松下 俊男(まつした としお、1944年(昭和19年)2月2… 松下 俊男(まつした としお、1944年(昭和19年)2月22日 - 2017年(平成29年)5月2日)は、日本の政治家。福岡県中間市出身で、同市市長を3期務めた。位階は従五位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
2月22日生まれ:351人
松下 俊男(まつした としお、1944年(昭和19年)2月2… 松下 俊男(まつした としお、1944年(昭和19年)2月22日 - 2017年(平成29年)5月2日)は、日本の政治家。福岡県中間市出身で、同市市長を3期務めた。位階は従五位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
南部 健一(なんぶ けんいち、1943年2月22日 - )は… 南部 健一(なんぶ けんいち、1943年2月22日 - )は、日本の工学者、東北大学名誉教授、工学博士、100年余学界の難問と云われたボルツマン方程式(Boltzmann equation)の解法を1980年世界で初めて発見した。又、ランダウ・フォッカー・プランク方程式(Landau-Fokker-Planck equation)の解法を世界で初めて63年振りに導いた。研究分野は層流・乱流、希薄気体、プロセスプラズマ。
日向 精義(ひなた せいぎ、1943年2月22日 - )は、… 日向 精義(ひなた せいぎ、1943年2月22日 - )は、日本の外交官。東京都出身。 慶応義塾大学経済学部卒、同大法学部大学院卒。1970年外務省入省、フランスに語学研修。1988年米国ハーバード大学国際問題研究所フェロー、1989年から1993年在ニューヨーク日本総領事館副総領事、その後、駐メキシコ公使、駐マダガスカル大使、TICAD担当大使、駐モロッコ大使を歴任。 2018年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
澤田 五十六(沢田、さわだ いそろく、1943年(昭和18年… 澤田 五十六(沢田、さわだ いそろく、1943年(昭和18年)2月22日 - )は、日本の政治家。元高知県四万十市長(1期)、中村市長(3期)。 高知県出身。1965年、東京大学理学部卒。同年、経済企画庁に入る。経済研究所主任研究官、タイ王国経済社会開発庁顧問、経済企画庁長官官房システム課長、同庁調査局審議官、調整局審議官、経済研究所所長、経済企画庁調査局長を歴任する。1996年に退官、郷里の中村市の市長選挙に立候補して当選する。合併まで3期務めた。 2005年に中村市は合併で四万十市となり、合併後の市長選挙で当選する。市長を1期務めた。 2009年の市長選挙に立候補して再選を目指したが、元農林中央金庫職員の田中全に敗れて落選した。
中村 忠 (なかむら ただし、1942年2月22日 - ) … 中村 忠 (なかむら ただし、1942年2月22日 - ) は、日本の空手家で、世界誠道空手道連盟誠道塾の会長。段位は十段。樺太真岡郡真岡町(現在のロシア極東連邦管区サハリン州ホルムスク)出身。駒場東邦高校一期生。日本大学理工学部建築学科卒業。極真会館の発展に貢献し、大山倍達を支えた高弟で、大山の後継者とも云われた、初代首席師範である。 東京の椎名町に移住してから宮城敬のもとで空手道を習い始める。高校1年生の時に大山道場へ入門。大山倍達以下、師範代である安田英治・石橋雅史・黒崎健時らの指導を受ける。先輩の岡田博文・大山茂・渡辺一久・大山泰彦・千葉真一・郷田勇三らと稽古を重ね、1962年5月6日に黒帯 (初段) を允許された。
加納 典明(かのう てんめい、本名読み:かのう のりあき、1… 加納 典明(かのう てんめい、本名読み:かのう のりあき、1942年2月22日(84歳) - )は、日本の写真家。愛知県名古屋市出身。血液型B型。本業の他、タレント・俳優・コメンテーター等として活動している。所属事務所は株式会社イシ。 父は、長野県木曾福島(現・木曽郡木曽町)出身の図案家の加納豊明(1909年 - 1985年)。 2度の離婚歴があり、最初の結婚で長女、長男、次男の加納典譲(1972年 - )(長男と次男は双子)をもうけている。2回目の結婚相手との間にも息子が1人いる。 日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞 等。 -清水邦夫・田原総一朗共同監督 漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の登場キャラクター「花京院典明」の名前の由来である。
