諭を経て1973年群馬大学教育学部助教授。1975年大妻女子大学助教授、76年教授、84-88年文学部長、大妻学院理事、96年定年退任、名誉教授。1999年勲四等旭日小綬章受勲。解釈学会会長を務めた。
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藤平 春男(ふじひら はるお、1923年3月6日 - 199… 藤平 春男(ふじひら はるお、1923年3月6日 - 1995年7月19日)は、日本の国文学者。早稲田大学名誉教授。 東京府生まれ。1944年早稲田大学文学部卒業、早稲田大学第二文学部教授を務め、1976-1978年学部長、1992年定年退任、名誉教授。和歌、特に新古今和歌集が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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小田 稔(おだ みのる、1923年2月24日 - 2001年… 小田 稔(おだ みのる、1923年2月24日 - 2001年3月1日)は、日本の天文学者・宇宙物理学者。理学博士(大阪大学・論文博士・1956年)。東京大学名誉教授。 北海道札幌市出身。大阪帝国大学理学部物理学科菊池正士研究室出身だが、菊池の弟子・渡瀬譲に師事したので、小田は菊池の孫弟子といえる。はじめ実験物理学を専攻したが、その後電波天文学に転向し、さらに宇宙線物理学およびX線天文学を専門とするに至った。旺盛な好奇心と夢のような発想の持ち主で、研究者仲間から「星の王子さま」の愛称で呼ばれた。 1923年(大正12年)、北海道に生まれる。1934年、台北帝国大学教授に就任した父に従って台湾に移住。
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石濱 恒夫(いしはま つねお、1923年〈大正12年〉2月2… 石濱 恒夫(いしはま つねお、1923年〈大正12年〉2月24日 - 2004年〈平成16年〉1月9日、80歳没)は、日本の文学者。石浜 恒夫とも表記。 大阪府大阪市出身。父は歴史学者(東洋史学)の石濱純太郎。従兄に小説家の藤沢桓夫がいる。2人の娘のうち長女は女優の京春上、次女はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。 大阪高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部美術史学科在学中から父の友人であった織田作之助などの影響を受けて文学を志し、大学卒業後に川端康成に弟子入りし、鎌倉の川端の私邸に住み込み師事した。1968年(昭和43年)に川端がノーベル文学賞を受賞した際には、ストックホルムでの授賞式に同行している。
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橋本 郁雄(はしもと いくお、1923年2月16日-2009… 橋本 郁雄(はしもと いくお、1923年2月16日-2009年1月22日)は、日本のドイツ語・ドイツ文学者。学習院大学名誉教授、一橋大学元教授。ドイツ語学およびドイツ語史が専門で、特に日本の中世ドイツ語研究においては中枢を占める学者だった。また、小学館の『独和大辞典』など、独和辞典の編纂に注力した。 鹿児島県鹿児島市皷川町出身。父は第七高等学校造士館 (旧制)漢文学教授の橋本精次。祖父の自聽(よりさと)は明治初期に東京から招かれ谷山小学校校長などを務めた人物。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1942年3月に第七高等学校造士館文科乙類を卒業。1944年に東京帝国大学文学部独文科を卒業したが、学年短縮や学徒出陣在隊中の卒業のため実際に大学で学ぶことができたのはわずか1年半だった。
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辻 瑆(つじ ひかる、1923年1月23日 - 2024年5… 辻 瑆(つじ ひかる、1923年1月23日 - 2024年5月14日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 日本藝術院会員の画家・辻永の次男として東京に生まれる。成城高等学校(旧制)を卒業し、東京帝国大学独文科へ入学する。1947年、同大学を卒業。 1954年、東京大学教養学部助教授、のち教授となる。1984年に定年退官し、その後は放送大学教授を務めた。ミュンヘン大学名誉評議員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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土田 将雄(つちだ まさお、1923年1月16日 - )は、… 土田 将雄(つちだ まさお、1923年1月16日 - )は、国文学者、イエズス会司祭。
