魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月… 魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月11日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(2期)、防衛政務次官、熊本県議会議員(3期)、菊池市議会議員(4期)を歴任。父は元熊本県議会議員の魚住一海。 熊本県立熊本高等学校・成城大学経済学部・東京農業大学(通信)畜産学科卒業。菊池市議会議員、熊本県議会議員を経て1986年の第38回衆議院議員総選挙にて初当選。自由民主党所属。 1993年の第40回衆議院議員総選挙において自民党を離党した新生党議員で唯一の前職落選者。 2007年の、第21回参議院議員通常選挙に、郵政民営化法案に反対したことを理由に公認が得られず、無所属で熊本県選挙区から立候補することを模索も断念し、引退。
牧野 宗則(まきの むねのり、1940年2月11日 - )は… 牧野 宗則(まきの むねのり、1940年2月11日 - )は日本の木版画作家。浮世絵木版画の高度な技術と創作木版画の精神性を融合・昇華させ、自然の生命の輝きを華麗に表現する。静岡市葵区出身。
小川 龍(おがわ りょう、1940年2月11日 - 2015… 小川 龍(おがわ りょう、1940年2月11日 - 2015年3月21日)は、日本の麻酔科医・歴史家。 群馬県生まれ。1965年群馬大学医学部卒業。66年群馬大学医師・麻酔科学専攻。72年群馬大学より医学博士の学位を取得。 1987年日本医科大学麻酔科教授、医学部学部長、付属病院副院長、2005年新潟県阿賀町鹿瀬診療所勤務。 仏教・歴史に関心を持ち医療論、歴史書なども著した。日本文藝家協会会員。
熊野 聰(くまの さとる、1940年2月11日 - )は、日… 熊野 聰(くまの さとる、1940年2月11日 - )は、日本の歴史学者。名古屋大学名誉教授。専門は中世北欧史。増田四郎門下。1994年から1996年まで日本アイスランド学会会長。
山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は… 山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は、日本の政治家。元北海道小樽市長(3期)。 小樽市出身。後に砂川市に移る。砂川南高等学校を卒業後、1960年に小樽市役所に入る。1962年に小樽商科大学短期大学部を、1966年に日本大学経済学部(通信教育部)を卒業。教育委員会社会教育部長、学校教育部長、小樽市役所経済部長、総務部長、収入役を歴任する。 1999年の小樽市長選挙に、新谷昌明の後継として立候補して当選。2003年の選挙で再選。2007年の選挙でも三選した。北海道市長会副会長などを務めた。2011年に市長を退任した。
土肥 隆一(どい りゅういち、1939年2月11日 - 20… 土肥 隆一(どい りゅういち、1939年2月11日 - 2016年1月22日)は、日本の牧師、元政治家。衆議院議員(7期)を務めた。
谷 福丸(たに ふくまる、1939年2月11日 - )は、日… 谷 福丸(たに ふくまる、1939年2月11日 - )は、日本の官僚、国会職員、画家。瑞宝大綬章。55年体制の終焉の後、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉の6代の政権の傍ら、国会で史上最長(退任時)の約9年5か月、衆議院事務総長を務めた。その退職後は、国土緑化推進機構副理事長を務めた。 福岡県出身。福岡県立田川東高等学校(現・福岡県立東鷹高等学校)を経て(1957年卒業)、九州大学法学部卒業(1963年)。上野英信が著した『追われゆく坑夫たち』に感銘を受け、大学卒業後、福岡県庁に入庁し、既に衰退期に入っていた筑豊炭田の炭鉱を抱える鞍手福祉事務所にケースワーカーとして勤務した。県庁勤務中、国家公務員採用のため上京が決まったが、その挨拶回りの道すがら、仕事上世話をしていた家庭の子供から「好かん人が来たよー」と言われたことで「物事は半分、努力は半分分かってもらえれば十分なのだ」と思うようになったという。
