三田 昌宏(みた まさひろ、1949年11月13日 - )は… 三田 昌宏(みた まさひろ、1949年11月13日 - )は、日本の実業家、馬主。参天製薬元常務取締役、現顧問。有限会社三成社代表取締役。兵庫県出身。 参天製薬株式会社社長を務めた三田彰久の長男として生まれる。東京慈恵会医科大学を卒業し、1980年4月に参天製薬に入社、1983年7月に同社取締役、1995年6月より常務取締役を務め、2011年6月22日をもって退任後は顧問となった。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は青、水色ダイヤモンド、水色袖青三本輪、冠名は特に用いない。
渡邊 隆(わたなべ たかし、1949年11月10日 - )は… 渡邊 隆(わたなべ たかし、1949年11月10日 - )は、日本の実業家、馬主。 物流業・運輸業を手がける東江グループの代表であるほか、エルコンドルパサーなどの競走馬の馬主としても知られた。 物流・運輸業を営む東江グループの代表取締役社長を務める。東江運輸の創業者である渡邊喜八郎の息子であり、慶應義塾大学卒業後に同社に入社、後に経営の後を継いだ。 政治家の中川昭一とは、互いの娘が同級生という縁から私的に親交があった。中川が小渕内閣で農水相を務めていた当時の1998年8月、所有するオフサイドトラップが「農林水産大臣賞典」の新潟記念を勝った際にその旨を中川に伝えたところ、「僕はジャパンカップの表彰式に行くことになってる」と聞かされ、これが同競走へエルコンドルパサーが出走する選択理由のひとつになったという。
渡辺 修一(わたなべ しゅういち、1949年9月28日 - … 渡辺 修一(わたなべ しゅういち、1949年9月28日 - )は、山形県上山市出身の元騎手(中央→上山)・元調教師(上山)。 上山競馬場の裏に実家があり、当時は競馬場には馬房がなく、民間の軒先を貸りて代用していたため、渡辺家でも競走馬を預かっていた。子供の頃から馬に接する機会はあったほか、東京・佐藤林次郎調教師と父が知り合いという競馬に縁のある環境でもあった。 馬事公苑に入学したての頃は勝負服や靴を着けても35kg程度で軽すぎると言われたが、その内に体重が増えてしまい、後には減量では随分と苦労をした。 1968年3月に東京・八木沢勝美厩舎からデビューし、同2日の中山第4競走4歳未勝利・キングオールトン(10頭中9着)で初騎乗を果たすと、20日の中山第12競走5歳以上160万下未勝利・メジロフブキで初勝利を挙げる。
草間 庸文(くさま つねふみ、1949年9月26日 - )は… 草間 庸文(くさま つねふみ、1949年9月26日 - )は、日本の実業家、馬主。東京都渋谷区に本社を置く、不動産担保ローンを手がける株式会社アサックスの代表取締役会長を務める。新潟県出身。 1949年、新潟県出身。明治大学法学部を卒業し、1973年に安田生命保険相互会社に入社。1974年にはアサックス取締役となり、1994年に代表取締役社長に就任。2020年より代表取締役会長となった。2005年まで株式会社山和住宅代表取締役を務めていた。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は所属していた明治大学のラグビー部のユニフォームに由来する紫、白三本輪、袖白一本輪で、冠名は特に用いない。
山中 利夫(やまなか としお、1949年7月11日 - )は… 山中 利夫(やまなか としお、1949年7月11日 - )は、大阪府岸和田市出身 の元騎手(地方・春木→大井→名古屋→紀三井寺→金沢所属)。 地方で60歳を過ぎても現役を続け、2012年に日本国内の最年長騎乗記録及び勝利記録(共に当時)を更新した後に引退した。 生家の近くに春木競馬場があり、父は同場の馬主で、近所の親戚にも馬主が何人かいた。18歳離れた兄は大阪競馬場の騎手で、小学生の頃には、母に連れられて大阪に兄の応援にも行った。 1959年に大阪競馬場が廃止になると、兄は春木に移って調教師となり、中学生になった山中は、休日には兄の厩舎に行って攻め馬などを手伝うようになる。 当然騎手にも憧れたが、体重が重かったため中学卒業後はワイヤーロープを扱う大会社に就職。
外ノ池 信平(とのいけ しんぺい、1949年7月8日 - )… 外ノ池 信平(とのいけ しんぺい、1949年7月8日 - )は、長野県岡谷市出身のスポーツ指導者である。娘である外ノ池亜希との父子鷹でオリンピックに挑んだ事で知られる。 スケート選手歴はなく、元々はバレーボール選手であり、岡谷工でインターハイ出場、社会人も含めて国体に6回出場した経歴を持つ。 引退後はスポーツ用品店経営の傍らミニバレーボールや少年野球の監督も務めた。 亜希が4歳の頃からスケートの指導を始め、東海大三高→アルピコでも監督として指導に当たった。さらに「たでしなクラブ」では安田直樹らの指導にも当たった。 亜希のスケート引退後も東海大三高などで指導を続けている。
山内 研二(やまうち けんじ、1949年6月30日 - )は… 山内 研二(やまうち けんじ、1949年6月30日 - )は、宮崎県出身の元騎手・元調教師。 大阪工業大学短期大学部卒業後の1970年に騎手候補生となった異色の経歴を持ち、太宰義人らと共に珍しい大卒騎手であった。 短期騎手講習課程の1972年度第3期生として講習を受け、1974年に東京・松山吉三郎厩舎からデビュー。騎手免許を取得した時点で既に24歳であり、見習騎手の期間は同年12月22日までの僅かな期間であった。3月10日の中山第9競走5歳以上700万下・メジロマツカゼ(10頭中5着)で初騎乗を果たし、6月23日の中山第2競走4歳未勝利・サンロイヤルで初勝利を挙げる。1年目の同年は3勝をマーク。
嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東… 嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東京都出身(北海道三石郡三石町 (現・日高郡新ひだか町)生まれ)の元騎手・元調教師。 同じく元騎手・元調教師の嶋田功は実兄。元騎手で現調教助手の嶋田高宏は長男。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であり、男3人女7人の10人兄弟であった。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、嶋田が育った時には馬だけではなく牛や羊も飼っていたが、長男の克昭の代からサラブレッドの生産牧場となった。 1966年に東京・藤本冨良厩舎に騎手候補生として入門し、1970年に同厩舎からデビューすると、兄・功の登録名が戸籍通りに「嶋田」となっている。
星野 信幸(ほしの のぶゆき、1949年3月11日 - )は… 星野 信幸(ほしの のぶゆき、1949年3月11日 - )は、東京都小金井市出身の元騎手・元調教助手。 馬事公苑花の15期生の一人であり、柴田政人・岡部幸雄・福永洋一・伊藤正徳と同期である 。 1968年3月2日に東京・橋本輝雄厩舎からデビューし、中山第9競走5歳以上120万下・スパートターフ(10頭中3着)で初騎乗を果たす。同レースを勝利したのは同期の岡部が騎乗するタリヤーフオンテンで、2着ニユダイトの鞍上は14期生ながらデビュー年が同じになった池上昌弘であった。 4月7日の中山第6競走5歳以上70万下ではダイサチに騎乗し、増沢末夫や兄弟子の丸目敏栄を抑えて初勝利を挙げる 。5月12日の中山で自身初の1日2勝を挙げると 、6月には作家の吉屋信子が所有するリツシユンで東京障害特別(春)を制し、デビュー3ヶ月での重賞初制覇を達成。
河合 純二(かわい じゅんじ、1948年12月4日 - )は… 河合 純二(かわい じゅんじ、1948年12月4日 - )は、日本の実業家、馬主。 埼玉県草加市に本社を置く、不動産業・総合建設業を手がけるリベレステ株式会社の元代表取締役社長。 1948年、千葉県出身。父が3歳の頃に交通事故のために亡くなったため、小学生時代から新聞配達などをして家計を支えるという生活を送る。中学卒業後は建設現場でのアルバイトを経て、高校を中退し型枠大工職人の道へ進んだ。1970年9月に独立し「河合組」を創業、その後1979年6月に「有限会社河合工務店」を越谷市に設立した。1983年に河合工務店を株式会社に組織変更したのち、1999年10月には社名を現在の「リベレステ」に改めた。
伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2… 伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2020年8月20日)は、兵庫県宝塚市出身(北海道静内郡静内町生まれ)の元調教師・騎手。 それぞれ騎手・調教師を務めた伊藤正四郎は父、伊藤雄二は義兄。 太平洋戦争後の混乱期に両親は離れて暮らしており、父・正四郎は阪神で調教師として活動し、母は静内で美容室を営んでいた。正徳は母元で育っていたが、小学校卒業直前に正四郎が結核に倒れ、見舞いに駆けつけた病床で正四郎から「騎手にならんか」と誘われる。この段階で乗馬経験がなかったため、1度は首を横に振ったが、正四郎はそれで納得する父ではなかった。基礎から教えるという条件をのんで騎手になる事を決意したが、実際に正四郎が教えてくれる事はなく、それからすぐに意識不明になって間もなく死去。
吉永 良人(よしなが よしと、1948年9月4日 - )は、… 吉永 良人(よしなが よしと、1948年9月4日 - )は、鹿児島県肝属郡串良町(現・鹿屋市)出身の元騎手・元調教助手。 7歳上の実兄(次男)は元騎手・元調教助手・元調教師の吉永正人。正人の実子である吉永護は甥。 馬生産を営む吉永牧場の四男として生まれる。同場は良人の曾祖父で、薩摩藩の馬術指南役を務めていた吉永新九郎が1890年代後半に興した一帯で最古の馬生産牧場であり、祖父・栄蔵は九州で最初の開業獣医師とされる。家系は平家の臣であった藤原金益という公卿に遡ると伝えられるが、系図は西南戦争の際に焼失したという。長兄の清人は家業を継ぐために高校へ進学したが、良人は7歳上の兄・正人に刺激されて騎手を志す。
山田 太郎(やまだ たろう、1948年8月24日 - )は、… 山田 太郎(やまだ たろう、1948年8月24日 - )は、東京都台東区出身の歌手、俳優、馬主、実業家。本名は、西川 賢(にしかわ けん)。芸能プロダクション「新栄プロダクション」代表取締役社長、日本馬主協会連合会会長、中山馬主協会会長、ウエスタンファームオーナー。妻は元歌手の紅屋おかめ。父は新栄プロ会長及び有限会社北西牧場(現:ウエスタンファーム)の創業者である西川幸男。異母弟はプロゴルファーの西川哲。 本名の西川賢名義で日本中央競馬会(JRA)の馬主資格を所有。冠名は「ウエスタン - 」、勝負服の柄は黄。北海道日高郡新ひだか町に生産牧場ウエスタンファーム(旧有限会社北西牧場、2009年名称変更)を持ち、所有馬のほとんどを自家生産するオーナーブリーダーでもある。
