風見 梢太郎(かざみ しょうたろう、1948年9月21日 -… 風見 梢太郎(かざみ しょうたろう、1948年9月21日 - )は、日本の小説家。 福井県敦賀市東洋町生まれ。キリスト幼稚園、市立南小学校から同気比中学に進む。父親の転勤により関西に移住後、甲陽学院高等学校から京都大学工学部に進学する。 1971年4月、電電公社(当時)の電気通信研究所に入所。1983年、日本民主主義文学同盟(現日本民主主義文学会)に加盟。主に研究所を舞台とした小説を発表。2008年1月~6月、甲陽学院高等学校をモデルにした長編小説『浜風受くる日々に』をしんぶん赤旗に連載し、10月、新日本出版社から刊行した。他の主な著作は『海岸隧道』(民主文学自選叢書)、『けぶる対岸』(新日本出版社)、『海蝕台地』(ケイ・アイ・メディア)、『神の与え給いし時間』(ケイ・アイ・メディア)など。
櫻井 哲男(さくらい てつお、1948年9月21日 - )は… 櫻井 哲男(さくらい てつお、1948年9月21日 - )は、日本の音楽学者、阪南大学名誉教授。 茨城県日立市出身。東京芸術大学音楽学部楽理科卒、1973年同大学院修士課程修了。和歌山大学教育学部助手、国立民族学博物館助手、助教授、熊本大学文学部教授、総合研究大学院大学併任教授、阪南大学国際コミュニケーション学部教授、同国際観光学部教授を経て、2016年阪南大学名誉教授。 日本音楽学会全国委員、東洋音楽学会理事、同関西支部長、同副会長を歴任。 2003年に聴力を失い、それ以後、公の場に姿を見せていない。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。
津島 隆一(つしま りゅういち、1948年9月21日 - )… 津島 隆一(つしま りゅういち、1948年9月21日 - )は、日本の地方公務員。東京都港湾局長を経て、社長不在の新銀行東京で代表執行役に就任し、経営難に陥っていた同行の経営再建にあたった。 1972年東北大学法学部卒業、東京都庁入庁、財務局。1999年東京都住宅局管理制度改善担当部長。2000年東京都港湾局開発部長。2001年東京都港湾局総務部長。 2003年東京都出納長室理事。同年から新銀行東京の設立準備を統括し、2004年には東京都新銀行設立本部長に就任。2005年東京都港湾局長。 2007年には多額の不良債権を抱えて経営危機に陥っていた新銀行東京代表執行役に就任。従業員の詐欺事件発覚を受け、金融庁に業務改善計画を提出し、内部管理体制の強化などを行い、経営再建にあたった。
油井 昌由樹(ゆい まさゆき、1947年9月21日 - )は… 油井 昌由樹(ゆい まさゆき、1947年9月21日 - )は、神奈川県出身の俳優、会社経営者。編集者、ライター、ナレーター、モデル、商品開発プランナー、レポーター、服飾評論家、プランナー、CM演出家他など、その活動は多岐に渡っている。自称「夕陽評論家」。
田沢 真(たざわ まこと、1947年9月21日 - )はNH… 田沢 真(たざわ まこと、1947年9月21日 - )はNHKの元アナウンサー。 新潟県立村上高等学校を経て早稲田大学卒業後、1970年入局。
濵口 宏夫(はまぐち ひろお、1947年9月21日 - )は… 濵口 宏夫(はまぐち ひろお、1947年9月21日 - )は日本の化学者。東京大学名誉教授。台湾国立交通大学理学院講座教授。構造化学,光分子科学,分子分光学,生物物理化学などを専門分野とした。
都司 嘉宣(つじ よしのぶ、1947年9月21日 - )は、… 都司 嘉宣(つじ よしのぶ、1947年9月21日 - )は、日本の地震学者。公益財団法人深田地質研究所客員研究員、防災科学技術研究所客員研究員。元東京大学地震研究所地震火山災害部門准教授。
遠藤 昭雄(えんどう あきお、1946年9月21日 - )は… 遠藤 昭雄(えんどう あきお、1946年9月21日 - )は、日本の元文部官僚。文部科学省研究振興局長、国立教育政策研究所所長、国立大学財務・経営センター理事長を歴任。北海道出身。 北海道出身。北海道大学法学部卒業後、1970年 文部省入省。初等中等教育局財務課に配属される。1972年6月 大学学術局高等教育計画課。教育助成局教職員課長、体育局体育課長を経て、1995年7月 大臣官房総務課長。1996年7月 大臣官房審議官(初等中等教育局担当)。1997年7月 文化庁次長、1998年 体育局長、2000年 学術国際局長。2001年1月6日 中央省庁再編により、文部科学省研究振興局長(初代)。その後、国立教育政策研究所長、国立大学財務・経営センター理事長、第一生命顧問を務めた。
