藤田 昌宏(ふじた まさひろ、1954年11月12日 - )… 藤田 昌宏(ふじた まさひろ、1954年11月12日 - )は、日本の経済産業官僚。経済産業省貿易経済協力局長や、住友商事代表取締役副社長、石油資源開発代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 茨城県水戸市出身。茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校から東京大学に入学。1977年同大学法学部第1類(私法コース)卒業、通商産業省入省(立地公害局保安課)。2002年7月経済産業省産業技術環境局産業技術政策課長。2003年資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長。2007年関東経済産業局長。2008年7月経済産業省貿易経済安全保障局長。2009年退官、三井住友海上火災保険株式会社顧問。2010年住友商事株式会社執行役員。
本間 源基(ほんま もとき、1954年11月12日 - )は… 本間 源基(ほんま もとき、1954年11月12日 - )は、日本の政治家。元茨城県ひたちなか市長(4期)。茨城県公安委員。 茨城県出身。1977年、東京大学経済学部卒。茨城県庁に入り、県保健福祉部医療整備課副参事を経て、2002年、ひたちなか市長に当選する。市長を4期務めた。2020年に茨城県公安委員に就任し、翌年から1年間委員長を務めた。2026年、旭日小綬章受章。
吉野 一穂(よしの かずほ、1953年11月12日 - )は… 吉野 一穂(よしの かずほ、1953年11月12日 - )は、日本の少女小説家。東京都出身。 東京都立江北高等学校を経て、同志社大学神学部を卒業。大学在学中の1976年、集英社主催の第9回「小説ジュニア」青春小説新人賞 (現在のノベル大賞の前身) を受賞し、大学卒業後の翌1977年11月に、受賞作を含む短編集『感情日記』にて、集英社文庫コバルトシリーズよりデビューした。小説作品のほか、1989年6月からは週刊ヤングジャンプで漫画「天使のボディーガード」の原作を担当し、同作を連載した。この作品は単行本になっていない。 釣りが趣味であり、野球では巨人ファンであるという。
藤田 和生(ふじた かずお、1953年11月12日 - )は… 藤田 和生(ふじた かずお、1953年11月12日 - )は、日本の動物学者・認知科学者。京都大学名誉教授。 大阪府生まれ。大阪府立天王寺高等学校卒業、1976年京都大学理学部動物学科卒、82年同大学院理学研究科博士課程修了、「少数の色刺激を用いたニホンザルの同異概念の形成に関する一研究」で理学博士。1987年京都大学霊長類研究所助手、93年助教授、96年同文学研究科教授、99年教授。日本動物心理学会理事長。専門は比較認知科学。
川人 光男(かわと みつお、1953年11月12日 - )は… 川人 光男(かわと みつお、1953年11月12日 - )は、日本の工学者。 主な業績は計算論的神経科学による脳機能の解明とブレインマシンインタフェースの開発。 富山県高岡市出身。工学博士(大阪大学、1981年)。 1976年 - 東京大学理学部物理学科卒業。1981年 - 大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了。1981年 - 大阪大学基礎工学部助手。1986年 - 文部省学術国際局学術調査官(併任)。1987年 - 大阪大学基礎工学部講師。 1988年 - 株式会社エイ・ ティ・ アール(ATR)視聴覚機構研究所主任研究員。1993年から金沢工業大学客員教授。2000年 - 奈良先端科学技術大学院大学客員教授。
樋口 眞哉(ひぐち しんや、1953年11月12日 - )は… 樋口 眞哉(ひぐち しんや、1953年11月12日 - )は、日本の実業家。元山陽特殊製鋼代表取締役社長。大阪府出身。 1972年に大阪府立北野高等学校を卒業、同年東京大学文科一類入学。大学ではバレーボール部に所属し、男子部主将。1976年に東京大学法学部を卒業後、新日本製鐵に入社。1984年-1986年にハーバード大学経営大学院に留学、1986年に経営学修士号を取得し卒業。2007年に新日本製鐵執行役員。2010年に常務執行役員。2012年に新日鐵住金代表取締役副社長。2016年より山陽特殊製鋼代表取締役社長。新日鐵住金から増資を受けてOvakoの完全子会社化を執行。2019年より特殊鋼倶楽部会長。
