北小路 功光(きたこうじ いさみつ、1901年〈明治34年〉… 北小路 功光(きたこうじ いさみつ、1901年〈明治34年〉4月23日 - 1989年〈平成元年〉2月27日)は、昭和時代の華族(子爵)、歌人。母は歌人として知られる柳原白蓮(柳原燁子)。昭和天皇とは又従兄弟にあたり、自身の誕生から6日後に誕生している。 1901年(明治34年)、北小路資武の長男として東京で生まれる。一家は困窮のため、北小路家縁の京都鞍馬口へ転居する。功光が5歳のときに両親が離婚したため、祖母・久子によって育てられた。 同志社中学から学習院を経て、東京帝国大学文学部中退。学習院時代には霊南坂教会に通っていた。1942年(昭和17年)2月28日に父子爵の資武が亡くなると、7月15日に子爵を襲爵した。
清水 博春(しみず ひろはる、1901年〈明治34年〉4月8… 清水 博春(しみず ひろはる、1901年〈明治34年〉4月8日 - 1931年〈昭和6年〉3月1日)は、日本の戦前の華族。男爵、備中清水氏。 1901年(明治34年)4月、公爵伊藤博邦の二男として生まれる。男爵清水資治の養子となり、1923年(大正12年)に家督を相続する。1926年(大正15年)に法政大学法学部を卒業し、王子製紙に勤める。 1931年(昭和6年)2月28日に神奈川県逗子町の自宅から家出して行方不明となり、翌3月1日に愛知県名古屋市の熱田神宮神域の瓢箪池畔の古木で縊死しているところを発見された。また、同日には夫人と弟の伊藤博通宛てに遺書が郵送されていた。遺体は一旦身元不明として仮埋葬されていたが、後に家族が引き取って火葬し、遺骨は東京に持ち帰られた。
久邇宮朝融王(くにのみや あさあきらおう、1901年〈明治3… 久邇宮朝融王(くにのみや あさあきらおう、1901年〈明治34年〉2月2日 - 1959年〈昭和34年〉12月7日)、または久邇 朝融(くに あさあきら)は、日本の旧皇族、海軍軍人。久邇宮第3代当主。官位は海軍中将大勲位功三級。香淳皇后の兄、第125代天皇・明仁の母方の伯父にあたる。 1901年(明治34年)2月2日、久邇宮邦彦王と同妃俔子の第1王子として誕生し、2月9日に朝融と命名された。 1921年(大正10年)2月2日に20歳を迎え、貴族院議員となった。4月19日に成年式が執り行われた。同年7月16日に海軍兵学校(49期)を卒業し、皇族軍人の一員として海軍軍人としてのキャリアを歩む。兵学校では、華頂宮博忠王と同期生だった。
小原 謙太郎(おはら けんたろう、1900年(明治33年)1… 小原 謙太郎(おはら けんたろう、1900年(明治33年)12月15日 - 1990年(平成2年)10月2日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・岐阜県。官僚・小原駩吉の長男として生まれる。父の死去に伴い、1932年(昭和7年)6月15日、男爵を襲爵した。 1927年(昭和2年)3月、京都帝国大学法学部を卒業した。同年、大阪商船に入社し、東京支店勤務を経て、本社勤務となった。 1944年(昭和19年)7月22日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。同年の第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補したが落選した。
京極 高鋭(きょうごく たかとし、明治33年(1900年)1… 京極 高鋭(きょうごく たかとし、明治33年(1900年)12月15日 - 昭和49年(1974年)12月7日)は、昭和時代の華族、音楽評論家。男爵加藤照麿(旧出石藩士)の五男。兄に加藤成之、浜尾四郎。弟に古川緑波、増田七郎がいる。京極子爵家(旧峰山藩主家)当主京極高頼の婿養子となる。 東京出身。初名は加藤鋭五。幼少の頃は迪宮(昭和天皇)のお相手を務めた。学習院に入学し、部活動では吹奏楽、また声楽の勉強に熱中した。東京帝国大学経済学部を卒業する。大正15年(1926年)に東京日日新聞の記者となり、昭和7年(1932年)に読売新聞へ移籍する。また、昭和6年(1931年)頃より音楽ジャーナリストして音楽雑誌に執筆を行う。
日野西 資忠(ひのにし すけただ、1900年(明治33年)1… 日野西 資忠(ひのにし すけただ、1900年(明治33年)12月9日 - 1970年(昭和45年)11月7日)は、大正から昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。 侍従・日野西資博の長男として生まれ、父の死去に伴い、1942年(昭和17年)11月、家督を継承し、1943年(昭和18年)1月15日、子爵を襲爵した。 学習院を経て、1933年(昭和8年)、明治大学専門部法科を卒業した。 1926年(大正15年)殿掌に就任。その後、大礼使典儀官、寿工業書記などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
