高橋 坦(たかはし たん、1893年(明治26年)1月29日… 高橋 坦(たかはし たん、1893年(明治26年)1月29日 - 1986年(昭和61年)1月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 香川県出身。県会議員・高橋彜太郎の二男として生まれる。高松中学校(香川県立高松高等学校)卒、小学校代用教員を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第11連隊付となる。1917年(大正6年)11月、陸軍砲工学校普通科を卒業。1920年(大正9年)10月から1922年(大正11年)5月までシベリア出兵に従軍。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業し山砲兵第11連隊中隊長に就任した。
松本 芳翠(まつもと ほうすい、1893年〈明治26年〉1月… 松本 芳翠(まつもと ほうすい、1893年〈明治26年〉1月29日 - 1971年〈昭和46年〉12月16日)は、愛媛県伯方島生まれの日本の書家。 日本芸術院会員。本名・英一。字・子華。別号・樗盦・二葉・栖霞山人・來吉齋。法号・書海院徳藝芳翠大居士。 1907年(明治40年)今治中学校を中退、加藤芳雲に師事。1910年(明治43年)明治薬学校(現明治薬科大学)卒。1911年(明治44年)近藤雪竹に師事。1914年(大正3年)日下部鳴鶴に師事。 1916年(大正5年)日本郵船に入社。1921年(大正10年)「書海社」を設立し、競書誌「書海」を発行。1922年(大正11年)平和記念東京博覧会で、一等賞金牌受賞。
野中 徹也(のなか てつや、1893年(明治26年)1月29… 野中 徹也(のなか てつや、1893年(明治26年)1月29日 - 1943年(昭和18年)2月27日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党→国民同盟)。 埼玉県北埼玉郡大越村(現在の加須市)出身。東京帝国大学法科大学を卒業し、ドイツ・フランス・イギリス・アメリカ合衆国に留学し、政治学と経済学を学んだ。帰国後、高千穂高等商業学校(現在の高千穂大学)講師、時事新報記者などの職に就いた。 1928年、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。その間、濱口内閣・第2次若槻内閣で安達謙蔵内務大臣の秘書官を務め、平沼内閣では文部参与官を務めた。
東 武蔵(あずま むさし、1893年1月29日 - 1970… 東 武蔵(あずま むさし、1893年1月29日 - 1970年2月9日)は、明治から昭和にかけての浪曲師である。本名は東常吉。 埼玉県川越生まれ、東京育ち。8歳の時、宝集舎栄楽門下の文楽の養子となり、栄楽門下で栄馬、13歳で真打となり少年浪曲師として活躍、1911年(明治44年)19歳の時、巖谷小波の命名で東武蔵を名乗る。噛んで吐き出すような節調「武蔵節」と才気縦横でアドリブも自在な滑稽は、全くの独流であった。朝刊のニュースを夕方の寄席で演題に入れ喝采を浴びる。寄席読みできめ細かな芸風、演出は奇抜を極めた。のちに落語家の立川談志がこよなく愛し、その演芸選集にも登場する。 戦後ラジオの浪曲番組での審査員としても活躍、1955年(昭和30年)脳出血で倒れ闘病生活を続けた。
中村 左衛門太郎(なかむら さえもんたろう、1891年1月2… 中村 左衛門太郎(なかむら さえもんたろう、1891年1月29日 - 1974年11月25日)は、地震学者。 東京府出身。東京市京橋区銀座一丁目で針問屋を営む中村利吉と母美保(神田区鍛冶町の唐物商・恵藤卯平の姪)の長男として生まれる。号・傾円。キリスト教徒。1914年東京帝国大学理学部実験物理学科卒。1920年理学博士。中央気象台勤務を経て1924年東北帝国大学理学部教授。1951年同名誉教授、熊本大学理学部教授、1955年理学部長。1956年定年退官、九州物理探査社長、1961年熊本商科大学教授。地震計、地磁気の研究で知られる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
