大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - … 大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - )は、福井県大野市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は南 忠晃(みなみ ただみつ)。身長193cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。最高位は西小結(1987年3月場所)。 中学時代は剣道をやっていた。長身を見出されて二所ノ関部屋に入門し、中学在学中の1971年(昭和46年)7月場所に初土俵を踏んだ。東京で名を上げるために泣いて反対する母を振り切っての入門であった。1975年9月3日の押尾川部屋独立騒動では17代押尾川の側についたが、移籍は認められず二所ノ関部屋に残留することになった。1980年1月場所に新十両へ昇進。
もっと読む
大山 三喜雄(おおやま みきお、1955年10月29日 - … 大山 三喜雄(おおやま みきお、1955年10月29日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道帯広市出身。白樺学園高等学校を経て王子製紙所属時代にインスブルックオリンピックに日本代表として出場した。 1976年インスブルックオリンピックでは500m18位、1000m24位だった。1977年と1978年の全日本スプリントスピードスケート選手権大会を連覇。 現役引退後は王子製紙スケート部でコーチ・監督を務め、ソルトレイクシティオリンピック代表チームのコーチも務めた。
もっと読む
志穂美 悦子(しほみ えつこ、1955年10月29日 - )… 志穂美 悦子(しほみ えつこ、1955年10月29日 - )は、日本の女優・歌手・フラワーアーティスト。 海外ではSue Shiomiの名で知られる。日本で初めて女優自らスタント・擬斗を演じ、1970年代から1980年代にかけて活躍した。ジャパンアクションクラブ(JAC)が初めて輩出した女優でもある。愛称は悦っちゃん。2024年より鬼無里 まり(きなさ まり)名義でも活動。 本名は長渕 悦子(ながぶち えつこ)。旧姓は塩見(しおみ)。岡山県西大寺市出身。身長163cm。B80cm、W60cm、H84cm(1976年2月)。 父親が大蔵省印刷局に勤務する国家公務員の家庭に長女として生まれた。弟が一人いる。
もっと読む
小川 良樹(おがわ よしき、1955年10月29日 - )は… 小川 良樹(おがわ よしき、1955年10月29日 - )は、日本のバレーボール指導者。愛知県名古屋市出身。 早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部を卒業後、早稲田大学教育学部教育学科体育学を専修する。 1981年から下北沢成徳高等学校でバレー部監督を務める。2002年に開催された春高バレー(第33回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)で三田尻女子を下し初優勝を飾る。その年は、インターハイ(全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会)と国民体育大会バレーボール競技でも優勝を果たし、3大大会の3冠を達成した。 同校の同部からは、多数のバレーボール日本女子代表選手を輩出している。 2022年3月に開催されたさくらVOLLEY(第27回全国私立高等学校男女選手権大会)後に今季をもって監督を退任することを明かした。
もっと読む
国峰 淳(くにみね じゅん、1955年10月29日 - )は… 国峰 淳(くにみね じゅん、1955年10月29日 - )は、日本の実業家。日亜鋼業株式会社代表取締役社長を経て、同社取締役相談役。 群馬県出身。1978年東北大学経済学部卒業、新日本製鐵入社。2000年から新日本製鐵釜石製鐵所総務部長を務め、新日鐵釜石製鐵所ラグビー部を、地域密着型のクラブチーム化し、釜石シーウェイブスを設立するなどした。2003年新日本製鐵東北支店長。 2005年日鐵建材工業企画財務部担当部長。2008年日鐵建材工業取締役(企画財務部長委嘱)。2011年日鐵住金建材常務取締役(企画財務、営業管理に関する事項管掌、台湾プロジェクト推進班長委嘱)。2013年日鐵住金建材常務取締役(建築商品事業部門長委嘱、営業管理に関する事項管掌)。
もっと読む