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高橋宏幸(たかはし ひろゆき、1923年-2010年)は、児… 高橋宏幸(たかはし ひろゆき、1923年-2010年)は、児童文学者、挿絵画家。 秋田県由利本荘市東由利老方に生まれる。旧下郷村立老方小学校、旧制秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)卒業。在校中、全国中等柔道大会で準優勝。柔道は講道館五段。旧秋田鉱山学校(現秋田大学工学資源学部)卒業後、入隊。1943年から45年にかけ満州・千島に転戦。1946年小峰書店取締役初代編集長。退任後、日本初の出版プロダクションを設立。1972年「チロヌップのきつね」を機に作家となる。1990年の「オオカミ王ぎん星」で日本児童文芸家協会賞受賞。日本児童文芸家協会理事長、日本児童文芸家協会顧問、産経児童出版文化賞選考委員を務め、実作指導も行った。
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瀧川 元男(たきがわ もとお 1923年 - 1981年)は… 瀧川 元男(たきがわ もとお 1923年 - 1981年)は、日本の文学者。 1959年に出版された『創立70周年関西学院大学文学部記念論文集』にアーネスト・ヘミングウェイに関する論文を寄稿。 日本英文学会第37回大会ではアメリカにおけるロマンス小説の流れを報告する。 志賀勝 (アメリカ文学者)のアメリカ文学論の序文は寿岳文章が書いていたのであるが、それの最後に志賀勝の学統を受け継いでいるのは瀧川元男であると述べられている。瀧川元男は出版の事務や細かい索引を作るということをしていた。佐藤清 (英文学者)の信頼が厚かったのが志賀勝で、その系統を瀧川元男が関西学院大学で継いでいたとされる。
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寺尾 善雄(てらお よしお、1923年 - 1987年)は、… 寺尾 善雄(てらお よしお、1923年 - 1987年)は、日本の中国文学者、作家。岡山県生まれ。 東京外国語学校支那語科卒。夕刊岡山新聞社、サンケイ新聞社、秋田書店に勤務。中国古典の翻訳や一般向けの書物を多く書いた。
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進士 晃(しんじ あきら、1922年12月28日 - 199… 進士 晃(しんじ あきら、1922年12月28日 - 1995年?)(旧姓 守永晃)は、日本の天文学者(天文暦)。理学博士(東京大学)。 旧制第七高等学校、東京帝国大学理学部天文学科卒業。海上保安庁水路部編暦課長、参事官。後、ハイデルベルク大学天文計算研究所客員教授(1978-1980)、マレーシア工科大学客員教授、その後、放送大学講師、東洋大学講師等を兼任。 日本天文学会、宇宙開発事業団、日本学術会議等メンバー。国際天文学会では天文暦委員長(1979-1982)を務めた。交流を続けていた天文学者に、ヴァルター・フリッケ(英語版)、ハンス=ハインリヒ・フォークト(英語版)がいる。 戦時中の疎開について東京大学天文学教室のOBらと『されど天界は変わらず・諏訪の温泉宿で迎えた終戦』(東京大学理学部天文学教室編 1993年)を出版した。
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渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 20… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 2021年10月20日)は、日本の評論家(とくに演劇・映画)、フランス文学者、翻訳家。旧・東京都立大学名誉教授。本名は名前を「あつし」と読む。兄の渡辺仁は人類学者で、東京大学教授ほかを務めた。 三重県久居町(現津市)生まれ。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校、3年まで)、長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制富山高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部仏文学科に入学したが、同年学徒出陣の対象者となる。1945年まで兵役(海軍)に就き、戦後に復学(渡辺一夫に師事)して1948年卒業。 戦後、まず現代フランス文学、とくにナチス・ドイツの占領を契機に変貌した文芸・思想の紹介、評論を各種新聞、雑誌、単行本上に発表してデビュー。
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金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 -… 金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 - 2004年11月29日)は韓国の詩人、文学評論家、国文学者、政治家である。本貫は光山金氏。慶尚南道忠武市(現在の統営市)出身。 代表作は「花」「ブダペストでの少女の死」など、韓国の教科書に収録されることもある。 1922年11月25日、慶尚南道の忠武で生まれる。統営普通学校と京畿中学校を卒業して、日本大学の芸術科に入学したが、1942年12月に不敬罪の疑いにより退学処分になった。 統営中学校、馬山高校の教師、それから馬山の海印大学(現・慶南大学校)、慶北大学校、嶺南大学校などで教授を務めた。文芸振興院の顧問、韓国詩人協会長などを歴任。
