山田 悦子(やまだ えつこ、旧姓:沢崎、1951年(昭和26… 山田 悦子(やまだ えつこ、旧姓:沢崎、1951年(昭和26年) - )は、日本の社会運動家。徳島女子短期大学卒業。富山県出身。 1974年(昭和49年)の甲山事件の冤罪被害者として知られる。 富山県出身。愛媛県新居浜市育ち。新居浜市立泉川小学校、新居浜市立泉川中学校を経て新居浜市立商業高等学校(現:愛媛県立新居浜商業高等学校)を卒業。1972年(昭和47年)に徳島女子短期大学保育科(現:徳島文理大学短期大学部)を卒業し、同年に兵庫県西宮市の甲山福祉センター甲山学園に保母として就職する。 1974年(昭和49年)3月17日に甲山学園の園児である女児2人が殺害された甲山事件の犯人として同年4月7日に逮捕され、その後、証拠不十分で不起訴となり釈放。
伴 英幸(ばん ひでゆき、1951年 - 2024年6月10… 伴 英幸(ばん ひでゆき、1951年 - 2024年6月10日)は、日本の市民活動家、NPO法人「原子力資料情報室」共同代表。 三重県四日市市に生まれる。 1975年に早稲田大学を卒業後は生活協同組合の専従となった。1979年の米国・スリーマイル島原子力発電所の事故をきっかけに脱原発を目指す運動に参加。1989年に脱原発法制定運動事務局のスタッフとなる。 1990年からは非営利の調査研究機関「原子力資料情報室」のスタッフとなり、1995年に事務局長、1998年からは共同代表を務めた。 2000年代以降は国の原子力政策の基本方針を策定する原子力委員会の専門家会議や、エネルギー政策に関する経済産業省の審議会などの委員を務め、批判的な立場から発言した。
浴田 由紀子(えきだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉12月… 浴田 由紀子(えきだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉12月19日 - )は、日本の政治活動家、元東アジア反日武装戦線“大地の牙”部隊のメンバー。同部隊リーダー齋藤和の内縁の妻であった。なお、「えきた」といわれることも多いが、正しくは「えきだ」である[要出典]。山口県長門市出身。 現在の長門市に生まれる。生家は地主だったが、農地改革で没落していた。 1969年(昭和44年)、山口県立大津高等学校を卒業後、北里大学衛生学部に一般入試で入学。北里大学への進学にあたっては、一般入試受験前に推薦入試で不合格となっていた。だが親族の紹介により、地元選出国会議員だった安倍晋太郎の東京の家で書生・行儀見習いをしつつ北里の夜学に通うすべが用意されていた。
小林 健治(こばやし けんじ、1950年12月13日 - )… 小林 健治(こばやし けんじ、1950年12月13日 - )は、日本の編集者、部落解放運動家。にんげん出版代表。 部落解放同盟東京都連合会品川支部員だったが、横領を理由に2015年6月19日付で部落解放同盟中央本部から除名処分を受け、2016年1月当時、除名処分の無効を訴えていた。2021年12月現在、除名処分が撤回された形跡はない。 岡山市生まれ。岡山県立岡山南高等学校を経て法政大学文学部日本文学科卒業。解放出版社に勤務。1980年から、部落解放同盟中央本部 マスコミ・文化対策部、糾弾闘争本部の一員として、出版・新聞・テレビにおける差別表現事件にとりくむ。2004年まで解放出版社事務局長を務める。
丸岡 修(まるおか おさむ、1950年〈昭和25年〉10月2… 丸岡 修(まるおか おさむ、1950年〈昭和25年〉10月20日 - 2011年〈平成23年〉5月29日)は、日本のテロリスト・新左翼活動家。日本赤軍の元メンバーで軍事部門の最高幹部だった。徳島県出身。ドバイ日航機ハイジャック事件、ダッカ日航機ハイジャック事件一味として国際手配され、1987年に東京で逮捕。 生家は徳島県の大地主で、父親は一家の当主かつ陸軍将校だったが、敗戦後の農地改革で没落し、一家は徳島を離れ、大阪で縫製業に就いていた。その生家の環境及び、小学6年の担任が戦後も軍国主義者であり続けた右翼教師であったため、その強い影響で中学3年まで熱狂的な右翼少年であった。五・一五事件や二・二六事件の青年将校に憧れ、自衛官を志望していたが、大阪府立清水谷高等学校入学後、ベトナム戦争に疑問を持ち、日本民主青年同盟やベ平連の会合に参加し、羽田闘争での京都大学の学生山崎博昭の死に衝撃を受け、高校を卒業後、1970年から大阪浪共闘に参加した。
岡本 達思(おかもと たつし、1950年9月 - )は日本の… 岡本 達思(おかもと たつし、1950年9月 - )は日本の実業家、市民活動家。福島第一原子力発電所事故後、放射線量の計測や勉強会を行っている。
