有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・… 有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・有馬マリ子)は、日本の音楽家、声楽家(アルト歌手)。鹿児島大学名誉教授。鹿児島オペラ協会会長を長年務める。 鹿児島市出身。幼少期から歌が好きで、ラジオにしがみついて三浦環が歌うプッチーニの蝶々夫人を聴いていた。1940年に鹿児島県立第二高等女学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)へ入学。高等女学校3年生の時に田中義人(鹿児島師範学校教員)に弟子入りして、夜道を母に守られながらレッスンに通う。東京音楽学校(後の東京藝術大学)に合格し、師範科で四家文子に師事して1948年に卒業。同年鹿児島師範学校で教職に就く(同校は翌年の学制改革で新制鹿児島大学に包括される)。
三浦 洸一(みうら こういち、1928年1月1日 - 202… 三浦 洸一(みうら こういち、1928年1月1日 - 2025年1月11日)は、日本の歌手。本名は、桑田 利康(くわた としやす)。 神奈川県三浦市出身。持ち歌は文芸を題材にして書かれた曲いわゆる「文芸歌謡」が多い。謹厳実直な歌唱法が特長で、社歌や自治体制作の音頭など委託制作盤も多数吹き込んでいる。血液型はA型。 神奈川県三浦市三崎地区の浄土真宗本願寺派最福寺の三男・第四子(四人兄弟の末っ子)として出生。長兄は陸軍に入隊しビルマで戦死したため、次兄が住職を継ぐ。その次兄も1993年に死去し、現在は甥(次兄の長男)が住職を務めている。幼少期より厳格な祖父のもと、読経を学ぶ。 現在の三浦市立三崎小学校、市立横須賀商業学校を卒業。
藤島 桓夫(ふじしま たけお、1927年10月6日 - 19… 藤島 桓夫(ふじしま たけお、1927年10月6日 - 1994年2月1日)は、日本の演歌歌手。本名:坂本 義明。愛称はオブさん。藤島恒夫と表記されることがあるが誤り。鼻から頭の先に抜けるような独特の高音と渋みのある低音を織り交ぜた歌唱、粋なマドロス姿や着流し姿で多くのファンに愛された。 大阪府大阪市西成区出身。大鉄高校卒業後、大阪府内の電話局勤務を経て、1950年に「あゝ東京へ汽車は行く」でタイヘイレコードからデビュー。1954年、「初めて来た港」がヒット。以後、「かえりの港」「さよなら港」などの港シリーズで一世を風靡。 1956年、「かえりの港」で『NHK紅白歌合戦』に初出場。『紅白歌合戦』には7回連続出場している(詳細は下記参照)。
菅原 都々子(すがわら つづこ、1927年(昭和2年)8月6… 菅原 都々子(すがわら つづこ、1927年(昭和2年)8月6日(ただし戸籍上は同年8月15日) - )は、日本の女性歌手。哀愁漂う独特のヴィブラートによる歌唱法を持ち味に「エレジー(悲歌)の女王」と呼ばれ、「NHK紅白歌合戦」の記念すべき歌唱者第1号(最初に歌った歌手)として著名である。本名は永松 都々子(ながまつ つづこ)。旧姓は菅原。 青森県十和田市出身、神奈川県相模原市南区在住。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)卒業。 1937年(昭和12年)にデビュー。独特の哀愁を帯びた個性的なビブラート唱法が特徴で、『江の島悲歌』(えのしまエレジー)や『月がとっても青いから』が代表曲として知られる。現在の時点で第1回、第2回NHK紅白歌合戦の出演者で最後の存命者でもある。
若山 彰(わかやま あきら、1927年7月4日 - 1998… 若山 彰(わかやま あきら、1927年7月4日 - 1998年12月9日)は、日本の歌手。広島県三原市出身。武蔵野音楽大学卒業。元妻は「花の素顔」「マリモの唄」などで知られる歌手の安藤まり子。墓所は広島県三原市の香積寺にある。 広島県で繊維問屋を営む家に生まれ、不自由なく育つ。幼少の頃より歌好きであったが、旧・広島文理科大学在学中に出場した音楽コンクールで3位入賞を果たしたことで、本格的に歌の道を志し、武蔵野音楽学校へ入学し直す。 当初はオペラ歌手を目指していたが、在学中に伊藤久男の「イヨマンテの夜」のバックコーラスのアルバイトをしたことで流行歌の魅力にとりこになり、作曲家の米山正夫に師事。大学卒業後の1951年、24歳で日本コロムビアから「星空」でデビュー。
宇野 誠一郎(うの せいいちろう、1927年2月27日 - … 宇野 誠一郎(うの せいいちろう、1927年2月27日 - 2011年4月26日)は、日本のソングライター、編曲家。 兵庫県武庫郡鍛冶町(現・神戸市兵庫区)出身。早稲田大学第一文学部仏文科卒業。妻は声優、女優の里見京子。 幼少のころから母親の影響でピアノを習う。小学3年の時にピアノを取り上げられ練習を禁じられたが、独自に勉強を積む。 音楽大学への進学を考えていたが、音大に通っていた親戚に紹介された音楽評論家の園部三郎に「作曲家志望だからといって音大に行くのは間違っている。それよりむしろ見聞を広めるために一般校に行くべきだ」と指導され、早稲田大学に入学。 在学中の1948年から池内友次郎・安部幸明に作曲を、齋藤秀雄に指揮を、平尾貴四男に管弦樂法などを学ぶ。