福井 保夫(ふくい やすお、1952年11月12日 - )は… 福井 保夫(ふくい やすお、1952年11月12日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 津山商業高校では、エースとして1969年秋季中国大会県予選で準決勝に進むが興譲館高に敗退。翌1970年春季中国大会県予選でも準決勝に進出するが、岡義朗、守岡茂樹のいた岡山東商に惜敗した。卒業後は松下電器に入社。しかしエース福間納に加え、1973年には山口高志、長谷部優が入社。あまり活躍の機会はなかった。 1974年のドラフト会議で近鉄バファローズに1位指名され入団。この年のドラフトでは同僚である山口高志の去就が注目され、ドラフトで最初に指名権を得ていたバファローズが当然山口を1位指名するものとみられていた。
岩崎 誠一(いわさき せいいち、1951年11月12日 - … 岩崎 誠一(いわさき せいいち、1951年11月12日 - )は、日本競輪選手会、青森支部に所属していた元競輪選手。1973年4月21日、ホームバンクであった青森競輪場でデビュー戦を迎え、初勝利も同日。また、この開催の完全優勝も果たした。 岩崎将士(日本競輪学校第88期生)は実子の競輪選手であり弟子。 八戸電波高等学校時代の1969年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・1 kmタイムトライアルで優勝。また、日本大学短期大学部在学中に、世界自転車選手権に2度出場。1971年のアマチュア部門スクラッチ(現在はスプリント)では10位に入った。 1972年、日本競輪学校第31期生として入学。同期には新井正昭らがいる。
木原 慶吾(きはら・けいご、1951年11月12日 - )は… 木原 慶吾(きはら・けいご、1951年11月12日 - )は、佐賀県を拠点に活動する日本の歌手、ラジオパーソナリティ、ローカルミュージシャン、音楽プロデューサー。「サウンドスピリッツ」代表取締役。血液型はO型。
藤井 紀子(ふじい のりこ、1951年(昭和26年)11月1… 藤井 紀子(ふじい のりこ、1951年(昭和26年)11月12日 - 2021年 (令和3年)8月5日)は、日本の化学者。京都大学名誉教授。京都大学複合原子力科学研究所および京都大学大学院理学研究科教授。専門は生化学。医学博士(東京医科歯科大学)。 1998年6月、第3回「日本女性科学者の会」奨励賞受賞。 D-アミノ酸を指標とした老化の基礎研究の第一人者。 ユニークな発想に基づく独創的な研究を継続した結果が認められタンパク質化学に新領域を拓き、国際的にも高い評価を得ている。 遊離のD-アミノ酸は様々な生理的役割を担っていることが近年明らかになりつつありD-アミノ酸研究会も設立された。この分野は国際的にも日本が主導的立場にある。
由美 かおる(ゆみ かおる、1950年11月12日 - )は… 由美 かおる(ゆみ かおる、1950年11月12日 - )は、日本の女優。本名:西辻 由美子(にしつじ ゆみこ)。
香川 利春(かがわ としはる、1950年11月12日 - )… 香川 利春(かがわ としはる、1950年11月12日 - )は、日本の制御工学者。東京工業大学名誉教授。SMC取締役。元日本フルードパワーシステム学会会長。元日本シミュレーション学会会長。 1974年東京工業大学工学部制御工学科卒業。1986年東京工業大学工学博士。東京工業大学助手、東京工業大学講師、東京工業大学助教授を経て、1996年東京工業大学精密工学研究所教授。2004年日本シミュレーション学会会長。2012年日本フルードパワーシステム学会会長。2014年東京工業大学大学院総合理工学研究科教授。2015年SMC株式会社取締役。2016年東京工業大学特命教授。2018年東京工業大学名誉教授。
高橋 定敏(たかはし さだとし、1950年11月12日 - … 高橋 定敏(たかはし さだとし、1950年11月12日 - )は、日本の政治家。元北海道留萌市長(3期)、元北海道議会議員(4期)。 北海道留萌市出身。1974年(昭和49年)3月、立正大学経営学部経営学科卒業。中川一郎衆議院議員の公設第二秘書となる(第一秘書は鈴木宗男であった)。 1991年(平成3年)4月、北海道議会議員選挙に初当選。4回連続で当選し、道議時代は自由民主党に所属した。 2006年(平成18年)2月の留萌市長選挙において無投票で初当選した。3月10日、市長就任。3選後、任期満了により退任。 2021年4月の春の叙勲で旭日中綬章受章。
座本 大汪(ざもと だいおう、1950年11月12日 - )… 座本 大汪(ざもと だいおう、1950年11月12日 - )は広島県福山市赤坂町生まれの書家。日展総理大臣賞受賞者である劉蒼居や、毎日芸術賞を受賞した金子卓義に師事。2010年に開かれた自身の還暦記念個展を評価され2011年6月9日に第24回毎日書道顕彰・芸術部門を受章。 1950年11月12日、広島県福山市赤坂町に生まれる。 1957年より兵庫県に移住し、活動拠点を兵庫県加古川市に定める。 1984年の第16回日展に初入選し、以降第29回日展までの期間で計9回入選。 2000年に自身が代表を務める書法研究嚶嚶を発足し、これまで師事を仰いだ劉蒼居の言葉「字を書くということは人間修行の総称である」を教訓に、漢字書家として古典研究に務める。