伊東 純一(いとう じゅんいち、1948年8月21日 - )… 伊東 純一(いとう じゅんいち、1948年8月21日 - )は、日本の実業家、馬主。 福島県福島市に本社を置く、通信装置の製造などを手がける月電工業株式会社の代表取締役会長兼社長を務める。 1948年生まれ。生まれは小浜町の酒屋であったが、見込まれて月電工業株式会社に入社した。マラリアに感染したというフィリピンなどへの海外出張を重ね、同社常務取締役を経て、同社社長に就任。その後は同社代表取締役会長を務める。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は白、青襷、赤袖青一本輪。「グラス」の冠名を用いている、月電工業株式会社の関連会社である半沢有限会社とは異なり、伊東名義では冠名は使用していない。
小川 敏夫(おがわ としお、1948年3月18日 ‐ )は、… 小川 敏夫(おがわ としお、1948年3月18日 ‐ )は、日本の政治家、弁護士、裁判官、検察官、馬主。立憲民主党所属。 参議院議員(4期)、法務大臣(第88代)、法務副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣)、裁判官弾劾裁判所裁判長、民進党参議院幹事長、民進党参議院議員会長、民主党参議院幹事長・参議院政策審議会長、参議院副議長(第32代)、参議院外交防衛委員長、農林水産委員長、内閣委員長、決算委員長等を務めた。元妻は女優の市毛良枝。 東京都練馬区生まれ。立教高等学校、立教大学法学部(民法:四宮和夫ゼミ、商法:田村諄之輔ゼミ)卒業。立教高校の同級生に永倉万治、同期生に西岸良平、本田明彦、宇野治、細野晴臣がいる。
高松 邦男(たかまつ くにお、1948年2月26日 - 20… 高松 邦男(たかまつ くにお、1948年2月26日 - 2021年6月4日)は、千葉県市川市出身の元調教助手・元調教師。 高松は長男で、男一人であったため、両親に大事 に育てられた。父・三太は元騎手であり、テレビで晩年の騎乗は見ていた。スターロッチの優駿牝馬、ヒロキミの菊花賞などで、スターロッチとホマレボシで連覇した有馬記念などは家から近かった中山で直接観戦。市川市立若宮小学校では、6年生を卒業する時になっても三太より背が低かった。市川中学校を卒える時にも身長は150cm台で、東京・世田谷の馬事公苑騎手養成所を目指そうと考えた。三太は「いや、きっと、お前の手足を見れば、これから伸びる」と言ったため、高松は伸びなかったら「高1の三学期で中退」すればいいと思い、1963年に市川高校へ進んだ。
目野 哲也(めの てつや、1948年2月14日 - )は、福… 目野 哲也(めの てつや、1948年2月14日 - )は、福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)出身の元騎手・元調教師。 飲食業を営む一家の次男として生まれ、後に養子に出て藤岡姓となる兄・藤岡範士は太平洋戦争中に戦死した母の先夫の子であり、哲也は異父弟に当たる。中学卒業後に京都・久保道雄厩舎で騎手候補生となった範士にならい、哲也も中学3年時に中央競馬騎手養成長期課程を受験。合格後、長期課程第14期生として馬事公苑に入所した。同期生には小島太、田島良保、安田富男、池上昌弘、平井雄二らがいる。騎手課程修了後は、範士の紹介で京都・鈴木和雄厩舎の所属騎手となった。 1966年3月6日、2回中京6日第7競走でデビュー。
田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )… 田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・元調教師。騎手時代は数々の名騎乗を残し、「必殺仕事人」と称された。川島信二は娘婿にあたる。 生家の近所には牧場があり、幼少期から馬に親しんで育った。 中学卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に第14期生として入所したが、やんちゃな性格で生意気な生徒であった。同期には小島太、安田富男、平井雄二、池上昌弘などがいる。2年次の厩舎研修の際には、小島と共に勧誘を受けていた東京・高木良三厩舎に入ったが、その後は京都・谷八郎厩舎所属に決まった。谷は勝ち気な性格であった田島の良き理解者となり、少々の批判に耳も貸さず乗せ続けた。
安田 富男(やすだ とみお、1947年10月7日 - )は、… 安田 富男(やすだ とみお、1947年10月7日 - )は、千葉県船橋市出身の騎手、競馬評論家。 オッズの低い騎乗馬でしばしば好走を見せ、「穴男」、「泥棒ジョッキー」などと称された。史上初めてJRA全10場において重賞を勝利した記録も持つ。 安田は男3人、女1人の四人兄妹の次男として生まれ、父・保男は香具師やブリキ職人、子供が生まれる頃にはアルミ職人など手作業をして生計を立てていた。保男は天理教に帰依していたが、母・梅世は創価学会に入信しており、四人の子が物心つく前から祈る事の大事さを教えた。競馬とは無縁の一般家庭であったが、保男が無類の馬券好きで身上を潰したため、安田は小さい頃から競馬がどんなものか知ろうとも思わなかった。