植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 -… 植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 - 2007年3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。愛称は、「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。 父は僧侶の植木徹誠。長男は作曲家の比呂公一。妹の夫は部落問題研究者の川村善二郎。父方の祖母の親類に御木本幸吉がいる。 1927年(昭和2年)2月25日、父・植木徹誠、母・いさほの間に三男として愛知県名古屋市で生まれた。父・徹誠は、真宗大谷派名古屋別院にて僧侶としての教修中だった。 実際の生年月日は1926年12月25日。ちなみにこの日は、大正天皇が崩御した日である。植木本人が『徹子の部屋』で語ったことによると、父が出生時に体調を崩しており、叔父・保之助に役所への届けを依頼したが叔父がそれを忘れ、翌年ようやく出生届を出したことから、戸籍上の生年月日が翌年になったという。
伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ き… 伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ きょう)、1927年(昭和2年)2月22日 - 2021年 (令和3年) 7月25日 )は、日本の声楽家(オペラ・ソプラノ歌手)、音楽教育者。国立音楽大学名誉教授、静岡文化芸術大学客員教授。 静岡県掛川市出身。1943年(昭和18年)4月、東京音楽学校甲種師範科に入学。1947年(昭和22年)に同校を卒業した、研究科を修了。城多又兵衛、酒井弘、浅野千鶴子、田中伸枝、原信子、フェルディナント・グロスマン、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ等に師事。 1949年(昭和24年)第18回日本音楽コンクール声楽部門で第1位を獲得。1950年(昭和25年)東宝交響樂團ベートーヴェン『フィデリオ』(指揮:近衛秀麿)でオペラデビュー。
安田 宝英(やすだ たかひで、1927年1月20日 - 20… 安田 宝英(やすだ たかひで、1927年1月20日 - 2021年4月)は日本の民謡歌手(奄美シマ唄唄者)、民謡指導者。ひぎゃ唄と呼ばれる奄美大島南部瀬戸内町の歌い方で、小学生から大人までを対象とした三味線、民謡教室を運営し、多くの唄者を育てた。鹿児島県徳之島の伊仙町出身、喜界島(喜界町)在住。 生まれ育った徳之島の伊仙町目手久(めてぐ)は「花ジマ」とも呼ばれるシマ唄文化の盛んな地域で、シマ唄好きな両親に育てられた。このため、徳之島のシマ唄は熟知していたが、1959年名瀬市(現奄美市)に渡り、農業機械の販売会社に就職すると、奄美大島のシマ唄にも親しんだ。特に1964年頃から瀬戸内町の武下和平がテレビ、ラジオ等で注目されると、ひぎゃ唄を習い覚えた。
胡 美芳(こ びほう)(1926年11月20日 - 2009… 胡 美芳(こ びほう)(1926年11月20日 - 2009年11月7日)は、和歌山県生まれの中国人歌手。日本名で、周 朝子(しゅう あさこ)とも名乗っていた。戦後日本でデビューし、渡辺はま子や李香蘭の歌のカバーで人気を博した。日本コロムビア所属。1974年にキリスト教に入信し、以後、福音歌手として教会を回っての活動を続けた。 息子は、東京・新橋で新橋やきとんまこちゃん本店を経営している。
川上 玲子(かわかみ れいこ、1926年〈大正15年〉11月… 川上 玲子(かわかみ れいこ、1926年〈大正15年〉11月11日 - 没年不明)は、日本のソプラノ歌手。徳島文理大学名誉教授。 武蔵野音楽大学音楽学部声楽科卒業。兵庫県西宮市出身。 兵庫県西宮市出身。1948年(昭和23年)に武蔵野音楽大学音楽学部声楽科を卒業し、声楽をリア・フォン・ヘッサートに師事する。 大学を卒業後は徳島女子大学音楽学部で教鞭を執り、1972年(昭和47年)に同大学が改称し徳島文理大学音楽学部の教授となる。また全四国大学音楽学会などに所属した。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
三島 敏夫(みしま としお、1926年11月10日 - 20… 三島 敏夫(みしま としお、1926年11月10日 - 2014年8月17日)は、日本のハワイアン歌手、演歌歌手。
住江 みちる(すみのえ みちる、1926年8月16日 - 1… 住江 みちる(すみのえ みちる、1926年8月16日 - 1988年)は、かつて宝塚歌劇団に在籍していた歌手。本名は的場翠。兵庫県芦屋市出身。プロレス解説者の伊集院浩の姪でもある。1988年に膵臓がんで死去。 1939年(昭和14)に宝塚歌劇団29期生として、宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学、同期生には淡島千景、久慈あさみ、南悠子、故里明美(入団時は故里千秋)などがいる。当時のプログラム上では、1945年(昭和21)まで「住江」、1946年は「住の江」の表記である。 1942年(昭和17)に宝塚歌劇団に入団。初舞台は同年5月の大劇場雪組公演で、行軍譜『軍艦旗征くところ』、舞踊『戻り橋』、歌劇『ピノチオ』で初舞台を踏む。
