原田 茂生(はらだ しげお、1932年8月6日 - 2017… 原田 茂生(はらだ しげお、1932年8月6日 - 2017年12月12日)は、日本のバリトン歌手。東京芸術大学名誉教授、尚美学園大学名誉教授。二期会会員。 高知県高知市生まれ。1955年京都大学工学部卒業。1960年に東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。伊藤武雄、矢田部勁吉、中山悌一に師事。DAAD奨学生として1961年ミュンヘン音楽大学およびベルリン芸術大学に留学。 1965年からドイツ・プフォルツハイム市立歌劇場のバリトン歌手として専属契約、『セヴィリアの理髪師』のフィガロでデビュー。1969年帰国以来、二期会を中心とするオペラ公演・各オラトリオ公演に出演した。ドイツ歌曲のスペシャリストとして、これまでに国内外で数多くのリサイタルを開くかたわら、『美しい水車小屋の娘』『冬の旅』『シューマン歌曲集』『R.シュトラウス歌曲集』等のCDを録音している。
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17… 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の政治家、小説家、作詞家、タレント、テレビ司会者、俳優、放送作家、映画監督、歌手。位階は正四位。 参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)等を歴任した。 テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『いじわるばあさん』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞するなど、多才の人として知られ、「超マルチタレント」と呼ばれた。
音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日… 音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日本の女優、歌手。東京出身。本名:久米 和子、旧姓:小野田。 三輪田学園高等学校卒業。 高校卒業後、歌手を目指す。1953年「魚河岸の石松」でデビューする。挿入歌の「花の命は短いものよ」を歌う。1955年から楠トシエ、桜京美と三人でNHK「お笑い三人組」に出演し人気が出る。 他に映画出演「坊ちゃん天国」「落語天国紳士録」、兄が監督した「俺は都会の山男」「お笑い三人組・泣き虫弱虫かんの虫」「お笑い三人組・怪しい奴にご用心」などに出演した。 現在は芸能界から引退した様子である。
船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日… 船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉2月16日)は、日本の作曲家、歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。歌謡曲の作曲家として初めて文化勲章を受章した。位階は従三位。 栃木県塩谷郡船生村(現、塩谷町)出身。栃木県立今市中学校(旧制中学校)、東洋音楽学校ピアノ科卒業。 獣医だった父親がクラシックレコードの収集家であったことや、小学校時代にブラスバンド部でトランペットを吹いていたことなどもあり音楽の道を志す。
山形 英夫(やまがた ひでお、本名:新国英夫。1932年5月… 山形 英夫(やまがた ひでお、本名:新国英夫。1932年5月10日 - )は、日本の歌手である。本名の新国英夫の表記もある。
坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 20… 坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 2022年12月3日)は、日本のバリトン歌手、作曲家、音楽教育者。東京府出身。 1954年、東京藝術大学声楽科卒業。 声楽を城多又兵衛、リア・フォン・ヘッサート(独)、ガエターノ・コメッリ(伊)に、ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、渡邉暁雄に師事。 1957年、藤原歌劇団公演「ラ・ボエーム」マルチェロ役でデビュー。 1960年代初頭ごろ、高島一恵に音楽を教えていた。 1963年から1964年にかけて放送されたNHK総合テレビの音楽番組「歌おう世界の友よ」で歌と司会を担当。 1969年、サカモト・ミュージック・スクールを設立し校長に就任する。
フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月… フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月18日 - 2008年〈平成20年〉10月27日)は日本のムード歌謡歌手である。 本名は永井 清人(ながい きよと)。「魅惑の低音」と称された独特の豊かな低音を武器に、師である作曲家の吉田正(吉メロ)とともに都会的でジャズテイスト溢れるムード歌謡のジャンルを切り開き、数多くのヒット曲を世に送った。 宮城県大崎市出身。幼少時に父を亡くし、芝居小屋を経営する母に育てられる。幼少時から歌手に強い憧れがあり、旧制宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒業後の昭和26年ごろに東京へ出て就職していた兄を頼り上京し、進駐軍のキャンプ地でのトレーラー運転手、アルバイト生活を送る。
