近藤圭子(こんどう けいこ、1943年3月18日 - )は、… 近藤圭子(こんどう けいこ、1943年3月18日 - )は、日本の元童謡歌手、女優。 東京府(現・東京都)出身。精華学園女子高等学校卒業。 7歳よりキングレコード専属作曲家であった山本雅之に師事し、1951年、「仔豚のラッパ」でデビュー。1954年にキングレコード専属となり、のちに音楽文化研究家となる長田暁二が担当ディレクターに就き、過去の名作童謡の再レコーディングを行った。 1954年、テレビの連続ドラマ『星を見つめて』『私のお母さん』の主演をつとめ、日本テレビの専属タレント第一号となった。 その後、童謡歌手の中でもルックスが重要視され、「八頭身美人」として人気となり、雑誌『明星』などのグラビアに美空ひばり、中村錦之助、三橋美智也などのスターに並んで毎号登場するようになり、ブロマイドの売れ行きも好調であった。
大羽 宏一(おおば ひろかず、1943年3月18日 -) は… 大羽 宏一(おおば ひろかず、1943年3月18日 -) は、日本の経済学者。大分大学名誉教授。元尚絅大学学長。PL研究学会会長。 兵庫県明石市出身。東京都立新宿高等学校を経て、一橋大学商学部卒業後、1966年日本火災海上保険入社。火災新種業務部長、総合企画部長を経て、1998年大分大学経済学部教授。2002年内閣府国民生活審議会消費者政策部会委員。2003年大分大学附属図書館長。2006年尚絅大学短期大学部総合生活学科教授、大分大学名誉教授、日本少額短期保険協会理事。2008年尚絅大学学長。2015年PL研究学会会長。
今井 信子(いまい のぶこ、1943年3月18日 - )は、… 今井 信子(いまい のぶこ、1943年3月18日 - )は、日本のヴィオラ奏者。水戸室内管弦楽団メンバー。1983年から2003年までドイツ国立デトモルト音楽大学の教授を務め、現在はジュネーヴ音楽院とアムステルダム音楽院の教授を務めながら、各国で演奏活動を行っている。1988年以来、アンドレア・グァルネリ(1690年製作)を弾いている。 東京都生まれ。6歳でヴァイオリンを始める。桐朋学園大学で室内楽を齋藤秀雄に師事する。 1964年、桐朋学園オーケストラのアメリカ・ツアーでコンサートミストレスを務め、そのままアメリカに残り、タングルウッド音楽祭で小澤征爾指揮ボストン響のリヒャルト・シュトラウスの『ドン・キホーテ』を聴いたことをきっかけにヴィオラに転向する。
宿谷 苑生(しゅくたに そのお、旧姓:鈴江、1943年(昭和… 宿谷 苑生(しゅくたに そのお、旧姓:鈴江、1943年(昭和18年)3月18日 - )は、日本のヴァイオリニスト。元徳島文理大学音楽学部助教授。 京都成安女子高等学校(現:京都産業大学附属高等学校)卒業。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市出身。京都成安女子高等学校(現:京都産業大学附属高等学校)を卒業。ヴァイオリンを辻吉之助と辻久子に師事し、NJBリサイタル賞や大阪府文化祭賞を受賞。また芦屋室内合奏団・津田沼ユニバーサル交響楽団と共演し、徳島文理大学音楽学部では助教授を務めた。 これまでに日本演奏連盟とアーティスト協会に所属し、日本音楽コンクール審査員・桜宮弦学塾塾長を歴任。
松谷 翠(まつや みどり、1943年3月18日 - 1994… 松谷 翠(まつや みどり、1943年3月18日 - 1994年1月9日)は、日本のピアニスト。男性。 父親はジャズピアニストの松谷穣。 幼少の頃からピアノを父に習い、クラシックとジャズの両分野に親しむ環境に育つ。 東京藝術大学音楽学部器楽学科卒業。ピアノを福井直哉、レイ・レブに師事。和声法、作曲法を小倉朗に師事する。1973年に渡欧しベルリン芸術大学で、ピアノをH.E.リーベンザームに師事する。1975年にベルリン芸術大学を卒業後帰国し、コンサート、放送、レコーディングなど活発な演奏活動を展開する。日本大学芸術学部教授。座光寺公明(1958-87) のピアノの師。作曲家ボーカリスト松谷冬太とボーカリスト松谷麗王の父。
中村 剛(なかむら たけし、1943年3月18日 - )は、… 中村 剛(なかむら たけし、1943年3月18日 - )は、日本の元プロボクサー、実業家。栃木県真岡市出身。元OBF東洋フライ級チャンピオン。 1959年にデビュー。 1963年6月7日、ノンタイトルでOBF東洋フライ級王者チャチャイ・ラエムファバー(チャチャイ・チオノイ)を破る金星を挙げる。同年7月7日、チャチャイのOBF東洋王座に挑み、体格に勝るチャチャイにインファイトを仕掛けて巧みに左右フックをヒット、僅差の判定勝ちでタイトルを獲得した。弱冠20歳であった。 その後は粘り強いファイトを身上に、約6年の在位期間で10度の防衛に成功した。その中には後に世界チャンピオンとなるエルビト・サラバリア、バーナベ・ビラカンポら強豪も含まれる。
