狩野 陽(かのう みなみ、1927年5月19日 - 2013… 狩野 陽(かのう みなみ、1927年5月19日 - 2013年11月8日)は日本の心理学者。北海道大学名誉教授、札幌学院大学名誉教授。専門分野は、社会心理学、精神神経科学。北海道小樽市出身。 1984年北海道心理学会会長(1985年まで)などを歴任 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
石山 透(いしやま とおる、1927年〈昭和2年〉5月15日… 石山 透(いしやま とおる、1927年〈昭和2年〉5月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月3日)は、日本の脚本家。主に1960年代、70年代にNHKテレビの少年少女ドラマで人気を博した。北海道小樽市出身。本名は笹岡幸司。 9歳で神奈川県に移住。科学を志し、東京高等学校理科に学ぶが断念、卒業後は学友の熊倉一雄らとともに劇団「感覚座」を主宰。このころから脚本・演出も手がける。1950年頃から、ラジオ・テレビを中心に脚本家としての活動を開始。 1952年にNHK札幌放送劇団に入団。同局の専属作家となり、1956年にラジオドラマ『パイロット・ファーム』で文部省芸術祭奨励賞受賞。1959年にNHK東京の専属作家となり、同年の『ピエロが泣いた』でテレビのシナリオ作家としてデビュー。
菅原 和彦(すがわら かずひこ、1927年5月1日 -196… 菅原 和彦(すがわら かずひこ、1927年5月1日 -1962年10月27日)は日本の元スピードスケート選手である。オリンピアン。北海道苫小牧市出身。 苫小牧工業学校(現・北海道苫小牧工業高等学校)を経て日本大学専門部工科を1951年卒業。苫小牧製紙に入社。 1952年のオスロオリンピックに出場し5000mで15位、10000mで7位の成績を残した。 1947年度の第16回全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝。全日本選手権で1946、1947年度5000mと10000mにそれぞれ2連覇。日本学生選手権で5000mに1946、1947、1949年度の3回優勝、10000mでは1946~1949年度4連覇を達成。
尾花 仙朔(おばな せんさく、1927年4月9日 -2018… 尾花 仙朔(おばな せんさく、1927年4月9日 -2018年5月22日)は、日本の詩人。 本名・三浦敬二郎。東京に生まれ、幼少期は宮城県七ヶ浜町で育つ。札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)卒。仙台市在住。1957年「ユリイカ」に作品が掲載され、『荒地詩集』に参加。岡崎清一郎編集の詩誌『近代詩猟』『世界像』同人を経て、鈴木漠編集の『海』や塚本邦雄主宰の『玲瓏』に随時寄稿。
富田 正一(とみた しょういち、1927年3月30日 - 2… 富田 正一(とみた しょういち、1927年3月30日 - 2021年4月7日)は、日本の詩人。日本国有鉄道(国鉄)に勤務する傍ら、19歳から91歳までの72年間、北海道を代表する詩誌『青芽』(せいが)の発行を続けた。 小熊秀雄賞選考委員、旭川市民文芸選者、日本現代詩歌文学館振興会評議員、旭川文学資料館館長を歴任。日本現代詩人会、北海道詩人協会、北海道文学館、旭川文学資料友の会等多くの会や詩誌に参加交流。日本鉄道OB会連合会認証文学(詩)インストラクターを務め、旭川ポエムの会等で指導した。発表した詩は約1200篇、随筆約800篇。 現在の北海道名寄市に生まれる。 1944年、陸軍航空通信学校を卒業し、特別幹部候補生の陸軍兵長として従軍した。
紫竹 昭葉(しちく あきよ、1927年〈昭和2年〉3月27日… 紫竹 昭葉(しちく あきよ、1927年〈昭和2年〉3月27日 - 2021年〈令和3年〉5月4日)は、紫竹ガーデン(北海道帯広市の名物観光庭園)のオーナー。夫が亡くなったことをきっかけに、紫竹ガーデンをオープンし、運営会社の社長としても活躍した。また、亡くなる前まで庭に出て客を迎え、案内しており「紫竹おばあちゃん」としても親しまれた。著書に『咲きたい花はかならず開く』『紫竹おばあちゃんのときめきの花暮らし』などがある。本名は紫竹昭代。 1927年(昭和2年)北海道帯広生まれ。子供の頃から花が好きで、姉や友人と自宅近郊の山で遊び、家の近所にも花に恵まれた原生花園がある環境で育った。旧制北海道庁立帯広高等女学校(後の北海道帯広三条高等学校)在学中、図画の教員から譲られたチューリップの球根を自宅で植え、凍った土を突き破って芽を出したのを見て、花とのかかわりで忘れられない感動となった。
