大村 次郷(おおむら つぐさと、1941年 - )は、日本の… 大村 次郷(おおむら つぐさと、1941年 - )は、日本の写真家、文筆家。 満洲生まれ。岩手県出身。エトロフ事件で捕虜となった大村治五平の子孫で、弟は考古学者の大村幸弘。作家の森荘已池は伯父(母親の兄)。 多摩芸術学園写真科・青山学院大学卒業。濱谷浩に師事。オリエント、インド、中国を中心にルポルタージュを手がける。『シルクロード』『文明の道』などのNHK特集(スペシャル)に参加。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
川村 二郎(かわむら じろう、1941年 - )は、元朝日新… 川村 二郎(かわむら じろう、1941年 - )は、元朝日新聞記者の文筆家。
今野 浩(こんの ひろし、1940年(昭和15年) 8月11… 今野 浩(こんの ひろし、1940年(昭和15年) 8月11日 - )は、日本の数理計画法、金融工学の研究者、著述家。Ph.D.(スタンフォード大学、1971年)[15]、工学博士(東京大学、1977年、論文博士)[16]。東京工業大学名誉教授[7]。資産運用の最適化では平均・絶対偏差モデル(MADモデル)を提唱し[17][注釈 1]、線形計画法のアルゴリズムを特許化した通称カーマーカー特許には訴訟で抵抗した[18][19]。週刊誌連載「大学教授の株ゲーム」の共著者であり[9][20]、「工学部の語り部」として[7][21]「工学部ヒラノ教授」シリーズ[22][23][注釈 2] など多くの著書を執筆した。
丹野 顕(たんの あきら、1940年7月20日- )は、時代… 丹野 顕(たんの あきら、1940年7月20日- )は、時代考証家、文筆家。 東京都出身。東京教育大学文学部卒業。月刊雑誌・百科事典の編集者を経て文筆活動に入る。江戸時代の庶民の生活史・精神史、また言葉などについて執筆。筆名・淡野史良(たんのしろう)。
湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、… 湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、日本の植物学者、文筆家。前東京農業大学教授。 神戸市生まれ。1963年、兵庫農科大学(現・神戸大学)農学部農林生物学科卒業。1968年、東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。1968年、同大学育種学研究所所員、1975年、進化生物学研究所研究員、2000年、東京農業大学短期大学部教授、2005年、東京農業大学農学部バイオセラピー学科教授、2011年、退任。一般財団法人進化生物学研究所理事長・所長、生き物文化誌学会会長。1994年松下幸之助花の万博記念奨励賞受賞。村田源とともにベンケイソウ科のセトウチマンネングサをツシママンネングサの新変種 Sedum yabeanum var. setouchiense として記載した(後に大場秀章によるツシママンネングサに対応する学名の変更に伴い Sedum polytrichoides var. setouchiense と改められた)。
斉藤 英治(さいとう えいじ、1940年1月22日 - )は… 斉藤 英治(さいとう えいじ、1940年1月22日 - )は、日本の文筆家。 山形市生まれ。東北大学卒業後、武田薬品工業にてビタミンと脳科学の研究に従事する。ピップフジモト研究部部長、健康英知研究所所長。日本綜合医学会常任理事、日本健康科学学会理事を20年務める。 1989年、日本大学医学博士。学校法人エール学園IMGS大学院大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日… 吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日本の映画評論家、著述家。 1940年三重県津市に生まれる。久居中学校、三重県立津高等学校、早稲田大学教育学部国語国文科卒業。1962年4月、三重県立高等学校(国語科)教諭となる。1996年3月、津東高等学校退職。1997年4月~2006年3月三重大学(共通教育機構)非常勤講師。2001年4月、愛知淑徳大学非常勤講師。2007年4月愛知淑徳大学教授。2010年4月愛知淑徳大学非常勤講師、2015年3月退職。 1979年、キネマ旬報創刊60周年記念論文「『祇園の姉妹』と溝口健二の先駆性」で佳作入選。1982年、『男はつらいよの世界』刊行などによって三重県文化奨励賞(文学部門)受賞。
