青地 清二(あおち せいじ、1942年6月21日 - 200… 青地 清二(あおち せいじ、1942年6月21日 - 2008年8月14日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。
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青地 清二(あおち せいじ、1942年6月21日 - 200… 青地 清二(あおち せいじ、1942年6月21日 - 2008年8月14日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。
松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日… 松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。 北海道小樽市出身。小樽潮陵高校-早稲田大学-羽幌炭鉱。 1960年のスコーバレーオリンピックに出場し30位。1962年のノルディックスキー世界選手権ザコパネ大会では65m級21位、90m級25位。同年のユニバーシアード冬季大会では5位入賞を果たした。
安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年… 安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年7月25日[要出典])は、北海道余市町出身の元ノルディックスキー(スキージャンプ)選手、スキー指導者、スキージャンプ審判員。 北海道余市町大川町出身。北海道余市高等学校ではスキー部に所属。在学中、ジャンプ競技では、2年生時に全道スキー大会純ジャンプ2位、全国高等学校スキー大会2位、3年生時に全国高等学校スキー大会2位の成績を残す。 1958年(昭和33年)、札幌鉄道管理局(国鉄北海道支社、現在の北海道旅客鉄道鉄道事業本部に相当)に入社。札幌鉄道管理局スキー部に入部した。当時の札鉄スキー部は、純ジャンプに秋葉信夫、大内誠一、 距離競技では工藤誠二、谷口明見(ノルディック複合、オリンピック3回出場)らの有力選手を擁していた。
笠谷 昌生(かさや あきお、 1935年1月14日 - 2… 笠谷 昌生(かさや あきお、 1935年1月14日 - 2009年2月18日 )は、北海道後志支庁岩内郡岩内町出身のスキージャンプ選手。北海道余市高等学校卒業後明治大学に進学、4回生のときスキー部主将を務める。実弟に札幌オリンピック金メダリストの笠谷幸生がいる。 ジャンプを始めたのが高校入学直前と非常に遅かったが、それからわずか2年で大人達を打ち負かす活躍を見せ「神童」と呼ばれた。当時は余市高校スキー部黄金時代でインターハイでは同僚久蔵が優勝し早稲田大学へ、笠谷は明治へ、青山選手は日本大学へとそれぞれ進学し、各大学のスキー部主将に就き、ライバルの関係は大学入学後も続いた。主将時には自衛隊員から大学生へ進路変更した距離の年配の小西がいたが、部内では統率力を発揮し、ノルデックの部は完全優勝を果たし、インカレ総合優勝に導いた。
佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は… 佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は、1950年代に活躍した日本の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-明治大学卒業後、クロバー乳業入社。1958年会社合併により雪印乳業に移籍。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは2種目に出場、ノルディック複合で33位、ジャンプで39位の成績を残した。 1960年スコーバレーオリンピックではジャンプで22位。 1955年第33回全日本スキー選手権複合優勝。1959年第37回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。
吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 201… 吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 2013年4月7日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 ジャンプの名門北海道小樽潮陵高等学校で本格的にジャンプを始め、早稲田大学教育学部卒業後、同和鉱業で競技を続ける。冬季オリンピックに2回連続で出場した。 初出場の1952年オスロオリンピックでは36位タイ。旗手を務めた1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは1本目9位に付けたものの2本目18位で結局13位に終わった。 全日本スキー選手権を1953年第31回、1955年第33回、1958年第36回、1960年第38回と合計4回制している。
藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )… 藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )は、北海道小樽市出身で1950年代に活躍した日本の元クロスカントリースキー、ノルディック複合、スキージャンプ選手。小樽水産高校から明治大学を経て松尾鉱山。1998年の長野オリンピックでは、聖火リレーの走者を務めた。
川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )… 川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 スキーの名門旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)入学時は野球の選手で1年からセカンドのレギュラーとなったが、3年の冬にスキー部へ移り本格的にジャンプを始める。戦後明治大学に進学し、1948年の全日本学生スキー選手権大会(インカレ)で優勝、1952年のオスロオリンピック代表(42位)。
中村 圭彦(なかむら きよひこ、1926年 7月26日- 2… 中村 圭彦(なかむら きよひこ、1926年 7月26日- 2008年 3月25日)は、日本の元スキージャンプ選手、指導者、スキージャンプ台設計の世界的権威。札幌生まれ。 母方の叔父にガルミッシュ=パルテンキルヒェンオリンピックスキージャンプ代表の龍田峻次、札幌オリンピックでジャンプ競技委員長を務めた龍田鳳三の兄弟。叔父の影響で札幌一中(現在の札幌南高校)の時本格的にジャンプ競技を始め、1949年の全日本選手権で5位入賞。 現役を退いた後1957年から小樽市内の小中学生を対象にジャンプ学校を開いた。その教え子に板垣宏志や青地清二らがいる。1959年に小樽スキー連盟理事となり、1972年の札幌オリンピックではジャンプ競技副委員長を務めた。
久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 194… 久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 1945年4月28日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合選手。大日本帝国海軍軍人。神風特別攻撃隊隊員として戦死した悲劇のジャンプ選手として有名である。 1921年10月2日に北海道小樽市で生まれた。実家近く(小樽市奥沢・眞栄地区)にゲレンデが多かった影響もあり、少年時代よりスキーの才能を開花させた。1935年に旧制小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)入学後は、校内にジャンプ台・山小屋風ヒュッテ・夜間照明など恵まれた環境を活かし、メキメキ実力を上げていった。そして4年生だった1939年の第17回全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・スペシャルジャンプ少年の部で65.5m,60mのジャンプを見せ、総合点222.5の成績で優勝を果たした。
龍田 峻次(たつた しゅんじ、1914年12月23日 - 1… 龍田 峻次(たつた しゅんじ、1914年12月23日 - 1991年1月1日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。「竜田」という表記もあり。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)を経て、早稲田大学専門部商科卒業。 1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックに出場し、73.5m、77.0mを飛ぶがいずれも転倒、46位に終わる。2本目の77.0mはこの大会最長の飛距離だった。 引退後はスコーバレー・グルノーブル両オリンピックでスキーチームの監督をつとめ、その後も全日本スキー連盟の常任理事を務めるなど、スキー界に携わった。実弟の龍田鳳三も元ジャンパーでスキー連盟常任理事などを歴任。
宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005… 宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005年6月21日)は、北海道小樽市出身のスキージャンプ選手。宮島の表記もある。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)4年時にジャンプを始めた。中学卒業後、小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)に進む。 高等商業学校在学中の1936年にガルミッシュ・パルテンキルヒェンオリンピックに出場、31位だった。本人は「恥ずかしいばかりの成績」と不本意な結果だった。 当時主流だった両腕を前に伸ばして前傾するフォームではなく、現在において主流になっている両腕を身体に添えるフォームを用いていたという。