重兼 芳子(しげかね よしこ、1927年3月7日 - 199… 重兼 芳子(しげかね よしこ、1927年3月7日 - 1993年8月22日)は、小説家。北海道空知郡上砂川町生まれ。福岡県立田川高等女学校(現・福岡県立西田川高等学校)卒業。 1946年、プロテスタントの洗礼を受ける。1947年に結婚し主婦となる。1969年に「一路」短歌会に入会し歌人として文学活動を出発。同人雑誌『まくた』に参加、日本民主主義文学同盟の「文学教室」や駒田信二の小説教室に通い、1978年、『まくた』に載せた「ベビーフード」、「髪」で続けて芥川賞候補となり、『文學界』掲載の「やまあいの煙」で1979年、芥川賞受賞、主婦作家として話題になった。 しかしその後、がん宣告を受けて大手術の後夫を失うという経験を経て、老い、病、死についての著作を精力的に執筆、がんの再発により66歳で死去した。
大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 20… 大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 2006年12月19日)は日本の気象学者。北海道札幌市生まれ。海外ではvic ooyamaの名前でも知られる。 1951年東京大学物理学科卒。中央気象台(現気象庁)で天気予報などを担当した後、1955年渡米、ニューヨーク大学で学ぶ。そのまま同大学に残り、後に教授に就任。 1960年代前半、数値実験により、台風の発達メカニズムを解明することに初めて成功し、その後の台風の力学的研究の発展の基礎を築いた。同功績により、1972年度の日本気象学会賞を受賞。 その後はアメリカ国立大気研究所 (NCAR) 員、ハリケーン研究所 (NHRL) 員を歴任。
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 20… 渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。 学校法人ノートルダム清心学園理事長。北海道旭川市生まれ。 1927年、北海道旭川市で出生。父親は当時、陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎で、53歳の時の子であった。4人兄姉の末っ子で次女。父親の転勤により台湾、東京へ転居。 1936年、成蹊小学校3年生で9歳の時に二・二六事件に遭遇。父の居間で、当時大将で教育総監だった父が青年将校に襲撃され、44発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。のちに講演で一緒になった葉上照澄(千日回峰行大行満大阿闍梨)から「大きくなられた。
青木 日出雄(あおき ひでお、1927年〈昭和2年〉2月8日… 青木 日出雄(あおき ひでお、1927年〈昭和2年〉2月8日 - 1988年〈昭和63年〉6月8日)は、日本の航空自衛官、航空・軍事評論家。 航士59期。北海道旭川市出身。 陸軍航空士官学校59期生。戦後、札幌文科専門学院(現札幌学院大学)、札幌短期大学卒業。国家公務員6級職試験に合格し、電気通信省、日本電信電話公社を経て、1956年(昭和31年)に航空自衛隊入隊。第2航空団(千歳基地)防衛班長を最後に退職した。 以後は航空・防衛問題の専門家としてジャーナリズムの世界で活躍する。1984年の東宝映画『ゴジラ』では特別スタッフとして参加し、原子力潜水艦や核衛星の考証などを行った。 退官後当初は『航空情報』嘱託として航空記事を執筆していた。
三国 洋子(みくに ようこ、1927年1月28日 - )は、… 三国 洋子(みくに ようこ、1927年1月28日 - )は、日本の小説家。北海道函館市出身。 北海道庁立函館高等女学校卒業。1946年から1959年まで、函館市立函館幼稚園で幼稚園教諭として勤務。1963年、「雨のあと」にて、第1回文化評論新人賞短編小説部門入選。1960年代から函館で文学運動を続け、リアリズム研究会から日本民主主義文学同盟に所属した。
山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月16日 - 1980年〈昭和55年〉10月16日)は、日本の俳優。愛称は山麟(ヤマリン)。北海道旭川市出身。 札幌市の北海中学出身。明治大学時代はラグビー部に所属し、1946年12月8日に神宮競技場で行われた明早戦にロック(4番)のポジションで出場。 卒業後の1953年、第1期東映ニューフェイスとして東映へ入社。翌年『学生五人男』に主演デビュー。以後『警視庁物語シリーズ』(全24作)の刑事役、『網走番外地シリーズ』の囚人役・看守役など、主にアクション映画の脇役・悪役として活躍。特に1960年代後半以降のヤクザ映画では悪役として活動し、『日本侠客伝シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』における強面のヤクザ役を演じた。
