内村 宏幸(うちむら ひろゆき、1962年6月22日 - )… 内村 宏幸(うちむら ひろゆき、1962年6月22日 - )は、日本の放送作家。熊本県人吉市出身。一般社団法人日本放送作家協会理事長。 お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの内村光良は従弟にあたる。 放送作家としての仕事の傍ら、近年は小説家として作品を発表。光良の所属するマセキ芸能社にて芸人養成スクールの講師を務め、公演「スペシャルパンキッシュガーデン」の演出も担当した。 熊本県立人吉高等学校卒業、神奈川大学外国語学部中退。在学中にぴあでアルバイトをしていた。大学時代は、横浜放送映画専門学院に在籍する光良と同居していた。その下宿先へ頻繁に訪れる南原清隆とのネタ打ち合わせを見るうち、アドバイスやネタ出しをするようになった。
鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、… 鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活動するタレント、映画監督、放送作家。株式会社CREATIVE OFFICE CUEの取締役会長、株式会社 キュー・プロダクツの取締役会長、有限会社 マンホールフィルム取締役会長も務める。愛称はミスター。CREATIVE OFFICE CUE社長の伊藤亜由美は元妻。
道蔦 岳史(みちつた たけし、1962年3月10日 - )は… 道蔦 岳史(みちつた たけし、1962年3月10日 - )は、日本のクイズ作家、放送作家。日本放送作家協会、日本脚本家連盟に所属。 神奈川県横浜市出身。東京学芸大学卒業。本人は「アップダウンクイズ」を見て育ち、生年月日が松田聖子と同じことに「強い星のもとに生まれたのか」と感じていた。 1979年にフジテレビ系列で放送されていた『クイズグランプリ』の高校生大会に出場して優勝を果たすと、大学進学後から多くの視聴者参加型クイズ番組に出場する。日本テレビ系列で放送されていた『アメリカ横断ウルトラクイズ』では第5回と第8回で予選を通過し、ともに機内ペーパークイズで1位を獲得した。第5回は準々決勝のメンフィスまで、第8回はハワイまで進出している。
吉野 晃章(よしの てるゆき、1962年〈昭和37年〉3月2… 吉野 晃章(よしの てるゆき、1962年〈昭和37年〉3月2日 - 2004年〈平成16年〉4月15日)は、日本の放送作家、脚本家。東京都港区出身。血液型O型。 帝京高校在学中サッカー部に所属。当時のチームメート木梨憲武と出会い、遅れて石橋貴明とも付き合いを始める。高校卒業後、グランドシートを扱う会社に就職するが、木梨・石橋とはとんねるず結成後も付き合いを続け、仕事の合間を縫ってコントのアイディア提供を行っていた。「とんねるずのオールナイトニッポン」では、中期ごろから共に番組収録に参加し、その独特な笑い声はリスナー達にはお馴染みだった。林家パー子よりも軽いと言われた笑い屋で、ハガキ職人の常連に感謝された。
植竹 英次(うえたけ ひでつぐ、1962年1月5日 - 20… 植竹 英次(うえたけ ひでつぐ、1962年1月5日 - 2024年6月1日)は、日本の放送作家。浅井企画所属。 獨協大学法学部に在籍中、青年座の養成所で演劇の道を目指していた一方で、作家願望もありシナリオセンターでも学んでいた。そんな中、浅井企画の放送作家募集記事に応募し採用される。その後、所属していた萩本欽一のマネージャーに声をかけられ、書いたもの(作品)を見せると気に入られ、萩本に直接ついて修業がすることとなった。植竹本人によると、「萩本から一から原稿の書き方を教わった唯一の弟子」であるという。バラエティや情報番組に携わってきた。 2024年6月1日、62歳で死去。 萩本欽一(浅井企画・佐藤企画業務提携)
だいもん 孝之(だいもん たかゆき、本名:大門孝之、1962… だいもん 孝之(だいもん たかゆき、本名:大門孝之、1962年 - )は、放送作家。
高瀬 真尚(たかせ まさなお、1961年12月9日-)は日本… 高瀬 真尚(たかせ まさなお、1961年12月9日-)は日本の放送作家・プロデューサー。 1961年、栃木県宇都宮市生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。1985年、放送作家活動開始。フリーランスを経て、1993年、映像制作集団(株)ジーワン設立。「まだ誰も見たことがないものを創る!」をコンセプトに創作活動を展開。テレビ番組、CF、Webコンテンツなど、さまざまなメディアで斬新なコンテンツを企画・制作。2004年、(株)ズノー設立。馬主でもある。