小平 忠正(こだいら ただまさ、1942年〈昭和17年〉3月… 小平 忠正(こだいら ただまさ、1942年〈昭和17年〉3月18日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、農林水産政務次官、衆議院逓信委員長、衆議院農林水産委員長、衆議院外務委員長、衆議院議院運営委員長(第72代)、東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会会長(初代)、国家公安委員会委員長(第86代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)などを歴任。2015年旭日大綬章受章。 北海道空知郡岩見沢町(のちの北海道岩見沢市)にて生まれた。岩見沢市立幌向小学校、札幌市立柏中学校、北海道札幌南高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。慶應義塾大学卒業後、ワシントンD.C.のジョージタウン大学大学院への留学を経て、1969年に総合商社である東洋棉花(のちのトーメン、現在の豊田通商)に入社した。
飛田 秀一(とびた ひでかず、1942年3月18日 - )は… 飛田 秀一(とびた ひでかず、1942年3月18日 - )は、日本の実業家・新聞記者。北國新聞社名誉会長、北陸放送代表取締役会長、石川県金沢市出身。 「飛田王国」と呼ばれるほど石川県政や地元経済への影響力はすさまじいとされる。 飛田が実権を握って以降、新聞の論調が極めて右派・愛郷主義的なものとなり、懇意の森喜朗とその一派寄りの記事・特集企画が増えた。森奥戦争で「森」側についたことで幹部が「奥」側の関係会社(北陸放送など)との関係が一時悪化したが、敵側の失脚、自滅によりその権力を盤石なものとした。飛田はその権勢ぶりから北國以外の地元メディア関係者からさえ金正日を捩った「トビ・ジョンイル」のあだ名でひそかに呼ばれており、ひいては北國新聞そのものが北朝鮮になぞらえて「北」と社内の隠語で呼ばれると伝わる。
加藤 静治(かとう しずはる、1942年(昭和17年)3月1… 加藤 静治(かとう しずはる、1942年(昭和17年)3月18日 - )は、日本の政治家。愛知県清須市長(3期)。元新川町長(1期) 1960年(昭和35年)3月、大同工業高等学校(現・大同大学大同高等学校)卒業。同年4月、新川町職員に採用される。1990年(平成2年)から同町助役を3期務める。2002年(平成14年)、同町長に就任。 2005年(平成17年)7月7日、西春日井郡西枇杷島町・新川町・清洲町が新設合併して清須市が発足する。これに伴って8月7日に行われた市長選挙に出馬し初当選。 2009年(平成21年)、無投票で再選。 2013年(平成25年)7月21日に行われた市長選では、元市議・元県議の渡辺秀人を破り3選(加藤:16,169票、渡辺:12,961票)。
宇野 淑子(うの よしこ、1942年3月18日 - )は、日… 宇野 淑子(うの よしこ、1942年3月18日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、女優。 東京都立川市出身。戦争疎開で岡山県に移住し、高校卒業まで岡山市(旧都窪郡吉備町)で送る。東京教育大学卒業後、1964年4月、TBSにアナウンサー9期生として入社(同期に石川顯、大沢悠里、小島康臣、平原晋太郎、桝井論平、高階玲子、二村義子、山田照子、吉野好子)。1966年1月、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部。1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いラジオ局第一制作部勤務者兼アナウンサー研修室付に。1969年3月、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付、1970年7月、ラジオ本部アナウンス室、1989年1月、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ニュース・情報センター部、1991年5月、アナウンスセンター兼ラジオ制作局にそれぞれ配属。
池田 奉秀(いけだ ほうしゅう、1942年3月18日 - 2… 池田 奉秀(いけだ ほうしゅう、1942年3月18日 - 2016年8月24日)は、日本の武道家。日本空手道常心門少林流・初代宗家。 1942年3月18日、満洲国生まれ。引揚げ後、鹿児島県で育つ。鹿児島経済大学(鹿児島国際大学)で空手部へ所属し、少林寺流空手道錬心舘の初代宗家 保勇に師事した。 1962年、第8回全国空手道選手権大会(旧・全空連主催)中量級準優勝。同年、第1回鹿児島県空手道選手権大会総合優勝。1963年、第2回鹿児島県空手道選手権大会優勝。 1965年12月、錬心舘の保勇師範に随行し、当時は「竹のカーテン」といわれ、日本との国交がなかった中華人民共和国(「日中国交正常化」は1972年)の中国武術界から招聘を受けて、中国を訪問。
嶋村 輝郎(しまむら てるお、1941年3月18日 - )は… 嶋村 輝郎(しまむら てるお、1941年3月18日 - )は、日本の実業家。ニコン代表取締役社長を務めた。全国発明表彰発明実施功績賞受賞。 北海道旭川市出身。1960年北海道旭川西高等学校卒業。1964年東北大学理学部物理学科卒業、日本光学工業(現ニコン)入社。1979年精機事業部精機営業部第二販売課長。1985年精機事業部精機営業部グループマネージャー。1995年取締役精機事業部長に昇格。1997年常務取締役精機事業本部長。1999年精機カンパニープレジデント。2001年から代表取締役社長兼COOを務め、収益性の確保にあたった。2002年度全国発明表彰発明実施功績賞受賞。