山田 智千(やまだ としゆき、1946年9月21日 - )は… 山田 智千(やまだ としゆき、1946年9月21日 - )は、奈良県出身の日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手(中堅手)。 御所工業高校ではエースとして2年次の1962年に春の選抜に出場。1回戦は松谷栄司を擁する北海高との乱打戦の末に打ち勝つ。2回戦では松山商と対戦、好投するが山下律夫投手を攻略できず1-2で敗退した。3年次の1963年も春の選抜に2年連続出場を果たす。準々決勝に進み、この大会に優勝した下関商のエース池永正明と投げ合い2点をリードするが、9回に3点を失い逆転負けを喫した。同年の春季近畿大会では決勝でエース戸田善紀を擁するPL学園高を降して優勝。夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、高田高に惜敗した。
町田 義人(まちだ よしと、1946年〈昭和21年〉9月21… 町田 義人(まちだ よしと、1946年〈昭和21年〉9月21日 - )は、日本のカレッジ・フォーク、及びグループ・サウンズ出身の歌手。本名:小松義人。 高知県土佐市出身。カレッジ・フォーク「キャッスル&ゲイツ」を経て、成城大学在学中の1968年に「ズー・ニー・ヴー」を結成、ボーカルを務める。「ズー・ニー・ヴー」はR&B路線の強いバンドだったが、「白いサンゴ礁」の大ヒットで注目を集める。 1970年ズー・ニー・ヴーを脱退、ソロに転向。広い音域と迫力ある唱法で実力派歌手として知られた。テレビCM曲を7〜8年間で400〜500本歌う。1978年公開の映画『キタキツネ物語』において、同作品の音楽担当だったタケカワユキヒデに指名される形で、主題歌「赤い狩人」を歌う。
東出 甫(ひがしで はじめ、1946年9月21日 - 201… 東出 甫(ひがしで はじめ、1946年9月21日 - 2018年11月12日)は、日本のアナウンサー。本名同じ。 北海道出身。1970年に高崎経済大学を卒業後、日本教育テレビ(後のテレビ朝日)にスポーツアナ志望で入社。 最初はニュースなどを担当していたが、後にスポーツアナウンサーに転向。アナウンサー時代はスポーツアナウンサーとして、大相撲ダイジェストやワールドプロレスリング、1984年ロサンゼルスオリンピックのカール・ルイスが優勝し金メダル を獲得した走幅跳競技などで実況を担当。また、「素顔の記録'86~熊田康則編」と「素顔の記録~杉本公雄編」ではナレーションも担当。テレビ朝日を定年退職後、社友会入会として、ゴルフ部会を担当していた。
江夏 順行(えなつ よりゆき、1946年9月21日 - )は… 江夏 順行(えなつ よりゆき、1946年9月21日 - )は、日本の実業家。霧島酒造株式会社代表取締役社長。 1946年、宮崎県都城市生まれ。1970年、立教大学経済学部卒業。1971年、霧島酒造入社。営業畑を歩き、1977年取締役企画室長、1993年専務。 1996年、父で先代社長の江夏順吉の死去に伴い社長に就任。
丸山 顕徳(まるやま あきのり、1946年9月21日[要出典… 丸山 顕徳(まるやま あきのり、1946年9月21日[要出典] - )は、日本の国文学者・民俗学者。学位は博士(文学)。専門は古代文学。花園大学特任教授。臨済宗東福寺派蔵主。日本国語国学研究所代表。和歌山県出身。奈良県橿原市在住。 主な研究テーマは日本の古代文学(記紀、万葉集、日本霊異記)と、沖縄や奈良の伝承文学を中心とした神話・伝説、昔話、仏教説話。 1977年3月に、立命館大学大学院文学研究科博士課程を単位取得満期退学した。 1979年4月に四条畷学園女子短期大学講師となり、1983年4月に助教授に昇格する。1992年4月に花園大学文学部に移り、1994年4月に教授に就任した。1995年4月に「日本霊異記説話の研究」で博士(文学)の学位を立命館大学から取得した。