高橋 洋二(たかはし ようじ 1961年9月18日 - )は… 高橋 洋二(たかはし ようじ 1961年9月18日 - )は放送作家、ライター。 神奈川県出身。神奈川県立鶴嶺高等学校卒業。法政大学経済学部中退。大学では映画研究会に所属。1982年開始の『タモリ倶楽部』に出演する景山民夫を観て放送作家の仕事に関心を持つ。映画研究会のメンバーとよく通っていた新宿ゴールデン街のスナックでシティボーイズの知り合いの常連客と出会ったことから、シティボーイズのブレーンだった宮沢章夫に弟子入りするような形となり、在学中の1984年に『吉田照美のてるてるワイド』(文化放送)で放送作家デビュー。 『タモリ倶楽部』に参加するようになってからは、山田五郎や井筒和幸のテレビタレントデビューのきっかけを作った。
榊原 直樹(さかきばら なおき、1961年9月12日 - )… 榊原 直樹(さかきばら なおき、1961年9月12日 - )は、日本の放送作家、メディアプランナー。 東京都渋谷区生まれ。 米国カリフォルニア州マウンテンビュー・アカデミー高校、米国カリフォルニア州サンタクララ・ミッション大学を経て、1984年にクイズダービー(TBS)の取材作家として活動を開始。以降、テレビ・ラジオの構成に携わる。90年代後半からインターネットのアプリケーション開発にも携わり、ウエブ上の動画から高画質静止画写真を抽出する特許アプリ「Movie SnapShot」を開発しNTT-ME(現NTTレゾナント)とWEBプロモーションアプリとして事業展開。その他、大手化粧品メーカーのコラボCM、プロモーション担当。
三木 聡(みき さとし、1961年8月9日 - )は、日本の… 三木 聡(みき さとし、1961年8月9日 - )は、日本の放送作家・映画監督。
今川 泰宏(いまがわ やすひろ、1961年7月24日 - )… 今川 泰宏(いまがわ やすひろ、1961年7月24日 - )はアニメーション監督、映画監督、演出家、脚本家、放送作家。大阪府出身。
菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、… 菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、愛媛県大洲市出身の放送作家(構成作家)、脚本家、元お笑い芸人。別名義に菊原 智岐、ファニー菊原などがある。日本脚本家連盟会員。 1980年、日本大学藝術学部映画学科入学。1982年、コントグループ「ファニーズ」結成。日本テレビお笑いスター誕生9週勝ち抜き、ゴールデンルーキー賞獲得。1984年、前衛劇団「超薄的ワルツ」結成。1985年、コピーライターとして広告デザイン会社に入社。フランスベッドなどの広告を担当。1987年、放送作家に転向。秋元康に二番弟子として弟子入りし、SOLD-OUT、オフィスクレッシェンド、エイティーワン・エンタテインメント、イキナを経て現在はフリー。
青島 利幸(あおしま としゆき、1961年2月13日 - 2… 青島 利幸(あおしま としゆき、1961年2月13日 - 2017年11月2日)は、日本の放送作家、作詞家。東京都中央区出身。父は青島幸男、姉は作家の青島美幸。 1984年、日本大学文理学部卒業後レナウン(旧社)に入社するが、10ヶ月で退職。放送作家になることを目指してテレビ番組のアシスタントディレクター(AD)を務め、これがきっかけでバラエティ番組の構成作家として活動するようになった。 2012年、肺癌と診断されたものの仕事も続けていたが、2017年11月2日、肺癌により死去。56歳没。墓所は荒川区浄光寺。
わぐり たかし(本名:和栗 隆史、1961年 - )は、日本… わぐり たかし(本名:和栗 隆史、1961年 - )は、日本の放送作家、語源ハンター、宿坊博士(経済学博士)、一般社団法人全国寺社観光協会『寺社Now』編集長、観光庁「城泊・寺泊による歴史的資源の活用事業」寺泊担当派遣専門家、元大阪府公立学校長。東京都生まれ。 学生時代に『アメリカ横断ウルトラクイズ』のアシスタントとして放送作家デビュー。ディレクターやプロデューサーも兼務しながら、幅広いジャンルの番組を企画・構成・演出・プロデュース、メディアミックスを仕掛ける。霊能者宜保愛子、聖者サイババ、催眠術師WATARU(作家 松岡圭祐)、マジック界の貴公子セロ、美のカリスマIKKO、美食の王様・来栖けいなど異才発掘のほか、民放初の南極生中継やエジプト・ピラミッド特番など国内外を舞台に大型スペシャル番組も数多く手がけている。