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板坂 元(いたさか げん、1922年11月21日 - 200… 板坂 元(いたさか げん、1922年11月21日 - 2004年7月26日)は、日本の日本文学者。文芸評論・文化評論家。 文学研究者としては、近世文学を専攻。 1922年(大正11年)、中華民国・南京市生まれ。父は開業医で南京居留民団長だった板坂瑠一。板坂家は17代続いた医師の家系で、江戸時代は大村家に藩医として代々仕えた。 帰朝し、子供時代を長崎で過ごす。1943年(昭和18年)9月、旧制佐賀高校文科乙類(ドイツ語)を繰り上げ卒業。10月、東京帝国大学文学部国文科に入学。12月、学徒出陣で小倉市の野戦重砲連隊に入営。のち第6航空情報連隊に配属。武漢など大陸を転戦し、1946年(昭和21年)復員。
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弓削 三男(ゆげ みつお、1922年(大正11年)11月15… 弓削 三男(ゆげ みつお、1922年(大正11年)11月15日 - 2002年(平成14年)1月26日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 福岡県八女市出身。1950年(昭和25年)に九州大学文学部仏文学科を卒業し、同年に九州大学大学院の特別研究生として在学。翌1951年(昭和26年)に九州大学専任講師となる。1956年(昭和31年)にはフランスのストラスブール大学に、次いで翌1957年(昭和32年)にパリ大学に留学した。 1962年(昭和37年)に九州大学の教授となったのち、1964年(昭和39年)に早稲田大学第一文学部の専任講師となった。さらに翌1965年(昭和40年)に早稲田大学第一文学部の助教授となると、以降1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)まで早稲田大学大学院文学研究科を兼任した。
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犬養 廉(いぬかい きよし、1922年10月31日 - 20… 犬養 廉(いぬかい きよし、1922年10月31日 - 2005年5月7日)は、日本の日本文学者。お茶の水女子大学名誉教授。万葉集研究の第一人者である犬養孝は実兄。 東京生まれ。1952年東京大学国文科卒。北海道大学助教授、中央大学教授、お茶の水女子大教授、1988年定年、立正大学教授。1993年退職。墓所は谷中霊園。
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森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 20… 森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 2007年5月28日)は、日本の国語学者、国文学者、奈良女子大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1945年京都帝国大学国文科卒。京都女子大学助教授、奈良女子大学助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、天理大学教授、1996年退任。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年5月28日、肺癌のため死去。没後正四位叙勲。
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安田 一郎(やすだ いちろう、1922年9月27日 - 19… 安田 一郎(やすだ いちろう、1922年9月27日 - 1992年)は、日本の英語学者、英文学者、成城大学名誉教授。NHKラジオ『続・基礎英語』の講師として知られる。 東京入谷生まれ。1944年9月東京外国語学校英語部卒。1947年埼玉県経済部倍賞課嘱託、1949年埼玉地方経済調査庁経済調査官、1952年埼玉県地方行政観察局総理府事務官、埼玉大学教育学部附属中学校教官、1962年東京教育大学指導主事課程修了、1963年から64年にかけてフルブライト留学生としてミシガン大学に学び研修修了、帰国後に成城大学短期大学部講師、1965年NHK英語講座『続・基礎英語』講師(-1980年)、1967年成城短大助教授、1976年教授、1977年成城大学法学部教授(英語)、1978年大学評議員、1983年から87年図書館長、1990年成城大学定年退職、名誉教授、調布学園女子短期大学教授。
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池田 廣司(池田広司、いけだ ひろし、1922年9月19日 … 池田 廣司(池田広司、いけだ ひろし、1922年9月19日 - 1994年8月19日)は、日本の国文学者。 大阪府出身。1948年東京文理科大学卒、和光大学人文学部助教授、教授、93年名誉教授。狂言など中世芸能が専門だった。
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景山 正隆(かげやま まさたか、1922年9月6日 - )は… 景山 正隆(かげやま まさたか、1922年9月6日 - )は、国文学者。専攻は歌舞伎音楽・義太夫節を中心とする歌舞伎・人形浄瑠璃・邦楽。博士(文学)。元東洋大学文学部教授、(社)義太夫協会名誉会長、(財)日本舞踊振興財団評議員、(社)全日本郷土芸能協会顧問、国立劇場養成課講師(歌舞伎・長唄・鳴物・竹本研修生)。平成5年(1993年)11月、勲四等旭日小綬章を受章した。
