古谷 拓哉(ふるや たくや、1981年7月14日 - )は、… 古谷 拓哉(ふるや たくや、1981年7月14日 - )は、北海道北見市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 元福岡ソフトバンクホークスの古谷優人は「はとこ甥」(父親のいとこの孫)にあたる。 駒澤大学附属岩見沢高校時代は、第80回全国高等学校野球選手権大会(当時は南北海道代表)と翌年春の第71回選抜高等学校野球大会にエースとして出場。3年時の夏は、南北海道大会決勝で北海高と対戦するも自身の暴投により0-1でサヨナラ負けを喫した。 高校在学中は学業も優秀で、枠が一つしかない指定校推薦で駒澤大学に進学。当時はカウンセラーになることを目指し、心理学を専攻した。入学後、野球部には入部しなかった。上記の暴投のショックで入部しなかったと周囲には言われていたが、高校時代で野球への情熱が燃え尽きてしまったからであった。
牧谷 宇佐美(まきたに うさみ、1980年5月1日 - )は… 牧谷 宇佐美(まきたに うさみ、1980年5月1日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。2010年より北海道日本ハムファイターズ・ベースボールアカデミーのコーチ(野球教室講師)を務めている。 小学校4年生の時に野球を始めると、小学校6年生の時には、軟式野球の全国大会へ出場した。中学校時代には、野球部に所属。2年生の時に、旭川市の大会で砲丸投の最長投擲記録を樹立している。 旭川実業高校への進学後は、投手として対外試合で20勝以上を記録。3年生の夏には、最速で140km/hの速球を投げることで注目されたものの、地区予選で旭川北高校に惜敗した。高校通算18本塁打を記録し、100mを11秒台で走るなど、俊足強打の野手としても高い評価を受けていたが、在学中には春夏とも阪神甲子園球場の全国大会出場はならなかった。
五十嵐 亮太(いがらし りょうた、1979年5月28日 - … 五十嵐 亮太(いがらし りょうた、1979年5月28日 - )は、北海道留萌市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者、タレント、YouTuber。現在の所属事業所はサニーサイドアップ。 投手としてNPB(ヤクルトスワローズ、福岡ソフトバンクホークス)では4度のリーグ優勝、5度の日本シリーズ優勝に貢献。ニューヨーク・ヤンキースでは1度の地区優勝を経験。個人ではNPBで合計1個のタイトルを獲得している。 夕張市出身で北海道夕張南高等学校のアルペンスキー国体選手だった父親と、留萌市出身の母親との間に留萌市で生まれ、札幌市で育つ。小学4年時に千葉県へ転校。母親は、ヤクルトOBで監督も務めた若松勉と留萌中学校の同窓であった。
吉村 将生(よしむら まさき、1979年4月29日 - )は… 吉村 将生(よしむら まさき、1979年4月29日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 東海大四高では、2年夏に南北海道大会準優勝。3年時に11本塁打を記録。 1997年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから7位指名を受け、12月1日に契約金3500万円・年俸480万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は93。俊足で、二軍の試合では代走で使われていたことがしばしばあった。 2001年10月5日に戦力外通告を受け、現役引退。
鈴木 貴志(すずき あつし、1979年3月1日 - )は、北… 鈴木 貴志(すずき あつし、1979年3月1日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川工では2年夏、秋の全道大会ベスト4。1996年、第78回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦で前川克彦投手擁するPL学園高の前に敗退。 1999年、王子製紙苫小牧で第70回都市対抗野球大会に出場。その後、チーム統合で移籍した王子製紙で2002年第73回都市対抗野球大会に出場。 2002年のドラフト5巡目で千葉ロッテマリーンズに入団。 2004年、一軍試合登板がないまま、球団から戦力外通告を受ける。 2005年、社会人チーム・旭川グレートベアーズに入団し、投手兼任コーチを経て兼任監督を務める。
松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は… 松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は、北海道札幌市豊平区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現在は、東京ヤクルトスワローズのスコアラーを務めている。 中学2年時に父の転勤で東京都江戸川区に転居。江戸川南シニアを経て、1994年に横浜高校に入学。シニアリーグ、高校を通じて松坂大輔の2年先輩にあたる。 シニア時代は投手だったが、同期に丹波慎也がいたため投手としては同学年内では2番手という存在だったが2年次より外野手としてプレーしている。同年の第76回全国高等学校野球選手権大会に横浜高は5年振りの出場を果たすが、那覇商に初戦で敗れている。翌1995年春夏も甲子園出場を目指したが、叶わなかった。