渡部 英敏(わたなべ ひでとし、1941年2月22日 - )… 渡部 英敏(わたなべ ひでとし、1941年2月22日 - )は、日本の政治家。元福島県会津美里町長(4期)、元会津高田町長(2期)。 福島県会津美里町出身。福島県立会津高等学校卒業。1964年(昭和39年)3月、東京経済大学経済学部卒業。同年4月、自営業に従事。1996年(平成8年)4月、会津高田町立高田公民館長に就任。 1999年(平成11年)、会津高田町長選挙に立候補し初当選した。2003年(平成15年)、無投票で再選。 2005年(平成17年)10月1日、大沼郡会津高田町・会津本郷町・新鶴村が合併して、会津美里町が発足。同年11月8日公示、11月13日執行の会津美里町長選挙に立候補し、無投票で初当選した。
石川 雅己(いしかわ まさみ、1941年〈昭和16年〉2月2… 石川 雅己(いしかわ まさみ、1941年〈昭和16年〉2月22日 - )は、日本の政治家。前東京都千代田区長(5期)。元東京都職員。 東京都文京区小石川生まれ。東京都立北園高等学校、東京都立大学法経学部卒業。 1963年、東京都庁入庁。1975年12月から1980年7月まで千代田区役所企画課長。1995年6月より東京都港湾局長、1996年7月より東京都福祉局長。1999年5月に東京都庁を退職し、同年6月から2000年12月までは首都高速道路公団理事を務めた。 2001年(平成13年)千代田区長選挙に無所属で出馬し、以後4回連続当選。2013年2月の千代田区長選では、それまでの区長選では石川を支援してきた自由民主党・公明党が、石川の下で副区長を務めた大山恭司を擁立。
門脇 延行(かどわき のぶゆき、1941年2月22日 - … 門脇 延行(かどわき のぶゆき、1941年2月22日 - )は、日本の経営学者。滋賀大学名誉教授。2019年、瑞宝中綬章受章 1941年2月22日、大阪府に生まれる。1963年、神戸大学経営学部卒業。1967年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程中退。1967年、滋賀大学に助手として着任、1988年、滋賀大学経済学部教授に就任した。2000年、滋賀大学副学長。2006年、滋賀大学名誉教授の称号を受ける。その間、比較経済体制学会幹事(1985年-1988年)、JSSEES 編集委員(1979年-1986年)1979 - JSSEES 理事(1979年)、比較経営学会理事(1976年-1978年)を歴任した。
上野 昻志(うえの こうし、1941年2月22日 - )は、… 上野 昻志(うえの こうし、1941年2月22日 - )は、日本の文芸・映画・時事評論家。コラムニスト。 東京出身。父は美術家で神戸大学教授を務めた上野省策。東京都立大学で竹内好に師事し、魯迅を専攻。1966年、東京都立大学大学院在籍中、『ガロ』連載の社会時評的コラム「目安箱」で評論家デビュー。このコラムは反既成政党、反近代、学生運動擁護色が強い。 1969年、季刊誌「シネマ69」にやくざ映画論(「閉ざされた型」「矛盾に向けた求心力」)を発表。1970年以降同誌や「映画芸術」誌上で加藤泰論中心に映画評論を展開。同時に森進一、魯迅、林静一などを論じる。 1971年、東京都立大学人文科学研究科博士課程単位取得退学。
高田 良信(たかだ りょうしん、1941年2月22日 - 2… 高田 良信(たかだ りょうしん、1941年2月22日 - 2017年4月26日)は、聖徳宗の僧侶(法隆寺長老)・仏教学者・歴史学者、奈良県出身。 「法隆寺学」の確立をライフワークとしていた。女優の高田聖子は娘。 1953年8月、聖徳宗法隆寺に入寺。佐伯良謙管主の徒弟となる。1954年得度。1965年、龍谷大学大学院修士課程修了。法隆寺文化財保存事務所所長・法隆寺執事・執事長、法起寺住職を歴任し、法隆寺128世管主・聖徳宗第5代管長に就く。 百済観音堂の落成を機に退任し、法隆寺長老、法隆寺實相院住職を務めた。 2017年4月26日午前7時20分、老衰のため死去。76歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
浅草 駒太夫(あさくさ こまだゆう、1941年2月22日 -… 浅草 駒太夫(あさくさ こまだゆう、1941年2月22日 - 2023年5月22日)は、日本のストリッパー。1960年代後半から1970年代初めに一条さゆり、桐かおるらと共にストリップ御三家と言われ、花魁ショーで一世を風靡した。本名は、斉藤 久子(さいとう ひさこ)。 1941年2月22日、岩手県宮古市で5人兄妹の長女として生まれ、戦後すぐに父の実家のある青森県八戸市に移る。9歳の時父親が死んでからは、母が朝から行商をして夜中は針仕事をして、一家の生計を立てるという貧しさの中で過ごす。久子は「朝は家と奉公先の食事の支度をしてから、妹を背負って学校に行き、帰りにはまた奉公先で掃除や洗濯をして帰ってくる。
高田 重信(たかだ しげのぶ、1940年2月22日 - )は… 高田 重信(たかだ しげのぶ、1940年2月22日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生高校から1958年に東映フライヤーズへ入団。1959年に退団。