相川 勝重(あいかわ かつしげ、1950年〈昭和25年〉8月… 相川 勝重(あいかわ かつしげ、1950年〈昭和25年〉8月13日 - )は、日本の政治家・政治運動家、千葉県山武郡芝山町元町長。 1950年(昭和25年)生まれ。芝山町立芝山中学校及び千葉県立多古高等学校を卒業した後、千葉県立農村中堅青年養成所を修了、その後芝山町で農業に従事する。 新東京国際空港計画(現・成田国際空港)に対し「何の相談もなく一方的に農地を奪い、空港を押しつけるのはおかしい」と成田空港問題に立ち上がり、20歳から三里塚芝山連合空港反対同盟(略称「反対同盟」)青年行動隊員として三里塚闘争を担っていた。全国町村会のウェブサイトで、空港反対運動での逮捕歴が4回に上ることを明らかにしている。
西川 純(にしかわ じゅん、1950年8月8日 - )は、日… 西川 純(にしかわ じゅん、1950年8月8日 - )は、日本のテロリスト、日本赤軍元メンバー。 1974年9月13日、奥平純三と共にハーグ事件に参加。1975年に逮捕されたが、同年に起こったクアラルンプール事件で超法規的措置で釈放・出国。 1977年9月28日のダッカ日航機ハイジャック事件にも関与し、国際手配される。 1997年11月12日、潜伏先のボリビアで拘束され、国外退去処分を受けた。11月18日、サンタクルスから日本に帰国した際に新東京国際空港で逮捕された。検察からハーグ・ダッカの両事件で起訴された。弁護側はハーグ事件では拳銃を発砲した奥平純三との共謀を否定し、殺人未遂罪の無罪を主張した。
若林 義春(わかばやし よしはる、1950年〈昭和25年〉7… 若林 義春(わかばやし よしはる、1950年〈昭和25年〉7月26日 - )は、日本の政治活動家。日本共産党東京都委員長を務めた。現在は党常任幹部会委員、党建設委員会責任者代理。
麻枝 光一(まえだ こういち、本名:前田 耕一、1950年5… 麻枝 光一(まえだ こういち、本名:前田 耕一、1950年5月6日 - 2022年1月2日)は、日本の社会活動家、実業家。大阪府出身。NPO法人医療大麻を考える会代表。 大阪外国語大学で朝鮮語を専攻し卒業後、サウジアラビア王立リヤド大学に2年間留学。イラク・バグダッドでの通訳業務や、放送大学講師(国際政治学・非常勤)、ビデオジャーナリストなどを経て、現在、東京で日本初の大麻・マリファナグッズ専門店「大麻堂」「ヘンプ・レストラン麻」などを経営している。 大麻の正しい理解を世界に広めるため日本でのマリファナ解禁を実現する事を目標に様々な活動を行っている。 中島らもの大麻取締法違反事件で入手を幇助したとして、2004年3月17日、懲役8ヶ月執行猶予3年の有罪判決を受けた。
西村 修平(にしむら しゅうへい、1950年〈昭和25年〉4… 西村 修平(にしむら しゅうへい、1950年〈昭和25年〉4月6日 - )は、日本の政治活動家。「行動する保守」運動の提唱者とされる。 秋田県男鹿市船越出身。専修大学中退。日中友好協会(正統本部)の派遣で文化大革命当時の中国を1ヵ月間旅行した。大学中退後はアルバイトをしながら経理学校に通う。 民間企業に経理担当として勤務する傍ら、酒井信彦の「中国によるチベット問題」を訴える活動に共鳴して活動家となる(この頃に転向したと思われる)。その後、国民新聞記者を経て、政治活動家として主権回復を目指す会代表、靖國會理事、英霊にこたえる会委員を務める。維新政党・新風千葉県本部・元代表(既に除籍)。北朝鮮に拉致された日本人を救出する千葉の会元幹事。
田上 等(たがみ ひとし、1950年3月28日 - )は日本… 田上 等(たがみ ひとし、1950年3月28日 - )は日本の政治活動家。1970年代、菅直人らとともに市民運動に参加し、社会市民連合(まもなく社会民主連合に改称)結成後は国政選挙や神奈川県議会議員選挙にしばしば立候補したがいずれも落選した。 横浜市西区浅間町生まれ。1962年横浜市立浅間台小学校卒業、1965年横浜市立岡野中学校卒業、1968年神奈川県立横浜平沼高等学校卒業、1974年慶應義塾大学法学部卒業。大学在学中にベーチェット病患者救済運動に関わる。1974年の第11回参議院議員通常選挙で市川房枝の応援に菅直人らと携わった。彼女の院内会派であった参議院第二院クラブ事務局長を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙に菅が東京都第7区から出馬した際には選挙対策本部事務局長を務めた。
小若 順一(こわか じゅんいち、1950年2月2日[要出典]… 小若 順一(こわか じゅんいち、1950年2月2日[要出典] - )は、日本の市民運動家。食品と暮らしの安全基金代表。岡山県岡山市生まれ。現場取材や食品検査を行うことで、ポストハーベスト農薬、環境ホルモン、耐性菌、毒ギョーザ事件、放射能汚染、ミネラル不足など、食品や生活に潜む危険性を各メディアや月刊『食品と暮らしの安全』で告発してきた。 2004年、日本子孫基金として東京弁護士会人権賞 2017年、ウクライナ・チェルノブイリ連盟から「博愛人道勲章」 2018年、国際チェルノブイリ連盟から「チェルノブイリ事故処理30周年記念勲章」 2019年、ウクライナ・ジャーナリスト連盟から「特別栄誉賞」 この他に、各種ラジオ出演や、ウクライナでの食品の放射能汚染を減らす「日本プロジェクト」に関連した現地テレビ番組への出演多数。