角地 正純(かくち まさずみ、1932年〈昭和7年〉2月28… 角地 正純(かくち まさずみ、1932年〈昭和7年〉2月28日 - 2013年〈平成25年〉7月11日)は、大阪府出身の日本の声楽家。大阪信愛女学院短期大学名誉教授。1981年〈昭和56年〉芸術文化勲章シュヴァリエ。関西二期会創立メンバーでもある。 台湾総督府に勤める父健次と、母照子の第一子として生まれる。13歳で終戦、大阪へ戻る。 大阪府立北野高等学校卒業後、大阪学芸大学(現・大阪教育大学)に入学、同学専攻科を卒業する。在学中から推薦を受け、NHK大阪放送合唱団へオーディションにより入団。公私共に宗教曲を多く演奏する活動のなかでキリスト教にその源泉を求め、ロベルト・ブリーゲン神父(大阪芸術大学名誉教授、ベルギーフランドル交流センター元館長)の元でグレゴリオ聖歌を中心に典礼音楽を学ぶ。
武中 はじめ(たけなか はじめ、本名:武中肇、1932年(昭… 武中 はじめ(たけなか はじめ、本名:武中肇、1932年(昭和7年)2月15日 - 1995年(平成7年)9月7日)は、日本の歌手、タレント、ラジオパーソナリティ。元コロムビア専属歌手で、1970年代以降は宮崎放送(MRT)所属のタレントとしてMRT制作のラジオ・テレビ番組に数多く出演。宮崎県の企業CM出演や地元イベント参加など郷土に根ざした活躍で知られた。また歌謡学校などで歌手を指導・育成したり、障がい者支援の慈善活動を行うなど多岐にわたる活動を展開した。宮崎放送制作のテレビ番組「おくさま9:30」にてMRT正面玄関前レポーター担当などタレントとして活動していた武中吾子(たけなかあこ)は娘。 ※南国慕情(B面):作詞・赤城慧、作曲:山本丈晴 ※元気だしなよ(A面):作詞・山塚重人、作曲・堀川敏幸、編曲・甲斐靖文、歌・武中はじめ※四角い空(B面):作詞・はらちあき、作曲・武中アコ、編曲・甲斐靖文、歌・武中アコ この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。
中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 … 中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。本名:中村 雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。畑中良輔に師事。 オペラデビューは1959年(昭和34年)ロッシーニ『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵。オペラでの出演歴はきわめて多数にのぼり、二期会、東京室内歌劇場を主に、昭和音楽大学オペラ情報センターに記録されているだけでも127回を数える。主演したオペラは70曲を超えているという。「オペラ界での長年の活躍と日本初演作上演への貢献も著しい往年の名テナー」である。
増山 美知子(ますやま みちこ、1932年1月24日 - 2… 増山 美知子(ますやま みちこ、1932年1月24日 - 2023年4月18日)は、日本のソプラノ声楽家。大阪府出身。 東京女子大学短期大学部卒業。同年、東京藝術大学音楽部声楽科入学。オペラ科を経て同大学卒業。在学中、矢田部勁吉に師事。ミラノではカンポ・ガリアーニ、ジュリー・テッス、ロゼッタ・エリーに師事。ドイツ系の曲は、中山悌一、ゲルハルト・ヒュッシュ、ヴァイセンボルンに師事。 安宅賞受賞2回。国際芸術文化賞受賞。アメリカよりフェローの称号を受ける。文化庁長官表彰受賞。2006年11月9日、園遊会に招待され、当時の天皇・皇后より「お言葉」を賜る。二期会会員、日本演奏連盟会員、日伊音楽協会会員、日独協会会員。
青木はるみ(あおき はるみ、1932年(昭和7年) - 20… 青木はるみ(あおき はるみ、1932年(昭和7年) - 2009年9月)は、日本の歌手。歌手で、日本歌手協会6代目会長の青木光一は実兄。本名は青木泰子。 1932年(昭和7年)、佐賀県唐津市出身。本名、青木輝子。満洲奉天に家族で移住し、奉天高等女学校を卒業。 1952年(昭和27年)、新東宝スターレットの第1期生に採用され、映画女優としてデビューするも、しばらく芽が出なかった。 映画を諦めてジャズ学校に入っていたところを吉田正の目にとまり、まず1953年(昭和28年)12月、ビクターシスターズのメンバーとしてデビュー。そして半年後の1954年(昭和29年)5月、芸者スタイルで「娘ごころは恥ずかしうれし」で歌手デビュー。
乙田 修三(おとだ しゅうぞう、1932年 - )は、日本の… 乙田 修三(おとだ しゅうぞう、1932年 - )は、日本の作曲家・歌手。石川県白山市出身。日本作曲家協会会員、石川県歌謡文化協会理事長。 乙田修三歌謡研究所を主宰し、門下生の中にはプロデビューした者も多い。また、公民館などのカラオケ教室でも講師を務める。 北陸放送ラジオで1993年10月から2025年12月まで『乙田修三勝ち抜き歌謡道場』というリスナー参加ののど自慢番組に出演していた。 毎年6月に開催される金沢市の百万石まつりでは前田利家役の俳優が金沢駅前を出発する際に乙田が自作の『あゝ前田利家公』を歌うのが恒例となっている。 鶴来町(現白山市)に生まれる。4歳の時、事故で目を怪我しそれがもとで弱視となる(30代で右目の視力を失い、左目もコンタクトレンズを入れて0.3程度しか見えない)。
勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1… 勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。本名・奥村 利夫(おくむら としお)。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された。
野崎 整子(のざき せいこ、1931年11月3日[要出典] … 野崎 整子(のざき せいこ、1931年11月3日[要出典] - )は、福岡県久留米市出身[要出典]の日本の歌手である。昭和20年代を中心に歌手として活躍した。野崎せい子の名義でも曲を発売した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
岡村 喬生(おかむら たかお、1931年10月25日 - )… 岡村 喬生(おかむら たかお、1931年10月25日 - )は、東京都出身のバス歌手。NPOみんなのオペラ・芸術総監督。
大橋 國一(おおはし くにかず、1931年(昭和6年)10月… 大橋 國一(おおはし くにかず、1931年(昭和6年)10月21日 - 1974年(昭和49年)3月21日)は、日本の声楽家(バス、バリトン)、オペラ歌手。ヨーロッパの歌劇場と専属契約を結んだ最初の日本人歌手であり、日本人歌手の海外進出の嚆矢となった。しばしば新字体で大橋国一と表記される。1973年11月に再発した結腸がんが肝臓に転移し、闘病の末、1974年3月21日に42歳の若さで亡くなりました。ヨーロッパで活躍し、将来を嘱望されながらも病によってその才能を断たれました。 東京府出身。東京都立新宿高等学校時代にコーラス部に入ったのがきっかけで、声の良さを認められ1951年(昭和26年)に東京藝術大学に入学。
友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月… 友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月9日 - 1993年〈平成5年〉3月23日)は、日本の声楽家・バリトン歌手・詩人。広島県福山市出身。 広島県福山南高等学校(現・広島県立福山葦陽高等学校)から国立音楽大学声楽科に進み、卒業後二期会に所属。1955年、「カルメン」のモラレス役でオペラデビュー。 1960年、キングレコード専属となる。その後、童謡・オペラ・ミュージカルなど幅広く活躍し多くの人に親しまれた。 1979年1月から1981年12月まで、料理番組『くいしん坊!万才』で3代目レポーターを務めた。しかし大の梅干し嫌いであったため、番組内で梅干しが出された際も断るわけにはいかず、結局苦渋の表情で食べるシーンが後年の「NG大賞」などでも放送された。
平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 19… 平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)は、日本の演奏者、ソングライター、編曲家である。日本作曲家協会会員。 1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。実業家であり三味線奏者で東明節(とうめいぶし)の創始者として知られる、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 - 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である。シロフォン奏者・平岡養一(1907年 - 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 - 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」とするのは誤り。初代東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 - 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる。
横井 順子(よこい じゅんこ、1931年(昭和6年)7月28… 横井 順子(よこい じゅんこ、1931年(昭和6年)7月28日 - 2019年(令和元年))は、日本のソプラノ歌手。徳島文理大学名誉教授。元徳島文理大学音楽学部学部長。 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。香川県出身。夫はバリトン歌手で大阪音楽大学名誉教授の横井輝男。 香川県出身。1955年(昭和30年)、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業。大学を卒業後は四国を中心に活動を行い、1968年(昭和43年)に夫である横井輝男と共にジョイントコンサートを開催。また同年に香川県芸術祭賞を受賞する。 1973年(昭和48年)と1976年(昭和56年)には自身のソプラノリサイタルを開催し、シューベルト、シューマン、レーヴェ、ブラームスなどの歌曲を演奏。