板花 義一(いたはな ぎいち、1889年(明治22年)1月2… 板花 義一(いたはな ぎいち、1889年(明治22年)1月29日 - 1961年(昭和36年)10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 長野県南安曇郡三田村(現・安曇野市)に農業・板花茂一郎の二男として生まれる。1907年(明治40年)松本中学卒業、1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、輜重兵少尉に任官し輜重兵第2大隊付となる。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業した。 1924年(大正13年)3月、輜重兵第1大隊付となり、同年7月から12月まで下志津陸軍飛行学校で偵察を学んだ。1925年(大正14年)1月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、輜重兵監部員を歴任し、1926年(大正15年)8月、輜重兵少佐に昇進。
小田 彦太郎(おだ ひこたろう、1888年(明治21年)1月… 小田 彦太郎(おだ ひこたろう、1888年(明治21年)1月29日 - 1952年(昭和27年)5月14日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、延岡市会議長、宮崎県東臼杵郡延岡町長。 宮崎県東臼杵郡延岡城下北町(延岡町を経て現延岡市)で生まれる。1910年(明治43年)東京帝国大学農科大学林学実科を卒業した。 帰郷して回漕業を営む。延岡商工会議所会頭、商事調停委員、延岡瓦斯取締役、高千穂運輸取締役、宮崎県木材取締役、延岡バス監査役、宮崎県瓦斯用木炭取締役社長などを務めた。 政界では、延岡町会議員、延岡町長、延岡市会議員、同議長、同参事会員、宮崎県会議員、同副議長などに在任した。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選。
田中 豊(たなか ゆたか、1888年〈明治21年〉1月29日… 田中 豊(たなか ゆたか、1888年〈明治21年〉1月29日 - 1964年〈昭和39年〉8月27日) は、日本近代橋梁史上最も著名な技術者。東京大学名誉教授。工学博士。 長野県長野市出身。元は橋梁技術者ではなく、鉄道系の技術者で、鉄道省時代は設計の規格化などの仕事に従事した。帝都復興院には太田圓三とともに在籍することになるが、なぜか橋梁課長に抜擢されることになった。恩師・広井勇に顧問への就任を依頼したところ、「落ちないようにやればよい」と逆に激励されたという。 関東大震災によって被害を受けた橋梁の総数は、東京で675橋、横浜で108橋であったが、復興事業の設計責任者として隅田川にかかる永代橋や清洲橋といった橋梁群を手がけ、新技術を次々に導入して橋梁近代化の礎を成した。
高堂 国典(、1887年(明治20年)1月29日 - 196… 高堂 国典(、1887年(明治20年)1月29日 - 1960年(昭和35年)1月22日)は、日本の俳優。本名は谷川 佐市郎()。一時は高堂 黒天の芸名で活動していた。通り名は「こくてん」。 戦前は帝国キネマと市川右太衛門プロダクションで活躍し、戦中から戦後にかけて東宝に出演した。老け役として個性を発揮し、様々な作品に脇役で活躍。黒澤明作品の常連の一人でもある。 兵庫県高砂市に生まれる。 関西学院中学部中退後の1901年(明治34年)新派の村田正雄の門下に入り、大阪横井座で初舞台を踏んだ後地方巡業で各地を回る。 1923年(大正12年)帝国キネマ小阪撮影所現代劇部に入社後本格的に映画俳優として活動を始め、『呪いの船』『復讐鬼』『星は乱れ飛ぶ』といった作品に出演する。
堀場 信吉(ほりば しんきち、1886年1月29日 - 19… 堀場 信吉(ほりば しんきち、1886年1月29日 - 1968年2月16日)は、日本の物理化学者ならびに教育者である。京都府生まれ。堀場製作所の創業者である堀場雅夫の父である。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
関口 鯉吉(せきぐち りきち、1886年1月29日 - 19… 関口 鯉吉(せきぐち りきち、1886年1月29日 - 1951年8月10日)は、日本の天文学者、気象学者、東京帝国大学名誉教授。関口隆吉の四男。新村出(言語学者)は実兄。朝永振一郎の義父。 静岡県出身。旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学理科大学星学科卒業。朝鮮総督府観測所、神戸海洋気象台、中央気象台技師などを経て、1936年東京帝大教授兼東京天文台長。1946年定年退官、1949年まで帝国女子理学専門学校(現在の東邦大学)校長。戦前の一時期、文部省専門学務局長として科学行政に携わり、科学研究費の導入に尽力した。