梶原 公子(かじわら きみこ、1950年 - )は、日本の教… 梶原 公子(かじわら きみこ、1950年 - )は、日本の教育者、管理栄養士、労働運動家、著述家。学位は博士(栄養学)(聖徳大学・2006年)。 高等学校での勤務を経て、特定非営利活動法人ニュースタート事務局に勤務した。 1950年(昭和25年)に生まれ、静岡県にて育った。静岡県により設置・運営されていた静岡女子大学に進学した。静岡女子大学を卒業し、学士の称号を取得した。 大学卒業後は、高等学校に採用され、家庭を講じる教員として20年ほど勤務した。高等学校を退職してからは、向学心を断ちがたく、立教学院が設置・運営する立教大学の大学院に進学した。その結果、修士(社会学)の学位を取得した。さらに、東京聖徳学園が設置・運営する聖徳大学の大学院に進学した。
山戸 貞夫(やまと さだお、1950年 - )は、上関原子力… 山戸 貞夫(やまと さだお、1950年 - )は、上関原子力発電所建設反対運動の中心人物のひとりとして知られる日本の社会活動家。山口県上関町議会議員であるため、地方政治家でもある。 山口県上関町祝島に、農家の長男として生まれ、島根大学農学部を卒業した。松江市の印刷会社に勤務し、労働組合の結成に関わる。 1985年、祝島に帰郷して、上関原子力発電所の建設反対運動に加わり、以降、反原発運動組織「愛郷一心会」や、これを1992年に改組した「上関原発を建てさせない祝島島民の会」会長を、2011年まで務める。 1989年から2007年にかけては、祝島漁協組合長を務めた。 1994年、上関町議会議員に初当選し、以降、断続的に5期町議会議員を務めており、この間の町長選挙にも3度出馬したが、いずれも落選している。
原 早苗(はら さなえ、1950年 - )は、日本の主に消費… 原 早苗(はら さなえ、1950年 - )は、日本の主に消費者問題を中心に取り扱う活動家。山口大学文理学部社会学専攻科卒業。NPO法人消費者機構日本常任理事。元金融オンブズネット代表。 1950年(昭和25年)、山口県生まれ。1973年(昭和48年)3月、山口大学文理学部社会学専攻科卒業。同年4月、阪急百貨店に入社。1974年(昭和49年)6月、一般財団法人消費科学センター事務局に入局。2000年(平成12年)4月、埼玉大学経済学部非常勤講師。同年11月、金融オンブズネット代表に就任。同年12月消費科学センター事務局を退職。2004年(平成16年)4月、上智大学経済学部非常勤講師に就く。2008年(平成20年)6月、消費者機構日本常任理事となる。
常世田 良(とこよだ りょう、1950年-)は、日本の図書館… 常世田 良(とこよだ りょう、1950年-)は、日本の図書館員、元浦安市立中央図書館長、立命館大学教授、日本図書館協会理事。
高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、日本の政… 高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、日本の政治活動家、教育学者。一般財団法人親学推進協会理事長、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授。 日本会議政策委員、新しい歴史教科書をつくる会副会長、明星大学教授・同大学院教育学専攻主任、麗澤大学道徳科学教育センター客員教授などを歴任。専攻は占領下の日本教育史。その他にも「感性教育」、臨床教育学、ホリスティック教育学、「親学」などを研究している。 兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。旧姓は土橋。兵庫県立龍野高等学校を経て1973年3月、早稲田大学第一文学部人文専修卒業。早稲田大学在学中、生長の家学生会全国総連合(生学連)委員長を務め、生学連のOB組織である「日本青年協議会」に参加。
笹山 久三(ささやま きゅうぞう、1950年 - )は、日本… 笹山 久三(ささやま きゅうぞう、1950年 - )は、日本の小説家・労働運動家。高知県幡多郡西土佐村(現・四万十市)出身。本名:芝 久巳(しば ひさみ)。高知県中村高校西土佐分校卒。1969年、横浜金沢郵便局入局(現在は配転により異動)。
佐宗 邦皇(さそう くにお、1950年〈昭和25年〉 - 2… 佐宗 邦皇(さそう くにお、1950年〈昭和25年〉 - 2009年〈平成21年〉8月9日)は、日本の著述家、環境活動家。ブランディングデザイナー、著作者の佐宗邦威は長男。 東京都千代田区神田出身。千代田区立麹町中学校、都立日比谷高等学校、東京大学法学部卒業。 1975年、日本航空に入社。国際業務室、経営企画室、客室乗員部、地球環境委員会事務局等を歴任。JALの本社移転問題では、経営悪化を懸念し、組合委員長として会社を批判した。 2001年、同社を早期依願退職。 2002年6月、地球規模の緑化と森林再生を目的とする環境NGO「屋上緑化普及協議会」設立し、代表を務める。歴史研究者の顔も持ち、テレビ東京の歴史番組等に出演した。