内田 弘(うちだ ひろし、1939年2月11日- 2024年… 内田 弘(うちだ ひろし、1939年2月11日- 2024年2月2日)は、日本の経済学者・思想史学者、専修大学名誉教授。専門は『資本論』形成史・自由時間・三木清。 群馬県で日本国有鉄道職員の子として生まれ、満州と栃木県で育つ。1962年横浜国立大学経済学部卒業。長洲一二に師事。高等学校教諭在職中長洲の『現代の理論』誌で論文を発表するなど研究活動を行い、専修大学経済学部講師、助教授、教授。2009年定年、名誉教授。1991年「『経済学批判要綱』の研究」で専修大学経済学博士。 「北海道アララギ」に所属する歌人の内田弘は同姓同名の別人。石川啄木関連の著書があるため、混同されることがある。
鈴木 健介(すずき けんすけ、1939年2月11日 - )は… 鈴木 健介(すずき けんすけ、1939年2月11日 - )は、日本の映画監督(ドキュメンタリー)、プロデューサーである。同姓同名の俳優の鈴木健介とは無関係の別人である。 1939年(昭和14年)2月11日、東京市豊島区巣鴨(現在の東京都豊島区巣鴨)に生まれる。 1963年(昭和38年)日本大学芸術学部映画学科演出コースを卒業。在学中には当時同大学で教授をつとめていた牛原虚彦に師事して演出の基本を学ぶ。50分の劇映画『明るすぎて暗い』を卒業製作として脚本、監督した。卒業後はフリーランスとして映画やテレビの仕事につく。 1966年(昭和41年)から3年間、中川信夫の助監督をつとめて強い影響を受け、中川が1984年(昭和59年)に死去するまでの18年間にわたり人生の師と仰いで交流した。
寺島 靖国(てらしま やすくに、1938年2月11日 - )… 寺島 靖国(てらしま やすくに、1938年2月11日 - )は、日本のジャズ評論家。吉祥寺のジャズ喫茶「Meg(メグ)」のオーナー兼マスターとして知られる人物であるが、ジャズとオーディオに関する著書も多数ある。 東京都中野区出身。東京都立杉並高等学校を経て早稲田大学文学部独文科卒。1970年にジャズ喫茶「Meg」を開店。その後ジャズに関する著述業を初め、処女作「辛口! JAZZノート」を発表して以来、印税収入を元にオーディオ探求にも取り組み、ジャズ雑誌やオーディオ雑誌などに評論やエッセイを発表している。 2007年に自身のプロデュースによるレーベル「寺島レコード」を発足。第1弾『アローン・トゥゲザー / 松尾明トリオ』は「曲は哀愁、演奏はガッツ」「三分間芸術」「ニュー・レトロ・フィデリティ・サウンド」をテーマに録音やジャケットにもこだわっている。
藤村 延魚(ふじむら えんぎょ、1938年2月11日 - )… 藤村 延魚(ふじむら えんぎょ、1938年2月11日 - )は、日本のホテルマン、国際観光ジャーナリスト。有限会社フジプラン代表取締役。元チョイスホテルズインターナショナル副社長兼日本支社長。現在は東京都杉並区在住。 長野県上田市小泉出身。長野県上田高等学校、1962年金沢大学文学部哲学科(人間学科)卒業。大学時代は馬術部に所属していた。 59歳まで約40年間、米国やマレーシア等世界各国のホテルで勤め、国際ホテルマンとして名が知られるようになる。東京のヒルトンホテルに勤務後、アメリカへ留学。フロリダ州立大学経営学部、サンフランシスコ市立大学ホテル経営学部卒業。 マレーシアのクアラルンプールに6年間滞在、リージェントホテル営業部長として勤務。
井関 清(いせき きよし、1938年2月11日 - 2015… 井関 清(いせき きよし、1938年2月11日 - 2015年11月6日)は、日本の実業家。ハウスメイト創業者。元日本賃貸住宅管理協会会長。元関東愛媛県人会会長。 愛媛県大洲市出身。2歳の時に父が死去し母子家庭に育つ。1956年愛媛県立松山東高等学校卒業。1961年中央大学法学部卒業。1974年井関商事を創業。1977年ハウスメイト設立。1999年日本賃貸住宅管理業協会会長。2001年日本賃貸住宅管理協会会長。2009年関東愛媛県人会会長。2015年11月6日、胆管癌のため死去。
大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、… 大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
細田 重雄(ほそだ しげお、1938年(昭和13年)2月11… 細田 重雄(ほそだ しげお、1938年(昭和13年)2月11日 - )は、日本の政治家、元島根県議会議員(14期)。 島根県松江市出身。1963年、慶應義塾大学法学部卒。衆議院議員細田吉蔵の秘書、自由民主党島根県支部連合会青年部長、会社役員などを経て、1967年、島根県議会議員選挙に初当選し、以来6期務める。1981年に副議長、1987年に議長に就任する。 1989年の参議院選挙に自民党公認で島根県から立候補したが、現職の成相善十も無所属で立候補したため、保守は分裂となり、この年の参院選はリクルート事件や消費税導入など、自民党にはかつてない逆風が吹き荒れ、落選した。 1991年に県議に復帰。2019年まで8期連続当選する。
