岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は… 岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は、日本の女優・映画プロデューサー。本名:吉田 鞠子(旧姓・田中)。父は戦前の無声映画で活躍した二枚目俳優・岡田時彦。母は宝塚歌劇団卒業生で男役を務めた田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重。 1933年、東京市渋谷区代々木に生まれたが、生後間もなく京都に移住。翌1934年、父が結核で死去し、以後母は女手一つで茉莉子を育てることとなる。東京市大森区北千束に住む母の妹で、宝塚スターだった御幸市子のもとで暮らし、青葉幼稚園・赤松小学校に通う。少女時代は病弱なこともあって内向的な性格であった。 1938年、母の田鶴はダンス教師の資格をとり、上海で教えることになった。
三原 葉子(みはら ようこ、1933年1月10日 - 201… 三原 葉子(みはら ようこ、1933年1月10日 - 2013年7月1日)は、日本の女優である。現役当時の公称サイズは身長162 cm, 体重52 kgであった。本名は藤原 正子(ふじわら まさこ)。 1933年(昭和8年)1月10日、岩手県盛岡市鉈屋町に生まれる。生家は毛皮商で、盛岡市立盛岡第一高等女学校(現在の盛岡市立高等学校)を卒業する。 1951年(昭和26年)10月、新東宝に「第一期スターレット」として入社する。翌1952年(昭和27年)、『風雲七化け峠』(並木鏡太郎監督)で銀幕デビュー。1957年(昭和32年)、石井輝男監督『肉体女優殺し 五人の犯罪者』でストリッパー役に起用され、その肉体美と演技で人気を博す。
翠 準子(みどり じゅんこ、1933年1月1日 - )は、日… 翠 準子(みどり じゅんこ、1933年1月1日 - )は、日本の女優、声優。東京府(現・東京都)出身。旧芸名は緑 準子(読み同じ)。ぷろだくしょんバオバブ所属。 八雲学園高等学校卒業。 松竹歌劇団、劇団華、テアトル・エコー、グループだいこん、同人舎プロダクション、三船プロダクション、タート・プロモーション、岩崎事務所を経て、ぷろだくしょんバオバブに所属。 2023年4月、ぷろだくしょんバオバブのサイトにおける公式プロフィールが、それまでの女性所属者一覧から「Archive(アーカイブ)」の欄に移動した。 声種はアルト。方言は東北弁。 趣味はミステリーを読むこと、旅行、水泳。 声優としては外画吹き替え、テレビアニメなどで活躍。
楠 侑子(くすのき ゆうこ、1933年〈昭和8年〉1月1日 … 楠 侑子(くすのき ゆうこ、1933年〈昭和8年〉1月1日 - )は、日本の女優、声優。夫は劇作家の別役実(2020年死別)。本名は別役侑子(べつやく ゆうこ)。かたつむりの会所属。身長158cm、体重48kg(公称)。一人娘の怜は、イラストレーターのべつやくれいである。 東京都台東区出身。立教女学院高等学校卒業。俳優座養成所第3期生。劇団俳優座、劇団新人会、劇団俳優小劇場と渡り歩き、結婚・出産を機に家庭中心の生活に入った。その後、1978年にかたつむりの会を結成し、現在に至る。デビューは、1953年の映画『ひめゆりの塔』(東映)での端役出演。 長年にわたり、東京・渋谷の小劇場「ジァン・ジァン」にて、毎年6月(「かたつむり」の由来でもある)に男優一人を招いて別役作品を上演し続けていたが、ジァン・ジァンが閉鎖された後は、目立った活動をしていない。
岩崎 加根子(いわさき かねこ、1932年10月25日 - … 岩崎 加根子(いわさき かねこ、1932年10月25日 - 本名:村田 加根子)は、日本の女優、声優。北海道函館市生まれ。大田区久が原にあった立華女子高等学校卒業。 幼少期に東京へ移る(父親は熊本県、母親は近畿出身である)。 1949年、劇団俳優座養成所の第1期生となり、1952年の卒業と同時に入団。現在は劇団俳優座代表を務める。 主な活動の場は舞台で、1970年代には市原悦子と安部公房が主宰する演劇集団安部公房スタジオに所属していた。 『反逆児』では中村錦之助からのお墨付きで相手役に抜擢されたという。 『太陽への脱出』では石原裕次郎の相手役を、『座頭市地獄旅』では勝新太郎の相手役を演じた。 *太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
渡辺 美佐子(わたなべ みさこ、1932年〈昭和7年〉10月… 渡辺 美佐子(わたなべ みさこ、1932年〈昭和7年〉10月23日 - )は、日本の女優。東京市麻布区(現・東京都港区西麻布)出身。
