宮崎 英修(みやざき えいしゅう、1913年3月7日 - 1… 宮崎 英修(みやざき えいしゅう、1913年3月7日 - 1997年8月9日)は、日本の仏教学者・僧侶。立正大学名誉教授。 兵庫県出身。1937年立正大学文学部宗教学科卒。1943年立正大学生主事補。44年予科講師、48年仏教学部助教授。59年教授。68年「不受不施派の源流と展開」で立正大学より文学博士の学位を取得。現代宗教研究所長、83年定年退任、名誉教授、身延山短期大学学頭。
武内 義範(たけうち よしのり、1913年2月2日 - 20… 武内 義範(たけうち よしのり、1913年2月2日 - 2002年4月12日)は、日本の宗教学者、浄土真宗僧侶、京都大学名誉教授。 1913年、三重県四日市市で東洋史研究者・武内義雄の子として生まれた。京都帝国大学文学部哲学科に進学し、在学中は田辺元に師事してヘーゲルの哲学等を学んだ。1936年に卒業。京都帝国大学大学院文学研究科に進み、1946年に修了。 1948年、同大文学部宗教学科助教授に就いた。1959年、同教授に昇格し、宗教学講座を担当。1976年に京都大学を退官し、名誉教授となった。同年4月からは愛知学院大学文学部宗教学科教授。1988年、愛知学院大学を退職。1995年、日本学士院会員に選出された。
菅原 独去(すがはら どっこ、1912年〈大正元年〉8月4日… 菅原 独去(すがはら どっこ、1912年〈大正元年〉8月4日 - 1990年〈平成2年〉12月20日)は、日本の俳人・僧侶。境港市光祐寺住職。 本名は真哲(しんてつ)。鳥取県倉吉市生まれ。昭和9年、仏教専門学校(現佛教大学)卒業。1935年(昭和10年)より句作をはじめ、1937年(昭和12年)に『ホトトギス』に初入選。その後、高浜虚子に師事し、1954年(昭和29年)よりホトトギス同人となる。1963年(昭和38年)より、句誌『城』の選者を務めた。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
内山 興正(うちやま こうしょう、1912年7月15日 - … 内山 興正(うちやま こうしょう、1912年7月15日 - 1998年3月13日)は日本の曹洞宗の僧侶で、折り紙作家。詩人。 澤木興道に長年師事し、その死後に安泰寺の住職となる。 兄弟子に横山祖道、弟弟子に弟子丸泰仙がいる。 渡部耕法、唐子正定、関口道潤、櫛谷宗則、奥村正博、山本成一、本多廸冨、鷹峰道雄等がいる。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
湊 素堂(みなと そどう、1912年(明治45年)7月14日… 湊 素堂(みなと そどう、1912年(明治45年)7月14日 - 2006年(平成18年)7月24日)は、昭和から平成にかけて代表する臨済宗の禅僧。俗姓は湊。道号は葆州、法諱は素堂 (そどう)。室号は用いず。徳島県徳島市津田町出身。臨済宗建長寺派管長(1964年-1980年)、臨済宗建仁寺派管長(1989年-1999年)。湊 葆州(みなと ほしゅう) とも言う。世寿95。 1912年 (明治45年) 7月14日、徳島県徳島市津田に湊勝治郎・たねの四男として生まれ、恵人(よしひと)と名付けられた。 1926年(大正15年) 4月、徳島県立徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)に入学。1932年(昭和7年) 4月、旧制高知高等学校に入学。
東井 義雄(とうい よしお/ぎゆう、1912年(明治45年)… 東井 義雄(とうい よしお/ぎゆう、1912年(明治45年)4月9日 - 1991年(平成3年)4月18日)は、「いのちの教育」の探求に尽くした日本の教育者、浄土真宗僧侶。 兵庫県出石郡合橋村佐々木(現・豊岡市)にある浄土真宗の東光寺に生まれる。1932年(昭和7年)に姫路師範学校を卒業した。卒業後、豊岡小学校赴任を皮切りに小学校教師として奉職、多くの著作を著す。1972年(昭和47年)に八鹿小学校校長を最後に定年退職。翌年4月より姫路学院女子短期大学、兵庫教育大学の講師を務め、1987年(昭和62年)辞任。55年間の教員生活に終止符を打つ。1991年(平成3年)急性硬膜下出血で逝去。東光寺住職。