尾形 佳紀(おがた よしのり、1978年8月5日 - )は、… 尾形 佳紀(おがた よしのり、1978年8月5日 - )は、元プロ野球選手(内野手、外野手)。現在、広島東洋カープのスカウト。
森広 泰昌(もりひろ やすまさ、1977年12月9日 - )… 森広 泰昌(もりひろ やすまさ、1977年12月9日 - )は、元社会人野球選手(投手)。右投右打。NTT北海道に所属していた。 北海道出身。知内高に進学し、1年秋からベンチ入り、2年春の北海道大会では準優勝を果たすが初登板となった東海大四高に打ち込まれた。3年夏の函館支部決勝の函館商戦で9回2死までノーヒットノーラン、16奪三振を奪うなど北海道屈指の右腕に成長した。南北海道大会では前年打ち込まれた東海大四高を3安打で完封して雪辱を果たした。また函館選抜のエースとしてアメリカ代表チームとの試合で先発して5回3失点ながら11奪三振を奪った。 高校卒業時にはプロからも注目されたがドラフトで指名されずにNTT北海道に入社。
杉山 俊介(すぎやま しゅんすけ、1977年6月5日 - )… 杉山 俊介(すぎやま しゅんすけ、1977年6月5日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 小学3年の時に野球を始める。 砂川北高校では1年生の時からレギュラーとなり、2年生の時に正捕手として甲子園(第76回選手権大会)に出場(北北海道代表)。1回戦の島根県代表・江の川高校(現・石見智翠館高校)戦に6-5で勝利。同校の甲子園初勝利に貢献した。2回戦は南北海道代表の北海高校と対戦し、史上初の北海道対決として注目を集めたが1-10で大敗。 1995年、副キャプテンとして臨んだ最後の夏は北北海道大会まで進出するも、最終的に代表校となった旭川実業高校に2-4で敗れた。この試合で杉山は2点本塁打を放っている。
加藤 謙如(かとう のりゆき、1976年7月29日 - )は… 加藤 謙如(かとう のりゆき、1976年7月29日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(外野手)。 1994年に駒澤大学附属苫小牧高等学校では3年夏の地区代表決定戦で延長12回の末に敗れて南北海道大会には出場できなかった。横浜ベイスターズにドラフト6位で入団。同校初のプロ野球選手となったが、一軍出場が無いまま、2000年に戦力外通告を受け現役を引退。 2002年からは社会人野球のクラブチーム・オール苫小牧で現役復帰。2005年からはトランシス・マーリンズの外野手コーチを務めていた。 2019年時点では「苫小牧西リトルシニア球団」のコーチを務めている。 長男と甥が高校野球の選手として活躍したことが日刊スポーツに取り上げられている。
嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、北… 嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、北海道札幌市生まれ、埼玉県上福岡市(現:ふじみ野市)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)。愛称は「赤ゴジラ」。ポジションは投手(1995 - 1998)→内野手(1999 - 2004)→外野手(2005 - 2013)。 小学1年生の時に野球を始める。中学では上福岡シニアに所属し、三沢興一の2年後輩、高橋和幸の1年先輩。1年次から投手として注目を集め、3年次に関東大会に出場。また、当時埼玉栄高野球部監督だった若生正廣を慕っており、中学卒業後は若生が転職した東北高校に入学。 東北高校では2年春の第65回選抜高等学校野球大会と夏の第75回全国高等学校野球選手権大会、3年春の第66回選抜高等学校野球大会と、3度甲子園に出場した。
宇佐美 康広(うさみ やすひろ、1975年12月18日 - … 宇佐美 康広(うさみ やすひろ、1975年12月18日 - )は、北海道枝幸郡歌登町(現:枝幸町)出身の元プロ野球選手(内野手)。
澤田 剛(さわだ つよし、1975年11月21日 - )は、… 澤田 剛(さわだ つよし、1975年11月21日 - )は、北海道上磯郡上磯町(現・北斗市)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 函館大有斗高では上野美記夫監督の指導を受けて3年夏に投手として南北海道大会ベスト4の成績を収めたが、甲子園出場歴はない。 1993年のNPBドラフト会議で福岡ダイエーホークスから5位指名を受け、内野手として入団。18歳の誕生日に決定の電話を受けたという。同年11月29日に契約金3300万円、年俸400万円の契約条件で仮契約した。 1997年に現役を引退し、球団職員となる。球場の看板広告や地方興行、宮崎キャンプの誘致などの営業を担当し、2005年4月に退団。 2005年にトラスト・インターナショナル社を起業し、2022年までに中古車販売事業・飲食店事業・健康関連事業を展開している。