木村 榮(木村 栄、きむら さかえ、女性、1940年 - )… 木村 榮(木村 栄、きむら さかえ、女性、1940年 - )は、文筆家。 東京生まれ。1962年お茶の水女子大学文教育学部国文科卒、日本テレビに入社、72年退職しフリーとなる。
狩野 紀昭 (かのう のりあき、1940年 - )は、日本の… 狩野 紀昭 (かのう のりあき、1940年 - )は、日本の教育者、著述家、コンサルタント(品質管理分野)である。東京理科大学名誉教授。 顧客にとっての品質を左右する、製品に「不可欠な」(当たり前)要素と「他の製品と差別化する」(魅力的)要素とを峻別したシンプルなランキングによる顧客満足モデル(「狩野モデル」として知られる)を開発した。 2010年度にはローマ大学の客員教授を務めた。 1970年代後半から1980年代前半に、狩野とその門下生は、顧客満足モデルについての新たなアプローチの基礎を築いた。狩野は、企業の製品やサービスのあらゆる要素を改善することが顧客満足度の向上につながるという従来の通説に異を唱えた。
白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年1… 白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年10月4日)は、日本の民俗学者、浮世絵研究家、文筆家。とくに春画の発掘と研究で知られる。 北海道空知郡北村(現・岩見沢市)に生まれる。早稲田大学文学部を中退した。現代美術のプロデュースを始め、広く美術の企画・編集に従事する。国際浮世絵学会常任理事。2000年の『浮世絵春画を読む』以来、田中優子との協同作業で春画や近世遊里に関する著作が多い。田中の『芸者と遊び』は田中著となっているが、中に、半分は白倉が書いた、とある。1999年の田中の著書『張形 江戸をんなの性』でも資料蒐集など協力し、田中が共著を申し出たが固辞されたという。 『浮世絵春画を読む』で、タイモン・スクリーチの説に反論し「春画はポルノグラフィーではなく、純粋な芸術として評価すべき」と主張したが、ポルノグラフィーの定義が曖昧だと批判を受け、次の『江戸の春画』では、ポルノグラフィーかどうかには興味がない、と書いた。
東條 由布子(とうじょう ゆうこ、1939年5月20日 - … 東條 由布子(とうじょう ゆうこ、1939年5月20日 - 2013年2月13日)は、日本の著述家。NPO法人環境保全機構理事長(本人の個人的な組織であり、環境保全再生機構とは無関係。2016年5月23日清算結了)。 東條英機の長男・英隆(鴨緑江発電職員)の長女。英機の孫に当たる。本名は岩浪淑枝(旧姓:東條)。 朝鮮京畿道京城府(現大韓民国ソウル特別市)生まれ。 第一生命保険勤務を経て、明治学院大学に進むが結婚のため中退。4児の母となった後、国士舘大学文学部教育学科2年に編入学し、卒業。 保守論客の一人として知られ、祖父・英機を遺族の立場から評価し、他の「A級戦犯」も含めて極東国際軍事裁判「判決」・靖国神社からの分祀、慰安婦の強制連行、南京事件などに否定的な立場を取った。
渡辺 隆次(わたなべ りゅうじ、1939年(昭和14年) -… 渡辺 隆次(わたなべ りゅうじ、1939年(昭和14年) - )は、日本の画家、著述家。きのこの胞子を使った胞子紋画をメインに創作活動を行っている。 1939年、東京都八王子に生まれる。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)本科・西洋画卒業。東京学芸大学養護科修了。 1977年から八ヶ岳山麓長坂町にアトリエを構え、無所属として創作活動を行う。1992年から1999年まで、武蔵野美術大学で特別講師を務める。2000年には山梨県甲府市の武田神社菱和殿に、山梨の草木鳥獣などを描いた120枚の天井画を奉納。2006年には同じく武田神社の能楽殿甲陽武能殿の鏡板を手掛ける。個展を中心に作品を発表するほか、エッセイストとしても著述活動を行っている。
益子 政史(ますこ まさし、1939年 - )は、日本のジャ… 益子 政史(ますこ まさし、1939年 - )は、日本のジャーナリスト、文筆家。 東京生まれ。早稲田大学英文科卒。産経新聞に勤務、社会部記者、日本工業新聞外信部記者、早大講師、埼玉短期大学教授。野川浩(のがわ・こう)の名で書いた「孤愁の影」がワイセツ文書として摘発され最高裁で罰金30万円の判決が下った。その顛末は「猥褻とは何か」(三一書房)にまとめてある。「猥褻とは何か」は累計2万部売れ、印税の300万円を手にした益子は世界一周の旅に出た。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