石川 牧子(いしかわ まきこ、1949年11月12日 - )… 石川 牧子(いしかわ まきこ、1949年11月12日 - )は、日本のアナウンサー(日本テレビ → フリー)、元仙台大学客員教授、拓殖大学客員教授、財団法人日本ゲートボール連合理事。 山形県鶴岡市生まれ。酒田市立第三中学校卒業。山形県立酒田東高等学校2年時に宮城県仙台市へ転居した。東京女子大学短期大学部英語科卒業。 アナウンス部在籍時は報道からスポーツ、バラエティまで幅広く出演し、日本テレビの女性アナウンサーの看板的な存在だった。「元祖どっきりカメラ」、「アメリカ横断ウルトラクイズ」といった看板番組の司会を長きにわたり担当した。 現場からデスク職についてからはキー局では初めての女性アナウンス部長としても話題となったが、前任の舛方勝宏から引き継がれた新人アナウンサーへの厳しい指導は度々日本テレビの特番でも放送された。
鈴木 和夫(すずき かずお、1949年(昭和24年)11月1… 鈴木 和夫(すずき かずお、1949年(昭和24年)11月12日 - )は、日本の政治家。福島県白河市長(5期)。 福島県立白河高等学校卒業。1972年3月、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後、福島県庁に入庁。相双地方振興局長、企業局長などを務めた。 2007年6月26日、白河市長の成井英夫が死去(享年54)。これに伴って7月29日に行われた選挙へ鈴木は無所属で出馬。3人の候補者を破り、初当選。同日、市長に就任した。 2019年、元大信村議の国井明子を破り4選。 2023年、同じく国井を破り5選。
日置 弘一郎(ひおき こういちろう、1949年11月12日 … 日置 弘一郎(ひおき こういちろう、1949年11月12日 - )は、日本の経営人類学者、元京都大学教授、就実大学経営学部教授。専門は組織論・経営人類学(文化人類学の経営組織への適用を行う応用)。 京都府生まれ。1972年京都大学経済学部卒、1977年大阪大学大学院経済学研究科中退。99年「文明の装置としての企業」で京都大学より経済学博士の学位を取得。77年茨城大学人文学部助手、1980年京都学園大学経済学部講師、1983年九州大学経済学部助教授、1992年京都大学経済学部助教授、93-96年国際日本文化研究センター助教授(併任)、99年京都大学大学院経済学研究科・経済学部教授。2003-07年国立民族学博物館教授併任、2015年定年退任、公立鳥取環境大学経営学部教授。
鈴木 和夫(すずき かずお、1949年11月12日 - )は… 鈴木 和夫(すずき かずお、1949年11月12日 - )は、日本の政治家。福島県白河市長(2期)。
山崎 博昭(やまざき ひろあき、1948年11月12日 - … 山崎 博昭(やまざき ひろあき、1948年11月12日 - 1967年10月8日)は、日本の学生活動家である。第1次羽田事件で死亡した学生として知られる。 高知県生まれ。大阪市立茨田中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1967年京都大学文学部に入学し、同年4月に革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に参加。高校時代は「大手前高校社研(社会研究会)」で活動したほか、中核派系の反戦高協大阪府委員会結成に参加している。デモや集会に度々参加し、砂川闘争にも加わっていた。 1967年10月8日の第1次羽田事件(佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止運動)に参加。羽田空港への突入を図る学生らと機動隊が海老取川に架かる弁天橋で激しい攻防を展開し、機動隊から奪った警備車兼放水車を暴走させるなど学生が激しく機動隊を攻撃する中、警備車が通った後に倒れているのを発見された。
石橋 正次(いしばし しょうじ、1948年11月12日 - … 石橋 正次(いしばし しょうじ、1948年11月12日 - )は、日本の俳優、歌手である。本名は石橋 正次(いしばし まさつぐ)。 大阪府大阪市東住吉区の出身で、大阪電気通信高校電子工業科を卒業し、ホリプロ、児山美栄事務所などを経て、HIDEKO事務所に所属する。 高校卒業後に上京し、1967年10月に新国劇へ入団して舞台俳優を志す。 1970年に藤田敏八監督から見出され、日活映画『非行少年 若者の砦』で主人公の少年役に起用される。1970年に、ボクシング劇画『あしたのジョー』の舞台と映画でともに主演し、コロムビアレコードから『あしたの俺は』で歌手デビューする。 1971年にNHK連続テレビ小説『繭子ひとり』で、主人公の繭子と生き別れた弟を演じた。
