桜井 正寅(さくらい まさとら、1914年12月17日 - … 桜井 正寅(さくらい まさとら、1914年12月17日 - 1969年2月28日)は、日本のドイツ文学者。東京教育大学教授。 静岡県出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部独文科卒業。東京教育大学助教授、教授。学生による筑波移転反対闘争の際、機動隊導入の日の深夜に帰宅後、心筋梗塞の発作で急死した。
職業が文学者:3,030人
桜井 正寅(さくらい まさとら、1914年12月17日 - … 桜井 正寅(さくらい まさとら、1914年12月17日 - 1969年2月28日)は、日本のドイツ文学者。東京教育大学教授。 静岡県出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部独文科卒業。東京教育大学助教授、教授。学生による筑波移転反対闘争の際、機動隊導入の日の深夜に帰宅後、心筋梗塞の発作で急死した。
安井 源治(やすい げんじ、1914年12月9日- 1998… 安井 源治(やすい げんじ、1914年12月9日- 1998年9月22日)は、フランス文学者。 京都府生まれ。1938年早稲田大学文学部卒、早大教授、85年定年退任、名誉教授。パスカルなどフランス思想が専門。
井浦 芳信(いのうら よしのぶ、1914年12月8日 - 1… 井浦 芳信(いのうら よしのぶ、1914年12月8日 - 1994年)は、日本の国文学者・演劇研究者。専門は、日本近世文学・近世演劇。中世に興った地方芸能の調査研究も行った。 福岡市地行西町(現・地行)にある浄土真宗本願寺派浄満寺の住職井浦領順の二男として生まれる。1932年福岡県中学修猷館、1935年旧制福岡高等学校文科甲類、1938年東京帝国大学文学部国文学科卒業、同大学大学院に進学し、1939年3月、同大学文学部副手となり国文学研究室に勤務する。 1945年10月旧制弘前高等学校教授となり、1950年3月同校が弘前大学となると、同大学文理学部の教授に就任。1953年8月から1959年4月まで同大学評議員も務めた。
森山 重雄(もりやま しげお、1914年12月5日 - 20… 森山 重雄(もりやま しげお、1914年12月5日 - 2000年6月5日)は、日本の国文学者。専門は日本文学。東京都立大学名誉教授。筆名は森繁男。新潟県出身。 東京大学文学部国文科卒業後、都立高校教諭を経て、東京都立大学教授となる。都立大学定年後は様々な大学の誘いを断り、三一書房を中心に年1冊程度の研究書を刊行した。上田秋成や井原西鶴、浄瑠璃などを主に研究したほか、アナーキズムやプロレタリア文学にも言及した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
加藤 衛(かとう まもる、1914年11月9日 - 1992… 加藤 衛(かとう まもる、1914年11月9日 - 1992年3月19日)は、ドイツ文学者、演劇評論家、劇作家。神奈川県立横浜第一中学校(現在の神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、1939年上智大学卒業。ドイツ文学専攻、東京水産大学助教授、横浜市立大学教授を務め、演劇評論のほか劇作・上演も行い、横浜演劇研究所所長を務めた。ほか、1948年に湘南工業短期大学の前身とされる湘南工業専門学校の教員にも就任している。 (秋 現代日本戯曲大系 第3巻 三一書房 1971)
山川 篤(やまかわ あつし、1914年(大正3年)11月3日… 山川 篤(やまかわ あつし、1914年(大正3年)11月3日 - 1997年(平成9年)5月29日)は、日本のフランス文学者。名古屋大学名誉教授。 愛知県(現:岩倉市)出身。東京で育ち、麻布中学校、旧制浦和高等学校卒、1938年東京帝国大学文学部仏文科卒。外務省嘱託として仏印に渡る。1948年第八高等学校教授、49年名古屋大学教養部助教授、56年文学部助教授、70年教授、71年「フローベール研究 作品批評史 1850~1870」で東大文学博士。78年名大定年退官、名誉教授。南山大学教授、83年退職。