増島 徳(ますじま とく、1886年(明治19年)1月29日… 増島 徳(ますじま とく、1886年(明治19年)1月29日 - 1965年(昭和40年)6月21日)は、日本の医師、政治家。 奥富村(現・狭山市)出身。1909年、日本医学校(現日本医科大学)を卒業。1920年、飯能町(現・飯能市)に病院を創設した。戦後、飯能町議会議員に当選、公約の学校給食の実施を行った。1949年、細田栄蔵に替わり町長に就任したが、元加治分村問題を受け、1952年に辞任した。 1958年、飯能市長選に出馬したが、現職の町田右之亮に敗れた。1962年、飯能市長に無投票当選。公約の下水道と終末処理場の建設を行った。在職中の1965年6月21日に79歳で急死した。 菊作りと蘭の栽培でも知られる。
吉野 作造(よしの さくぞう、1878年〈明治11年〉1月2… 吉野 作造(よしの さくぞう、1878年〈明治11年〉1月29日 - 1933年〈昭和8年〉3月18日)は、大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家。「民本主義」という訳語の提唱者。袁世凱の長男である袁克定の家庭教師。「黎明会」の設立発起人。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。初名は「作蔵」で、大正6年(1917年)5月「作造」と改名した。号は「古川学人」。弟は商工官僚・政治家の吉野信次。 明治11年(1878年)、宮城県志田郡大柿村96番地(現・大崎市古川十日町)に木綿織物の原料を扱う糸綿商吉野屋を営む父・年蔵、母・こうの長男として生まれた。当時の吉野屋には、祖母、両親、5歳と3歳になる二人の姉、そして父の姉夫婦が同居していた。
杉山 直治郎(すぎやま なおじろう、1878年(明治11年)… 杉山 直治郎(すぎやま なおじろう、1878年(明治11年)1月29日 - 1966年(昭和41年)2月15日)は、日本の法学者。専門は比較法学、フランス法。東京帝国大学法学部教授、日本学士院会員などを歴任した。 1878年(明治11年)、東京府平民杉山勘蔵・かねの長男として、東京市下谷区にて生まれる。私立小学校、中学校を経て、1899年(明治32年)に第一高等学校を卒業。同年、東京帝国大学法科大学仏法科に入学し、1903年(明治36年)に卒業、法学士の称号を得る。同年、同大学院に進み、翌年には学習院教授として民法、ローマ法を講じる傍ら、法政大学、早稲田大学、明治大学、日本大学で講師として教壇に立つ。
原口 初太郎(はらぐち はつたろう、明治9年(1876年)1… 原口 初太郎(はらぐち はつたろう、明治9年(1876年)1月29日 - 昭和24年(1949年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。衆議院議員、貴族院議員。
平山 為之助(ひらやま ためのすけ、1874年(明治7年)1… 平山 為之助(ひらやま ためのすけ、1874年(明治7年)1月29日 - 1960年(昭和35年)3月18日)は、日本の政治家・衆議院議員(立憲政友会)、豪農、篤農家、実業家。五所川原銀行頭取。津軽鉄道社長。松木屋呉服店社長。陸奥銀行、佐々木銀行、青森貯蓄銀行、松木屋呉服店、津軽酒造各取締役。鳴海銀行監査役。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市)生れ。平山雄太郎の長男。東奥義塾及び慶應義塾に学んだ。農業を営んだ。村会議員、青森県会議員同参事会員、衆議院議員に挙げられた。陸奥鉄道社長、国有化後に津軽鉄道の初代社長。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市大字湊)にある平山為之助の住居は、1769年(明和6年)建立の古民家で、「旧平山家住宅」として国の重要文化財に指定され保存されている。