藤原琢也(ふじわらたくや、本名:藤原拓也、1960年 - )… 藤原琢也(ふじわらたくや、本名:藤原拓也、1960年 - )は、日本の放送作家。占い師。東京都生まれ。これまでに藤原琢也、藤原拓谷、藤原タクヤなど4度ペンネームを変えながら30年放送作家を続けている。大阪芸術大学映像計画学科卒業。
井上 知幸(いのうえ ともゆき、1959年9月26日 - )… 井上 知幸(いのうえ ともゆき、1959年9月26日 - )は、日本の放送作家。東京都出身(深川生まれ)。1985年、國學院大學文学部卒業。日活入社後、テレビ企画部、児童映画部を経て放送作家の道へ。1987年、『コメディー素晴らしき毎日』(NHK)でデビュー。『鶴瓶の家族に乾杯』などの番組を構成する。『今夜も生でさだまさし』ではアシスタント兼構成作家として出演。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
藤井 徹貫(ふじい てっかん、1959年7月11日 - 20… 藤井 徹貫(ふじい てっかん、1959年7月11日 - 2023年5月27日)は、日本の音楽ライター、小説家、放送作家、作詞家。 山口県下関市出身。血液型O型。小学校時代は母親にピアノを習うが挫折。中学校時代は吉田拓郎の『元気です』を聞き続ける。山口県立下関西高等学校時代は鈴木茂の『バンドワゴン』に没頭。日本大学芸術学部時代は平岡正明・著の『山口百恵は菩薩である』に影響を受ける。この頃大沢誉志幸の『まずいリズムでベルが鳴る』評を書いて出版社に持参するが、あまり相手にされずも、1984年よりフリーランスで音楽ライターを始める。音楽雑誌「GB」、「PATi PATi」、「ARENA37℃」などでライターとして活躍。
倉本 美津留(くらもと みつる、1959年〈昭和34年〉6月… 倉本 美津留(くらもと みつる、1959年〈昭和34年〉6月2日 - )は、日本の放送作家・ソングライター・脚本家・演出家。その他に、ラジオパーソナリティ・音楽家としても活動。 広島市生まれ、大阪府育ち。 大阪府立交野高等学校、京都産業大学卒業。元来は音楽家志望で、フォーライフ・レコードの新人オーディションに応募した。一歳年上の合格者・原田真二にショックを受け、音楽は諦めたという。1982年に大阪の番組制作会社に入社。『夜はクネクネ』で放送作家デビュー。主に関西の番組を中心に活動していたが、いわゆるベタな「大阪の笑い」のあり方に疑問を抱き、『EXテレビ(火曜日)』などで様々な実験的企画を手掛け、頭角を現すと共に、後述のダウンタウンや島田紳助らが東京でのレギュラー番組を増やすに伴い、1990年代中期、活動の場を東京に移す。
大森 うたえもん(おおもり うたえもん、本名:大森 博文〈お… 大森 うたえもん(おおもり うたえもん、本名:大森 博文〈おおもり ひろふみ〉、1959年5月15日 - )は、宮崎県を拠点に活動する日本のタレント、歌手、放送作家、実業家。愛称はクンちゃん(旧名の大森クンタから)。パワーピット所属。 岡山市立妹尾中学校、県立岡山操山高校、法政大学卒業。法政大学在学中の1981年、教員試験に落ちたことがきっかけでお笑い芸人になることを決意する。とりあえずテレビ局のADとなり、前説と拍手の練習を公開収録の観客に促す仕事をしていた。ちょうどその頃、約束だった3ヶ月の契約を満了し相方が芸能界を引退したため、次の相方を探していたそのまんま東(東国原英夫)に見出され、お笑いコンビツーツーレロレロに加入。
東野 博昭(ひがしの ひろあき、1959年3月7日 - )は… 東野 博昭(ひがしの ひろあき、1959年3月7日 - )は、日本の放送作家、演出家。愛称「がっしゃん」。 大阪府門真市出身。関西学院大学文学部卒業。高校の同級生北野誠とともにアマチュアコンビ「まこと&がっしゃん」を結成し、「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ)に出演する。3週勝ち抜き実力派コンビであったが1年でコンビ解消。その後北野は大学卒業後松竹芸能に所属しタレントデビュー、東野は大学卒業後一度は中学校の社会科講師をするも赴任先の学校が荒れていたこともあってか、笑いの仕事を捨てきれず半年後、放送作家に転向する。 構成作家ちろりんとして活躍し、現在はテレビプロデューサーで毎日放送制作局次長の浜田尊弘とは関学時代からの友人である。