内田 敏雄(うちだ としお、1900年〈明治33年〉11月1… 内田 敏雄(うちだ としお、1900年〈明治33年〉11月1日 - 没年不詳)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。位階は正四位。 海軍士官・内田正敏の養子・栄(矢部善作の二男)の長男として生まれる。養曽父・正敏の死去に伴い、1922年(大正11年)6月2日、男爵を襲爵した。 1926年(大正15年)4月、京都帝国大学法学部政治経済学科を卒業。1927年(昭和2年)東京市社会局嘱託となる。その後、南洋拓殖人事課長、同参事などを務めた。 1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 1977年(昭和52年)時点でのインタビューが残っている。
七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33… 七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33年)8月15日 - 1964年(昭和39年)11月2日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・烏丸。 伯爵・烏丸光亨の三男として生まれ、先代七条信義の死跡を継承し、1924年(大正13年)6月16日、子爵を襲爵した。 学習院高等科を修了。1935年(昭和10年)豊島区役所嘱託に就任。以後、関東電気工業社員、同社農場主任、浅野カーリツト会社員などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
三井 高陽(みつい たかはる、1900年(明治33年)7月1… 三井 高陽(みつい たかはる、1900年(明治33年)7月10日 - 1983年(昭和58年)5月19日)は、日本の華族。爵位は男爵。三井財閥の創業者一族である三井十一家のうち南家の10代目当主。 1900年(明治33年)、三井南家の跡取り息子として東京府に生まれる。 1922年(大正11年)、慶應義塾大学部理財科・慶應義塾大学院を修了した後、三井鉱山に入社。ドイツに留学し、経済史、交通史などを修得して帰国した。慶應義塾や逓信省の付属研究所で講師をつとめた後、三井物産や三井鉱山の取締役、三井船舶の初代社長などを歴任した。 父の死去に伴い1937年(昭和12年)2月1日に男爵を襲爵した。また郵趣家でもあり、とりわけ軍事郵便の研究者として、『世界軍事郵便概要』(増井幸雄と共著、国際交通文化協会、1939年)など切手に関する著作を書いた。
山階 芳麿(やましな よしまろ、1900年〈明治33年〉7月… 山階 芳麿(やましな よしまろ、1900年〈明治33年〉7月5日 - 1989年〈平成元年〉1月28日)は、日本の旧皇族。日本の鳥類学者。山階宮菊麿王と同妃範子(先妃)の第2王子。旧名:芳麿王。山階鳥類研究所の創設者。階級は陸軍中尉。位階勲等は正三位勲一等。爵位は侯爵。学位は理学博士(北海道帝国大学)。生前に受けた栄誉及び表彰歴としては第1級ゴールデンアーク勲章受勲及びジャン・デラクール賞受賞などがある。 1900年(明治33年)7月5日、皇族・山階宮菊麿王の第2子として東京市麹町区に誕生した。昭和天皇とは実母(範子妃)を、香淳皇后とは継母(常子妃)を通じての従兄にあたる。山階宮邸は敷地が約5500坪。
平山 洋三郎(ひらやま ようざぶろう / ようさぶろう、19… 平山 洋三郎(ひらやま ようざぶろう / ようさぶろう、1900年(明治33年)6月22日 - 1970年(昭和45年)10月11日)は、大正から昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。 貴族院勅選議員・平山成信の三男として生まれる。父の死去に伴い、1929年(昭和4年)12月2日、男爵を襲爵した。 第一高等学校を経て、1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格し、1925年、農林省に入省し農林属に就任。以後、山林事務官、農林事務官、営林局事務官、農林書記官、東京営林局長、日本高等女学校長事務取扱、日本高等家政女学校長事務取扱、帝国女子専門学校長(現相模女子大学)などを務めた。
大久保 利謙(おおくぼ としあき、1900年〈明治33年〉1… 大久保 利謙(おおくぼ としあき、1900年〈明治33年〉1月25日 - 1995年〈平成7年〉12月31日)は、日本の歴史学者、華族(侯爵)。維新の三傑の一人・大久保利通の孫で、大久保家第3代当主。父は利通の三男・大久保利武。母は近藤廉平の長女・栄。妻は子爵米田国臣の長女・八重子。長男は大久保利泰。 東京帝国大学卒業の際の論文は、近世史をテーマにしたものであった。理由は、当時の歴史学界においては、維新以後の歴史については、歴史家は触れてはいけないという空気が強かったからである。 戦時下では皇国史観に対して批判的立場を採り、東京帝国大学を中心とした官学アカデミズム歴史学や、戦後流行したマルクス主義歴史学とも異なる、実証主義を本領とした独自の近代史研究を構築した。