野呂 丈太郎(のろ じょうたろう、1874年(明治7年)1月… 野呂 丈太郎(のろ じょうたろう、1874年(明治7年)1月29日 - 1927年(昭和2年)10月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県足立郡安行領根岸村(のち北足立郡神根村、現:川口市安行領根岸)で、染織業・野呂栄次郎の長男として生まれる。東京で警察官を務めながら法律学を学ぶ。その他、榊原鍵吉から剣術を学び、さらに柔道を修めた。父の病により帰郷し家業を継いだ。埼玉製織会社を設立して社長となり、茨城県で鉱山事業も営んだ。 政界では、神根村会議員、北足立郡会議員、埼玉県会議員などを務めた。1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で埼玉県第一区から憲政会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
北大路 実信(實信、きたおおじ さねのぶ、 1870年1月2… 北大路 実信(實信、きたおおじ さねのぶ、 1870年1月29日(明治2年12月28日)- 1935年(昭和10年)9月22日)は、明治から昭和期の税関官吏、政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。旧姓・園池。幼名・楢麿。 山城国京都で奈良県知事・園池公静の三男として生まれ、1895年(明治28年)8月、男爵・先代北大路公久の死去後に養子となり、同年9月28日に男爵を襲爵。同年10月9日、実信に改名した。 学習院、東京高等商業学校を修了。1895年、税関属に任官。その後、同事務官補などを務め、東京築港に関する貨物調査嘱託となった。 1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し、死去するまで5期在任した。
鵜飼 猛(うかい たけし、1866年1月29日(慶応元年12… 鵜飼 猛(うかい たけし、1866年1月29日(慶応元年12月13日) - 1948年(昭和23年)5月6日)は、日本の牧師。法学者の鵜飼信成や、アメリカ共産党員でアメリカOSS(戦略情報局)にも所属した鵜飼宣道(ジョー・コイデ)、銀座教会名誉牧師の鵜飼勇の実父でもある。 1866年1月29日(慶応元年12月13日)に松江に生まれる。1879年(明治12年)同郷の鵜飼渚の養子となる。 1885年(明治18年)東京府立第一中学校を中退して、美山貫一を頼ってサンフランシスコに行く。 1886年(明治19年) サンフランシスコの中国人伝道館で洗礼を受ける。その後、アイオワ州のシンプソン大学で学ぶ。 1894年(明治27年) アメリカ・メソジスト教会で按手礼を受けて牧師になる。
上原 鹿造(うえはら しかぞう、慶応元年12月13日(186… 上原 鹿造(うえはら しかぞう、慶応元年12月13日(1866年1月29日) - 昭和10年(1935年)10月4日)は、日本の衆議院議員(憲政本党)。弁護士。 府内藩士上原平馬の四男として大分に生まれる。1883年(明治16年)、大分師範学校に入学して4年間学び、小学校訓導・校長を務めた。1888年(明治21年)に上京し、国民英学会を経て、1892年(明治25年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)行政科を卒業した。同年、弁護士試験に合格し、鳩山和夫事務所に勤務した。日本弁護士協会の結成に加わり、機関雑誌の編集主任を務め、理事となった。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
西沢 喜太郎(にしざわ きたろう、旧字体: 西澤 喜太郞、慶… 西沢 喜太郎(にしざわ きたろう、旧字体: 西澤 喜太郞、慶応元年12月13日〈1865年1月29日〉 - 1941年〈昭和16年〉2月25日)は、明治末期から昭和戦前期にかけて活動した日本の銀行経営者である。長野県長野市の人物で、家業である書籍商を営みつつ長野市を拠点とする長野商業銀行・長野農工銀行・長野貯蓄銀行で頭取を務めた。「喜太郎」を襲名する前の名は喜三郎。 慶応元年12月13日(新暦:1865年1月29日)、堀内鍋作(士族)の次男として生まれる。出身地は信濃国埴科郡屋代町(現・長野県千曲市)。1882年(明治15年)勉学のため上京し、1885年(明治18年)陸軍教導団へ入隊。翌年一等軍曹に任ぜられたが、1888年(明治21年)病を得て除隊した。