近江 誠(おうみ まこと、1941年3月18日 - )は、ス… 近江 誠(おうみ まこと、1941年3月18日 - )は、スピーチコミュニケーション教育の専門家。南山短期大学名誉教授。日本コミュニケーション学会元会長。テーマは「ドラマ・スピーチ学の方法を使っての言語習得―言語パロール観へのパラダイム転換ー」。近江メソッドはその中核。現在は近江アカデミー主宰として、英語教師対象にしたワークショップを愛知県名古屋市と神奈川県(三浦郡葉山町)で開催。2019年には瑞宝小綬章を受賞。 1941年静岡市に生まれる。1963年南山大学英語学英文学科卒業後、愛知県立時習館高等学校英語教諭。在職中に言語の研究が文学か語学に二分されている状況に疑問を抱き、第三の道ドラマ・スピーチ学を学ぶために1967年フルブライト留学生として渡米。
福永 嫮生(ふくなが こせい(旧姓:愛新覚羅)、1940年(… 福永 嫮生(ふくなが こせい(旧姓:愛新覚羅)、1940年(昭和15年)3月18日 - )は、愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑の次女。 1940年(昭和15年)3月、溥傑と嵯峨浩(日本の侯爵家出身)夫婦の次女として、一時的に戻っていた母の出身地・東京の順天堂病院で生まれる。同年6月に父のいる満洲(現在の中華人民共和国東北部)に渡った。 1945年(昭和20年)日本の降伏とともに満洲国は崩壊し、父と母娘は生き別れとなった。嫮生は母とともに1年4か月にわたって国共内戦のなか中国大陸を流転した末、1947年(昭和22年)日本に引き揚げた(詳細は嵯峨浩#流転の日々を参照のこと)。 日本に引き揚げた後は、日吉(神奈川県横浜市港北区)に移っていた母の実家の嵯峨家で育つ。
浅葉 克己(あさば かつみ、1940年3月18日 - )は、… 浅葉 克己(あさば かつみ、1940年3月18日 - )は、アートディレクター。日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)五代目会長。東京タイプディレクターズクラブ会長。 広告、タイポグラフィ制作の第一人者。ライトパブリシティ出身。卓球六段。 神奈川県横浜市金沢文庫に生まれる。神奈川県立神奈川工業高等学校図案科を卒業後、友人の父親の紹介で 伊勢佐木町の松喜屋百貨店(後のピアゴイセザキ店)宣伝部に入り広告制作や内装に携わる。そこでの先輩の紹介で5年ほど佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所において文字設計を学ぶ。1年勤めた後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科基礎コースに入る。 1964年ライトパブリシティに入社、東レ、キユーピーマヨネーズなどの仕事で注目を集める。
清水 榮三(しみず えいぞう、1940年(昭和15年)3月1… 清水 榮三(しみず えいぞう、1940年(昭和15年)3月18日 - )は、群馬県前橋市在住の日本画家。退職までは群馬県前橋市にあったフランスパンで働く傍ら日本画を描き続ける。他にも前橋市盆栽会会長も務める。 1940年(昭和15年)、群馬県前橋市に生まれる。1962年(昭和37年)、日本画の絵画館や思想にひかれ、日本画家、日本画府(日府展)審査員京都出身成田一方に師事す。1963年(昭和38年)、群馬県美術家連盟展で初出品し初入選。その後、1964年(昭和39年)、群馬県美術家連盟展に出品しY氏賞を受賞。1965年(昭和40年)、群馬県美術家連盟展に出品、東京新聞者賞を受賞。同年、日本画府、日府展に初出品し初入選。
池田 維(いけだ ただし、1939年3月18日 - )は、日… 池田 維(いけだ ただし、1939年3月18日 - )は、日本の外交官。 外務省アジア局長、官房長、オランダ特命全権大使、ブラジル特命全権大使、交流協会台北事務所代表(駐台湾大使相当)を歴任。財団法人霞山会理事長、立命館大学客員教授。2014年、瑞宝重光章受章。妻は比較文学者の池田美紀子。 兵庫県出身。1961年(昭和36年)10月東京大学法学部在学中に外務公務員上級試験に合格する。1962年(昭和37年)東大法学部を卒業して、外務省に入省した。中国語研修(台湾、米国)を経て、香港、北京に在勤。
梅野 慶志(うめの ちかし、1939年3月18日 - )は、… 梅野 慶志(うめの ちかし、1939年3月18日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 日田高校では1955年秋季九州大会で準決勝まで進むが、鹿児島玉龍高の五代友和に完封を喫する。翌年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。高校同期に外野手の財津守がいる。 1957年に毎日オリオンズへ入団。速球左腕投手として期待されるが、登板は1試合のみにとどまり、同年限りで退団。ドロップ、カーブを武器とした。