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鈴木 一雄(すずき かずお、1922年(大正11年)8月26… 鈴木 一雄(すずき かずお、1922年(大正11年)8月26日 - 2002年(平成14年)5月19日)は、日本文学者。元十文字学園女子短期大学・十文字学園女子大学学長。勲三等旭日中綬章(2000年)。正四位(2002年6月)。 東京市本郷区田町に、8人姉弟の7番目の長男として、大工の棟梁の家に生まれる。文京区立礫川小学校、東京府立第五中学校を経て、1946年(昭和21年)、東京文理科大学文学部国語国文学科卒業。専攻は平安時代文学、とくに物語文学・日記文学。 東京都立九段高等学校、東京教育大学附属中学校・高等学校の教官、東京教育大学文学部助教授。金沢大学法文学部助教授・教授、同文学部学部長。明治大学教授を経て、1991年に十文字学園女子短期大学学長(第3代)に就任、1996年からは十文字学園女子大学初代学長を務め、大学を創設した功績により叙勲を受けた。
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橋本 不美男(はしもと ふみお、1922年8月15日 - 1… 橋本 不美男(はしもと ふみお、1922年8月15日 - 1991年12月25日)は、日本の国文学者。王朝和歌が専門。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。1944年9月日本大学法文学部国文科卒業。宮内庁書陵部図書調査官、早稲田大学教授。1990年定年退任。王朝和歌が専門。 『宮内庁書陵部蔵 御所本 三十六人集 全36巻』(橋本不美男 編)新典社、1970年。
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金井 清光(かない きよみつ、1922年〈大正11年〉7月2… 金井 清光(かない きよみつ、1922年〈大正11年〉7月28日 - 2009年〈平成21年〉4月7日)は、日本の国文学者、時衆研究者。鳥取大学名誉教授。 長野県松本市に生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、姫路高等学校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学文学部国文学科に入学するも、学徒出陣する。シベリア抑留をへて帰国。1952年、東京大学国文学科卒業、同大学院に進学。この間、通学をしながら武蔵野女子学院高等部にて教鞭を執り、教頭であった雲藤義道の引見により、後年時宗法主となる河野憲善と出会う。1957年、大学院在学期限満了となり、鳥取大学学芸学部(のち教育学部)に奉職。やがて教授となるも、授業中の発言を巡って休職・退官に追い込まれる。
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岡村 繁(おかむら しげる、1922年7月23日 - 201… 岡村 繁(おかむら しげる、1922年7月23日 - 2014年12月26日)は、古典中国文学者、九州大学名誉教授。 滋賀県甲賀郡甲賀町生まれ。1947年広島文理科大学文学科卒、同副手、助手、広島大学文学部助手、兵庫県立星陵高等学校教諭、1959年名古屋大学文学部助手、1962年「後漢三国の評論に関する研究 とくに人物評論を中心として」で名大文学博士。 1964年東北大学教養部助教授、1966年九州大学文学部助教授、1968年教授、1972-1974年文学部長、1977-1980年附属図書館長、1986年定年退官、名誉教授、久留米大学文学部教授、1992年文学部長。1997年、勲二等瑞宝章受章。
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中山 時子(なかやま ときこ、1922年(大正11年)7月1… 中山 時子(なかやま ときこ、1922年(大正11年)7月13日 - 2016年1月22日)は、日本の中国文学者・中国語学者。中国近代文学のほか、中華料理も研究対象にした。お茶の水女子大学名誉教授。 北京に育ち、1942年北京大学文学院中国文学系入学、1949年東京帝国大学文学部中国文学科卒、1949年東京女子高等師範学校、お茶の水女子大学助教授。1974年同教授。1988年定年退官、名誉教授。外務省研修所講師、明海大学教授、東亜学院講師、中山時子中国語研修所所長、日中文学文化研究学会会長。1998年、勲三等瑞宝章受章。従四位。
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田井 庄之助 (たい しょうのすけ、1922年 <大正11年… 田井 庄之助 (たい しょうのすけ、1922年 <大正11年> 7月10日 - 2012年 <平成24年> 10月31日) は、日本の教育者であり文学者である。大分大学教授、別府大学教授を務めた。位階は従四位。岡山県高梁市出身。 1922年(大正11年)7月10日、岡山県高梁市に生れる。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、日本原子力研究所副理事長を務める天野昇、岡山県新見市長になる福田正彦、丸善石油(現:コスモ石油)副参与と北海道の丸善石油関連社長を務めた古米初男がいる。 1940年(昭和15年)同校を卒業し、広島高等師範学校文科へ進学した。同校を1944年(昭和19年)卒業し、広島文理大学文学部へ進学する。