中山 市朗(なかやま いちろう、1959年 - )は、兵庫県… 中山 市朗(なかやま いちろう、1959年 - )は、兵庫県朝来市竹田出身の日本の小説家、放送作家。 ※WEBマガジン『神秘の國、日本』連載記事 ※中山市朗自身の語り 発売・パンローリング ※小田柿悠太・朗読 発売・KADOKAWA ※長田任・朗読 発売・KADOKAWA 'ドラマ、映画'(原作、脚本) ※『怪談新耳袋』(制作、放送 BS-i 現BS-TBS VHS、DVD発売 キングレコード) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
妹尾 匡夫(せのお まさお、1958年10月6日 - )は、… 妹尾 匡夫(せのお まさお、1958年10月6日 - )は、日本の放送作家(放送作家集団「オフィスまあ」代表)。愛称は、せのちん。 また、演劇ユニット「シアターまあ」の主宰でもあり、舞台作家・演出家として活動もしている。 吉田照美の深夜放送番組に投稿していた縁でピックアップされ、1980年から構成作家の道を歩む。
山崎純(やまざき じゅん、1958年9月8日 - )は、東京… 山崎純(やまざき じゅん、1958年9月8日 - )は、東京都出身の放送作家、劇作家、実業家。株式会社ブルーマウンテン代表取締役社長。日本放送作家協会理事、日本脚本家連盟会員。埼玉県立所沢高校卒業(バレーボール部所属)。 1982年、「闇夜のエトランゼ」にて文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞(「日高瞬」名義)。 東放学園講師(企画に関する授業)、多摩美術大学特別講師、エファップ・ジャポン講師、カルチャースクール 東急セミナーBE講師。 「山ちゃんの調べてミソヅケ」(鎌倉書房)
村上 信夫(むらかみ のぶお、1958年5月7日 - )は、… 村上 信夫(むらかみ のぶお、1958年5月7日 - )は、日本の放送作家、大学教授。 東京都生まれ。1985年日本大学法学部卒業。立教大学大学院修士課程修了。同博士課程中退。野村芳太郎・井上和男と知り合ったことがきっかけで映画やドラマのシナリオを書き始める。報道番組、ドキュメンタリーなどの構成も手掛けている。2002年4月1日~2009年3月31日の間JFN系列局で放送されていたWELCOME!ANOTHER WORLDにて原作・脚本を務める。立教大学大学院では危機管理/メディア論などの研究を行なっている。研究テーマである危機管理に対し1989年に起きた天安門事件で衝撃を受けたことを理由にあげており、それ以降放送作家の仕事を行う中でも常に考えてきたものだと述べている。
君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - … 君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - )は、日本の脚本家、映画監督、放送作家。 東京都港区出身。日本大学芸術学部卒業。 妻は、女性アイドルグループ・トライアングルのメンバーで元タレントの藤本あき(加藤明恵)。 学生時代は映画監督を志していたが東宝撮影所でのアルバイト経験で映画界の不況を目の当たりにして、次第に映画界への興味を失う。倉本聰、山田太一、向田邦子などのシナリオライターが脚光を浴びているのを見て、テレビドラマの世界に関心を抱くようになった。大学の教授の紹介で、卒業後は萩本欽一に弟子入りし、萩本お抱えの放送作家集団である「パジャマ党」に加入。『欽ちゃんの週刊欽曜日』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『ライオンのごきげんよう』など、バラエティ番組に構成作家として携わる。
竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )… 竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )は、日本のテレビ演出家、TVプロデューサー、放送作家。特に、ドキュメンタリーの構成・演出に定評がある。文教大学情報学部メディア表現学科長・教授、文教大学大学院情報学研究科教授、文化庁芸術祭執行委員、日本映画監督協会理事、湘南総合研究所所長。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。大学入学のために上京した1979年春より、自主映画制作団体 『都会村』を設立・主宰し、8ミリ映画の制作を始める。1981年より2年間、イメージフォーラム付属映像研究所で、松本俊夫、金井勝、かわなかのぶひろ、鈴木志郎康、萩原朔美、松田政男、そして寺山修司などから、実験映画を中心にアートとしての映像表現を学ぶ。