中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月1… 中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月18日 - 1997年(平成9年)7月8日)は、昭和期のシャンソン歌手、女優。 本名は室 美紗緒(旧姓は中原)。 叔父に画家の中原淳一、義理の叔母に女優で元タカラジェンヌの葦原邦子がいる。長男は映画監督・映像プロデューサーの室希太郎。妹の夫はミステリ作家の渡辺剣次。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒業。 代表曲は、「パリのお嬢さん」、「フルフル」、「私の心はバイオリン」、「河は呼んでいる」、「バス通り裏」、「夜は恋人」などがある。
築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 201… 築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 2013年12月15日)は日本の歌手、女優。本名は西原利枝。東京府東京市(現在の東京都区部(東京23区)に相当)出身。旧芸名は姫路リエ子。 鷗友学園高等女学校在学中、戦争のため、静岡県榛原郡に疎開。榛原高等女学校(現・静岡県立榛原高等学校)を卒業後、東京に戻り、ムーラン・ルージュの歌手になる。 1950年、姫路リエ子の芸名で映画『恋しかるらん』で女優デビュー。翌1951年、大映に入る。以降、1955年まで映画出演を続けた。 その間の1954年、ビクターレコードに入社。翌1955年、「金色仮面(ゴールデンマスク)」(漢字は「黄金仮面」としている資料もある)の芸名で覆面歌手として『ジャニー・ギター』でデビュー。
芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - … 芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - 2004年4月7日)は、日本の俳優、歌手。本名、西部 清(にしべ きよし)。愛称は、雁ちゃん。血液型O型。京都府京都市出身。京都市立朱雀中学校卒業。 実家の家業は京都で友禅染の染物屋を営んでいたが、芸事、道楽事が好きであった父は戦後、「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。清は父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。
戸川 昌子(とがわ まさこ、1931年3月23日 - 201… 戸川 昌子(とがわ まさこ、1931年3月23日 - 2016年4月26日)は、日本の推理作家、シャンソン歌手。 1931年、東京市に生まれる。東京都立千歳丘高等学校中退。戦争で父と兄を亡くし、戦後は母と二人で女性専用の同潤会大塚女子アパートに入居。伊藤忠商事の英文タイピストの職を経て、1957年頃からはシャンソン歌手として銀巴里に出演するようになる。これは、銀巴里の素人飛び入り企画で、アルトで歌っている戸川を観た美輪明宏が、バンドマスターにレギュラーに加えるよう進言したのがきっかけだった。 1962年、戸川自身が住んでいた大塚女子アパートを舞台としたミステリー『大いなる幻影』で第8回江戸川乱歩賞を受賞。
天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 -… 天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。 愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、家は旧尾張藩士であった。高校卒業後、1949年に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。 1951年、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。
島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 20… 島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 2014年)は、日本の元女優、シャンソン歌手。本名:土屋 とし子(つちや としこ)。元夫は映画監督の神代辰巳。東京都出身。大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校)卒業。 終戦後、バーの女給などをしながら役者を志し、中央演劇学校で学び、1949年俳優座養成所の2期生になった。1950年に新東宝映画のフレッシュガールに応募。藤本真澄の目に適い『山のかなたに』でデビューした。芸名は、石坂洋次郎が『青い山脈』のヒロインの名から採ったもの。二作目の『夜の緋牡丹』の製作では、主役の座をめぐり脚本の八田尚之に直談判後、一時行方不明となった。結果的に主役の座を争っていた女優が降板したため、『夜の緋牡丹』では主役を得ている。