園 基信(その もとのぶ、1945年(昭和20年)9月21日… 園 基信(その もとのぶ、1945年(昭和20年)9月21日 - )は、日本の華道家。園家の第27代当主。青山流第27代家元。武蔵野美術大学卒業。東京都立千歳高等学校卒業。東京都出身。 華道家としては園 楽山(その らくざん)の名前で活動している。 東京都出身。園陽光の長男として生まれ、園家当主である園基久とその妻・テル子の養子となる。武蔵野美術大学卒業後、25歳より華道修行をはじめ、1978年(昭和五53年)に青山御流の28世家元を継承する。 出雲大社や明治神宮ご神前での献花式を行うなど、公家文化の再興に尽力し、1989年(平成元年)に昭和天皇大喪儀祭官、1990年(平成2年)に即位式と大嘗祭に関する諸儀式の委嘱掌典として宮中祭祀に奉仕、現在も委嘱掌典を務めた。
高橋 栄子(たかはし えいこ、1945年9月21日 - )は… 高橋 栄子(たかはし えいこ、1945年9月21日 - )は、日本の元競泳選手。神奈川県出身。1964年東京オリンピック日本代表。100m・200mバタフライの元日本記録保持者。 別府市立山の手中学校、大分県立佐伯鶴城高等学校、別府大学出身。 1962年アジア競技大会に出場。100mバタフライで金メダル、400mメドレーリレーで銀メダルを獲得した。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。100mバタフライでは予選で1分8秒4、準決勝で1分7秒8と連続で日本新記録を更新して決勝に進出し、7位になった。400mメドレーリレーでは予選で4分40秒6の日本新記録を樹立、決勝では4位入賞を果たした。
松谷 明彦(まつたに あきひこ、1945年9月21日 - )… 松谷 明彦(まつたに あきひこ、1945年9月21日 - )は、日本の経済学者、官僚。政策研究大学院大学名誉教授。専門はマクロ経済学、財政学。主計局調査課長、主計局主計官、横浜税関長、大臣官房審議官等を歴任した。 大阪市生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、1969年東京大学経済学部経済学科卒業、1970年同学部経営学科卒業。同年、大蔵省入省(証券局総務課)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山崎 篤(やまざき あつし、1945年9月21日 - )は日… 山崎 篤(やまざき あつし、1945年9月21日 - )は日本の実業家。元ヤマト運輸社長。東京都出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
関 誠夫(せき のぶお、1944年9月21日 - )は、日本… 関 誠夫(せき のぶお、1944年9月21日 - )は、日本の技術者、実業家。千代田化工建設代表取締役社長や、同社取締役会長、エンジニアリング振興協会理事長、日本プロジェクトマネジメント協会会長などを歴任した。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1968年東京工業大学工学部生産機械学科卒業。1970年同大学大学院工学研究科修士課程修了、千代田化工建設入社。米国千代田インターナショナル・コーポレーション副社長を経て、1997年千代田化工建設取締役に昇格。1998年常務取締役。2000年代表取締役専務。2001年から代表取締役社長を務め、新たに筆頭株主となった三菱商事の下、再建にあたった。 2005年エンジニアリング振興協会理事長。
青木 健(あおき けん / たけし、1944年9月21日 -… 青木 健(あおき けん / たけし、1944年9月21日 - 2019年12月)は、日本の詩人、作家、文芸評論家、編集者。 朝鮮京城生まれ、岐阜県育ち。岐阜県立岐阜高等学校を経て、名古屋大学法学部卒業。河出書房に入社し、小島信夫や大岡昇平などを担当する。1984年、「星からの風」で第16回新潮新人賞受賞。愛知淑徳大学非常勤講師、中原中也の会理事、小島信夫文学賞選考委員。 『季刊文科』80号(鳥影社、2020年3月)で追悼小特集が組まれた。
岡村 遼司(おかむら りょうじ、1944年9月21日- )は… 岡村 遼司(おかむら りょうじ、1944年9月21日- )は、日本の教育学者、人権問題研究家。 早稲田大学教育学部卒、同専任講師、助教授、教授、教育総合学術院教授、2014年退職。教育問題を文化史・文化論の視点から考察することに関心をもつ。
海部 宣男(かいふ のりお、1943年9月21日 - )は、… 海部 宣男(かいふ のりお、1943年9月21日 - )は、日本の天文学者。国立天文台名誉教授(東京大学博士(理学博士1973年))。専門は電波天文学、赤外線天文学。特に星間物質、星と惑星の形成に関する研究。国際天文学連合(IAU)会長。1998年に日本学士院賞を受賞した。