三浦 隆夫(みうら たかお、1938年11月25日 - )は… 三浦 隆夫(みうら たかお、1938年11月25日 - )は、日本の文筆家。 北海道生まれ。1961年同志社大学文学部英文科卒。 大学卒業後京都新聞社に入り、90年編集委員、論説委員を経て96年退職、西本願寺中央仏教学院卒。この間、京都教育大学附属小学校で臨時用務員を務め、『私、用務員のおっちゃんです』を書いた。
田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は… 田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は、日本の文筆家、翻訳家。 和歌山県生まれ。和歌山県立和歌山工業高等学校染織科卒、上智大学文学部哲学科卒。 染色工場を経営したのち1968年からウィーン大学で哲学、文学を学ぶ。1979年からハンガリーのブダペスト在住。
藤田 三男(ふじた みつお、1938年4月8日 - )は、日… 藤田 三男(ふじた みつお、1938年4月8日 - )は、日本の文筆家。装丁家。元編集者。 東京市木挽町(現:中央区)生まれ。1961年早稲田大学文学部国文専修卒業、河出書房新社入社後、取締役編集部長等を務め1979年退社、木挽社を設立。榛地和の名で装本も手がける。ゆまに書房編集顧問。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
小玉 武(こだま たけし、1938年 - )は、日本の編集者… 小玉 武(こだま たけし、1938年 - )は、日本の編集者、文筆家。 東京生まれ。神戸、横浜で育つ。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校を経て、1962年に早稲田大学教育学部を卒業後、サントリーに入社する。宣伝部に配属され、広告制作、『洋酒天国』の編集に携った後、広報部長、文化事業部長など。1979年には『サントリークォータリー』を創刊し、編集長を務めた。のち取締役出版局長としてTBSブリタニカに出向する。2000年早大参与に就任。教育学部などで講座を担当する。戸板女子短期大学講師も2009年まで務めた。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞前事務局長、公益財団法人練馬区文化振興協会理事、日本アルバン・ベルク協会常任理事、森澄雄主宰俳句結社『杉』同人。
梅田 卓夫(うめだ たくお、1938年 - 2013年10月… 梅田 卓夫(うめだ たくお、1938年 - 2013年10月26日)は、日本の詩人・著述家・教師。岐阜県出身。 名古屋大学教育学部卒業。愛知県立小牧工業高等学校国語科教諭を経て、愛知淑徳大学文化創造学部教授。定年後も非常勤講師として勤めた。 日本現代詩人会会員であり、1972年に詩集『物たちの位置』 (秋津書店) で第12回中日詩賞次賞に入選し、1975年には詩集『額縁』 (不動工房) で、第16回中日詩賞を受賞。詩人として主に1970年代から活躍した[要出典]。また、愛知県岡崎市にて『詩誌アルファ』を発行する「アルファの会」の同人として活動した[要出典]。 1980年代のはじめになると、清水良典、服部左右一、松川由博ら同僚教員たちと「万人のための創造的文章表現の実践と理論化」を目指す共同研究を始め、以後それに身を費やした。
西島 建男(にしじま たけお、1937年11月20日 - 2… 西島 建男(にしじま たけお、1937年11月20日 - 2016年7月24日 )は、日本のジャーナリスト、文筆家。元朝日新聞記者。 東京生まれ。成蹊大学政治経済学部卒業。朝日新聞社に入社、学芸部次長、同部編集委員を務めた後退社。
宇江 敏勝(うえ としかつ、1937年8月25日 - )は、… 宇江 敏勝(うえ としかつ、1937年8月25日 - )は、日本の小説家、著述家。 現在の三重県尾鷲市出身。炭焼きの家で育ち、和歌山県立熊野高等学校卒業後、和歌山の山林で働く。同人誌『VIKING』に参加し、小説やエッセイを書く。1980年に自伝「山びとの記」を発表し話題となった。
阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日… 阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日 - )は、日本の政治活動家、著述家。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の反共活動を1960年代から支えた。「12双」の一人でもある。 世界戦略総合研究所会長。教団の広報委員長、国際勝共連合事務総長などを歴任した。 福岡県京都郡犀川町(現・みやこ町)に生まれる。1960年3月、九州大学文学部社会学専攻卒業。 1967年11月頃、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の日本会長の久保木修己は、東京都渋谷区の統一教会本部に沢浦秀夫、野村健二、阿部らを招き、「勝共啓蒙団」を結成した。「勝共啓蒙団」は李相憲が書いた『新しい共産主義批判』の原稿を韓国から入手し、野村と阿部が中心となって日本語に訳し、出版した。
渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、… 渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、日本の文筆家、動物評論家。 東京に、フランス文学者・渡辺一夫の長男として生まれる。東京都立小石川高等学校卒、東京大学教養学部教養学科フランス科卒。 大学卒業後、日本航空に入社、パリ、ブリュッセルに9年間滞在。1994年退社し、ヨーロッパ流の犬の飼い方に関心をもち著作、翻訳を行う。趣味の釣りに関する著作もある。
中野 忠良(なかの ただよし、1937年3月27日 - )は… 中野 忠良(なかの ただよし、1937年3月27日 - )は、日本のジャーナリスト、文筆家。 大分県東国東郡国東町生まれ。筆名・宮梵児。1959年國學院大學政経学部卒。雑誌記者を経て、1965年からフリー。 おいしい水の会事務局長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小倉 玄照(おぐら げんしょう、1937年 - )は、日本の… 小倉 玄照(おぐら げんしょう、1937年 - )は、日本の僧侶、文筆家。岡山県の曹洞宗成興寺第十三世住職。 岡山県生まれ。1960年、駒澤大学仏教学部禅学科卒業。高校教師となり、岡山県立久世高等学校、岡山県立津山東高等学校、岡山県立津山商業高等学校教諭を歴任。1973年3月に退職。 1973年、曹洞宗大本山永平寺講師(1988年末まで)。1982年、曹洞宗特派布教師(1988年まで3期)。 苫田郡加茂町の成興寺住職。加茂保育園園長、理事長を歴任。 著書に「道元禅師旧蹟紀行」「修証義のことば」「道元禅師の慕古」「禅と食」など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
堀田 饒(ほった にぎし、1937年 - )は、日本の医師、… 堀田 饒(ほった にぎし、1937年 - )は、日本の医師、文筆家。 1964年名古屋大学医学部卒、1971年同大学院医学研究科修了、医学博士。名古屋大学医学部第三内科教授、名古屋大学医学研究科代謝病態内科学教授、2000年定年退官、名誉教授、労働者健康福祉機構中部労災病院院長、名誉院長。 糖尿病治療が専門だが、ほか切手収集を趣味とし歴史の著作もものする。
森 和朗 (もり かずろう、1937年-2019年)は、元N… 森 和朗 (もり かずろう、1937年-2019年)は、元NHKチーフ・ディレクターで、文筆家。日本大学芸術学部文芸学科講師。 1937年、愛知県名古屋市生まれ。1960年名古屋大学経済学部卒業。日本放送協会で「NC9(ニュースセンター9時)」、「ニュース展望」、「NHKジャーナル」など報道番組の制作を担当。国際局チーフ・ディレクターを経て、日本大学芸術学部文芸学科講師。
遠藤 祐弘(えんどう ゆうこう、1937年‐)は、日本の文筆… 遠藤 祐弘(えんどう ゆうこう、1937年‐)は、日本の文筆家、サイクリング愛好家、旅行家。 1937年、自転車屋の子息として東京に生まれる。早稲田大学を卒業後、谷津田輪業に入社し、その後自転車で西ヨーロッパ・東南アジア・オセアニアなど世界各国を回りその体験を本に記す。 本業の傍ら、東京都ユースホテル協会評議員を務め現在東京サイクルリーダーズ主宰している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )… 橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )は、日本の元編集者・文筆家。 朝日ソノラマ時代は『鉄腕アトム』『オバケのQ太郎』『エイトマン』『鉄人28号』等、多くのソノシートを企画しヒットさせた。また「サンコミックス」を立ち上げ、水木しげる、石森章太郎、桑田次郎、永島慎二、水野英子などのヒット作を多く手掛けた。 福島県郡山市出身。祖父は郡山市内に縫製工場を構え一代で財を成した。 橋本自身は同志社大学文学部に進み、1959年に卒業した。就職浪人を経て1961年、朝日ソノラマに入社する。 当時の「月刊朝日ソノラマ」は時事色が強く売り上げが低迷していた。企画を模索していた橋本はジョン・F・ケネディ(アメリカ合衆国大統領)の演説に目をつけ音盤化。