関口 久雄(せきぐち ひさお、1954年10月29日 - )… 関口 久雄(せきぐち ひさお、1954年10月29日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手。 浦和市立南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)卒業後、三菱重工サッカー部(現:浦和レッドダイヤモンズ)に所属。日本代表としても、国際Aマッチ3試合に出場し1得点した。 現役引退後は浦和レッドダイヤモンズの育成部・強化部に属し、スカウトとして山田暢久や永井雄一郎等の獲得に尽力した。またその一方で、日本テレビ系列番組とんねるずの生でダラダラいかせて!!に木梨憲武・田口光久・川添孝一等と「FC・のりの」の一員として出演していた。
もっと読む
藍 とも子(、1954年〈昭和29年〉10月29日 - )は… 藍 とも子(、1954年〈昭和29年〉10月29日 - )は、日本の女優。本名、村上 ふみ代(むらかみ ふみよ)。神奈川県川崎市出身。川崎市立高津高等学校卒業。office nine所属。 高校生時代、講談社の男性ファッション誌『チェックメイト』編集部で働いていた友人から『週刊少女フレンド』で表紙を飾る浅田美代子が抱っこをする犬を貸してほしいという連絡を受け、講談社の写真スタジオに連れて行った際、そこにいた関係者の声で『チェックメイト』に写真が掲載されることになる。 1973年に高校卒業後、六本木の交差点でセンチュリープロモーションにスカウトされてCMモデルとなる。のちに事務所の勧めで俳優デビューを勧められ、1974年に特撮テレビドラマ『ウルトラマンレオ』(TBS)第17話に城南スポーツクラブの練習生役でカメラテストを兼ねて出演し、第26話から松木晴子隊員役で準レギュラーとして出演し、女優デビュー。
もっと読む
福岡智彦(ふくおか ともひこ、1954年10月29日 - )… 福岡智彦(ふくおか ともひこ、1954年10月29日 - )は、日本の音楽プロデューサー、実業家。大阪府出身。「福岡知彦」の名義を使用することもある。妻は歌手の太田裕美。太田との間に息子が2人いる。
もっと読む
松岡 心平(まつおか しんぺい、1954年10月29日 - … 松岡 心平(まつおか しんぺい、1954年10月29日 - )は、日本の能楽研究者、東京大学名誉教授。 岡山県生まれ。父は山陽新聞社長・松岡良明(1918-1995)。父の意向で法学部進学を目指すが、20歳の時、観世寿夫による仕舞「藤戸」を見て、「地獄がせりあがってくるような」舞台に衝撃を受け、能楽研究の道に入る。また研究の一方で「橋の会」運営に参加し、廃曲となった能の復曲・上演などの実践的活動にも携わっている。 岡山操山高等学校卒、1978年東京大学文学部国文科卒業、1984年同大学院人文科学研究科国語国文学専門課程博士課程満期退学、1987年東京大学文学部国語学科専任講師、1988年東大教養学部専任講師、1990年助教授、2001年同総合文化研究科教授。
もっと読む
岡口 憲義(おかぐち のりよし、1954年10月29日 - … 岡口 憲義(おかぐち のりよし、1954年10月29日 - )は、日本の地方公務員。神戸市副市長、神戸観光局副会長を経て神戸空港ターミナル取締役副会長。瑞宝中綬章受章。 ヤミ専従問題への対処などにあたり、記者会見では「大量の懲戒処分者が出たことを心から反省する」と謝罪した。 神戸空港ターミナル株式会社取締役副会長、一般財団法人関西観光本部評議員等兼務。
もっと読む
趙 宏偉(ちょう こうい、Chou Koui, Zhao H… 趙 宏偉(ちょう こうい、Chou Koui, Zhao Hongwei, 1954年10月29日 - )は、日本在住の中国人政治学者。専門は中国政治・東アジア国際関係。 中国・遼寧省生まれ。吉林大学を卒業し記者などの職業を経験した後、1986年に日本に留学。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程、博士課程を学び、1993年に博士(学術)の博士号を取得。現在、法政大学キャリアデザイン学部教授。 2015年5月、日本観光に殺到する中国人向けに 「日本観光の美景と幻覚」という文章を公開、その中で「 93%の日本人が中国嫌いであり、彼らの多くが中国に旅行に行きたくないと考えている」と発信した。
もっと読む