高島 章(たかしま あきら、1939年3月18日 - 201… 高島 章(たかしま あきら、1939年3月18日 - 2010年6月10日)は、日本の通産官僚。元特許庁長官。 洛星高校、東京大学法学部公法学科卒業後、1963年通商産業省に入省する。1970年官房秘書課課長補佐、機械情報産業局電子政策課、総務課課長補佐などを経て、1977年中小企業庁小売商業課長。各課長を経て、貿易局総務課長から1988年大臣官房秘書課長。1991年貿易局長。生活産業局長、環境立地局長を歴任し、同期の牧野力とは「通産省4人組事件」での人事抗争も絡んだ次官争いを演じた。重工業局鋳鍛造品課係長時代の上司に当たる鋳鍛造品課長が牧野力と対立関係にあったのちに大物技官OBとなる内田元亨であったことから省内外での派閥闘争があったとみられる。
前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典]… 前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典] - 2014年11月17日)は、カーデザイナーであり、日本の自動車評論家である。元・日産自動車チーフデザイナーとして、おもに自動車のデザインについての評論を行っていた。 東京都青梅市出身。1965年3月東京藝術大学美術学部を卒業後、同年4月プリンス自動車工業(現・日産自動車)に入社。1980年10月から1984年3月までの日産ディーゼル工業(当時)への出向期間を含め、1992年12月に日産自動車を退社するまでの長期間にわたって数々の日産車のデザインに携わった。 1993年1月、フリーランスの自動車評論家、デザインコンサルタントとして独立し、自動車関連メディア等において活動していた。
曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006… 曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日)は、日本の女優、声優、歌手。東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。 東京府八王子市明神町でタバコ屋の娘として生まれる。一男三女の三女である。八王子市立第四小学校、八王子市立第五中学校、東京都立南多摩高等学校を経て、1955年に東京声専音楽学校を卒業。 あがり症を克服するため、日本ジャズ学校に通い、1956年に桑の実劇団に入団。同年にNHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後、1959年に伊藤道郎TV俳優養成所、1960年に東京アナウンスアカデミーアナウンス科及びCM科を卒業。
片岡 健治(かたおか けんじ、1937年3月18日 - )は… 片岡 健治(かたおか けんじ、1937年3月18日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。 大田原高校を経て、社会人野球のいすゞ自動車で活躍し、1959年に社会人・大学生混成の第3回アジア野球選手権大会全日本代表に選出された。同社を経て1960年に中日ドラゴンズへ入団。 1年目から新人王を期待されたが、キャンプで風邪をひき、さらに無理がたたり肩を痛める。その後、4月17日の国鉄スワローズ戦で1試合投げたが、7月に投げられない申し訳なさから任意引退を申し出た。その後再び中日と再契約したものの、翌1961年に引退。
阿部 美哉(あべ よしや、1937年3月18日 - 2003… 阿部 美哉(あべ よしや、1937年3月18日 - 2003年12月1日)は、日本の宗教学者。元國學院大學学長。比較文化、宗教論専攻。大学論に関する業績もある。 大阪府出身。都立日比谷高校を経て、1959年に東京外国語大学卒業、東京大学文学部に学士入学、1961年同卒業。東京大学大学院人文社会系研究科宗教学専攻修士課程を修了後、1964年からフルブライト奨学生としてクレアモント大学大学院に留学し、博士課程を修了(Doctor of Philosophy)。1968年からウィスコンシン大学オークレア校助教授。日本学術振興会・文化庁・文部省放送教育開発センター教授・放送大学教授・愛知学院大学教授を経て、1994年から國學院大學文学部教授、1999年より國學院大學学長。
畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 199… 畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 1995年6月1日)は、日本の大蔵官僚。防衛事務次官。血液型はO型。兄は通産審議官などを務めた畠山襄、甥は資源エネルギー庁次長や産業技術環境局長を歴任した畠山陽二郎。 東京都出身(父は東京都、母は鹿児島県)。武蔵高等学校中学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 大蔵省入省(主計局法規課)。1966年9月 厚生省薬務局企業課企画係長。1967年10月 厚生省環境衛生局環境衛生課。課長補佐時代は主に主計局を中心に勤務。1977年6月 熊本県企画開発部長。主計局主計官(防衛担当)、主計局調査課長などを経て、1985年6月 大臣官房調査企画課長。