高辻 正基(たかつじ まさもと、1940年2月22日 - 2… 高辻 正基(たかつじ まさもと、1940年2月22日 - 2025年2月6日)は、日本の科学者、日本の植物工場の創始者。1989年に日本植物工場学会を、1996年に文理シナジー学会を設立した。財団法人社会開発研究センター理事、植物工場・農商工専門委員会委員長。日本生物環境工学会名誉理事長、文理シナジー学会名誉会長、理学博士。 東京出身。1962年に東京大学工学部を卒業、同年日立製作所中央研究所入社。中央研究所、基礎研究所をへて、1991年度から2007年度まで東海大学開発工学部教授。2004年度から2009年度まで東京農業大学客員教授。 その他、東京大学理学部、東京大学農学部、京都大学理学部などの非常勤講師を歴任。
沼田 爆(ぬまた ばく、1940年〈昭和15年〉2月22日 … 沼田 爆(ぬまた ばく、1940年〈昭和15年〉2月22日 - 2024年〈令和6年〉8月)は、日本の俳優、リポーター。本名:沼田 知治。 東京府(現東京都)出身。明治大学中退。I・T企画に所属。身長167 cm、血液型はA型。 大学中退後、劇団四季に入団。 四季退団後、仲間と劇グループ「仮面座」を結成して主宰を務めていた。 その後、25歳でテレビの世界へ飛び込んだ。 芸名は爆弾に由来するもの(「本名は平凡だから、せめて芸名はパンチを効かせたい」として名付けたという)。 代表作は『鬼平犯科帳』シリーズでの同心・村松忠之進(猫どの)役。役柄の影響から、自身も料理番組に時折出演していた。 本人の人柄からなのか「編集の際には尺が合わないと真っ先にカットを頼まれる」と語っていた。
吉増 剛造(よします ごうぞう、1939年(昭和14年)2月… 吉増 剛造(よします ごうぞう、1939年(昭和14年)2月22日 - )は、日本の詩人。文化功労者、日本芸術院会員。東京出身。 独特の手法を用い、現代詩壇の先鋭的な詩人として高く評価されている。詩の朗読パフォーマンスの先駆者としても知られる。作品に『黄金詩篇』(1970年)、『オシリス、石ノ神』(1984年)、『怪物君』(2016年)などがある。 東京府下(現杉並区)阿佐ヶ谷に生まれ、福生市に育つ。慶應義塾大学在学中から詩作を試みていた。 現代日本を代表する先鋭的な詩人の一人として高い評価を受けている。『黄金詩篇』『王國』などの初期作品では、エクスクラメーション・マークを連打した疾走感あふれる詩を多数発表した。
山下 敬二郎(やました けいじろう、本名:山下 啓次郎(やま… 山下 敬二郎(やました けいじろう、本名:山下 啓次郎(やました けいじろう)、1939年2月22日 - 2011年1月5日)は、東京都出身のロカビリー歌手。不良のやる音楽というロカビリーのイメージを決定づけたと言われている。 落語家・喜劇俳優の柳家金語楼と新橋花柳界の芸者の間に非嫡出子として生まれる。異母兄に作家・演出家の山下武、実妹は女優・声優の有崎由見子、いとこに喜劇女優の小桜京子。(艶福家として知られていた金語楼には本妻以外の女性との家庭が複数あり、各家庭に収入を当分して与え「山下」の表札を掲げさせていた。多い時で7人、金語楼の葬儀時で5人の妻がいたという。) 東京の麹町に生まれ牛込で育った。
山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、… 山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、日本の日本画家。東京都出身。本名同じ。
神田 泰典(かんだ やすのり、1938年2月22日 - 20… 神田 泰典(かんだ やすのり、1938年2月22日 - 2018年2月7日)は、日本のコンピュータ技術者である。日本語情報処理の分野において多大な功績を残した。2006年時点での肩書は富士通株式会社顧問だった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
黒谷 孝行(くろたに たかゆき、1938年2月22日 - 2… 黒谷 孝行(くろたに たかゆき、1938年2月22日 - 2025年7月22日)は、日本の経営者。日新火災海上保険株式会社の社長を務めた。島根県出身。 1960年に島根大学文理学部を卒業し、同年に日新火災海上保険に入社。1986年6月に取締役に就任し、1989年4月に常務、1992年4月に専務を経て、1996年6月には社長に就任。2000年4月に会長に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松山 正治(まつやま まさじ、1938年(昭和13年)2月2… 松山 正治(まつやま まさじ、1938年(昭和13年)2月22日 - )は、日本の政治家、教諭。元京都府福知山市長(2期)。旭日小綬章。 1960年(昭和35年)3月、東京農業大学農学部農学科卒業。1962年(昭和37年)4月、京都府中学校教員に採用。1964年(昭和39年)4月、京都府高等学校教員に採用。 1989年(平成元年)4月、京都府立水産高等学校(現京都府立海洋高等学校)校長に就任。1995年(平成7年)4月、京都府教育庁教育次長に就任。1997年(平成9年)4月、京都府庁を退職すると共に財団法人京都府少年教育振興会理事長と京都府立るり渓少年自然の家所長に就任。2003年(平成15年)3月、退職。
