橋本 辰二郎(はしもと たつじろう、1868年6月30日〈明… 橋本 辰二郎(はしもと たつじろう、1868年6月30日〈明治元年5月11日〉- 1951年〈昭和26年〉4月12日)は、明治末から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。位階は正五位。勲等は勲二等。 豊前国、のちの大分県で橋本建平の二男として生まれる。1885年(明治18年)3月、伯父橋本雄造の養子となった。専修学校(現専修大学) を修了し、1911年(明治44年)家督を相続した。 1906年(明治39年)以降、長崎商業会議所会頭、橋本汽船社長、福洋汽船社長、橋本商事社長、山下コークス社長、日本タイプライター社長、九州汽船社長、長崎製鉄社長、長崎県商工経済会会頭などを務めた。 政界では長崎市会議員に選出された。
玉井 喜作(たまい きさく、慶応2年5月18日(1866年6… 玉井 喜作(たまい きさく、慶応2年5月18日(1866年6月30日) - 1906年(明治39年)9月25日)は、日本のジャーナリスト、教育家、冒険家。札幌農学校でドイツ語教授を務めた後にシベリアを単身横断してドイツに渡り、月刊誌『東亜(Ost-Asien)』を刊行するなどジャーナリストとして活動した。また、在留日本人の面倒をよくみたことから「私設公使」の異名をとった。 周防国光井村(現・山口県光市光井)で「銘酒玉川」を醸造していた造り酒屋に生まれる。 山口黒城塾、広島県中学校(現・広島県立広島国泰寺高等学校)を経て、上京し獨逸学協会学校(現・獨協中学校・高等学校)に通う。同時に、遠い親戚で幼い頃から兄のように慕っていた原田貞介(後に工学博士。
斎藤 宇一郎(さいとう ういちろう、慶応2年5月18日(18… 斎藤 宇一郎(さいとう ういちろう、慶応2年5月18日(1866年6月30日) - 大正15年(1926年)5月10日)は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→立憲同志会→憲政会→革新倶楽部)、農業指導者。三男の憲三はTDKの創業者。 出羽国由利郡平沢町(現在の秋田県にかほ市)に斎藤茂介(茂助)の長男として生まれる。生家は旗本仁賀保氏の家老格の家柄であった。1890年(明治23年)、帝国大学農科大学を卒業し、一年志願兵として近衛歩兵第4連隊に入隊した。1892年(明治25年)12月20日、予備役陸軍少尉に任ぜられ、翌年に後備役となった。日清戦争がおきると召集され、海城まで従軍し、中尉に昇進した。
杉田 盛(すぎた さかり、元治元年5月27日(1864年6月… 杉田 盛(すぎた さかり、元治元年5月27日(1864年6月30日) - 1934年(昭和9年)3月6日)は、戦前日本の開業医。幼少期を沼津で過ごし、上京して医学を修め、神戸・丹後・隠岐島・盛岡で病院院長を歴任し、横浜、大森に医院を構えた。号は東江・峯州医生・梅所・槑翁。杉田玄白4世孫。 元治元年(1864年)5月27日江戸浜町山伏井戸に杉田玄端の五男として生まれた。幼名は鶴五郎。明治元年(1868年)10月、徳川宗家の転封に従い、両親・兄杉田武と共に沼津八幡町柳下知之旧宅に移った。明治2年(1869年)沼津で親戚杉田廉卿が病没すると、祖父の命でその跡を継いだ。 父に『三字経』『大統歌』『大学』『孝経』『論語』で漢学、『ウイルソン・リーダー』『ミッチェル(ロシア語版)地理書』で英学、母に習字を学んだ。
井手 三郎(いで さぶろう、文久3年5月15日(1863年6… 井手 三郎(いで さぶろう、文久3年5月15日(1863年6月30日) - 昭和6年(1931年)11月16日)は、衆議院議員(中央倶楽部→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。 肥後国飽田郡中島村(現在の熊本県熊本市西区)出身。1887年(明治20年)、済々黌を卒業。中国語を学び、漢口や北京を巡った。日清戦争の際には大本営附となり、第一軍民政庁通訳官を務めた。戦後、海軍軍令部嘱託として北京・天津を視察した。 1897年(明治30年)、福州にて「漢字新報」を創刊。翌年、貴族院議長・公爵近衛篤麿が東亜同文会を創設すると、それに参加し、上海支部長に任命された。上海租界では漢字新聞「同文滬報」を発行、1904年(明治37年)7月には邦字新聞「上海日報」の経営を引き継いだ。