永井 義憲(ながい よしのり、1914年(大正3年)10月2… 永井 義憲(ながい よしのり、1914年(大正3年)10月23日 - 2001年(平成19年)8月5日)は、国文学者、大妻女子大学名誉教授。真言宗豊山派日輪寺住職。 千葉県生まれ。父は千葉義胤、母は永井とら。1937年大正大学文学部国文学科卒。1945年10月大正大学講師、1950年助教授、55年教授。1962年「日本仏教文学研究」により大正大学文学博士。1967年大妻女子大学教授。87年退任、名誉教授。同年勲三等瑞宝章受勲。 1979年、早稲田大学の講義における「私の村の隣には『きちがい部落』があるが、こうした部落では近親結婚が多く、だいたい一割の割合できちがいが出ている。私は結婚相談をされた時には『きちがい部落』の出身者が相手なら注意することにしている」との発言が部落解放同盟に問題視され、騒動に発展した。
城野 節子(じょうの せつこ、1914年10月21日 - 2… 城野 節子(じょうの せつこ、1914年10月21日 - 2002年1月22日)は、日本のフランス文学者。 中国・瀋陽市生まれ。九州帝国大学法文学部仏文科卒。九州大学教養部助教授、教授を務め、1978年定年退官、名誉教授。スタール夫人を専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。 項目が小説家・作家の場合には {{Writer-stub}} を、文学作品以外の本・雑誌の場合には {{Book-stub}} を貼り付けてください。
高野 フミ(たかの フミ、女性、1914年10月8日 - 2… 高野 フミ(たかの フミ、女性、1914年10月8日 - 2013年12月7日)は、日本の英文学者。 兵庫県生まれ。旧姓・河瀬。1936年津田英学塾卒業。37年同校教諭、47年津田塾大学助教授、1954年ラドクリフ大学大学院修士課程修了。56年津田塾大教授、83年定年退任、名誉教授、津田塾会理事長。1980 - 83年国際大学婦人連盟(IFUW)会長。1985年勲三等瑞宝章受勲。専門はアメリカ文学だが、女性解放、女子教育などに関心が深かった。
兼清 正徳(かねきよ まさのり、1914年10月3日 - 2… 兼清 正徳(かねきよ まさのり、1914年10月3日 - 2018年4月22日)は、日本の国文学者。 山口県生まれ。1939年九州帝国大学法文学部国史学科卒。山口県立岩国高等学校教諭などののち、1966年山口県立文書館長、1983年徳島文理大学教授を務め、1990年退任。桂園派の歌人を研究した。
高木 博(たかぎ ひろし、1914年(大正3年)10月 - … 高木 博(たかぎ ひろし、1914年(大正3年)10月 - 没年不明)は、日本の国文学者、神奈川県立外語短期大学名誉教授。 1940年東京帝国大学文学部国文科卒、文部事務官、明治大学講師、相模女子大学教授、神奈川県立衛生短期大学教授、神奈川県立外語短期大学教授、学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小松 伸六(こまつ しんろく、1914年9月28日 - 20… 小松 伸六(こまつ しんろく、1914年9月28日 - 2006年4月20日)は、日本のドイツ文学者、文芸評論家。筆名・内海伸平。 北海道釧路生まれ。東京帝国大学卒。第四高等学校(金沢)教授を務めた。ゲーテ論、トーマス・マンの翻訳などを行うかたわら、1941年、第五次『赤門文学』を主宰。戦後は立教大学教授。久保田正文、林富士馬、駒田信二らと『文學界』の同人雑誌評を担当、原田康子らを発掘した功績で1979年、菊池寛賞受賞、81年、『美を見し人は』で芸術選奨文部大臣賞受賞。 岐阜県海津市の海津市海津図書館の文学同人誌を収集する施設「日本現代紙碑文学館」は、小松伸六の1万5千冊の寄贈が基礎となり、1976年(昭和51年)4月に設立されている。
花房 英樹(はなふさ えいじゅ/ひでき、1914年8月14日… 花房 英樹(はなふさ えいじゅ/ひでき、1914年8月14日 - 1998年1月9日)は、日本の漢文学者。京都府立大学名誉教授。 1914年、鳥取県鳥取市で生まれた。広島文理科大学大学院を修了。 1949年、西京大学助教授に就いた。後に教授昇格。1959年に校名変更となり、以降京都府立大学教授。1961年、学位論文『白氏文集の批判的研究』を広島大学に提出して文学博士号を取得。在職中は学部長も務めた。停年を迎え、名誉教授となった。その後は京都産業大学教授として教鞭をとり、図書館長も務めた。1985年に京都産業大学を退職。 1998年、肺炎のため死去。
滝崎 安之助(たきざき やすのすけ、1914年7月20日 -… 滝崎 安之助(たきざき やすのすけ、1914年7月20日 - 1980年9月5日)は、日本のドイツ文学者。東京大学名誉教授。 愛知県出身。1939年東京帝国大学独文科卒業。左翼文学運動に加わる。 戦後は新日本文学会に入りその後『人民文学』にも参加。 学習院大学助教授、東京大学教養学部助教授、1965年教授(ドイツ語)、1975年定年退官、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