東久世 通忠(ひがしくぜ みちただ、1899年(明治32年)… 東久世 通忠(ひがしくぜ みちただ、1899年(明治32年)10月13日 - 1962年(昭和37年)11月10日)は、日本の実業家、教育者、華族。貴族院伯爵議員。 伯爵・東久世通敏の長男として生まれる。父の死去に伴い1944年(昭和19年)8月15日、伯爵を襲爵した。1926年、早稲田大学政治経済学部を卒業した。 帝国在郷軍人会渋谷町分会評議員、同麻布支部参事、小西六日野分工場長、同社取締役、同社青年学校長、東京写真工業専門学校長、淀橋工場協会会長などを務めた。 1946年(昭和21年)5月9日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年(明治32年)8月3… 島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年(明治32年)8月30日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、昭和期の日本の実業家、政治家、華族(男爵)。貴族院男爵議員、参議院議員(2期)。重富島津家第8代当主(越前島津家第23代当主)。 鹿児島県鹿児島市清水町出身。男爵・島津壮之助の長男として生まれる。父の死去に伴い、1925年(大正14年)4月15日、男爵を襲爵した。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制) を経て、1923年(大正12年)成蹊実業専門学校本科を卒業。三菱銀行に勤務(約10年間)。以後、三和電機社長、鈴木商店代表者、鹿児島製紙興業社長などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。
岡 俊二(おか しゅんじ、1899年(明治32年)8月29日… 岡 俊二(おか しゅんじ、1899年(明治32年)8月29日 - 1974年(昭和49年)10月22日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 医師・岡玄卿の長男として生まれる。父の死去に伴い、1925年(大正14年)5月1日、男爵を襲爵した。 1925年、東京帝国大学経済学部を卒業した。同年、第一生命保険に入社し、その後、同社秘書役を務めた。 1945年(昭和20年)10月27日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に属して活動し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。
由利 正通(ゆり まさみち、1899年(明治32年)8月7日… 由利 正通(ゆり まさみち、1899年(明治32年)8月7日 - 1963年(昭和38年)9月14日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 華族・由利公通の二男として生まれ、兄・公真の養子となる。兄の隠居に伴い、1926年(大正15年)11月1日、子爵を襲爵した。 1923年(大正12年)3月、東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。同年、三菱銀行に入社。その後、三井信託に勤務した。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に属して活動し1946年(昭和21年)7月22日まで1期在任した。
稲垣 長賢(いながき ながかた、1899年(明治32年)7月… 稲垣 長賢(いながき ながかた、1899年(明治32年)7月18日 - 1982年(昭和57年)3月12日)は、大正から昭和期の農林技官、政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧志摩鳥羽藩主家当主・稲垣長昌の長男として生まれる。父の死去に伴い、1940年(昭和15年)12月28日、子爵を襲爵した。 1924年(大正13年)東京農業大学本科を卒業。同年、農林省畜産試験場助手に就任。以後、山形県農林技手、農林省嘱託、帝国畜産会理事などを務めた。 1943年(昭和18年)1月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選。研究会に所属し調査部第五部理事を務め、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 その他、養鶏組合中央会技師に就任し、以後、同会の奨励部長、出版部長、検査部長、事業部長、同会理事などを務めた。
新田 義美(にった よしとみ、1899年3月2日 - 196… 新田 義美(にった よしとみ、1899年3月2日 - 1969年11月20日)は、昭和時代の華族、男爵。 岩松新田氏・新田忠純の子。兄弟は俊子(今村繁三室)、てい(桂与一室)、幸子(四女、松平慶民室)、義郎(北畠克通養子)、義之(岩松純行養子)ら。妻は高浜虚子の娘宵子。男子はなく、娘に武子、恭子、汪子(山田栄作妻)、公子(宇佐美承妻)、容子(国井文扶妻)、矩子(小谷野晃一妻)。 1926年(大正15年)に明治大学政治経済学部を卒業し、第一生命保険相互会社に勤務する。1966年(昭和41年)、自身が所蔵していた古文書や絵画など約9,000点を群馬大学に寄贈し、現在新田文庫として公開されている。婿の山田栄作と娘汪子の間の陽子(孫娘)が跡を継いだ。