木村 紀之(きむら のりゆき、1953年10月29日 - )… 木村 紀之(きむら のりゆき、1953年10月29日 - )は、日本の電気工学者・エネルギー工学者。大阪工業大学工学部電気電子システム工学科元教授。博士(工学)(大阪大学)。電気学会フェローおよび元電力技術委員会・パワーエレクトロニクス機器の制御技術調査専門委員会・新しい電力エネルギーシステムの要素技術協同研究委員会委員長。元近畿電力利用合理化委員会副委員長・審査部会長。元IEEE-Industrial Electronics Society Japan Chapterチェア。日本学術振興会科学研究費委員会2013-2014専門委員。 専門は、パワーエレクトロニクス・電力工学(直流送電HVDC含む)、環境エネルギー・エネルギー工学(特に風力発電)。
もっと読む
北井 久美子(きたい くみこ、1952年〈昭和27年〉10月… 北井 久美子(きたい くみこ、1952年〈昭和27年〉10月29日 - )は、日本の弁護士、労働・厚生労働官僚。 京都府出身。京都府立綾部高等学校を経て、1976年(昭和51年)3月、東京大学法学部を卒業。東京大学在学中に司法試験に合格した。 1976年(昭和27年)4月、労働省に入省。 労働省入省後、雇用政策や雇用均等行政に携わり、男女雇用機会均等法の改正、パートタイム労働法の改正などにあたった。職業安定局業務指導課課長補佐、婦人局婦人政策課課長補佐、職業安定局雇用保険課課長補佐、労働省大臣官房総務課課長補佐、職業安定局雇用政策課企画官、同局地域雇用対策課長、婦人局婦人福祉課長、同局婦人政策課長、女性局女性政策課長、厚生労働省大臣官房審議官などを歴任。
もっと読む
江原 由美子(えはら ゆみこ、1952年10月29日 - )… 江原 由美子(えはら ゆみこ、1952年10月29日 - )は、日本の社会学者。日本を代表するフェミニストの一人として、日本のフェミニズム理論に大きな功績を残した人物である。 旧東京都立大学名誉教授。横浜国立大学教授を経て、大妻女子大学人間生活文化研究所特別研究員。2005年より社団法人神奈川人権センター理事長。専門は、女性学、ジェンダー論、理論社会学。博士(社会学)(東京大学・2002年)。神奈川県生まれ。 1980年代に、キャリア初期の研究として、アルフレッド・シュッツの現象学的社会学に関する研究を行った。同じ時期に刊行された論考「差別の論理とその批判」は、「日本語圏の差別論にとって古典的な論文」と評されている。
もっと読む
宮田 利男(みやた としお、1952年10月29日 - )は… 宮田 利男(みやた としお、1952年10月29日 - )は、将棋棋士。棋士番号110。秋田県大曲市(現在の大仙市の一部)出身。高柳敏夫名誉九段門下。 奨励会入会が16歳という遅いスタートであったが、1972年、20歳で四段となりプロ入りする。 宮田の戦績には棋戦優勝やタイトル戦登場がない。しかしながら、準優勝などの活躍(後述)は何度もあり、通算勝率5割以上を長らくキープしていた(通算対局数1000局到達の前後から5割を割っている)。タイトル戦昇格1年目の第31期王座戦では、兄弟子の中原誠と挑戦者決定戦を戦って敗れた。 順位戦への参加は1999年度限りとし、フリークラス宣言をした。 2017年3月31日、フリークラス規定により同年度の最終対局をもっての引退が確定。
もっと読む
代田 智明(しろた ともはる、1951年10月29日 - 2… 代田 智明(しろた ともはる、1951年10月29日 - 2017年10月28日)は、日本の中国文学者、元東京大学教授。地域文化(中国現代文学)専攻。 東京都に生まれる。東京都立西高等学校を経て、1976年東京大学文学部中国文学専修を卒業した。引き続き同大学大学院に進み、1978年に修士課程を修了した。 茨城大学、東京女子大学を経て、1993年に東京大学教養学部助教授となり、1998年に総合文化研究科教授に就任した。 学外では日本現代中国学会事務局長などを担当した。 2017年3月、定年で東京大学を退職し、同年10月28日に死去。
もっと読む
小倉 蒼蛙(おぐら そうあ、1951年〈昭和26年〉10月2… 小倉 蒼蛙(おぐら そうあ、1951年〈昭和26年〉10月29日 - )は、日本の俳優、俳人、歌手、元子役である。旧芸名は小倉 一郎。作詞・作曲時のペンネーム、秋山 啓之介。 東京新宿で生まれ、すぐに両親の故郷の鹿児島県へ移住し(甑島列島の下甑村、現在の薩摩川内市の一部)、小学1年の夏から再び東京中野区で、小学校3年生から板橋区長後町で育つ。日本大学豊山高等学校中退。大判社所属。 2023年、がん克服を機に生まれ変わったという気持ちから、芸名を小倉一郎から俳号と同じ小倉蒼蛙に改名した。 中村錦之助や大川橋蔵に憧れ、小学校3年から、東映のエキストラになり、1960年に9歳で子役として活動を開始し、1962年の美空ひばり主演『べらんめえ芸者と大阪娘』、1964年『飢餓海峡』(内田吐夢監督)などに出演。