安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24… 安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24日 - 2015年(平成27年)12月16日)は、日本の元ヤクザ、俳優、小説家、歌手、プロデューサー。東京府豊多摩郡(のちに東京市淀橋区)東大久保天神下(現・東京都新宿区新宿6丁目)出身。 サラリーマンの三男一女の長男として大久保天神下で生まれる。小学3年時に6年の番長を刺し学校を制圧。神奈川県川崎市立川崎中学校に進学するも喧嘩に明け暮れ、濡れ衣を着せられ、15歳で調布市の感化院に入れられる。旧制中学校時代は転校を繰り返し、父の満州転勤に伴い16歳のとき満州に渡り、奉天第一中学校に進学。同校退学後内地へ戻り、京王商業転入。不良学生を束ねて加納貢と意気投合し兄弟分になる。
佐々木 行綱(ささき ゆきつな、1926年(大正15年)3月… 佐々木 行綱(ささき ゆきつな、1926年(大正15年)3月14日 - 2017年(平成29年)9月6日)は、日本の声楽家(バス)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家。音楽教育者、作曲家の佐々木すぐるの三男。 東京出身。幼少時はボーイソプラノの童謡歌手であり、代表曲は『四っつの兄ちゃん』『犬と小僧さん』『兵隊あそび』などがある。1944年(昭和19年)東京音楽学校声楽科に入学。木下保、中山悌一に師事。1948年(昭和23年)卒業。同年同校研究科に進み、柴田睦陸に師事。1950年(昭和25年)修了。畑中良輔を代表に結成された第二次東京交声楽団に参加し、その先頭に立って歌唱技能を磨く。1951年(昭和26年)芸大歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』(日本初演)ブランデルでデビュー。
青木 光一(あおき こういち、1926年〈大正15年〉2月1… 青木 光一(あおき こういち、1926年〈大正15年〉2月17日 - )は、日本の歌手。日本歌手協会名誉会長。『柿の木坂の家』など、多くの大ヒットを飛ばし、人気アイドルとして昭和時代中期の日本歌謡界に君臨した。佐賀県唐津市出身。歌手の青木はるみは実妹。元妻は同じく歌手の永田とよ子(3代目天中軒雲月)。
織井 茂子(おりい しげこ、1926年〈大正15年〉1月10… 織井 茂子(おりい しげこ、1926年〈大正15年〉1月10日 - 1996年〈平成8年〉1月23日)は、日本の歌手。本名は伊東 茂子(いとう しげこ)。東京都目黒区出身。 10代の頃は、童謡歌手として、リーガル(コロムビアの廉価盤)の専属として活躍。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業後、歌謡曲歌手となるべく当時有名であった大村能章歌謡学院の門下となり、大村の紹介により「都 能子(みやこ よしこ)」の芸名で、1947年(昭和22年)にキングレコードからデビュー。芸名の「能子」は、師である大村能章の「能」をいただいたものである。ヒット曲には恵まれなかったものの、木下惠介監督の松竹映画『女』にレビュー歌手として出演し、劇中で『紅バラルンバ』を歌っている。
斎藤 達雄(さいとう たつお、1926年 - 2000年)は… 斎藤 達雄(さいとう たつお、1926年 - 2000年)は、日本のバリトン歌手。息子はピアニストの斎藤雅広。 子供の頃から童謡歌手として活動し、「かわいい魚屋さん」などの曲を世に送り出している。中山悌一門下となり、東京音楽学校(現:東京藝術大学)卒業後、藤原義江の下で藤原歌劇団の幹部として活躍し、同歌劇団のアメリカ巡業等にも参加している。『リゴレット』を得意としたが、立川澄人や友竹正則とともに「ブッファ三羽烏」と呼ばれたこともあり、脇役での演技力もあった。 ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』日本初演でベックメッサーを演じ、来日していたフンパーディンクを驚嘆させた話は有名である。
佐々木 基晴(ささき もとはる、1926年(大正15年) -… 佐々木 基晴(ささき もとはる、1926年(大正15年) - )は、日本の民謡歌手。日本民謡佐々木基晴流家元で、江差追分等の日本民謡の大御所。財団法人日本民謡協会理事、北海道民謡連盟最高師範、道南口説節実行委員会代表などの肩書きを持つ。 北海道渡島支庁亀田郡湯川町(現・函館市)生まれ。 5歳より民謡を唄い初め、1949年、『この声百万ドル第1回全国大会』に優勝。翌年には27曲の北海道の発掘民謡を発表した。 基声会を発足させ指導者として全国民謡と江差追分の保存・普及、少年民謡の育成と指導に努めた。1976年には内閣総理大臣より昭和50年度『芸術文化に活躍された人々』の招待を受けた。1982年に芸術祭優秀賞受賞。
飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月… 飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月4日 - 没年不明)は日本の童謡歌手、女優。本名飯田房江。 1925年(大正14年)、東京市板橋区板橋町に生まれる。父は歌人の飯田莫哀。板橋第二小学校在学中に長谷基孝のもとで童謡を学び、コロムビア専属の童謡歌手となる。千代田高等女学校卒業後は宮川美子に師事、東洋音楽学校に入学するが太平洋戦争により音楽学校が閉鎖となったため1944年(昭和19年)東宝に参加、女優となる。1949年(昭和24年)ごろに第八軍法務部勤務の丸山晴次と結婚する。
河村 順子(かわむら じゅんこ、1925年(大正14年)8月… 河村 順子(かわむら じゅんこ、1925年(大正14年)8月27日 - 2007年(平成19年)1月20日)は、日本の童謡歌手。父は童謡作曲家の河村光陽。妹もそれぞれ童謡歌手の陽子(1927年11月18日 - 2021年2月7日)、博子(1929年8月9日 - )。 東京都小石川区久堅町(現在の東京都文京区)出身。1932年(昭和7年)、「かごめかごめ」「お薬とり」でポリドール・レコードからデビュー。1935年(昭和10年)1月、ポリドール専属となる。1936年(昭和11年)、キングレコードに移籍し、同年2月、父河村光陽が作曲した「うれしいひなまつり」が大ヒット。以降父の作曲した「かもめの水兵さん」、「りんごのひとりごと」、「赤い帽子白い帽子」などがヒットした。
藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、本名:早川 嵐子〈はやかわ ら… 藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、本名:早川 嵐子〈はやかわ らんこ〉、1925年7月21日 - 2013年8月22日)は、1950年代に日本で活動したタンゴ歌手である。 東京生まれ。東京市立忍岡高等女学校(現:東京都立忍岡高等学校)卒業。1943年4月に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)予科に入学。平原寿恵子に師事した。翌年本科声楽部に進むが、満州の紡績工場に単身赴任していた父の招きで、音楽学校を休学(のちに中退)して一家で満州に渡る。大連近郊の瓦房店市に住み、父が勤める工場で働く女工に歌を教える日々を送る。 日本の敗戦後しばらくしてから、治安の悪化や父の失業などの理由から瓦房店市から大連に移り、家計を支えるためにダンスホールで歌い始める。
大木 伸夫(おおき のぶお、1925年4月29日 - 201… 大木 伸夫(おおき のぶお、1925年4月29日 - 2013年12月30日)は、日本の演歌歌手である。本名は、川内 優(かわうち まさる)。佐賀県伊万里市出身。日本浪曲協会名誉顧問。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
大沢 浄二(おおさわ じょうじ、1925年3月29日 - … 大沢 浄二(おおさわ じょうじ、1925年3月29日 - (2020-07-22) 2020年7月22日(95歳没))は、日本のソングライター。群馬県太田市出身。本名:大澤 浄八。1954年、東京音楽大学卒。 作曲家デビューは、1957年の水原淳歌唱「おーィお月さん」。水原には後に「ふるさと航路」「元気でナ達者でナ」「山家つばき」などを提供。水原は一歳年上である。水原は2019年3月25日、95歳で死去した。
笈田 敏夫(おいだ としお、1925年(大正14年)2月21… 笈田 敏夫(おいだ としお、1925年(大正14年)2月21日 - 2003年(平成15年)9月2日)は昭和期のジャズ歌手。戦後を代表するジャズ歌手として活躍した。愛称は「ゲソ」。ドイツベルリン生まれ。 父はピアニストで、園田清秀と共に絶対音感教育を提唱した笈田光吉(本名は逓吉こきち。1902年〜1964年)。母は製薬業を営む亀田通夫の妹の富子。祖父は福井県出身で、陸軍幼年学校英語教官の笈田敏野。妻は女優・歌手の宇治かほる(1931年〜1987年)で、黒澤明の妻の妹。息子は司会者・エッセイストの島敏光(1949年6月22日~ )。 戦時中は海軍に召集され、大分で終戦を迎える。戦後、数々のバンドを転々とし、1953年(昭和28年)ビクターからレコードデビュー。
大橋 節夫(おおはし せつお、1925年2月2日 - 200… 大橋 節夫(おおはし せつお、1925年2月2日 - 2006年6月7日)は、日本のハワイアン歌手、スティール・ギター奏者、ソングライター、編曲家。 東京都出身。ニックネームは「オッパチ」「オッパチさん」(オッパッツさん)。後に石原裕次郎や五木ひろしがカバーした「倖せはここに」などがヒットし、戦後の日本にハワイアンブームをもたらした。加山雄三のヒット曲「お嫁においで」の編曲、演奏を手がけたことでも知られる。 節分に産声を上げたところから節夫と名付けられる。12歳からウクレレを始めたが、間もなくスティール・ギターに転向。 1941年にセブンスターズ・ハワイアンを結成。1943年に海軍予備員となり、翌年に洲ノ崎派遣隊隊長として出征。