木辺 宣慈 (きべ せんじ、旧名:成麿(しげまろ)、1912… 木辺 宣慈 (きべ せんじ、旧名:成麿(しげまろ)、1912年4月1日 - 1990年5月2日)は、日本の浄土真宗の僧侶、真宗木辺派21代門主。光学技術者。レンズ磨きの名人として知られ、「レンズ和尚」と呼ばれた。父親は木辺孝慈、母親は醍醐忠敬の娘・静子。長姉の彰子は子爵藤谷為寛の二男・為隆の妻。次姉の弘子は、真宗誠照寺派の28世法主、二条秀淳に嫁いだ。妹の行子は、徳山毛利家の子爵毛利元靖の妻。 父方祖父は大谷光尊、父方伯父叔母に大谷光瑞、大谷尊由、九条武子ら、母方伯父に醍醐忠重がいる。
大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - … 大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - 1983年3月11日)は、日本の統計学者・僧侶。京都大学名誉教授。 新潟県加茂市生まれ。旧名・栄俊。1935年東京帝国大学文学部宗教学科卒、1940年京都帝国大学経済学部卒、同助手、1942年日本鋼管入社、1949年京都大学経済学部助教授、1965年教授。1963年 経済学博士の学位を取得。1966-1967年経済学部長、1975年定年退官、名誉教授となり、日本福祉大学教授、1982年花園大学教授を務めた。
牧田 諦亮(まきた たいりょう、1912年(明治45年) -… 牧田 諦亮(まきた たいりょう、1912年(明治45年) - 2011年(平成23年))は、日本の僧侶、中国仏教史研究者。 1912年、滋賀県岩根村(現・湖南市)で生まれた。生家は野洲市の浄土宗念仏寺。小学1年の時、京都の寺町乗願寺・岩井真亮の弟子となった。 佛教専門学校(現佛教大学)を卒業後、大谷大学文学部東洋史学科に進学し、1936年に卒業。京都帝国大学文学部東洋史選科に進み、1939年に修了した。 1942年、中国に渡り、上海東亜同文書院大学助手に就いた。戦後の1946年、東方文化学院京都研究所助手に採用された。同研究所が1949年に改組された後は後継の京都大学人文科学研究所教授となった。
佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月… 佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月9日 - 1983年1月5日)は、日本の美術史家・仏教学者・真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授。嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。 広島県生まれ。インドネシア、インド、アフガニスタンなど仏教美術の伝流経路、源流地を訪ね歩いた。 経済学者の佐和隆光(京都大学名誉教授、滋賀大学学長)は息子。
井上 禅定(いのうえ ぜんじょう、1911年〈明治44年〉1… 井上 禅定(いのうえ ぜんじょう、1911年〈明治44年〉1月20日 - 2006年〈平成18年〉1月26日)は、日本の禅僧。元東慶寺住職。相模工業大学教授。学僧として名高く、また自然保護運動でも活躍した。 神奈川県高座郡渋谷村(現・藤沢市)高倉に円覚寺派東勝寺の禅僧の三男として生まれる。大正の初め、父の転住に伴い、足柄上郡南足柄村(現・南足柄市)の狩野極楽寺に移る。この極楽寺は臨済宗円覚寺の末寺であり、そこで少年時代の井上は、晩年の釈宗演の法話を聞き感銘を受ける。1921年春、10歳で親元を離れ鎌倉に赴き、東慶寺住職として釈宗演の跡を継いでいた佐藤禅忠の弟子となる。 神奈川県立湘南中学校(現在の神奈川県立湘南高等学校)、松本高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学文学部印度哲学科で辻直四郎の指導を受け、また和辻哲郎にも学ぶ。
飯田 利行(いいだ りぎょう、1911年1月7日 - 200… 飯田 利行(いいだ りぎょう、1911年1月7日 - 2004年)は、曹洞宗の僧、仏教学者、音韻学者。 群馬県佐波郡赤堀村(現伊勢崎市)生まれ。1936年東京文理科大学漢文学科卒、駒澤大学専任講師。1940年京都東方文化研究所(東方文化研究所?東方文化学院京都研究所?)助手。1941年駒澤大学教授。1954年「日本仏典の表白諷誦に残存せる中国近世音の研究」で東京教育大学文学博士。1966年専修大学文学部教授。1980年二松学舎大学教授。1985年『定本湛然居士文集訳』で日本翻訳文化賞受賞、1995年仏教伝道文化賞受賞。全長寺住職、總持寺顧問。