北川 悌二(きたがわ ていじ、1914年7月2日- 1984… 北川 悌二(きたがわ ていじ、1914年7月2日- 1984年12月16日)は、日本の英文学者。 東京生まれ。1938年東京帝国大学文学部英文科卒。旧制松本高等学校教授、旧・東京都立大学助教授を経て、東京大学教養学部教授、1975年定年、立正大学教授、獨協大学教授。 エリザベス朝演劇からサマセット・モーム、チャールズ・ディケンズ、ハーマン・メルヴィルなど幅広く翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
谷口 陸男(たにぐち りくお、1914年6月20日 - 19… 谷口 陸男(たにぐち りくお、1914年6月20日 - 1988年10月21日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 1914年、三重県生まれ。東京帝国大学文学部英文科を卒業。 神戸大学助教授ののち、東京大学教養学部教授を務めた。1975年に東京大学を定年退官し、その後は大谷女子大学、中京大学教授として教鞭をとった。1987年、東京大学名誉教授となった。 英米文学のうち、ロスト・ジェネレーションの米国作家たちを主な研究対象とした。ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーなどの翻訳を手掛けた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
渡辺 綱也(わたなべ つなや、1914年〈大正3年〉6月9日… 渡辺 綱也(わたなべ つなや、1914年〈大正3年〉6月9日 - 1979年〈昭和54年〉8月24日)は、日本の国文学者、国語学者。新潟大学名誉教授。 新潟県東蒲原郡津川町大字津川(現 阿賀町津川)出身。 1933年(昭和8年)3月に新潟中学校を卒業、1936年(昭和11年)3月に新潟高等学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業、東京帝国大学文学部大学院に入学、1942年(昭和17年)3月に退学。 1942年(昭和17年)4月に東京帝国大学文学部助手に就任、1943年(昭和18年)9月に陸軍予科士官学校教授に就任、東京帝国大学文学部助手を兼任、1944年(昭和19年)5月に東京帝国大学を退職、1945年(昭和20年)8月に陸軍を退官。
竹村 猛(たけむら たけし、1914年5月22日- 1987… 竹村 猛(たけむら たけし、1914年5月22日- 1987年6月24日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 長野県長野市出身。1943年東京帝国大学文学部仏文科卒。東北大学助教授、中央大学教授、1985年定年退任、名誉教授。19世紀フランス文学を専攻、多くの作品を翻訳した。 妻は杉田久女の次女・光子で(1941年結婚)、石一郎は義兄に当たる。
桝井 迪夫(ますい みちお、1914年(大正3年)5月4日 … 桝井 迪夫(ますい みちお、1914年(大正3年)5月4日 - 1992年(平成4年)6月11日)は、日本の英語学者・英文学者。 1914年、鳥取県生まれ。広島文理科大学で学び、1938年に卒業。卒業後は、広島高等師範学校教授に就いた。1945年被爆。 学制改革に伴い広島高等師範学校が1947年より広島文理科大学となると同大学助教授。1949年に広島文理科大学が広島大学に包摂されて以降は、同大学文学部教授。文学部長も務めた。1961年、学位論文『チョーサーの脚韻語の構造研究』を東京大学に提出して文学博士を取得。1978年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。 学界では、日本英文学会の評議員、理事を務めた。