岩松 鷹司(いわまつ たかし、1938年2月11日 - )は… 岩松 鷹司(いわまつ たかし、1938年2月11日 - )は、日本の生物学者。愛知教育大学名誉教授、日本動物学会評議員。生殖生物学と発生生物学の専門家。 高知県高知市長浜出身。東京農業大学を卒業後、名古屋大学大学院理学研究科生物学専攻に進学し、山本時男に師事した。 メダカを研究材料として選び、卵の操作等の微細実験技術を独自に開発し、卵や受精の発生現象に多くの業績をあげた。イクオリンを用いた受精波の可視化などで有名。定年退官時までに発表した論文は180編を超える。 生殖生物学、発生生物学だけではなく、メダカの分類学、形態学にも多くの業績があり、それらは『メダカ学全書』を始めとした多数の著書に結実されている。
鶴島 琢夫(つるしま たくお、1938年2月11日 - 20… 鶴島 琢夫(つるしま たくお、1938年2月11日 - 2026年4月22日)は、日本の経営者。東京証券取引所社長を務めた。 1961年に早稲田大学第一法学部を卒業し、同年4月に東京証券取引所に入所。1990年5月に常任監事に就任し、1991年5月に常務理事、1994年5月に専務理事、1997年5月に副理事長、2001年11月に顧問を経て、2004年4月から2005年12月までに社長を務めた。生え抜き出身者の社長就任は初めてのことで、企業開示の強化とシステム障害の対応などに取り組んだ 2007年6月から2019年6月までに曙ブレーキ工業取締役も務めた。 2026年4月22日、死去。88歳没。訃報は同年5月27日に公表された。
開錦 豪藏(かいにしき ごうぞう、1938年2月11日 - … 開錦 豪藏(かいにしき ごうぞう、1938年2月11日 - 没年不明)は、現在の秋田県横手市出身で錦島部屋、時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は土田 房三。183cm、104kg。最高位は東十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1954年9月場所初土俵、1965年1月場所に十両昇進を果たすも、4勝11敗と大敗して翌場所に幕下陥落。そして新十両から1年後の1966年1月場所後に廃業した。廃業後は茨城県水戸市堀町1163-13で料理屋「ちゃんこ錦」を経営した。
唐牛 健太郎(かろうじ けんたろう、1937年2月11日 -… 唐牛 健太郎(かろうじ けんたろう、1937年2月11日 - 1984年3月4日)は、日本の学生運動家。60年安保闘争当時の全学連委員長。
塩見昇(しおみ のぼる、1937年2月11日 - )は、日本… 塩見昇(しおみ のぼる、1937年2月11日 - )は、日本の図書館学者。専門は図書館情報学。大阪教育大学名誉教授。 京都府京都市出身。京都大学教育学部卒業。1960年大阪市立図書館司書、1971年大阪教育大学講師。同教授、同大学附属図書館長を歴任した。2002年定年退職、名誉教授、大谷女子大学教授。2007年退職。日本図書館協会理事長(2005年 - 2013年)、日本図書館研究会理事長。2016年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
井津 哲彦(いづ てつひこ、1937年(昭和12年)2月11… 井津 哲彦(いづ てつひこ、1937年(昭和12年)2月11日 - )は、日本の政治家。元高知県安芸市長。 高知県安芸郡北川村出身。1959年(昭和34年)中央大学文学部卒業。 1960年(昭和35年)安芸市役所に入り、1985年(昭和60年)総務部福利厚生課長などを経て、高知県文化環境部参事、県国際交流協会常務理事を歴任。1997年(平成9年)安芸市長に当選した。
二木 宏明(にき ひろあき、1937年2月11日 - 201… 二木 宏明(にき ひろあき、1937年2月11日 - 2016年8月26日)は、日本の脳生理学者、生理心理学者、東京大学名誉教授。 東京生まれ。1959年東京大学文学部卒業。1965年同大学院博士課程中退。1970年「ネズミの行動における海馬の役割」で東大医学博士、1972年京都大学霊長類研究所助教授。1973年東京都神経科学総合研究所副参事研究員。1977年東大文学部心理学科助教授。1981年「遅延反応の生理心理学的基礎に関する研究」で文学博士。1987年東大文学部教授、1998年定年退官、名誉教授、埼玉工業大学教授。2008年退職。2016年8月死去。