高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、19… 高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、1931年(昭和6年)2月16日 - 2014年(平成26年)11月10日)は、日本の俳優・歌手。本名は小田 剛一(おだ たけいち)(または小田 敏政)、だが晩年は親族に剛一郎(ごういちろう)と名乗った。高倉プロモーション所属。 福岡県中間市出身。1998年(平成10年)に紫綬褒章・2006年(平成18年)に文化功労者・2013年(平成25年)には文化勲章を受章した。 1931年(昭和6年)2月16日(月曜日)、筑豊炭田にある福岡県中間市 の裕福な一家に生まれる。4人きょうだいの次男で、上2人は息子、下2人が娘であった。父の小田敏郎は大日本帝国海軍の軍人で、戦艦「比叡」乗り組みなどを経て 炭鉱夫の取りまとめ役(労務管理者)などをしていた。
和田 弘(わだ ひろし、1931年(昭和6年)2月15日 -… 和田 弘(わだ ひろし、1931年(昭和6年)2月15日 - 2004年(平成16年)1月5日)は、日本の歌手・ギタリスト。スティール・ギター奏者で和田弘とマヒナスターズのリーダー。専修大学卒業。 東京府東京市本郷区(現東京都文京区本郷)出身。父は製本業を営んでいた。 幼い頃からオルガンに親しみ、銀座日本劇場で灰田晴彦とモアナ・グリー・クラブの演奏を聴いてスティール・ギターに傾倒。兄の同級生である浜口庫之助に弟子入りし、ハワイアンミュージシャンになる。 1949年(昭和24年)4月、専修大学に入学。在学中にリリー・アイランダースを結成し、自らリーダーを務めた。 1950年(昭和25年)4月、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズにギタリストとして加入。
岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年… 岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年2月11日)は、日本の歌手、実業家、元「東京ウエスタンボーイス」のメンバーで「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」(現在の「ザ・ドリフターズ」)の初代リーダー。第一プロダクション創業者である。群馬県出身。
小田 清(おだ きよし、1930年12月26日 - 2014… 小田 清(おだ きよし、1930年12月26日 - 2014年9月4日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。 福島県出身。福島県立安積高等学校卒業。 オペラデビューは横浜勤労者音楽協議会 第76回例会 1960年(昭和35年)3月6,8,9,13,14,15,19日 ヴェルディ『リゴレット』タイトルロール 神奈川県立音楽堂である。最後のオペラ出演は日本オペラ協会1991年(平成3年)3月9,10日 三木稔『あだ』土部三斎 東京芸術劇場中ホール。この間、合計で110本ものプロダクションに一貫して歌手として出演しており、特に二期会の中心的なバリトン歌手として活躍した。中には1967年(昭和42年)の二期会創立15周年記念公演ワーグナー『パルジファル』日本初演のクリングゾルなど歴史的な役柄もあった。
三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也、1930年… 三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也、1930年〈昭和5年〉11月10日 - 1996年〈平成8年〉1月8日)は、北海道上磯郡上磯町峩朗(現在の北斗市)生まれ、函館市育ちの流行歌手。愛称は「みっちゃん」「ミッチー」。 民謡で鍛えた伸びやかな高音と絶妙のこぶし回しを持ち味に、昭和30年代の日本の歌謡界黄金期をリードし、数多くのミリオンセラーを連発。販売枚数は日本人で唯一、1億枚に達したとされている、昭和歌謡界を代表する男性歌手の一人。特に全盛期の昭和30年代前半は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの絶大な人気を誇った。 セメント会社の作業員だった父は三橋が3歳の誕生日前日に落盤事故で亡くなる。
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月1… 野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)は、日本の小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。参議院議員(1期、任期途中で退職)を務めた。 神奈川県鎌倉市で生まれる。程なく生母が亡くなり、兵庫県神戸市の親戚宅の養子に。空襲で養父を失い、疎開先で妹を栄養失調で亡くし放浪した。こうした体験から、「焼跡闇市派」を自称した。 早稲田大学仏文科中退。在学中からコント・テレビの台本、CMソングの作詞などで活躍。 『エロ事師たち』(1963年)で小説家デビュー。妹への贖罪から書いた『火垂るの墓』(1967年)、占領下の世相を描いた『アメリカひじき』(1967年)で直木賞受賞。