辻野 功(つじの いさお、1938年2月22日 - 2014… 辻野 功(つじの いさお、1938年2月22日 - 2014年3月16日)は、日本の政治学者。専門は、政治学。大分学の提唱者で、一般社団法人大分学研究会の会長を務めた。また、スーパーJチャンネルおおいたコメンテーターなど、多方面で活躍した。香川県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小池 清彦(こいけ きよひこ、1937年〈昭和12年〉2月2… 小池 清彦(こいけ きよひこ、1937年〈昭和12年〉2月22日 - )は、日本の政治家、防衛官僚。新潟県加茂市長(6期)、防衛研究所長などを歴任した。 新潟県加茂市生まれ。加茂市立加茂中学校、新潟県立三条高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1960年、防衛庁に入庁。英国王立国防大学に留学し、帰国後は防衛庁防衛局計画官、防衛庁長官官房防衛審議官、防衛研究所長を歴任した。1990年に防衛庁教育訓練局長に就任。1992年6月に防衛庁を退官。同年7月、防衛大学校学術・教育振興会理事長に就任。 1995年4月、加茂市長選挙に無所属で立候補し、初当選。以後6期連続当選。2003年に勃発したイラク戦争に関しては、元防衛官僚ながら小泉純一郎首相によるイラクへの自衛隊派遣に反対する要望書を政府に提出した。
佐藤 公久(さとう きみひさ、1937年(昭和12年)2月2… 佐藤 公久(さとう きみひさ、1937年(昭和12年)2月22日 - )は日本の経済産業評論家。元三菱総合研究所常務、元日本大学商学部教授。株式会社システム ブレーン所属。千葉県成田市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
沢田 教一(さわだ きょういち、戸籍上の表記は澤田 教一、1… 沢田 教一(さわだ きょういち、戸籍上の表記は澤田 教一、1936年〈昭和11年〉2月22日 - 1970年〈昭和45年〉10月28日)は、日本の報道写真家。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞を受賞した。位階は従五位。 日本光学工業(現ニコン)は「1971年度(原文ママ)のピューリッツァー賞も、ニコンによる作品に授与された。ベトナム戦線において取材にあたったUPI通信社の沢田カメラマンの『安全への逃避』という力作である」と主張していたが、実際には日本製カメラをどんなに勧められても「日本のカメラは写りが悪い」「日本のカメラを使うと壊れちゃうんだよ」といって日本製のカメラを使いたがらなかったという。
板宮 清治(いたみや せいじ、1935年〈昭和10年〉2月2… 板宮 清治(いたみや せいじ、1935年〈昭和10年〉2月22日 - 2024年〈令和6年〉4月15日)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町出身の歌人、専業農家。 昭和30年代の農村生活と自然を主な内容とする第一歌集『麥の花』は、青春期のみづみづしい作品を特色とする。1964年から2005年にかけて6冊の歌集を発行し、何れも東北の風土に根差した鋭敏な感性と清新な詠風によって貫かれている。病を克服して収めた『杖』は、平成18年度の日本歌人クラブ賞を受賞した。同賞の受賞は、岩手県民では初であった。 地元の金ケ崎町立図書館には特設文庫として「板宮文庫」があり、板宮寄贈による現代歌人の歌集を中心とした書籍が収められている。
岡田 晋吉(おかだ ひろきち、1935年2月22日 - )は… 岡田 晋吉(おかだ ひろきち、1935年2月22日 - )は、神奈川県出身のテレビドラマプロデューサー。 日本テレビのドラマプロデューサーとして知られ、同局芸能局長、中京テレビ取締役制作本部長、取締役副社長を歴任した。 定年退職後は川喜多記念映画文化財団常務理事(常勤)、日本テレビ顧問を務めた。 鎌倉学園高等学校、慶應義塾大学卒業後、1957年に日本テレビ入社。 入社と同時に海外ドラマの吹き替え版制作を担当し、1963年の「宇宙Gメン」を皮切りに自局制作のテレビドラマに携わる。「青春とはなんだ」「これが青春だ」や「おれは男だ!」などの青春シリーズ、「東京バイパス指令」を経て「太陽にほえろ!」、「俺たちの旅」、「大都会」シリーズ、「あぶない刑事」などを手がけた。