脇田 直枝(わきた なおえ、1937年2月11日 - )は、… 脇田 直枝(わきた なおえ、1937年2月11日 - )は、コピーライター、クリエイティブ・ディレクター。AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、東京都出身。 早稲田大学を卒業後、森永乳業へ入社。早大の同窓生に作家の阿刀田高がいる。森永でコピーライターとして広告に携わり、同社退社後フリーを経て、電通へ入った。 電通が時代に合わせて女性だけの広告代理店「電通EYE」を立ち上げることが決まり、脇田は専務取締役に就任。1985年に代表取締役社長ヘ就任。少数精鋭を好むスタイルで徒党を組むことを嫌い、電通EYEを大きくした。その後、時代の変貌と自らの年齢により退任。脇田の退任と同時に電通EYEも解散した。
浅野 輔(あさの たすく、1936年(昭和11年)2月11日… 浅野 輔(あさの たすく、1936年(昭和11年)2月11日 - 2000年(平成12年)2月29日)は、日本の国際政治学者、ニュースキャスター、翻訳家。JNNニュースコープキャスター、東京国際大学教授、ニューズウィーク日本版初代編集長。
坂部 恵(さかべ めぐみ、男性、1936年2月11日 - 2… 坂部 恵(さかべ めぐみ、男性、1936年2月11日 - 2009年6月3日)は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。九条の会賛同人。 神奈川県生まれ。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業。1959年、東京大学文学部哲学科卒業。1965年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。 1965年より國學院大學専任講師、ついで(旧)東京都立大学助教授、東京大学文学部哲学科助教授、教授。1997年の定年退官後は桜美林大学教授を務めた。 イマヌエル・カント、和辻哲郎、九鬼周造を研究対象とし、1976年、和辻の「面とペルソナ」を出発点とした『仮面の解釈学』で哲学奨励山崎賞受賞。1986年、『和辻哲郎』でサントリー学芸賞受賞。
山口 昌紀(やまぐち まさのり、1936年(昭和11年)2月… 山口 昌紀(やまぐち まさのり、1936年(昭和11年)2月11日 - 2017年(平成29年)12月8日)は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄、現・近鉄グループホールディングス)の元代表取締役会長・社長(大阪電気軌道創立から14代目)。 奈良県奈良市生まれ・在住。奈良学芸大学附属中学校・奈良女子大附属高校・京都大学法学部を卒業して1958年(昭和33年)に近鉄入社。1991年(平成3年)に取締役に就任(秘書室長)。以後、1993年(平成5年)に常務、1997年(平成9年)に専務、1999年(平成11年)に辻井昭雄社長就任とともに副社長(経営企画・流通部門担任)となった。 2003年(平成15年)6月の株主総会後の取締役会で、社長に就任した(辻井前社長は会長に就任)。
西河 紀男(にしかわ のりお、1936年(昭和11年)2月1… 西河 紀男(にしかわ のりお、1936年(昭和11年)2月11日 - )は、日本の実業家。公益財団法人ひょうごコミュニティ財団 副代表理事。元三ツ星ベルト株式会社代表取締役会長・神戸空港ターミナル株式会社取締役会長。 灘中学校・高等学校出身。甲南大学では予科練から戻った満州国からの引揚げ者から刺激を受ける。阪神・淡路大震災で火災に見舞われた神戸市長田区にゴム製品を作る等、神戸経済に貢献。2003年(平成15年)に社会貢献に対する表彰として「渋沢栄一賞」を受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