安田 保雄(やすだ やすお、1914年3月31日 - 199… 安田 保雄(やすだ やすお、1914年3月31日 - 1998年6月)は、国文学者。立教大学講師、鶴見女子大学教授、成蹊大学教授等を歴任。 近代文学、比較文学、上田敏が専門。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吾郷 寅之進(あごう とらのしん、1914年3月12日 - … 吾郷 寅之進(あごう とらのしん、1914年3月12日 - 1983年6月28日)は、日本の国文学者。文学博士(東北大学・1976年)(学位論文「中世小歌と小歌集の成立に関する研究」)。奈良教育大学名誉教授。 島根県大田市生まれ。旧制福岡県立嘉穂中学校、旧制第五高等学校を経て、1938年に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1950年奈良学芸大学助教授、1959年教授、1966年校名変更で奈良教育大学教授、1976年「中世小歌と小歌集の成立に関する研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。1979年奈良教育大学を定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。同志社大学学長で国文学者の植木朝子は孫。
佐藤 晃一(さとう こういち、1914年3月4日 - 196… 佐藤 晃一(さとう こういち、1914年3月4日 - 1967年7月7日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。元東京大学文学部教授。主としてトーマス・マンを研究した。 秋田県出身。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、福岡高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学独文科卒。その後、兵役に就き、第一高等学校教授、東京大学教養学部助教授から、1948年同大学文学部助教授、1961年教授、1967年主任教授となり日本独文学会理事長となるが、7月7日急逝した。 1942年アドルフ・ヒトラーの『吾が闘争』の翻訳が刊行された際には、木村謹治、相良守峯らとともにこれを絶賛し、戦後口を拭ってマンのナチスへの抵抗を礼賛した(池田浩士『ファシズムと文学』)。
高田 久寿(たかだ ひさとし、1914年(大正3年)3月 -… 高田 久寿(たかだ ひさとし、1914年(大正3年)3月 - 1984年(昭和59年)5月20日)は、日本の英文学者、イギリス文学者。大正大学名誉教授。 長野県生まれ。1931年(昭和6年)、旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1937年(昭和12年)、大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)卒業。東京都立高校教諭を経て、大正大学名誉教授。 終戦直後の「上海残留日僑子弟補習室」で英語教師などを務めたほか、東京都立石神井高等学校校歌の作詞を行っている。 平和祈念展示資料館には先の大戦で経験された方の「苦労体験手記」が収められている。その中に中国での体験手記として、景山澈氏の『上海日僑中学生の終戦日記』がある。
大山 敏子(おおやま としこ、1914年2月28日 - 19… 大山 敏子(おおやま としこ、1914年2月28日 - 1978年4月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門はシェイクスピア作品の研究。旧姓は吉成(よしなり)。 徳島県徳島市生まれで、1935年3月に津田塾専門学校本科を卒業した後、1942年9月に東京文理科大学(英語英文学専攻)を卒業し、同年10月に同大学院文学研究科に入学、1944年9月に同大学院を退学した後、同年10月に同大学副手となり、戦後は1946年4月から翌年3月まで津田塾専門学校教授を務め、1947年4月に東京第一師範学校に就職、文部教官となり世田谷分校で勤務し、1949年4月に東京学芸大学助教授となり、1962年3月に退職。この間、1950年10月に米国オハイオ州立大学大学院に留学、翌年に卒業しマスター・オブ・アーツ(英語版)の学位を取得した。
近藤 春雄(こんどう はるお、1914年2月20日 - 20… 近藤 春雄(こんどう はるお、1914年2月20日 - 2014年1月21日)は、日本の中国文学者、愛知県立大学名誉教授。 三重県生まれ。父は漢学者・近藤杢。九州帝国大学法文学部支那文学科卒。福岡県中学修猷館教諭、愛知県立女子専門学校教授、愛知県立女子短期大学助教授、愛知県立大学教授、79年定年退官、名誉教授。79年「唐代小説の研究」で九州大学文学博士。古代から現代まで中国文学を幅広く研究した。87年勲三等旭日中綬章受章。2014年1月24日逝去。享年99。