安達 五郎(あだち ごろう、1913年1月1日 - 1999… 安達 五郎(あだち ごろう、1913年1月1日 - 1999年9月13日)は、1930年代に活躍した日本の元スキージャンプ選手。 1913年、北海道余市郡赤井川村出身で牧場を営んでいた安達正平(のちに第17代赤井川村村長)の5男として生まれる。旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)- 鉄道省札幌鉄道局(札鉄、現・JR北海道鉄道事業本部)、伊黒正次は旧制小樽中学の同期生である。 オリンピックに2大会連続で出場、19歳で出場した1932年のレークプラシッドでは8位に入賞するも、1936年ガルミッシュ=パルテンキルヒェンでは45位と振るわなかった。1936年のホルメンコーレン大会では3位に入賞している。
関口 勇(せきぐち いさむ、1910年10月28日 - 未詳… 関口 勇(せきぐち いさむ、1910年10月28日 - 未詳)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合、アルペンスキー選手。 旧制北海商業学校 → 札幌鉄道管理局 → 北海道帝国大学若労会 中学時代からジャンプの選手として知られ、卒業後はノルウェースキー連盟副会長のオラフ・ヘルセット中尉の指導を受けた。飛型の美しさには定評があり、日本で初めて本場北欧のジャンプを身につけた選手と言われる。1930年の第8回全日本スキー選手権大会ジャンプ競技で優勝。1932年レークプラシッドオリンピックの日本代表に選出されるが、大会直前に病気で途中帰国した。 その後ノルディック複合に転向し、1935年の全日本スキー選手権大会ノルディック複合で優勝、翌1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックの代表に選出される。
山田 勝巳(やまだ かつみ、1905年 6月6日 - 197… 山田 勝巳(やまだ かつみ、1905年 6月6日 - 1970年)は、日本のノルディック複合、スキージャンプ選手。1932年レークプラシッドオリンピック日本代表。 北海道札幌市生まれ。北海中、北海道帝国大学農学部林学科卒業後、1929年に青森県の大鰐営林署へ就職。青森林友会所属で競技を続けた。 1932年レークプラシッドオリンピックスキージャンプで32位、ノルディック複合32位。 のちに鰺ヶ沢営林署をへて北海道庁へ異動。一方で全日本スキー連盟技術委員や複合部長などを歴任した。 理論家肌で逆転の発想をよくすることから””逆さん”の愛称で慕われた。
川村 有司(かわむら ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキー… 川村 有司(かわむら ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキージャンプ選手。余市高校-明治大学-ニッカウヰスキー。 高校時代に数々のタイトルを獲得し期待されたものの以後はあまり目立った活躍はなかった。スキージャンプ・ワールドカップでは1979年12月27日のコルチナ・ダンペッツォで15位、1980年1月13日の札幌で自己最高位の14位。
伊藤 有希 は、北海道下川町出身の女子スキージャンプ選手であ… 伊藤 有希 は、北海道下川町出身の女子スキージャンプ選手である。北海道下川商業高等学校卒業、土屋ホーム所属。2014年ソチオリンピック・2018年平昌オリンピック・2022年北京オリンピック日本代表。世界選手権2013年混合団体金メダリスト、2015年・2017年個人銀メダリスト。スキージャンプ・ワールドカップ女子10勝(2025/26シーズン第30戦終了時)。
敦賀 栄(つるが さかえ)は北海道出身の元スキージャンプ選手… 敦賀 栄(つるが さかえ)は北海道出身の元スキージャンプ選手。1970年代から1980年代前半にかけて活躍した。 札幌市立琴似中学校-札幌商業高等学校-北海道拓殖銀行 1977/1978シーズンのスキージャンプ週間では初戦のオーベルストドルフで9位となり総合36位、翌1978/1979シーズンは総合32位となった。スキージャンプ・ワールドカップでは1980年に札幌で4位(自己最高位)と6位になっている。 1978年ノルディックスキー世界選手権に出場、70m級19位、90m級45位だった。
葦本 祐二(あしもと ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキー… 葦本 祐二(あしもと ゆうじ)は、北海道余市町出身の元スキージャンプ選手、チェアスキー選手。斉藤浩哉、岡部孝信らは同学年。 余市沢町小学校3年の時余市ジャンプ少年団でジャンプを始めた。余市西中学校-余市高校-東洋実業グループ 1991年の宮様スキー大会ノーマルヒルで社会人初優勝。 1992-1993シーズンがベストシーズンで1992年12月20日に札幌のラージヒルでスキージャンプ・ワールドカップで12位となり初ポイントを獲得、コンチネンタルカップを兼ねた札幌オリンピック記念国際スキージャンプ競技大会で優勝すると次の週のワールドカップ(1月23日、イタリア)では自己最高位となる3位に入賞した。翌日の団体戦でも東輝、原田雅彦、葛西紀明と組んで3位となった。