伊東 九郎(いとう くろう、1899年(明治32年)1月19… 伊東 九郎(いとう くろう、1899年(明治32年)1月19日 - 1953年(昭和28年)12月15日)は、明治、大正、昭和期の華族。正五位。子爵。 1899年、伯爵・伊東巳代治の八男として、東京都に出生。1923年、明治大学政治経済科卒業。 旧大名家の備中岡田藩主であった伊東子爵家に入り家督を継いでいた、実兄の伊東二郎が死去したことに伴い、その養子となって家督を継ぎ、1926年に子爵を襲爵した。明大卒業後は、鉄道省に勤務した他、東京電燈で支社長などを務めた。 1953年、死去。享年54。墓所は東京都杉並区の築地本願寺和田堀廟所にある。
上原 七之助(うえはら しちのすけ、1898年(明治31年)… 上原 七之助(うえはら しちのすけ、1898年(明治31年)12月27日 - 1945年(昭和20年)2月6日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 本籍・宮崎県。陸軍将校・上原勇作の長男として生まれる。父の死去に伴い、1933年(昭和8年)家督を継承し、1934年(昭和9年)1月15日、子爵を襲爵した。 父は七之助に軍職を進めなかったことから大学へ進み、1925年(大正14年)3月、東京帝国大学経済学部を卒業。同年、東京海上火災保険に入社。その後、南満州鉄道嘱託などを務めた。 1938年(昭和13年)9月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に属して活動し、死去するまで二期在任した。
季子女王(すえこじょおう、1898年〈明治31年〉11月2日… 季子女王(すえこじょおう、1898年〈明治31年〉11月2日 - 1914年〈大正3年〉7月17日)は、日本の皇族。閑院宮載仁親王の第3女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子。身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。腎臓病によって、15歳で夭折した。
酒井 忠英(さかい ただひで、1898年(明治31年)9月2… 酒井 忠英(さかい ただひで、1898年(明治31年)9月28日 - 1942年(昭和17年)1月21日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・正夫。 子爵・酒井忠亮の二男として生まれる。 1923年(大正12年)東京商科大学を卒業。1924年(大正13年)横浜正金銀行に入行。その後、内外食品取締役、同監査役などを務めた。 父の死去に伴い、1928年(昭和3年)10月15日、子爵を襲爵した。 1940年(昭和15年)4月27日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、死去するまで1期在任した。
山階宮武彦王(やましなのみや たけひこおう、1898年〈明治… 山階宮武彦王(やましなのみや たけひこおう、1898年〈明治31年〉2月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月10日)は、日本の旧皇族。山階宮菊麿王と同妃範子(先妃)の第一王子。海軍軍人で、最終階級は海軍少佐。皇族で初めて海軍航空隊に所属し、空の宮様と呼ばれた。 実母の範子は、貞明皇后の実姉であるため、武彦王は昭和天皇といとこ同士にあたる。 1898年(明治31年)2月13日、山階宮菊麿王と同妃範子の第1男子として誕生。誕生間もなく2月17日に、祖父山階宮晃親王が薨去しており、御七夜を待たず2月16日に「武彦」と命名された。 1908年(明治41年)5月、父菊麿王の薨去を受け、葬儀では喪主を務めた。
金子 武麿(かねこ たけまろ、1897年〈明治30年〉12月… 金子 武麿(かねこ たけまろ、1897年〈明治30年〉12月22日 - 1959年〈昭和34年〉1月14日)は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院伯爵議員。位階は従四位。勲等は勲六等。 官僚・政治家、金子堅太郎の二男として生まれる。父の死去に伴い1942年(昭和17年)6月1日、伯爵を襲爵した。 1922年(大正11年)、東京帝国大学文学部を卒業。1923年(大正12年)内閣属となる。以後、加藤友三郎内閣・第2次山本内閣・清浦内閣の内閣総理大臣秘書官、田中義一内閣内閣総理大臣秘書官兼外務大臣秘書官、齋藤内閣・中島久万吉商工大臣秘書官、大礼使事務官などを歴任。 実業界では、電気化学工業取締役、台湾電化取締役、日本塗紙工業取締役、東北振興化学監査役、カーバイト共販監査役、東京都商工経済会評議員、日本硫硝酸統制社長などを務めた。
鳥居 忠博(とりい ただひろ、1897年(明治30年)11月… 鳥居 忠博(とりい ただひろ、1897年(明治30年)11月28日 - 1976年(昭和51年)3月25日)は、大正から昭和期の実業家・政治家・華族。貴族院子爵議員。 旧壬生藩主、子爵・鳥居忠文の五男として生まれ、長兄鳥居忠一が京王線に衝突した自動車事故で死去したことで、1939年(昭和14年)2月15日、子爵を襲爵した。 学習院を経て、1923年(大正12年)東京帝国大学経済学部を卒業。三井物産に入社。三洞運輸監査役などを務めた。 1946年(昭和21年)8月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に属して活動し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。