星 和男(ほし かずお、1930年9月28日 - 2004年… 星 和男(ほし かずお、1930年9月28日 - 2004年2月3日)は日本の作曲家、声楽家、音楽教諭。福島県出身。 声楽家で東京音楽大学准教授の星洋二は長男。 1930年(昭和5年)、福島県若松市(現在の会津若松市)馬場町に生まれる。旧制会津中学校(現在の福島県立会津高等学校)を経て国立音楽学校(現在の国立音楽大学)声楽科へ進学するが、1年で中退する。1949年(昭和24年)、藤原歌劇団合唱部に入部。 帰郷後に中学校の音楽教諭となり、会津若松市立河東第一中学校在職中の1967年(昭和42年)に県が募集していた「福島県県民の歌」の作曲部門で応募作が入選する。その後も南会津郡下郷町の町民歌「飛躍の明日へ」や会津若松市立松長小学校、喜多方市立姥堂小学校など会津地方の公立学校の校歌で作曲を手掛けた。
黒田 美治(くろだ びじ、本名・くろだ よしはる、1930年… 黒田 美治(くろだ びじ、本名・くろだ よしはる、1930年9月25日 - 2001年2月28日)は、日本のカントリー・ウエスタン歌手。男爵黒田一義の孫。 旧福岡藩大老・黒田男爵家(三奈木黒田家)の次男として、イギリスのロンドンにて出生した。妹が後に板東英二と結婚したことから、板東の義兄にも当たる。 日本に帰国後は、学習院高等科 (旧制)を経て学習院大学と慶應義塾大学に在籍。慶大卒業後に、学習院大学時代に知り合った井原高忠とのコンビで、チャック・ワゴン・ボーイズを結成した。後に寺本圭一が加入。戦後日本でいち早くカントリー・ウエスタンを広めた歌手で人気となり活動した。板東によると、一時引退し、板東経営のサウナ風呂のマネージャーをしており、離婚後に別姓の事実婚の女性との間に1子がいる。
高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27… 高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27日 - 2019年〈令和元年〉6月26日)は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者、映画解説者。東宝芸能最終所属。 兵庫県神戸市東灘区御影出身。本名は髙嶋 忠夫(読み同じ)。血液型はO型。 4人姉妹弟の長男。妻は女優でタレントの寿美花代。息子は俳優の髙嶋政宏と髙嶋政伸。弟は音楽プロデューサーの髙嶋弘之。姪はバイオリン奏者でタレントの高嶋ちさ子。 兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影)で、姉妹弟のいる4人姉弟の長男として出生。祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を自称していたが弟子もおらず、生涯定職につくことのない有閑階級の家庭であった。
築地 利三郎(つきじ りさぶろう、1930年〈昭和5年〉2月… 築地 利三郎(つきじ りさぶろう、1930年〈昭和5年〉2月8日 - 2025年〈令和7年〉3月11日)は、日本の声楽家(バリトン(バスバリトン))。音楽教育者。合唱指揮者。 秋田県大曲市(現:大仙市)出身。弟に洗足学園音楽大学元名誉教授の築地文夫、兄に有機農業運動指導者の築地文太郎がいる。1955年(昭和30年)東京芸術大学卒業。畑中良輔、中山梯一に師事。柔らかく重厚味のある声で、ドイツ歌曲を深く学び、1957年(昭和32年)ヴォルフのみによるリサイタルを開き好評を得たほか、日本歌曲、ロシア歌曲にも独特な味わいをみせている。 オペラでは1953年(昭和28年)二期会第2回公演フリードリッヒ・フロトー『マルタ』でデビュー。
大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 201… 大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 2011年4月23日)は、日本の実業家、声楽家(バリトン歌手)。位階は従三位。勲等は勲一等。 実業家として、CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)・会長、社団法人経済団体連合会副会長などを歴任した。財団法人東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長、東京文化会館館長を務めた。 東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業し、西ドイツに留学してベルリン国立芸術大学音楽学部を卒業した声楽家でもあった。30代半ばだった1964年の時点では、バリトン歌手として活発に活動しており、実業家(ソニー商事株式会社取締役広報部長)と二足の草鞋を履いていた。
竹内 肇(たけうち はじめ、1930年(昭和5年) - )は… 竹内 肇(たけうち はじめ、1930年(昭和5年) - )は、日本のバリトン歌手。四国二期会名誉顧問。元高松短期大学幼児教育学科教授。 香川大学教育学部卒業。香川県さぬき市出身。 香川県さぬき市出身。香川大学教育学部を卒業。バリトン歌手として四国二期会に所属し、高松第一高等学校音楽科教諭を定年退職後は高松短期大学幼児教育学科の教授を務めた。 1964年(昭和39年)に香川県高等学校音楽教育功労賞、2000年(平成12年)に香川県教育文化功労賞、2004年(平成16年)に東京二期会感謝状、2006年(平成18年)に香川県教育功労県知事賞、2010年(平成22年)に公益財団法人中條文化振興財団賞、2014年(平成26年)によんでん芸術文化功労賞などを受賞。