戸田 裕一(とだ ひろかず、1948年11月12日 - )は… 戸田 裕一(とだ ひろかず、1948年11月12日 - )は日本の実業家、元社員コピーライター。博報堂DYホールディングス代表取締役社長 兼 博報堂代表取締役社長。
高嶺 剛(たかみね ごう、1948年11月12日 - )は、… 高嶺 剛(たかみね ごう、1948年11月12日 - )は、沖縄県石垣島川平出身の映画監督。京都市在住。 小学生になる前に那覇市に移り住む。1969年、京都教育大学特修美術学科に「国費留学生」として進学。在学中から自主映画を取り始めるが、大学中退。 ほぼ一貫して、沖縄をテーマとする映画を制作している。ジョナス・メカスの影響をもとにドキュメンタリー映画を撮っていたが、『パラダイスビュー』(1985年)からは劇映画に進出。1989年の作品『ウンタマギルー』は日本映画監督協会新人賞、ベルリン国際映画祭カリガリ賞、ナント三大陸映画祭最優秀賞などを受賞した。 2008年の作品『Puppet shaman star』は沖縄を舞台としておらず、京都在住の顔師(祇園祭の稚児の顔に化粧をする職)にして人形つかいの奥山恵介をとりあげたドキュメンタリーである。
島野 容三(しまの ようぞう、1948年11月12日 - )… 島野 容三(しまの ようぞう、1948年11月12日 - )は、日本の経営者。シマノ社長を務めた。 大阪府出身。父親はシマノの二代目社長である島野尚三。 1971年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に島野工業(現在のシマノ)に入社(1974年入社とする文献もある)。入社後、本社工場で一工員として2年半働いた後、下関工場の工場長・本社営業管理部長・同営業企画部長を歴任した。1986年2月に取締役に就任し、1995年1月に専務を経て、2001年3月に社長に就任。2021年3月に会長兼最高経営責任者に就任。
黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 … 黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 - 2019年4月25日)は、新潟県西頸城郡青海町(現在の糸魚川市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は田中 秀男(たなか ひでお)。現役時代の体格は182cm、147kg。得意手は押し、右四つ、寄り。最高位は東関脇。四股名の由来は出身地旧青海町の黒姫山から。 幼少期はプロレスラーに憧れており、プロレスの新聞記事の切り抜きを集めたり、兄弟とプロレスごっこをして過ごしていた。出稼ぎに出た父親が戻ってこず、中学卒業後に家の家計を助けるために大相撲入りを決断し、1964年3月場所において初土俵を踏んだ。 入門前の田中にとってヒーローはとにかく力道山であり、相撲は全く好きではなかった。
板垣 公一 (いたがき こういち、1947年11月12日 -… 板垣 公一 (いたがき こういち、1947年11月12日 - ) は、山形県山形市在住の日本の実業家、アマチュア天文家。株式会社豆の板垣代表取締役社長。アマチュア天文家としては、新天体ハンター・特に超新星発見数の国内最多記録・世界2位の記録を持つ、世界有数の超新星ハンターとして知られる。 日本大学山形高等学校卒業後、栃木県の菓子会社で修行後、家業に就く。株式会社豆の板垣は「板垣のピーナッツ」で山形県内で良く知られており、同社が豆菓子のミニパックを、国内業界で最初に取り入れたのは板垣の発案である[要出典]。 山形市の蔵王山中にある私設板垣天文台の他に、冬場の山形の悪天候を避けるため栃木県塩谷郡高根沢町に山形から遠隔操作が可能な第2観測所を所有している。
加護野 忠男(かごの ただお、1947年11月12日 - 2… 加護野 忠男(かごの ただお、1947年11月12日 - 2024年12月28日)は、日本の経営学者。神戸大学名誉教授。専攻は経営戦略論、経営組織論。経営学博士(神戸大学、1989年)。 大阪府生まれ。1966年、大阪府立大手前高等学校卒業。1970年、神戸大学経営学部卒業。1972年、同大学大学院経営学研究科修士課程修了。1973年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学、神戸大学経営学部助手。1975年、同講師。1979年、同助教授、ハーバード・ビジネス・スクールに留学。1988年同教授。1998年、同大学経営学部長・大学院経営学研究科長(2000年3月まで)。1999年、同大学大学院経営学研究科教授。