川島 正行(かわしま まさゆき、1947年9月27日 - 2… 川島 正行(かわしま まさゆき、1947年9月27日 - 2014年9月7日)は、船橋競馬場所属の調教師・元騎手。千葉県調教師会会長。 南関東公営競馬の調教師リーディングの常連としてその名を知られた。長男の川島正一も船橋競馬場の調教師、四男の川島正太郎は騎手、五男の川島光司は厩務員である。 千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身。実家が農家であったことから子供のころから農耕馬が身近におり、祭りの際には実際に乗るなど親しんでいた。近所の知人の紹介で、中学校卒業後に船橋競馬場の林正夫厩舎に入門。1964年10月に初騎乗すると、同年12月20日に初勝利を挙げた。船橋競馬場のリーディングジョッキーも一度獲得している。
吉原 毎文(よしはら つねぶみ、1947年5月15日 - )… 吉原 毎文(よしはら つねぶみ、1947年5月15日 - )は、日本の実業家、馬主。 東京証券取引所第1部上場企業である東京鐵鋼株式会社の代表取締役会長を務める。 1973年5月、父の創業した東京鐵鋼に入社。1988年6月に同社の代表取締役副社長に就任したのち1992年6月より2024年まで代表取締役社長。同年6月より代表取締役会長となった。 ラッキールーラなどの馬主として知られた父・貞敏と同じく、日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は黄、青一本輪、青袖で、冠名には「エア」を用いるが、いずれも父から受け継いだものである。名義は1997年より法人の「株式会社ラッキーフィールド」であるが、会社名は自身の姓(吉=Lucky、原=Field)に由来する。
楠 孝志(くすのき たかし、1947年2月25日 - )は、… 楠 孝志(くすのき たかし、1947年2月25日 - )は、北海道沙流郡平取町出身の元騎手・調教助手。 1969年3月に騎手免許を取得し、同期の須貝四郎と共に阪神・橋田俊三厩舎からデビュー。須貝以外では田村正光・上野(伊藤)清章・内田国夫・中島敏文・西浦勝一と同期になり、須貝の兄である須貝彦三の弟弟子となる。 1年目の1969年は同1日の中京第1競走4歳未勝利・マツヤイチ(17頭中11着)で初騎乗を果たし、23日の阪神第7競走障害5歳以上オープン・ミスコマツで初勝利を挙げた。4月5日の阪神では平地初勝利と初の1日2勝、翌6日も勝って初の2日連続勝利を記録し、5月18日の阪急杯・サチタロー(12頭中12着)で重賞初騎乗も果たす。
廣崎 利洋(ひろさき としひろ、1947年2月4日 - )は… 廣崎 利洋(ひろさき としひろ、1947年2月4日 - )は、日本の実業家、馬主。 甲南大学を卒業後、イタリアへ渡りオリベッティの日本法人に入社。帰国後、1973年に25歳の若さでコンサルティング会社のASK PLANNING CENTERを西宮市に創業した。その後3年間のうちに東京都まで進出し、ビブレ、天王洲アイル(シーフォートスクエア)、広島のアルパーク、小倉のコレット、銀座シャネル、大江戸温泉物語などの都市開発に関与。ファッションビルというコンセプトを生み出したとされている。 その後はASK GROUP HOLDINGSの代表取締役となり、ASKグループなど数社の企業を国内で主宰している。
松岡 隆雄(まつおか たかお、1947年 - )は、日本の実… 松岡 隆雄(まつおか たかお、1947年 - )は、日本の実業家、馬主。 水産物の加工・販売等を手掛ける株式会社松岡代表取締役、養殖事業を手掛けるサンライズファーム株式会社などの代表を務める。 福岡県出身。青山学院大学卒業後、父の重雄が創業した株式会社松岡に入社し、営業として勤めたのち1977年に取締役、1985年より専務に就任すると、高齢や健康上の理由により一線を退いた社長の父に代わって経営を指揮するようになった。1996年、重雄の死去に伴い社長に就任し、現在まで在任。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は紫、白星散、白袖紫星散、冠名は主に牡馬には馬名の前方、牝馬には名前の後方に「サンライズ」を用いるが、冠名のない活躍馬もいる。
湯浅 景元(ゆあさ かげもと 1947年 - )は、愛知県出… 湯浅 景元(ゆあさ かげもと 1947年 - )は、愛知県出身のスポーツ指導者、中京大学名誉教授。 愛知県名古屋市出身。中京大学体育学部卒、東京教育大学大学院体育学研究科修士課程修了。1984年、論文にて医学博士学位取得(東京医科大学 乙第788号)。元中京大学体育学部教授。
飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 20… 飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 2017年9月15日)は、愛知県出身の元騎手・元調教師。息子は元騎手・現調教師の飯田祐史、孫はタレントの足立梨花。東邦高等学校卒[要出典]。 1965年に中京・小林稔厩舎に騎手候補生として入門し、1969年に同厩舎からデビュー。 1年目の1969年には3月1日の中京第2競走4歳未勝利・タカレットで初騎乗を果たすも2着で初勝利はならず、同馬に騎乗した同16日の中京第1競走4歳未勝利で初勝利を挙げる。夏は北海道シリーズで4勝を挙げるなど、京阪杯ではシュンサクオーでミスマルミチ・フイニイに先着する3着に入り、1年目から2桁勝利の10勝をマーク。 2年目の1970年には5月2日の阪神で初の1日2勝、9月12日・13日の阪神では初の2日連続勝利、中京記念では10頭中10番人気のゼットアローでスピーデーワンダーに勝利して枠連2万馬券の波乱で重賞初勝利を記録。
佐橋 五十雄(さはし いそお、1946年12月2日 - )は… 佐橋 五十雄(さはし いそお、1946年12月2日 - )は、日本の実業家、馬主。ぬいぐるみの卸売などを手がける株式会社アバンティーなどの代表取締役社長を務めたほか、オグリキャップの2代目馬主として知られた。愛知県名古屋市出身。 1946年、愛知県出身。東邦高等学校卒業後、東京都で親族の営む装飾品店に勤め、航空会社に転職したのち1972年に名古屋市中川区にて事業を興す。1976年10月に株式会社武蔵野を設立し社長に就任、1979年11月には同社名を株式会社ジャルダン武蔵野に改める。その後一度社長を辞任するが1985年5月に同社を継承しミックスジャム株式会社を設立、10月には株式会社アバンティーファイブ(88年5月より株式会社アバンティー)を設立した。
田中 由子(たなか よしこ、1946年10月3日 - )は、… 田中 由子(たなか よしこ、1946年10月3日 - )は、日本の実業家、馬主。株式会社メガネスーパー創業者である田中八郎の妻で、代表取締役社長を務めた。埼玉県出身。 1946年、埼玉県出身。埼玉県立大宮高等学校卒業。1979年に有限会社セントラル商事、有限会社三栄商事の取締役、1980年に株式会社セントラル商事取締役に就任。1987年5月、旧株式会社メガネスーパー常務取締役、1994年5月には同社代表取締役社長に就任。2000年1月にセントラル商事が旧メガネスーパーおよび三栄商事を吸収合併し株式会社メガネスーパーに商号変更、田中は同社代表取締役社長に就任。2009年7月24日を以て代表取締役社長を退き取締役となったが、翌2010年7月23日付で取締役からも退任した。
中西 浩一(なかにし こういち、1946年9月15日 - )… 中西 浩一(なかにし こういち、1946年9月15日 - )は、日本の実業家、馬主。 紳士服や婦人服の製造・販売を手掛ける株式会社オンリーの創業者で、現在は同社の相談役を務める。 1946年、京都府出身。京都府立鴨沂高等学校を卒業後、1965年に紳士服渡辺に入社。その後1970年に独立し紳士服中西を開業、1976年には株式会社オンリーを設立し代表取締役社長となる。2014年より同社取締役会長、2019年より同社代表取締役会長、2020年より同社取締役相談役、2023年より同社相談役。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は緑、紫縦縞、紫袖で、冠名には「テーラー」を用いる。
蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )… 蛭川 正文(ひるかわ まさふみ、1946年4月14日 - )は、日本の実業家、政治家、馬主。 三重県桑名市に本社を置く、建設資材の総合商社であるヒルカワ金属株式会社の代表取締役会長を務める。 1946年、三重県出身。三重県立桑名高等学校の定時制を卒業後に就職し、1984年7月7日に37歳で独立して現在の会社を設立した。 2006年に行われた桑名市議会議員選挙では1,727票を獲得し当選。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黄、紫二本輪、緑袖、冠名には「ヒルノ」を用いるが、かつては「ビック」を用いた。現在は「株式会社ヒルノ」の法人名義として馬主登録をしている。
竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年1月25日 - )… 竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年1月25日 - )は、日本の実業家、馬主。 建築物の耐震補強材を開発・製造するテイエム技研株式会社の創業者。また、「テイエム」の冠名で競走馬を所有する馬主としても知られ、鹿児島県と北海道でテイエム牧場も経営するオーナーブリーダーである。名前は正継とも表記される。 1946年生まれ。鹿児島県肝属郡垂水町(現・垂水市)出身。 高校卒業後に東京へ移った後、1979年に自身が開発した建築補強材の特許を取得し、単身でテイエム技研株式会社を設立。翌年に「ウェブレン」を代表とする特許製品を売り出し、急速に売上げを伸ばした。これ以前から発明家として活動しており、水陸両用車を製作したときに「町の発明家」としてテレビ取材を受けた経験もある。