中田 昌宏(なかた よしひろ、1935年2月22日 - 20… 中田 昌宏(なかた よしひろ、1935年2月22日 - 2009年11月16日)は、兵庫県西宮市鳴尾出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。 現役時代は阪急ブレーブスに所属し、引退後も阪急のコーチ・代理監督・二軍監督を務めたほか、阪急の後身であるオリックスの編成部長・取締役等も歴任した。 鳴尾高校で投手として甲子園に2度出場。1951年の第23回選抜高等学校野球大会では1年上の野武貞次(法大-リッカー)との二本柱で勝ち進み、決勝に進出。決勝の対鳴門高戦で9回を投げ抜くが、1点リードして迎えた9回裏に味方のエラーで同点とされ、さらに自身の三塁牽制悪送球でサヨナラ負けを喫する。甲子園球場から徒歩2分のところにある鳴尾高の初の決勝進出とあって、球場を埋めつくした5万を越える観衆のほとんどが鳴尾高を応援していたが、この敗戦に一瞬で静寂に包まれた。
大藪 春彦(おおやぶ はるひこ、1935年〈昭和10年〉2月… 大藪 春彦(おおやぶ はるひこ、1935年〈昭和10年〉2月22日 - 1996年〈平成8年〉2月26日)は、日本の小説家、狩猟家。日本統治期の朝鮮・京城生まれ。日本におけるハードボイルド小説の先駆者の1人である。 アクション・エンターテインメント色の濃い作風で知られ、代表作には『野獣死すべし』『蘇える金狼』『汚れた英雄』などがある。作品の多くは電子書籍化され、映像化作品も多い。 1935年 2月22日、日本統治下の 京城(ソウル)で生まれ、年内に山形県酒田市へ移転。1941年、当時(「韓国併合ニ関スル条約」に基づき)大日本帝国の領地だった朝鮮半島北部の新義州に移転し、国民学校へ入学する。 1945年に父が応召。
安元 健(やすもと たけし、1935年(昭和10年)2月22… 安元 健(やすもと たけし、1935年(昭和10年)2月22日 - )は、日本の水産化学者、食品化学者である。 沖縄県に生まれる。1957年東京大学農学部水産学科卒業、1959年同大学院農学系研究科修士課程修了。1960年同博士課程中退後、同大学の助手となり教鞭を執る。1966年、農学博士(東京大学)。1969年(昭和44年)に東北大学農学部の助教授となり、1977年(昭和52年)には教授に就任した。その後は科学技術振興機構内の沖縄県地域結集型共同研究事業研究統括に就任し、同地に生息する魚介類の食中毒に関する研究に携わる。 その研究成果として、フグ毒(テトロドトキシン)類の化学構造の決定やその毒を生産する細菌の発見、二枚貝における麻痺の症状・下痢の症状の原因となっている毒成分の化学構造の解明などがある。
岡本 雄作(おかもと ゆうさく、1935年2月22日 - )… 岡本 雄作(おかもと ゆうさく、1935年2月22日 - )は、日本の自転車競技指導者。元オリンピック自転車競技日本代表監督。神奈川県出身、法政大学工学部卒業。 1976年のモントリオールオリンピック、日本が不参加となった1980年のモスクワオリンピック、1984年のロサンゼルスオリンピックと、3大会連続で代表監督を歴任。 また、モントリオール大会では長義和がスクラッチ(現 スプリント)で6位入賞、ロサンゼルス大会では坂本勉が同じくスクラッチで銅メダル獲得を果たしたことによる一連の実績を讃えられ、2001年にオリンピック・オーダーの銀章を受章した。 現在は、日本自転車競技連盟顧問。日本オリンピック委員会名誉委員。
岡本 義則(おかもと よしのり、1935年2月22日 - )… 岡本 義則(おかもと よしのり、1935年2月22日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元ボートレーサー。 兄の保は元オートレーサー。 1959年11月に6期生として選手登録され、彦坂郁雄・浅見敏夫・高田登らと共にデビュー。巧みなハンドルと卓越した整備力で、常に高い勝率をマークし、特に2コースの捌きは絶品であった。整備の熱心さから「走る教科書」と呼ばれ、前検日にはスタート特訓が終わると、真っ先に整備室の一角にある長机に陣取ってバルブの羽根を徹底的にいじっていた。その他の整備は一切せず、バルブ調整ばかりやっていた。1970年には驚異の171勝を挙げ、この記録は現在も破られていない。1980年には8月5日から10月17日にかけて22連勝を達成するが、現在も歴代3位の記録として残っている。