片岡 みい子(かたおか みいこ、1950年? - 2017年… 片岡 みい子(かたおか みいこ、1950年? - 2017年2月7日)は、日本の翻訳家、人権活動家。 東京学芸大学中退、1975年東京外国語大学ロシア科卒業。 1970年代半ばよりソ連の体制批判派を擁護する運動を始め、1990年代に取材や支援活動で頻繁に訪露。 夫はソ連現代史研究家、社会運動家の正垣親一(1947年7月20日 - 2001年)。正垣の闘病記を初の著作『たいへんよく生きました』として上梓した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
馬場 能久(ばば よしひさ、1949年11月26日 - 20… 馬場 能久(ばば よしひさ、1949年11月26日 - 2022年11月12日)は、日本の政治活動家。 福岡県八女市出身。福岡市南区清水在住。国士舘大学政経学部政治学科卒業。元救う会福岡(北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会)代表。元維新政党・新風副代表・同福岡県本部代表。人権擁護法案に反対する市民の連帯:FUKUOKA共同代表。元(財)国際平和機構評議員。定番問題である日本人拉致事件、尖閣諸島の領有権問題のみならず、介護施設の問題、バリアフリー等の高齢者、障害者問題にも取り組んでいる。また政治思想は伝統保守。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)には当初反対していたが、対中国包囲網になるという主張を展開しTPP賛成に転向した。
多田羅 譲治(たたら じょうじ、1949年〈昭和24年〉11… 多田羅 譲治(たたら じょうじ、1949年〈昭和24年〉11月11日 - )は、香川県坂出市出身の政治運動家。NPO法人「明日に架ける橋」代表、福祉生協かがわ専務理事。
羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし 1949年〈昭… 羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし 1949年〈昭和24年〉10月11日 - 2015年〈平成27年〉4月11日)は、日本の実業家、政治活動家である。本名は三上 誠三(みかみ せいぞう)。別名は羽柴 秀吉。 羽柴企業グループ社主として羽柴観光小田川温泉株式会社(旅館「秀吉のやかた」)や東北興産建設株式会社などを経営していた。また、公認候補者として所属した自由連合では幹事を務めた。 青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)出身。若き日に近所の住職より「お前は戦国武将豊臣秀吉の生まれ変わり」と言われて以来、この名前を名乗ったという。 家は貧しく家庭環境は複雑で、中学を卒業すると製材工場で働いた。
山口 節生(やまぐち せつお、1949年〈昭和24年〉9月2… 山口 節生(やまぐち せつお、1949年〈昭和24年〉9月26日 - )は、日本の政治活動家、コンサルタント業、不動産業、実業家である。元・高等学校教員で元・信託銀行員。佐賀県出身。 1949年、佐賀県に生まれる。佐賀県立佐賀西高等学校、一橋大学商学部を卒業し、東京大学経済学部に学士入学して卒業。 1974年4月、三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)に入行。その間、中央大学法学部二部法律学科に学士入学して卒業。三菱信託銀行では不動産鑑定業務に携わった。1977年、三菱信託銀行を退職。地元佐賀に帰郷し、佐賀県立伊万里商業高等学校商業科教諭となる。その後、佐賀県立有田工業高等学校英語科教諭、佐賀県立鳥栖高等学校英語科教諭を務め、1986年に高校教諭を退職。
平田 誠一郎(ひらた せいいちろう、1949年8月31日 -… 平田 誠一郎(ひらた せいいちろう、1949年8月31日 - )は、日本の右派、保守系の政治運動家である。山口県出身。防衛大学校卒業。維新政党・新風本部国際部長。アジア文化交流会会長。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