田村源二(たむら げんじ、1947年11月12日- )は、英… 田村源二(たむら げんじ、1947年11月12日- )は、英語・フランス語の翻訳家。 東京生れ。1969年慶應義塾大学文学部社会学科卒業。一年間グルノーブル大学に学ぶ。1970年アニメーション制作に従事、73年『週刊読売』編集協力員、79年から英仏語の翻訳家。
吉田 照哉(よしだ てるや、1947年11月12日 - )は… 吉田 照哉(よしだ てるや、1947年11月12日 - )は、日本の実業家。 日本を代表する競走馬生産牧場として知られる社台ファームの代表を務める。 社台グループ創始者吉田善哉の長男。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。高校大学ともに馬術部に所属。竹田恒和は馬術部の同期である。1972年、フォンテンブローファーム場長として渡米。中央競馬においては父の勝負服(黄、黒縦縞、赤袖)の服飾を受け継いでいる。 弟にノーザンファーム代表及び社台スタリオンステーション代表取締役吉田勝己、追分ファーム代表及び社台スタリオンステーション専務取締役吉田晴哉がいる。さらに母の吉田和子、妻の吉田千津も馬主、息子の吉田哲哉は社台レースホース代表という競馬一家である。
山崎 純資(やまざき じゅんじ、1947年11月12日 - … 山崎 純資(やまざき じゅんじ、1947年11月12日 - 2012年7月[要出典])は、愛知県出身の元俳優。本名同じ。 日本大学藝術学部卒業後、劇団文化座を経て、同郷の天知茂が主宰していた天知プロダクション(アマチプロゼ)に所属。天知主演のテレビドラマや弓恵子・宮口二郎など天知プロの著名俳優とのバーター出演作品にて、チンピラ役・手下役などの悪役・端役を演じた。 1970年代の特撮作品への出演もあり、川内康範原作の『レインボーマン』では「ヤッパの鉄」役でセミレギュラー出演している。芸能界を離れてからは名古屋市会議員を1999年から1期(緑区選挙区、民主党)務めていた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
太田 治子(おおた はるこ、1947年〈昭和22年〉11月1… 太田 治子(おおた はるこ、1947年〈昭和22年〉11月12日 - )は、日本の作家。神奈川県小田原市生まれ。日本ペンクラブ会員。 父は太宰治、母は太宰の代表作「斜陽」の主人公「かず子」のモデルとなった太田静子。当時妻子のいた太宰は文学を志す静子との関係が生じ、生まれてきた娘に、「治」の一字を与えて認知した。翌年、太宰は玉川上水で自殺し、以後は炊事婦や寮母など働きづめで生計を立ててくれた静子や静子の兄弟らの愛情・支援のもと育つ。私立青葉女子学園高等学校(東京都世田谷区世田谷。1988年頃に廃校)を経て明治学院大学文学部(英米文学)卒業。 1967年、紀行文『津軽』で婦人公論読者賞を受賞。その後刊行した『手記』は、吉永小百合主演でラジオ化、映画化された(『斜陽のおもかげ』)。
矢作 弘(やはぎ ひろし、1947年11月12日 - )は、… 矢作 弘(やはぎ ひろし、1947年11月12日 - )は、日本のジャーナリスト、社会学者、元龍谷大学教授。 東京都生まれ。1971年横浜市立大学卒、日本経済新聞に入り、ロサンゼルス支局長、編集委員、オハイオ州立大学/ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員、大阪市立大学創造都市研究科教授を経て、龍谷大学政策学部教授。2004年「地方都市商業再生の条件: 都市計画行政の評価と循環型経済構築のために」で金沢大学博士(社会環境科学)。
坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は… 坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は、日本の新左翼活動家、元連合赤軍中央委員会書記長(連合赤軍のナンバー3)、歌人、テロリスト。確定死刑囚。 千葉県富津市出身。中学1年の時に父親を病気で亡くす。子供の頃は日本共産党の動向に関心を持ち、60年安保においては民主社会党を支持していた。 千葉県立木更津高等学校卒業後、1965年4月に東京水産大学水産学部増殖学科(現東京海洋大学海洋科学部)に入学、水泳部に所属する。同部に所属していた川島豪に近づくためだった。当時4年生で自治会で後援会費闘争を行っていた川島を慕うようになる。その後、日韓条約反対闘争に参加し初めての集会とデモを経験。