小園 蓉子(こぞの ようこ、1932年10月16日 - 20… 小園 蓉子(こぞの ようこ、1932年10月16日 - 2025年7月10日)は、日本の女優。本名は佐藤敦子。滋賀県大津市出身。 戦後すぐに横浜に移住。1948年に神奈川県立横浜平沼高等学校に進学する。同期に岸恵子、日比野恵子がいた。 1951年に松竹大船に入社し映画、中村登監督『恋文裁判』でデビューする。1955年に『絵島生島』を最後に松竹を退社。1956年に日活専属契約を結び、『姉さんのお嫁入り』で初主演する。1968年に日活を退社。フリーとなりテレビドラマに活躍する。
本山 可久子(もとやま かくこ、1932年〈昭和7年〉10月… 本山 可久子(もとやま かくこ、1932年〈昭和7年〉10月9日 - )は、日本の女優。 東京市(現東京都)日本橋出身。 母は俳人の鈴木真砂女。 長狭高等女学校(現・鴨川令徳高等学校)卒業。文学座演劇部所属。 文学座附属演劇研究所に入所後、舞台を中心に活動する一方、テレビドラマにも堅実なバイプレイヤーとして多数出演。1970年代になると主人公の母親役や妻役が増え、その演技力から不幸な目に遭遇する役での出演も多かった。ちなみに1972年の『帰ってきたウルトラマン』第43話では根上淳演じる伊吹隊長の夫人役でゲスト出演したが、根上とは1975年に『傷だらけの天使』第23話においても夫婦役で共演している。
久保 菜穂子(くぼ なおこ、本名:久保 忠子(くぼ なおこ)… 久保 菜穂子(くぼ なおこ、本名:久保 忠子(くぼ なおこ)、1932年9月24日 - )は、日本の女優。東京府豊多摩郡代々幡町上原(現東京都渋谷区上原)出身。身長163cm、体重56kg。
幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、… 幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、1932年〈昭和7年〉8月29日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の女優、声優、朗読家。東京都出身。 夫は音楽評論家で東京音楽大学名誉教授の三善清達。長女は中央線沿線文化に関する著書などの多いエッセイストの三善里沙子。 1953年NHK東京放送劇団に5期生として入り、舞台・放送で女優として活動。1976年の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」に出演。また、NHKラジオで主演した音楽詩劇「オンディーヌ」(三善晃作曲)で文部大臣賞、イタリア賞大賞受賞。 舞台で古典から現代文学作品までの朗読を続け、1977年から毎年「幸田弘子の会」を開催、樋口一葉を中心に、『源氏物語』や泉鏡花・森鷗外・夏目漱石・堀辰雄・瀬戸内寂聴の作品などを舞台で朗読。
岸 惠子(きし けいこ、1932年〈昭和7年〉8月11日 -… 岸 惠子(きし けいこ、1932年〈昭和7年〉8月11日 - )は、女優・文筆家。岸恵子の表記もある。身長161 cm。舞プロモーション所属。映画の代表作は『君の名は』『雪国』『おとうと』『約束』『悪魔の手毬唄』『細雪』など。 神奈川県横浜市神奈川区生まれ。父は国語教師から神奈川県庁職員になった岸操、母は千代子。1945年5月の横浜大空襲で被災。横浜市南区庚台に、1955年頃まで家族と居住、その後、同市神奈川区妙蓮寺に転居。高校在学中に小牧バレエ団に通う。神奈川県立横浜平沼高等学校卒業 (48期)。 もともとは小説家志望で川端康成を耽読した。高校時代に観た『美女と野獣』に魅せられ、映画に興味を持ち、田中敦子(小園蓉子)と松竹大船撮影所を見学するうちに、吉村公三郎にスカウトされ、断ったが後に「本物の女学生が欲しい」と頼まれて1本だけの約束で、1951年に大学入学までという条件で松竹に入社し、映画『我が家は楽し』でデビューするがヒットしてそのまま女優になった。
岸 惠子(きし けいこ、1932年8月11日 - )は、女優… 岸 惠子(きし けいこ、1932年8月11日 - )は、女優・文筆家。岸恵子の表記もある。身長161cm。体重47kg。舞プロモーション所属。
市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10… 市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2022年〈令和4年〉8月1日)は、日本の美容師、服飾評論家、エッセイスト、女優、タレント。新しい歴史教科書をつくる会の理事と、日本会議の4つの関連団体の役員を務めた。 大阪府大阪市大正区出身。京都市立堀川高等学校、京都府立大学女子短期大学部国文科卒。 父の仕事(華中鉱業)の都合で、小学生時代を上海特別市で過ごした。1945年2月戦況の悪化を受けて、母弟と3人で日本へ帰国。母の郷里滋賀県大津市膳所で終戦を迎え、まもなく伯父の世話で京都(西洞院四条)へ移った。父が帰国するまで、と母が自宅で始めた美容院が繁昌し、高校三年生の時に美容師免許を取得。