島津 季子(しまづ すえこ、1897年〈明治30年〉10月6… 島津 季子(しまづ すえこ、1897年〈明治30年〉10月6日 - 1982年〈昭和57年〉5月15日)は、日本の元華族。島津忠弘男爵夫人。宮内大臣・岩倉具定公爵令嬢。母は澤為量子爵令嬢・久子。 女子学院卒業後、島津忠義の六男・忠弘と結婚した。忠弘との間に一男二女をもうけた。長男の斉視は家を継ぎ、長女の弘子は農学者松平近義(伯爵亀井茲常の三男)の妻、次女の淑子は東宮女官長になった。 1982年5月15日没、墓所は東京都港区の瑞聖寺。
北畠 義郎(きたばたけ よしろう、1897年(明治30年)7… 北畠 義郎(きたばたけ よしろう、1897年(明治30年)7月31日 - 1961年(昭和36年)1月15日)は、明治から昭和期にかけての華族、神職。従四位、男爵。 男爵・新田忠純の長男(庶子)として生まれた。1923年明治大学法学部政治学科卒業。男爵・北畠克通の養子となり、1929年に男爵を叙爵。新田神社々司を経て、北畠親房などをまつる霊山神社の宮司に就任した。 山岳をはじめ、スポーツに親しみ、明大山岳会の結成に加わると共に、明大の後輩にあたる陸上競技選手の南昇竜らを後援した。
村田 保定(むらた やすさだ、1897年(明治30年)6月2… 村田 保定(むらた やすさだ、1897年(明治30年)6月29日 - 1976年(昭和51年)11月6日)は、大正・昭和期の弁護士・政治家・華族。貴族院男爵議員。旧姓・安場、旧名・道俊。 実業家・安場末喜の三男として生まれる。1921年(大正10年)3月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。同年、明治銀行に入行し、日本勧業銀行に転じ同青森支店主事、同本店支店課勤務を務めた。妻子を伴い、男爵・村田綱太郎(村田経芳長男)の死跡を相続し、1929年(昭和4年)4月15日、男爵を襲爵した。その後、第一弁護士会所属弁護士となった。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
藤井 兼誼(ふじい かねよし、1897年(明治30年)6月1… 藤井 兼誼(ふじい かねよし、1897年(明治30年)6月15日 - 1986年(昭和61年)10月30日)は、日本の政治家、華族。貴族院子爵議員。 京都市で子爵・藤井行徳の二男として生まれる。父の隠居に伴い、1930年(昭和5年)10月15日、子爵を襲爵した。 1926年(大正15年)京都帝国大学文学部を卒業。同年、私立京都薬学専門学校教授に就任。1937年(昭和12年)殿掌となり、大喪使祭官を務めた。 1942年(昭和17年)3月31日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
黒田 茂子(くろだ しげこ、1897年〈明治30年〉5月29… 黒田 茂子(くろだ しげこ、1897年〈明治30年〉5月29日 - 1991年〈平成3年〉6月26日)は、日本の元皇族。黒田長礼侯爵夫人。閑院宮載仁親王の第2女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子。旧名は、茂子女王(しげこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。 1897年(明治30年)5月29日、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第2女子(第3子)として誕生。1914年(大正3年)1月21日、黒田長礼(黑田長禮、黒田長成侯爵の嫡男)に降嫁した。1978年(昭和53年)4月16日に夫・長礼が没した後、茂子は「黒田家什宝は美術工芸品であっても、郷土福岡との関連において役立てるべき歴史的文化財である」ため、それらを故郷に帰すという亡夫の遺志を継ぎ、同年9月19日に国宝・漢委奴国王印をはじめ黒田家に伝来した文化財や歴史資料を『黒田資料』として一括して福岡市へ寄贈した。
西 酉乙(にし とりおと、1897年(明治30年)5月27日… 西 酉乙(にし とりおと、1897年(明治30年)5月27日 - 1989年(平成元年)10月8日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧姓・赤松。 海軍士官・赤松則良の七男として生まれ、1899年(明治32年)に海軍士官・西紳六郎の養子となる。養父の死去に伴い、1933年(昭和8年)11月15日、男爵を襲爵した。 1922年(大正11年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業。同年、第一銀行に入行し書記に就任。その後、南洋拓殖参事、南洋バルブ取締役、太洋真珠監査役、南洋水産監査役などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