杉本 大一郎(すぎもと だいいちろう、1937年3月18日 … 杉本 大一郎(すぎもと だいいちろう、1937年3月18日 - )は、日本の天文学者・宇宙物理学者。専門は恒星進化論。学位は、理学博士(京都大学)。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。2012年瑞宝中綬章受章。 京都府乙訓郡新神足村(現・長岡京市)出身。父は開業医。1955年、京都府立桂高等学校卒業。国語の担当教員は、後に国文学者となる清水好子だった。京都大学工学部電子工学科に進学するも2年次に転部し、1959年に京都大学理学部物理学科を卒業。京都大学大学院理学研究科に進学し、林忠四郎が教授を務める天体核研究室に入り林に師事する。1964年、京都大学大学院理学研究科原子核理学専攻博士課程を修了し、理学博士の学位を取得。
ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記。本名:… ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記。本名:和田 恵美子、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉11月13日)は、日本の衣裳デザイナー。映画と舞台の双方で世界各地で数多くの作品を手がけ、日本人としてはこの分野で初めて世界的に広く知られる存在となった。 京都府出身。同志社女子中学校・高等学校を経て、1959年に京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)西洋画科を卒業した。大学在学中の20歳の時、NHKのドラマ制作部にいた演出家の和田勉(2011年に死別)と結婚した。1957年、夫が演出する舞台『青い火』の衣裳を手がけたのを機に衣装デザイナーとなる。 以後、日本映画の衣装デザインを数多く手がけ、とくに『乱』(1985年・黒澤明)の衣裳デザインにより日本人女性初となるアカデミー賞(衣裳デザイン賞)を受賞したことで世界的に知られるようになった。
関口 礼子(せきぐち れいこ、1937年3月18日 - )は… 関口 礼子(せきぐち れいこ、1937年3月18日 - )は、日本の教育学者。元図書館情報大学教授。 東京生まれ。1959年お茶の水女子大学文教育学部文学科卒、1972年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。1969年ミュンスター大学(ベストフェリッシェ・ビルヘルムス大学)国家社会学部社会学・教育学博士。1975年聖徳学園岐阜教育大学助教授、1982年図書館情報大学助教授、教授、2002年定年退官、大妻女子大学社会情報学部教授、2009年日本の社会研究所教授研究員。『カナダハイスクール事情』で1998年カナダ首相出版賞受賞。1988年、旧姓(関口)使用を求めて図書館情報大学を提訴、一審で敗訴、1998年控訴審で和解。
井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きん… 井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きんいち)、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉1月17日)は、日本の演歌歌手。青森県弘前市出身。女優の工藤夕貴と元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。2番目の妻は声優の青羽美代子。 青森県弘前市のひとかどの名家に出生、中学生の頃から歌唱力は評判だった。 中学卒業後、歌手を目指して上京。1963年に「男船」(作詞・松井由利夫、作曲・大沢浄二)で東芝音楽工業よりレコードデビューを果たし、同曲は30万枚を売り上げる。デビュー第三弾の「あゝ上野駅」は井沢八郎の代表曲であると同時に、高度経済成長期の日本の世相を反映する代表曲となる。
釜屋修(かまや おさむ、1936年3月18日 -2013年2… 釜屋修(かまや おさむ、1936年3月18日 -2013年2月2日)は、中国現代文学研究家。研究対象は趙樹理はじめ幅広い。 大阪府堺市生まれ。大阪外国語大学卒業。在学中から中国語を学び、卒業後は商社に勤務。1961年、日中貿易促進会関西事務所に転職。1966年、文化大革命の影響で同会は解散、職員は解雇され失業する。1970年、自己の中国理解の点検と新たな勉強のため大阪外国語大学大学院入学、在学中に山田敬三らと中国文芸研究会を創立する。1973年、静岡大学教養部助教授、1979年、同教授となる。1981年、和光大学人文学部に転じ、1987年まで勤務。1987年より駒澤大学外国語学部に勤務し、2006年定年退職。
横田 雅文(よこた まさふみ、1936年3月18日 - 20… 横田 雅文(よこた まさふみ、1936年3月18日 - 2018年8月20日)は、関西テレビ放送株式会社代表取締役会長、フジ・メディア・ホールディングス取締役。兵庫県出身。
岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18… 岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18日 - )は、海上自衛官。第19代海上幕僚長。 福岡県出身。筑紫中央高校を経て、1958年(昭和33年)3月、防衛大学校(第2期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主として対潜哨戒機のパイロットとして航空隊等に勤務。その後、海上幕僚監部防衛部長、教育航空集団司令官、舞鶴地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第19代海上幕僚長に就任。