山田 美保子(やまだ みほこ、1957年5月4日 - )は、… 山田 美保子(やまだ みほこ、1957年5月4日 - )は、日本の放送作家・芸能コラムニストである。かつて株式会社ホリプロに所属していた。
関 秀章(せき ひであき、1957年4月19日 - )は、放… 関 秀章(せき ひであき、1957年4月19日 - )は、放送作家・メディアコラムニスト。テレビ・ラジオの番組制作会社のジャンプコーポレーションの企画顧問も務める。東京都出身。
浅香 晶(あさか あきら、1957年 -)は、日本の放送作家… 浅香 晶(あさか あきら、1957年 -)は、日本の放送作家(主に脚本)、及びSF作家。 早稲田大学文学部卒業。放送作家が本業であるが、1989年に『S-Fマガジン』でSFにもデビューし文庫化。放送作家としての実感が活かされた作品である未来社会の映像プロダクション「スーパー・ノバ」の日々を描いたシリーズはハヤカワJAからハヤカワHBに移籍するなど、「ライトノベル」という呼称が広く認知される以前の同系のジャンル(当時の呼称としては、いわゆる「ソノラマ・コバルト系」)で活躍した。そういった軽妙な作品の他、「ムーンシャインハンター」は伝統的スペースオペラに「酒」を絡ませた意欲的作品で、S-Fマガジンへの掲載後、ソノラマ文庫で単行本化された。
大倉 利晴(おおくら としはる、1956年1月31日 - )… 大倉 利晴(おおくら としはる、1956年1月31日 - )は、日本の放送作家。 かつては萩本欽一の座付き作家として萩本企画に所属していた。作家活動の他、ラジオパーソナリティなどタレント的な活動も行っている。 長野県伊那市の出身。萩本企画の「ギャグ作家募集」の募集広告を雑誌で見て応募、面接などを経て合格、萩本家に住み込みの上で作家としての第一歩を踏む。しかし実際は萩本を送り迎えする運転手としての毎日が続き、何度か「辞めたい」と思ってその旨を直々に申し出たこともあったが、その度に萩本に一晩かかって説得された上思い留まるということを繰り返した。およそ1年半後にニッポン放送で構成の仕事を持つようになり、本格的に放送作家としての活動をスタートさせる。
ひらやま れいこ(1956年(昭和31年) - )は、日本の… ひらやま れいこ(1956年(昭和31年) - )は、日本のエッセイスト、放送作家。まお(真魚)ライフデザイン研究所 主宰、有限会社MAO代表取締役、一般社団法人日本ホリスティックライフ協会 代表理事東海ホリスティック医学振興会理事。 愛知県名古屋市出身。1984年に南山大学文学部人類学科(宗教人類学専攻)卒業後、1985年、名古屋大学文学部インド哲学講座を聴講。在学中より、放送作家・コピーライター・CMプランナー・劇作家として活動を開始する。 近年では、夫の映像作家、平山聡との共同制作により、多数の映像制作を行い、各種の国際映画祭にていくつかの作品がノミネート及び受賞している。
釜澤 安季子(かまざわ あきこ、1955年5月14日 - )… 釜澤 安季子(かまざわ あきこ、1955年5月14日 - )は、日本の放送作家。有限会社オンリーユー代表。日本脚本家連盟、日本放送作家協会会員。 東京都出身。東京文化高等学校(現・新渡戸文化高等学校)から和光大学に進学。株式会社オン・エアー(テレビ番組の制作プロダクション)のAD募集に応募し採用になる。 人手が足りないのでと会社から言われ、フジテレビ「なるほど!ザ・ワールド」、日本テレビ「全国高等学校クイズ選手権(高校生クイズ)」でクイズ作家としてデビュー。 その後にオン・エアーより独立し、1990年に有限会社オンリーユーを設立。同社は放送作家・リサーチャー集団から始まり、タレント所属事務所としても業務拡大した(2016年現在、俳優の渡辺裕太ほか「劇団マチダックス」メンバーや元プロ野球選手のG.G.佐藤らが在籍する)。
石井彰(いしい あきら、1955年 - )は長野県諏訪市出身… 石井彰(いしい あきら、1955年 - )は長野県諏訪市出身の放送作家。 ラジオ番組の構成作家として活動する傍ら、ラジオ・テレビのドキュメンタリーの企画・構成を担当し、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞などを受賞する実績を持つ。武蔵大学非常勤講師。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
