野邊地えりざ(のへじ えりざ、1947年〈昭和22年〉11月… 野邊地えりざ(のへじ えりざ、1947年〈昭和22年〉11月3日 - )は、東京都新宿区出身の著述家。野辺地えりざと表記されることもある。外交官の野辺地尚義の玄孫。 生後33日目に四ッ谷の聖イグナチオ教会(カトリック麹町教会)で洗礼を受けた。洗礼名はエリザベット。1881年(明治14年)に紅葉館を創設した野辺地尚義は高祖父である。 1970年(昭和45年)3月に慶應義塾大学文学部を卒業した。1973年(昭和48年」には東京こども教育センター千歳台ナーサリーを自宅に開設した。1984年(昭和59年)から仙川チャイルドファクトリーにてアートクラスを主宰している。 1993年(平成5年)から1995年(平成7年)までは夫の仕事でオランダのアムステルダムに居住し、アムステルダム市民大学にてオランダ語を、ブリティッシュ・イングリッシュ・ランゲージセンターにて英語を学んだ。
古川一夫(ふるかわ かずお 1946年〈昭和21年〉11月3… 古川一夫(ふるかわ かずお 1946年〈昭和21年〉11月3日 - )は、日本の実業家。第八代日立製作所社長、元新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長。元日本経済団体連合会副会長。 情報処理学会会長(第26代)、日本碍子社外取締役、パソナグループ社外取締役を歴任。 1969年(昭和44年)5月に東京大学工学部(電子工学)を卒業、1971年(昭和46年)3月に東京大学大学院(電気)修士課程修了後、同年4月に株式会社日立製作所に入り、1997年(平成9)2月に同社 情報通信事業部 公衆通信本部長、2003年(平成15)4月に同社 情報・通信グループ長&CEOなどを経て、2006年(平成18)4月に同社 代表執行役 執行役社長に就任し、赤字に陥っていたハードディスクドライブ、薄型テレビ、液晶等の事業の立て直しに取り組む。
江頭 憲治郎(えがしら けんじろう、1946年11月3日 -… 江頭 憲治郎(えがしら けんじろう、1946年11月3日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授。早稲田大学法学学術院教授。公益社団法人商事法務研究会会長。専門は商法。博士(法学)(東京大学、1996年)(学位論文「結合企業法の立法と解釈」)。兵庫県出身。日本学士院会員。
竹下 亘(たけした わたる、1946年11月3日 - )は、… 竹下 亘(たけした わたる、1946年11月3日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、自由民主党島根県支部連合会会長。現在は自民党国対委員長。
中川 晋(なかがわ すすむ、1946年11月3日- )は、… 中川 晋(なかがわ すすむ、1946年11月3日- )は、日本の経営者。日清食品社長を務めた。香川県出身。 1969年に専修大学経済学部を卒業し、同年に日清食品に入社した。2002年6月に取締役、2004年6月に常務、2007年6月に専務を経て、2008年10月には日清食品ホールディングス専務と日清食品社長に就任した。2010年6月には日清食品ホールディングス副社長に就任し、2013年4月までに社長と兼任した。
牧村 憲一(まきむら けんいち、1946年11月3日 - )… 牧村 憲一(まきむら けんいち、1946年11月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー。昭和音楽大学講師。 東京都渋谷区出身。早稲田大学法学部在学中の1968年、音楽サークル“グリー・クラブ”の先輩三浦光紀のキングレコード就職に伴い、私設アシスタントとして音楽業界に身を投じる。無給だったため、1970年頃、小室等の事務所に預けられ、六文銭のマネージメントを担当する。 1970年、「中津川フォークジャンボリー」の実行委員となり、東京のアーティストのブッキングを担当する。 1971年、後藤由多加に誘われ、ユイ音楽工房の設立に参加する。同事務所では、かぐや姫を担当する。『神田川』がディレクターとして最初に成功した楽曲となる。
葛西 憲之(かさい のりゆき、1946年(昭和21年)11月… 葛西 憲之(かさい のりゆき、1946年(昭和21年)11月3日 - )は、日本の政治家。元青森県弘前市長(2期)。 青森県弘前市にて出生。弘前市立和徳小学校、弘前市立第一中学校卒業。1967年(昭和42年)3月、函館工業高等専門学校土木工学科卒業。1970年(昭和45年)4月、青森県庁に入庁。 2002年(平成14年)4月、県土整備部道路課長に就任。2004年(平成16年)4月、弘前県土整備事務所長に就任。2006年(平成18年)7月、県土整備部長に就任。2007年(平成19年)3月、県庁を退職。 2007年(平成19年)7月、道路公社、土地開発公社、住宅供給公社理事長に就任。同年12月、弘前市副市長就任。