佐竹 学(さたけ まなぶ、1974年10月27日 - )は、… 佐竹 学(さたけ まなぶ、1974年10月27日 - )は、北海道札幌市手稲区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)、コーチ。右投右打。 小学生時代、札幌市手稲区にある富丘ベアーズで頭角を現す。札幌市立富丘小学校、東海大学第四高校中等部、東海大学付属第四高校と進む。東海大四高校では遊撃手としてプレーしたが3年夏は南北海道大会準決勝で敗退し甲子園には届かなかった。 東海大学へ進学し3季連続ベストナインに選ばれるなど活躍し、1996年の日米大学野球のメンバーにも選ばれた。首都大学リーグ通算61試合出場、233打数86安打、打率.369、40打点。ベストナイン3回(二塁手2、三塁手1)。 1997年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブに4位指名され入団。
石田 威仁(いしだ たけひと、1974年7月30日 - )は… 石田 威仁(いしだ たけひと、1974年7月30日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(内野手)、指導者。 旭川市立啓明小学校4年時に、旭川中央リトルで野球を始める。旭川市立東光中学校に進学。 旭川龍谷高校時代は、2年時の1991年に第63回選抜高等学校野球大会に4番・三塁手として出場。 高校卒業後は、北海道教育大学旭川校に進学。1年春には北海道六大学野球1部のベストナインにも選ばれた。 大学卒業直前の1997年1月に渡米し、アメリカ合衆国アリゾナ州で行われる合同入団テストに最終選考まで残り、独立リーグであるプレーリー・リーグのサスカトゥーン・スモーキンガンズ(英語版)に入団。その後、同リーグ内のウェストマニトバ・ラングラーズに移籍した。
柳沼 強(やぎぬま つよし、1974年5月15日 - )は、… 柳沼 強(やぎぬま つよし、1974年5月15日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 2019年より千葉ロッテマリーンズのスカウトを務めている。 作新学院では3年春の県大会優勝で関東大会へ進むが準々決勝で部坂俊之らを擁する横浜高に敗退。夏は県大会ベスト4。神奈川大学へ進み、3学年上に高校の先輩である渡辺秀一がいた。4年秋には神奈川大学野球リーグのベストナインを獲得している。 1996年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから6位で指名され入団。 しかし、1軍出場がないまま3年で現役を引退した。 引退後は、19年間に渡り千葉ロッテのブルペン捕手を務めていたが、2019年よりフロント入りしスカウトに就任した。
関吉 雅人(せきよし まさと、1974年4月24日 - )は… 関吉 雅人(せきよし まさと、1974年4月24日 - )は、北海道雨竜郡妹背牛町出身の元プロ野球選手(外野手)。 高校・現役時代と、俊足強打の外野手として鳴らした。 砂川北高2年秋は全道大会2回戦で宇佐美康広がいた稚内大谷高に延長15回サヨナラ勝ちしたが準決勝で延長11回で敗れた。1992年、3年生の夏に北北海道大会決勝で満塁本塁打を放つなど活躍して3番レフトで夏の甲子園に出場。1回戦で福井県代表の北陸高校と対戦し4-5で逆転負けを喫したものの、関吉はこの試合で左中間スタンドへ2点本塁打を放ち、プロ注目の長打力を披露した。ゴジラこと松井秀喜と同学年のため、高校時代は「北のゴジラ」と呼ばれていた。
堀田 一郎(ほりた いちろう、1974年4月18日 - )は… 堀田 一郎(ほりた いちろう、1974年4月18日 - )は、北海道十勝支庁広尾郡広尾町出身の元プロ野球選手(外野手)。 北海高校時代、夏の甲子園に出場。 中央大学では4年間二部リーグであったが主将として、4年春に東都大学リーグ二部三冠王に輝く。また、4年時には東都大学リーグのプロ・アマ交流戦に出場し、安打を放つ。 1996年のドラフト6位で読売ジャイアンツへ入団。 走攻守3拍子揃った選手として注目され、細身の体型ながら打撃はパンチ力があり、1998年にはフレッシュオールスターゲーム出場果たすも、一軍ではなかなか結果を残せなかった。二軍では2002年に本塁打王、2003年に首位打者に輝くなど毎年のように本塁打、盗塁は常に上位に名を連ねた。
高梨 利洋(たかなし としひろ、1974年1月9日 - )は… 高梨 利洋(たかなし としひろ、1974年1月9日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学2年の時に野球を始め、中学時代は2年連続で北海道大会を優勝した。 札幌第一高時代、3年次の夏には4番・エースとして南北海道大会で準優勝。 1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから5位指名を受け入団。 長く二軍生活が続いたが、プロ4年目の1995年に一軍初出場を果たし初安打を本塁打で記録する。1996年は一軍選手に故障が相次いだこともあり39試合に出場し、わずか1試合ではあるが4番も任された。 1999年オフに戦力外通告を受け退団し、地元である札幌市に本拠地を置く社会人野球のサンワード貿易に入団。