清水 公照(しみず こうしょう、本名:東道 睦治(とうどう … 清水 公照(しみず こうしょう、本名:東道 睦治(とうどう むつじ)、1911年1月3日 - 1999年5月6日)は、華厳宗の僧侶。兵庫県飾磨郡曽左村(現・姫路市)出身。 第207世、第208世東大寺別当、華厳宗管長となり、大仏殿昭和大修理を行った。独特の味わいのある書画、陶芸で知られる。1963年頃から「泥仏(どろぼとけ)」と称するユニークな小さな仏像を制作した。泥仏庵と号す。また、「今良寛」の異名がある。
藤本 幸邦(ふじもと こうほう、1910年8月29日 - 2… 藤本 幸邦(ふじもと こうほう、1910年8月29日 - 2009年12月4日)は、曹洞宗の僧、福祉事業家。 長野県長野市出身。曹洞宗円福寺住職。駒澤大学仏教学科卒。渡辺薫美に師事。戦後、長野市篠ノ井地区に篠ノ井文化協会を設立し、劇団「たんぽゝ」などの文化活動を始める。1948年養護施設円福寺愛育園を設立、「一寺院一孤児」を提唱する。曹洞宗大本山布教師、同北信越管区教化センター統括。アジア難民救済事業も行いカンボジアに小学校校舎を寄付した。1984年仏教伝道文化賞受賞。
高見 寛恭(たかみ かんきょう、1910年(明治43年)6月… 高見 寛恭(たかみ かんきょう、1910年(明治43年)6月8日 - 1996年(平成8年))は、日本の真言宗の僧侶・高野山大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉… 東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉5月16日 - 2014年〈平成26年〉1月1日)は、日本の僧侶。旧皇族。旧華族。久邇宮邦彦王の第3王子。旧名邦英王(くにひでおう)。香淳皇后の弟。第125代天皇・明仁(上皇)は甥、第126代天皇・徳仁(今上天皇)は大甥にあたる。妻は伯爵・亀井茲常の次女・東伏見保子。元衆議院議員・亀井久興は妻の甥。後述の経緯により1931年に皇族の身分ではなくなったが、皇族出身者としては記録に残る限りで一番長寿であった人物である(死去時点で103歳7か月16日、37851日)。 1910年(明治43年)、久邇宮邦彦王の第三男子として誕生。東伏見宮依仁親王・同妃周子より実子のように可愛がられており、子女がなかった同夫妻は、邦彦王と相談の上、当時9歳であった邦英王を東伏見宮に永く預かりの形で迎えることとなり、邦英王は、1919年(大正8年)10月26日の吉辰を卜して東伏見宮邸に移った。
川野 三暁(かわの さんぎょう、1910年(明治43年)3月… 川野 三暁(かわの さんぎょう、1910年(明治43年)3月31日 - 1989年(平成元年)12月18日)は、昭和期の僧侶、政治家。参議院議員、浄土真宗本願寺派・正念寺住職。 広島県山県郡出身。龍谷大学予科を経て、1937年(昭和12年)東洋大学文学部を卒業した。その後、中国に8年間留学した。 1953年(昭和28年)浄土真宗本願寺派宗会議員に就任し1989年まで9期在任。1960年(昭和35年)同派総務に就任し2回任じられた。1976年(昭和51年)池田勇人大蔵大臣秘書官となる。1978年(昭和53年)日本仏教連合会国際部長、1982年(昭和57年)浄土真宗本願寺派布教研究所所長に就任。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙で全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
石田 豪澄(いしだ ごうちょう、1910年 - 2005年)… 石田 豪澄(いしだ ごうちょう、1910年 - 2005年)は、天台宗の僧侶、仏教学者。名城大学教授、岩屋寺住職を務める。 明治43年、愛知県平和町に堪忍堂老年画伯を父として生まれる。9歳で天台宗円興寺豪鉄法印の得度を受ける。11歳で曹洞宗雲居寺恵光老師の会下に参じる。その後、20歳で良寛和尚に私淑。四国山中で修行。1935年に駒澤大学入学。大学卒業後、名古屋覚王山日泰寺仏舎利泰安塔奉仕殿司、名城大学教授、同大学図書館初代館長を歴任。 1973年、インドビハール州日本寺本堂天井画を揮毫。国際仏教興隆協会より「日本画僧」の称号を贈られた。 1976年、岐阜県土岐市に法王山中道寺を結ぶ。1983年、山海山根本中院金剛宝寺を結ぶ。
福原 亮厳(ふくはら りょうごん、1909年〈明治42年〉8… 福原 亮厳(ふくはら りょうごん、1909年〈明治42年〉8月15日 - 2000年〈平成12年〉3月31日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。龍谷大学名誉教授。 広島県生まれ。龍谷大学仏教学科卒。1961年「阿毘達磨佛教教理研究」で龍谷大学文学博士。龍谷大学助教授、教授、1977年退職、名誉教授。浄土真宗本願寺派勧学。2000年3月31日、敗血症のため死去する。享年90歳。