喜多 明人(きた あきと、1949年7月21日 - )は、日… 喜多 明人(きた あきと、1949年7月21日 - )は、日本の教育学者、社会運動家。元早稲田大学教授。 東京都生まれ。1973年早大教育学部卒、1981年同大学院博士課程満期退学、1987年「学校施設の歴史と法制 公教育条件としての学校施設の課題」で早大文学博士。1981年立正大学文学部専任講師、1985年助教授、1994年教授、1996年早大文学部教授、文学学術院教授。2020年定年退職。子どもの権利条約総合研究所代表。情報センター「子どもの権利条約ネットワーク」代表。児童の権利に関する条約を推進、全国不登校新聞社、教育改革市民フォーラムの中心人物である。現在東京シューレ理事長。
水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18… 水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18日 - )は、日本の経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー、政治活動家、日本文化チャンネル桜代表取締役社長。頑張れ日本!全国行動委員会幹事長
小林 節(こばやし せつ、1949年〈昭和24年〉3月27日… 小林 節(こばやし せつ、1949年〈昭和24年〉3月27日 - )は、日本の進歩的文化人・法学者・弁護士、政治活動家、コラムニスト。専門は憲法学。慶應義塾大学名誉教授。日本公法学会・日米法学会・国際憲法学会・比較憲法学会・全国憲法研究会・国際人権法学会等の学会に所属。 東京出身(現在は神奈川県横浜市港北区在住)。新宿区立淀橋第七小学校(現・新宿区立柏木小学校)から新宿区立淀橋中学校(現・新宿区立西新宿中学校)を経て、東京都立新宿高等学校に入学。同校では学年430人中400番以下の成績で、高校2年の時、授業をサボって歌舞伎町を徘徊し、成人映画を観るために映画館に入ったところを婦人警官に補導されたこともある。
村瀬 誠(むらせ まこと、1949年3月22日 - )は、日… 村瀬 誠(むらせ まこと、1949年3月22日 - )は、日本の実業家、環境活動家。元東京都墨田区職員。 雨水利用の普及に努めたことが評価され、ドクター・スカイウォーター(雨水博士)、ドクター雨水と呼ばれる。 大阪市住吉区生まれ。1976年に千葉大学大学院薬学研究科修士課程修了後、墨田区職員となる。本所保健所在職中の1981年10月に台風による大雨のため両国や錦糸町で洪水が発生したことをきっかけに、洪水防止と水資源としての観点から雨水の利用を提案。両国国技館における雨水利用設備の設置に尽力するなど、雨水利用の推進を通じて区政に関わるようになる。1994年8月には、仲間のボランティアや同僚職員らの協力のもと世界初の雨水利用東京国際会議を区のイベントホールで開催し、実行委員会事務局長を務めた。
林田 好文(はやしだ よしふみ、1949年3月2日 - 20… 林田 好文(はやしだ よしふみ、1949年3月2日 - 2009年11月頃)は、日本の右翼系政治活動家。新右翼系の政治団体である維新政党・新風に所属し、各種選挙に立候補するなど積極的に政治活動を行っていた。 熊本県出身。佛教大学大学院文学研究科修士課程を修了後、2001年頃まで京都府で飲食店を経営。2004年頃には他の飲食店で店員として働いていた。また京滋学生剣道連盟で参与を務めた。 政治活動家としては、新右翼系の政治団体である維新政党・新風に所属し、京都府本部幹事長・党本部事務局員・同政策委員・同政策委員長の要職を歴任した。また新風の公認候補として選挙に出馬することも多く、1998年の第18回参院選を皮切りに、翌1999年の京都市議会議員選挙、2001年の第19回参院選、2004年の第20回参院選と4回公職選挙に立候補したが、いずれも落選・供託金没収に終わっている。
村上 一郎(むらかみ いちろう、1949年3月頃 - )は、… 村上 一郎(むらかみ いちろう、1949年3月頃 - )は、日本のテロリスト、右翼活動家。建国義勇軍首謀者、日本人の会会長、日本レジン会長。 秋田県出身。 法政大学卒業後、編み物雑誌出版社に入社してフランス パリに約8年間 駐在したが、1979年3月、結婚を機に退社。 妻の父親が経営する日本レジンの経営に加わり、1985年 社長に就任、翌1986年から会長。しかし多大な債務をかかえ、キャバレーの呼び込みや温泉宿のマネージャーとして働く。日本レジンは元来、歯医者関係の資材の製造・卸し売り業だったが、経営権が村上に移るとナイフ販売が主体となる。これは村上の趣味がナイフ(サバイバルナイフ、カスタムナイフ等)の収集だったので、趣味から商売に移行したようである。
松村 久義(まつむら ひさよし、1949年2月24日 - 2… 松村 久義(まつむら ひさよし、1949年2月24日 - 2008年6月17日)は、日本の実業家、政治活動家。第2代維新政党・新風代表。有限会社東京トラックス代表取締役、超低温流通協同組合代表理事。