松本 市壽(まつもと いちじゅ、1936年12月 - 200… 松本 市壽(まつもと いちじゅ、1936年12月 - 2009年7月23日)は、日本の文筆家。書籍編集者。 鳥取県生まれ。日本大学法学部新聞学科卒業。 大学卒業後出版社に勤務し、40年間書籍編集、20年間は良寛研究を中心の編集を主とする。 全国良寛会常任理事、東京良寛会副会長、神田川芭蕉の会理事。 2009年7月23日、心筋梗塞のため死去。
内藤 誠(ないとう まこと 1936年3月6日 - )は、日… 内藤 誠(ないとう まこと 1936年3月6日 - )は、日本の映画監督、脚本家、著述家。元中部大学人文学部教授。元日本大学芸術学部映画学科講師。 愛知県名古屋市出身。愛知県立刈谷高等学校を経て、1959年、早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業。唯一、受けた東映の入社試験に合格、東京撮影所に配属される。受験に当たっては師事する木村毅から紹介された雪代敬子に保証人を頼んだ。 佐伯清、成澤昌茂、マキノ雅弘、石井輝男らの助監督を経て1969年に監督に昇進し、主に当時の東映の主流である東映京都撮影所作品などの併映作品、俗に言う「B面映画」の職人監督として活躍した。山下耕作監督『釜ケ崎極道』のB面『ネオンくらげ』は「傑作青春ムービー」、深作欣二監督『仁義なき戦い 代理戦争』のB面『番格ロック』は「女性バードボイルド映画の傑作」と評される。
帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )… 帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )は、日本の医師、著述家、帯津三敬病院名誉院長。 埼玉県川越市生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1961年に東京大学医学部医学科を卒業。医学博士。東京大学医学部第三外科、東京都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。西洋医学に中国医学や代替療法を取り入れ、医療の東西融合という新機軸を基に、がん患者などの治療に当たる。人間をまるごと捉えるホリスティック医学の第一人者として、日本ホリスティック医学協会会長・現名誉会長、日本ホメオパシー医学会理事長、国際生命情報科学会(ISLIS)会長、その他数多くの団体の役職なども務める。
佐藤 隆介(さとう りゅうすけ、1936年〈昭和11年〉 -… 佐藤 隆介(さとう りゅうすけ、1936年〈昭和11年〉 - 2021年〈令和3年〉9月13日)は日本の文筆家。雑文製造処「鉢山亭」主人。 酒・食・器など、食卓に関わる物のみにテーマを絞った文筆活動を行う。 東京大学教養学科(フランス科)卒。広告代理店のコピーライター、編集者を経て、池波正太郎の書生を10年間務めた。 屋号の「鉢山」はかつて住んでいた町(渋谷区鉢山町)の名で、自身の苗字がありふれた物であるため、電話をかける際「鉢山の佐藤です」と名乗っていたことに由来する。
松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - 2021年10… 松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - 2021年10月24日)は、日本の著述家、奇術研究家。日本推理作家協会会員。 父は医師・育児評論家・歴史家の松田道雄。 京都府京都市出身。同志社大学経済学部卒業。学生時代から海外奇術やゲーム、マジックの文献の研究を始め、ラジオ関西勤務を経て、著述家として奇術やゲーム、ジョーク、ミステリ小説などについての評論や著述に専念。神戸市に在住。 1979年には第12回石田天海賞を受賞している。1980年『とりっくものがたり』で第33回日本推理作家協会賞・評論その他の部門で候補作。1989年『ミステリ作家のたくらみ』で第42回日本推理作家協会賞・評論その他の部門で候補作。