西久保 弘道(にしくぼ ひろみち、1863年6月30日〈文久… 西久保 弘道(にしくぼ ひろみち、1863年6月30日〈文久3年5月15日〉- 1930年〈昭和5年〉7月8日)は、日本の内務官僚、政治家、剣道家。 福島県知事(第19代)、北海道庁長官(第13代)、警視総監(第23代)、貴族院議員(勅選)、大日本武徳会武道専門学校校長(第5代)、東京市長(第11代)を歴任した。流派は一刀正伝無刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。 三重県警部長従七位の西久保紀林の子、肥前国佐賀郡鍋島村八戸(現:佐賀市)に生まれる。司法省法学校予科を経て、東京帝国大学法科大学卒。 内務省に出仕し官吏として累進した弘道は福島県知事、北海道長官、警視総監を歴任する。その後大礼使参与を務め、その功により勲二等瑞宝章を受章。
山田 喜之助(やまだ きのすけ、1859年6月30日〈安政6… 山田 喜之助(やまだ きのすけ、1859年6月30日〈安政6年6月1日〉 - 1913年〈大正2年〉2月20日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(東京府第3区選出、当選2回)。衆議院書記官長。司法次官。東京代言人組合(東京弁護士会の前身)会長。号は奠南(てんなん)。東京専門学校、英吉利法律学校創立に関与した。 大坂・船場の商家に生まれた。八郎兵衛の二男。生家は家号を「桜井屋」といい、江戸時代から代々続いた富裕な薬種砂糖商として有名だった。母・志ようは喜之助が4歳の時に死去した。父は、6歳になった喜之助を、船場淡路町にあった儒者・藤沢南岳の泊園書院(泊園塾、現在の関西大学)に通わせた。漢学、特に漢詩の素養を身につけた。
石橋 健蔵 (いしばし けんぞう、1859年6月30日〈安政… 石橋 健蔵 (いしばし けんぞう、1859年6月30日〈安政6年6月1日〉 - 1927年〈昭和2年〉5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 丹波国多紀郡篠山町(現・兵庫県丹波篠山市)に生まれる。陸軍士官学校(旧3期)及び陸軍大学校(1期)を卒業した。以降、大阪鎮台参謀(中尉)、陸軍士官学校教官、第4師団参謀(大尉)、第1師団参謀(少佐)、中部都督部参謀、第5師団参謀長、歩兵第11連隊長(中佐)、第2師団参謀長(大佐)等を歴任し、明治38年(1905年)には、陸軍少将となり歩兵第3旅団長を拝命する。その後、歩兵第7旅団、歩兵第8旅団の各旅団長を経て、明治45年(1912年)2月27日に、陸軍中将に昇進したが同日付で予備役編入となった。
大畑 純次(おおはた じゅんじ、1854年6月30日(安政元… 大畑 純次(おおはた じゅんじ、1854年6月30日(安政元年6月6日)- 1936年(昭和11年)5月24日)は、明治から昭和前期の弁護士、政治家。衆議院議員、熊本県会議長。 肥後国、現在の熊本県熊本市で生まれた。漢学、法律学を修めた。 弁護士を開業し、熊本県弁護士会長、熊本商業会議所特別議員などを務めた。 政界では、熊本市会議員、同参事会員、熊本県会議員、同参事会員、同議長などに在任。 1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(熊本県熊本市、帝国党)で当選し、その後、大同倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した。
飯村 丈三郎(いいむら じょうざぶろう、1853年6月30日… 飯村 丈三郎(いいむら じょうざぶろう、1853年6月30日(嘉永6年5月24日) - 1927年(昭和2年)8月13日)は、日本の政治家、実業家、教育者。幼名は縫三郎 1853年(嘉永6年)5月24日[要出典]、東海道常陸国の真壁郡上妻村黒駒(旧下妻藩内、現在の茨城県下妻市黒駒)の豪農の子供として誕生した。飯村家はこの地方の豪農として知られ、名主を努めていた。 幼い頃は病弱だったが、1864年(元治元年)に[要出典]天台宗東叡山千妙寺の亮天僧正に預けられる。亮天から「衆生の恩」という教えを受け、一時は僧侶を志すが、両親に連れ戻される。 1865年(慶応元年)大病を患い回復。幼名「縫三郎」を「丈三郎」に改名する。