石田 弘(いしだ ひろし、1943年9月21日 - )は、フ… 石田 弘(いしだ ひろし、1943年9月21日 - )は、フジテレビジョン人事局付嘱託エグゼクティブプロデューサー、フジパシフィック音楽出版取締役。愛称は「ダーイシ」。東京都出身。
橋本 孝久(はしもと たかひさ、1943年9月21日 - )… 橋本 孝久(はしもと たかひさ、1943年9月21日 - )は、日本の液晶技術者、実業家。株式会社ジャパンディスプレイ代表取締役会長、副会長を務めた。 1967年東京工業大学電子工学科卒業、日本アイ・ビー・エム入社。1990年日本アイ・ビー・エム野洲工場長。1991年ディスプレイテクノロジーディレクター。1997年IBMディスプレイ事業部長。2000年IBMディスプレイ事業部長兼日本アイ・ビー・エム取締役。2001年インターナショナルディスプレイテクノロジー社長。2005年Info Vision Optoelectronics President & CEO。2011年Info Vision Optoelectronics Vice Chairman。
小川 弘毅(おがわ ひろき、1941年9月21日 - )は、… 小川 弘毅(おがわ ひろき、1941年9月21日 - )は、日本の実業家。西部ガス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス協会副会長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。1960年福岡県立小倉高等学校卒業。1964年明治大学政治経済学部卒業。同年西部ガス入社。1994年西部ガス取締役。1998西部ガス常務取締役。2000年西部ガス専務取締役。2002年西部ガス代表取締役副社長。2003年山崎宮市、塩屋義之に続く明大出身者として3人目となる西部ガス代表取締役社長に昇格。同年日本ガス協会常任理事、日本ガス協会九州部会長。2004年天然ガス導入促進センター理事。2008年西部ガス代表取締役会長、日本ガス協会副会長。
米良 成志(めら しげゆき、1941年9月21日 - )は、… 米良 成志(めら しげゆき、1941年9月21日 - )は、日本の政治家。宮崎県東臼杵郡門川町長(1期)。 宮崎県立富島高等学校卒業。農業を経て門川町議会議員に当選。門川町議会議長も務めた。 2002年4月より門川町長を務める。町長在任中に門川町職員の公金横領が発覚した。これをすぐに公表せず、さらに職員を処分せず依願退職にした町長の責任問題に発展した。この問題が焦点となった2006年4月の町長選で新人の曽川泉に敗れた。
小口 雄三(おぐち ゆうぞう、1940年9月21日 - 20… 小口 雄三(おぐち ゆうぞう、1940年9月21日 - 2010年2月14日)は、日本の経営者。三協精機社長を務めた。 長野県出身。1963年に武蔵工業大学工学部電気通信工学科を卒業し、同年4月に三協精機に入社。1992年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務を経て、1997年4月には社長に就任。2004年4月に相談役に就任。 2010年2月14日に急性心不全のために死去。69歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上田 健二(うえだ けんじ、1940年9月21日 - 201… 上田 健二(うえだ けんじ、1940年9月21日 - 2010年2月3日)は、日本の法哲学者、刑法学者。 京都市生まれ。同志社大学法学部教授。ドイツのミュンヘンに留学し、グスタフ・ラートブルフの弟子であるアルトゥール・カウフマンに影響を受けた。ドイツの法哲学について造詣が深く、アルトゥール・カウフマン『法哲学』を代表とした数多くの訳業がある。 他にも『同志社法学』などに発表した訳業が数多く存在する。
石井 宏(いしい ひろし、1939年9月21日 - )は、東… 石井 宏(いしい ひろし、1939年9月21日 - )は、東京都出身の元競泳選手でのちに解説者、共同通信記者、現在は日本大学常務理事。1960年ローマオリンピック競泳男子800m自由形リレー銀メダリスト。日本大学卒業。 義兄弟に元フィギュアスケート選手の長瀬洋子と藤森美恵子(共に、旧姓 大岩)、甥に2024年パリオリンピック総合馬術の団体銅メダリストである大岩義明がいる。