奥平 純三(おくだいら じゅんぞう、1949年2月9日 - … 奥平 純三(おくだいら じゅんぞう、1949年2月9日 - )は、日本の指名手配班、テロリスト。日本赤軍最高幹部でテルアビブ空港乱射事件で死亡した奥平剛士は次兄で、自身も日本赤軍に所属した。 山口県下関市で生まれ、1968年京都大学工学部に入学し京大パルチザングループに所属する。1973年卒業後に建設会社に勤務するが、1974年5月に偽造旅券で出国して日本赤軍に参加。1974年9月に和光晴生らと共にハーグ事件に参加し警察官2人に発砲、1975年にクアラルンプール事件に関わった。 1976年にヨルダン入国の際に偽造旅券の容疑で日高敏彦とともに逮捕。日高は警察の取り調べ中に自殺(重信は著書で、遺骨から10センチの針が出てきた。
山田 茂樹(やまだ しげき、1949年<昭和24年> - )… 山田 茂樹(やまだ しげき、1949年<昭和24年> - )は、日本の新左翼活動家。組織名は木元。革労協木元派(赤砦社派、反主流派)の指導者。 1968年(昭和43年)大阪府立大手前高等学校を卒業、1969年(昭和44年)東北大学に入学、1973年(昭和48年)の早稲田解放闘争より東京で活動。 1999年(平成11年)5月、狭間派こと現代社派(主流派とも)から追われる形で木元派(反主流派)を結成。直後の6月に現代社派(主流派)により襲撃される。これにより、山田は瀕死の重傷を負い、一命こそ取り留めたものの、単独での歩行に支障をきたすほどの後遺症を負った。また、この事件がきっかけとなって木元派(反主流派)と現代社派(主流派)との抗争が勃発する。
加藤 能敬(かとう よしたか、1949年 - 1972年1月… 加藤 能敬(かとう よしたか、1949年 - 1972年1月4日)は、日本の革命運動家。連合赤軍メンバー。 愛知県刈谷市出身。東海中学校・高等学校を経て和光大学人文学部入学。京浜安保共闘に参加。 あさま山荘事件で逮捕された加藤兄弟(加藤倫教、その弟)は彼の弟達で、「加藤3兄弟」と呼ばれた。女性メンバーと交際していたのが元で、山岳ベース事件でリンチに遭い、死亡。22歳没。なお、相手は1月1日に殺害されている。 父親は小学校教員であったが、あさま山荘事件直前に引責辞職していた。
正井禮子(まさい れいこ、1949年 - )は、日本の社会… 正井禮子(まさい れいこ、1949年 - )は、日本の社会起業家・活動家。神戸市を拠点として、女性や子どもの支援活動をおこなっている。認定NPO法人女性と子ども支援センターウィメンズネット・こうべ代表理事。 1972年神戸大学教育学部を卒業し、日本航空神戸支店に勤務。1982年日本航空退社。1992年、女性の人権を守り男女平等社会の実現を目標とする団体「ウィメンズネット・こうべ」を設立。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に際して、すぐに被災者支援活動を行い、同年3月「女性のための電話相談」を始め「災害と女性」のHPで情報発信を続ける。 2007年3月20日「女性と子どものセンター ウィメンズネット・こうべ」として、NPO法人格を認定された。
池田 香代子(いけだ かよこ、1948年12月21日 - )… 池田 香代子(いけだ かよこ、1948年12月21日 - )は、日本のドイツ語翻訳家、社会運動家。 東京都杉並区生まれ、東京都杉並区在住。東京都立西高等学校時代は「授業をサボッて映画を観に行くような映画少年映画少女の一人だった。」と語っている。同校卒業後、東京都立大学人文学部ドイツ文学科へ入学。種村季弘に師事し、1971年に卒業。種村からの紹介で大学時代からドイツ文学の翻訳アルバイトを始めた。 その後、30歳を目前に夫池田信雄(当時名古屋大学教養部講師)の旧西ドイツ公費(ドイツ学術交流会等)による留学に三人の息子(当時1、3、5歳)を連れて同行。自身も大学に入学した。この頃、矢川澄子(当時澁澤龍彦の妻で、種村の友人)が紹介した編集者よりグリム童話の翻訳の依頼を受けたのがグリム童話との出会い。
山崎 博昭(やまざき ひろあき、1948年11月12日 - … 山崎 博昭(やまざき ひろあき、1948年11月12日 - 1967年10月8日)は、日本の学生活動家である。第1次羽田事件で死亡した学生として知られる。 高知県生まれ。大阪市立茨田中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1967年京都大学文学部に入学し、同年4月に革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に参加。高校時代は「大手前高校社研(社会研究会)」で活動したほか、中核派系の反戦高協大阪府委員会結成に参加している。デモや集会に度々参加し、砂川闘争にも加わっていた。 1967年10月8日の第1次羽田事件(佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止運動)に参加。羽田空港への突入を図る学生らと機動隊が海老取川に架かる弁天橋で激しい攻防を展開し、機動隊から奪った警備車兼放水車を暴走させるなど学生が激しく機動隊を攻撃する中、警備車が通った後に倒れているのを発見された。