勝又 俊教(かつまた しゅんぎょう、1909年4月22日 -… 勝又 俊教(かつまた しゅんぎょう、1909年4月22日 - 1994年2月18日)は、日本の学僧・仏教学者。大正大学名誉教授。 1909年、新潟県で生まれた。東京大学文学部印度哲学科で学び、修了。 東洋大学教授。大正大学教授。1960年、学位論文『仏教における心識説の研究』を東洋大学に提出して文学博士号を取得。1978年、第22代大正大学学長に就任。同大学を退職し、名誉教授となった。 宗門においては、真言宗豊山派総本山長谷寺第79世能化。真言宗長者。千葉市広徳院住職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
花岡 大学(はなおか だいがく、1909年2月6日 - 19… 花岡 大学(はなおか だいがく、1909年2月6日 - 1988年1月29日)は、日本の童話作家・小説家・児童文学作家、仏教の僧侶である。本名如是(ゆきよし)、僧名大岳。浄迎寺の住職を務めた。京都女子大学名誉教授。
星野 元豊(ほしの げんぽう、1909年1月22日-2001… 星野 元豊(ほしの げんぽう、1909年1月22日-2001年5月24日)は、浄土真宗の僧侶、仏教学者。 鹿児島県生まれ。同県大口市(現・伊佐市)出身。1933年、龍谷大学宗教学科卒業。龍谷大学講師、助教授を経て、1949年文学部教授。1961年「宗教本質論」で龍谷大学より文学博士の学位を取得。1964年学長。1969年定年退職、名誉教授。浄土真宗本願寺派大嵓寺住職。 1981年、勲三等瑞宝章受勲。 昭和30年代、家永三郎らと念仏呪術論争に関わる。
斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - … 斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - 1940年9月5日)は、日本の言語学者、僧侶。エスペランティスト、ローマ字論者。別名に森馥、鳥海昇、北島三郎、野沢愛蘭。 明治41年、山形県東田川郡山添村(現:鶴岡市櫛引地区)泉流寺の長男として生まれる。鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)、1931年駒澤大学文学部東洋文学科卒業。大学在学中、日本エスペラント学会、カナ文字会、秋田雨雀らのソビエトの会の会員となる。 大学卒業後、朝日村大泉小学校教員となり、大平や八久和などの分校に勤めていたが、軍国主義教育に批判的であり、児童にローマ字を教えていたことが問題視され、赤化教員の疑いで鶴岡警察署に1度目の逮捕。
永野 鎮雄(ながの ちんゆう/しずお、1908年7月25日 … 永野 鎮雄(ながの ちんゆう/しずお、1908年7月25日 - 1982年12月7日)は、日本の僧侶、政治家、参議院議員(1期)。戦後、政財界で活躍した永野一族の一人。 広島県下蒲刈島にある浄土真宗本願寺派弘願寺の生まれ。旧制広島一中、旧制広島高校を経て東北帝国大学卒業後、1939年龍谷大学文学部卒業、1941年に龍谷大学研究科を卒業。自坊の弘願寺住職を継承した後に西本願寺宗務所に勤務し、総務や親鸞聖人大遠忌常務理事などを歴任。1957年には全日本仏教会の代表として当時正式な国交のなかった中華人民共和国を訪問している。 1968年、第8回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から立候補し当選。
蓬茨 祖運(ほうし そうん、1908年5月30日 - 198… 蓬茨 祖運(ほうし そうん、1908年5月30日 - 1988年9月20日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。 石川県出身。大谷大学卒。真宗大谷派参務。1970年九州大谷短期大学教授、二代目学長。賢隆寺住職。宇宙物理学者・蓬茨霊運は長男。
遊亀 教授(ゆうき さずく、1908年4月 - 1997年1… 遊亀 教授(ゆうき さずく、1908年4月 - 1997年1月27日)は、日本の倫理学者、浄土真宗の僧侶。 福井県武生出身。1932年龍谷大学文学部倫理学科卒、1936年同研究科修了。京都女子大学講師、1960年「鎌倉仏教の倫理学的研究」で龍谷大学文学博士、龍谷大学文学部助教授、教授、1971年学長代行。1979年名誉教授。 浄土真宗本願寺派(西本願寺)伝道院萇。教善寺住職。