瀬山 詠子(せやま えいこ、1930年(昭和5年) - )は… 瀬山 詠子(せやま えいこ、1930年(昭和5年) - )は、日本の声楽家(ソプラノ)。音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。二期会会員。 東京藝術大学卒業。畑中良輔、畑中更予に師事。1956年(昭和31年)モーツァルト『フィガロの結婚』ケルビーノでデビュー。1959年(昭和34年)に第1回のリサイタルを開いたのをはじめ、リサイタルを数多く開催。オペラではヒンデミット『ロング・クリスマスディナー』ルーシィ、『フィガロの結婚』伯爵夫人、カール・オルフ『賢い女』などに出演。出演歴は昭和音楽大学オペラ情報センターの記録だけで29件存在する。 また、オペラだけでなく、リートや日本歌曲の普及には先達とも言えるソプラノで、なかでも現代音楽の演奏に優れ、三善晃、石桁真礼生、池内友次郎作品など、現代日本歌曲の分野で不可欠な存在となっている。
鳴海 日出夫(なるみ ひでお、1929年(昭和4年)11月2… 鳴海 日出夫(なるみ ひでお、1929年(昭和4年)11月2日 - 2016年)は、昭和期の歌手。 新潟県高田市(現上越市)出身。幼くして、父親の仕事の関係で中国へ渡る。敗戦後、引き揚げ旧制高田中学へ入学。1948年(昭和23年)、中学卒業後、かつてから親交のあった作曲家田村しげるの勧めで、NHKのど自慢素人音楽会に出場し合格。全国大会にチャレンジし、第4回NHK全国のど自慢大会で「白い花の咲く頃」を歌い2位、翌年の1952年(昭和27年)3月、「山のけむり」を歌い優勝。同年コロムビアに入社。恩師田村しげるが作曲した「島は国境の彼方へ」でデビュー。 1954年(昭和29年)、「東京の恋唄」のヒットにより、コロムビアの人気歌手の仲間入りを果たす。
三船 浩(みふね ひろし、本名:森田肖三、1929年9月28… 三船 浩(みふね ひろし、本名:森田肖三、1929年9月28日 - 2005年7月8日)は、日本の歌手。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。1951年、NHKのど自慢で新潟県代表となり関東・甲信越大会で優勝、全国大会で第3位に入賞。新潟放送でのラジオ制作・DJを経験し上京。 1956年(昭和31年)12月、「男のブルース」(作詞:藤間哲郎、作曲:山口俊郎)で豊かな低音の魅力を生かし、キングレコードより歌手デビュー。芸名の三船浩とは、柔道四段の腕前で講道館の三船久蔵十段から命名。当時、フランク永井・神戸一郎・石原裕次郎と共に低音ブームを巻き起こし一世を風靡した。 その後も、「さようなら故郷さん」「東京だより」「夜霧の滑走路」「黒帯の男」「サワーグラスの哀愁」「小樽の赤い灯が見える」「男の酒場」などのヒット曲を放った。
大賀 寛(おおが ひろし、1929年(昭和4年)3月3日 -… 大賀 寛(おおが ひろし、1929年(昭和4年)3月3日 - 2017年(平成29年)7月31日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。日本オペラ協会の創立者であり、長年総監督を務めた。妻は大賀美都子(旧姓:大谷)。 京都府京都市出身。1955年(昭和30年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。長門美保歌劇団公演ドヴォルザーク『ルサルカ』日本初演や、藤原歌劇団青年グループへの参加など、バリトン歌手として多くのオペラ公演に出演する傍ら、1958年(昭和33年)教育オペラ協会を設立。1960年(昭和35年)教育オペラ研究会が日本オペラ研究会に改称。1970年(昭和45年)日本オペラ研究会が日本オペラ協会に改称。
立川 清登(たちかわ すみと、1929年〈昭和4年〉2月15… 立川 清登(たちかわ すみと、1929年〈昭和4年〉2月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月31日)は、日本のバリトン歌手。二期会所属。本名は立川 澄人(たつかわ すみと)。旧芸名は立川 澄人、所属レコード会社はビクター音楽産業(現在のビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)。洗足学園大学客員教授も務めた。 大分県大分市出身。春日浦海岸近くのフグ料理の料亭である春日亭(現在は閉店)に生まれる。大分県立別府第二高等学校(現在の大分県立芸術緑丘高等学校)、東京芸術大学卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、中山悌一に師事し、1953年『椿姫』のジェルモンでデビュー。歌劇を始めミュージカル、テレビ番組への出演も多く、NHK紅白歌合戦にも1963年から1966年まで連続4回出場した。
安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2… 安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2日 - )は、日本の歌手。所属事務所はミュージックオフィス合田。 北海道北見市出身。1945年(昭和20年)、終戦の年に上京し、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)卒業。 卒業と同時に日本コロムビアの専属となり、1949年(昭和24年)に藤山一郎と一緒に吹き込んだデビュー曲『花の素顔』(同名松竹映画の主題歌)がヒット。 1953年(昭和28年)には前年、コロムビアが行った全国歌謡コンクールの課題曲歌詞募集の入選作であった『毬藻の唄』が爆発的ヒットするも、歌手の若山彰と結婚(のち離婚、後年再婚)のため、引退。 その後は江戸千家茶道師範などで生計を立てていたが、1982年(昭和57年)に二葉あき子・並木路子・池真理子・胡美芳らに誘われ、コロムビア五人会の1人として歌謡界復帰し、五人会結成コンサート「あなたのために唄います」を開催。