大道寺 あや子 (だいどうじ あやこ、1948年10月20日… 大道寺 あや子 (だいどうじ あやこ、1948年10月20日 - )は、日本の政治活動家、新左翼系武装組織である東アジア反日武装戦線の元メンバー。 ダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置により釈放され日本赤軍に合流、2024年現在国際手配中である。 旧姓・駒沢。北海道釧路市生まれ。北海道釧路湖陵高等学校を卒業。在校中は成績優秀、スピードスケート部での活躍が認められて卒業生総代を務める。星薬科大学に推薦入学し、ワンダーフォーゲル部に所属。自治会活動、学費値上げ反対闘争などに参加した。この頃に高校時代の同級生であった大道寺将司に高校の同窓会で「研究会」にオルグ (勧誘) される。高校在校中にはほとんど接点がなかった二人が、この会をきっかけに交際を始めて同棲するに至る。
涌井 徹(わくい とおる、1948年9月21日 - )は、日… 涌井 徹(わくい とおる、1948年9月21日 - )は、日本の篤農家・実業家・元政治活動家。株式会社ジャパン・パックライス秋田・株式会社大潟村あきたこまち生産者協会代表取締役。 1948年(昭和23年)9月21日、新潟県十日町市吉田の農家に生まれる。1966年、新潟県立十日町高等学校を卒業。1967年、新潟県立農業教育センターを卒業、就農。1970年、21歳のときに家族とともに秋田県大潟村に入植。1987年、大潟村あきたこまち生産者協会を設立。2013年(平成25年)11月11日に、東日本コメ産業生産者連合会を設立する。2014年(平成26年)11月17日、コメネピュレが「フード・アクション・ニッポン・アワード2014」最優秀賞を受賞。
佐々木 規夫(ささき のりお、1948年8月27日 - )は… 佐々木 規夫(ささき のりお、1948年8月27日 - )は、日本の政治活動家、元東アジア反日武装戦線「狼」部隊メンバー、元日本赤軍メンバー。北海道小樽市出身。 小樽市の呉服行商人の子として生まれる。北海道小樽潮陵高等学校卒業。大学入試に失敗後、家業を手伝ったあと上京、兄が参加していた第三世界革命の文献を紹介する「レボルト社」に関わるようになる。その兄の証言では、1967年頃に齋藤和と知り合う。齋藤の大学の友人で日本朝鮮研究所の研究生竹田賢一と「朝鮮革命研究会」を結成し、1960年代後半から度々韓国に渡航し、日本の朝鮮侵略と抵抗運動史を学ぶ。 1972年、斎藤と共にアイヌモシリを巡り、日本のアイヌ侵略史を学ぶ。
小賀 正義(こが まさよし、1948年〈昭和23年〉7月31… 小賀 正義(こが まさよし、1948年〈昭和23年〉7月31日 - )は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫が結成した「楯の会」の2期生で第5班班長。三島、森田必勝と共に、憲法改正のための自衛隊の決起(クーデター)を呼びかける三島事件に参加した一員である 1948年(昭和23年)7月31日、和歌山県有田市千田1279番地に誕生。会社員であった父は1953年(昭和28年)、正義が5歳の時に亡くなり、母・竹子はみかん園を営みながら、正義とその1歳下の妹・令子を育てた(令子は成長すると母と共にみかん園を経営)。母親が宗教法人「生長の家」に所属していた関係で、正義は中学1年頃から「生長の家」の練成会などに参加するようになった。
宮地 昭範(みやじ あきのり、1948年(昭和23年)7月2… 宮地 昭範(みやじ あきのり、1948年(昭和23年)7月28日 - )は、日本の政治家、労働運動家。元岡山県津山市長(2期)。 岡山県久米郡柵原町(現・美咲町)出身。高校では野球部に在籍し、2年生の時には投手で、県大会で優勝した経験を持つ。1967年(昭和42年)3月、岡山県立津山商業高等学校卒業。同年5月、津山市役所に採用される。1984年(昭和59年)から市職員労働組合副委員長、1992年(平成4年)から全日本自治団体労働組合県本部副委員長をそれぞれ2年間務めるなど「組合の闘士」として鳴らした。 2005年(平成17年)4月、環境生活部次長に就任。2009年(平成21年)3月、津山市役所を退職。
加藤 三郎(かとう さぶろう、1948年7月25日 - )は… 加藤 三郎(かとう さぶろう、1948年7月25日 - )は、岐阜県出身の日本の新左翼の元活動家。東アジア反日武装戦線などの影響を受け1970年代に闘争を実行。インドの神秘家のOsho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)に弟子入りし「スワミ・プレム・デバム」となった。 岐阜県立加茂高校3年生の時、小田実のベ平連参加を呼びかけに触れ、「名古屋ベ平連」に参加。高卒後は、アルバイトをする中で、多くの在日韓国・朝鮮人と知り合い、日本の民族問題に関心を持った。1969年より美濃加茂市を拠点に4月「みのかもベ平連」。ヴィルヘルム・ライヒの影響を受け、コミューン志向を強めた。 1970年頃から、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』や太田龍の著書を読んで、「日本帝国主義の悪行」を知り、反日主義思想を培った。