岡田 国太郎(おかだ くにたろう、1861年1月29日(万延… 岡田 国太郎(おかだ くにたろう、1861年1月29日(万延元年12月19日) - 1945年(昭和20年)3月2日)は、日本の陸軍軍人(軍医官)、医師、細菌学者。医学博士(滋賀県出身者として初の医学博士(博士登録番号42番))。 1861年1月29日(万延元年12月19日)、近江国野洲郡守山村吉身(現・滋賀県守山市吉身)で誕生。父は滋賀県議会議長や衆議院議員を務めた岡田逸治郎、母は逸治郎の最初の妻・たみ。八男七女の次男として誕生したが、長男が夭折したことにより跡取りとして育てられる。 1877年(明治10年)、京都欧学校(後の京都府立一中(現京都府立洛北高等学校・附属中学校))に入学し、ドイツ語を学んだ。
中川 幸太郎(なかがわ こうたろう、1861年1月29日(万… 中川 幸太郎(なかがわ こうたろう、1861年1月29日(万延元年12月19日)- 1940年(昭和15年)8月1日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県氷上郡久下村長。 丹波国氷上郡谷川村(兵庫県氷上郡久下村谷川、山南町谷川を経て現丹波市山南町谷川)で、農業、製油業・中川音蔵の長男として生まれる。1884年(明治17年)3月、家督を相続し、農業、製油業、鉱業を営む。 1882年(明治15年)4月、太田村外17ヶ村戸長役場用掛に就任。以後、氷上郡町村連合会議員、同郡全町村組合会議員を歴任。1893年(明治26年)5月、久下村長に就任し1903年(明治36年)8月まで在任。
遠藤 良吉(えんどう りょうきち、1855年1月29日(安政… 遠藤 良吉(えんどう りょうきち、1855年1月29日(安政元年12月12日)- 1931年(昭和6年)12月12日)は、明治から大正期の日本の警察官、政治家。衆議院議員(5期)、宮城県桃生郡広淵村長。旧姓は村上、号は李楊。 陸奥国桃生郡赤井村(宮城県桃生郡深谷村、赤井村、矢本町を経て現東松島市赤井)で、仙台藩陪臣・村上東八郎の二男として生まれた。警部補、陸軍少尉試補兼小警部、伊豆七島巡視を歴任。 桃生郡北村湖崎(現石巻市北村)の遠藤温の門下に入り、その婿養子となる。1893年(明治26年)遠田郡と桃生郡・牡鹿郡の農民間で水利紛争(遠桃事件)が起こり、遠藤は桃生・牡鹿側の首謀者として入獄した。その後、初代広淵村長に推されて就任し、その他、石巻村会議員、同副議長、深谷村会議員、広淵村会議員、桃生郡会議員、同参事会員を務めた。
安藤 謙介(あんどう けんすけ、1854年1月29日(嘉永7… 安藤 謙介(あんどう けんすけ、1854年1月29日(嘉永7年1月1日)- 1924年(大正13年)7月30日)は、日本の検察官・官僚・政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員、横浜市長、京都市長。 土佐藩士・安藤常三郎の長男として安芸郡羽根村(現室戸市)に生まれる。1873年に上京し、ニコライ塾に入り、その後、東京外国語学校に移りロシア語を学んだ。中江兆民からフランス語も学んだ。 1876年4月、勝海舟の推薦で外務省に出仕し、ロシア帝国サハリンのコルサコフ領事館書記一等見習となる。1878年、サンクトペテルブルク公使館書記生となり、サンクトペテルブルク大学で法学、行政法などを履修した。1882年から同大学の日本語教官となった。
高平 小五郎(たかひら こごろう、1854年1月29日〈嘉永… 高平 小五郎(たかひら こごろう、1854年1月29日〈嘉永7年1月1日〉- 1926年〈大正15年〉11月28日)は、日本の外交官。男爵。貴族院議員等を務めた。日露講和会議で小村寿太郎とともに全権委員を務め、日露戦争後の日米関係を定めた高平・ルート協定を締結した。 現在の岩手県一関市の生まれ。陸奥国一関藩の藩士田崎三徹の三男であったが、同藩士高平真藤の養子となった。1868年の戊辰戦争には奥羽越列藩同盟側として従軍した。1870年(明治3年)貢進生として大学南校(現在の東京大学)に入学し、1873年(明治6年)には同校を卒業して工部省に出仕した。1876年(明治9年)以降は外務省に出仕し、1879年(明治12年)には在米国公使館在勤。