山本 幸男(やまもと ゆきお、1939年(昭和14年)9月2… 山本 幸男(やまもと ゆきお、1939年(昭和14年)9月21日 - 2019年(平成31年)1月4日)は、日本の政治家。警察官。鳴門市長。徳島県鳴門市出身。 1965年、京都大学法学部卒業。同年に警察庁入庁。大阪府警察・警察庁公安第一課・北海道警察・福井県警察・警視庁公安部を経て1973年に退官。1974年、サンカラー代表取締役社長に就任。 1995年、鳴門市長選に当選し1999年まで務める。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
山口 修(やまぐち おさむ、1939年9月21日 - 202… 山口 修(やまぐち おさむ、1939年9月21日 - 2022年4月21日)は、日本の音楽学者。大阪大学名誉教授。位階は従四位。 朝鮮釜山生まれ。1963年東京大学文学部美学科卒、1967年ハワイ大学大学院音楽学修士課程修了、1968年ウェズリアン大学大学院民族音楽専攻博士課程、武蔵野音楽大学助教授、1976年大阪大学文学部助教授、1991年「水の淀みから ベラウ文化の音楽学的研究」で阪大文学博士、同年教授。2003年定年退官、名誉教授、放送大学客員教授。 2022年4月21日、死去。82歳没。死没日付をもって従四位に叙され、瑞宝小綬章を追贈された。 1989年京都音楽賞、1999年小泉文夫音楽賞受賞。
和田 英太郎(わだ えいたろう、1939年〈昭和14年〉9月… 和田 英太郎(わだ えいたろう、1939年〈昭和14年〉9月21日 - )は、日本の地球化学者。京都大学名誉教授、総合地球環境学研究所名誉教授。独立行政法人海洋研究開発機構・地球環境フロンティアセンターの生態系変動予測プログラムディレクター。 大学院時代の窒素同位体測定から始まり、同位体比の調査を行う。安定同位体を切り口として、生物地球化学研究の基礎を構築した。のちに環境学などにも研究分野を広げ、現在では生態系変動予測モデルの研究を行っている。 2008年、「流域単位の生態系の多様な構造の解明と環境変動への応答に関する研究」で日本学士院エジンバラ公賞を受賞。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
栗 葉子(くり ようこ、1938年9月21日 - )は、日本… 栗 葉子(くり ようこ、1938年9月21日 - )は、日本の声優、女優。東京都出身。本名及び旧芸名は村田 豊子(むらた とよこ)。 代表作に『ど根性ガエル』の吉沢京子役、『みなしごハッチ』のハッチ役、『小さなバイキングビッケ』のビッケ役などがある。 子供の頃から芸能が好きだったという。 1958年に東京都立富士高等学校を卒業後、NHK俳優養成所へ入所。1960年、同養成所卒業生により立ち上げられた劇団三十人会のメンバーの一人に加わり、後に河の会(劇団河)に移籍。 1960年、NHK総合テレビで放送されたアメリカドラマ『走れチェス』の主人公、ベルベット役で声優デビュー。 声種はソプラノ。NHKの学校放送や幼児番組、テレビアニメに多く出演し活動。
小辻 梅子(こつじ うめこ、1938年9月21日 - 201… 小辻 梅子(こつじ うめこ、1938年9月21日 - 2014年)は、日本の英文学者。熊本県立大学名誉教授。専門はイギリス文学。 長崎県生まれ。1961年、九州大学文学部英文学科。長崎造船大学助教授、長崎総合科学大学助教授、教授を経て、熊本県立大学教授。2002年、名誉教授。2014年逝去。 小辻梅子の遺志により、九州大学文学部で2015(平成27)年度より小辻梅子成績優秀者奨学金が創設された。成績優秀な文学部3年生、4年生各4名に年24万円が給付され、卒業後返還の義務はない。基金がなくなるまで10年間続けられ、2025年度で終了した。熊本県立大学でも、文学部英語英米文学科又は文学研究科英語英米文学専攻の在籍者で一定期間以上の海外留学・研修を行う者に1回5万円から10万円を支給する小辻梅子奨学金が設けられている。