木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、… 木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、日本の農民詩人、文筆家。エッセイスト。ジャーナリスト。 詩誌「山形詩人」代表。農民文学会、現代詩人会会員。 山形県上山市牧野生まれ。本名・廸男。5人兄弟の長男として生まれ、父を小学校4年の時、戦争によって失った。 山形県立上山農業高等学校(後の山形県立上山明新館高等学校)定時制課程卒業。山びこ学校出身の佐藤藤三郎は同級生。高校時代から詩を書き始め、文化祭で登壇した農民詩人の真壁仁による宮沢賢治をテーマにした講演に感銘を受け、卒業式の日、真壁を訪ねて「詩を書き続ける」と誓った。1957年には真壁が創刊した同人誌『地下水』に参加する。 卒業と同時にサクランボの自営農に従事。
中江 克己(なかえ かつみ、1935年(昭和10年)8月17… 中江 克己(なかえ かつみ、1935年(昭和10年)8月17日 - )は、日本の文筆家。 函館市生まれ。北海道函館西高等学校卒。編集者を経て歴史文筆家。 初期の別筆名・亜坂卓巳、黒木達也。実用書、日常のうんちく、歴史雑学、大河ドラマ関連本などを数多く執筆している。
村崎 芙蓉子(むらさき ふよこ、1935年7月 - )は、日… 村崎 芙蓉子(むらさき ふよこ、1935年7月 - )は、日本の医師・文筆家。東京都出身。循環器内科医。 東京都立西高等学校を経て、東京女子医科大学を卒業後、同大学の附属研究機関である日本心臓血圧研究所にて循環器医学を学ぶ。 その後、新宿三井ビルクリニック副院長を経て、1992年に「女性成人病クリニック」を開設し、同クリニック院長となる。診療の傍ら執筆や講演活動を行なっていたが、著書「カイワレ族の偏差値日記(鎌倉書房)」がTVドラマ化され話題となり、「カイワレ族(土ではなく、ウレタンの苗床で完全管理の下に育てられるカイワレに例え、管理社会でしか生きられない成績が普通の中学生・高校生)」が流行語となるなどして広くその名を知られるようになった。
髙橋 育郎(たかはし いくお、1935年〈昭和10年〉3月2… 髙橋 育郎(たかはし いくお、1935年〈昭和10年〉3月26日 - 2026年〈令和8年〉3月7日)は、日本の童謡作詞家、童謡作曲家、著述家、元日本国有鉄道(国鉄)職員。東京都出身。国鉄時代から合唱団で音楽を学び、在職中から団体旅行ソングなどの作詞・作曲を手がけた。退職後は日本童謡協会に所属し、代表作「大きな木はいいな」(作詞)などの童謡作品を発表したほか、昭和から平成にかけての自身の体験を綴った著書を複数出版している。 1935年(昭和10年)3月、東京都に生まれる。1941年(昭和16年)4月に赤羽国民学校に入学し、戦中・戦後の動乱期を過ごす。1947年(昭和22年)3月に埼玉県杉戸町の杉戸国民学校を卒業。
齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 20… 齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 2025年7月28日)は、日本の音楽学者、音楽教育者、文筆家。旧姓は渡邊。 横浜市で初の女性助役に任命された。財団法人横浜市芸術文化振興財団理事長も務めた。 教育者の渡邊潜龍・カツの一人娘として横浜市鶴見区に生まれる。横浜市立磯子国民学校(現・横浜市立磯子小学校)、鶴見女子中学校 から神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。希望ヶ丘高等学校では男女共学実施後の女子1期生で、式典でピアノ演奏に起用されたりしたが、3年生のときに芸術科を新設した東京都立駒場高等学校に移る。ピアニストを志望し、石渡日出夫よりピアノの指導を受けた。東京芸術大学音楽学部楽理科に進み、音楽学を服部幸三に師事し、西洋音楽史を専攻する。
新宮 正春(しんぐう まさはる、本名: 瀬古正春(せこ まさ… 新宮 正春(しんぐう まさはる、本名: 瀬古正春(せこ まさはる)、1935年1月1日 - 2004年8月28日)は、日本の小説家、著述家。和歌山県新宮市出身。筆名は自身の出身地に由来する。 神奈川大学経済学部を中退した後、内外タイムスをへて報知新聞社に入社、運動部記者として勤務。V9時代の読売ジャイアンツを取材する。そのため、初期作品にはジャイアンツを題材としたスポーツ小説やノンフィクションが多い。梅本さちおの漫画『影武者ジャイアンツ』の原作も担当している。記者時代の縁から、長嶋茂雄との親交も深く、長嶋と亜希子夫人との間を取り持ったことでも知られる。 1970年には、短編「安南の六連銭」で第15回小説現代新人賞を受賞し、時代小説作家としてデビューした。