早田 光一郎(はやた こういちろう、1946年 - )は日本… 早田 光一郎(はやた こういちろう、1946年 - )は日本の競走馬生産者。有限会社早田牧場元代表。1990年代に活躍し、「日高の風雲児」との異名をとった。 福島県生まれ。北里大学獣医学科卒業後カナダトロントへ渡り、ナッシュビル・スタッドで競走馬生産の修行を積んだ。日本へ帰国後資生園早田牧場の社長に就任。カナダで購入した牝馬モミジ(Momigi。マーベラスサンデーの祖母)が現地で競走馬として成功し、同馬が稼いだ賞金を元手に1978年1月、北海道に牧場(資生園早田牧場新冠支場)を開設。 日本国外から輸入したリヴリアやブライアンズタイムなどが種牡馬として優れた成績を収め、さらにイギリスで購入した繁殖牝馬パシフィカスを用いてビワハヤヒデ・ナリタブライアンの兄弟を生産するなど数々の成功を収め、祖父の傳之助から受け継いだ資生園早田牧場の事業を急速に拡大させた。
嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020… 嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020年10月19日)は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。騎手時代はオークス通算5勝など牝馬限定競走で顕著な実績を残し、「牝馬の嶋田」「オークス男」等と称された。元騎手・元調教師の嶋田潤は実弟、元騎手の嶋田高宏は甥。 騎手の嶋田純次との血縁関係はない。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であった。嶋田は男3人女7人の10人兄弟で、上から5番目の三男として産まれる。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、3歳から馬に跨がっており、揺りかご代わりにした馬の背で寝ていて泥田に落ちたこともあった。
大迫 忍(おおさこ しのぶ、1945年8月13日 - 200… 大迫 忍(おおさこ しのぶ、1945年8月13日 - 2005年6月18日)は、日本の実業家、馬主。 中国・北京市生まれ、大分県宇佐市出身。1968年に中央大学文学部を卒業、すぐに父・大迫正冨が創業した善隣出版社(のちの株式会社ゼンリン)に入社。父が1980年に在職のまま亡くなり、同年に後を継いで代表取締役社長に就任。実地調査を元に地図情報のデータベース化を推し進め、電子地図やカーナビゲーションなど時代を先取りした事業展開を行い住宅地図業界で売り上げ日本一を達成し、カーナビゲーションソフト業界の大手にも育てて国外進出も果たした。1994年に福証、次いで1996年に東証・大証の各2部に株式上場を果たした。
太宰 義人(だざい よしひと、1945年6月29日 - 20… 太宰 義人(だざい よしひと、1945年6月29日 - 2007年3月19日)は、宮城県出身の元騎手・元調教師。 騎手の太宰啓介は次男。 麻布獣医大学卒業後の1972年、栗東・中村好夫厩舎からデビュー。中央競馬史上数人の大卒騎手の一人であり、太宰は史上初で話題となる。他に大卒で騎手経験を持つ者には、大久保正陽(立命館大学卒)、山内研二(大阪工業大学卒)、橋口弘次郎(九州産業大学卒)、川合達彦(立命館大卒)がいる。 3月4日の阪神第10競走5歳以上300万下・トクミドリ(9頭中7着)で初騎乗を果たし、6月10日の函館第1競走3歳新馬・タカヨシタイホウで初勝利を挙げる。同馬では2連勝で函館3歳ステークスも制し、デビュー4ヶ月での重賞制覇を達成。
堀 紘一(ほり こういち、1945年4月11日 - )は、兵… 堀 紘一(ほり こういち、1945年4月11日 - )は、兵庫県出身の日本の経営コンサルタント、馬主。ドリームインキュベータ(DI)代表取締役会長。父親は駐イタリア大使、プロ野球パ・リーグ会長などを務めた堀新助。
笹倉 武久(ささくら たけひさ、1945年3月28日 - 2… 笹倉 武久(ささくら たけひさ、1945年3月28日 - 2021年9月22日)は、千葉県船橋市出身(東京都府中市生まれ)の元騎手・元調教助手・元調教師。 父は厩舎の厩務員で、小学校時代からの1つ後輩に西塚十勝の実子である安夫がいた。中学校も一緒で同じ柔道部であり、笹倉は最初は騎手になる気などなかった。大きくなりたい一心で柔道を始めたが、結局柔道をやっても背が伸びなかったため、騎手を志す。それまでは乗馬苑の馬を引っ張り出して隠れて乗ったりはしていたが、あくまでも自己流であったため、教わりながら馬に乗ったことはなかった。そこから「お金を稼げる」という意識もあり、馬事公苑騎手養成長期課程に入った。同期には高橋隆、清水出美、簗田善則、久保敏文、領家政蔵、鹿戸明、久保田秀次郎、大崎昭一、安田伊佐夫などがいた。
金子 真人(かねこ まこと、1945年3月15日 - )は、… 金子 真人(かねこ まこと、1945年3月15日 - )は、日本の実業家、馬主。株式会社図研の代表取締役会長、ハワイの会員制ゴルフ場「キングカメハメハ・ゴルフ・クラブ」のオーナーなどを務める。 機械メーカー勤務を経て、1976年に電子機器設計・製造関連ソフトウェア開発を主とする図形処理技術研究所(後の図研)を創業。一介のベンチャー企業から1994年には東証一部上場を果たし、CAD/CAMシステムを手がける企業として国内最大手の存在に成長させた。 競走馬の馬主としては、中央競馬で2005年に1984年のシンボリルドルフ以来となる無敗の三冠馬となり、最終的にGI7勝を挙げて殿堂入りしたディープインパクトなど数々の活躍馬を所有。