朝吹 三吉(あさぶき さんきち、1914年2月7日 - 20… 朝吹 三吉(あさぶき さんきち、1914年2月7日 - 2001年2月3日)は、日本のフランス文学者。
安田 章一郎(やすだ しょういちろう、1914年2月6日 -… 安田 章一郎(やすだ しょういちろう、1914年2月6日 - 2019年11月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。名古屋大学名誉教授。 島根県生まれ。1937年京都帝国大学文学部英文科卒、浪速大学、奈良女子大学教授、1971年名古屋大学教授、1977年定年退官、甲南女子大学教授を務めた。 T・S・エリオット、W・H・オーデン、ジェラード・マンリ・ホプキンスなど英国モダニズム詩人を研究、翻訳した。深瀬基寛の一番弟子。 2019年11月13日、呼吸不全のため死去。105歳没。死没日をもって従四位に叙される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
竹田 淳照(たけだ じゅんしょう、1914年1月24日 - … 竹田 淳照(たけだ じゅんしょう、1914年1月24日 - 1998年4月20日)は、日本の中国文学者・教育者・学校経営者。専門は中国文学。北海道夕張市出身。 1939年大谷大学文学部専門部卒業。1944年北京大学研究院修了。北京大学研究員。1945年日本に引揚げ。 大阪商科大学高等商業部教諭。1951年大阪市立大学法文学部専任講師。1960年大谷大学文学部専任講師。1962年大谷大学学監・学校法人真宗大谷学園事務局長。1965年京都産業大学学監・学校法人京都産業大学事務局長。1968年京都産業大学常務理事・同副学長・同外国語学部教授。1973年学校法人札幌大谷学園理事長。1974年札幌大谷短期大学学長。
駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 199… 駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 1994年12月27日)は、日本の作家、文芸評論家、中国文学者。島根大学教授、桜美林大学教授、早稲田大学客員教授などを歴任した。 1914年1月14日、父の勤務地の大阪府大阪市に生まれる。本籍は三重県安濃郡多門村(現在は津市)で、家は明治23年(1890年)の名簿によると地価総額3036円余りの素封家だった。兄は父の姉の家を継いだ美術史家の谷信一。父の転勤で広島、金沢、東京と移動したのち、津で祖父母に育てられ、津中学校卒業、旧制山形高校を経て1940年東京帝国大学文学部支那文学科卒業。 1941年旧制松江高校教授となるが、1942年召集されて支那に出征、捕虜となり共産党の工作員と誤認されて死刑宣告を受けるが日本人と分かり釈放。
村崎 凡人(むらさき ただひと、1914年(大正3年)1月1… 村崎 凡人(むらさき ただひと、1914年(大正3年)1月12日 - 1989年(平成1年)5月10日)は、日本の国文学者・歌人・教育者。徳島文理大学等を経営する村崎学園の理事長。徳島県徳島市出身。息子は村崎学園理事長村崎正人、孫は村崎文彦。 徳島県徳島市出身。旧制徳島中学校、早稲田大学文学部卒業。窪田空穂に師事し、歌誌「槻の木」同人となる。大学卒業後は早稲田図書出版社で勤めた。 村崎学園の創業者であり祖母である村崎サイの「自立協同」の遺志を継ぎ、1949年に同学園の理事長に就任する。1961年に徳島女子短期大学(現・徳島文理大学短期大学部)、1966年に徳島女子大学(現・徳島文理大学)を創設するなど、村崎学園を幼稚園から大学院までを一貫する総合学園に成長させるなどの実績をあげた。
畑中 武夫(はたなか たけお、1914年(大正3年)1月1日… 畑中 武夫(はたなか たけお、1914年(大正3年)1月1日 - 1963年(昭和38年)11月10日)は、日本の天文学者。日本の電波天文学の開拓者として知られている。 和歌山県田辺市に生まれたが、少年時代に新宮市に引っ越したので、同市を出身地とした。旧制新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)時代から科学雑誌を読み、天文学を志す。旧制第一高等学校を経て、1937年東京帝国大学理学部天文学科卒業。はじめは理論天体物理学を専攻し、東京大学助手を経て、1945年講師となる。萩原雄祐の下で惑星状星雲の放射機構を研究し、同年9月、学位論文「惑星状星雲に於ける電離ヘリウム、二重電離酸素及び二重電離窒素原子間の光学的交互作用理論(英文)」により、理学博士の学位を取得。