松原 泰道(まつばら たいどう、1907年11月23日 - … 松原 泰道(まつばら たいどう、1907年11月23日 - 2009年7月29日)は、日本の臨済宗の僧侶。東京都港区の龍源寺住職。 東京府生まれ。早稲田大学文学部卒。岐阜県の瑞龍寺で修行したのち、臨済宗妙心寺派教学部長を務める。 1972年出版の「般若心経入門」(祥伝社刊)は記録的ベストセラーとなり、第一次仏教書ブームのきっかけを作った。1989年仏教伝道文化賞受賞。1999年禅文化賞受賞。著書は百冊を超える。 宗派を超えた仏教者の集い「南無の会」前会長。南無の会は1984年に正力松太郎賞を受賞した。 2009年、肺炎のため101歳で死去。 息子に龍源寺住職の松原哲明、婿に元花園大学学長、元妙心寺派宗務総長の細川景一。
執行 海秀(しぎょう かいしゅう、1907年11月18日 -… 執行 海秀(しぎょう かいしゅう、1907年11月18日 - 1968年12月4日)は、日蓮宗僧侶・仏教学者。 佐賀県生まれ。1936年立正大学文学部仏教学科卒。1969年「日蓮教学史」で立正大学より文学博士の学位を取得。立正大学文学部教授。市川市浄然寺住職。
中川 宋淵(なかがわ そうえん、1907年3月19日 - 1… 中川 宋淵(なかがわ そうえん、1907年3月19日 - 1984年3月11日)は、昭和の臨済宗の禅僧。俳人としても知られた。道号は玄珠、法諱は宋淵。本名は中川基(なかがわ もとし)。号は密多窟。 山口県玖珂郡岩国町(現・岩国市)出身。大正12年(1923年)、旧制第一高等学校入学。昭和2年(1927年)東京帝国大学文学部入学。 東京帝国大学在学中の昭和6年(1931年)3月19日、山梨県の向嶽寺勝部敬学につき得度。得度後は大菩薩山中にて木食修行に励む。昭和5年(1930年)東京の白山道場で山本玄峰に師事し、昭和10年(1935年)に静岡県三島市の龍沢寺へ転錫。昭和26年(1951年)4月、山本の跡を継いで龍沢寺第10世住職並びに僧堂師家となる。
関口 真大(關口 眞大、せきぐち しんだい、1907年3月1… 関口 真大(關口 眞大、せきぐち しんだい、1907年3月15日 - 1986年10月2日)は、天台宗の僧、仏教学者。 1907年、栃木県生まれ。1931年、大正大学文学部を卒業。日光山華厳院住職となる。また、母校である大正大学で教授を務め、1960年「天台止観の成立と達摩禅」を大正大学に提出して文学博士号を取得。1978年に定年退職すると同時に名誉教授となった。以降も、国際仏教研究所理事、全日本仏教会評議員を務めた。
若槻 修道(わかつき しゅうどう、1907年2月26日 - … 若槻 修道(わかつき しゅうどう、1907年2月26日 - 1999年10月11日)は、日本の政治家、僧侶。島根県飯梨村長、島根県議会議員(2期)、全国社会福祉協議会会長などを歴任。安来市萬松院十四世。号は活禅。 明治40年、能義郡飯梨村(現: 安来市)生まれ。1934年、曹洞宗大学(現: 駒澤大学)仏教学科卒業。曹洞宗研究生修了。 宗議会議員、飯梨村長(1947年4月から時期不明)、島根県議会議員(1951年5月から1959年4月まで)、県共同募金会会長、県社会福祉協議会会長、全国社会福祉協議会会長、仏教年鑑編集長などを務める。著書に「大乗経典の概説」など。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。
井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月2… 井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)6月5日)は、西洋史学者、浄土真宗の僧侶。 兵庫県出身。1930年京都帝国大学卒。第三高等学校教授、1943年京都帝大助教授。1948年「ローマ経済史の研究」で)文学博士、同年京都大学教授。1970年定年退官、名誉教授、奈良教育大学学長。西洋古代史が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