諫早 不二雄(いさはや ふじお、1897年〈明治30年〉4月… 諫早 不二雄(いさはや ふじお、1897年〈明治30年〉4月4日 - 1947年〈昭和22年〉1月16日)は、日本の華族(旧佐賀藩国老、男爵)、資産家。 長崎県北高来郡諫早村(現・諫早市)出身。諫早家興の弟。諫早家崇の庶子男。 1913年、家督を相続し、襲爵仰せ付けられる。1913年12月、長崎県北高来郡立諫早実科高等女学校敷地として畑2段5畝5歩を寄付し、銀杯1箇を賜う。住所は長崎県北高来郡諫早村原口名、東京府荏原郡品川町大字南品川三ツ木鎗ケ崎(現・品川区)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
奥村 純松(おくむら すみまつ、1897年(明治30年)3月… 奥村 純松(おくむら すみまつ、1897年(明治30年)3月31日 - 1948年(昭和23年)7月23日)は、昭和期の華族(男爵)。 加賀藩重臣奥村宗家第14代当主奥村栄滋の子として生まれる。1945年7月2日、兄栄同の死去に伴い男爵を襲爵した。 慶應義塾大学部理財科を卒業し南満洲鉄道に勤務した。 永福 - 栄明 - 栄政 - 栄清 - 時成 - 有輝 - 有定 - 修古 - 栄輇 - 尚寛 - 栄実 - 栄親 - 栄通 - 栄滋 - 栄同 - 純松 - 栄純 易英 - 庸礼 - 悳輝 - 明敬 - 温良 - 保命 - 易直 - 煕殷 - 成象 - 隆振 - 質直 - 惇叙 - 直温 - 篤輝 - 則友 - 則英 - 内膳 - 弘 - 隆弘
本多 忠晃(ほんだ ただてる、1897年(明治30年)3月1… 本多 忠晃(ほんだ ただてる、1897年(明治30年)3月19日 - 1978年(昭和53年)10月5日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 元陸奥泉藩主・本多忠伸の二男として生まれる。1904年(明治37年)7月、兄・忠彦が日露戦争で戦死したため家督を継承し、同年11月12日に子爵を襲爵した。 1923年(大正12年)京都帝国大学経済学部を卒業。1925年(大正14年)東京電燈に入社し、その後、南満州鉄道嘱託などを務めた。 1939年(昭和14年)10月7日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
坊城 俊賢(ぼうじょう としよし、1897年(明治30年)2… 坊城 俊賢(ぼうじょう としよし、1897年(明治30年)2月2日 - 1984年(昭和59年)6月5日)は、大正末から昭和期の農林技師、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京府で伯爵・坊城俊章の五男として生まれ、はとこの男爵・坊城俊延の養子となる。養父の死去に伴い1910年(明治43年)6月4日、男爵を襲爵。学習院高等科を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学農学部を卒業。1924年(大正13年)以降、東京市技手、埼玉県技手、農林技手、富山県農林技師などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
德川 喜翰(とくがわ のぶもと、1897年〈明治30年〉1月… 德川 喜翰(とくがわ のぶもと、1897年〈明治30年〉1月31日 - 1938年〈昭和13年〉5月10日)は、日本の政治家・華族(男爵)。貴族院男爵議員。新字体で徳川 喜翰とも表記される。 男爵・徳川厚の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1927年(昭和2年)10月15日、男爵を襲爵した。 1922年(大正11年)京都帝国大学法学部を卒業し、さらに同大学院を修了した。1925年、宮内省図書寮嘱託となる。以後、貴族院嘱託、日本大学講師などを務めた。 1932年(昭和7年)1月22日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し死去するまで1期在任した。墓所は谷中霊園の寛永寺墓地。
北大路 信明(きたおおじ のぶあき、 1896年(明治29年… 北大路 信明(きたおおじ のぶあき、 1896年(明治29年)12月3日 - 1973年(昭和48年)3月15日)は、昭和期の政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。 男爵・北大路実信の長男として生まれる。父の死去に伴い、1935年(昭和10年)11月15日に男爵を襲爵。 旧制学習院高等科を経て、1923年(大正12年)3月に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。大日本麦酒に入社し、名古屋支店員となった。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