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小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966… 小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966年10月27日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学国文科入学。学徒出陣で伊豆大島で陸軍少尉。1948年、東京大学国文科卒。養徳社勤務を経て、1952年、学習院教授。1956年に東京大学国語国文学会賞受賞(久松賞)を受賞。1956年、共立女子大学短期大学部助教授。1960年、学習院大学助教授。1964年、教授。貞門俳諧を専門とした。44歳で死去。
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西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日… 西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日 - 2008年(平成20年)10月9日)は、日本のドイツ文学者、評論家、翻訳家。東京大学教養学部名誉教授。 日本統治時代の台湾台中市生まれ。東京大学独文科卒業。金沢大学助教授、1964年東京大学教養学部助教授、1970年教授。1983年定年退官、名誉教授、金城短期大学学長を務めた。 ドイツ文学専攻で、ヘルマン・ヘッセ、シュテファン・ツヴァイクなど翻訳多数。1960年代から1970年代にかけて、進歩的知識人を批判、論争し、相手方から「ファシスト」と呼ばれた。[要出典] 1975年の『誰がファシストか』では、西欧のファシズム研究を紹介しつつ、進歩派こそファシストではないかと批判した。
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佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月… 佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2016年〈平成28年〉1月1日)は、日本のアメリカ文学者・比較文学研究者・文芸評論家・翻訳家。東京大学名誉教授。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章受章。 富山県出身。古代日本に存在した佐伯部の子孫で神官の家柄。先祖に佐伯有頼がいる。旧制富山高校を経て、東京帝国大学文学部英文科卒業、同大学院修了。旧・東京都立大学助教授を経て、1967年にカナダ・トロント大学で客員教授として日本文学を講義、1968年東京大学教養学部教授、1976年から大学院比較文学比較文化研究室主任。1983年定年退官後は中央大学教授を1993年まで勤め、世田谷文学館館長、2007年退任し名誉館長。
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工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 -… 工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 - 2008年7月9日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。本名は、工藤 精一(くどう せいいち)。日本ロシア文学会会員。 福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)卒業。ハルピン学院卒業。日ソ文化交流機関講師、関西大学教授等を務めた。 数多くのロシア文学・ロシア語文献を翻訳した。
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伊東 泰治(いとう やすはる、1922年4月18日 - 20… 伊東 泰治(いとう やすはる、1922年4月18日 - 2013年4月2日)は、日本のドイツ文学者。名古屋大学名誉教授。 1922年、山口県萩市で生まれた。1940年に山口県立山口中学校を卒業し、東京高等学校文科乙類に進んだ。1942年に卒業。京都帝国大学文学部ドイツ文学専攻に進み、1946年に卒業。 修了後は、三重県立医科大学予科教授に就いた。三重県立大学助教授、金沢大学法文学部助教授を経て、名古屋大学分校助教授に就いた。その後教養部助教授に配置換えとなり、教養部教授昇格。名古屋大学総合言語センター教授に配置換えとなり、同センター長を併任した。名古屋大学在職中、西ドイツ・アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生として渡独し、ミュンヘン大学、ハイデルベルク大学、フライブルク大学に滞在して在外研究。
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伊狩 章(いかり あきら、1922年3月31日 - 2015… 伊狩 章(いかり あきら、1922年3月31日 - 2015年3月19日)は、国文学者、新潟大学名誉教授。叙正四位。
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