野依 範治(のより はんじ、旧姓・朝吹、1854年1月29日… 野依 範治(のより はんじ、旧姓・朝吹、1854年1月29日(安政元年1月1日) - 1917年(大正6年)12月23日)は、日本の会社役員。多久鉱業、古賀山炭坑各取締役。族籍は福岡県平民。 豊前国下毛郡宮園村(現・大分県中津市耶馬溪町大字宮園)出身。朝吹泰蔵の三男。1864年に野依半七郎の養子となり、1877年に家督を相続する。会社の重役である。住所は佐賀市西田代町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう、嘉永5年12月20日〈… 北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう、嘉永5年12月20日〈1853年1月29日〉- 昭和6年〈1931年〉6月13日)は、日本の微生物学者、教育者。位階勲等は、従二位勲一等男爵。 貴族院議員、私立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、土筆ヶ岡養生園(現在の東京大学医科学研究所附属病院)創立者兼運営者、私立北里研究所、北里研究所病院(現在の学校法人北里研究所)創立者兼初代所長・北里大学学祖、慶應義塾大学部医学科学長(1920年から慶應義塾大学医学部初代学部長)、慶應医学会初代会長、慶應義塾大学病院初代院長。 「近代日本医学の父」として知られる。1889年(明治22年)に破傷風菌の純粋培養に成功、翌1890年(明治23年)に血清療法を開発、さらに、1894年(明治27年)にペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれる。
牛場 卓蔵(うしば たくぞう、1851年1月29日(嘉永3年… 牛場 卓蔵(うしば たくぞう、1851年1月29日(嘉永3年12月28日) - 1922年(大正11年)3月5日)は、明治期から大正期のジャーナリスト、官僚、実業家、政治家。慶應義塾出身、衆議院議員、山陽鉄道取締役会長などを務めた。 伊勢国安濃郡渋見村(後の安東村、現三重県津市)の井草家に生まれる。伊勢国一志郡(後の七栗村、現三重県津市)の牛場圭次郎の養子となる。慶應義塾に学び、島田三郎らと共に陸奥宗光の家に寄食する。 『郵便報知新聞』記者、兵庫県庁の勧業課長を経て、内務省に出仕。1881年(明治14年)、明治十四年の政変で罷免され下野。1882年(明治15年)、新聞『時事新報』の創刊に参画し記事を執筆。
大谷 嘉兵衞(おおたに かへえ、1845年1月29日(弘化元… 大谷 嘉兵衞(おおたに かへえ、1845年1月29日(弘化元年12月22日) - 1933年(昭和8年)2月3日)は、日本の商人、実業家、政治家。位階は正五位。勲等は勲三等。幼名は藤吉。名の「衞」は「衛」の旧字体のため、新字体で大谷 嘉兵衛とも表記される。 横浜市会議員、横浜市会議長、横浜商業会議所会頭、貴族院議員などを歴任した。 伊勢国出身の商人、実業家、政治家である。製茶貿易業に携わり、「茶聖」と呼ばれた。第2代横浜商業会議所(現在の横浜商工会議所)会頭や貴族院議員などを務めた。正五位勲三等。族籍は神奈川県平民。 伊勢国飯高郡谷野村(現在の三重県松阪市飯高町宮本)に、父の吉兵衛、母つなの4男1女の末子として生まれた。
鳥越 雅子(とりごえ まさこ、1月29日 - )は、圭三プロ… 鳥越 雅子(とりごえ まさこ、1月29日 - )は、圭三プロダクション所属のフリーアナウンサー。佼成学園女子高等学校卒。東京都出身。血液型A型。 FMヨコハマの専属アナウンサーも業務契約。主にニュースを担当。 ※上記の番組は隔週でアシスタントを担当している。
万里 柚美(まり ゆずみ、1月29日 - )は、宝塚歌劇団専… 万里 柚美(まり ゆずみ、1月29日 - )は、宝塚歌劇団専科に所属する女役。元星組組長。 大阪府東大阪市、大阪女子学園出身。身長160cm。愛称は「ユズミ」。 1982年、宝塚音楽学校入学。 1984年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に70期生として入団。入団時の成績は15番。雪組公演「風と共に去りぬ」で初舞台。その後、星組に配属。 ダンスが得意な美人娘役として活躍し、2000年10月1日付で星組副組長に就任。 2012年2月6日付で星組組長に就任。 2020年9月21日付で専科へ異動となる。 高貴さを感じさせる佇まいと華やかな美貌で舞台を彩り、専科異動後は各組に特別出演を続けている。 宝塚OGの万里弥生が芸名の名付け親。