矢野 誠一(やの せいいち、1935年3月18日 - )は、… 矢野 誠一(やの せいいち、1935年3月18日 - )は、日本の芸能評論家、エッセイスト。東京市代々木八幡出身。歌舞伎学会、日本文芸家協会会員。都民劇場理事、早川清文学振興財団理事[3]。
佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18… 佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18日 - 2014年(平成26年)7月18日)は、日本の海上自衛官。第18代海上幕僚長、第19代統合幕僚会議議長。神奈川県出身。位階は従三位。 1935年(昭和10年)3月、横須賀市に生まれる。父は海軍大佐の佐久間良也(海兵第51期)である。父の転勤により軍港の街を転々とし、戦時中は母の実家のある宮崎市郊外に疎開し、終戦後も宮崎で中・高校生活を送った。高校3年生の時に大阪に引っ越し府立勝山高校に転入し、卒業した。 1953年(昭和28年)4月、保安大学校(後の防衛大学校)に第1期生として入校。卒業後は海上自衛隊に入隊し、幹部候補生学校を経て、1958年(昭和33年)3月、遠洋練習航海に参加。
佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年… 佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年〈平成24年〉12月6日)は、日本の俳優。身長173 cm、体重71 kg。 佐賀県神埼郡神埼町(現:神埼市)出身。日本大学第三高等学校卒業。息子は映画監督の佐藤闘介。 4歳の頃に父が戦死し、教員の母の手一つで育てられた。なお佐藤の父親は生前、陸軍の久留米連隊に所属しており、後年に役者として軍人を演じる際は幼少期に見た父親の立ち居振る舞いが大いに影響されているとのこと。 高校卒業後、1953年に俳優座養成所に第4期生として入団。同期には宇津井健・佐藤慶・仲代達矢・中谷一郎らがいる。なお、佐藤、仲代、中谷の3人は、後年に岡本喜八の「喜八一家(ファミリー)」の一員と見なされた。
中西 立太(なかにし りった、1934年3月18日 - 20… 中西 立太(なかにし りった、1934年3月18日 - 2009年1月11日)は、日本のイラストレーター。「歴史画」の第一人者といわれている。 長野県上田市生まれ。1952年長野県上田松尾高等学校卒業。 1955年小学館で小さなカットなどの仕事をはじめる。 1962年小学館科学図説シリーズ『人類の誕生』で第8回サンケイ児童出版文化賞受賞。1964年小学館科学図説シリーズ全体で第11回サンケイ児童出版文化賞大賞受賞。
高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 20… 高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 2016年3月12日)は、日本の生態学者。京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授。専攻は東南アジア地域研究。 滋賀県守山市出身。京都大学理学部を経て、同大学院理学研究科修了。京都大学東南アジア研究センター助手・助教授を経て、1975年より同教授。1995年から2004年まで滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科教授。2005年より、聖泉大学総合研究所所長・教授。2013年に瑞宝中綬章受章。 2016年3月12日、滞在先のインド・チャンディーガルのホテルにて81歳で没した。
細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - 20… 細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - 2024年9月16日)は、日本の写真家。勲等は旭日重光章。清里フォトアートミュージアム館長(初代)、東京工芸大学名誉教授、鎌鼬美術館名誉館長、文化功労者。本名は細江 敏廣(ほそえ としひろ)。 東京写真専門学校講師、東京写真大学短期大学部教授、社団法人日本写真家協会副会長、東京工芸大学芸術学部教授などを歴任した。 息子の細江賢治も写真家。 山形県米沢市に生れ、東京で育つ。 1951年に富士フイルム主催の「富士フォトコンテスト」学生の部で最高賞を受賞する。翌年、19歳で東京写真短期大学(現 東京工芸大学)に入学。評論家の福島辰夫は、土門拳らのリアリズム派にない彼の人間味に注目。