三条 町子(さんじょう まちこ、1925年1月9日 - 20… 三条 町子(さんじょう まちこ、1925年1月9日 - 2022年8月30日)は、日本の歌手。本名は藤田 信子(旧姓:宮野)。三條 町子の表記もある。 青森県八戸市に生まれる。作曲家大村能章の弟子。戦争中は栃木に疎開。 1948年(昭和23年)に上京し、同年、キングレコードから本名の「宮野信子」の名前で「泪のブルース」にてデビュー。他に「黄昏の花園」などを発表した。1949年(昭和24年)、芸名を「三條町子」として発表した「かりそめの恋」が大ヒットし、一躍その名が知られることとなった。1951年(昭和26年)には「東京悲歌」(とうきょうエレジー)も大ヒットした。大津美子の1956年(昭和31年)の代表作「ここに幸あり」はもともと三條町子の吹き込みで曲は制作されたが、三條が出産を控えていた為に、同じレコード会社の当時新人の大津に回ってきたというエピソードがある。
岡本 敦郎(おかもと あつお、1924年〈大正13年〉12月… 岡本 敦郎(おかもと あつお、1924年〈大正13年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉12月28日)は、日本の歌手、音楽教師。武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)声楽科卒業。日本コロムビア所属。 1924年12月25日、北海道小樽市に生まれる。学校の教員を務める父親がクラシック好きで、幼少期から音楽に親しむ環境で育つ。 父親の転勤で神奈川県に転居し、旧制川崎中学校(現・神奈川県立川崎高等学校)に進学する。 川崎中学校在学中の1940年、映画「熱砂の誓い」を鑑賞し、アトラクションで伊藤久男の歌う「建設の歌」に感銘を受け、歌手を志す。 1943年、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)へ進学。
鶴田 浩二(、1924年〈大正13年〉12月6日 - 198… 鶴田 浩二(、1924年〈大正13年〉12月6日 - 1987年〈昭和62年〉6月16日)は、日本の俳優、歌手。 昭和を代表する映画俳優の一人として数多くの映画やドラマに主演。戦後派として登場し、甘さと翳りを兼ね備えた天賦の美貌で一躍トップスターに躍り出た。若いころは絶世の美男子としてアイドル的人気を博したが、中年期からは任侠映画や戦争もので見せた渋い魅力で、日本映画界を代表するスターとして長らく君臨した。また、歌手としても独特の哀愁を帯びた声と歌唱法で知られた。 兵庫県西宮市出生。戸籍上の出身地は、静岡県浜松市。本名は小野 榮一()。 西宮時代、父と母が結婚していなかったのは、鶴田の父である大鳥の家が鶴田の母との婚姻を許可しなかったためである。
柴田 喜代子(しばた きよこ、1924年12月6日 - 20… 柴田 喜代子(しばた きよこ、1924年12月6日 - 2005年9月9日)は、日本の声楽家。ソプラノ歌手。 1924年(大正13年)に大阪府で生まれる。1947年(昭和22年)に東京音楽学校 (旧制)声楽科を卒業。1952年(昭和27年)に結成された二期会に所属。同会の第1回オペラ公演、プッチーニの「ラ・ボエーム」でヒロインのミミ役を演じた。この際、ロドルフォ役を務めた柴田睦陸と後に結婚。その後も音楽活動を続け、1968年(昭和43年)に発売された音楽誌『音楽の友 26』の記事「現代日本の声楽家102人」の中でも取り上げられる存在であった。 後年、聖徳大学短期大学部教授を務めたほか、活水女子短期大学で後進指導にも当たった。
春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みの… 春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みのる)、1924年〈大正13年〉10月9日 - 1991年〈平成3年〉10月22日)は、福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。代表曲は「赤いランプの終列車」「お富さん」「別れの一本杉」。 父・鬼佐久は農業を母・キヨに任せて蕎麦打ちの行商をやり、キヨは小学校で週2、3度裁縫を教え、夜は賃仕事の仕立物に精出して家計を助けていた。父は尺八を、母は三味線を嗜んでいた。父は蕎麦打ちの名人で、母は当地の花嫁衣装を一手に引き受けるほどの和裁の名手でもあった。春日には妹二人のほかに「ほとんど記憶にない」異母兄姉6人、異父兄姉が4人いた。 1930年に八幡村立八幡尋常小学校へ入学するが、この時期は「歌のうの字も知らない」状態で、人からうまいといってほめてもらった記憶もなかった。