一井 淳治(いちい じゅんじ、1936年2月11日 - 20… 一井 淳治(いちい じゅんじ、1936年2月11日 - 2023年10月31日)は、日本の政治家、弁護士(岡山弁護士会、一井法律事務所)。参議院議員(2期)を務め、民主党結成にも加わった。 東京大学法学部中退。1958年、司法試験に合格し司法修習13期(同期に堀田力、横山昭二、山花貞夫らがいた)。公明党顧問弁護士、岡山弁護士会副会長等を務めた。 1986年の第14回参議院議員通常選挙で岡山県選挙区に無所属で立候補し初当選。当選後、日本社会党に入党。1992年の第16回参議院議員通常選挙で再選。1995年、村山改造内閣の農林水産政務次官に就任。その後、社会民主党から旧民主党へ移籍。民主党結成後の1998年に行われた第18回参議院議員通常選挙で落選した。
大谷 享子(おおたに きょうこ、1936年2月11日 - 2… 大谷 享子(おおたに きょうこ、1936年2月11日 - 2006年1月17日)は、昭和32年(1957年)のミス・ユニバース・ジャパンである。世界大会(ミス・ユニバース1957)でTop15に入賞、大陸別部門賞のMiss Asiaを受賞。 戦後最大級のフィクサーと呼ばれた大谷貴義の長女である。 和歌山県出身。大妻女子大学短期大学部を中途退学し、国際クッキングスクールを卒業した。 1957年、ミス・ユニバースの国内大会に応募するも、最初はその事実が発覚するのを恐れて新聞を隠したりもした。日本代表に選ばれ、同年7月にカリフォルニア州のロングビーチで行われた第6回ミス・ユニバース世界大会(ミス・ユニバース1957)に出場。
大矢 紀(おおや のり、1936年2月11日 - )は、日本… 大矢 紀(おおや のり、1936年2月11日 - )は、日本画家。「生命の胎動」をテーマに、山、樹木、花鳥静物を描く。雪山や火山など壮大な自然、山岳風景また花を得意とする、日本画家である。 日本橋三越本店を始め、個展、グループ展多数。現在日本美術院評議員、NHK文化センター講師、川崎市文化財団理事、長岡市名誉市民、川崎市市民文化大使、五泉市観光大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
向井 正剛(むかい まさかた、1935年(昭和10年)2月1… 向井 正剛(むかい まさかた、1935年(昭和10年)2月11日 - )は、日本の教育者であり、高校野球監督でもある。岡山県下の高校野球監督として春夏通じて唯一の優勝経験者。岡山東商業高等学校の監督時代に、同郷のエース平松政次を擁して春の甲子園で優勝した。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)に岡山県高梁市で生まれる。戦後に地元の岡山県立高梁高等学校に進み、同期には富士銀行(現:みずほFG)頭取・日本政策投資銀行社長になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、群馬大学医学部教授の伊吹令人、ノートルダム清心女子大学教授の南智、新宿で高級和食料理店「車屋」を起業する佐藤勇がいた。 高校時代は硬式野球部に所属したが、普通科高校であるため、野球部の人気が無く部員不足により2年秋で休部となった。
藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月… 藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月11日 - )は、日本のタレント、エッセイスト。作家・藤本義一の妻。義一との間に2女があり、次女はアーティストのフジモト芽子(まいこ)。 兵庫県神戸市須磨区生まれ。小学二年から商社マンだった父の赴任先、蒙古張家口で育つ。終戦後引き揚げ、父が故郷・広島県尾道市で事業を始めたため、中学一年から高校卒業まで尾道に住んだ。 広島県立尾道北高校を経て大阪女子大学(現・大阪公立大学)英文科に進学。高校、大学と演劇部に所属し、当時大阪府立大学の演劇部だった藤本義一と知り合う。 大学卒業後、スポーツニッポンの文化部記者として二年間勤務。藤本と結婚後退社。
藤田 貞一郎(ふじた ていいちろう、1935年2月11日 -… 藤田 貞一郎(ふじた ていいちろう、1935年2月11日 - 2015年6月13日)は、日本経済史学者。同志社大学名誉教授。 朝鮮平壌府出身。1963年大阪大学大学院経済学研究科修了、「近世経済思想の研究 幕藩体制と「国益」思想」で大阪大学より経済学博士の学位を取得。松山商科大学講師、同志社大学商学部助教授、教授、2005年定年、名誉教授。宮本又次に師事した。