音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日… 音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日本の女優、歌手。東京出身。本名:久米 和子、旧姓:小野田。 三輪田学園高等学校卒業。 高校卒業後、歌手を目指す。1953年「魚河岸の石松」でデビューする。挿入歌の「花の命は短いものよ」を歌う。1955年から楠トシエ、桜京美と三人でNHK「お笑い三人組」に出演し人気が出る。 他に映画出演「坊ちゃん天国」「落語天国紳士録」、兄が監督した「俺は都会の山男」「お笑い三人組・泣き虫弱虫かんの虫」「お笑い三人組・怪しい奴にご用心」などに出演した。 現在は芸能界から引退した様子である。
伊東 絹子(いとう きぬこ、1932年6月29日 - 202… 伊東 絹子(いとう きぬこ、1932年6月29日 - 2023年2月14日)は、日本のファッションモデル・女優。1953年(昭和28年)のミス・ユニバース・ジャパンで、同年アメリカ合衆国カリフォルニア州のロングビーチで開催された第2回世界大会(ミス・ユニバース1953)では第3位入賞。 ミス・ユニバース世界大会への日本代表としての出場は、前年の小島日女子に続いて二人目であり、伊東は日本人初の入賞者となった。またアジア人としても前年第4位に入賞した香港代表ジュディ・ダンの順位を上回った。伊東は日本におけるファッションモデルの先がけのひとりとも言われ、ミス・ユニバースに入賞した昭和28年には、伊東の体形に因んだ『八頭身美人』が流行語となった。
宇治 みさ子(うじ みさこ、本名:野崎 美咲子、旧姓:田中、… 宇治 みさ子(うじ みさこ、本名:野崎 美咲子、旧姓:田中、1932年5月25日 - 2012年2月27日)は、京都市右京区出身の日本の女優。旧芸名は山中美佐。父は俳優の田中春男。
小林 トシ子(こばやし としこ、1932年4月6日 - 20… 小林 トシ子(こばやし としこ、1932年4月6日 - 2016年12月29日)は、日本の女優。本名:勅使河原トシ子(旧姓:小林)。 東京市中央区築地生まれ。1946年4月、学校を中退して日劇ダンシングチーム(NDT)に入団。1947年2月、初舞台。 1949年、松竹の木下恵介監督にスカウトされ、映画『破れ太鼓』でスクリーンデビュー。これは高峰秀子が予定されていた大役での出演であった。翌1950年に松竹に正式入社し、木下の指示で俳優座養成所に1年間通う。1951年、日本初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』での演技は特に有名。 1956年、映画監督の勅使河原宏と結婚し、後に三人の娘をもうける。 1960年、松竹を退社してフリーになり、以後他社の映画や舞台で活躍した。
有馬 稲子(ありま いねこ、1932年4月3日 - )は、日… 有馬 稲子(ありま いねこ、1932年4月3日 - )は、日本の女優。大阪府豊能郡池田町(現:池田市)出身。血液型はA型。愛称は「ネコちゃん」「おイネ」。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。本名:中西 盛子(なかにし みつこ)。 後の大阪府池田市で生まれ盛子(みつこ)と命名されたが、両親は西尾末広に加わり労働運動を行い「潜行の日々」を続けていたため、見かねた祖母が4歳の盛子を、釜山にいる父の姉の中西かねの下に連れて行き、子供がいなかったかね夫婦は盛子を養女にした。養父は家庭用品問屋で商工会議所議長(釜山商工会議所会頭とも)なども務めていた。養母(伯母)の中西かねは1916年から1926年にかけて「有馬稻子」の芸名で宝塚歌劇団4期生として在団していた経歴があり、退団後は藤間流の名取りで日本舞踊を教えていて、盛子も養母から踊りを習う。
野村 沙知代(のむら さちよ、1932年〈昭和7年〉3月26… 野村 沙知代(のむら さちよ、1932年〈昭和7年〉3月26日 - 2017年〈平成29年〉12月8日)は、日本のタレント、女優。所属事務所は株式会社エフエンタープライズ(東京都千駄ヶ谷)。 元プロ野球選手・プロ野球監督である野村克也の妻として知られる。愛称は「サッチー」で、『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演した中居正広から名付けられたという。 出生名、伊東 芳枝(いとう よしえ)。沙知代に改名したのは1976年だが、本記事では便宜上、改名前の事項についても「沙知代」と表記する。 1932年3月26日(土曜日)に福島県西白河郡西郷村で伊東巳之吉・さく夫妻の長女として生まれる。父は地方公務員(東京都交通局職員。