もっと読む
小倉 一郎(おぐら いちろう、1951年10月29日 - )… 小倉 一郎(おぐら いちろう、1951年10月29日 - )は、鹿児島県出生(東京都新宿区育ち[要出典])の俳優である。日本大学豊山高等学校中退[3]。テロワールに所属していた。
もっと読む
金子 正一郎(かねこ しょういちろう、1951年10月29日… 金子 正一郎(かねこ しょういちろう、1951年10月29日 - )は、日本の地方公務員。東京都交通局長や、はとバス代表取締役社長を務めた。 東京都で郵便局員の子として生まれる。6畳1間の寮に一家5人で暮らし、1975年に中央大学法学部を卒業後、東京都庁に入庁した。労働局配属。1994年東京都住宅局住宅政策室計画調査担当課長。1998年東京都住宅局参事。2000年東京都都市計画局参事(多摩都市モノレール総務部長)。2002年東京都知事本部危機管理調査担当部長。2003年東京都総務局総合防災部長。2004年東京都交通局総務部長。東京都交通局次長を経て、2008年東京都交通局長。2011年はとバス代表取締役社長に就任。
もっと読む
山口 正介(やまぐち しょうすけ、1950年10月29日 -… 山口 正介(やまぐち しょうすけ、1950年10月29日 - )は、日本の作家、エッセイスト。 山口瞳の長男として東京都に生まれる。桐朋中学校・高等学校を経て桐朋学園短期大学演劇科卒。 舞台演出家ののち、映画評論、小説、父母の思い出などを書く。
もっと読む
金原亭 駒三(きんげんてい こまぞう、1949年〈昭和24年… 金原亭 駒三(きんげんてい こまぞう、1949年〈昭和24年〉10月29日 - )は、落語協会所属の落語家。佐賀県嬉野市塩田町出身。本名∶広橋 明洋。出囃子∶井出の山吹、定紋∶裏梅。 東京都立葛飾野高等学校卒業後1967年2月、十代目金原亭馬生に入門。翌々年1月、前座となり「駒三」と名乗る。 1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、三遊亭梅生、立川談十郎、三遊亭楽松と共に二ツ目昇進。 1982年4月に三遊亭小歌、初代月の家小圓鏡、柳家さん枝、林家えび蔵、林家ばん平と共に真打昇進。
もっと読む
寺沢 高栄(てらさわ たかえ、1949年10月29日 - )… 寺沢 高栄(てらさわ たかえ、1949年10月29日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(投手)、指導者。 長野中央高ではエースを務める。 1967年、サンケイアトムズに入団。1970年オフ、球団からフロント入りを要請されたが辞退し、自由契約選手としてヤクルトアトムズからロッテオリオンズに移籍。1972年、怪我のため一軍公式戦に出場がないまま任意引退となった。 2011年、東京ヤクルトスワローズジュニアのコーチを務めた。 2013年、中学女子硬式クラブチーム「モンスターレディース」の初代監督に就任し、1年間務めた。
もっと読む
高橋 英二(たかはし えいじ、1949年10月29日 - )… 高橋 英二(たかはし えいじ、1949年10月29日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
もっと読む
中村正則(なかむら まさのり 1948年10月29日 - )… 中村正則(なかむら まさのり 1948年10月29日 - )は、日本の官僚。宮崎県出身
もっと読む
内桶 文清(うちおけ ふみきよ、1948年10月29日 - … 内桶 文清(うちおけ ふみきよ、1948年10月29日 - )は、日本の実業家。住友電装代表取締役社長や、同社取締役会長、住友電気工業代表取締役副社長、ジェイ・パワーシステムズ取締役会長等を歴任した。電気通信協会賞受賞。 1971年東京理科大学工学部卒業、住友電気工業入社。労働組合執行委員長等を経て、2003年執行役員情報通信事業本部副本部長。2004年常務執行役員情報通信ソリューション営業本部長。2005年常務取締役情報通信営業本部長に昇格。2006年住友電装取締役執行役員副社長。2007年から自動車事業本部副本部長兼住友電装代表取締役社長を務め、住友電装子会社の統合によりSWS西日本を発足させた。
もっと読む