熊沢 誠(くまざわ まこと、1938年9月21日 - )は、… 熊沢 誠(くまざわ まこと、1938年9月21日 - )は、日本の経済学者。専攻は、労使関係論・社会政策論。甲南大学名誉教授。 息子の熊沢透も経済学者で福島大学教授。 三重県四日市市出身。1961年、京都大学経済学部経済学科卒業、1966年、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。 1966年甲南大学経済学部講師、1969年助教授、1974年教授、1986年経済学部長。2006年退職。 1970年から中岡哲郎、大森誠人らと「労働分析研究会」を開始。労働のなかでの人間復権を追求し、1999年より研究会「職場の人権」を創設、代表を務める。NPO法人「労働と人権 サポートセンター・大阪」共同代表理事。
原口 隆行(はらぐち たかゆき、1938年9月21日 - )… 原口 隆行(はらぐち たかゆき、1938年9月21日 - )は、日本の鉄道・旅行ライター。 東京生まれ。上智大学経済学部経済学科を卒業。その後凸版印刷のアイデンセンターとして一時勤めるが、1982年以降はフリーとなっている。「鉄道ジャーナル」・「旅と鉄道」などによく寄稿を行い、現在に至る。 元々は蒸気機関車専門のファンであったが、1975年の国鉄における全廃後は各方面に興味対象を広げた。1994年から約1年、JR東海の発行する年史『新幹線の30年-栄光の軌跡』(ISBN 4808305011)の編集に携わった後、新幹線には強い関心を抱くようになり、『新幹線がわかる事典』(ISBN 4534039158)などといった関連書籍をだすようになった。
宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月… 宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月21日 - )は、日本の実業家。元本田技研工業会長、元日本自動車工業会会長。 広島県庄原市出身。1961年に法政大学経済学部を卒業し、1966年に本田技研工業に入社する。米国法人アメリカンホンダモーター社長などを経て、1984年に取締役、1987年に常務、1989年に代表取締役専務、1990年に代表取締役副社長に就任する。1997年6月から代表取締役会長に就任し、退任後、特別顧問を務める。2002年5月、ホンダ出身者で初めて日本自動車工業会会長に就任する。同年、日本自動車研究所理事長。 北米におけるホンダブランドを確立し、また早くから中国市場開拓を強力に推進した。
石堂秀夫(いしどう ひでお、1936年9月21日 - )は、… 石堂秀夫(いしどう ひでお、1936年9月21日 - )は、日本の小説家。 東京生まれ。東京都立三田高等学校定時制中退。1969年小説『那覇の港で』により第6回総評文学賞を受賞。1971年、長編小説『詐欺師たち』を刊行し、椎名麟三の絶賛を受けて作家生活に入る。『奥の細道・全行程を往く』で松尾芭蕉の研究家としても知られ、また、ドラマ『天明義民伝』で、2000年度地方自治大賞を受賞。
吉川 幸枝(よしかわ さちえ、1935年9月21日 - )は… 吉川 幸枝(よしかわ さちえ、1935年9月21日 - )は、日本の実業家。株式会社よし川代表取締役社長。 ほんものおんな塾主催。 愛称は、「歩く百億円」。[3]
頭山 統一(とうやま もとかず、1935年〈昭和10年〉9月… 頭山 統一(とうやま もとかず、1935年〈昭和10年〉9月21日 - 1990年〈平成2年〉2月16日)は、日本の歴史家。頭山満の孫。 1958年、慶應義塾大学を卒業。会社勤務を経て、1974年から洗足学園短期大学(現洗足こども短期大学)講師を務めた。1990年2月、青山霊園の祖父・頭山満の墓前で短銃自殺を遂げた。 著書である『筑前玄洋社』の「大日本帝国国憲見込書草按」に憲法草案が掲載されている。これは小野隆助と箱田六輔の連名で元老院に提出された憲法草案であったとのこと。 福澤諭吉による『日本皇室論』の解説を行っている。 著書では福澤諭吉は、日本国民は帝室の臣下であるとしていたとしている。 頭山満は多くの政治家との交友があったのだが、その中でも最も深く親しみ、アジア問題などで多くの行動を共にしたのは犬養毅であったとする。
牧田 登之(まきた たかし、1935年(昭和10年)9月21… 牧田 登之(まきた たかし、1935年(昭和10年)9月21日 - 2012年(平成24年)2月13日)は、日本の教育者、獣医学者。農学博士(1966年、東京大学にて取得)。 滋賀県近江八幡市馬淵町に生まれる。東京大学大学院を修了後、山口大学農学部にて30年以上にわたり教鞭をとる。獣医学科(現共同獣医学部)の立ち上げにも深く関わり、長年その中心人物として活躍した。また農学部学部長を務めた。電子顕微鏡の第一人者。カナダをはじめとして各国への留学も積極的に行った。中国新聞社より中国文化賞受賞。山口大学退職後、長年にわたり動物看護士の育成に努めた。教え子に衆議院議員の山際大志郎がいる。 1966年、東京大学 農学博士。