高森 和子(たかもり かずこ、1932年〈昭和7年〉3月21… 高森 和子(たかもり かずこ、1932年〈昭和7年〉3月21日 - )は、日本の元女優、エッセイスト。大阪市東住吉区出身。本名同じ。 小学校時代、友井唯起子にクラシックバレエを4年間習った。1950年、東大谷高等女学校(現・東大谷高等学校)を卒業。学生時代はバレリーナを目指し友井バレエ団に在籍。遠縁に当たる大河内傳次郎の紹介で1951年、大映京都撮影所に入り、映画「上州鴉」でデビュー。 1953年、姉がNHKに在籍していた縁で大阪放送劇団へ入団。「正確な大阪弁が話せる女優」として大阪制作ドラマの売れっ子となる。 1966年、『横堀川』の主人公の妻役や1973年、八千草薫ら三姉妹の母親役を演じた『けったいな人びと』などで、実年齢よりもかなりの老け役を演じて好評を得る。
河 美智子(かわ みちこ、1932年3月20日 - )は、大… 河 美智子(かわ みちこ、1932年3月20日 - )は、大阪府出身の元女優。本名は河口 美智子(かわぐち みちこ)。 玉川学園高等部を卒業。 1951年、東宝と専属契約を結び、1952年、『東京の恋人』で映画デビュー。以後、主に看護婦、女中、女工といった庶民的な役柄で出演。1966年、『バンコックの夜』を最後に引退した。
河内 桃子(、1932年〈昭和7年〉3月7日 - 1998年… 河内 桃子(、1932年〈昭和7年〉3月7日 - 1998年〈平成10年〉11月5日)は、日本の女優。本名は久松 桃子、旧姓大河内。血液型はO型。俳優座所属。 東京府東京市下谷区谷中出身。日本女子大学附属高等学校卒業。 昭和20年代にデビューした女優としては久我美子と並ぶ名家出身で、祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏、父は正敏の次男で画家であった大河内信敬。夫は今治松平家末裔でテレビプロデューサーの久松定隆。 高校卒業後、OLをしていたが[要出典]、1953年に東宝ニューフェイスの6期生として東宝に入社。同期には宝田明、佐原健二、藤木悠、岡田眞澄がいる。入社した年の『女心はひと筋に』で映画初出演を果たす。
藤里 まゆみ(ふじさと まゆみ、1932年2月16日 - )… 藤里 まゆみ(ふじさと まゆみ、1932年2月16日 - )は、日本の女優。東京府(現:東京都)南豊島郡南千住出身。本名は伊沢 つや子。 1947年、松竹歌劇団入団。男役として活躍し、1951年に幹部となる。1952年、東映に入社。 ※特記のないものは東映配給作品
寿美 花代(すみ はなよ、1932年2月6日 - )は、日本… 寿美 花代(すみ はなよ、1932年2月6日 - )は、日本の女優、タレント。宝塚歌劇団の元星組男役トップスター。 血液型はAB型。東宝芸能所属。本名:高嶋 節子(たかしま せつこ、旧姓:松平)。宝塚歌劇団時代の愛称は旧姓からマッちゃん。兵庫県西宮市出身。
山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - … 山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は、日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159 cm。日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代優勝者である。 1931年(昭和6年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)生まれ。母は船場の綿花問屋山重の主人の長女。少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。自宅が進駐軍に接収されたため引越し、大阪府立大津高女(現・大阪府立泉大津高等学校)から京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)に転入し、1949年(昭和24年)卒業。 1950年(昭和25年)、読売新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社が主催し、700人近い応募者があった第一回ミス日本において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。