山本 智子(やまもと さとこ、1924年8月2日 - 202… 山本 智子(やまもと さとこ、1924年8月2日 - 2022年9月2日)は、日本の声楽家。 大阪府出身、神戸女学院大学音楽部卒業。父は日本卓球協会名誉副会長で日本卓球界永年の功労者である山本弥一郎、夫は卓球の元日本チャンピオンの今孝。 関西二期会オペラ公演「泥棒とオールドミス」の主役でデビュー後、数多くのオペラに出演。NHKや民放にも数多く出演する。 卓球の元日本チャンピオン今孝と1945年に結婚し子供をもうけるが、1946年に夫と死別、2年後には長女を亡くす。 1996年から亡くなるまで「サルビア・ゾリステン」を主宰していた。 2022年7月21日に膝を骨折して入院、8月22日に退院したものの、一切食事をとらず、9月2日に老衰のため堺市の高齢者施設で死去した。
芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012… 芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012年2月4日)は、日本のシャンソン歌手、声楽家。本名:羽鳥廣。
榎本 美佐江(えのもと みさえ、1924年3月13日 - 1… 榎本 美佐江(えのもと みさえ、1924年3月13日 - 1998年9月23日)は日本の歌手。美人芸者歌手として、戦後に人気を博した。 1924年(大正13年)3月13日、埼玉県川口市で生まれる。家が貧しかったため、1934年(昭和9年)、小学校5年生で浅草の小劇場・玉木座の劇場主に奉公へ出される。1938年(昭和9年)には15歳で石川県の能登で芸者に出されたが、1940年(昭和10年)に東京の実家に戻る。だがすぐに大井町から芸者に出される。その後、作曲家大村能章の日本歌謡学院にて歌を学び、戦争中は工場や軍隊の慰問などに回った。戦時歌謡を吹き込んだりもした。 1946年(昭和21年)、テイチク入社し、同年10月に発売した「貴方にはわからない」で本格的に歌手デビュー。
浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月1… 浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月19日 - 2025年〈令和7年〉)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。元武蔵野音楽大学教授。 長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)出身。長野県須坂高等女学校(現: 長野県須坂東高等学校)卒業。しばらく音楽講師として教壇に立ったが、27歳の時、恩師の勧めで東京藝術大学声楽科に入学した。1956年(昭和31年)卒業。岡部多喜子に師事。平井康三郎、信時潔、松本民之助にも指導を受けた。1961年(昭和36年) - 1965年(昭和40年)ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院に留学。ジョルジョ・ファヴァレット、イルデブランド・ピツェッティ、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ、ダンジェロ、A・レオーネ、V・マリーニに師事。
越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野&… 越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野<こうの>、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。
菊池 章子(きくち あきこ、1924年1月28日 - 200… 菊池 章子(きくち あきこ、1924年1月28日 - 2002年4月7日)は、東京市(現東京都)出身の歌手である。本名は菊池 郁子。妹は歌手の多摩幸子。義子に大久保直彦、孫にcaminoのKIKUとBREATHのメンバーだった菊池一仁がいる。 1924年(大正13年)1月28日(月曜日)、東京市の下谷に生まれる。1927年(昭和2年)畑秀水の門下生となり琵琶を習う。1930年(昭和5年)6才で免許皆伝となり、菊池錦祠を襲名する。のちに菊池祠水となる。 その後、歌謡曲に興味を持ち、九段にあった「大村能章歌謡学院」に入った。日華事変が起こった後は、学院の生徒と共に軍の病院などで慰問活動を行う。女学校の低学年にもかかわらず、彼女が唄うと、アンコールの声が鳴り止まなかった。
楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は… 楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山 敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。
津村 謙(つむら けん、1923年12月12日 - 1961… 津村 謙(つむら けん、1923年12月12日 - 1961年11月28日)は、富山県下新川郡入善町出身の歌手。男性。 本名:松原 正(まつばら ただし)。妻は元松竹少女歌劇団の大国阿子。 魚津中学校卒業後、上京し、江口夜詩の門下となる。1943年(昭和18年)、テイチクからデビューしたが、まもなく徴兵される。 1946年(昭和21年)、芸名を津村謙として再デビュー。この芸名は、戦時中に発表されて一世を風靡した映画『愛染かつら』の主人公・津村浩三の「津村」と、それを演じた俳優・上原謙の「謙」を取ったものである。 しばらくヒットに恵まれなかったが、1951年(昭和26年)に、「上海帰りのリル」(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地政信)が大ヒット(島耕二監督によって1952年に映画化/後に根津甚八がカバーする)。