内山 正治(うちやま しょうじ、1851年6月30日(嘉永4… 内山 正治(うちやま しょうじ、1851年6月30日(嘉永4年6月2日)- 1911年(明治44年)1月8日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越中国婦負郡石坂村(富山県婦負郡石坂村、桜谷村を経て現富山市)で、十村役を務めた内山吉治の息子として生まれた。1864年(元治元年)富山藩の高島流兵式練修を命じられ、さらに仏式兵法を修めた。農業を営む。 1876年(明治9年)石川県越中第11大区戸長に就任。石坂村外11カ村戸長、田刈屋外23カ村戸長を歴任。その他、学務委員、村会議員、町村組合会議員、所得税調査委員、用水組合会議員なども務めた。 1888年(明治21年)富山県会議員に選出され、1892年(明治25年)まで在任。
杉田 定一(すぎた ていいち、1851年6月30日〈嘉永4年… 杉田 定一(すぎた ていいち、1851年6月30日〈嘉永4年6月2日〉- 1929年〈昭和4年〉3月23日)は、日本の政治家。衆議院議長などを務めた。号は鶉山(じゅんざん)。越前国坂井郡波寄村(現在の福井県福井市波寄町)出身。 豪農の杉田仙十郎(1820-1893)・隆(りう、-1855)夫妻の長男として生まれる。1868年(明治元年)ごろ大阪に出て外国語や理化学を学び、その後東京の三崎嘯輔の塾でドイツ語・理化学を学んだ。1873年(明治6年)にいったん波寄村にもどり、再び各地を放浪したのち、1875年(明治8年)、東京で『采風新聞』を創刊するが、筆禍事件により収監を経験した(1876年3月禁獄6か月)。
上田 農夫(うえだ のうふ、1848年6月30日(嘉永元年5… 上田 農夫(うえだ のうふ、1848年6月30日(嘉永元年5月30日)- 1895年(明治28年)8月29日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。幼名は馬太郎。 陸奥国岩手郡、のちの岩手県南岩手郡東中野村(現盛岡市)で盛岡藩士・上田長次の二男として生まれる。藩校作人館を経て1872年(明治5年)東京で遊学し、帰郷後の1876年(明治9年)岩手県に奉職する。聴訟課権少属、警部を経て、久慈警察署長、一関警察署長を歴任。1877年(明治10年)の西南戦争では官軍の新撰旅団小警部心得として出征する。自由民権運動に加わり、政治結社・求我社に加わった。1879年(明治12年)には岩手県会議員に当選し、議長を歴任した。
佐治 儀助(さじ ぎすけ、弘化元年5月15日〈1844年6月… 佐治 儀助(さじ ぎすけ、弘化元年5月15日〈1844年6月30日〉- 1917年〈大正6年〉7月26日)は、明治から大正にかけて愛知県名古屋市で活動した実業家である。大須旭廓「寿楼(壽樓)」の営業主で、名古屋電灯の取締役や名古屋劇場常務取締役も務めた。 尾張国中島郡大里村(現在の愛知県稲沢市)の出身。弘化元年5月15日(1844年6月30日)、佐治儀右衛門の長男として生まれる。明治2年8月(1869年)に分家した。 佐治は名古屋市大須にあった旭廓(1923年に大須から移転し中村遊廓となる)の「寿楼」の営業主であった。その旭廓では、1892年(明治25年)3月、大須観音境内を火元とする大須大火に巻き込まれ、廓内を焼失するという事件があった。
海野 勝珉(うんの しょうみん、天保15年5月15日(184… 海野 勝珉(うんの しょうみん、天保15年5月15日(1844年6月30日) - 大正4年(1915年)10月6日)は、日本の彫金家。幼名・竹次郎。別号は東華斎、芳州。 常陸国・水戸にて、伝右衛門の四男として生まれる。叔父にあたり水戸藩士だった初代・海野美盛に金属彫刻を学ぶ。更に美盛の紹介で、当時水戸彫金界の泰斗だった同藩士・萩谷勝平から金属工芸の諸技術を収めて、基平と名乗った。「勝珉」の名は、師・萩谷勝平の「勝」と江戸時代の名彫金家・横谷宗珉の「珉」を合わせ後に名乗ったものと考えられる。また水戸時代には、安達梅渓に絵を、武庄次郎に漢籍も学び、高い教養も身につけている。 明治初年上京、明治9年(1876年)駒込千駄木町で開業した。
葵 美哉(あおい みや、6月30日 - )は、元宝塚歌劇団・… 葵 美哉(あおい みや、6月30日 - )は、元宝塚歌劇団・専科の男役。元月組副組長。
堀田 陽一(ほった よういち、6月30日 - )は、日本の作… 堀田 陽一(ほった よういち、6月30日 - )は、日本の作曲家、作詞家、編曲家、キーボーディスト、プログラマー、サウンドディレクター・プロデューサー。いくつかの名義で活動を行っている。現在、hotta(ホッタ)名義でi-nos(アイノス)という音楽ユニットを中心に活動中。長野県茅野市出身。 幼少の頃作曲に目覚め、その後坂本龍一関連の音楽に影響を受ける。中学生の頃、音楽の教師よりシンセサイザー、KORG MS-20を譲り受け、その道を目指すことになる。MS-20は和音の出ないモノフォニックタイプだった為、ポリフォニックシンセサイザーRoland JUNO-106を手に入れ、徐々に電子音楽のノウハウを取得。