玉木 襄(たまき のぼる、1934年(昭和9年)2月22日 … 玉木 襄(たまき のぼる、1934年(昭和9年)2月22日 - )は、日本の政治活動家。山口県熊毛郡田布施町出身。早稲田大学卒業。元日本青年団協議会副会長、元新自由クラブ山口県連代表、元進歩党幹事長。 父親が特定郵便局長を務める家に生まれる。 山口県立熊毛南高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部卒業。河野洋平前衆議院議長は大学時代の同級生で、玉木が新自由クラブに入党する最大のきっかけになる。在学中は卓球部マネジャー、日本学生卓球連盟幹事長を務めた。 農業を営みながら、熊毛郡連合青年団長、山口県連合青年団長、日本青年団協議会副会長と青年団活動一筋に上り詰めた。あすの山口を創る県民会議を結成し、山口県少年の船、山口県海外少年の船、山口県青少年1万人キャンプ大会などの青少年活動は現在も続けている。
財津 一郎(ざいつ いちろう、1934年〈昭和9年〉2月22… 財津 一郎(ざいつ いちろう、1934年〈昭和9年〉2月22日 - 2023年〈令和5年〉10月14日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手。 本名:財津 永栄(ざいつ ながひで)、旧芸名:財津 肇メ。熊本県熊本市出身。熊本県立済々黌高等学校卒業。 財津家は神武天皇の時代から続くというほどの名家であった。父親は農林省(現:農林水産省)の役人で、3人兄弟の末っ子として東京に住んでいた、父が日中戦争で中国大陸へ出征したため、1944年に一家は故郷の熊本へ疎開した。 1947年に、阿蘇にある財津家の土地を守るために阿蘇郡黒川村(現・阿蘇市)へ移住、学校もそれまで通っていた済々黌中学校から阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校)へ転校した。
竹内 己喜男(たけうち みきお、1934年2月22日 - 2… 竹内 己喜男(たけうち みきお、1934年2月22日 - 2013年5月)は、日本のフィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは金子恵以子。アイスダンスのフィギュアスケート審判員。 1957年から1964年まで全日本選手権アイスダンス8連覇。1962年世界フィギュアスケート選手権で17位。息子にはフィギュアスケート選手の竹内光明、竹内義明がいる。明治大学卒業。 1954年、全日本ジュニア選手権男子シングルに出場し、大橋和夫に次いで2位となる。 1957年、金子恵以子とカップルを組み全日本選手権に出場し優勝。アイスダンスの初代全日本チャンピオンとなる。その後、1964年まで全日本選手権で8連覇を達成する。
綾川 志剛 (あやかわ しごう、1933年2月22日 - )… 綾川 志剛 (あやかわ しごう、1933年2月22日 - )は、日本の俳優。本名は松原 保夫。旧芸名は綾川 香。 香川県出身。香川県立主基高等学校卒。新協劇団、さち子プロ、ぷろだくしょん森に所属していた。 劇団俳優座第3期生。同期は塚本信夫、中台祥浩、穂積隆信、本郷淳、楠侑子など。
古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日- 2022年4… 古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日- 2022年4月22日)は、日本の西洋史学者。専門はイギリス史。山口大学名誉教授。 朝鮮京城生まれ。福岡県立三潴高等学校卒、1951年佐賀大学入学、1953年九州大学編入学、1955年同文学部史学科卒、1960年同大学院西洋史博士課程満期退学。1976年関西学院大学・文学博士。 1960-1965年明治学園高等学校教諭、1965年九州大学助手、1968年山口大学教養部助教授、1975年教授。1996年定年退官、名誉教授、1997年京都女子大学教授。2006年定年退職。
高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は… 高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は、日本の法学者。日本大学名誉教授。専門は法哲学、基礎法学、日本近代法史。明治期の政治家である金子堅太郎研究の第一人者とされる。 日本大学大学院法学研究科私法学専攻修了。日本大学法学部教授を務め、筑波大学第三学群講師、埼玉大学経済学部講師を兼任した。
鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年2月22日 - 201… 鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年2月22日 - 2014年1月10日)は日本の実業家。丸紅社長・会長、東京国際フォーラム社長、東京都交響楽団理事長、経済同友会副代表幹事を歴任。