香川 京子(かがわ きょうこ、1931年〈昭和6年〉12月5… 香川 京子(かがわ きょうこ、1931年〈昭和6年〉12月5日 - )は、日本の女優。本名は、牧野 香子()。茨城県行方郡麻生町(現行方市)生まれ。東京都立第十高等女学校卒業。身長162 cm、体重45 kg。 茨城県行方郡麻生町(現・行方市)で生まれる。生まれてすぐに父親の仕事の都合で兵庫県の芦屋へ移る。 小学校に入る1年前に東京に戻るも、女学校に上がった1944年に空襲を避けるため、茨城県の下館に疎開。間もなく母親が麻生町に疎開したため、自らも麻生町に戻る。 女学校時代は勤労奉仕ばかりで、勉強することはあまりなかった。 1945年に東京に移り住む。 1949年に東京都立第十高等女学校を卒業。
川口 節子(かわぐち せつこ、1931年〈昭和6年〉9月8日… 川口 節子(かわぐち せつこ、1931年〈昭和6年〉9月8日 - )は、1950年代前半に活動した日本の元女優。群馬県桐生市出身。夫は元俳優の波島進、長女は同じく元女優の小倉加代。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
浦川 麗子(うらかわ れいこ、1931年8月20日 - )は… 浦川 麗子(うらかわ れいこ、1931年8月20日 - )は、日本の女優、声優。岡山県井原市井原町出身。福島県立女子高等学校卒業。國學院大學文学部国文科中退。 高校在学中は演劇部で活動し、アマチュア劇団の福島演研にも所属していた。NHK福島放送劇団に入り、プロとしての活動を開始。高校卒業後は上京し、劇団廿世紀、劇団こまどりを経て、1952年、ラジオ東京放送劇団に2期生として入団。1959年に退団した後は東京俳優生活協同組合を経て、1969年4月に文学座に入団。 1955年から放送が開始されたラジオ番組『ポポン・ミュージック・レター』の司会を志摩夕起夫とともに担当。志摩がアナウンサ―では声が型にはまっていて面白くないので、家庭の奥様のような艶のある人の起用を要望したため、浦川が起用された。
小畠 絹子(おばた きぬこ、1931年8月16日 - 202… 小畠 絹子(おばた きぬこ、1931年8月16日 - 2022年1月31日)は、日本の女優。本名は大久保禮子 (禮は示ではなくネ)。東京府(現東京都)出身。 元華族の大久保子爵家の次男である父・準と、母・秋子のもとに、四人姉妹の次女として東京市赤坂区青山南町に生まれる。本名は大久保禮子(おおくぼ のりこ)。母方の従兄に新劇運動を興した土方与志がいる。高井戸国民学校を卒業し、1949年に成安女子学院(現・京都産業大学附属中学校・高等学校)を卒業。親類が経営する鏑木汽船に入社。勤務中にスカウトされ、1957年に木崎伸子の芸名で中川順夫監督の教育映画、『えんぴつ泥棒』、『愛の星座』に教師役で出演。新東宝が『愛の星座』を配給したことが縁となり、同年9月に新東宝に入社。
小甲 登枝恵(こかぶ としえ、1931年8月7日 - )は、… 小甲 登枝恵(こかぶ としえ、1931年8月7日 - )は、日本の元女優。東京都出身。東映東京撮影所に所属していた。桜蔭高等学校出身。 本名は飯田 登枝恵。別名は小甲 登志恵、小甲 登志枝、小田 登枝恵。 ※すべて東映配給作品
北里 深雪(きたざと みゆき、1931年7月20日 - )は… 北里 深雪(きたざと みゆき、1931年7月20日 - )は、日本の元女優、元声優。東京府出身。 聖心女子大学在学時、夏休みの宿題に悩む中で新聞広告を見たことを機に俳優座養成所の門を叩いた。この時、両親からは大目玉を食らったという。 1954年、劇団新人会の設立に参加し同劇団で活動。同期には北條美智留がいる。ドラマ『夫婦百景』の共演が縁で同劇団の穂積隆信と結婚するもすぐに離婚し、1955年に劇団四季に移籍した。 1956年、海外ドラマ『名犬リンチンチン(英語版)』にて主人公のラスティ・ハリス少年の吹き替えを担当し、子供を中心に人気を得た。同作の担当者である大久保正雄によると、キャスティング時に候補者がさえず悩んでいたところ、北里の「子供らしい明るさと甘さに満ちた声」がとびこんできたといい、それまで下馬評にも挙がらなかった中での抜擢だったという。
中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月1… 中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月18日 - 1997年(平成9年)7月8日)は、昭和期のシャンソン歌手、女優。 本名は室 美紗緒(旧姓は中原)。 叔父に画家の中原淳一、義理の叔母に女優で元タカラジェンヌの葦原邦子がいる。長男は映画監督・映像プロデューサーの室希太郎。妹の夫はミステリ作家の渡辺剣次。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒業。 代表曲は、「パリのお嬢さん」、「フルフル」、「私の心はバイオリン」、「河は呼んでいる」、「バス通り裏」、「夜は恋人」などがある。