村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月1… 村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。 浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に、二代目広沢虎吉の弟子であった実父・広沢仙遊(本名・近藤官七)、やはり浪曲師であった実母・矢野ツタ子の子として生まれる。生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となる。
宇都美 清(うつみ きよし、1928年(昭和3年)11月12… 宇都美 清(うつみ きよし、1928年(昭和3年)11月12日 - 1973年(昭和48年)3月4日)は日本の歌手。栃木県宇都宮市出身。本名は吉田清男。 1946年(昭和21年)、宇都宮商業学校を卒業目前にして、コロムビアの新人募集に応募し合格。同年5月発売の「銀座歩けば」でデビュー。芸名の宇都美清とは出身地の宇都宮から取ったものである。 1949年(昭和24年)までに7曲吹き込んだが、ヒットしたのは「旅役者の唄」(霧島昇)のB面曲「三千歳小唄」ぐらいで、翌年、ビクターへ移籍。渡辺はま子と吹き込んだ「火の鳥」がヒットし、「ああモンテンルパの夜は更けて」、「浅太郎月夜」等がヒットする。 NHK紅白歌合戦に3回出場している(詳細は下記参照)。
五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 20… 五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 2011年9月23日)は、日本の声楽家(テノール歌手)。マネージメント協力はジャパン・アーツ。 日本オペラ振興会の常任理事、昭和音楽大学学長、宝塚音楽学校のカリキュラム編成アドバイザー(声楽)などを歴任し、日本におけるオペラ発展に尽力した。また、音楽活動のみならず、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』の司会やドラマ『コメットさん』に出演し幅広く活躍した。
疋田 生次郎(ひきた せいじろう、1928年〈昭和3年〉4月… 疋田 生次郎(ひきた せいじろう、1928年〈昭和3年〉4月7日 - 2001年〈平成13年〉2月17日)は、日本の声楽家(バリトン)・音楽教育者。元・武蔵野音楽大学教授。 北海道出身。1957年(昭和32年)武蔵野音楽大学専攻科修了。 1969年(昭和44年) - 1972年(昭和47年)イタリアのローマ、ミラノに留学し、マリオ・サンマリーニ、デ・スカルツィ、レオニーダ・ベッロンらに師事。 音楽教育者として優れ、優秀な声楽家を数多く育てた。著名な門下生は、伊原直子、山路芳久、牧野正人、青山智英子、星洋二、高橋啓三、村田健司、笠井幹夫、田口興輔、塩田美奈子、丹藤亜希子、三縄みどり、大澤一彰、小貫岩夫、新垣勉、富浦元公など、錚々たる顔ぶれである。
渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 … 渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1996年〈平成8年〉8月4日)は、日本のコメディアン、俳優、歌手。本名:田所 康雄(たどころ やすお)。 代表作『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した昭和の名優。 没後に国民栄誉賞を受賞している。 1928年3月10日、東京府東京市下谷区(現:台東区下谷)で、地方新聞の記者をしていた父・友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母・タツとの間に次男として生まれる。兄・健一郎がいる。 1934年11月、板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居し、志村第一尋常小学校へ転入。
世良 明芳(せら あきよし、1928年(昭和3年)3月1日 … 世良 明芳(せら あきよし、1928年(昭和3年)3月1日 - 1995年)は、日本の声楽家(バス歌手)。東京マイスタージンガーの元メンバー。 島根県出身。1954年、明治大学法学部卒業。1955年、藤原歌劇団に入団。歌劇「セビリアの理髪師」でデビューし、「ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」などに出演。舞台以外でも、「ジャングル大帝」や「ひょっこりひょうたん島」などのTVドラマや、ディズニー映画「おしゃれキャット」などの映画作品で歌唱を務めた。NHK番組「歌のメリーゴーランド」では1964年からにレギュラー出演した。後に、鳥取女子短期大学教授、島根県合唱連盟副理事長、松江コーラルソサエティ会長なども務めた。