フレディ 松川(ふれでぃ まつかわ、1946年(昭和21年)… フレディ 松川(ふれでぃ まつかわ、1946年(昭和21年)11月12日 - )は、日本の医師。医療評論家。本名、松川フレディ。 京都市生まれ。外国人の父親と日本人の母親の間に生まれる。1972年(昭和47年)、日本医科大学卒業後、日本医科大学第三内科学教室入局。消化器中心に一般内科学専攻。昭和53年、消化器内視鏡に関する研究にて医学博士となる。その後第一期内視鏡認定医となる。1980年(昭和55年)より湘南長寿園病院に勤務。翌年、同病院院長に就任。老人内科専門病院をめざす。 内科学会会員、消化器病学会会員、消化器内視鏡学会会員、老人の専門医療を考える会会員、老人ホーム湘南長寿園嘱託医。
三山 秀昭(みやま ひであき、1946年11月12日 - )… 三山 秀昭(みやま ひであき、1946年11月12日 - )は日本の実業家で、広島テレビ放送の最高顧問。読売新聞社の出身で、かつては読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の球団代表や、広島テレビの代表取締役社長と会長を務めていた。 富山県の生まれで、早稲田大学法学部卒業後の1969年(昭和44年)に読売新聞社へ入社すると、報道記者として千葉支局に配属された。 読売新聞東京本社編集局政治部の記者を経て、正力亨(当時は読売巨人軍のオーナー)の秘書へ転身すると、1978年(昭和53年)に江川卓を巨人へ入団させることを画策。前年(1977年)のNPBドラフト会議でクラウンライターライオンズの1位指名を受けながら、入団を固辞したうえで巨人への入団を視野に「野球浪人」(南カリフォルニア大学野球部の練習生)という道を選んでいた江川に対して、日本プロ野球(NPB)ドラフト会議への参加球団に関する当時の野球協約(「ドラフト会議での単独指名や、指名の重複による抽選を経て入団交渉権を獲得した選手とは、翌年のドラフト会議の前々日まで交渉を認める」という趣旨の規定)を逆手に取る格好で「空白の一日」(1978年NPBドラフト会議の前日)に読売巨人軍との間で入団契約を結ぶことを提案した。
谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - … 谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - )は、北海道札幌市中央区出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。 北海高では2年次の1962年、中堅手として甲子園に春夏連続で出場。春の選抜では1回戦で御所工に敗退するが、夏の選手権では準々決勝に進み、伊藤久敏投手を擁する久留米商と対戦。先発した3年生エース松谷栄司が5回に負傷退場し、同期の吉沢秀和が急遽リリーフするが、9回に3点を取られ逆転負け。他のチームメートに1年上の中村之保遊撃手がいた。 3年次の1963年には春の選抜で吉沢の好投もあって準決勝に進み、優勝候補の早実にサヨナラ勝ち。決勝では下関商の池永正明に抑えられ0-10で大敗するが、初めて準優勝旗が津軽海峡を越えることとなった。
前川 燿男(まえかわ あきお、1945年(昭和20年)11月… 前川 燿男(まえかわ あきお、1945年(昭和20年)11月12日 - )は、日本の政治家。東京都練馬区長(3期)を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。 1964年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1970年、東京大学法学部卒業。 1971年、東京都庁入庁。民生局配属。東京都総合計画総括課長、臨海副都心開発部長を経て、2000年に石原慎太郎知事の下で東京都福祉局長に就任。2002年より知事本局長を務め、2005年に退職。同年より東京ガス執行役員・エネルギーソリューション本部コーディネーター。2009年より政策研究大学院大学客員教授。 2014年、志村豊志郎の死去に伴う練馬区長選挙に自由民主党、公明党推薦で出馬し、元区議ら3人の対立候補を破り初当選した。
大渕 絹子(おおふち きぬこ、1944年11月12日 - )… 大渕 絹子(おおふち きぬこ、1944年11月12日 - )は、日本の政治家。参議院議員(通算3期)を務めた。 新潟県小千谷市出身。中学卒業後集団就職で上京。日東紡績で働きながら、東京都立第三商業高等学校の定時制に通う(1965年卒業)。日東紡績では労働組合で活動した。その後、結婚を機に帰郷。地元の工場に勤務した。1987年の新潟県議会議員選挙に無所属(革新系)から立候補し、自民党の広井忠男に500票近くまで迫ったが、落選した。1989年に行われた参議院議員新潟県選挙区補欠選挙に日本社会党から出馬し、自民党の候補などを破って初当選。いわゆる社会党のマドンナブームの火付け役となり、同年7月の通常選挙で社会党が躍進する切っ掛けとなった。
天本 光(あまもと ひかる、1944年11月12日 - )は… 天本 光(あまもと ひかる、1944年11月12日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。