緒方 靖夫(おがた やすお、1947年10月29日 - )は… 緒方 靖夫(おがた やすお、1947年10月29日 - )は、日本の政治家。日本共産党中央委員会幹部会副委員長、同国際局長。東京都千代田区出身。参議院議員(2期)を務めた。 東京都立新宿高等学校、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。 大学在学中に共産党へ入党。日本共産党とルーマニア共産党の蜜月期の1971年7月から2年間、ルーマニアのブカレスト大学特別専攻課程に留学。帰国後、党国際部に勤務。 1979年3月から5年間、『赤旗』パリ特派員を務める。 帰国後、党国際部長、赤旗外信部長、英字紙『デートライン・トウキョウ』編集長などを歴任し、1985年に党幹部会委員に就任。1986年に神奈川県警察本部警備部公安第一課によって自宅が盗聴されていることが発覚した。
もっと読む
竹田 青嗣(たけだ せいじ、1947年〈昭和22年〉10月2… 竹田 青嗣(たけだ せいじ、1947年〈昭和22年〉10月29日 - )は、日本の哲学者・文芸評論家・音楽評論家。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学国際教養学部教授。大学院大学至善館教授。在日韓国人二世。 『〈在日〉という根拠』(1983年)で登場し、フッサールの現象学に影響を受けて独自の現象学を構築。人間論を中心に幅広く批評を展開する。著書に『自分を知るための哲学入門』(1990年)、『近代哲学再考』(2004年)など。 通常用いている韓国名は、姜修次(カン・スチャ、강수차)。戸籍名は、姜正秀(カン・ジョンス、강정수)。「竹田青嗣」は、太宰治の小説「竹青」から付けた筆名であり、日本名ではない。 大阪府出身。
もっと読む
松本 一路(まつもと いちろ、1947年10月29日 - )… 松本 一路(まつもと いちろ、1947年10月29日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサーで、2007年11月から嘱託職、現在日本体育大学体育学部講師を兼務。 香川県立高松高等学校、早稲田大学教育学部卒業。1971年NHK入局。スポーツアナウンサーとして野球中継を中心に担当した。1992年9月11日に延長15回引き分け・6時間26分の激闘となった阪神タイガース対ヤクルトスワローズの実況を担当した際には、「十五万語喋ったアナウンサー」として翌日の新聞にも掲載された。
もっと読む
田中 佐和(たなか さわ、1947年10月29日 - )は宗… 田中 佐和(たなか さわ、1947年10月29日 - )は宗教法人神霊の家教主。 大阪府大阪市出身。神霊の家創始者田中穂光の次女として生まれた。 中学生の頃にはラジオ大阪の番組に出演、また帝塚山学院短期大学の学生となった頃から朝日放送の制作番組である「仁鶴・きよしのただいま恋愛中」に出演した。この番組は一時期、中断されたが全国放送だったために、人気となり知名度があがり、1976年には「お答えいたします」というシングルもリリースされた(ブラックレコード BC-1008、ユニット名:ニッチモ&サッチモ+田中佐和)。 判断を答える時に、拍手を2回打って必ず「お答え、いたし、ます。」と言ってから答え始めるので、当時の話題となった。
もっと読む
35代 木村 庄之助(さんじゅうごだい きむら しょうのすけ… 35代 木村 庄之助(さんじゅうごだい きむら しょうのすけ、本名:内田 順一(うちだ じゅんいち)、1946年10月29日 - )は、大相撲の立行司の一人。立浪部屋所属。 宮崎県延岡市出身。小学生の頃から相撲に夢中で、初代若乃花の大ファンであった。元十両・松恵山が切り盛りしていたちゃんこ店『松恵』へ松恵山に「行司になりたい」と話しに行き、最初は断られたが熱心に頼み込むと「それなら俺が頼んでやるよ」と承諾された。延岡市立南方中学校卒業後、1962年に松恵山が在籍していた立浪部屋に入門。初名木村順一で初土俵を踏む。 順一を名乗っていた70年代前半(北・玉時代)より幕内取組の場内アナウンスを担当していたが、行司のかけ声の時とは違い、幕内土俵入りの力士紹介で「◯◯県出身、△△部屋」など滑舌が良く、明瞭でよく通る声が印象に残る。
もっと読む