松本 日之春(まつもと ひのはる、1945年11月3日 - … 松本 日之春(まつもと ひのはる、1945年11月3日 - 2023年3月2日)は日本の作曲家。父は作曲家の松本民之助。弟は作曲家の松本清。
佐藤 嘉彦(さとう よしひこ、1945年11月3日 - )は… 佐藤 嘉彦(さとう よしひこ、1945年11月3日 - )は、日本の元裁判官。2004年より同志社大学大学院司法研究科教授。同志社大学大学院司法研究科長・同志社大学大学院司法研究科アラムナイ・アソシエーション寒梅会顧問。専門は刑事訴訟法。 1969年、同志社大学法学部卒業。1973年、名古屋大学大学院法学研究科修士課程修了。法学修士(名古屋大学)。 裁判官として東京高等裁判所、東京地方裁判所、大阪高等裁判所、大阪地方裁判所、京都地方裁判所判事等を経て、同志社大学大学院司法研究科教授。同志社大学大学院司法研究科長。 研究者、職員、学生からの人望が厚く、2007年4月から第2代司法研究科長に就任した。
松橋 登(まつはし のぼる、1944年〈昭和19年〉11月3… 松橋 登(まつはし のぼる、1944年〈昭和19年〉11月3日 - )は、日本の俳優、声優。本名は同じ。 千葉県市川市出身。上智大学外国語学部フランス語科中退。いむらプロ、宮前寿美子事務所、アルファエージェンシーを経て、町田英子事務所に所属。 大学中退後、1967年に劇団四季に入団、同劇団のホープとして『ハムレット』『白痴』などで主役を演じ注目を浴びる。1970年には松竹の『青春大全集』で吉永小百合の相手役に抜擢されて映画界にも進出。 以降も繊細な個性を持つ美形俳優として、テレビドラマにも活躍の場を広げるが、単なる二枚目役に収まらず、その甘いマスクの内面に潜む狂気を体現したようなエキセントリックな演技でも多くの実績を残している。
渡辺 元智(わたなべ もとのり、1944年11月3日 - )… 渡辺 元智(わたなべ もとのり、1944年11月3日 - )は、神奈川県足柄上郡松田町出身の日本の高校野球指導者。横浜高等学校硬式野球部で部長と監督を長年務め、同校を強豪校に育て上げた。孫に東北楽天ゴールデンイーグルス所属の渡邊佳明がいる。 1997年までは渡辺 元(わたなべ はじめ)名義で活動していた。 田中家の次男として生まれる。中学校卒業までは実の母の「田中」姓であったが、その後叔母の家系に養子縁組したため「渡辺」姓となった。 その当時神奈川県を代表する野球強豪校であった法政二高進学を目指し入学試験に合格し入学するも、高額な学費を捻出できずに横浜高等学校に入学。同校を初の夏の甲子園に導きベスト4進出を果たした「鬼の笹尾」こと監督の笹尾晃平の計らいで硬式野球部に入部。
伊勢 暁史(いせ あきふみ、1944年11月3日 - )は、… 伊勢 暁史(いせ あきふみ、1944年11月3日 - )は、日本の雑誌記者、放送作家、ルポルタージュ作家。 京都府生まれ[要出典]。本名・進藤康明[要出典]。明治大学法学部卒業、法律専門出版社に勤務[要出典]。その後消費者問題を扱う新聞社記者、特報部長を経て独立[要出典]。 月刊現代では『迎賓館を撃て』『竹下登総理は何故右翼に脅えるか』『田中弁護団かく闘う』などスクープをものにした[要出典]。 その後、(有)しぇるぱ舎を起こしテレビ番組も制作[要出典]。1997年には『有森裕子アトランタの激走』(ニッポン放送)の脚本でスタッフの一員として放送文化基金賞大賞を受賞した。
亀渕 友香(かめぶち ゆか、本名:亀渕 捷子〈かめぶち かつ… 亀渕 友香(かめぶち ゆか、本名:亀渕 捷子〈かめぶち かつこ〉、1944年〈昭和19年〉11月3日 - 2017年〈平成29年〉10月22日)は、日本のゴスペル歌手、ボイストレーナー、女優。 1944年、北海道札幌市に生まれ、そのすぐ後に一家は転居し江東区深川のベニヤ工場で育つ。3学年上の兄はニッポン放送の名物DJで後に同社社長・相談役を歴任した亀渕昭信。叔母はジャズシンガーだった。兄と共にその叔母の影響を受け、アメリカの流行歌を子守唄代わりに聴いていた。 小学校の時、マヘリア・ジャクソン出演映画『真夏の夜のジャズ』を観て、その歌声に衝撃を受け涙を流す。以来サッチモ、ゴールデン・ゲイト・カルテット、アレサ・フランクリンなど、ゴスペルミュージシャンをヒーロー&ヒロインとし、ブルース、ジャズ、アフリカン音楽に至るまでの黒人音楽を聴きながら成長。