吉田 政幸(よしだ まさゆき、1935年2月11日 - 20… 吉田 政幸(よしだ まさゆき、1935年2月11日 - 2003年9月24日)は、日本の化学者・図書館情報学者。 静岡市生まれ。1953年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1957年、東京大学理学部化学科卒業。1962年、同大学院博士課程修了、理学博士。東京大学理学部助教授を務めたのち、物理有機化学から図書館情報学に転じ、図書館情報大学教授となり、1991年、副学長、1995年、学長。再選、再々選され、7年間学長を務めた。2002年、定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
我妻 建治(あがつま けんじ、1933年2月11日 - 20… 我妻 建治(あがつま けんじ、1933年2月11日 - 2022年10月25日)は、日本の歴史学者。第9代学校法人成城学園学園長、第13代成城大学学長、成城大学名誉教授。白石城調査指導委員会委員長、NHK放送研修センター評議員等も務めた。 宮城県白石市生まれ。宮城県白石高等学校を経て、東北大学卒業。1982年『神皇正統記論考』で東北大学文学博士の学位を取得。 成城大学文芸学部教授、成城大学民俗学研究所主事、成城大学文芸学部長等を経て、2001年から2007年まで第13代成城大学学長、2003年から2007年まで学校法人成城学園学園長。白石城調査指導委員会委員長や、財団法人NHK放送研修センター評議員等も務めた。
子安 宣邦(こやす のぶくに、1933年2月11日 - )は… 子安 宣邦(こやす のぶくに、1933年2月11日 - )は、日本の思想史家。専門は日本思想史(近世・近代)。学位は、文学博士(大阪大学・論文博士・1987年)(学位論文「伊藤仁斎研究」)。大阪大学名誉教授。 1933年、神奈川県川崎市生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。横浜国立大学教育学部助教授(哲学・倫理学教室)、大阪大学文学部教授を務めた。1987年、「伊藤仁斎研究」で大阪大学より文学博士の学位を取得。1996年に定年退官し、名誉教授となった。その後も東京家政学院筑波女子大学国際学部教授として教鞭をとった。日本思想史学会の会長も務めた。 「思想」(岩波書店)や「日本思想史学」(ぺりかん社)などの純学術雑誌のほか、「現代思想」(青土社)や「批評空間」にも精力的に論文を寄稿していた。
高島 進(たかしま すすむ、1933年2月11日 - 201… 高島 進(たかしま すすむ、1933年2月11日 - 2016年5月24日)は、日本の社会福祉学者、日本福祉大学名誉教授。九条の会会員。 東京日本橋馬喰町生まれ。幼児小児麻痺で脚が不自由になる。東京大空襲の際、長兄は電話で東条英機を罵り、逮捕されて獄死。1956年東京大学文学部西洋史学科卒業、在学中東大セツルメントの中央書記を務め、卒業とともに中部社会事業短期大学助手、1957年四年制に移行し日本福祉大学助手、助教授、教授、2004年定年退任、名誉教授、関西国際大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安井 治雄(やすい はるお、1932年2月11日 - 200… 安井 治雄(やすい はるお、1932年2月11日 - 2003年10月30日)は、日本の経営者。ユニー社長を務めた。 愛知県知多郡東浦町出身。1954年に岐阜薬科大学製造薬学科を卒業し、同年に中外貿易に入社。1957年にエーザイを経て、1960年に西川屋(のちのユニー)に転じ、1963年に取締役に就任し、1979年5月に専務、1984年1月に副社長を経て、1990年2月に社長に就任。1991年5月から1993年5月までにに会長を務めた。 2003年10月30日動脈瘤破裂のために死去。71歳没。
清水 建美(しみず たてみ、1932年2月11日 - 201… 清水 建美(しみず たてみ、1932年2月11日 - 2014年11月25日)は、植物学者。竹号は「鶯山」。 長野県松本市生まれ。福井県育ち。1954年福井大学学芸学部教育一部卒業。1960年京都大学大学院理学研究科植物学専攻博士課程満期退学、1963年理学博士。信州大学助手、教養部講師、助教授、1971年教授、1992年名誉教授、金沢大学理学部教授、名誉教授。外来種・帰化植物の研究が専門。 2011年11月瑞宝中綬章受章。 清水の著作の一部はデジタル化され、インターネット上の国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