芽吹 幸奈(めぶき ゆきな、6月30日 - )は、日本の女優… 芽吹 幸奈(めぶき ゆきな、6月30日 - )は、日本の女優・歌手。元宝塚歌劇団花組の娘役。元花組副組長。 東京都世田谷区、国立音楽大学附属高等学校出身。身長163cm。愛称は「くみ」。 2002年、宝塚音楽学校入学。 2004年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に90期生として首席入団。雪組公演「スサノオ/タカラヅカ・グローリー!」で初舞台。その後、花組に配属。 歌唱に秀でた娘役として注目を集め、エトワールをたびたび務めるなど、歌手として多く起用される。 2019年4月29日付で花組副組長に就任。同年11月24日、明日海りお退団公演となる「A Fairy Tale/シャルム!」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。
鬼頭 えん(きとう えん、6月30日 - )は、日本の漫画家… 鬼頭 えん(きとう えん、6月30日 - )は、日本の漫画家・原画家・イラストレーター。 同人活動の傍ら、2000年にアダルトゲーム『はぁとでネットワーク』(Euphony Production)の原画を担当。商業誌で読み切り作品を数点発表の後、2005年より「コンプエース」(角川書店)で『ひぐらしのなく頃に 鬼曝し編』(原作:竜騎士07)と『ひぐらしのなく頃に怪 現壊し編』(同)を連載した。 「コンプエース」2008年7月号より、『戦場のヴァルキュリア』が開始され、2010年5月号で連載が完結。 RPG『ブレス オブ ファイア』シリーズ(カプコン)の大ファンであり、同人活動も同シリーズを題材にしたものが中心となっている。
本多 絵里子(ほんだ えりこ、6月30日 - )は、日本の女… 本多 絵里子(ほんだ えりこ、6月30日 - )は、日本の女性タレント。東京都出身。オスカープロモーション所属。 4人兄妹の末っ子(兄と姉2人がいる)として出生。青山学院高等部を経て、青山学院大学経済学部卒業。 大学2年の時にオスカープロモーションに入所。2000年、テレビ東京のバラエティ番組『喝!リベンジナイト』に「リベンジギャルズ」の一員としてレギュラー出演。 2003年、真川愛、青木直子と共にSKY PerfecTV!のチャンネル『全日本パチンコ・パチスロ情報局』(現:パチ・スロ サイトセブンTV)のイメージガール「全パチガール」として活動する。 2005年、108人で構成された期間限定の音楽ユニット「煩悩ガールズ」の一員として活動。
玉田 育子(たまだ やすこ、6月30日 - )は、日本の女性… 玉田 育子(たまだ やすこ、6月30日 - )は、日本の女性総合格闘家。東京都品川区出身。AACC所属。元VALKYRIEフライ級王者。 2002年10月14日、女子グラップリング大会「第1回GFC (Girl Fight Challenge)」に出場。 2004年5月16日、スマックガールのグラップリングトーナメントに出場。決勝で茂木康子と対戦し、判定負けで準優勝となった。 2005年4月29日、SGG 1Dayトーナメント2005 -48kg級に出場。決勝で尚美と対戦し、フロントスリーパーホールドで一本勝ちを収め優勝を果たした。 2006年6月11日、G-SHOOTOストロー級(-48kg)プラストーナメント決勝で吉田正子と対戦し、0-2の判定負けで準優勝となった。
北原 千琴(きたはら ちこと、本名:寺尾 真知子<てらお ま… 北原 千琴(きたはら ちこと、本名:寺尾 真知子<てらお まちこ>、寺尾は旧姓、6月30日 - )は、元宝塚歌劇団花組トップ娘役。 東京都中野区出身。東京文化学園卒業。公称身長は160cm。愛称はマチコちゃん。 幼少時より本名名義で『週刊マーガレット』、『なかよし』などの少女雑誌のモデルとして活躍。表紙を幾度も飾る人気モデルであった。 1969年、宝塚音楽学校に入学。1971年、57期生として宝塚歌劇団に入団。同期には謝珠栄、汝鳥伶、京三紗らがいる。花組公演『花は散る散る/ジョイ!』で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は55人中8位。1972年3月2日に月組に配属。 1974年、初演『ベルサイユのばら』にて少女時代のマリー・アントワネット役に抜擢。