内野 吾郎(うちの ごろう、1914年1月1日 - 1985… 内野 吾郎(うちの ごろう、1914年1月1日 - 1985年12月15日)は、日本の国文学者、國學院大學名誉教授。 神奈川県高座郡御所見村(現・藤沢市)に生まれる。 昭和7年(1932年)に芝中学校を卒業、昭和12年(1937年)に國學院大學国文学科を卒業。 昭和22年(1947年)に北海道第二師範学校教授、昭和25年(1950年)に北海道学芸大学(現・北海道教育大学)教授。昭和36年(1961年)に「日本文芸史の方法序説:その学史的展望と諸学派の批判」で國學院大學より文学博士の学位を取得。昭和38年(1963年)に國學院大學教授。 昭和43年(1968年)に西ドイツのボン大学客員教授として招聘される。
高村 新一(たかむら しんいち、1914年 - 2002年3… 高村 新一(たかむら しんいち、1914年 - 2002年3月25日)は、英文学者、東京大学名誉教授。東京帝国大学英文科卒。静岡大学助教授、東大教養学部教授、1974年定年退官、東京女子大学教授、1984年明星大学教授、87年東大名誉教授。1989年11月勲三等旭日中綬章受章。ジョン・バニヤンの全五巻の著作集を個人全訳した。
神田 秀夫(かんだ ひでお、1913年12月20日 - 19… 神田 秀夫(かんだ ひでお、1913年12月20日 - 1993年9月18日)は、日本の国文学者、俳句評論家。古代から近世の国文学を研究領域とした。戦後、国会図書館司書、共立女子大学教授、成蹊大学教授、武蔵大学教授をつとめた。 1913年、東京府荏原郡入新井村山王(現・東京都大田区山王)生まれ。1936年、東京帝国大学文学部国文科を卒業。同大学院に進むも、応召により1937年に大学院を中退。 復員後は目黒書店に入社し、総合誌『俳句研究』の編集に携わりながら俳句評論を執筆。昭和22年から昭和30年前半にかけて評論を執筆しており、その際に「中世と俳句」から「イロニイ叙説」にいたるまでの一連の俳句イロニー説を出している。
土居 寛之(どい ひろゆき、1913年12月17日 - 19… 土居 寛之(どい ひろゆき、1913年12月17日 - 1990年8月6日)は、日本のフランス文学者。 大分県杵築出身、東京生まれ。1939年東京帝国大学仏文科卒。1944年外務省嘱託、1950年埼玉大学助教授、1963年東京大学教養学部教授、1967年東洋大学教授、1970年福岡大学教授、1985年退任。 サント=ブーヴ、アミエルなどを研究し、東大仏文科で立花隆にアミエルを教え、立花が「四十近くまで童貞なんてことがあるもんでしょうか」と問うと、「そりゃ、ありますよ」と答えたという。 父は杵築町長を務めた土居寛申(どい ひろみ、1882 - 1965)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
加藤 守雄(かとう もりお、1913年11月2日 - 198… 加藤 守雄(かとう もりお、1913年11月2日 - 1989年12月26日)は、日本の国文学者。旧姓は土井(どい)。号は杜壮。通称「馬さん」「もり」。 同性愛者である折口から「森蘭丸は織田信長に愛されたということで、歴史に名が残った。君だって、折口信夫に愛された男として、名前が残ればいいではないか」と迫られ、同衾を要求されたため名古屋の実家に帰郷。
楊 明文(ヤン・ミョンムン、朝鮮語: 양명문、1913年11… 楊 明文(ヤン・ミョンムン、朝鮮語: 양명문、1913年11月1日 - 1985年11月21日)は、大韓民国の詩人、文学者、教授。号は紫門(チャムン、자문)。 日本統治時代の平安南道平壌生まれ。1939年に詩集『華愁園』を発表した。1942年に専修大学法学部を卒業し、1944年までに東京で文学創作をした。 光復後は北朝鮮地域に行ったが、朝鮮戦争の第3次ソウルの戦いの時に越南した。その後は全国文化団体総連合会救国隊員、従軍作家団員として韓国陸軍に従軍した。終戦後はソウル大学校文理科大学・師範大学、国防部戦時連合大学、首都医科大学(現在のソウル友石大学校)、清州大学で詩論と文芸思潮の講義をし、1960年に梨花女子大学校副教授を務め、1966年以降は国際大学(現在の西京大学校)の国語国文学科教授を務めた。