海老澤 順三(えびさわ じゅんぞう、1932年〈昭和7年〉2… 海老澤 順三(えびさわ じゅんぞう、1932年〈昭和7年〉2月11日 - 2025年〈令和7年〉3月13日)は、日本の政治家。位階は従四位。元北海道北斗市長(1期)上磯町長(8期)。 北海道上磯郡上磯町(現北斗市)出身。明治大学農学部卒。上磯町役場に入り、町議会事務局長を経て、1975年(昭和50年)、上磯町長に当選する。以来上磯町が合併するまで連続8期務めた。この間、道町村会会長、道漁港協会副会長を務めた。 2005年(平成17年)12月、翌年2月の北斗市発足による市長選挙に立候補を表明、市長選挙には元大野町長や元上磯町議が立候補、3人の争いになった。選挙の結果、海老澤が当選した。 北斗市長を1期務め、2010年(平成22年)に退任。
長沢 延子(ながさわ のぶこ、1932年〈昭和7年〉2月11… 長沢 延子(ながさわ のぶこ、1932年〈昭和7年〉2月11日 - 1949年〈昭和24年〉6月1日)は、日本の詩人である。群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等女学校(現・群馬県立桐生女子高等学校)卒業。姓の長沢は長澤とも表記される。 1932年(昭和7年)、群馬県桐生市で生まれる。父親は織物会社を営んでいた。延子には姉と兄がおり、のちに弟が生まれる。1936年(昭和11年)、延子が4歳のときに母親が胃癌で亡くなる。延子によれば、自分の一番最初の記憶は棺の中の母親の死に顔であるという。1938年(昭和13年)、桐生市西尋常小学校(1941年に桐生市西国民学校と改称)に入学、クラスで一番成績が良く、ずっと級長を務めた。
松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11… 松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)1月1日)は、日本の学者、実業家、作曲家。学位は社会科学博士(ストラスブール大学)。放送史、音楽史を専門とした。学校法人東海大学副理事長、東海大学平和戦略国際研究所所長、同松前記念館館長、同文明研究所長、同総合教育センター教授などをそれぞれ歴任した。東京都出身。 父は松前重義、妻澄子方の義父は池田清就。松前国際友好財団理事長や日本衛星放送取締役、エフエム東京取締役、札幌コンサートホールKitara館長なども務め、東海大学及び東海大学系列小・中・高等学校の校歌を作曲している。
藤井 健(ふじい けん、1931年2月11日 - 2021年… 藤井 健(ふじい けん、1931年2月11日 - 2021年6月14日)は、日本の経営者。三井信託銀行社長、会長を務めた。 東京都出身。1969年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に三井信託銀行に入社。1982年6月に取締役に就任し、1986年9月に常務、1987年9月に専務を経て、1991年9月に社長に就任した。1996年6月には会長に就任し、1999年4月に取締役、1999年6月に顧問を経て、2000年4月には中央三井信託銀行特別顧問に就任。 2021年6月14日、誤嚥性肺炎のために死去。90歳没。
髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 20… 髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 2022年3月24日)は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。位階は従三位。 1931年、日本人の両親の間に日本統治時代の朝鮮釜山に生まれる。父は朝鮮総督府の役人であった。 1947年、福岡県小倉中学校4年修了。1950年、第五高等学校理科甲類卒業後、東京大学医学部医学科に進学、1954年卒業。1960年論文「赤血球内遊離プロトポルフィリン」により、東京大学医学博士。 群馬大学医学部助手、東京大学医学部助手、シカゴ大学留学などを経て、1972年から自治医科大学内科教授。1982年より、小坂樹徳の後任として東京大学医学部第三内科教授。
永野 耐造(ながの たいぞう、1931年(昭和6年)2月11… 永野 耐造(ながの たいぞう、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)8月25日)は日本の法医学者で、金沢大学名誉教授。