小寺 武久(こてら たけひさ、1933年2月22日 - 20… 小寺 武久(こてら たけひさ、1933年2月22日 - 2006年2月19日)は、日本建築史学者。工学博士(1978年)。名古屋大学名誉教授。 中国・大連市生まれ。1956年東京大学工学部鉱山学科卒、1960年同建築学科卒、1965年同大学院工学研究科建築学博士課程満期退学。1978年「都市の空間形態に関する史的研究」で工学博士の学位を取得。 1965年名古屋大学工学部助手となり、同年講師、1969年助教授、1985年教授、1996年定年退官となり、名誉教授、中部大学教授を務めた。
新藤 孝衛(しんどう こうえ、1932年2月22日 - 20… 新藤 孝衛(しんどう こうえ、1932年2月22日 - 2020年8月10日)は、日本の実業家、映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。映画プロデューサーとしての名を新船 澄孝(あらふね すみたか)とし、1972年(昭和47年)、映画監督としての名を南雲 孝(なぐも たかし)と改名した。1969年(昭和44年)、学校法人川口ふたば幼稚園理事長。 1932年(昭和7年)2月22日、埼玉県北足立郡芝村大字柳崎(現在の同県川口市柳根町)に生まれる。祖父は芝村の村議を歴任、父はのちの川口市議会議長となる新藤勝衛である。新制の埼玉県川口市立川口高等学校(現在の埼玉県立川口高等学校)に入学、水泳部で活躍する。
谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、19… 谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、1932年〈昭和7年〉2月22日 - 2010年〈平成22年〉9月11日)は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。 東京府荏原郡東調布町(現・東京都大田区田園調布)出身・三鷹市大沢に居住していた。渡辺プロダクション所属。中央大学経済学部中退、中央大学学員会三鷹支部会員。日本トロンボーン協会名誉会員。 写真家の吉田ルイ子は従妹にあたる。長男の渡部泰裕は映像ディレクター。 会社員の渡部四郎の長男として生まれる。祖父の渡部競一は福島県会津若松市出身で、現在の東京工業大学の前身の東京職工学校を卒業後、技師となり横須賀海軍工廠製造所や日本製鋼などに勤めたのち芝区(現在の東京都港区)三田四国町で鋼材を扱う成工商会を経営した。
星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日… 星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日 - 2014年(平成26年)4月10日)とは、日本の弁護士(登録番号:21388、新潟県弁護士会)、政治家。衆議院議員(3期)、新潟県小千谷市市長(4期)を歴任した。元秘書に、金融担当大臣を歴任した民主党元衆議院議員中塚一宏。 新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年、中央大学法学部卒業。 1962年、司法試験に30歳で合格。 1965年、司法修習17期を修了(同期に松本啓二弁護士)し、東京弁護士会に入会。 1975年、小千谷市長に就任(以後4期務める)。同年、東京弁護士会を退会。 1989年5月31日、小千谷市長を辞職。同年10月、保守系無所属新人候補の政策集団自由連合の旗揚げに参加。
粂川 光樹(くめかわ みつき、1932年2月22日 - 20… 粂川 光樹(くめかわ みつき、1932年2月22日 - 2018年12月20日)は、日本の作家、国文学者。明治学院大学名誉教授。 京都市生まれ。東京大学国文科卒、同大学院修士課程修了、五味智英に師事して上代文学を専攻、かたわら同人誌『半世界』に小説を発表、長谷川泉の経営する医学書院に秦恒平と同期入社。1965年「極東語学校夜話」で直木賞候補となる。同年プリンストン大学専任講師として渡米、1969年帰国し、関東学院女子短期大学、フェリス女学院大学に勤め、1981年シンガポール大学講師、1986年帰国し、東京大学留学生教育センター講師、明治学院大学国際学部教授。 2002年定年退職し、2007年『上代日本の文学と時間』(笠間書院)を上梓。
田代 富士男(たしろ ふじお、1931年〈昭和6年〉2月22… 田代 富士男(たしろ ふじお、1931年〈昭和6年〉2月22日 - )は、日本の元政治家、元公明党参議院議員(4期)。 佐賀県出身。旧制三養基中卒。聖教新聞社、創価学会関西本部に勤務する。1965年の第7回参議院議員通常選挙で大阪府選挙区から公明党公認で立候補して初当選。以来連続4期当選する。参議院法務委員長、運輸委員長、党大阪府連本部長、参議院国会対策委員長などを歴任した。1988年に砂利船汚職事件で全国砂利石材店用組合連合会から現金を受け取った事が発覚。田代は離党して参議院議員を辞職した。その直後に受託収賄罪で起訴された。1992年に大阪地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。