築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 201… 築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 2013年12月15日)は日本の歌手、女優。本名は西原利枝。東京府東京市(現在の東京都区部(東京23区)に相当)出身。旧芸名は姫路リエ子。 鷗友学園高等女学校在学中、戦争のため、静岡県榛原郡に疎開。榛原高等女学校(現・静岡県立榛原高等学校)を卒業後、東京に戻り、ムーラン・ルージュの歌手になる。 1950年、姫路リエ子の芸名で映画『恋しかるらん』で女優デビュー。翌1951年、大映に入る。以降、1955年まで映画出演を続けた。 その間の1954年、ビクターレコードに入社。翌1955年、「金色仮面(ゴールデンマスク)」(漢字は「黄金仮面」としている資料もある)の芸名で覆面歌手として『ジャニー・ギター』でデビュー。
来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2… 来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2013年11月25日)は、日本の声優、女優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属していた。東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原)出身。 キャリア初期は、本名の櫻井 良子(さくらい りょうこ)名義でも活動していた。 小さい頃から本を朗読することが好きであり、アナウンサーになることを志望していた。 当初は東京府青山師範学校(後の東京第一師範学校)に通っていたが、小学4年生から東京都白金国民学校(現:港区立白金小学校)に転校。戦時中は疎開がてらに茨城県立土浦高等女学校(現:茨城県立土浦第二高等学校)に進学し、女子寮に入る。
小笠原 町子(おがさわら まちこ、1931年6月25日 - … 小笠原 町子(おがさわら まちこ、1931年6月25日 - )は、日本の女優。身長160 cm。体重62 kg。血液型はA型。大阪府東大阪市出身。 高知中学高等学校卒業。1955年に制作座に入座。『第三の証言』のサヨ子役が初舞台。1957年の劇団統合により関西芸術座の所属となる。
北島 角子(きたじま すみこ、1931年5月20日 - 20… 北島 角子(きたじま すみこ、1931年5月20日 - 2017年4月9日)は、沖縄県本部町出身の女優である。 父は沖縄芝居の役者で劇作家の上間昌成。1939年、家族とともに日本の委任統治下のパラオへ移住。パラオにて女学校へ進学。第二次世界大戦末期は野戦病院で看護師見習いに従事。1946年、米軍の輸送船で沖縄へ引き揚げた。名護高校を卒業ののち役者となった。
宮崎 恭子(みやざき やすこ、1931年5月15日 - 19… 宮崎 恭子(みやざき やすこ、1931年5月15日 - 1996年6月27日)は、日本の演出家、女優、脚本家。無名塾創設者。本名:仲代 恭子(旧姓:宮崎)。脚本家としての筆名(別名)として隆 巴(りゅう ともえ)を持つ。夫は俳優の仲代達矢、妹は元フジテレビのアナウンサーでニュースキャスターの宮崎総子。 両親とも広島県呉市の出身。母方の祖父は第九代呉市長・勝田登一。裁判官だった父親の赴任先・長崎県長崎市で生まれ、父親の転任により、4歳まで長崎で、その後小学校2年生まで福岡市で、3年生のとき大分市で、4年生から小学校卒業まで再び福岡市で育った。1944年、父親が裁判所を辞めて弁護士に転身したため、一家で東京都へ移る。
河上 敬子(かわかみ けいこ、1931年3月11日 - )は… 河上 敬子(かわかみ けいこ、1931年3月11日 - )は、日本の元女優・タレント。芸能活動と並行して医学を学び、芸能界引退後に医師となった。 東京女子医科大学卒業後、慶應義塾大学医学部で学ぶかたわら、日活と契約し映画女優としてデビュー。1956年に出版したエッセイ『女だけの部屋』が、芸能界の裏面を暴露する内容であったことからベストセラーとなったほか、テレビやラジオ番組の医療コメンテーターとして活動した。 1950年代末に芸能活動を休止し、以降は医業に専念。1965年に『週刊現代』のインタビューに答えたのを最後にメディアには現れていない。
波瀬 満子(はせ みつこ、本名:白波瀬 智子(しらはせ とも… 波瀬 満子(はせ みつこ、本名:白波瀬 智子(しらはせ ともこ)1931年3月5日 - 2012年4月19日)は、日本のことばパフォーミング・アーティスト、女優。 京都府出身。東京女子大学卒業。劇団四季、仮面座を経て、1977年谷川俊太郎らと「ことばあそびの会」を設立する。 1993年から1999年まで6年間にわたって、NHK教育テレビのあいうえおにレギュラー出演。その後も「詩」や「ことば」そのものを構成・演出・出演する「ことば」パフォーマンスを行う。 2012年4月19日15時45分、急性腎不全のため、東京都町田市内の病院で死去。81歳没。 ジャンルを超えたスーパーことばショーを創ったことばパフォーマーはせみつこは、ウリポ・はせ・カンパニーを設立。