立元 幸治(たちもと こうじ、1935年 - )は、日本の文… 立元 幸治(たちもと こうじ、1935年 - )は、日本の文筆家。 1960年、九州大学卒業後NHKに入局。主に教養番組の制作に従事。 チーフ・プロデューサー、部長、局長、審議委員等をつとめる。主な制作番組に、「情報と現代」「自然のシステムと人間」「近世日本の私塾」「日本の政治文化」「明治精神の構造」「大学の未来像」「無意識の構造」などがある。NHK退職後、九州産業大学などで「現代メディア論」や「情報文化論」「現代社会論」などの講義と研究に携わり、東和大学教授を定年で退職。現在は主に執筆講演活動を展開している。 主たる著作に、『転換期のメディア環境』(福村出版)、『こころの出家』(筑摩書房)、『こころの養生訓』『器量と人望~西郷隆盛という磁力』(PHP研究所)、『貝原益軒に学ぶ』(三笠書房)、『東京多磨霊園物語』『東京青山霊園物語』『鎌倉古寺霊園物語』(以上、明石書店)、『威ありて猛からず 学知の人西郷隆盛』(新講社)、『墓碑をよむ~無名の人生が映す、豊かなメッセージ』『人は鹿より賢いのか~甦る鳩翁道話、柴田鳩翁は、いま何を語るのか』『デュオする名言、響き合うメッセージ~墓碑を歩き、人と出会う、言葉と出会う』(以上、福村出版)、『還って来た山頭火~いま、私たちに何を語るのか』『年はとっても、年寄りにはなりたくない~いま、山頭火と語る、老いと人生』(以上、春陽堂)『いま、私たちは幸せに生きているのか~貝原益軒が語る新・幸福論』『〃出会い〃が人生を創る~〃自分の人生〃の物語を紡ぐ』『名言は、二度語る~一度はソロで、二度目はデュオで』(以上、展望社)などがある。
原田 道一(はらだ どういつ、1935年 - )は、日本の僧… 原田 道一(はらだ どういつ、1935年 - )は、日本の僧侶、文筆家。岐阜県の曹洞宗正宗寺東堂。 高山市生まれ。1941年春から半年間、三重県津市景雲寺(尼寺)に預けられ、剃髪。1963年駒澤大学仏教学部卒業。曹洞宗教化研修所青年コース(4年間)修了。岐阜県立高校教諭(倫理と社会科)を経て、正宗寺住職となる。住職としての職責のほか講演会、音楽会などを企画、運営。地元飛騨の地域、文化活動に積極的に関わる。 著書に「出あうところ わがいのち」「脳幹鍛練で『自分流の生き方』をつくる -いま、身心一如の時代に必要なこと」など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鈴木 一夫(すずき かずお、1935年 - )は、日本の文筆… 鈴木 一夫(すずき かずお、1935年 - )は、日本の文筆家。歴史家。 新潟県生まれ。新潟大学人文学部卒業。 1960年、出版社に入社し、社会科学分野の書籍編集に従事。 1986年、出版プロダクションを設立。1990年頃より個人として、雑誌寄稿・書籍原稿執筆を開始する。
田川 建三(たがわ けんぞう、1935年 - )は、日本の新… 田川 建三(たがわ けんぞう、1935年 - )は、日本の新約聖書学者、著述家。大阪女子大学名誉教授。宗教批判を通じて現代批判を試みた著作でも知られる。「神を信じないクリスチャン」を名乗る。
立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月2… 立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月24日)は、日本の政治運動家、文筆家。 熊本県菊池市生まれ。1959年九州大学経済学部卒業、在学中から日本社会党青年部で活動。1960年安保闘争の最中、雑誌『社会主義』(社会主義協会)の編集者となる。 社青同(日本社会主義青年同盟)港支部(東京)を組織。浅沼社会党委員長刺殺抗議デモに参加。三池無期限全面スト支援のため各労組をオルグ。 1961年三池闘争支援のため「三池を守る会」を組織。医療労働者の人権侵害、労働条件改悪に抗議する闘争支援(十仁・愛育・船員・慶応病院など)。 1964年社青同第四回大会で書記長に選出される。1965年反戦青年委員会設立に努める。
菊谷 匡祐(きくや きょうすけ、1935年 - 2010年1… 菊谷 匡祐(きくや きょうすけ、1935年 - 2010年1月19日)は、日本の文筆家・翻訳家。 神奈川県出身。1958年早稲田大学第一文学部独文学専修卒業。早稲田大学在学中に、所属していた新聞部の原稿依頼を契機として、開高健の知遇を得る。その後、自身が開高健に提供した資料「カフカの断片集中の一片」がもととなり執筆された「流亡記」により衝撃を受け(本人曰く「30枚の短編のはずが120枚の中編となったことが、そのまま彼我の構想力の差に感じられた」)、「開高健の鑑賞家」となることを決意する。 1962年に早稲田大学大学院文学研究科芸術学コース修士課程修了後、出版社勤務ののちも開高健との公私に亘る親交は続き、1977年にはブラジル・アマゾンへの取材行にも同行する。