小栗 康平 (おぐり こうへい、1945年〈昭和20年〉10… 小栗 康平 (おぐり こうへい、1945年〈昭和20年〉10月29日 - )は、日本の映画監督。 1945年、群馬県前橋市朝日町に生まれる。群馬県立前橋高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部に進み1968年に卒業。まずはピンク映画の世界に飛び込んだが、ほどなく浦山桐郎の下に弟子入りする。その後、フリーの助監督として、山本迪夫、大林宣彦、篠田正浩らの助監督を務めた。この間、1973年に特撮テレビドラマ『流星人間ゾーン』で監督を務めている。 1981年1月に、宮本輝原作による処女作『泥の河』を発表。第55回キネマ旬報ベスト・テン第1位に選出され、第5回日本アカデミー賞で最優秀監督賞を受賞した。国外でもモスクワ国際映画祭で銀賞を受賞し、第54回アカデミー賞では外国語映画賞にノミネートされた。
もっと読む
西城 正明(さいじょう まさあき、1945年〈昭和20年〉1… 西城 正明(さいじょう まさあき、1945年〈昭和20年〉10月29日 - )は、日本プロボウリング協会の元プロボウラー。元永久シードプロ。元歌手。本名・大野正昭。8人兄弟で五月みどりを姉、小松みどりを妹、西川哲(五月の息子)を甥に持つ。 東京都江東区出身。実家は江戸川区平井で精肉店と芝居小屋を営んでいた。男4人女4人の8人きょうだい。城西高等学校では野球部に所属、法政大学に進学するも、身長164cmと小柄であったことと1年後に山本浩二、田淵幸一といった大物即戦力が入部するという情報を聞き野球部への入部を思い留まる。在学中に姉を頼りクラウン系の歌手として活動を始める。芸名を母校である城西を逆さにした西城正明としてデビューするものの姉の五月みどりのように売れることは無かった。
もっと読む
江崎 正道(えざき まさみち、1944年10月29日 - )… 江崎 正道(えざき まさみち、1944年10月29日 - )は、日本の実業家。グリコ栄養食品元会長。丸石製薬監査役(非常勤)。江崎グリコ創業者江崎利一の孫。江崎グリコ社長江崎勝久の弟。
もっと読む
柿内 愼市(かきうち しんいち、1944年10月29日 - … 柿内 愼市(かきうち しんいち、1944年10月29日 - )は、日本の銀行家。徳島大正銀行元取締役会長。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
もっと読む
曽我 祐典(そが ゆうすけ、1944年10月29日 - )は… 曽我 祐典(そが ゆうすけ、1944年10月29日 - )は、日本のフランス語学者。関西学院大学名誉教授。 中国天津生まれ。1968年東京外国語大学フランス語科卒、75年同大学院修士課程修了。70-73年パリ第3大学に学ぶ。1975年関西学院大学文学部助手、講師、助教授、教授。91年「フランス語における状況の表現法の研究」で関西学院大学より文学博士の学位を取得。2015年定年、名誉教授。
もっと読む
川本勝(かわもと まさる、1943年10月29日 - )は、… 川本勝(かわもと まさる、1943年10月29日 - )は、日本の社会学者、駒澤大学名誉教授。 広島県生まれ。1967年東京学芸大学社会科教育卒、70年同大学院教育学研究科修士課程修了、東京造形大学講師、77年助教授、1981年駒澤大学文学部助教授、教授。2014年定年退任、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
伊藤 圭祐(いとう けいすけ、1943年10月29日 - 2… 伊藤 圭祐(いとう けいすけ、1943年10月29日 - 2006年12月5日)は、日本の競泳選手。愛知県名古屋市出身。 1962年アジア競技大会の200m背泳ぎで金メダルを獲得した。 1964年の東京オリンピックに出場、準決勝で敗退している。 日本選手権水泳競技大会の100m背泳ぎで1965年に優勝している。 イトマンスイミングスクールの理事を務めた。 2006年12月5日、神奈川県川崎市多摩区の病院で多臓器不全のため63歳で亡くなった。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
もっと読む
門松 正宏(かどまつ まさひろ、1942年〈昭和17年〉10… 門松 正宏(かどまつ まさひろ、1942年〈昭和17年〉10月29日 - 2023年〈令和5年〉6月21日)は、日本の実業家。元旭硝子株式会社代表取締役兼社長執行役員・会長執行役員・CEO。ガラス産業連合会会長、日本化学工業協会副会長、財団法人日本産業技術振興協会役員。ベルギー王国より王冠勲章コマンドール章(Commander of the Order of the Crown)を受勲。
もっと読む