上司 海雲(かみつかさ かいうん、1906年(明治39年)2… 上司 海雲(かみつかさ かいうん、1906年(明治39年)2月15日 - 1975年(昭和50年)1月25日)は昭和の華厳宗の僧侶。第206世東大寺別当(住職)。文化人サロンを形成し「観音院さん」の名で親しまれた。 奈良市、東大寺塔頭持宝院に生まれる。1930年、龍谷大学英文科卒。一年志願兵で野砲22連隊に入隊。また太平洋戦争末期に召集され朝鮮に派遣される。1939年、東大寺塔頭観音院住職となる。東大寺学園中学校・高等学校校長、東大寺執事長、華厳宗宗務長等を歴任。1972年華厳宗管長・東大寺206世別当となり、開祖良弁上人の1200年忌を営む。東大寺大仏殿の昭和の大修理のために尽力したが、1975年、任期途中で癌で死去。
稲葉 心田(いなば しんでん 1906年 - 1986年1月… 稲葉 心田(いなば しんでん 1906年 - 1986年1月19日)は、日本の臨済宗の僧。道号は心田、法諱は元明。室号は蟠龍窟(ばんりゅうくつ)。俗姓は稲葉。1964年(昭和39年)から亡くなる1986年(昭和61年)まで、臨済宗国泰寺派管長並びに国泰僧堂師家を兼任した。1986年(昭和61年)、京都市で遷化。世寿81。 1906年(明治39年)、愛知県に生まれた。1916年に10歳にして台湾に渡り、長谷慈円(台湾臨済寺住職)の徒弟として得度。しかし14歳の時、1918年(大正7年)慈円はスペインかぜにて遷化。そしてその後を継いだ山崎大耕の弟子となった。 その後は台湾で中学校を卒業し、1921年(昭和10年)に得度後初めて日本に帰還した。
小川 弘貫 (おがわ こうかん、1905年12月26日 - … 小川 弘貫 (おがわ こうかん、1905年12月26日 - 1974年4月10日)は、日本の曹洞宗の僧侶、駒澤大学教授、駒沢女子短期大学初代学長。専門は如来蔵思想。
春見 文勝(かすみ ぶんしょう、1905年(明治38年)12… 春見 文勝(かすみ ぶんしょう、1905年(明治38年)12月25日 - 1998年(平成10年)10月17日)は、日本の僧侶。臨済宗妙心寺派第29代管長、妙心寺642世、海清寺住職、全日本仏教会会長。道号・諱は文勝無覚、室号は「南隠窟」「南陽室」「喝雲窟」「大楠窟」「大楠樹」「自春見」「大楠」遷化時の「大楠」には窟は付けない。 1905年(明治38年)12月25日に岐阜県美濃加茂市にて、父は兼四郎、母はひさの三男として生まれる。男五人、妹一人の六人兄弟。1919年(大正8年)に美濃加茂市の瑞林寺大崎文渓和尚に就て得度。1923年(大正12年)には京都の花園中学入学。1931年(昭和6年)法政大学高等師範部卒業、法政大学に入学。
高橋 成通(たかはし せいつう、米国名: Seytsu Ta… 高橋 成通(たかはし せいつう、米国名: Seytsu Takahashi、1905年(明治38年)12月1日 - 1984年(昭和59年)4月1日)は、日本の高野山真言宗の僧侶。ロサンゼルス高野山別院・第4代主監であり、仏教伝道師でもある。広島県庄原市出身。 1905年(明治38年)、広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で出生する。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、後に京都社寺信用組合(現・京都信用金庫)理事長、京都市観光局長を務める小橋確治がいた。1925年(大正14年)3月に同校を卒業。その後、僧侶として修行する傍ら、高野山大学一般仏教学科へ進学し、1931年(昭和6年)同校を卒業する。
櫛田 良洪(くしだ りょうこう、1905年11月28日 – … 櫛田 良洪(くしだ りょうこう、1905年11月28日 – 1980年11月4日 )は、日本の僧侶、日本仏教史研究者。 愛知県出身。大正13年旧制豊山中学校卒業、1929年大正大学文学部史学科卒業。1934年大正大学講師、1944年同助教授、1947年同教授。1966年には大正大学学長となり、1974年に名誉教授。日本仏教史、特に浄土真宗史の研究を専門とし、1960年に「東密の史的展開に関する研究」により大正大学から文学博士の学位を授与された。松戸市教育委員長なども務めた。1977年に勲三等瑞宝章を受章。
橋本 聖準(はしもと しょうじゅん、1905年(明治38年)… 橋本 聖準(はしもと しょうじゅん、1905年(明治38年)8月30日 - 1994年6月24日)は華厳宗の僧侶。203世華厳宗管長、東大寺別当。 奈良市出身。写真家の入江泰吉とは幼なじみ。龍谷大学卒。龍藏院住職、執事長、大仏殿主任などを経て管長となる。修二会の声明の名手として知られた。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