田中 義三(たなか よしみ、1948年7月23日 - 200… 田中 義三(たなか よしみ、1948年7月23日 - 2007年1月1日)は日本の新左翼の活動家でよど号グループのテロリスト。青森県三沢市出身。 7歳の頃に母親の出身地である熊本県に移住。熊本県立済々黌高等学校を卒業後、明治大学(夜間学部・政経学部Ⅱ部)に入学。1960年代末の学生運動に参加し、社会主義学生同盟に加盟。1969年において赤軍派に属し、東京戦争で警視庁本富士警察署火炎瓶投擲事件に関与。 1970年に8人の仲間とともによど号ハイジャック事件を起こす。よど号犯の中では最初に操縦室に入って機長に日本刀(後に模造品と判明)を突き付けている。4月3日に山村新治郎運輸政務次官との人質交換において、犯人代表として一時的に韓国の金浦国際空港に降りている。
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月… 田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月22日 - )は、日本の航空自衛官、軍事評論家、政治活動家。第38代航空総隊司令官、第29代航空幕僚長。最終階級は空将(空軍中将相当)。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長。 防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊し、2007年3月に航空幕僚長に就任。2008年10月31日に政府の歴史認識と異なるアパグループ主催の懸賞論文を公表し、航空幕僚長を更迭された。論文では、日本は第二次世界大戦に蒋介石とルーズベルトの策略によって巻き込まれたと主張した。また、日本の戦時中の行動は「西洋の植民地主義からアジアを解放する」ための努力であったと論じた。
金子 哲夫(かねこ てつお、旧姓:松浦(まつうら)、1948… 金子 哲夫(かねこ てつお、旧姓:松浦(まつうら)、1948年(昭和23年)7月18日 - )は、日本の政治家、労働運動家、市民活動家。全国電気通信労働組合役員、原水爆禁止広島県協議会代表委員、衆議院議員(1期)、社会民主党広島県連代表を務めた。退任後は原水禁共同議長に就任している。 2001年12月7日に、当時の社民党副党首である渕上貞雄参議院議員や朝鮮総連副議長らとともに警視庁を訪問し、「朝鮮総聯中央本部に対する強制捜査は不当な政治弾圧」という決議文を伝達した。警察庁の幹部は、朝鮮総連幹部に国会議員が同行したことに「経済事件でバッジ(国会議員)が来るとは何事だ」と激怒し、警察庁は抗議文を内容証明付きで送り返した。
鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、日… 鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、日本の医師、作家、社会運動家。地域医療従事者。 諏訪中央病院名誉院長、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)理事長、日本・イラク・メディカルネット(JIM-NET)代表、東京医科歯科大学臨床教授、東海大学医学部客員教授、岐阜経済大学客員教授。北九州市アドバイザー。ピースボート水先案内人。 東京都杉並区出身。1歳10ヶ月で養子に出され、青森県から上京し個人タクシー業を営む養父と病弱な養母に引き取られる。ただし30歳を過ぎてパスポートを取得するまで養子であることは鎌田本人には伏せられていた。 子供の頃から読書家で『どくとるマンボウ航海記』を読んで、船医になって世界中を旅することに憧れていた。
柳瀬 房子(やなせ ふさこ、1948年6月15日 - )は、… 柳瀬 房子(やなせ ふさこ、1948年6月15日 - )は、日本の作家、反地雷活動家。 東京都生まれ。フェリス女学院短期大学卒。特定非営利活動法人「難民を助ける会(AAR Japan)」理事長(2000年-2008年6月)、同会会長(2009年7月~)。地雷撤去キャンペーン絵本「地雷ではなく花をください」により日本絵本賞読者賞受賞。1996年多年にわたる国際協力活動により、外務大臣表彰を受ける。2002-2004年法務省出入国管理政策懇談会難民問題に関する専門部会委員。 2021年4月21日に衆議院法務委員会で「難民を助ける会」からの参考人として、「参与員制度が始まったのは2005年からですので、私は既に17年間、参与員の任にあります。