山口 銀次(やまぐち ぎんじ、1923年9月20日 - 19… 山口 銀次(やまぐち ぎんじ、1923年9月20日 - 1997年4月22日)は、日本のハワイアン歌手、ウクレレ奏者。実兄に山口正保、実弟に山口軍一がおり、ともにハワイアン・ミュージシャンである。 長崎県佐世保市出身。少年期にウクレレを始めた。 バッキー白片に師事しつつ、寺部頼幸、寺部震、石川淳らと椰子の実楽団(後の寺部頼幸とココナッツ・アイランダースの前身)を結成。 太平洋戦争中は戦闘機操縦士としてフィリピンに出征。 1945年10月、九州に復員。その後、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズの再結成に立ち会う。当時のメンバーは、白片、寺部頼幸、寺部震、実兄の山口正保、山口銀次。 1953年、アロハ・ハワイアンズを脱退し、バンドの同僚である和田弘や鈴木揚介とともに山口銀次とマヒナスターズを結成。
平山 美智子(ひらやま みちこ、1923年7月14日 - 2… 平山 美智子(ひらやま みちこ、1923年7月14日 - 2018年4月1日)は、日本の声楽家(ソプラノ歌手)。 ブーレーズ、ケージ、クセナキスが彼女の為に作品を多く作っている。 1923年7月14日、 東京府東京市出身。1944年に東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業。 1953年にイタリアへ渡り、サンタ・チェチーリア国立アカデミア(ローマ)及びキジアーナ音楽院(シエーナ)にて声楽を学ぶ。1957年にはオーストリアへ行き、モーツァルテウム音楽院(ザルツブルク)でヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作品の研究を始めたのを皮切りに、フーゴー・ヴォルフ以後の後期ロマン派音楽に探求の幅を広げるなど意欲的な音楽活動を展開する。
奈良 光枝(なら みつえ、1923年(大正12年)6月13日… 奈良 光枝(なら みつえ、1923年(大正12年)6月13日 - 1977年(昭和52年)5月14日)は、昭和時代の歌手。本名は佐藤 みつえ。美貌の歌手として知られた。 青森県弘前市出身。弘前高等女学校(現:青森県立弘前中央高等学校)卒業後、兄の学友であった作曲家の明本京静の薦めで東洋音楽学校に進学。病弱であったためクラシックやオペラを断念し、この事を明本に相談したところ、「マイクロフォンを使う歌手なら大丈夫」と助言を受け、1940年(昭和15年)3月、コロムビアのテストに合格し、16歳で専属歌手となる。同年6月に「胡弓哀歌」を吹き込むが、検閲により発売禁止になる。二作目の「南京花嬌子」で流行歌手としてデビューする。
砂原 美智子(すなはら みちこ、1923年〈大正12年〉2月… 砂原 美智子(すなはら みちこ、1923年〈大正12年〉2月19日 - 1987年〈昭和62年〉8月27日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。 広島県呉市出身。呉市立吾妻小学校(現・呉市立明立小学校)在学中の1930年(昭和5年)、音楽を学ぶために一家で東京移住。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)卒業。1942年(昭和17年)東京音楽学校入学。1944年(昭和19年)東京音楽学校本科声楽科卒業(戦時中のため、卒業時期短縮で9月卒業)。平原寿恵子に師事。1947年(昭和22年)藤原歌劇団公演のプッチーニ『ラ・ボエーム』ムゼッタでデビュー。翌年にかけてビゼー『カルメン』のミカエラ、ロッシーニ『セビリアの理髪師』のロジーナ、プッチーニ『蝶々夫人』などを演じて一躍同劇団のプリマドンナになる。
桑原 瑛子(くわばら えいこ、1923年〈大正12年〉1月2… 桑原 瑛子(くわばら えいこ、1923年〈大正12年〉1月28日 - 2023年〈令和5年〉9月8日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。 東京府出身。東京音楽学校 (旧制) 卒業。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 1947年(昭和22年)に團伊玖磨と結婚。 1948年(昭和23年)藤原歌劇団を率いる藤原義江にモーツアルト『ドン・ジョヴァンニ』(本邦初演・帝国劇場)のドンナ・アンナの役を頼まれオペラデビュー。以後、藤原歌劇団の興隆期の大プリマとして活躍した。1950年代にはイタリアに留学。1958年(昭和33年)の藤原歌劇団によるプッチーニ『トスカ』でタイトル・ロールを歌った。