松平 銑之助(まつだいら せんのすけ、1896年(明治29年… 松平 銑之助(まつだいら せんのすけ、1896年(明治29年)7月9日 - 1978年(昭和53年)12月22日)は、昭和期の官吏、政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧小幡藩主家当主、子爵・松平忠恕の八男として生まれる。甥・子爵松平忠相(義兄松平忠禎長男)の死去に伴い家督を継承し、1924年(大正13年)10月15日、子爵を襲爵した。 早稲田大学文科を修了。1926年(大正15年)衆議院兼逓信属に就任。その後、衆議院理事官、昭和食糧顧問などを務めた。 1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和21年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
佐竹 義履(さたけ よしふみ、1896年(明治29年)1月2… 佐竹 義履(さたけ よしふみ、1896年(明治29年)1月25日 - 1958年(昭和33年)3月2日)は、昭和期の技官、政治家、華族。貴族院男爵議員、佐竹氏一門の佐竹西家20代当主。旧名・竹田良治。 秋田県士族・竹田富之助の二男として生まれる。佐竹西家の当主で兄・佐竹義度(富之助長男)の死跡を相続し、1914年(大正3年)4月23日、男爵を襲爵。その後、義履と改名した。 1924年(大正13年)東京農業大学大学部を卒業。1929年(昭和4年)帝室林野局技手に就任。その後、1944年(昭和19年)3月10日に同技師に就任した。 同月30日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
永井 直邦(ながい なおくに、1896年〈明治29年〉1月7… 永井 直邦(ながい なおくに、1896年〈明治29年〉1月7日 - 1950年〈昭和25年〉9月10日)は、大正・昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・戸田、旧名・邦光。位階は従三位。 子爵・戸田康泰の五男として生まれ、子爵・永井直諒の養子となる。養父の死去に伴い家督を継承して直邦と改名し、1920年(大正9年)1月6日に子爵を襲爵した。 1921年(大正10年)東京帝国大学文学部を卒業。1923年(大正12年)臨時帝室編修官補に就任。以後、文部省嘱託、東京府主事・社会教育課勤務、理研電具嘱託などを務めた。 1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和21年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
神山 嘉瑞(こうやま かずい、1895年(明治28年)11月… 神山 嘉瑞(こうやま かずい、1895年(明治28年)11月21日 - 1971年(昭和46年)4月8日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。 華族・神山郡昭の二男として生まれる。父の隠居に伴い、1932年(昭和7年)8月15日、男爵を襲爵した。 1922年(大正11年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業。同年、鉄道省に入省し鉄道局書記に就任。以後、鉄道属、鉄道局副参事、東京鉄道局千葉運輸事務所長、鉄道省輸送実費調査委員会幹事などを務めた。 1940年(昭和15年)11月27日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し、1946年(昭和21年)5月9日まで一期在任した。
伊集院 兼高(いじゅういん かねたか、1895年(明治28年… 伊集院 兼高(いじゅういん かねたか、1895年(明治28年)9月15日 - 1971年(昭和46年)7月29日)は、大正から昭和期の薬学者、政治家、華族。貴族院子爵議員。 華族・伊集院兼知の二男として生まれる。父の隠居に伴い、1939年(昭和14年)10月2日に子爵を襲爵した。 1920年(大正9年)東京帝国大学理学部植物学科を卒業。さらに、1923年(大正12年)同大学医学部薬学科を卒業した。 1923年、私立東京商工学校講師に就任。以後、日本医学専門学校教授、日本医科大学予科教授兼同大学生徒主事、日本軽合金工業監査役などを務めた。 1942年(昭和17年)6月5日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
牧野 康熙(まきの やすひろ、1895年(明治28年)9月4… 牧野 康熙(まきの やすひろ、1895年(明治28年)9月4日 - 1944年(昭和19年)11月24日)は、大正から昭和時代にかけての華族。小諸藩牧野家13代当主。子爵。従四位。 嵯峨公勝・南加の二男。初名は次郎。牧野康強の養子となり康熙と改名する。1918年(大正7年)中央大学商科を卒業し、1919年(大正8年)横浜正金銀行に勤務する。1929年(昭和4年)家督を相続する。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属し死去するまで在任した。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