大橋 憲三(おおはし けんぞう、1944年11月3日 - )… 大橋 憲三(おおはし けんぞう、1944年11月3日 - )は、駿台予備学校化学科非常勤講師。高校化学をわかりやすくする会 事務局長。元・株式会社ラティオインターナショナル 情報システム部長。元・東大教育研究所理事長。元・代々木ゼミナール化学科講師。元・東大進学塾エミール化学科講師。 兄は東京工業大学名誉教授の大橋裕二。 福井県福井市出身。東京大学工学系大学院博士課程中退。 1995年駿台予備学校化学科講師の大川忠とともに「高校化学をわかりやすくする会」を設立。 2006年度から2008年度まで東大進学塾エミールに出講。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江橋 正彦(えばし まさひこ、1943年11月3日 - )は… 江橋 正彦(えばし まさひこ、1943年11月3日 - )は日本の経済学者。専門はアジア経済、開発経済。明治学院大学名誉教授、特定非営利活動法人JUNKO Association顧問、大洗大使、MERAC(ミャンマー経済研究・コンサルティング / Myanmar Economic Research & Consulting)社代表。 茨城県東茨城郡大洗町出身。早稲田大学法学部卒。ヘキスト・ジャパンを経て、1969年に日本貿易振興会(JETRO、現・日本貿易振興機構)に入会し、中国、ベトナム経済の調査研究に従事後、1979~1982年JETROマニラ勤務。また、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)コンサルタントを務める(1981 - 1982年)。
岩崎 吉郎(いわざき よしろう、1943年11月3日 - )… 岩崎 吉郎(いわざき よしろう、1943年11月3日 - )は、日本佐賀県出身の歴史家。 1943年、佐賀県唐津市にて生誕。 主に古代を研究している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
河原崎 建三(かわらさき けんぞう、1943年11月3日 -… 河原崎 建三(かわらさき けんぞう、1943年11月3日 - )は、日本の俳優。本名同じ。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。 四代目河原崎長十郎の子として東京都武蔵野市で育つ。早稲田大学卒業。 父である四代目河原崎長十郎の前進座の子役として舞台に立ち、1968年に映画『愛奴』で俳優デビュー。 2000年より東京都在住。東京と山梨県甲州市塩山を行き来している。 特技は日本舞踊、長唄、狂言。趣味は読書、バロック音楽を聞くこと、絵を描くこと。 妻は女優の大川栄子。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
上杉 尹宏(うえすぎ たかひろ、1942年11月3日 - )… 上杉 尹宏(うえすぎ たかひろ、1942年11月3日 - )は、元全日本スキーノルディック複合ヘッドコーチ、監督。北海道札幌市生まれ。北海道東海大学(2008年に東海大学に統合され同校の札幌キャンパスとなっている)国際文化学部教授、同大学国際文化学部長を経て、東海大学特任教授。北海道スキー連盟専務理事。北海道体育協会理事。全日本スキー連盟評議員。北海道体育協会競技力向上委員。息子の上杉宏樹は元スキージャンプ選手。 北海道札幌東高等学校を経て、日本体育大学卒業。全日本ノルディック複合チームで、1988年カルガリーオリンピック、1992年アルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピックにヘッドコーチ、1998年長野オリンピックでは監督として計4度の五輪に参加。
秋葉 忠利(あきば ただとし、1942年〈昭和17年〉11月… 秋葉 忠利(あきば ただとし、1942年〈昭和17年〉11月3日 - )は、日本の政治家、数学者。第33-35代広島市長(3期)、衆議院議員(3期)、社会民主党国会対策委員長(第2代)、同政策審議会長(第3代)を歴任。 日本社会党(後に社会民主党)に所属し、1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に大原亨の後継者として出馬し、初当選。以後当選3回。1期目の当選後、筒井信隆らと共に「ニューウェーブの会」を設立し、対案を出す党に社会党を生まれ変わらせることを目指した。 1999年(平成11年)に衆議院議員を辞職し、広島市長選挙に立候補。市民の党の応援を受け、自民党が推薦する元厚生官僚(広島市助役)の大田晋や広島市議会議長経験者など新人5人と激戦の末、初当選する。