森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007… 森 静朗(もり しずろう、1927年1月11日 - 2007年11月26日)は、日本の経済学者、俳人、詩人。 北海道岩内郡岩内町出身。俳号・句城子。日本大学卒、1959年同大学院金融論専攻博士課程満期退学、75年「庶民金融思想史」で経済学博士。日本大学商学部助教授、教授。1997年定年、名誉教授。俳人として、1943年原石鼎、原コウ子に入門、鹿火屋に所属。そのほか、叙事詩も書いた。
佐藤 和夫(さとう かずお、1927年1月5日 - 2004… 佐藤 和夫(さとう かずお、1927年1月5日 - 2004年9月22日)は、経済学者。ラトガーズ大学経済学名誉教授。札幌市生まれ。 1927年に北海道札幌市に生まれる。1953年に北海道大学経済学部を卒業。その後渡米し、1960年にイェール大学より博士号を授与される。1959年に大阪大学社会経済研究所に助教授として着任し、1962年から1970年まで国際連合事務局経済調査官を務める。 1970年からニューヨーク州立大学バッファロー校経済学部で教授を務め、1984年にラトガーズ大学に移籍する。その間、マサチューセッツ工科大学、コロンビア大学、イェール大学で客員教授として勤務した。教員として定年退職したラトガーズ大学の他に、母校の北海道大学にも名誉博士号を授与された。
石川 武(いしかわ たけし、1927年-)は、日本の法学者、… 石川 武(いしかわ たけし、1927年-)は、日本の法学者、歴史学者。専門は西洋史及び西洋法制史。法学博士(北海道大学)。名誉文学博士(ベルリン自由大学)。北海道大学名誉教授。元拓殖大学北海道短期大学学長。北海道室蘭市出身。 和田卓朗 - 元大阪市立大学法学部教授 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
木村 多伎子(きむら たきこ、1927年 - 2025年8月… 木村 多伎子(きむら たきこ、1927年 - 2025年8月4日)は、日本の版画家。北海道旭川市生まれ、足寄町出身。国画会会員、北海道美術協会会員、北海道版画協会会員。 札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)時代、全道学生展で最優秀賞を受賞。女学校卒業後中国に渡り、敗戦後に帰国。結婚して岩見沢市に移り住み、1964年から版画制作を始める。1965年に道展初入選。1978年に道展会員、1996年国画会会員。作品は木版がメインである。初期は白黒の1色刷りだったが、後に多色刷りが中心となった。度々海外への取材旅行を行っており、題材もそれら外国を題材としたものが多い。1985年から1997年には北海道教育大学で講師として後進の指導にも当たった。
坂本 龍三(さかもと りゅうぞう、1927年〈昭和2年〉 -… 坂本 龍三(さかもと りゅうぞう、1927年〈昭和2年〉 - 2009年〈平成21年〉6月13日)は、北海道北広島市にある北広島市図書館の初代館長、北海道武蔵女子短期大学の元講師。北海道倶知安町出身。 誕生の半年後に北海道函館市へ転居。北海道第二師範学校(後の北海道教育大学函館校)、慶應義塾大学文学部図書館学科・文学科を経て、北海道教育大学附属図書館に勤務。1967年(昭和42年)、設立間もない北海道武蔵女子短期大学に、北海道内の大学として初めて図書館司書養成課程が設置され、その担当者として採用されたことから、同大学の教員となった。以後、北海道地区における司書養成の中心的存在として、長年にわたって教鞭をとった。
佐藤 教男(さとう のりお、1927年 - 2025年7月1… 佐藤 教男(さとう のりお、1927年 - 2025年7月10日)は、日本の化学工学者、電気化学者。北海道大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1948年山形大学工学部機械科卒業。1961年北海道大学工学博士。1986年北海道大学工学部長。 2001年オーリン・パラジウム賞、2005年電気化学会功績賞を受賞。同年瑞宝中綬章受章。 2025年7月10日、老衰のため北海道石狩市の病院で死去した。98歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉村 冬子(よしむら ふゆこ、1926年〈昭和元年〉12月2… 吉村 冬子(よしむら ふゆこ、1926年〈昭和元年〉12月29日 - 2022年〈令和4年〉12月13日)は、日本のアイヌ文化伝承者。アイヌの古式舞踊、儀礼、口承文芸など伝承・保存活動、アイヌ語教室の講師や助手など、アイヌ文化の伝承・保存活動への積極的に取組により、アイヌ文化の振興に大きく貢献した。同じくアイヌ文化伝承者の新井田セイノは異父姉にあたる。 北海道鵡川村字チン(現・むかわ町)で誕生した。幼少期は両親や近所の人々が話すアイヌ語を聞きながら育ち、日常生活の中でアイヌ語を身に着けた。 1974年(昭和49年)、むかわアイヌ協会が設立されて以降は、設立当時から会員になり、古式舞踊、儀礼、口承文芸など、アイヌ文化の伝承と保存などの活動を、積極的に行なった。
伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2… 伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2000年4月10日)は、日本の弁護士、元検察官。 平和相互銀行監査役を務め、同銀行をめぐる不正経理事件で逮捕された。 1926年12月25日、北海道札幌市にて生まれる。札幌師範付属小学校、札幌第一中学校を卒業し、東京都に出て武蔵高等学校(旧制)を経て東京大学(旧制)法学部に進学。二年生の時に高等文官試験に一発合格した。 卒業後は検事となり、1950年(昭和25年)、23歳時に宇都宮地方検察庁に赴く。初めて担当した詐欺事件では実刑判決まで持ち込んだ。その後は横浜地方検察庁を経て東京地方検察庁刑事部、同庁特別捜査部に勤める。検事としては経済犯罪の捜査に定評があったとされる。
伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2… 伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2023年12月5日)は、日本の実業家。北海道札幌市出身。伊藤組土建代表取締役社長、テレビ北海道代表取締役社長、全日本スキー連盟会長、日本赤十字社北海道支部長等を歴任した。 旧制北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て、早稲田大学に進学。1944年からは学徒動員に伴い川崎の日本鍛造へ勤務、渋谷で東京大空襲に被災し、市ヶ谷の東部軍司令部での事務作業の最中に終戦を迎え、一旦札幌に戻った後1年後に早大へ復学。 1950年に早稲田大学政経学部を卒業した。同年5月に伊藤組土建に入社。一方で終戦直後から「日本を負かしたアメリカはどのような国なのか見てみたい」との思いでアメリカへの留学を考えGHQ総司令部に相談し進駐米軍将校の住宅でハウスボーイとして働いた後1951年に渡米し近代経営学を学び、1952年にカリフォルニア大学大学院を修了し、1953年にコロンビア大学大学院を修了。
浜垣 実(はまがき みのる、戸籍上は「濱垣實」。1926年(… 浜垣 実(はまがき みのる、戸籍上は「濱垣實」。1926年(大正15年)12月14日 - 2016年(平成28年)2月3日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道恵庭市長。 北海道厚田郡厚田村(現石狩市)出身。1955年(昭和30年)自治大学校を卒業する。1943年(昭和18年)厚田村役場に奉職し、1955年(昭和30年)恵庭町役場に転じ、財政課長、庶務課長を経て、1971年(昭和46年)恵庭市助役となる。 1977年(昭和52年)恵庭市長に当選し、4期務めた。「浜垣天皇」と呼ばれるほどの権勢を奮ったが、1993年(平成5年)には多選批判を浴びて、元陸上自衛官で恵庭市議だった合原由作に敗れる。 落選後の翌年2月、在任中に砂利採取業者から受け取っていた現金が賄賂にあたるとして、収賄容疑で逮捕された。
7代 式守 錦之助(ななだい しきもり きんのすけ、1926… 7代 式守 錦之助(ななだい しきもり きんのすけ、1926年12月7日 - 1995年6月18日)は、大相撲の元三役格行司である。本名は浦本守。 1926年北海道旭川市に生まれる。父は旭川市会議員。幼い頃から相撲好きで、声に自信があったので当初は呼出になろうと思い、1941年7月旭川市での巡業がきっかけで浦風部屋に入門。しかし、人の勧めで間もなく行司へと転向する。師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)。1943年1月式守守の名で初土俵、その後何度か改名している。1958年7月場所で十両格に昇格。1962年1月場所に7代式守錦之助を襲名。伊勢ヶ濱部屋に移籍し1974年1月場所で幕内格に昇格。1990年1月場所、63歳で三役格昇格。
斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 20… 斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 2015年10月30日)は、日本の元ラグビー選手及び同監督。 北海中学を経て明治大学へと進んだ。 第二次世界大戦後初めて行われた1946年を手始めに、明早戦に5シーズン連続で出場。1949年度シーズンには主将として、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦制覇など、11戦全勝の記録をもたらした。その後、大映に進み、ここでもプレーした。 また、1952年のオックスフォード大学戦(2試合)、1953年のケンブリッジ大学戦(2試合)に日本代表選手として出場し、キャップ4を獲得。 現役から退いた後は、長らく監督の北島忠治を補佐するヘッドコーチとして母校・明治大学の指導にあたる傍ら、1974年に日本代表監督に就任。
堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6… 堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6日 - 2017年〈平成29年〉11月15日)は、日本の物理学者、随筆家。北海道大学名誉教授。専門は理論物理学であるが、地図に関するエッセイを多く著した。 1926年、物理学者の父・堀健夫と母・志づの長男として京都府京都市に生まれる。弟妹が6人いる。経済学者で関西学院大学学長を務めた堀経夫は伯父、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は母方の叔父にあたる。父の北大着任に伴い、1935年(昭和10年)から北海道札幌市に在住。小学校の頃から地図の魅力に魅せられた。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)を経て、1950年に北海道大学理学部物理学科を卒業。
川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )… 川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 スキーの名門旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)入学時は野球の選手で1年からセカンドのレギュラーとなったが、3年の冬にスキー部へ移り本格的にジャンプを始める。戦後明治大学に進学し、1948年の全日本学生スキー選手権大会(インカレ)で優勝、1952年のオスロオリンピック代表(42位)。
四方 英四郎(しかた えいしろう、1926年9月25日 - … 四方 英四郎(しかた えいしろう、1926年9月25日 - )は、日本の農学者(植物病理学・ウイルス学)。勲等は勲二等。学位は農学博士(北海道大学・1961年)。北海道大学名誉教授、石河子農学院名誉教授、一般社団法人日本植物病理学会名誉会員、日本ウイルス学会北海道支部名誉会員、日本学士院会員。 北海道大学農学部教授、北海道澱粉工業協会参与、株式会社北海道グリーンバイオ研究所所長などを歴任した。 北海道出身の農学者である。植物病理学やウイルス学を専攻しており、虫媒性植物ウイルスが昆虫体内で増殖することを証明するとともに、ウイルスゲノムの分子構造と機能を解明したことで知られる。さらに、日本のホップや果樹に被害を与えるウイロイドを発見し、その病原性と発生生態を解明した。
菅原 峻(すがわら たかし、1926年9月14日 - 201… 菅原 峻(すがわら たかし、1926年9月14日 - 2011年6月24日)は、北海道二海郡八雲町出身の図書館コンサルタント。「日本初の図書館コンサルタント」であるとされることがある。25年間にわたって日本図書館協会に勤務して『中小レポート』などに関与した後、図書館計画施設研究所を創設して独立した。 1926年(昭和元年)に北海道渡島支庁の二海郡八雲町に生まれ、旧制北海道庁立八雲中学校を卒業後に八雲町役場に就職した。日中戦争時には少年兵として志願し、神奈川県高座郡相模原町淵野辺の陸軍兵器学校で特別幹部候補生となったが、1945年(昭和20年)8月の終戦後には復員して八雲町役場に復職した。 ここでの仕事の一つに進駐軍に様々なレクリエーション(テニス、スクエア・ダンス等)を習い、それを町民に教えるということがあった。