安宅 夏夫(あたか なつお、1934年8月29日 - 202… 安宅 夏夫(あたか なつお、1934年8月29日 - 2020年3月23日)は、日本の文筆家。本名、安宅敏雄。 石川県金沢市出身、慶應義塾大学文学部卒業。金沢市で18年間、高校の国語教員として勤務の傍ら短歌や詩の創作を行う。その後上京して文筆家となる。日本現代詩人会、大衆文学研究会会員。 2003年、『「日本百名山」の背景 深田久弥・二つの愛』で尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞評論・伝記部門を受賞、2012年、第一回群系賞を野口存彌とともに受賞。 2020年3月23日、肺炎のため死去。85歳没。
多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010… 多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010年4月21日)は、日本の免疫学者、文筆家である。東京大学名誉教授。妻の多田式江は医師。大叔父に詩人多田不二がいる。 免疫学・分子生物学を専門とし、免疫機構解明に貢献。随筆執筆や医療・科学を題材にした新作能の創作も行った。著書に『免疫の意味論』(1993年)、『生命の意味論』(1997年)、『独酌余滴』(1999年)などがある。 茨城県結城市出身。旧制水海道中学校、茨城県立結城第二高等学校を経て、千葉大学医学部進学、在学中に安藤元雄、江藤淳らとともに同人雑誌『purete』に詩などを寄稿。千葉大学医学部第二病理学教室に勤務、1964年医学博士(千葉大学、題は「遷延感作ウサギにおける抗体産生の変貌」)、のち教授、1977年東京大学医学部教授、1995年定年退官、東京理科大学生命科学研究所所長。
明石 元紹(あかし もとつぐ、1934年1月12日 - )は… 明石 元紹(あかし もとつぐ、1934年1月12日 - )は、日本の実業家、文筆家。慶應義塾大学経済学部卒業。日産プリンス東京販売取締役、日産陸送常任監査役。学習院大学馬術部監督。金閣寺住職の有馬頼底らと共に上皇明仁の学友である。 明石元長の子で、陸軍大将明石元二郎の孫にあたる。上皇とは学習院初等科以来の親友で、太平洋戦争時には一緒に日光に疎開した。高等科時代には馬術部のチームメートで、お互いにあだ名で呼びあうほどの仲であった。それらの経験から上皇との親交のエピソードを数々の書籍によって著してきた。しかしながら2019年、眞子内親王と小室圭との結婚問題や昭和天皇の喪中にもかかわらず秋篠宮が婚約を発表されたことなどを例に挙げ、皇室が「公」より「私」を優先させるようになられたことを懸念し、学習院初等科の同窓会に欠席することで上皇陛下に対し週刊誌上で「絶縁宣言」を行った。
田中 忠三郎(たなか ちゅうざぶろう、1933年11月26日… 田中 忠三郎(たなか ちゅうざぶろう、1933年11月26日 - 2013年3月5日)は、日本の民俗学者、民俗民具研究家、著述家。アミューズミュージアム名誉館長。渋沢敬三に傾注し、在野の民族研究家として民具の調査・収集にあたった。 1933年(昭和8年)11月26日、青森県下北郡川内町(現・むつ市)生まれ。 23 歳から単独で、平内町にある槻の木遺跡・一本松遺跡を 10 年間発掘する。その後、平内町教育委員会の勤務を経て、1977年から、布類を中心とした民具の収集を行う。三沢市小川原湖民俗博物館館長を務めた後、青森市歴史民俗展示館 稽古館の館長に就任する。民俗学へ転じて以降、半世紀近くにわたり、集落の姥や古老から昔の話を聞き取るフィールドワークを行った。
荻生 待也(おきう まちや、1933年7月 - )は、東京都… 荻生 待也(おきう まちや、1933年7月 - )は、東京都生まれの著述家。 東京市向島区(現東京都墨田区)出身。東京都立北園高等学校卒業。十数種の職業遍歴ののち、1963年に広告会社に勤務、制作室でコピーを書く。1965年に独立してフリーとなる。30年間にわたり多彩な業種のコピーを書き続け、還暦を迎えると同時に広告業界から引退した。現在は、事典作家として執筆活動を行う。趣味は愛酒と図書館通い。 (以下、荻生待也編著)