松本 育夫(まつもと いくお、1941年11月3日 - )は… 松本 育夫(まつもと いくお、1941年11月3日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー後援会現理事長。現役時代のポジションはFW。1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技で銅メダルを獲得したサッカー日本代表の一人。 栃木県立宇都宮工業高等学校時代は、清水東の杉山隆一、広大附属高の桑田隆幸とともに"高校三羽烏"と言われ将来を嘱望された。川淵三郎に憧れ早稲田大学第二政治経済学部経済学科に入学 し、ア式蹴球部に入部。1960年に日本代表として初選出された。野村尊敬、桑田隆幸、二村昭雄、森孝慈、釜本邦茂、大野毅らとア式蹴球部の黄金期を創った。1963年には日立(現柏レイソル)を3-0で破り、早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。
浦野 烋興(うらの やすおき、1941年〈昭和16年〉11月… 浦野 烋興(うらの やすおき、1941年〈昭和16年〉11月3日 - 2021年〈令和3年〉1月25日)は、日本の政治家。位階は従三位。衆議院議員(6期)、科学技術庁長官(第53代)を歴任した。 自民党内では宮澤派に所属。労働大臣を務めた浦野幸男の女婿。結婚前の旧姓は伊藤。 愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市長興寺9丁目)に生まれる。父親の伊藤茂は教員で、のちに愛知県立豊田西高等学校の校長を務めた。1948年4月、知立町立知立小学校(現・知立市立知立小学校)に入学。1954年3月、挙母市立挙母南部小学校卒業。1957年3月、愛知学芸大学附属岡崎中学校(現・愛知教育大学附属岡崎中学校)卒業。1960年3月、愛知県立岡崎高等学校卒業。
長坂 秀佳(ながさか しゅうけい(本名:ひでか)、1941年… 長坂 秀佳(ながさか しゅうけい(本名:ひでか)、1941年(昭和16年)11月3日 -)は、脚本家、小説家、放送作家。別名義として出雲 五郎(いずも ごろう)がある。 愛知県豊川市出身。子供のころから本好きだったが、実家は裕福でなく本がなかなか買えなかったため、もっぱら貸本屋に入り浸り、店の主人から「ウチにはお前の読む本は残ってないよ」と言われたほどであった。 愛知県立豊橋工業高等学校機械科在学中に観た『野獣死すべし』に衝撃を受け、映画業界を志す。高校卒業後、上京しプラスチック工場で働いた後に東宝撮影所に入社する。美術助手を5年間務めた後、テレビ部企画課へ異動した。これらの経緯は脚本家となる彼の作風に大きく影響することになる。
水野 節彦(みずの さだひこ、1940年11月3日 - )は… 水野 節彦(みずの さだひこ、1940年11月3日 - )は、元NHKチーフアナウンサーで、現在はフリーアナウンサー。 東京都立文京高等学校を経て慶應義塾大学経済学部を卒業後、1964年入局。現役時代はスポーツ実況などを担当していた。NHKを定年退職後は「番組出演契約」の形となり、NHKで「ラジオ深夜便」アンカーを務めた後、神奈川県藤沢市にあるNPOで、もとは亡くなった母親が立ち上げた「耳から聞く図書館」の事務局長として活動している。
伊集院 明夫(いじゅういん あきお、1940年11月3日 -… 伊集院 明夫(いじゅういん あきお、1940年11月3日 -)は、日本の外交官。法務省入国管理局長を経て、オーストリア国兼スロヴェニア国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ国マケドニア旧ユーゴスラビア共和国駐箚特命全権大使を務めた。 1964年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省(条約局)。同年在連合王国日本国大使館外交官補。1970年在連合王国日本国大使館三等書記官。1971年在連合王国日本国大使館二等書記官。1979年在大韓民国日本国大使館一等書記官。1981年在大韓民国日本国大使館参事官。1982年外務省情報文化局海外広報課長。1984年外務省中近東アフリカ局中近東第一課長。1986年外務大臣官房領事移住部領事第一課長。
上坪 正徳(かみつぼ まさのり、1940年11月3日 - 2… 上坪 正徳(かみつぼ まさのり、1940年11月3日 - 2024年8月23日)は、日本の英文学者、中央大学名誉教授。 鹿児島県出身。東京大学文学部英文科卒、1968年同大学院修士課程修了、中央大学法学部助教授、教授、2011年定年、名誉教授。