吉森 章夫(よしもり あきお、1935年〈昭和10年〉9月2… 吉森 章夫(よしもり あきお、1935年〈昭和10年〉9月21日 - 2025年〈令和7年〉3月5日)は、日本の教育学者。合唱指揮者。声楽家。徳島大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。徳島大学学芸学部卒業。東京芸術大学音楽学部卒業。 大阪府大阪市出身。父親の転勤により中学校のときに徳島県徳島市へ移る。 徳島大学学芸学部に入学し、当時の文部省の制度で東京芸術大学音楽学部に委託留学。卒業後、東京都内で中学校の教諭となり、1961年(昭和36年)に徳島大学学芸学部助手に就任する。その後、同学部教授、同大学総合政策学部学部長を経て2001年(平成13年)に退官、同大学名誉教授に就任。 また1965年(昭和40年)には徳島合唱団を設立し、全日本合唱コンクールで金、銀、銅賞を計19回受賞するなど数々の賞に導いてきた。
後藤 舜吉(ごとう しゅんきち、1934年9月21日 - 2… 後藤 舜吉(ごとう しゅんきち、1934年9月21日 - 2022年8月16日)は、日本の実業家。チッソ代表取締役社長、同取締役会長、JNC代表取締役会長などを歴任した。 岐阜県出身。東京大学法学部卒業。1957年(昭和32年)4月、チッソに就職。1979年(昭和54年)6月、取締役に就任。 1993年(平成5年)6月、代表取締役社長に就任。2003年(平成15年)6月、取締役会長に就任。 2011年(平成23年)1月12日、チッソは、水俣病補償業務以外の事業を行う子会社、JNC株式会社を設立。後藤は同社の代表取締役会長に就任した。同年6月、同社の取締役最高顧問に就任。 2013年(平成25年)7月13日放映の『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第2回 水俣 戦後復興から公害へ』(Eテレ)に出演。
泉 名月(いずみ なつき、1933年(昭和8年)9月21日 … 泉 名月(いずみ なつき、1933年(昭和8年)9月21日 - 2008年(平成20年)7月6日)は、日本の作家。幻想的な童話や、泉鏡花とその家族にまつわる回想記を執筆した。1999年(平成11年)に金沢市に開設された泉鏡花記念館の名誉館長を務めるなど、泉鏡花の作品の普及と研究の発展にも貢献した。泉鏡花文学賞の選考委員も務めた。 父は、優れた幻想文学の作家として知られる泉鏡花の弟で、自身も作家である泉斜汀(本名・豊春)である。泉鏡花にとっては姪にあたる。泉鏡花の死後、その妻・泉すずの養女となった。 1933年(昭和8年) 愛知県渥美郡田原町池の原に生まれる。1943年(昭和18年) 実母とともに上京。
田村 秀昭(たむら ひであき、1932年9月21日 - 20… 田村 秀昭(たむら ひであき、1932年9月21日 - 2008年1月4日)は、日本の航空自衛官、政治家。工学博士(京都大学)。参議院議員(3期)、国民新党結党時の副代表。最終階級は空将。 東京都生まれ。東京都立大学附属高等学校(同級生に佐藤信二)から防衛大学校へ進み、1957年に第一期生として卒業後、航空自衛隊に入隊。また、京都大学大学院工学研究科に進学して冶金工学を専攻し、博士課程を修了。1964年に工学博士の学位を取得。 航空自衛隊では、F-4EJ技術連絡官(在米1年間)、技術研究本部技術開発官付、航空幕僚監部装備部長、保安管制気象団司令、航空自衛隊幹部学校長(空将、1986年12月 - 1988年1月)を歴任。