谷口 弘典(たにぐち ひろのり、1973年11月24日 - … 谷口 弘典(たにぐち ひろのり、1973年11月24日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・監督。 高崎経済大学硬式野球部監督。 北海道余市町生まれ[要出典]、札幌育ち。札幌市立北光小学校卒業(鉄東スワローズ時代に日本代表に選出され、世界大会出場)。手稲西中学校卒業。1992年3月北海道札幌西高等学校卒業。1997年3月高崎経済大学経済学部経営学科卒業。 1997年ノーザンリーグ(スーフォールズカナリーズ入団)。1998年ウェスタンリーグ(ミッションヴィエホヴィジランテス入団)。 1999年千葉ロッテマリーンズ入団(BC兼サブマネージャー)。2000~2001年千葉ロッテマリーンズ(二軍マネージャー)。
三井 浩二(みつい こうじ、1973年9月15日 - )は、… 三井 浩二(みつい こうじ、1973年9月15日 - )は、北海道足寄郡足寄町出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、MLB野球解説者。左投左打。 北海道足寄高等学校3年時の1991年にプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースと福岡ダイエーホークスが4位指名で競合し、抽選の結果ダイエーが交渉権を獲得したが、「4位以下なら社会人で鍛え直して再度チャンスを待つ」との理由からダイエーへの入団を拒否し、社会人野球の新日本製鐵室蘭へ入団した。なお、くじを外した阪神は、桧山進次郎を指名。 1994年に新日鐵グループの野球部の統廃合に伴って新日本製鐵広畑へ転籍。都市対抗野球では補強として2年連続で先発するなど、チームのエースとして活躍した。
渡部 高史(わたべ たかし、1972年8月27日 - )は、… 渡部 高史(わたべ たかし、1972年8月27日 - )は、北海道札幌市東区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 札幌市立陵北中学校から札幌琴似工業高等学校に進学。1990年のプロ野球ドラフト会議にて横浜大洋ホエールズから6巡目指名を受けて入団。 プロ1年目の1991年10月8日の阪神タイガース戦で一軍初登板を果たした。ストレートに威力はなかったが、プロ入り前から独自に編み出したという落差が小さく大きく曲がる独特のカーブを武器に、球団名が「横浜ベイスターズ」に変更された1993年には中継ぎとして35試合に登板するなど大きく成長を遂げたが、翌1994年に低迷すると同年オフには飯塚富司・伊藤敦規との3対2の交換トレードで水尾嘉孝・堀江賢治とともにオリックス・ブルーウェーブへ移籍した。
本間 満(ほんま みつる、1972年8月25日 - )は、北… 本間 満(ほんま みつる、1972年8月25日 - )は、北海道留萌市出身のプロ野球選手(内野手・右投左打)、野球指導者。愛称はママン(本間満)。 大村巌(元ロッテ:稚内市出身)、宇佐美康広(元ヤクルト:歌登町出身)が引退して以降の日本プロ野球(以下:NPB)現役選手としては、五十嵐亮太(現ヤクルト)らとともに最北の出身であった。 プロ入り後に左打ちに変えて成功した珍しい例である[要出典]。 留萌小学校(萌友ドラゴンズ)時代は三塁手・投手、留萌港南中で強打の三塁手として注目を集め、北海、札幌商(現北海学園札幌)、東海大四高などとの争奪戦の末、駒大岩見沢高校に進学。同級生に伊藤辰史、3年後輩に佐藤誠がいる(佐藤は山形県生まれ北海道千歳市育ち)。
伊林 厚志(いばやし あつし、1972年8月16日 - )は… 伊林 厚志(いばやし あつし、1972年8月16日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学3年で野球を始め、中学時代には旭川中央シニアのエースとして全国大会に出場するも清原幸治に打たれて惜敗。 旭川竜谷高では、1990年の北北海道大会初戦の帯広農業高戦でノーヒットノーランを達成し、決勝まで進出するも中標津高に敗れ甲子園出場は果たせなかった。 1990年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受け入団。 プロ4年目の1994年に一軍登板を果たす。左の変則フォームからカーブ、シュート、フォークを投げ、ワンポイント中心で起用されるが、投球内容に安定を欠き、一軍定着できず膝に故障を負ったこともあり、1998年限りで現役を引退。
吉井 英昭(よしい ひであき、1972年4月3日 - )は、… 吉井 英昭(よしい ひであき、1972年4月3日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。 現在は、千葉ロッテマリーンズの打撃投手。 苫小牧工業高時代、2年生だった1989年に春の選抜に出場したが、自身は試合出場はなかった。3年夏は道内屈指の好投手として注目されたが、南北海道大会ベスト8で敗退。 1990年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズに4位で入団。 プロ4年目の1994年に一軍初登板し、同年は13試合に登板した。 1995年限りで現役を引退し、その後ロッテの打撃投手となる。
西島 貴之(にしじま たかゆき、1971年8月12日 - )… 西島 貴之(にしじま たかゆき、1971年8月12日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 砂川北高では1年秋に全道大会で投手でベスト8。3年夏の北北海道大会決勝で逆転サヨナラ負け、1989年オフにドラフト外で福岡ダイエーホークスに入団。 1990年と1992年にはマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。この時、同学年の大越基とチームメイトであった。1992年には帰国後に一軍初出場を果たす。 俊足の外野手として期待されたが一軍には定着できずに2000年10月、戦力外通告を受け現役を引退。 現在は、故郷に戻り会社員のかたわら、札幌円山リトルシニアでコーチを務めている。