清水 昶(しみず あきら、1940年11月3日 - 2011… 清水 昶(しみず あきら、1940年11月3日 - 2011年5月30日)は、日本の詩人、評論家。花火研究者の清水武夫は父、詩人の清水哲男は兄。 東京生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。在学中、正津勉らと詩誌「首」を創刊。1966年、第7回現代詩手帖賞受賞(選者:大岡信、入沢康夫、中江俊夫)。詩のほかに、文芸評論、俳句も書く。 2011年5月30日、心筋梗塞のため東京都武蔵野市の自宅で死去。70歳没。墓所は三鷹市野崎のメモリアルガーデン三鷹。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
上地 安昭(うえち やすあき、1940年11月3日 - 20… 上地 安昭(うえち やすあき、1940年11月3日 - 2018年5月14日)は、日本の心理学者・カウンセラー。兵庫教育大学名誉教授。 沖縄県国頭郡宜野座村出身、大阪府大阪市生まれ。1963年琉球大学法文学部心理学科卒、1969年広島大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学、1986年「青年期心理療法の技法論的研究 時間制限心理療法の理論と技法を中心に」で広島大学教育学博士。 1969年広島大学教育学部助手。1981年同保健管理センター助教授。1988年兵庫教育大学教授となり、2006年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。 臨床心理士、認定カウンセラー、認定スーパーバイザーの資格を有し、大学カウンセラー、医療カウンセラー、スクールカウンセラーとして40数年間、カウンセリング実践に携わる。
木山 英明(きやま ひであき、1940年11月3日 - )は… 木山 英明(きやま ひであき、1940年11月3日 - )は、日本の文化人類学者。神奈川県立外語短期大学教授。 島根県松江市に生まれる。1965年、早稲田大学第一文学部史学科日本史学専修卒業。1978年、ニューヨーク州立大学バッファロー校大学院社会科学研究科人類学専修修了。人類学博士(ニューヨーク州立大学)。 ニューヨーク州立大学バッファロー校では、ラウル・ナロール(英語版)に師事。通文化研究(英語版)の日本における第一人者である。
田中 辰明(たなか たつあき、1940年(昭和15年)11月… 田中 辰明(たなか たつあき、1940年(昭和15年)11月3日 - )は、日本の建築学者、お茶の水女子大学名誉教授。東京生まれ。1963年早稲田大学理工学部建築学科卒、65年同大学院理工学研究科建設工学専修修士課程修了、大林組技術研究所勤務。1971 - 73年ドイツ学術交流会奨学生としてベルリン工科大学ヘルマン・リーチェル研究所客員研究員。1979年「建築外皮構造の熱的評価に関する研究」で早大工学博士。1993年お茶の水女子大学生活科学部教授。2006年定年退官、名誉教授。同年ドイツ技術者協会(VDI)よりヘルマン・リーチェル栄誉メダルを授与される。
田村 文彦(たむら ふみひこ、1940年11月3日 - 20… 田村 文彦(たむら ふみひこ、1940年11月3日 - 2018年12月7日)は、日本の実業家で、元サッカー選手。ロシアとの民間交流団体「オーポラロシア福岡」の会長で、在日ロシア連邦大使館より名誉領事に任命されていた。 明星高等学校を経て早稲田大学第二政治経済学部を卒業。大学時代まではサッカーをおこない、ユース日本代表に選出されて1959年のAFCユース選手権1959にミッドフィルダーとして出場した。川淵三郎とはチームメイトだったという。大学卒業後はダンロップに3年間勤務したのち、父の経営する輸入車販売店に入社した。中古車オークション事業を父の知人と立ち上げて、ユー・エス・エスの創業に参加する。
原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 - 201… 原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 - 2017年4月6日)は、日本の弁護士。元検事総長。東京府東京市生まれ、兵庫県相生市育ち。 盛岡地方検察庁勤務時に新渡戸稲造の思想にふれ感銘を受け、司法、検察の中枢に身をおきながら、新渡戸研究を続けてきた。則定衛が東京高検検事長を女性問題で辞職したことにより、堀口勝正の代替として名古屋高検検事長から村山弘義がそのイスに座ったが、検事長定年制により、予想より早く原田に東京高検検事長の座が回って来た。そのため、検事総長在任も異例の3年に及んだ。また法務事務次官当時、政党行脚に出て、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の成立に尽力した。 その他、国際民商事法センター理事長、グルー・バンクロフト基金評議員、社団法人日本倶楽部理事 などを務めている。