島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 20… 島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 2014年)は、日本の元女優、シャンソン歌手。本名:土屋 とし子(つちや としこ)。元夫は映画監督の神代辰巳。東京都出身。大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校)卒業。 終戦後、バーの女給などをしながら役者を志し、中央演劇学校で学び、1949年俳優座養成所の2期生になった。1950年に新東宝映画のフレッシュガールに応募。藤本真澄の目に適い『山のかなたに』でデビューした。芸名は、石坂洋次郎が『青い山脈』のヒロインの名から採ったもの。二作目の『夜の緋牡丹』の製作では、主役の座をめぐり脚本の八田尚之に直談判後、一時行方不明となった。結果的に主役の座を争っていた女優が降板したため、『夜の緋牡丹』では主役を得ている。
久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - 2024… 久我 美子(くが よしこ、1931年1月21日 - 2024年6月9日)は、日本の女優。身長153cm。本名:小野田 美子(おのだ はるこ)、旧姓:久我(こが)。所属芸能事務所はワタナベエンターテインメント。 侯爵、貴族院議員久我通顕の長女。母は日本橋区薬研堀町のべっ甲商、永峰セルロイド工業社長篠崎宗太郞長女與志江。久我家は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む清華家の家格であり、華族の家柄である。東京市牛込区(現・東京都新宿区)に生まれる。1946年、 女子学習院(女学校課程)在学中、第一期東宝ニューフェイスに合格。同期に三船敏郎・堀雄二・伊豆肇・若山セツ子・堺左千夫らがいる。1947年、女子学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。
千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 20… 千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 2009年11月22日)は、日本の女優。本名、石原知子(いしはら ともこ)。岡山県久米郡久米町(現・津山市)出身。 父は中日新聞の前身・新愛知の記者で、父の転勤に伴い、小学校は石川県金沢市、福井県敦賀市、長野県松本市と3度転校した。岡山県美作高等学校に進学し、将来は日舞で身を立てようと考えていたが、同校卒業後、フルーツパーラーでアルバイトをしながら日舞の稽古に励んでいたある日、父が親交のあった片岡千恵蔵に会い、片岡の推薦で1952年、東映に入社。 千恵蔵のお声がかりという看板はあまりの効き目で、ズブの素人だったにもかかわらず、次々にお呼びがかかった。
八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年… 八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年〈令和元年〉10月24日)は、日本の女優。 大阪府大阪市出身。宝塚音楽学校卒業。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。公称身長154cm。 幼少時に父を亡くし、母子家庭で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。 聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団34期生として入団。入団時の成績は50人中19位。入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、人気を博した。
今井 和子(いまい かずこ、1930年(昭和5年)12月12… 今井 和子(いまい かずこ、1930年(昭和5年)12月12日 - 2012年(平成24年)10月14日)は、日本の女優、声優。身長157cm、体重55kg。 のちの東京都世田谷区(当時は東京府の郡部)出身。 日劇ダンシングチームに入団するが、足の怪我のために退団。劇団俳優座養成所(5期生)を経て、1956年に劇団青年座に入団。 洋画吹き替えではキャサリン・ヘプバーンやソフィア・ローレン等を担当していた。 2012年10月14日、肺がんのため死去。81歳没。