鈴木 俊隆(すずき しゅんりゅう、1905年5月18日 - … 鈴木 俊隆(すずき しゅんりゅう、1905年5月18日 - 1971年12月4日)は昭和の曹洞宗の僧侶。アメリカに禅を広め、欧米では、鈴木大拙と並んで「2人の鈴木」と呼ばれている。 神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれる。12歳で静岡県森町の蔵雲院の玉潤祖温に弟子入り。駒澤大学在学中に蔵雲院住職となる。1930年同大卒業。永平寺、總持寺で修行。1936年に静岡県焼津町(現、焼津市)林叟院住職に転任。 1959年に55歳でアメリカに渡り、サンフランシスコの桑港寺の住職となる。桑港寺はそれまで主に日系人向けに教化活動をしていたが、当時の社会運動により、非日系アメリカ人の参禅者が増加。日系人との間で軋轢を生むようになり、鈴木は彼らのために1962年にサンフランシスコ禅センターを設立。
朴 允進(パク・ユンジン、日本名:福田允進(ふくだ いんじん… 朴 允進(パク・ユンジン、日本名:福田允進(ふくだ いんじん)、1905年5月2日 - ?)は、大韓民国の仏教僧侶。号は大愚(デウ、대우)、法名は領海(ヨンへ、영해)。 もともとは京畿道高陽郡の興国寺に在籍する僧侶であった。京城第一高等普通学校(後の京畿高等学校)を1927年に卒業し、仏教専修学校(後の東国大学校)に入学した。この学校在学中に、青年僧侶たちが韓龍雲を党首に推して組織した卍党に加入した。 仏教専修学校は朴允進の在学中に中央仏教専門学校へと昇格し、朴允進はこの専門学校の第1回卒業生として日本に留学した。東京の大正大学宗教学科で修学した。日本留学の期間中、東京の留学生たちが作る雑誌『금강저(金剛杵)』の編集と発行に参加し、文章も発表していた記録がある。
高橋 梵仙(たかはし ぼんせん、1904年11月2日 - 1… 高橋 梵仙(たかはし ぼんせん、1904年11月2日 - 1987年6月19日)は、日本の僧侶、歴史学者。本名は北小路貞和。 岩手県奥州市江刺地域出身。大東文化大学教授。真言宗智山派金剛寺住職、大東文化大学名誉教授。日本経済史、社会経済史、人口史専攻。1960年「近世諸藩の人口と人口増加政策」により、専修大学から経済学博士の学位を授与される。また、1961年には「かくし念仏の歴史と教義・教団組織とに関する一研究」により東洋大学から文学博士の学位を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
茂田井 教亨(もたい きょうこう、1904年10月12日 -… 茂田井 教亨(もたい きょうこう、1904年10月12日 - 2000年5月11日)は、日蓮宗の僧、仏教学者。 東京市(現東京都中央区)出身。立正大学文学部国文科卒、同助教授、教授、立正大学日蓮教学研究所所長。1975年名誉教授。1989年「観心本尊抄研究序説 宗学体系化への試み」で立正大学より文学博士の学位を取得。東京杉並堀之内の妙法寺山主、八王子の最教寺住職を務めた。 清水龍山に師事。日蓮を宗教哲学の観点からとらえた。
北畠 教真(きたばたけ きょうしん、1904年8月18日 -… 北畠 教真(きたばたけ きょうしん、1904年8月18日 - 1969年2月14日)は、浄土真宗本願寺派の僧侶、政治家、参議院議員(2期)。 福岡県出身。1928年に龍谷大学文学部を卒業後、ベルリン大学とライプツィヒ大学に留学。山形県天童市の善行寺住職を継承した後に本願寺派の社会部長、教育部長、総務部長を歴任。築地本願寺輪番ならびにあそか病院長、津村別院輪番、宗会議長、全日本仏教会事務総長なども務めた。1954年のビルマにおける世界仏教徒会議では日本代表となった。 1956年の第4回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補したが落選した。第5回、第7回の参議選に自由民主党から全国区で立候補し当選。
直原 玉青(じきはら ぎょくせい、1904年8月1日 - 2… 直原 玉青(じきはら ぎょくせい、1904年8月1日 - 2005年9月30日)は、日本の画家、禅僧、俳人。 岡山県赤磐郡(現:赤磐市)生まれ、兵庫県の淡路島で育つ。本名は正。大阪美術学校卒業。帝国美術展に初入選後、日展に16回入選する。南画の第一人者。社団法人日本南画院会長・理事長、現代南画協会理事長、財団法人青少年文化研修道場理事、守口市美術協会会長、青玲社主宰、黄檗宗国清寺住職、俳誌「早春」選者などを務める。洲本市名誉市民、守口市名誉市民、南あわじ市名誉市民。 52歳の時、「自然の実相が禅」との柴山全慶老師(当時)の言葉に触れ、禅に傾倒。以来、老師の提唱は欠かさず聞いた。また当時の村瀬玄妙黄檗宗元管長とも幼馴染みで、臨済宗黄檗宗の僧籍をもつ。
崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月2… 崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月26日 - 1979年7月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、仏教の僧侶、教育者、政治家、茶人。制憲韓国国会議員。 俗名は英煥。堂号は錦峯、法号は暁堂(ヒョダン、효당/曉堂)。 慶尚南道昆陽郡両浦面(後の泗川郡西浦面)出身。昆陽普通学校卒業後、1916年に地元の多率寺(朝鮮語版)で出家した。1917年に海印寺の地方学林に入学した。三・一運動の時は独立宣言文を配布したため、日本の警察に逮捕された。1922年に渡日し大正大学予科を経て、1933年に同大仏教学科卒。特に1923年以降は朴烈、朴興坤、陸洪均、韓龍雲、金法麟らと「不逞鮮人社」「黒友会」「卍党」などの運動に参加して、いわゆる「朴烈事件」の大逆事件で上海への爆弾運搬役として検挙され、8か月間投獄された。
大森 曹玄(おおもり そうげん、1904年〈明治37年〉3月… 大森 曹玄(おおもり そうげん、1904年〈明治37年〉3月10日 - 1994年〈平成6年〉8月18日)は、臨済宗の禅僧。また、直心影流剣術第15代・山田次朗吉の弟子でもあり、直心影流剣術の「法定」の指導も行った。山岡鉄舟ゆかりの高歩院の住職を務め、山岡鉄舟についての著書もある。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
太田 淳昭(おおた じゅんしょう、諡・浄徳院、本名・太田淳照… 太田 淳昭(おおた じゅんしょう、諡・浄徳院、本名・太田淳照(あつてる)、旧姓・井上、幼名・淳麿、1904年2月15日-1985年8月4日)は、日本の宗教家、浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派総長、全日本仏教会理事長、日本宗教連盟理事長を歴任。光接寺(阿久根市)住職。 鹿児島県谷山町和田(現・鹿児島市内)の妙行寺の生まれ(次男)。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、第七高等学校造士館 (旧制)文科を1924年3月に卒業。1928年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1929年鹿児島県阿久根町の光接寺の養子となる。1950年から1974年まで宗会議員(7期)。浄土真宗本願寺派内局総務(1952年~1953年)、築地別院輪番(1956年~1960年)を経て、1962年~1965年と1969年~1974年に本願寺派総長。
鎌谷 仙龍 (かまたに せんりゅう、1904年 - 1982… 鎌谷 仙龍 (かまたに せんりゅう、1904年 - 1982年) は、日本の曹洞宗の僧侶。 元大本山永平寺後堂、単頭、眼蔵会講師。遷化後、贈西堂。大樹寺専門僧堂堂長。 鳥取県舟岡町に生まれる。1915年(大正4年)、12歳で出家得度する。1929年(昭和4年)より元大本山永平寺西堂橋本恵光老師に随身する。 1948年5月、鳥取県を大樹寺 (鳥取県八頭町)21世に就任した。1955年5月に大樹寺境内に僧堂を建立し、橋本恵光老師を師家として招き拝請して大樹寺専門僧堂を開単する。1956年5月に大樹寺 (鳥取県八頭町)専門僧堂を開単する。 1959年8月、大本山永平寺単頭に就任した。1963年9月、永平寺単頭乞暇。
市川 伊雄(いちかわ いゆう、1903年(明治36年)12月… 市川 伊雄(いちかわ いゆう、1903年(明治36年)12月 - 1967年(昭和42年)8月)は、曹洞宗の僧侶で、海門山興禅寺の開基である。 1903年(明治36年)12月、山梨県曹洞宗光善寺に生まれた。幼少の頃、神奈川県本覚寺禅堂で勉学に励み、日本大学仏教科を卒業し、仏道修行に励んだ。1935年(昭和10年)、海門山興禅寺を開創した。大本山總持寺地方副監院審事院審事、贈監院、権大教師等や横浜地方裁判所各種調停委員等の公職を歴任した。 横浜市道に面した寺の北側に「市川伊雄大和尚顕彰碑」が立つ。石碑は、和尚の履歴を述べた後、東條英機らA級戦犯7名の遺骨に関する和尚の功績について、次のような添え書きがある。