出雲井 晶(いずもい あき、1926年9月11日 - 201… 出雲井 晶(いずもい あき、1926年9月11日 - 2010年5月16日)は、日本の作家、日本画家。『「日本の神話」伝承館』館長、『「日本神話の心」伝承の会』会長。日本会議代表委員であった。本名は光定芳子。 北海道岩見沢町(現:岩見沢市)生まれ。旧制和歌山高等女学校卒業。「出雲井晶」というペンネームは、一時期住んでいた島根県の出雲大社に由来している。 日本画家としては日仏現代美術展、パリ・ル・サロン展等に入選、内閣総理大臣賞2回、文部大臣賞2回、パリ芸術大賞を受賞している。 作家としてのデビュー作品は、自らの高齢者介護体験をもとにした小説「花かげの詩」。初期は福祉関連での著作や画文集などが主であった。
島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 20… 島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 2006年10月9日)は、日本の政治家(元日本社会党衆議院議員)。北海道出身。 1944年美幌農林学校(現・北海道美幌高等学校)林業科卒業。北海道湧別町議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から社会党公認で立候補し初当選。連続当選5回。酪農業を営んだ経験から農政に明るく、党の農林政策委員長などを務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退。 1998年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。 2006年10月9日、急性心筋梗塞のため北海道遠軽町の病院で死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
水野 忠彦(みずの ただひこ、1926年8月15日 - 19… 水野 忠彦(みずの ただひこ、1926年8月15日 - 1998年3月1日)は、長野県出身のプロ野球選手。
中村 圭彦(なかむら きよひこ、1926年 7月26日- 2… 中村 圭彦(なかむら きよひこ、1926年 7月26日- 2008年 3月25日)は、日本の元スキージャンプ選手、指導者、スキージャンプ台設計の世界的権威。札幌生まれ。 母方の叔父にガルミッシュ=パルテンキルヒェンオリンピックスキージャンプ代表の龍田峻次、札幌オリンピックでジャンプ競技委員長を務めた龍田鳳三の兄弟。叔父の影響で札幌一中(現在の札幌南高校)の時本格的にジャンプ競技を始め、1949年の全日本選手権で5位入賞。 現役を退いた後1957年から小樽市内の小中学生を対象にジャンプ学校を開いた。その教え子に板垣宏志や青地清二らがいる。1959年に小樽スキー連盟理事となり、1972年の札幌オリンピックではジャンプ競技副委員長を務めた。
秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015… 秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015年4月11日)は、日本の歴史研究家。江戸時代の探検家・松浦武四郎研究の第一人者で、北海道紋別郡遠軽町丸瀬布地域(旧丸瀬布町)の郷土史研究や、丸瀬布地域の住民有志でつくる任意団体「山脈(やまなみ)文化協会」発行の地域新聞『山脈』の編集、北海道遺産選定の蒸気機関車「雨宮21号」の動態保存などにも貢献した。 1926年(大正15年)、北海道紋別郡遠軽村ムリイ(現・遠軽町丸瀬布武利)生まれ。1940年、東京市深川区(現・江東区)の材木店の養子となったあと、陸軍少年通信兵学校を修了したが、養子先の一家が東京大空襲で全滅したため、終戦後の復員にともない出身地の丸瀬布に戻り、丸瀬布郵便局に勤務した。
萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006… 萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者、政治家。アイヌ文化、アイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。アイヌ初の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。 息子の萱野志朗は、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、世界先住民族ネットワーク・AINU代表、FMピパウシ運営者、世界先住民族サミット2008の実行委員会最高責任者。 1926年、 北海道沙流郡平取町二風谷に生まれた。当時、アイヌ語を自在に操れる話者は少なくなっていたが、アイヌ語を母語とする祖母テカッテに育てられたため、2つの言語を母語として身につけた。青年期はアイヌであることから逃避するために出稼ぎに出て、炭焼きや測量士などで生計を立てる。