浅野 長武(あさの ながたけ、1895年(明治28年)7月5… 浅野 長武(あさの ながたけ、1895年(明治28年)7月5日 - 1969年(昭和44年)1月3日)は、日本の美術史家、政治家、華族。貴族院侯爵議員、東京国立博物館長を歴任した。 東京市出身。侯爵・浅野長之の息子として生まれる。学習院高等科を経て、1920年、東京帝国大学文学部国史科を卒業し、さらに同大学大学院を修了。父・長之が1940年12月20日に隠居し家督を相続する。同月28日、侯爵を襲爵し、貴族院侯爵議員に就任する。火曜会に所属し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 1927年、学習院講師に就任する。その他、内務省嘱託、帝国学士院嘱託、東京府嘱託、文部省委員、歌御会始読師などを歴任する。
仙石 久英(せんごく ひさひで、1895年(明治28年)7月… 仙石 久英(せんごく ひさひで、1895年(明治28年)7月5日 - 1960年(昭和35年)10月13日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧出石藩主家嗣子・仙石政敬の長男として生まれる。父の死去に伴い家督を相続し、1935年(昭和10年)11月15日、子爵を襲爵した。 学習院高等科を経て、1921年(大正10年)3月、京都帝国大学法学部政治学科を卒業。1925年(大正14年)日本郵船に入社した。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。墓所は多磨霊園(12-1-5-17)。
小村 捷治(こむら しょうじ、1895年〈明治28年〉5月1… 小村 捷治(こむら しょうじ、1895年〈明治28年〉5月15日 - 1972年〈昭和47年〉2月9日)は、大正から昭和期の教育者、政治家、華族。貴族院侯爵議員。 外交官・小村壽太郎、マチ夫妻の二男として生まれる。兄小村欣一が死去して3年後の1934年(昭和9年)1月15日、侯爵を襲爵して貴族院侯爵議員に就任。火曜会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 東京帝国大学文学部を修了。財団法人国士舘講師、東京朝日新聞記者、大阪朝日新聞記者などを務めた。1938年(昭和13年)以降、司法制度調査委員会委員、内閣委員、経済関係罰則調査会委員などを歴任。 戦後は外務省研修所講師、明治大学講師を務めた。
葉室 直躬(はむろ なおみ、1895年(明治28年)4月30… 葉室 直躬(はむろ なおみ、1895年(明治28年)4月30日 - 1971年(昭和46年)12月16日)は、日本の華族、神職。正四位。伯爵。 子爵鍋島直柔(旧蓮池藩主家)の三男として生まれたが、藤原北家勧修寺流(藤原為房の次男藤原顕隆が家祖)の流れを汲む葉室家に婿養子に入り、36代目当主となる。明治大学卒業後、安田銀行勤務などを経て、賀茂御祖神社(下鴨神社)宮司となり、興亜学院理事長なども務めた。
池田 禎政(いけだ ただまさ、1895年〈明治28年〉4月2… 池田 禎政(いけだ ただまさ、1895年〈明治28年〉4月22日 - 1920年〈大正9年〉1月18日)は、日本の華族(侯爵)。旧岡山藩池田家第14代当主。 父は池田詮政。母は久邇宮朝彦親王の三女安喜子女王。26歳で早世し、未婚により子供がいなかったため、弟の政鈞(後に宣政と改名)が家督を相続した。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12… 坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12月8日 - 1964年(昭和39年)7月29日)は、大正から昭和期の造船技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・長野県。海軍士官・坂本俊篤の長男として生まれる。父の死去に伴い、1941年(昭和16年)6月2日、男爵を襲爵した。 1916年(大正5年)早稲田大学理工科を卒業した。同年、横浜船渠に入社。その後、石川島造船所に移り、工作部鍛錬工場長、鋳鍛部部長代理などを務めた。 1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
中山 輔親(なかやま すけちか、1894年〈明治27年〉11… 中山 輔親(なかやま すけちか、1894年〈明治27年〉11月13日 - 1980年〈昭和55年〉4月23日)は、日本の政治家、華族。貴族院侯爵議員。中山忠能の曾孫で、大正天皇のはとこに当たる。勲二等瑞宝章。 東京府出身。侯爵・中山孝麿の五男として生まれる。父・孝麿の死去に伴い、1919年(大正8年)12月20日、家督を相続し侯爵を襲爵。同年12月22日、貴族院侯爵議員に就任し、火曜会に属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 東京帝国大学経済学部を修了。1942年(昭和17年)以降、商工省参与、内閣委員、軍需省委員、取引所資産評価委員会委員などを務めた。 忠親 - 兼宗 - 忠定 - 基雅 - 家親 - 定宗 - 親雅 - 満親 - 定親 - 親通 - 宣親 - 康親 - 孝親 - 親綱 - 慶親 - 元親 - 英親 - 篤親 - 兼親 - 栄親 - 愛親 - 忠尹 - 忠頼 - 忠能 - 忠愛 - 孝麿 - 輔親 - 忠敬 -