澤田 隆治(さわだ たかはる、1933年〈昭和8年〉3月18… 澤田 隆治(さわだ たかはる、1933年〈昭和8年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉5月16日)は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター、ラジオプロデューサー。テレビランド代表取締役社長。 東阪企画創立者で元代表取締役会長。その他にも日本映像事業協会会長、大阪放送芸術学院校長、全日本テレビ番組製作社連盟顧問、笑いと健康学会会長等を務める。 弟は放送作家の尾上たかし。 “さわだ りゅうじ”の読み方をされることもある。 大阪府吹田市出身。大阪商船に勤めた父の転勤で2歳から京城で育ち、終戦で父の故郷・富山県高岡市に引き揚げ、寂しい心を癒やしたのが喜劇映画だった。旧制富山県立高岡中学校(現・富山県立高岡高等学校)1年に編入、中学3年で住まいを移し、旧制兵庫県立尼崎中学校(現・兵庫県立尼崎高等学校)へ転入する。
西川 禕一(にしかわ よしかず、1933年3月18日 - 2… 西川 禕一(にしかわ よしかず、1933年3月18日 - 2021年2月15日)は、日本の情報制御工学・システム工学者。京都大学名誉教授・工学博士。大阪工業大学第10代学長・名誉教授。システム制御情報学会名誉会員・元副会長。計測自動制御学会名誉会員・元会長。公益財団法人応用科学研究所元理事長。京都高度技術研究所(ASTEM)第4代理事長。瑞宝中綬章受章。 専門は、システム工学・情報制御工学。 1955年京都大学工学部電気工学科卒業(同期には、宇宙物理学者で地球電磁気・地球惑星圏学会会長を務めた木村磐根がいる) 1957年同大学院工学研究科修士課程修了。1960年同大学院博士課程単位修得退学。同年、京都大学工学部助手となり、1962年工学博士(京都大学)。
小出 進(こいで すすむ、1933年3月18日 - 2014… 小出 進(こいで すすむ、1933年3月18日 - 2014年9月10日)は、日本の障害児教育学者。千葉大学名誉教授。新潟県出身。 東京教育大学教育学部特殊教育学科卒、東京都立青鳥養護学校教諭、1965年に千葉大学教育学部講師に就任後、助教授、教授、1978年から1983年に千葉大学教育学部附属養護学校校長、1998年定年退官、名誉教授、1998年から2014年に植草学園短期大学教授、福祉学科長、副学長、学長、植草学園大学学長を歴任。
高杉 晋吾(たかすぎ しんご、1933年3月18日 - )は… 高杉 晋吾(たかすぎ しんご、1933年3月18日 - )は日本の社会評論家、ジャーナリスト。本名、石川晋吾。 秋田県秋田市生まれ。1957年、早稲田大学第一文学部卒業。団体記者を経て、1962年、日本社会党機関紙「社会新報」記者となるが、1970年にフリーランスとなり、『朝日ジャーナル』『現代の眼』などにルポや論文を発表。 袴田事件を当初[いつ?]から冤罪であると考え、死刑判決後にルポを発表するなど20年にわたり支援活動に携わる。人体実験についての著作も複数ある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田中 肇(たなか はじめ、1933年〈昭和8年〉3月18日 … 田中 肇(たなか はじめ、1933年〈昭和8年〉3月18日 - 2025年〈令和7年〉12月23日)は日本の植物研究者、貴金属細工職人。 最終学歴は東京都立紅葉川高等学校。 家業の貴金属細工の傍ら、花生態学の研究を行い、多くの著書、論文を残した。 1933年、指輪などの装飾品を作る貴金属細工職人の第一子、長男として東京に生まれる。学生の頃から植物に興味を持ち、高校を卒業し家業を継いだあとも、本職の傍ら植物の研究を進た。 英書『英国の野生の花と昆虫との関係』(1875) DOI:10.5962/bhl.title.1370 を読み日本の書籍を探したが、花生態学の書籍がほとんど無いことをきっかけに自ら観察を始めた。
フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月… フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月18日 - 2008年〈平成20年〉10月27日)は日本のムード歌謡歌手である。 本名は永井 清人(ながい きよと)。「魅惑の低音」と称された独特の豊かな低音を武器に、師である作曲家の吉田正(吉メロ)とともに都会的でジャズテイスト溢れるムード歌謡のジャンルを切り開き、数多くのヒット曲を世に送った。 宮城県大崎市出身。幼少時に父を亡くし、芝居小屋を経営する母に育てられる。幼少時から歌手に強い憧れがあり、旧制宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒業後の昭和26年ごろに東京へ出て就職していた兄を頼り上京し、進駐軍のキャンプ地でのトレーラー運転手、アルバイト生活を送る。
真継 伸彦(まつぎ のぶひこ、戸籍上は旧字の「眞繼」。193… 真継 伸彦(まつぎ のぶひこ、戸籍上は旧字の「眞繼」。1932年3月18日 - 2016年8月22日)は、日本の作家。元姫路獨協大学教授。京都市生まれ。 京都大学文学部独文科卒業後の1954年に上京し、創元社の校正アルバイトに就き、1955年に専修大学図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。 一向一揆を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から青山学院大学ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から浄土真宗に帰依する男を描いた歴史小説『鮫』で文藝賞を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また中村錦之助主演で東映で映画化された。 その後、芝浦工業大学に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。