黄 昭堂(こう しょうどう、1932年9月21日 - 201… 黄 昭堂(こう しょうどう、1932年9月21日 - 2011年11月17日)は、台湾の政治活動家。台湾独立建國聯盟主席、昭和大学名誉教授。 日本統治時代の台湾台南州(後の台南県、現在の台南市)生まれ。 台湾大学法学部卒業後、1958年に東京大学大学院へ留学し社会学博士を取得。聖心女子大学、東京大学講師を経て、1976年から昭和大学の政治学教授となり、1998年まで務めた。 1992年、34年ぶりに台湾へ戻り、1995年には台湾独立建国連盟主席に就任した。 2011年11月17日、動脈剥離のため台北市内の病院で死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西室 覚(にしむろ さとる、1932年(昭和7年)9月21日… 西室 覚(にしむろ さとる、1932年(昭和7年)9月21日 - 2016年(平成28年)10月21日)は、日本の政治家。山梨県大月市長(3期)。 山梨県北都留郡広里村(のち大月町、現・大月市)出身。1951年、山梨県立谷村工業高等学校(現・山梨県立都留興譲館高等学校)卒。1966年、三共コンクリート工業を設立し、社長に就任する。1971年、大月市議会議員に初当選し、1981年に議長を務める。1995年、大月市長に当選。3期務める。2007年に市長を退任。2008年、旭日中綬章受章。2016年に死去。叙従四位。
佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は… 佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は、1950年代に活躍した日本の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-明治大学卒業後、クロバー乳業入社。1958年会社合併により雪印乳業に移籍。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは2種目に出場、ノルディック複合で33位、ジャンプで39位の成績を残した。 1960年スコーバレーオリンピックではジャンプで22位。 1955年第33回全日本スキー選手権複合優勝。1959年第37回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。
眞鍋 淑郞(まなべ しゅくろう、新字体:真鍋 淑郎、英語: … 眞鍋 淑郞(まなべ しゅくろう、新字体:真鍋 淑郎、英語: Syukuro "Suki" Manabe、1931年(昭和6年)9月21日 - )は、日系アメリカ人一世の地球科学者(気象学・気候学)。プリンストン大学上席研究員。国立研究開発法人海洋研究開発機構フェロー。米国科学アカデミー会員。2021年ノーベル物理学賞受賞。 理学博士(東京大学、1958年)。アメリカ国立気象局大循環研究部門の研究員、アメリカ海洋大気庁地球流体力学研究所の上級研究員、プリンストン大学大気海洋科学プログラムの上級研究員などを歴任した。 国際的には専ら Suki Manabe(スーキー・マナベ)として知られる。 気候モデルの研究者であり、地球科学分野でコンピュータでシミュレーションを行うための数値モデルの開発の先駆者の一人として知られる。
榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2… 榊原 康夫(さかきばら やすお、1931年9月21日 - 2013年1月6日 )は、日本の牧師、神学者、説教者、著作家。 新改訳聖書のイザヤ書、エレミヤ書、哀歌を翻訳した。福音主義神学会の創立に関わった。 兵庫県芦屋市出身。灘高等学校卒業。大阪大学工学部機械科中退。1957年、神戸改革派神学校卒業。日本基督改革派教会の和歌山伝道所、甲子園教会牧師を歴任し、1967年(昭和42年)より東京恩寵教会牧師となる。1977年(昭和52年)- 1981年(昭和56年)日本基督改革派教会大会議長。 2001年(平成13年)に定年によって正牧師を引退し、東京恩寵教会名誉牧師となる。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。
花山 勝友(はなやま しょうゆう、1931年9月21日 - … 花山 勝友(はなやま しょうゆう、1931年9月21日 - 1995年6月16日)は、浄土真宗僧侶、仏教学者。 1931年、東京で仏教学者・花山信勝の次男として生まれた。東京大学文学部印度哲学科で学び、卒業。1962年、学位論文『十住心論の研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。 修了後、ニューヨーク州立大学・シートン=ホール大学客員教授を務め、また米国仏教団開教使。帰国後、武蔵野女子大学教授に就いた。後に副学長、仏教文化研究所主任を務めた。宗門においては、仏教伝道協会研究室主任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。