日沢 伸哉(ひざわ のぶや、1954年12月26日 - 20… 日沢 伸哉(ひざわ のぶや、1954年12月26日 - 2009年10月8日)は、岩手県出身の日本の放送作家・作家。 岩手県立盛岡第一高等学校卒業後、関西に来て劇場通いを始める、そこで知り合った桂文福と出会い楽屋に出入りするようになる。創作落語にたずさわり、文福の紹介で月亭八方の紹介を受け放送作家となり、人気番組『クイズ!紳助くん』『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ制作)の構成を手がけるほか、『上方落語をきく会』(朝日放送ラジオ制作)、『日曜落語 〜なみはや亭〜』(朝日放送ラジオ制作)などの演芸番組の構成を手がける。2006年には「CDブック 栄光の上方落語」(角川書店)を上梓。尚2007年10月31日には「なつかしの昭和爆笑漫才 〜天国の笑星〜」を上梓、2008年には「CDブック 栄光の上方漫才」発売、10月29日には「五代目 桂文枝」を上梓。
村野まさよし(むらの まさよし、1954年10月8日- )は… 村野まさよし(むらの まさよし、1954年10月8日- )は、日本の放送作家、文筆家、タレント。 本名・雅義。東京都生まれ。東海大学工学部建築学科卒。学生時代はモータースポーツの四輪ラリーに専念。 1975年、オーストラリア、サザンクロスラリー、1987年、第3回香港北京ラリー出場の経歴をもつ。 大学卒業後、放送作家となる。テレビ東京「リスクのクスリ」にキャスターとして出演中。 地方税、米作りについて多くの著書があり、「あきたこまち」の名を全国に広めたという。
植竹 公和(うえたけ きみかず、1954年4月28日 - )… 植竹 公和(うえたけ きみかず、1954年4月28日 - )は、日本の放送作家、ソングライター。北海道函館市生まれ。北海道教育大学附属函館小学校卒業、同附属中学校卒業、函館ラサール高等学校、法政大学文学部卒業。横浜市在住。 高校生のとき、『北海道新聞』(北海道新聞社)主宰の有島武郎文学賞に入選。大学生の頃、『とびだせものまね大作戦』(フジテレビ)、『お笑い大集合』(フジテレビ)、『びっくりショー』(フジテレビ)でものまねチャンピオンを総なめする(主なネタはアメリカのテレビドラマ『コンバット!』(ABC)のオープニングの英語のナレーション、ベトコンとアメリカ兵の言い争い、イヴ・サン=ローランと高田賢三の違いの形態模写、ドナルドダック、ワーナー・ブラザースのアニメ『ルーニー・テューンズ』内の『ロードランナー・ショー』などに登場するキャラクター、ロード・ランナー、『版画まんだら』の棟方志功、『徹子の部屋』(テレビ朝日)の黒柳徹子のリアクションのものまね(黒柳徹子本人もその映像を見て「似てる」と認める)、俵孝太郎、三遊亭円生、等など)。
ぶるうたす(1954年1月1日 - 2023年2月4日)は、… ぶるうたす(1954年1月1日 - 2023年2月4日)は、日本のお笑いタレント、俳優、放送作家。東京都板橋区出身。本名は佐藤 勉(さとう つとむ)。かつてはプロダクション人力舎・東京演芸協会に所属していた。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
西 ゆうじ(にし ゆうじ、1953年11月15日 - 201… 西 ゆうじ(にし ゆうじ、1953年11月15日 - 2013年2月6日)は、日本の漫画原作者、脚本家、放送作家。男性。福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)出身。本名:西 祐治(読み同じ)。 桜美林大学卒業後、美学校映画技作工房で脚本・演出・映画美術を学ぶ。鈴木清順に師事し、共同脚本をきっかけに放送作家として活動を開始する。『オールナイトニッポン』をはじめ多くのテレビ・ラジオ番組の構成を手がけた。 漫画原作者としても活動し、1985年、『ビッグコミックオリジナル増刊号』掲載の読切作品『スローラブ』(作画:あきやま耕輝)で原作者としてデビューした。代表作は『華中華』『あんどーなつ』(いずれも絶筆作品となった)『蔵の宿』など。
加藤 芳一(かとう よしかず、1953年10月1日 - 19… 加藤 芳一(かとう よしかず、1953年10月1日 - 1995年10月20日)はライター、放送作家、演出家、インタビュアー。東京銀座出身。日本大学藝術学部文芸学科卒業。 中学3年の頃から高平哲郎と知合い、高平の紹介により、ライター、放送作家となる。1987年に、川勝正幸、渡辺祐、佐川秀文と事務所「トーテムポール」を結成。 放送作家として活動中の1995年に、ガンのため、42歳で死去。 放送作家の後輩の高橋洋二は、著書『オールバックの放送作家』において、80年代後半のテレビのお笑い/サブカル・シーンをリードしていた存在であったと、加藤を高く評価した。