江頭 啓輔(えがしら けいすけ、1932年〈昭和7年〉3月1… 江頭 啓輔(えがしら けいすけ、1932年〈昭和7年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉9月13日)日本の実業家。元三菱ふそうトラック・バス代表取締役会長。 1932年(昭和7年)3月18日、生まれ。 1954年(昭和29年)、野村證券株式会社 入社 1975年(昭和50年)、野村セキュリティーインターナショナル(米国)社長 1978年(昭和53年)、野村證券株式会社 常務取締役 1979年(昭和54年)、野村インターナショナル(英国)会長 1983年(昭和58年)、株式会社 西武百貨店 常務取締役 1986年(昭和61年)、株式会社 大沢商会 代表取締役社長 1997年(平成9年)、クライスラージャパンセールス株式会社 取締役会長 1999年(平成11年)、ダイムラー・クライスラー日本株式会社 取締役 2000年(平成12年)、ダイムラー・クライスラー日本株式会社 特別顧問。
本岡 昭次(もとおか しょうじ、1931年(昭和6年)3月1… 本岡 昭次(もとおか しょうじ、1931年(昭和6年)3月18日 - 2017年(平成29年)4月10日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)、参議院副議長(第24代)、民主党参議院議員会長(第2代)を歴任。 2004年の第159回国会において、内閣提出の年金関連法案の採決を控えて会期末が迫る 6月5日、 倉田寛之参議院議長不信任決議案審議のため副議長として議長席に着いた途端に散会宣言を行った。議事が残るにもかかわらず突然行われたこの散会宣言は参議院規則に反するものであり、中立であるはずの副議長が同法案の成立を阻止したい民主党の要請に従ったことと合わせて「参議院の権威が傷ついた」、「権利の濫用との批判を招きかねず『憲政史上例のない禁じ手』」等と批判を招いた。
小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日… 小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日 - 1985年〈昭和60年〉3月23日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。代表作のひとつである『刑事コロンボ』など、洋画・海外ドラマの吹き替えを担当した。アニメ『あしたのジョー』のエンディングテーマ「ジョーの子守唄」では歌手を務めた。 東京府豊多摩郡代々幡町(後の東京府東京市渋谷区、現:東京都渋谷区)出身。 学生時代から演劇活動にのめり込み、東京都立青山高等学校在学中は演劇部のキャプテンとして活躍した。 1950年(昭和25年)に文学座付属演劇研究所に入所。1951年の文学座アトリエ公演、飯沢匡・作『崑崙山の人々』にて初舞台を踏んだ。
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 200… 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家・編曲家・ピアニスト・タレントである。
田中 靖郎(たなか やすお、1931年(昭和6年)3月18日… 田中 靖郎(たなか やすお、1931年(昭和6年)3月18日 - 2018年(平成30年)1月18日)は、日本の物理学者(X線天文学)。位階は正四位。学位は理学博士(大阪大学・1961年)。宇宙科学研究所名誉教授、東京大学名誉教授、名古屋大学特別教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京大学原子核研究所助手、名古屋大学理学部助教授、東京大学宇宙航空研究所教授、宇宙科学研究所教授、日本学術振興会ボン研究連絡センターセンター長、 独立行政法人日本学術振興会ボン研究連絡センターセンター長などを歴任した。 大阪府生まれ。1953年に大阪大学理学部物理学科卒業、東京大学原子核研究所助手を経て、1961年大阪大学理学博士 「空気シャワー中の核子成分の考察(英文)」。
松井 孝(まつい たかし、1931年3月18日- 2017年… 松井 孝(まつい たかし、1931年3月18日- 2017年12月7日 )は、日本の経営者。ダイビル社長、会長を務めた。 台湾出身。1954年に京都大学法学部を卒業し、同年に大阪商船に入社した。1983年6月に大阪商船三井船舶取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年6月にはダイビル社長に就任した。1998年6月に会長を経て、2002年6月には相談役に就任。 2017年12月17日、肝不全のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。