浜畑 賢吉(はまはた けんきち、1942年〈昭和17年〉10… 浜畑 賢吉(はまはた けんきち、1942年〈昭和17年〉10月29日 - 2024年〈令和6年〉7月2日)は、日本の俳優。大阪芸術大学教授・舞台芸術学科長。 妻は上村香子。うたた賢は実弟。オフィス・ミヤモト所属。 東京都出身。東京都立広尾高等学校卒業、東海大学工学部機械工学科中退。 劇団俳優座養成所第15期の出身。養成所修了後の1966年、劇団四季に入団。 1968年のテレビドラマ『進め!青春』で新米教師・高木進役を演じて当たり役となる。 第一生命ホールで上演された『カナマゾフの兄弟』で初舞台を踏み、日生劇場などで上演された『コーラスライン』は、1979年の初演以来、主人公のザック役として800回以上にわたって出演した。
もっと読む
谷 正紀(たに まさのり、1942年10月29日 - )は、… 谷 正紀(たに まさのり、1942年10月29日 - )は、三菱自動車工業元代表取締役副社長、成蹊中学校・高等学校元校長。 愛知県名古屋市出身。1966年に成蹊大学工学部卒業後、同年4月に三菱重工業入社。1970年4月に、三菱自動車工業株式会社分社に伴い同社に移籍した。
もっと読む
黒川 豊久(くろかわ とよひさ、1941年10月29日 - … 黒川 豊久(くろかわ とよひさ、1941年10月29日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校時代は1958年、1959年と2年連続で夏の甲子園に出場。 1960年に西鉄ライオンズへ入団。1961年9月27日に平和台野球場で行われたウエスタン・リーグ対広島東洋カープ戦では満塁ホームランを2本打ち10打点を記録した。
もっと読む
菊地 董(きくち ただす、1941年(昭和16年)10月29… 菊地 董(きくち ただす、1941年(昭和16年)10月29日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(1期)。 静岡県田方郡修善寺町(現・伊豆市)出身。日本社会事業大学中退。その後、佐々木更三の秘書を務め、会社を経営する。 1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙で、静岡7区に社会民主党から立候補して落選。2000年(平成12年)2月22日、前島秀行の死去により、重複立候補していた比例代表東海ブロックから繰上当選となった。同年6月の第42回総選挙で静岡県第5区に立候補し、落選した。 その後、(株) アジア太平洋センター代表取締役に就任した。
もっと読む
田島 治子(たじま はるこ、1941年10月29日 - 20… 田島 治子(たじま はるこ、1941年10月29日 - 2013年10月17日)は、日本の実業家。サカイ引越センター創業者、元社長(前取締役副会長)。アートコーポレーションの寺田千代乃と並ぶ引っ越し専業者の二大女性社長といわれた。広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市)出身。 広島県立因島高等学校卒業。幼稚園の保母をしていたが、小さな運送会社「新海商運」の長男であった田島憲一郎と見合いをして、1962年、22歳で結婚。大阪に出る。1971年、夫・憲一郎が父親と意見が合わず飛び出し、独立。大阪市を本拠にしていた実家と揉めないようにトラック2台で堺市に「新海商運」堺営業所を夫婦で設立した。当初は運送業に徹していたが、一般運送は古くからある業界で新規参入が難しく、また規制でがんじがらめで、やがて経営難となる。
もっと読む
鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日 - … 鳥海 永行(とりうみ ひさゆき、1941年10月29日 - 2009年1月23日)は、日本のアニメーション監督、演出家、小説家。神奈川県伊勢原市出身。中央大学法学部政治学科卒。 アニメーションの監督として、その演出は非常にシャープで完成されたものであり、同じアニメ監督の押井守に強い影響を与えている。押井は鳥海のことを「師匠」と公言している。「演出家であろうがアニメーターであろうが、やりたい奴にやらせてはいかん。こっちがやらせたい奴にやらせろ」というのが持論で、押井も参考にしているという。そのため、「やりたい」と自ら手を上げる人間よりも彼自身が「こいつは才能がある」と思う人間を重視し、そうではない人間は早々に切っていたという。
もっと読む