石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010… 石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010年7月17日)は、日本のシャンソン歌手、エッセイスト、実業家(芸能プロモーター)。日本シャンソン界の草分けであり、半世紀以上に亘り牽引し続けた業界の代表・中心人物として知られている。日本シャンソン協会初代会長。東京都出身。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)卒業、東京音楽学校声楽専科卒業。 政治家・石井光次郎の次女として生まれ、母の勧めにより6歳からピアノを習う。ただ、歌は好きだがピアノは好きになれなかったという。ピアノを教えていた岡本たま(音楽家岡本敏明の妻)は、そんな好子にピアノを無理強いすることなく、ただ好きな歌を歌うよう勧めた。
平山 美代子(ひらやま みよこ、1922年6月29日 - 2… 平山 美代子(ひらやま みよこ、1922年6月29日 - 2005年以降消息不明)は、日本の女性歌手・童謡歌手。本名は磐瀬ゆき。 現在の東京都千代田区三番町出身。1933年に明仁親王(上皇明仁)が誕生した際に「皇太子さまお生まれなつた」を歌い一躍スター歌手となった。 1922年、三越の美術部に勤務する岩瀬純の四女として東京府東京市麹町区三番町に生まれる。六人兄弟(二男四女)の末っ子であったが、長兄は幼少期の爆発事故により右眼を失明し、長姉もこの事故により右手の親指と人差し指にに大けがを負っている。また、次兄は1925年頃に自家中毒で夭逝している。 小学三年生のとき、学校教師に誘われ東京子供音楽会に入会する。
戸田 敏子(とだ としこ、1922年〈大正11年〉5月10日… 戸田 敏子(とだ としこ、1922年〈大正11年〉5月10日 - 2015年〈平成27年〉9月24日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ、アルト)、オペラ歌手、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。 東京府出身。1943年(昭和18年)東京音楽学校(現:東京藝術大学)を総代で卒業。 1943年11月13日に東京音楽学校の奏楽堂で開催された第149回報国団出陣学徒壮行演奏会で、村野弘二の繰り上げ卒業時に発表されたオペラ『白狐』第二幕のアリア「こるはの獨唱」(作詞:岡倉天心 ピアノ伴奏:高橋美代子)を歌う。その後、同級生の畑中良輔とともに村野作品のレコード吹込みを行い、戸田は「こるはの獨唱」(ピアノ伴奏:高橋美代子)と、歌曲『重たげの夢』(作詞:三好達治 ピアノ伴奏:村野弘二 チェロ伴奏:井上みどり)を歌った。
久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日… 久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日 - 1996年〈平成8年〉7月11日)は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区)新富町出身。本名は森山 淑子。 生家は、明治時代に歌舞伎役者の写真を多数撮影した森山写真館。1939年、麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生。1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位。淡島千景、南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。 1951年、ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。
畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2… 畑中 良輔(はたなか りょうすけ、1922年(大正11年)2月12日 - 2012年(平成24年)5月24日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者、合唱指揮者、音楽評論家、作曲家、詩人、翻訳家(訳詞家)、エッセイスト。日本芸術院会員。日本の洋楽の発展に多大な功績を残した。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)に浅野セメントに勤める父・勝次郎と、琴および三絃の師匠をしていた母・筆の長男として生まれる。四人家族で、二つ上の姉がいる。旧制門司中学校に入学、ラッパ鼓隊に所属し小太鼓を担当する。進学先として受験科目に苦手の数学が無い東京音楽学校を選び、人前で歌ったことはなかったが消去法で「声楽科」と書いたという。
深緑 夏代(ふかみどり なつよ、1921年9月24日 - 2… 深緑 夏代(ふかみどり なつよ、1921年9月24日 - 2009年8月31日)は、京城(現在のソウル)出身のシャンソン歌手、音楽講師。元宝塚歌劇団雪組主演娘役の宝塚歌劇団卒業生。 本名は多田 玲子(ただ れいこ)で、愛称はターコさん、タマコさん、ターコ先生など。