松原 哲明(まつばら てつみょう、1939年11月3日 - … 松原 哲明(まつばら てつみょう、1939年11月3日 - 2010年6月6日)は、東京府生まれの日本の臨済宗の僧侶。龍源寺・龍翔院・仏母寺住職。日本キルギス科学技術文化センター理事長。 父は松原泰道、義弟に元花園大学学長の細川景一。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
大森 健次郎(おおもり けんじろう、1938年11月3日 -… 大森 健次郎(おおもり けんじろう、1938年11月3日 - 2006年12月3日)は、日本の映画監督である。中国・青島出身。 日比谷高校を経て、1957年に東京大学経済学部卒業。同年、東宝の助監督として入社。同期には出目昌伸がいた。黒澤明、千葉泰樹、鈴木英夫らに師事。1970年『どですかでん』でチーフ助監督を務める。 1973年『二十歳の原点』で監督デビュー。1983年に退社し、フリーとなる。 2006年12月3日、肺炎のため、東京都渋谷区の病院で死去。満68歳没。
垣添 直也(かきぞえ なおや、1938年11月3日 - )は… 垣添 直也(かきぞえ なおや、1938年11月3日 - )は、日本の実業家。日本水産代表取締役社長や、日本冷凍食品協会会長、日本冷蔵倉庫協会会長、大日本水産会副会長、国立大学法人東京海洋大学理事などを歴任。 大阪市出身。1957年東京都立新宿高等学校卒業。1961年東京水産大学(現東京海洋大学)水産学部製造学科卒業、日本水産入社。1990年取締役。1993年常務取締役。1994年代表取締役専務。1995年代表取締役副社長。1999年から13年間代表取締役社長を務め、豪腕経営を行った。在任期間が長期に渡ったため会長職には就かず2012年に相談役に退いた。2016年マリン・エコラベル・ジャパン協議会会長。
小林 旭(こばやし あきら、1938年〈昭和13年〉11月3… 小林 旭(こばやし あきら、1938年〈昭和13年〉11月3日 - )は、日本の俳優、歌手。本名は同じ。身長180cm、体重98kg、血液型はAB型。特技は柔道(五段)、ゴルフ。愛称は「マイトガイ」。「銀幕のスター」の最後の世代。 東京市世田谷区(現・東京都世田谷区)出身。東宝、新東宝、文化映画の照明技師だった父と、小唄・端唄の師匠だった母との間に生まれる。 4歳の時に劇団東童に入り、1944年(昭和19年)、小学校1年生で三越劇場の劇団公演『青い鳥』で初舞台を踏む。1954年(昭和29年)、目黒高等学校在学中に東童の子供たちを日活へ引率した際、プロデューサーの茂木了次に声をかけられ日活のエキストラとなる。
山本 勝美(やまもと かつみ、男性、1938年11月3日 -… 山本 勝美(やまもと かつみ、男性、1938年11月3日 - )は、日本の育児・心理アドバイザー。 福井県坂井郡丸岡町(現坂井市)生まれ。東京都立九段高等学校卒、1962年東京都立大学心理学科卒、同大学院博士課程満期退学。フルブライト留学生としてアメリカで二年間、臨床心理の現場を学び、帰国後、各地の保健所で福祉、子育てなどのカウンセラーを40年務める。東京都保健所心理相談員協議会会長。NPO市民福祉サポートセンター運営委員。季刊「福祉労働」編集委員。社会福祉法人ドリームヴイの短期入所施設や体験ホームの支援員。
古屋 明信(ふるや あきのぶ 、1937年11月3日 - )… 古屋 明信(ふるや あきのぶ 、1937年11月3日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センター所属。 出生地は中国・上海。東京都立千歳高等学校、早稲田大学卒業。1962年にアナウンサーとしてNHKに入局。宮崎→金沢→福岡→名古屋の各局を歴任し、1982年から東京放送センター勤務。現役時代は主にスポーツ中継を担当、落ち着いたトーンで今の絶叫型アナウンサーの対極にある名アナウンサーだった。また、NHKテレビ最初のスポーツニュース番組を担当したアナウンサーのひとりである。 定年後はBS・ラジオのニュース番組(ラジオ放送の場合、深夜帯ではラジオ深夜便内の定時ニュース。