海老原 靖芳(えびはら やすよし、1953年1月 - )は、… 海老原 靖芳(えびはら やすよし、1953年1月 - )は、日本の放送作家。 長崎県佐世保市生まれ。同市の大黒町市営第三住宅(後に大黒団地へ改築)で育つ。 朝鮮総督府鉄道局で勤務した世田谷出身の父は戦後、佐世保競輪場内で食堂「みよし乃」を経営した。 佐世保市立福石小学校2年生の時、父が14インチ白黒の中古を購入し、テレビが心(の)友となる。佐世保市立福石中学校3年生の時には、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争を間近で体感する。 長崎県立佐世保南高等学校では部活動に入らず、友人とエレキバンドを組んでドラムを担当していた。雑誌『平凡パンチ』を読み続けた影響で東京に憧れる。 1971年に3校を受験し、現役で青山学院大学経済学部に合格して進学。
山田 順子(やまだ じゅんこ、1953年 - )は、日本の時… 山田 順子(やまだ じゅんこ、1953年 - )は、日本の時代考証家、放送作家。 広島県広島市東雲にて2代続いた歯科医の1人娘として生まれ育つ。15歳の時に林美一著作の『時代考証うらおもて』(毎日新聞社、全国書誌番号:73001989)に本屋で偶然出会って時代考証家を志したといい、「民間放送開始の翌日に生まれて、NHKの大河ドラマが始まった年に家にテレビがやって来た。時代劇を見て育ったせいか、それを作りたいと思ったのがきっかけ」であると述べている。 専修大学文学部人文学科・史学コースを卒業。専攻は日本史。 CM制作会社に就職したのち、博報堂で嘱託勤務、CMディレクター、コピーライターとして勤務し、番組制作を学ぶ。
あべ あきら(1952年10月2日 - )は、日本の放送作家… あべ あきら(1952年10月2日 - )は、日本の放送作家、ミュージシャン、シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。 大分県大分市出身。長崎県立諫早高等学校卒業。長崎県立国際経済大学(現長崎県立大学)中退。中学2年より作詞・作曲を始め、大学時代はフォークソングクラブに所属していた。 上京後、荻窪ロフトや高円寺のレッドハウスなどのライブハウスでミュージシャンとして活動。29歳で放送作家となり、現在は『ガッテン!』(NHK総合テレビ)などを担当。SPACE SHOWER MUSIC所属のミュージシャンとしても活動中であり、制作した楽曲数は300曲を超える。アニソンやゲーム音楽にも精通している。
中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004… 中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004年7月26日)は、日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン。本名は中島 裕之(なかじま ゆうし)。ペンネームの由来は、無声映画時代の剣戟俳優、羅門光三郎から[4]。活動当初は「羅門」「Ramon」「らもん」等のペンネームで雑誌に詩の投稿をしており、仲間内でも「らもん」を名乗っていたが「読者に名前を覚えてもらいやすいように」と1982年に「らも」に改名した。本稿では名の表記を、原則として「らも」で統一する。
あらい けい(1952年1月22日 - )は、日本の演出家、… あらい けい(1952年1月22日 - )は、日本の演出家、俳優、放送作家、武術家。 「ひらがなのあらいけい」 と呼ばれている。 本名は新井勲(あらい いさお)で、芸名の「あらいけい」は40代後半から使用。 20代から40代後半までは「新井螢」という漢字を使っていた。 北海道白老町出身。身長172cm。 番組制作会社IBC・JAPAN代表、大東流合気 実践あらい道場 代表、師範、大東流武術連盟 八段 専務理事。 1993年よりプロレス・格闘技の60分番組HBCラジオ 「ラジプロ」のメインキャスター。 千葉商科大学卒業、 早稲田大学中退。 1998年7月 大東流合気柔術 幸道会札幌西支部入門 2001年1月 札幌西支部の主要メンバーと共に、新規会派無傳塾を旗揚げ、移籍。