森 保彦(もり やすひこ、1945年2月14日 - )は、日… 森 保彦(もり やすひこ、1945年2月14日 - )は、日本の弁護士、馬主。 1945年、東京都出身。1967年に明治大学法学部を卒業し1972年に司法試験に合格、1975年に弁護士登録した。以降は日本弁護士連合会代議員、民事調停委員、学校法人いわき明星大学理事などを歴任し、現在は株式会社アイロムグループ法律顧問などを務める。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録している馬主としても知られる。勝負服の柄は桃、青十字襷、青袖桃一本輪、冠名には「タケル」を用いる。 2012年3月より一般社団法人東京馬主協会会長。また日本馬主協会連合会会長を2013年1月から2017年3月にかけて務めた。
大崎 昭一(おおさき しょういち、1945年1月15日 - … 大崎 昭一(おおさき しょういち、1945年1月15日 - )は、宮崎県延岡市出身の元騎手・評論家。 記者の質問に対して弱気のコメントをすることが多く「泣きの昭ちゃん」と言われ、レースでは激しく大胆な騎乗ぶりで名手として活躍。 実子の大竹正博は美浦所属の調教師。 父がアングロアラブの生産を行っていたため、七人兄弟の末っ子で幼少期から馬に親しみ、11歳の時には馬に乗っていた。中学の先輩にはメジロボサツ・イナボレスなどに騎乗した矢野一博に田島日出雄、同級生には安田伊佐夫がいた。そうした環境で育った大崎は体が小さかったため、迷うことなく騎手を目指した。 中学卒業後は安田と同じ列車に乗って上京し、馬事公苑騎手養成長期課程に入り、高橋隆・清水出美・簗田善則・久保敏文・領家政蔵・鹿戸明・久保田秀次郎・笹倉武久と同期になった。
安田 伊佐夫(やすだ いさお、1944年11月22日 - 2… 安田 伊佐夫(やすだ いさお、1944年11月22日 - 2009年3月20日)は、宮崎県延岡市出身の元騎手・元調教師。 息子である安田康彦も元騎手で現在は競馬評論家。 馬事公苑時代の同期には清水出美・久保敏文・鹿戸明・久保田秀次郎・大崎昭一・笹倉武久などがおり、大崎とは同郷の延岡出身で上京する際の列車も同じであった。 1961年に京都・武田文吾厩舎の見習騎手となり、1963年3月にデビュー。初騎乗は同23日の阪神第1競走アラブ4歳以上20万下・ハイ・ヒライワ(9頭中5着)で、初勝利はデビューから6ヶ月が経った9月28日の京都第7競走4歳以上70万下・オンワードスピードであった。1年目はこの1勝に終わるが、2年目の1964年は8勝、3年目の1965年は初の2桁勝利となる16勝をマーク。
河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )… 河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )は、日本の実業家、馬主。 北海道函館市にある宿泊施設・湯の川プリンスホテル 渚亭などを運営する株式会社湯の川プリンスホテルの代表取締役会長を務める。 1944年生まれ。北海道函館中部高等学校を卒業後、21歳の時に他界した先代から事業を引き継ぎ、1972年に湯の川プリンスホテルを創立した。その他、函館湯の川温泉協同組合理事長、社団法人函館観光協会副会長、函館商工会議所観光サービス部会長などを歴任。 2016年、湯の川プリンスホテルの社長職を息子の昌貴に譲り、代表取締役会長に就任した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。
久保田 秀次郎(くぼた しゅうじろう、1944年11月8日 … 久保田 秀次郎(くぼた しゅうじろう、1944年11月8日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手。 東京都府中市出身。1960年に長期騎手課程の講習生となり、修了後に尾形藤吉厩舎の騎手見習となって、1963年に騎手デビューを果たした。講習生の同期には、大崎昭一、笹倉武久、安田伊佐夫、久保敏文、鹿戸明らが居る。 久保田のお手馬で有名なのは、カブトシローである。1966年3月の中山競馬場でのオープン戦(芝1800m)が初騎乗で1着になると、翌年秋まで主戦騎手として騎乗し、1966年の天皇賞・春では、尾形厩舎のハクズイコウの3着に入り、有馬記念でも同じく尾形厩舎のコレヒデの2着となった。さらに翌年には、天皇賞・春でスピードシンボリの2着になると、中山競馬場で代替開催された秋の天皇賞で遂に1着となった。
大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 -… 大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。大久保末吉の長男として生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、建築士を経て競馬界に入る。1976年に調教師免許を取得し、1990年代後半にGI競走5勝を挙げたメジロドーベルなど数々の活躍馬を管理した。2015年、定年により引退。東京都府中市出身。
畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )… 畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。実家は有限会社畠山牧場で、長兄・重博は同牧場社長。 1964年に東京・田中和夫厩舎に騎手見習いとして入門し、1965年に騎手免許を取得。開業したばかりの田中にとって、笹倉武久と並ぶ第一号の弟子であった。年齢は畠山の方が上であったが、一度高校に入学してから入ったため、競馬界に入ったのは笹倉の方が早かった。畠山も入門当時は体が大きく、朝食の時に田中に「朝はパンで結構です」と言ってしまった。体重を気にしてのことであったが、それに合わせなければならない笹倉は「ただでさえ、腹が減っているのに、余計なことを言ってくれたんだ(笑)。
久米田 正明(くめた まさあき、1944年6月6日 - )は… 久米田 正明(くめた まさあき、1944年6月6日 - )は、日本の実業家、馬主。 山梨県にある運送業・ロジフレックス株式会社の代表取締役社長を務めた。 東京都八王子市出身。中学校卒業後に就職し、横河電機を経て1999年にロジフレックス株式会社を創業。2009年時点では山梨県甲斐市在住。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黄色黄、青菱山形、青袖黄二本輪、冠名には自身が創業・経営した会社名より「ロジ」を用いる。馬名の多くは冠名の後には父母もしくは母の父など近親馬の馬名の一部を組み合わせるといういたってシンプルなものであることが多い。 馬主となったきっかけは、旧知であるプロゴルファーの青木功から紹介を受けた野田順弘に勧められたこと。
松若 勲(まつわか いさお、1944年3月1日 - 1977… 松若 勲(まつわか いさお、1944年3月1日 - 1977年11月5日)は、かつて日本中央競馬会に所属していた元騎手。 鹿児島県川内市生まれ。 弟に元装蹄師の松若清人。甥に装蹄師の松若勝。大甥にJRA騎手の松若風馬。 増本勇厩舎に見習騎手として入り、1965年3月にデビューした。デビュー年に14勝を挙げ、2年目には18勝、3年目にも9勝をマークし減量騎手を卒業したが、その後は騎乗馬には恵まれなかった。1976年には規定騎乗数の60回に足りず、騎手免許の更新が危ぶまれたが、関係者の努力と、その真面目な性格を日本中央競馬会が認め、免許更新の許可がおりたということもあり、競馬関係者からは親しまれていた。
清水 貞光(しみず さだみつ、1944年1月28日 - 20… 清水 貞光(しみず さだみつ、1944年1月28日 - 2024年9月29日)は、日本の実業家、馬主。 建築設計および建設を手がける株式会社清水工務店の代表取締役を務めた。日本中央競馬会(JRA)の馬主としてカルストンライトオを所有したほか、同会栗東トレーニングセンター所属でキタサンブラックなどを管理した調教師の清水久詞は息子である。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主として知られる。勝負服の柄は白、青袖赤二本輪、赤鋸歯形、冠名は本業で使用される軽石(「軽」い「石(Stone)」)より「カルストン」を用いた。 学生時代から競馬場に通っており、その後「自分で馬を持ったらもっと面白いんだろうな」と思ったことから30歳で馬主資格を取得した。
郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - 2… 郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - 2020年1月31日)は、鹿児島県鹿屋市出身の元騎手・元調教師。 元騎手の郷原洋司は次男。吉野勇は岳父。 実家は農家。五人兄弟の次男として生まれ、父親に育てられた。幼少期より農耕馬などに乗り馬に親しみ、周囲には普通に馬車が走っていた。馬車のタイヤはまだゴムも巻かれていない時代で、パワーのある馬が引っ張っていた。弁当は日の丸弁当が当たり前で、パンや牛乳を持ってくる子がいれば羨ましがられた。中学時代はマラソンを好きになったこともあったが、日本中央競馬会の騎手講習生募集の広告を見て、東京へ出たい一心で騎手を志す。中学卒業後の1959年に馬事公苑騎手養成長期課程へ入所し、修了後の1961年より騎手候補生として中山・大久保房松厩舎に入門。
領家 政蔵(りょうけ まさぞう、1943年12月29日 - … 領家 政蔵(りょうけ まさぞう、1943年12月29日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元調教師・元騎手。 次女はタレント・評論家の領家華子。 農家の次男として生まれ、少年時代から農耕馬に親しんだ。 当初は将来に獣医師を志していたが、阪神・田中良平厩舎を退職し帰郷した元厩務員と知り合ったことで目標を騎手に改め、中学卒業後に良平の父である阪神・田中好雄厩舎に騎手見習として入門。領家は騎手としては大柄で、周囲からは「帰った方がいい」、「厩務員になれ」などと勧められたという。 見習時代は靴磨き、洗濯は当たり前であり、道具は先輩からのお下がりで、乗馬ズボンの穴の開いた場所からいつも血が滲ませた。 1963年に免許を取得してデビューし、3月16日の阪神第4競走アラブ5歳以上オープン・タマカセン(11頭中10着)で初騎乗を果たす。