江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017… 江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017年5月20日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)元社長江副孫右衛門の甥で、同社社長や会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、福岡県公安委員会委員長などを務めた。正四位勲二等瑞宝章。 関東州大連市生まれ。東陶機器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門は伯父。愛知県立旭丘高等学校1期を経て、1955年名古屋大学工学部機械学科卒業、東洋陶器入社。水栓金具技術者としてウォシュレット等の開発を手掛けた。 東陶機器常務、専務、副社長を経て、1992年から社長を務め、アジア進出などを進めた。1998年から会長。 2001年勲二等瑞宝章受章。
前田 耕一(まえだ こういち、1930年2月22日 - 20… 前田 耕一(まえだ こういち、1930年2月22日 - 2013年3月7日)は、日本の経営者。時事通信社社長を務めた。東京都出身。 1953年に成蹊大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に時事通信社に入社した。経済記者、解説委員などを経て、1982年7月に取締役に就任し、1988年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1996年6月に相談役に就任し、2000年6月には顧問に就任。1985年7月から1997年6月までに電通取締役を務めた。 1993年6月にフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章。 2013年3月7日膵臓癌のために死去。83歳没。
有田 光雄(ありた みつお、1930年2月22日 - )は、… 有田 光雄(ありた みつお、1930年2月22日 - )は、日本の労働運動家。島根県出身。子息は立憲民主党の衆議院議員で、参議院議員(2期)・ジャーナリストの有田芳生。 著作の一部はデジタル化されており、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
木滑 良久(きなめり よしひさ、1930年2月22日 - 2… 木滑 良久(きなめり よしひさ、1930年2月22日 - 2023年7月13日)は、日本の編集者。元マガジンハウス社長。 東京府出身。米沢藩の側用人・木滑要人の子孫。15歳で太平洋戦争の敗戦に遭遇し、進駐軍を通じアメリカの文化に接して強烈な憧れを抱く。1954年3月、立教大学文学部史学科卒業。学生時代から出入りしていた平凡出版(現在のマガジンハウス)に1955年3月に入社し、1965年から1980年まで『週刊平凡』『平凡パンチ』『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』の各編集長を歴任した。1980年12月取締役に就任。1982年6月には『Olive』の編集長を兼任する。1984年10月、取締役編集担当副社長に就任し、1988年には『Hanako』を創刊しブームを作るきっかけを与えた。
山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日 - 200… 山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日 - 2006年6月30日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。息子は、元青森県議会議員の山内崇(2011年青森県知事選挙立候補者、立憲民主党青森県連合代表)。 青森県中津軽郡相馬村(現・弘前市)生まれ。弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業。卒業後は、弘前郵便局、弘前電話局、弘前電気通信管理所、黒石電報電話局、弘前電報電話局で勤務した。1959年に弘前地方労働会議議長となった。1967年に青森県議会議員に初当選した。1990年第39回衆議院議員総選挙で反核燃を訴え、旧青森2区から立候補し当選。1期務める。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選した。