萩原 芳樹(はぎわら よしき、1952年 - )は、放送作家… 萩原 芳樹(はぎわら よしき、1952年 - )は、放送作家、漫才作家。萩原芳樹事務所を自ら主宰。日本放送作家協会会員。芦屋市在住。 兵庫県姫路市生まれ。幼い頃から演芸が好きで中学生の頃には吉本新喜劇の井上竜夫と文通をしていた。兵庫県立姫路東高等学校在学中に、親の反対を押し切り横山やすしに師事し、漫才台本の添削の指導を受ける(但し正式に師弟関係は結んでいない)。 大阪芸術大学在籍中に、桂三枝(現・六代桂文枝)が命名した「ダッシュとんぺー」の芸名でMBSラジオ『MBSヤングタウン』やMBSテレビ『ヤングおー!おー!』の前説を担当。1年程で辞め、島田洋七と漫才コンビ「B&B」を結成したが、まもなく失踪という形で脱退する(当時の芸名は団順一でボケを担当。
保志 学(ほし まなぶ、1951年8月27日 - )は、日本… 保志 学(ほし まなぶ、1951年8月27日 - )は、日本の放送作家、構成作家、演芸評論家。大阪市出身。本名は高木敬二。 1970年(昭和45年)大阪市立高校卒業。在校中に落語研究会を創設。竹々亭松梅を名乗る。後に、古典落語鑑賞会の解説者として関西の中学・高校60校を巡る。天満天神繁昌亭の募金呼びかけ人の1人。彦八まつりの企画を第一回から手がける。扇納祭は保志の企画。 1974年(昭和49年)桃山学院大学社会学部卒業。すぐに上新電機(株)に社内報編集担当として勤務。併せて社員会事務局を担当しながら社内報編集。社員会が母体になり労働組合を結成、専従に就く。学生時代から、作家・池上義一氏の主宰する文芸同人誌「わが仲間」に所属、文学修業に励む。
松井 宏夫(まつい ひろお、1951年5月22日 - )は、… 松井 宏夫(まつい ひろお、1951年5月22日 - )は、日本のジャーナリスト、放送作家。富山県南砺市(旧東礪波郡福野町)出身。専門分野は予防医学、医学マスコミ論。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
末谷 真澄(すえたに ますみ、1951年〈昭和26年〉3月3… 末谷 真澄(すえたに ますみ、1951年〈昭和26年〉3月31日 - )は放送作家、脚本家。東京都出身。青山学院大学卒。 テレビやラジオの放送作家として活動したのち、『雨の旅人』(1992年)で小説家としてデビューし、その映画化作品『水の旅人 侍KIDS』(1993年)で自ら脚本を務めた。 ファンタジー性の強い作品を得意とする。米谷は、映像でしかできないものを考えた場合、ビジュアルが面白いものの方が良いと述べている。 『水の旅人 侍KIDS』をはじめ、石井竜也監督作品や平成モスラシリーズなど、エコロジーを題材とした作品を多く手掛けているが、末谷自身の思想ではなく、善悪の対立を作ることができる当時一番やりやすい題材であったと述べており、『ACRI』と『モスラ』では相反する内容を自覚的に書いている。
岩立 良作(いわたち りょうさく、1951年3月3日 - )… 岩立 良作(いわたち りょうさく、1951年3月3日 - )は、日本の放送作家、テレビプロデューサー。テレビ制作会社「オフィスぼくら」代表取締役社長。 専修大学商学部卒業後、はかま満緒に師事する。 日本テレビ「恋のから騒ぎ」のコーナー「さんま愛の説教部屋」にて、「ししゃも太郎」「沖縄太郎」「上海太郎」「フロント太郎」「ダンナ太郎」「ホーチミン太郎」「ガイド太郎」「トラベル太郎」「妊婦太郎」「ユアサ太郎」「マニラ太郎」「じろじろ見るマン」他多数の名前で第7期より当コーナーのレギュラーとして出演していた。 過去には明石家出版(日本テレビ)にも出演するなど、明石家さんまとの親交が深い。 90年代前半には『それいけ!アンパンマン』の脚本を執筆していた事があるが、先述の通り、彼はバラエティの放送作家であり、アニメの脚本は専門外の仕事だった。
浦沢 義雄(うらさわ よしお、1951年1月26日 - )は… 浦沢 義雄(うらさわ よしお、1951年1月26日 - )は、日本の放送作家、脚本家。東京都出身。 高校を卒業後、ゴーゴーダンサーを1年半ほど務めた後、河野洋が立ち上げた会社「ペンタゴン」にて台本運びのアルバイトとして入社。1年半ほど続けた後、河野から「ここで何をするか、はっきりした方がいい」と言われ、「作家になります」と答えて、放送作家への道を歩む。放送作家として『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』『カリキュラマシーン』など、数々の番組の構成に参加。脚本家としてのデビューは1979年に日本テレビで放送された『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』第68話「カジノ島・逆転また逆転」。 1981年から1993年に放送された東映不思議コメディーシリーズでは、脚本家としては唯一全シリーズに携わり、400本以上の作品を提供した。