島崎 圭介(しまざき けいすけ、1971年6月18日 - )… 島崎 圭介(しまざき けいすけ、1971年6月18日 - )は、北海道北広島市出身(札幌市生まれ)の大学野球指導者、政治家。北広島市議会議員(3期)。 北海道札幌市白石区にて生まれ、3歳の時に札幌郡広島町(現在の北広島市)へ転居。 広島町立若葉小学校(現在の北広島市立双葉小学校)、広島町立広葉中学校(現在の北広島市立広葉中学校)を経て北海高等学校に入学し、野球部に入部。同期に平川敦(現在の北海高等学校監督)、松浦吉仁(日本製紙石巻元監督、松浦慶斗の父)。野球部では投手として大西昌美監督の指導の下で甲子園を目指し、練習に打ち込む。1989年、高校3年次の第71回全国高等学校野球選手権大会(1989年)に出場、初戦(2回戦)の山口県桜ヶ丘高等学校戦でリリーフ登板し、憧れの阪神甲子園球場のマウンドに立ったが、試合は2-6で敗れる。
大内 貴志(おおうち たかし、1971年6月7日 - )は、… 大内 貴志(おおうち たかし、1971年6月7日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 東海大四高時代、1989年に第61回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の八幡商業高戦では8失点ながら完投勝利を収めるも、2回戦の横浜商業高戦では5失点で敗戦した。 1989年オフ、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。同期には柏田貴史、出口雄大などがいる。背番号は91。 しかし、右肩の故障もあり一軍登板のないまま1994年シーズン限りで現役を引退する。 引退後は横浜市のハンズゴルフにて、ゴルフのティーチングプロになる。
船尾隆広(ふなお たかひろ、1971年5月31日 - )は、… 船尾隆広(ふなお たかひろ、1971年5月31日 - )は、北海道松前郡松前町出身の元アマチュア野球選手・現アマチュア野球指導者。 函館大学付属有斗高等学校では上野美記夫の指導を受け、甲子園(夏:69回大会・春:60回大会・秋:18回大会)に出場した。1990年に新日本製鉄室蘭に入団し、1994年までプレーした。野球部休部にともない1995年にNTT北海道に転籍し、2003年までプレーした。 2004年に札幌大谷大学の部長、2012年に札幌大谷中学校のコーチ、2014年に札幌大谷高等学校の監督、2025年に札幌大学のコーチ、2026年に室蘭シャークスの監督となった。
平川 敦(ひらかわ おさむ、1971年4月6日 - )は、北… 平川 敦(ひらかわ おさむ、1971年4月6日 - )は、北海道根室市出身の高校野球指導者、元アマチュア野球選手。次男はプロ野球広島東洋カープの平川蓮。 北海高等学校では投手として1989年夏の第71回全国高等学校野球選手権大会に出場した。同期には島崎圭介(現・北海学園大学野球部監督)、松浦吉仁(元・日本製紙石巻野球部監督、松浦慶斗の父)がいた。 高校卒業後は北海学園大学へ進学したが、「選手としては上を目指せない」として、野球部には所属しなかった。在学中の1990年に母校の北海でコーチを務めた後、3年間の百貨店勤務を経て、1998年より北海の監督に就任した。 2016年夏の第98回全国高等学校野球選手権大会では、初戦(2回戦)でアドゥワ誠擁する松山聖陵にサヨナラ勝ちし、監督として夏の甲子園大会初勝利となった。
日笠 雅人(ひがさ まさひと、1970年8月19日 - )は… 日笠 雅人(ひがさ まさひと、1970年8月19日 - )は、北海道名寄市出身の元プロ野球選手(投手)。左投右打。 元々右利きで「投げるほうだけ左にコンバートさせられた」という。 旭川龍谷高校時代には、1987年の第59回選抜高等学校野球大会に出場し1回戦で敗退した。 道都大学へと進学したが家庭の事情により2年春で中退し、社会人野球の新日本製鐵君津にて5年間プレー。在籍していた間にチームは1度も都市対抗野球大会に出場できなかったが、日笠自身は他チームへの補強選手として4度の出場を果たしている。チームメイトに松中信彦らがいた。 1995年のプロ野球ドラフト会議において中日ドラゴンズから7位指名を受け入団した。
高梨 芳昌(たかなし よしあき、1970年8月11日 - )… 高梨 芳昌(たかなし よしあき、1970年8月11日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球スカウト(読売ジャイアンツOBスカウト)、野球指導者。 父は大昭和製紙北海道の選手・監督や札幌第一高等学校野球部監督等を務めた高梨英夫。弟はヤクルトスワローズでイースタン・リーグのシーズン最多安打記録を樹立した高梨利洋。我喜屋優(興南高監督)は父の社会人時代の同僚。 白老町立萩野中学校の野球部ではエースで四番だった。 札幌第一高等学校では3年夏に南北海道大会ベスト4となり、1988年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け入団。 同期入団の佐川潔らはプロ1年目の1989年にMLBの1A・バイセイリア・オークスに野球留学したが、高梨は国内にとどまった。