稲葉 大和(いなば やまと、1943年11月12日 - )は… 稲葉 大和(いなば やまと、1943年11月12日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 東京都神田区(現在の千代田区)生まれ。駒場東邦高校を経て、1966年、中央大学法学部を卒業し、父・稲葉修衆院議員秘書となる。その後、木部佳昭建設大臣秘書を経て、1990年に旧新潟2区から父の地盤を継いで第39回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。 渡辺美智雄の秘書を務めた後、1993年に再び第40回衆議院議員総選挙に立候補して初当選(当選同期に安倍晋三・野田佳彦・高市早苗・岸田文雄・塩崎恭久・石井啓一・茂木敏充・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次など)。渡辺派に属す。以後、連続5期当選。
北住 炯一(きたずみ けいいち、1943年11月12日- )… 北住 炯一(きたずみ けいいち、1943年11月12日- )は、ドイツ政治史学者、名古屋大学名誉教授。 仙台生まれ。1967年京都大学法学部卒、1971年名古屋大学大学院法学研究科西洋政治史専攻博士課程満期退学、1991年「近代ドイツ官僚国家と自治 社会国家への道」で名古屋大学法学博士。名大助手、愛知学院大学専任講師、助教授、教授、名古屋大学法学部教授、2007年定年退官、名誉教授、愛知学院大学総合政策学部教授。1991年東京市政調査会藤田賞受賞。
小畑 秀文(こばたけ ひでふみ、1943年11月12日 - … 小畑 秀文(こばたけ ひでふみ、1943年11月12日 - ) は、日本の工学者。東京農工大学学長や、国立高等専門学校機構理事長、かえつ有明中学校・高等学校校長、計測自動制御学会会長などを歴任した。 群馬県出身。1967年東京大学工学部計数工学科卒業。1972年東京大学大学院工学系研究科計数工学専門課程博士課程修了、工学博士、東京大学宇宙航空研究所助手。 1975年東京農工大学工学部電子工学科助教授。1986年東京農工大学工学部電子工学科教授。1993年東京農工大学附属図書館工学部分館長。1995年東京農工大学教授大学院生物システム応用科学研究科教授、東京農工大学評議員。1998年コンピュータ支援画像診断学会副会長。
小野 修一(おの しゅういち、1943年(昭和18年)11月… 小野 修一(おの しゅういち、1943年(昭和18年)11月12日 - )は、日本の政治家。元山梨県韮崎市長(2期)。旭日小綬章受章。 山梨県出身。東京農業大学農学部卒。卒業後は山梨県内の不動産管理会社に勤務する。韮崎市議会議員となり、議長を務めた。1994年の韮崎市長選挙に立候補したが、現職の秋山幸一に敗れ、落選。4年後の1998年の市長選挙に立候補し、現職の秋山を破って初当選した。2002年に再選。2006年の市長選挙では元山梨県議の横内公明に敗れ、落選した。2015年秋の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章。
木村 一義(きむら かずよし、1943年11月12日 - )… 木村 一義(きむら かずよし、1943年11月12日 - )は、三重県出身の実業家。日興コーディアルグループ会長、コジマ会長兼社長を経て、ビックカメラ社長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
渡辺 有一(わたなべ ゆういち、1943年(昭和18年)11… 渡辺 有一(わたなべ ゆういち、1943年(昭和18年)11月12日 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター。「わたなべゆういち」名義もある。 旧満洲出身。デザイン事務所勤務、武蔵野美術大学美術科通信教育課程卒業。第8回絵本にっぽん賞、第15回日本絵本賞受賞。「かっぱ大さわぎ」「かっぱびっくり旅」(ともに旺文社)など木暮正夫作品を中心に児童文学の挿絵も多い。『ねこざかなシリーズ』の作者でもある。また日本のネット界で「最も怖いクロージング」とされているCBCテレビ(当時、中部日本放送)の1998年まで使われていたクロージングとオープニングの映像を手かげた。 著作の一部はデジタル化され、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