山下 直家(やました ただいえ、1941年10月29日 - … 山下 直家(やました ただいえ、1941年10月29日 - )は、日本の経営者。阿波銀行頭取を務めた。 東京都出身。1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1994年6月に阿波銀行副頭取に就任し、1996年6月には頭取に昇格。2002年6月に会長、2008年6月に相談役を経て、2012年5月には顧問に退いた。 2005年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
西田 美昭(にしだ よしあき、1940年10月29日 - 2… 西田 美昭(にしだ よしあき、1940年10月29日 - 2012年10月19日)は、日本の歴史学者。専門は日本経済史。東京大学名誉教授。東京大学社会科学研究所教授・オックスフォード大学客員教授・ミラノ大学客員教授等を歴任。 東京都出身。東京都立豊多摩高等学校を経て1964年横浜国立大学経済学部卒業、1966年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1969年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学での指導教官は古島敏雄と永原慶二。永原とともに山梨の農村調査に行き、共同研究論文「日本地主制の構成と段階」を著す。1969年一橋大学経済学部助手(特別研究員)就任。労働組合活動に力をいれ、指導教官の永原らから注意を受ける。
もっと読む
名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は… 名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は、日本の振付家。日本ジャズダンス芸術協会専務理事、日本振付家協会理事、名倉ジャズダンススタジオ主宰。新潟県新潟市出身。 四人姉妹の次女として新潟県新潟市で生まれる。 新潟大学教育学部附属新潟小学校在学中に銀行員だった父親の転勤で福井県福井市に転居。 12歳で竹部玲子バレエ団に入り、ダンスを始める。1959年、福井県立藤島高等学校卒業後に姉妹3人で上京。竹部玲子バレエ団に在籍しながらショー番組やステージに出演する。1960年、当時、日本テレビのディレクターだった井原髙忠が結成したスタジオNo.1ダンサーズ初代メンバーの一員となり、『シャボン玉ホリデー』などテレビや舞台に出演する。
もっと読む
安野 眞幸(あんの まさき、1940年10月29日 - )は… 安野 眞幸(あんの まさき、1940年10月29日 - )は、日本史学者、弘前大学名誉教授。対外交渉史が専門。 神奈川県横須賀市に生まれる。1964年東京大学文学部国史学科卒、1973年同大学院博士課程単位取得満期退学、弘前大学教養部助教授。1989年『バテレン追放令』でサントリー学芸賞受賞、その後教授。2006年定年退官して名誉教授、聖徳大学教授。2011年定年退職。 中世日本の下人、長崎市におけるバテレン追放令、平戸・横瀬浦・長崎などの貿易港、楽市・楽座、唐人屋敷についての研究を行なっている。貿易港と関わった商業民族や対外交易者は、共同体の境界線に属する二重所属的な人々であり、こうした集団が市民社会の形成を担ったと論じている。
もっと読む
加茂 周(かも しゅう、1939年10月29日 - )は、兵… 加茂 周(かも しゅう、1939年10月29日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 長兄の加茂豊は毎日放送元社員でゴールキーパーとして1958年アジア大会で日本代表に選出された経験を持ち、弟の加茂建は加茂商事(サッカーショップ加茂を展開、傘下にジャパン・スポーツ・プロモーション、ソル・スポーツマネージメント)の社長である。 なお、1936年ベルリンオリンピックサッカー日本代表の加茂健・加茂正五との血縁関係はない。 関西学院大学卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部(現:セレッソ大阪)での選手生活を経て、1967年に指導者に転じた。1974年に日本人初のプロ契約監督として日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)の監督に就任。
もっと読む
野田 嶺志(のだ れいし、1939年10月29日 - 200… 野田 嶺志(のだ れいし、1939年10月29日 - 2007年6月23日)は、日本史学者。立教大学名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む