盛田 幸妃(もりた こうき、1969年〈昭和44年〉11月2… 盛田 幸妃(もりた こうき、1969年〈昭和44年〉11月21日 - 2015年〈平成27年〉10月16日)は、北海道茅部郡鹿部町出身のプロ野球選手(投手)。1994年から1997年までの登録名は盛田 幸希。 鹿部クラップーズで野球を始め、鹿部中学校時代は山本鉄弥の指導を受けた。函館有斗高校在学時は上野美記夫の指導を受け、3度の甲子園出場を経験した。3年時の1987年に開催された夏(第69回選手権大会)では、1回戦で上原晃を擁する沖縄水産高校に敗退した。同年秋のプロ野球ドラフト会議で長嶋一茂のクジを外した横浜大洋ホエールズから1位指名を受け、契約金4800万円、年俸420万円(金額は推定)で入団した。
朝岡 秀樹(あさおか ひでき、1969年8月3日 – )は、… 朝岡 秀樹(あさおか ひでき、1969年8月3日 – )は、ベースボール・マガジン社の編集者、アマチュア格闘家。北海道釧路市出身。身長163cm、体重60kg。 1999年から『格闘技通信』5代目編集長を務めた。大道塾の北斗旗軽量級優勝(1992年5月31日)、全日本アマチュア修斗選手権バンタム級優勝(2003年9月15日)など数々の経歴を誇る格闘家でもある。2003年6月1日にはプロ興行ZSTにも出場したが、プロ転向は考えておらず、あくまでアマチュアとして参加していくとのことである。大道塾は2005年で現役引退した。 その異色の経歴から編集長時代の『格闘技通信』の誌面は、「やる側からの視点」と「ノーフェイク」を謳い文句とし、はっきりしたポリシーを打ち出して常に問題提起を図っていた。
大村 巌(おおむら いわお、1969年5月31日 - )は、… 大村 巌(おおむら いわお、1969年5月31日 - )は、北海道稚内市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 愛称は同姓の大村崑にちなんだ「コンちゃん」。 東海大四高校2年時の1986年に、夏の甲子園(第68回大会)にエース兼五番打者として出場し、尽誠学園高校(香川県代表)の伊良部秀輝(元千葉ロッテマリーンズ等)から本塁打を放ち注目される。1987年秋のプロ野球ドラフト会議にてロッテオリオンズに6位で指名された(この時のドラフト1位は上述の伊良部)。投手として入団したが、すぐに打者に転向した。 1989年のフレッシュオールスターゲームで2安打を放ち最優秀選手に選出された際に、賞金の使い道を問われ、「すべてバット代」と答えるほどの練習熱心な選手だった。
吉井 晃(よしい あきら、1968年10月1日 - )は、北… 吉井 晃(よしい あきら、1968年10月1日 - )は、北海道士別市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 旭川実業高等学校では主将で全道大会ベスト8、北海道工業大学では1年秋からチーム初の1部リーグ昇格を果たすと優勝するが2年秋の入替戦で敗れた。3年秋から1部復帰すると、4年秋は分割された札幌学生野球リーグでプレーした。チームではエースながら主将で4番を打った。その後北海道拓殖銀行に就職。1992年にNTT北海道の補強選手として都市対抗野球に出場して初戦の勝利投手、社会人通算15勝8敗。スリークォーターから、ストレートのMAXは135キロ。カーブ、シュート、決め球はスライダー。 1992年ドラフト6位で横浜ベイスターズに入団。
本間 哲郎(ほんま てつろう、1968年5月7日 - )は、… 本間 哲郎(ほんま てつろう、1968年5月7日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川東高から、1986年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。入団時、旭川出身ということで母校の先輩「スタルヒン2世」と期待されていた。 一軍公式戦への出場がないまま、1990年限りで現役を引退。 その後、地元の社会人野球・クラブチームの旭川グレートベアーズに在籍した。また旭川北稜リトルシニアで指導している。
山田 博一(やまだ ひろかず、1968年4月30日 - )… 山田 博一(やまだ ひろかず、1968年4月30日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(外野手)。 帯広農業高時代は、野球の傍ら冬はアイスホッケーの選手として活躍していた。『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)では「帯広農業の山田君」の密着取材が何度か放送された。 日本大学へのアイスホッケー推薦が内定していたが、1986年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。一軍公式戦への出場がないまま、1990年限りで現役を引退。