久保 陽子(くぼ ようこ、1943年11月12日 - )は、… 久保 陽子(くぼ ようこ、1943年11月12日 - )は、日本のヴァイオリニスト、音楽教育者。鹿児島県奄美大島出身。 3歳より、名瀬市(現奄美市)で薬局を経営する父の手ほどきによってヴァイオリンを始める。当時は第二次世界大戦後間もない時期で混乱が続いており、また貧しかったため、本物のヴァイオリンではなく父が手作りしたブリキのヴァイオリンを弾いていたという。本人いわく、「まさに子供の遊びであった」とのこと。 5歳の時に転機が訪れ、当時、人気を博していた石井みどり舞踊団が船で沖縄公演に向かう途中台風に遭い、奄美大島に停泊。船には石井みどりの夫で、著名なヴァイオリニストの折田泉も搭乗しており、これを聞きつけた両親が久保を連れて折田の元を訪ねた。
中村 良三(なかむら りょうぞう、1942年11月12日 -… 中村 良三(なかむら りょうぞう、1942年11月12日 - )は、日本の柔道家。講道館九段を取得している。 現役時代は全日本選手権出場等の実績を持ち、引退後は母校・東京教育大学および筑波大学にて教授や柔道部監督、国際柔道連盟教育理事等を歴任した。 富山県高岡市の生まれで、小学校低学年の時に母親の友人の女性から勧められて柔道を始めた。市立高陵中学校にて後々まで生涯の師と仰ぐ事となる向健三と出会い、中学3年次に県大会で団体戦・個人戦とも優勝。高校は県下有数の進学校である県立高岡高校へ進み、卒業後1961年に東京教育大学へ入学して稽古に励んだ。大学4年次の1964年には日本の柔道家にとっての檜舞台である全日本選手権に東京地区代表として出場を果たしている。
京須 偕充(きょうす ともみつ、1942年11月12日 - … 京須 偕充(きょうす ともみつ、1942年11月12日 - )は、落語の録音プロデューサー、落語評論家。日本文芸家協会会員。 東京神田区松住町生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。CBSソニー第1AV事業部制作三部課長、A&R第五部次長を経て、ソニー・ミュージックエンタテインメント・チーフプロデューサー。 ソニー・ミュージック(旧:CBS・ソニー)のプロデューサーとして、6代目三遊亭圓生の「圓生百席」や3代目古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけている。また、「朝日名人会」(有楽町朝日ホールで開催)、「朝日いつかは名人会」(浜離宮朝日ホールで開催)などの落語会をプロデュースしている(この落語会は録音することを前提としても開催)。
河内 紘一(こうち こういち、1941年(昭和16年)11月… 河内 紘一(こうち こういち、1941年(昭和16年)11月12日 - )は、元愛媛県喜多郡内子町長。 喜多郡内子町生まれ。1959年(昭和34年)愛媛県立内子高等学校卒業、1963年(昭和38年)東京農業大学農業経済学部卒業、家業の農業に就く。1979年(昭和54年)より2009年(平成21年)まで旧内子町長を連続7期、平成の町村合併後の新・内子町長を1期務めた。 内子町長在職当時、最初は町並み保存を手かがりに、やがて「町並みから村並みへ」、「エコロジータウン内子」を掲げ、町政を進めてきた。具体的には、町長就任後の昭和50年代には町中心部の旧街道沿道に保存されていた八日町・護国地区において町並み保存を手がけ、同地区は昭和61年に重要伝統的建造物保存群に選定された。
足立 恒雄(あだち のりお、1941年(昭和16年)11月1… 足立 恒雄(あだち のりお、1941年(昭和16年)11月12日 - )は、日本の数学者。学位は、理学博士。早稲田大学名誉教授。専攻は、代数的整数論・数学思想史。 「数学が汎宇宙的な普遍性を持つ真理の体系であり、一貫した発展を遂げているという思想」に疑問を呈し、数学は人類の種としての固有の財産であり、また時代・民族・個人に大いに依存しているという観点から、『√2の不思議』・『無限のパラドクス』・『数とは何か、そしてまた何であったか』等の啓蒙的な著作を多数著わしている。 1941年(昭和16年)京都府福知山市出身。1965年(昭和40年)早稲田大学理工学部卒業。1970年(昭和45年)東京工業大学大学院理学研究科博士課程修了。
上月 景正(こうづき かげまさ、 (1940-11-12) … 上月 景正(こうづき かげまさ、 (1940-11-12) 1940年11月12日(85歳) - )は、日本の実業家。コナミグループの創業者で代表取締役会長を務める。 京都府出身。1966年関西大学経済学部卒業。1969年コナミ工業創業。1973年コナミ工業株式会社(現コナミグループ株式会社)設立。1996年コンピュータエンターテインメント協会(CESA)設立、初代会長就任(現名誉会長)。2002年日本経済団体連合会理事就任。現在、コナミグループ株式会社 代表取締役会長。 1982年には個人資産を拠出した財団法人上月教育財団(現上月財団)を設立し、同財団の理事長を務める。以来40年以上にわたりスポーツ・教育・文化の振興と発展に寄与する活動に取り組んでいる。