高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は… 高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。2004年から日本医学会第6代会長を務める。
右田 紀久恵(うだ きくえ、1931年2月11日 - )は、… 右田 紀久恵(うだ きくえ、1931年2月11日 - )は、日本の社会福祉学者。大阪府立大学名誉教授。 大阪府生まれ。1953年大阪市立大学家政学部卒。同大学院博士課程中退。1985年「英国における地方自治体社会福祉行財政の研究」で大阪市立大学より学術博士の学位を取得。1969-71年ロンドン大学客員研究員、シェフィールド大学客員教授。1973年大阪社会事業短期大学教授、1981年大阪府立大学教授、86年社会福祉学部長、1994年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授、広島国際大学副学長・医療福祉学部教授。
末石 冨太郎(末石 冨太郎、すえいし とみたろう、1931年… 末石 冨太郎(末石 冨太郎、すえいし とみたろう、1931年2月11日 - 2025年7月15日)は、日本の土木工学者、環境学者、大阪大学名誉教授。 兵庫県武庫郡(現神戸市灘区)出身。1953年京都大学工学部土木工学科卒、1955年同大学院修了。1961年「上下水道における集配水の合理化に関する基礎的研究」で工学博士。大阪水道局技術吏員、1958年京大工学部助教授、1967年教授、1975年大阪大学工学部教授。1973-1977年京大経済研究所教授兼任。1994年定年退官、名誉教授。2025年7月15日、自宅にて老衰により死去。
橋谷 義人(はしたに よしと、1931年〈昭和6年〉2月11… 橋谷 義人(はしたに よしと、1931年〈昭和6年〉2月11日 - )は、日本の農学博士、元大阪成蹊女子短期大学学長。 鳥取県出身、日野郡溝口町(現・西伯郡伯耆町)在籍。1955年、神戸大学農芸化学科助手。1964年、京都大学大学院農学研究科博士課程修了、同年京都大学化学研究所研究員。 1965年、「高等植物におけるビタミンB1の生合成について」にて同大学より学位を取得、同年大阪成蹊女子短期大学助教授。1969年、教授。1972年、家政学科栄養コース主任。 1975年、大阪成蹊学園評議員。1976年、理事。1978年、大阪成蹊女子短期大学学生部長。1986年、教務部長。1991年7月、学長に就任。
浦本 昌紀(うらもと まさのり、1931年2月11日 - 2… 浦本 昌紀(うらもと まさのり、1931年2月11日 - 2009年6月15日)は、日本の鳥類学者。和光大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京大学理学部動物学科卒、1959年旧東京都立大学大学院生態学博士課程満期退学。1960年、山階鳥類研究所研究員、1977年和光大学教授。2000年定年、名誉教授。 1966年、毎日出版文化賞(小原秀雄,小森厚共著『現代の記録・動物の世界』)受賞。1967年、日本鳥学会賞受賞(「森林鳥類のエネルギー消費に関する研究」 )。
しまね きよし(1931年(昭和6年)2月11日 - 198… しまね きよし(1931年(昭和6年)2月11日 - 1987年(昭和62年)7月12日)は、日本の思想史家。本名、嶋根 清。千葉県出身。 東京外国語大学フランス語科卒。思想の科学研究会会員。思想の科学研究会の共同研究「転向」に参加。 1965年から1968年、雑誌『思想の科学』編集長。なお、「1965年から1968年」は「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」の記述であり、「20世紀日本人名事典」「日外アソシエーツ現代人物情報」では「1964年高校を退職、評論活動に専念。同年4月「思想の科学」編集長となり」という表現になっている。 近代日本の社会主義思想を転向の観点から研究した。「日本社会主義人名事典」を作りたいと願った、しまねの膨大なカードを基に、彼の没後、彼の遺志を継いだ者-いいだもも、大野明男、田村紀雄、鶴見俊輔、山領健二、輿石正、渡辺一衛、安田常雄、余川典子、石井紀子-たちの手で、『近代日本 社会運動史人物大事典』(日外アソシエーツ、1997年)が刊行された。