有倉 雅史(ありくら まさし、1967年6月12日 - )は… 有倉 雅史(ありくら まさし、1967年6月12日 - )は、北海道上川郡鷹栖町出身の元プロ野球選手・現アマチュア野球指導者。 小学6年生から投手として活躍し、北海高では2年秋からエースとなった。 1985年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名されるも拒否して、首都大学野球連盟の日本体育大学に入学(専攻は体育学部体育学科)、4年春に5勝1敗防御率1.50の好成績を記録し最優秀投手・ベストナインを獲得する。秋は明治神宮大会の初戦で先発するが、東北福祉大・金本知憲のサヨナラ本塁打で敗れた。 その後、1989年にプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。 長身からのフォークボールを武器に入団1年目の1990年から16試合に登板し4勝を挙げる。
加藤 徹(かとう とおる、1967年3月5日 - )は、北海… 加藤 徹(かとう とおる、1967年3月5日 - )は、北海道室蘭市出身の元社会人野球選手(内野手)・監督。右投右打。 野球が盛んでなかった北海道出身ながら、幼少期から野球に熱中する。室蘭大谷高等学校時代は北海道の田舎町という地域柄、全くの無名選手であった。 大学は当時道内の強豪校であった北海道地区大学野球連盟・道都大学に進学。入部後は三塁の守備力が向上し、チームに欠かせない存在となる。在学時の1988年春には1部優勝し、全日本大学野球選手権大会にも出場した。 大学卒業後は日産サニー札幌に入社。同社硬式野球部でキャプテンを務めるまでに至っていたが、バブル崩壊のあおりを受け、1992年にチームが解散する。
乱橋 幸仁(らんばし ゆきひと、1966年4月20日 - )… 乱橋 幸仁(らんばし ゆきひと、1966年4月20日 - )は、北海道根室市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 北海道根室市出身。元はスケート選手であった。 旭川大学高等学校では1984年夏の甲子園北北海道予選決勝に進むが、広尾高に逆転負けを喫し甲子園出場を逸する。道内屈指の左腕として知られていた。 同年のドラフト6位でヤクルトに入団。 1986年には中継ぎとして6試合に登板。 1987年に二軍では主に中継ぎで登板し、左打者専用のリリーフとして起用されることが多かった。カーブ、スライダー、シンカーなどを武器とした。 引退後は打撃投手に転向し、その後はスコアラーも兼務した。 2016年11月2日退団。
星野 伸之(ほしの のぶゆき、 1966年1月31日 - )… 星野 伸之(ほしの のぶゆき、 1966年1月31日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。現在は野球解説者、野球評論家、YouTuberとして活動している。 タイトル獲得は多くないものの、11年連続2桁勝利を記録し通算176勝を挙げるなど、パ・リーグを代表する投手として活躍した。その実績と端正な顔立ち、およそ野球選手らしくない細身な体型から同リーグの、西崎幸広、阿波野秀幸、渡辺久信らと共に「トレンディエース」と呼ばれ、「星の王子さま」の愛称で親しまれた(「トレンディエース」の時代背景などは西崎の項を参照)。 北海道旭川市出身。幼少期から野球が好きで、北海道という土地柄から読売ジャイアンツ(巨人)のファンであった。
佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は北… 佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は北海道札幌市南区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 東海大学、たくぎんを経て27歳でプロ入りし、40歳まで現役選手としてプレーした。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。現役引退後は東京ヤクルトスワローズ、オリックス・バファローズでコーチを務めた。 長男の佐藤竜彦はHonda硬式野球部に所属していた社会人野球選手。 小学2年の時に野球を始める。学生時代、勉学は常にトップクラスの成績だった。甲子園などの大舞台への出場はなかったが、野球部の中心選手として「文武両道」を地でいく活躍を見せ、東海大学付属第四高等学校時代には「松前賞」を受賞している。
遠田 誠治(えんだ せいじ、1964年5月11日 - )は、… 遠田 誠治(えんだ せいじ、1964年5月11日 - )は、北海道増毛郡増毛町出身の元プロ野球選手・現アマチュア野球指導者。 北海高では、中距離ヒッターの遊撃手として主軸を打っていた。2年春の選抜にエース安田や同じ増毛中出身の河尻と共に出場、北海が久々に(11年ぶり、選抜は19年ぶり)甲子園に戻ってきたと話題になった。甲子園ではエース川相昌弘(巨人-中日)、3番横谷総一(阪神)、4番本間立彦(日本ハム)を擁する岡山南高と対戦し2-3で敗れている。 高校卒業後は、社会人野球の新日本製鐵室蘭に入団、2年目から頭角を現し、俊足の内野手として都市対抗野球などで活躍した。 1985年のドラフト会議で中日ドラゴンズから6位での指名を受けるも、会社に1年残留し、翌1986年のオフに入団した。