野口 啓祐(のぐち けいすけ、1913年10月30日 - 1… 野口 啓祐(のぐち けいすけ、1913年10月30日 - 1975年4月27日)は、日本の英文学者。 早稲田大学英文専攻卒業、上智大学外国語学部英語学科教授を務めた。 カトリック作家のグレアム・グリーン、またマルティン・ブーバーなどユダヤ系の思想家を研究、翻訳した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
堀部 正二(ほりべ しょうじ、1913年10月29日 - 1… 堀部 正二(ほりべ しょうじ、1913年10月29日 - 1944年9月7日)は、日本の国文学者、文献学者。中古文学専攻。旧姓・鹿嶋。 大阪府出身。京都帝国大学文学部卒業。大学院生時代、京都帝国大学図書館に寄託されていた近衛家文書の古筆証本「二十巻本類聚歌合」を調査研究。その後、設立された陽明文庫嘱託となる。 1944年(昭和19年)応召、同年9月7日、中国で戦病死。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鴻巣 隼雄(こうのす はやお、1913年(大正2年)10月2… 鴻巣 隼雄(こうのす はやお、1913年(大正2年)10月27日 - 1985年(昭和60年)4月27日)は、日本文学者。聖心女子大学・立正大学名誉教授。文学博士(東京大学・1962年)。 鹿児島県生まれ。父は日本文学者で第四高等学校教授の鴻巣盛広である。隼雄が生まれた時は、第七高等学校造士館教授であった。東京帝国大学を卒業。山口大学、二松學舍大学、聖心女子大学教授を歴任。1972年(昭和47年)立正大学教授に就任した。1984年(昭和59年)、定年退官。 近代文学から始めて古代文学を研究した。1962年、東京大学に於いて「鹿持雅澄と萬葉学」で文学博士となる。
次田 香澄(男性、つぎた かすみ、1913年〈大正2年〉10… 次田 香澄(男性、つぎた かすみ、1913年〈大正2年〉10月26日 - 1997年〈平成9年〉12月12日)は、日本の日本文学者。専門は中世文学。 旧制静岡高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1961年(昭和36年)「玉葉和歌集・風雅和歌集の研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。二松學舍大学教授を経て、大東文化大学教授。中世和歌・女流日記などを研究した。
飯島 淳秀(いいじま よしひで、1913年9月30日 - 1… 飯島 淳秀(いいじま よしひで、1913年9月30日 - 1996年)は、日本の英文学者、翻訳家。駒澤大学名誉教授。 京城生まれ。福岡、大阪、朝鮮と転々とし、11歳で関節炎のため左脚を切断、義足となる。 1937年立教大学英文学科卒。立教中学校教員、1946年立教大学予科講師、1947年予科教授、1949年立教大学助教授、1955年教授、1970年定年、駒澤大学教授。 英米文学の翻訳のほか、児童文学も多数翻訳する。1961年、飯島が共訳した『アラビアン・ナイト』が含まれる講談社『世界童話文学全集』が産経児童出版文化賞を受賞。(飯島淳秀先生略年表『英米文学』90年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
細野 哲雄(ほその てつお、1913年〈大正2年〉9月18日… 細野 哲雄(ほその てつお、1913年〈大正2年〉9月18日 - 1995年〈平成7年〉5月6日)は、日本の国文学者。信州大学名誉教授。 新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜(現 胎内市荒井浜)出身。 1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に山形高等学校を卒業、4月に東京帝国大学文学部国史学科に入学、1938年(昭和13年)4月に東京帝国大学文学部国文学科に入学、1941年(昭和16年)3月に卒業。 1942年(昭和17年)1月に長野県師範学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に長野師範学校助教授に就任、1950年(昭和25年)4月に信州大学助教授に就任、1967年(昭和42年)8月に信州大学教育学部教授に就任。