林 洋子(はやし ようこ、1930年11月3日 - 2025… 林 洋子(はやし ようこ、1930年11月3日 - 2025年7月31日[要出典])は、日本の女優、声優。宮沢賢治作品のひとり語り芸の公演を長年続けていた。元夫は作曲家の林光。 東京都大田区蒲田生まれ。都立第六高等女学校(現:東京都立三田高等学校)卒業後、1949年に俳優座付属俳優養成所の第1期生となり、1952年に卒業(同期生に岩崎加根子、野村昭子らがいる)。 俳優座養成所第一期卒業後、劇団三期会(現・東京演劇アンサンブル)で数々のブレヒト劇に主演し、声優として吹き替えにも多く出演。後にフリーとなる。 1970年、水俣病の実態に触れ、翌年に、石牟礼道子原作「苦海浄土」巡礼公演。以後「私って何だ、俳優って何なんだ」と考え自発的に芝居が出来なくなり俳優として沈黙する。
高千穂 ひづる(たかちほ ひづる、本名:大瀬 郁恵、旧姓:二… 高千穂 ひづる(たかちほ ひづる、本名:大瀬 郁恵、旧姓:二出川〈にでがわ〉、1930年10月10日- 2016年2月27日)は、日本の元女優。兵庫県出身。愛称は「イクちゃん」。 父はプロ野球審判員を務めた二出川延明。 自著『胡蝶奮戦』(P8)によると、「いろいろな映画の本には、昭和七年生まれと書いてあるそうで、この機会に訂正しておきますね。宝塚歌劇団のときはちゃんと昭和五年生まれになっていたのですが、いつの間にか二歳若くなってしまったようです。」との記述がある。 西宮市立大社小学校を経て、神戸女学院中学部卒業後に宝塚音楽学校に入学。1948年、宝塚歌劇団35期生として宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は46人中3位。
上月 佐知子(こうづき さちこ、1930年10月9日 - )… 上月 佐知子(こうづき さちこ、1930年10月9日 - )は、兵庫県出身の女優。兵庫県立第三高等女学校卒業(現兵庫県立御影高等学校)。血液型B型。
阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 … 阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2023年または2024年)は、日本の女優・声優。東京府豊多摩郡代々幡町(現:東京都渋谷区)出身。夫は映画評論家の深沢哲也。 俳優座養成所の第1期生。 1952年俳優座準劇団員となり、同年映画「慟哭」でデビューする。1954年青年座に参加するがすぐに脱退、同年新東宝と専属契約。1957年劇団現代座に入るがまもなく脱退。同年、深沢哲也と結婚。 以前はプロダクションMAY・25に所属していた。 声優としては、NHKの人形劇『新八犬伝』の玉梓役が有名。登場時の「我こそは玉梓が怨霊」という決まり文句は、辻村ジュサブローによる迫力ある造形の人形と相まって、当時の視聴者の子どもに強い印象を与えた。
小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 20… 小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 2006年11月28日)は、日本の女優。本名:四方 美喜(よも みき)、旧姓:山藤(さんとう)。チャコちゃんこと四方晴美の母としても知られる。 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現在の東京都渋谷区千駄ヶ谷)生まれ。幼時より日本舞踊の英才教育を受け、新協劇団で子役として活躍。1935年、『夜明け前』で初舞台を踏む。 1938年、山本薩夫監督の『田園交響楽』で映画に初出演。この時の芸名は富士山君子。 1948年、跡見高等女学校卒業、1954年、俳優座養成所を第3期生として卒業。 俳優座研究生時代、1952年に黒澤明『生きる』の志村喬の部下役として抜擢され、役名の"小田切とよ"から苗字を取って小田切みきを名乗る。
山田 昌(やまだ まさ、1930年〈昭和5年〉5月12日 -… 山田 昌(やまだ まさ、1930年〈昭和5年〉5月12日 - 2024年〈令和6年〉6月16日)は、日本の女優。劇団「劇座」代表。夫は俳優の天野鎮雄。 愛知県常滑市出身で長く知多市新舞子に在住。常滑町立常滑実業女学校(現在の愛知県立常滑高等学校)卒業。 愛知県常滑市で生まれる。生母とは3歳で死別、父は常滑焼の窯元。常滑で19歳まで過ごした。天野鎮雄とは再婚となる。 1949年、NHK名古屋放送劇団に入団。女学校では演劇部に所属していたが、端役であった山田を名古屋の劇団の演出家が注目。反対する父親を説得し女学校卒業とともに名古屋放送劇団に引き入れる形になった。1981年にNHK総合テレビの銀河テレビ小説「祈願満願」で初主演を果たす。