鈴木 貴久(すずき たかひさ、1963年11月20日 - 2… 鈴木 貴久(すずき たかひさ、1963年11月20日 - 2004年5月17日)は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(外野手)。 旭川大高2年時の1980年に、北北海道代表として夏の選手権に出場。同大会では、北北海道代表校として初めて2勝を挙げた。 高校卒業後、社会人野球の電電北海道を経て、1984年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名を受け入団した。 1985年はウエスタン・リーグで打率.296、8本塁打を記録。 1986年に頭角を現す。 1987年にレギュラーを獲得。以後、4年連続で20本塁打以上を記録するなど近鉄の主力として活躍し、「北海の荒熊」の異名をとった。 1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテオリオンズとのダブルヘッダーでは、第1試合の9回表二死二塁の場面で二塁走者として梨田昌孝の適時打でホームインし、決勝点となる得点を挙げた(第2試合に引き分け優勝は逃した)。
西本 和人(にしもと かずひと、1962年6月19日 - )… 西本 和人(にしもと かずひと、1962年6月19日 - )は、北海道河東郡鹿追町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 東海大四高では、1年生の秋からエースとして活躍。1978年秋季北海道大会に進むが、1回戦で旭川大高に敗退。翌1979年夏の甲子園南北海道予選は決勝で札幌商に完封負け。同年の秋季北海道大会は決勝で室蘭大谷高を降し、1980年春の選抜に出場。しかし1回戦で中井哲之、原伸次らを擁する広陵高に9回裏サヨナラ負けを喫する。同年夏は南北海道予選準決勝で札幌開成高に敗退、夏の選手権には出場できなかった。 1980年オフに、ドラフト外で西武ライオンズに入団。 1年目の1981年は、後期最終戦で初登板し、セーブを記録。
渡部 勝美(わたなべ かつみ、1962年5月16日 - )は… 渡部 勝美(わたなべ かつみ、1962年5月16日 - )は、北海道芦別市出身の元社会人野球選手(投手、左投右打)・コーチ・監督。長男は元プロ野球選手の渡部龍一。 砂川南高校では、エースとして1979年秋季北海道大会準々決勝に進むが、旭川実に惜敗。卒業後の1981年、北海道5強の一角である大昭和製紙北海道(白老町)に入社。しばらくの間は芽が出なかったが、貴重な左腕として徐々に重要なポジションを任せられるようになる。1988年の都市対抗ではエースとして準決勝に進むが、東芝の三原昇に抑えられ敗退。翌1989年の都市対抗は決勝に進出、プリンスホテルに惜敗するが同大会の久慈賞を獲得する。30歳となった1992年にはバルセロナオリンピック野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献。
石川 晃(いしかわ あきら、1961年4月6日 - )は、北… 石川 晃(いしかわ あきら、1961年4月6日 - )は、北海道室蘭市出身(夕張市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)。元千葉ロッテマリーンズ執行役員球団副代表。 登別大谷高から道都大学、日産サニー札幌を経て、1985年オフにドラフト外で南海ホークスにテスト生として入団。俊足巧打の内野手として期待されたが、膝の怪我などもあり、一軍公式戦への出場のないまま3年間で現役を引退。 その後は、福岡ダイエーホークスのスカウトに転身。根本陸夫管理部長の信任が厚く、小久保裕紀・松中信彦・井口資仁ら、アマチュアの大物選手の獲得に敏腕ぶりを発揮した。 2005年に管理部長補佐を最後に退任し、北海道日本ハムファイターズの北海道担当スカウトに転身。
佐藤 兼伊知(さとう けんいち、本名:佐藤 健一(読み同じ)… 佐藤 兼伊知(さとう けんいち、本名:佐藤 健一(読み同じ)、1959年9月13日 - )は、北海道札幌市白石区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 北海高では、エースとして1977年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、札幌商に完封を喫し甲子園出場を逸する。 同年のドラフト5位でロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団。 1979年に内野手に転向する。 1986年には、水上善雄の欠場もあって遊撃手、三塁手、二塁手を兼ねて活躍、同年は初の規定打席(22位、打率.283)に達する。翌年以降もユーティリティプレイヤーとして起用され、堅実な守備と勝負強いバッティングを見せた。 1989年には、開幕直後に故障欠場を余儀なくされるが、その後は遊撃手に定着し打率.297の好成績をマーク。
河上 敬也(かわかみ たかや、1959年4月1日 - )は、… 河上 敬也(かわかみ たかや、1959年4月1日 - )は、北海道小樽市出身の野球指導者。高校野球監督を経て、2022年に北海道フロンティアリーグ・美唄ブラックダイヤモンズの初代監督を務めた。 現役時代は外野手としてプレー。北照高校3年夏は、南北海道大会準決勝で敗退した。1977年に同高を卒業し、1981年に札幌大学経営学部経営学科を卒業した。同年に北海道教育大学札幌校の聴講生となり、常勤講師として母校・北照高校の硬式野球部の監督に就任。1983年に聴講生を終了し、同高の保健体育教諭(のち、特任講師)となる。 1991年の夏の甲子園で小樽支部の高校としては初となる甲子園大会出場を果たし、2000年春には甲子園初勝利を達成した。