峯村 文人(みねむら ふみと、1913年〈大正2年〉9月14… 峯村 文人(みねむら ふみと、1913年〈大正2年〉9月14日 - 2004年〈平成16年〉3月6日)は、日本の国文学者。 長野県小県郡富士山村(現上田市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1935年東京高等師範学校卒業、1935年から旧制新潟県立六日町中学教諭を務めた後、1940年東京文理科大学国文科卒業。東京府立第八高等女学校教諭から1942年小樽経済専門学校(学制改革により小樽商科大学)教授、1954年東京教育大学教授、1962年「新古今時代の研究」で東京教育大学文学博士。1977年定年退官、名誉教授、国際基督教大学教授。1984年同客員教授。1986年秋、勲三等旭日中綬章受勲。
森川 晃卿(もりかわ こうきょう、1913年 <大正2年> … 森川 晃卿(もりかわ こうきょう、1913年 <大正2年> 9月2日 - 1989年 <平成元年> 11月23日)は、ドイツ文学者。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 兵庫県生まれ。旧制姫路中学、旧制姫路高等学校を経て1936年東京帝国大学文学部独文科卒。1939年宇部工業専門学校教授、1946年姫路高等学校教授、1949年京都大学教養部助教授、1954年大阪市立大学教授、67年文学部長、71年学長、80年定年退官、名誉教授、相愛女子大学学長、相愛大学学長。1985年秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章。1988年流通科学大学学長。1984年大阪市民特別功労賞受賞。1989年死去。死没日付をもって従六位から従三位に進階した。
大野 茂男(おおの しげお、1913年8月30日 ‐ 200… 大野 茂男(おおの しげお、1913年8月30日 ‐ 2004年1月6日)は、日本の国文学者。江戸文学から明治大正期の文学まで、幅広く研究した。 千葉県千葉市生まれ。旧制千葉県立千葉中学校(現県立千葉高校)、静岡高等学校を経て、1938年、東京帝国大学文学部国文科卒業。県立千葉高等女学校教諭、文部省内日本語教育振興会研究員を経て、1943年、清水高等商船学校教授。同校在籍のまま、歩兵第二補充隊に応召され、後に第三十一飛行場中隊に転属。1946年復員。1947年千葉師範学校教授、1950年千葉大学文理学部助教授、1966年同教授、1968年千葉大学教養部教授(人文学部兼担)。1979年、停年退職して名誉教授、東洋大学文学部教授。
黒岩 一郎(くろいわ いちろう、1913年8月14日 - 1… 黒岩 一郎(くろいわ いちろう、1913年8月14日 - 1995年6月7日)は、日本の国文学者、保守思想家。 兵庫県姫路市生まれ。東京帝国大学国文科卒。修齊女学院講師。大陸に出征。帰国後姫路高等学校(旧制)教授、戦後合併により神戸大学助教授、教授。1962年、「香川景樹の研究」で東大文学博士。1977年、定年退官。棠舟の号をもつ、反共思想家。1995年6月7日、肺癌のため死去。
高安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 -… 高安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 - 1984年7月30日)は、日本の歌人、ドイツ文学者、翻訳家。専門はリルケで、多くの作品を翻訳している。短歌結社「塔」の創設者。 父高安道成は医師、母やす子はアララギの歌人。三男高安醇は画家。伯父に高安月郊。作曲家・弘田龍太郎はいとこの夫。 大阪府大阪市道修町出身。 母の影響を受けて短歌を志し、アララギに入会、土屋文明に師事。1954年に『塔』を創刊する。 リアリズムに基礎を置きながらも、現実には存在しないものを表現の対象に求めるなど、常に新しい表現を求め続けた。 京都大学短歌会の顧問もつとめ、永田和宏や栗木京子を育てた。
齋藤 美洲(さいとう びしゅう、1913年8月10日 - 1… 齋藤 美洲(さいとう びしゅう、1913年8月10日 - 1997年8月26日)は、英文学者、東京教育大学名誉教授。 東京文理科大学卒。東京教育大学助教授、教授、1977年定年退官、名誉教授。大妻女子大学教授も務めた。 1997年8月26日、肺炎のため死去。
常木 実(つねき みのる、1913年7月31日 - 2005… 常木 実(つねき みのる、1913年7月31日 - 2005年1月31日)は、日本のドイツ文学者。 千葉県生まれ。1938年東京帝国大学文学部独文科卒。外務省嘱託、旧制山形高等学校教授、旧制浦和高等学校教授。戦後東京大学教養学部助教授、教授、74年定年退官、名誉教授、帝京大学医学部教授、94年退職。