高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 20… 高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 2004年11月3日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家、政治家。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学文学部卒、朝日新聞社に入り、論説副主幹。1995年立命館大学政策科学部教授となる。2002年脱ダムを唱えて長野県下諏訪町長に当選するが、在任中の2004年に急性心筋梗塞のため死去した。
是金 俊治(これかね としはる、1937年11月3日 - 2… 是金 俊治(これかね としはる、1937年11月3日 - 2013年3月18日)は、日本の実業家。小野薬品工業代表取締役社長を務めた。 滋賀県出身。大阪市立大学経済学部卒業。1965年小野薬品工業入社。1986年取締役営業本部長に昇格。1990年常務取締役。1993年専務取締役。1995年代表取締役専務取締役。2001年代表取締役副社長。2005年取締役。取締役を退任予定だったが、2006年に岩井孝司の突然の辞職に伴い、急遽後任の代表取締役社長に就任した。2008年に健康上の理由で退任し、2013年に膵臓がんのため死去した。
上之郷 利昭(かみのごう としあき、1936年(昭和11年)… 上之郷 利昭(かみのごう としあき、1936年(昭和11年)11月3日 - 2006年(平成18年)9月16日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 三重県出身。明治学院大学卒業。英国ロイター通信社や東京新聞(中日新聞社)社会部記者として、約2年にわたって世界各国で取材。1977年以来、フリーに。幅広い分野に関する多くの著書がある。 2006年9月16日午後7時58分、進行胃癌のため東京都板橋区の病院で死去。69歳没。
瀬戸口 勉(せとぐち つとむ、1936年11月3日 - 20… 瀬戸口 勉(せとぐち つとむ、1936年11月3日 - 2017年11月9日)は日本中央競馬会の元騎手、元調教師。名古屋競馬・弥富トレーニングセンターに所属する調教師瀬戸口悟は実弟。中央競馬の調教師の増本豊は妻の弟。 鹿児島県鹿屋市で8人きょうだいの3人目(次男)として生まれる。1955年、鹿児島県立鹿屋農業高等学校畜産科を卒業後、京都の上田武司厩舎に騎手見習いとして入り、1959年、騎手としてデビューする。1963年にはミスマサコで桜花賞を優勝した。1973年に引退、騎手時代の成績は通算2534戦329勝である。 とくに障害競走での成績は優れたものがあり、145戦55勝。勝率.379、連対率.641という数字を残している。
笠原 成元(かさはら しげよし、1936年11月3日 - )… 笠原 成元(かさはら しげよし、1936年11月3日 - )は、東京都出身のバスケットボール指導者である。筑波大学名誉教授、中村学園大学教授。 1959年東京教育大学(現在の筑波大学)卒業。ヤシカで1960年熊本国体に出場し、引退後の1961年より学習院大学専任講師となり指導者に転じる。1964年に東京オリンピックで吉井四郎のアシスタントコーチを務め、1972年ミュンヘンオリンピックで監督として指揮を執った。またユニバーシアード、世界選手権などでもコーチを務めた。 筑波大学の監督や日本バスケットボールコーチコミッティの会長を務めた後、秋田銀行女子バスケット部ヘッドコーチを2010年から2011年まで務めた。
城田 隆(しろた たかし、1936年11月3日 - 2017… 城田 隆(しろた たかし、1936年11月3日 - 2017年10月14日)は、日本の経営者。三重テレビ放送社長を務めた。 三重県桑名市出身。1959年に名古屋大学教育学部を卒業し、同年に東海テレビ放送に入社。1995年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務を経て、2003年6月から2008年6月までに三重テレビ放送社長を務めた。 2017年10月14日に肝内胆管がんのために死去。80歳没。
越智 道雄(おち みちお、1936年11月3日 - 2021… 越智 道雄(おち みちお、1936年11月3日 - 2021年5月26日)は、日本の英語圏政治/文化研究者、翻訳家。明治大学名誉教授。 愛媛県今治市出身。1965年広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1966年玉川大学文学部助教授、1970年明治大学商学部助教授、1975年教授、2007年定年退職、名誉教授。 1983年にザヴィア・ハーバート「かわいそうな私の国」で日本翻訳出版文化賞、1987年にローズマリー・ハリス「遠い日の歌が聞こえる」翻訳で産経児童出版文化賞受賞。 多元文化国家アメリカ論で多数の著書がある。他にオーストラリアを中心にカナダ・ニュージーランド・南アを含めた「英語圏新世界諸国」をアメリカとエコーさせる視点での論考、アメリカを中心とする多数の翻訳に加えて、児童文学・ミステリ・SFの翻訳がある。
岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 -… 岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 - 没年不明)は、岡山県小田郡矢掛町出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は山部 喜一郎(やまべ きいちろう)。最高位は東前頭5枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は185cm、112kg。得意手は右四つ、寄り。 鮮魚商の家庭に生まれ、岡山県立矢掛高校に在学中は、ハンドボール部で活躍した。 高校卒業後、元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門し、1955年5月場所で初土俵。 同場所では番付外と新序で、ともに好成績を残した。そのため、翌9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 同場所より出身地の岡山県に因んだ四股名、「岡ノ山」を名乗る事になり、廃業までこの四股名で通した。
森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2… 森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2月6日)は、北海道函館市出身(旧満州生まれ)の元プロ野球選手(外野手)・監督、解説者。
朝木 善次郎 (あさき ぜんじろう、1935年11月3日 -… 朝木 善次郎 (あさき ぜんじろう、1935年11月3日 - 2009年4月25日)は、日本のプロセス工学者。京都大学名誉教授。元三菱マテリアル常勤顧問。 1959年京都工芸繊維大学工芸学部窒業工芸学科卒業。1962年京都大学大学院工学研究科冶金学専攻修士課程修了、京都大学工学部冶金学科助手。1970年同講師。1976年同助教授。1988年同教授。1999年定年退官、京都大学名誉教授、三菱マテリアル常勤顧問。デミング賞委員会委員、日本学術振興会協力会素材プロセシング第69委員会副委員長、資源・素材学会理事なども歴任した。 米国冶金学会科学賞受賞。従四位瑞宝小綬章。 専門分野はプロセス工学。 2009年4月25日、敗血症のため死去。
松本 正徳(まつもと まさのり、1935年11月3日 - )… 松本 正徳(まつもと まさのり、1935年11月3日 - )は、日本の経営学者、中央大学名誉教授。 東京出身。1959年中央大学商学部卒、同大学院経営学研究科修士課程修了、1972年「ヴェブレン研究」で商学博士。札幌短期大学助手、講師、1965年中央大学商学部専任講師、1966年助教授、1972年教授。1993年商学部長、2006年定年、名誉教授。
新間 正次(しんま しょうじ、1934年〈昭和9年〉11月3… 新間 正次(しんま しょうじ、1934年〈昭和9年〉11月3日 - )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ、俳優、リポーター、元政治家、元参議院議員。元民社党愛知県連副委員長。愛称は「新間ちゃん」。 長男は教育芸人(教育エンターテイナー)の新間竹彦。新日本プロレス専務やスポーツ平和党幹事長を務めた新間寿は従兄弟で、父の弟の新間信雄の息子である。 愛知県蒲郡市出身(出生は豊橋市)。靴屋「早稲田堂」を経営する新間邦次の三男として生まれる。邦次はスパイクシューズを作っていた。1945年6月の豊橋空襲で靴屋と自宅が焼失したため、蒲郡へ移住した。愛知県立蒲郡高等学校卒業、高校時代は生徒会長を務めた。高校時代の先輩の勧めでNHK名古屋放送劇団に入団。
楠 正臣(くすのき まさおみ、1934年11月3日 - )… 楠 正臣(くすのき まさおみ、1934年11月3日 - )は、日本の銀行家、経営者。近畿銀行社長を務めた。 広島県出身。1958年に大阪市立大学商学部を卒業し、同年4月に近畿相互銀行に入行。1981年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1999年6月からは会長を務めた。