奥野 一雄(おくの かずお、1926年5月26日 - 199… 奥野 一雄(おくの かずお、1926年5月26日 - 1992年2月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期、日本社会党)。 北海道函館市出身。1944年札幌逓信講習所卒。のち、北海道函館商業高等学校で学ぶ。函館郵便局や電電公社函館通信部に勤務し、全電通函館支部を結成して、委員長となる。その後、函館市議や北海道議となる。1979年と1983年の函館市長選挙に立候補したが落選した。1983年の第37回衆議院議員総選挙で北海道3区から日本社会党公認で立候補して当選。以来連続2期務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選した。1992年2月17日死去、65歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される。
安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997… 安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997年3月11日)は、北海道出身の大蔵官僚、実業家。
持田 恵三(もちだ けいぞう、1926年5月14日 - 20… 持田 恵三(もちだ けいぞう、1926年5月14日 - 2010年1月20日)は、日本の農業経済学者。 北海道砂川市生まれ。1953年東京大学農学部農業経済学科卒。1962年同大学院博士課程修了、「日本農業の近代化過程」で農学博士の学位を取得。農林省農業総合研究所、和光大学経済学部教授。1997年定年、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
日下 喜一(くさか きいち、1926年4月8日 - )は、日… 日下 喜一(くさか きいち、1926年4月8日 - )は、日本の政治学者。青山学院大学名誉教授。 北海道出身。早稲田大学卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科政治学科博士課程修了、法学博士。拓殖大学助教授、青山学院大学法学部助教授、教授。94年定年退職、名誉教授、関東学院大学教授。2000年退職。
中田 鉄治(なかだ てつじ、1926年(大正15年)4月1日… 中田 鉄治(なかだ てつじ、1926年(大正15年)4月1日 - 2003年(平成15年)9月10日)は、日本の政治家。 夕張市長を1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年にわたり務めた。 秋田県に生まれ、生後すぐに夕張町へ移住する。 高等小学校卒業後、北海道殖産銀行(後の旧北海道拓殖銀行)、北海道炭礦汽船の事務職員を経て、1945年(昭和20年)秋に夕張市役所へ入庁した。 夕張市の企画室長だった1970年(昭和45年)に「石炭産業に未来はない」との観点から新産業誘致を打ち出すなど早くから炭鉱の斜陽化・衰退への危機感を持ち、夕張市助役を務めていた1977年(昭和52年)には「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして「石炭の歴史村」事業の計画の端緒を付けた。
五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - … 五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - 2013年5月7日)は、日本の実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 企業組合ほっかい民芸舎理事長、北海道民芸品株式会社代表取締役社長、北海道旭川市長、衆議院議員(5期)、建設大臣(第59代)、内閣官房長官(第58代)、株式会社ほくみん代表取締役会長などを歴任。 1926年生まれ。1943年に北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)を卒業後、愛別村立愛山国民学校の助教として勤務した。その後、陸軍第7師団に入営し訓練を受けていたが、1945年に太平洋戦争が終結した。その後、1953年に民芸品販売店を開き、ほっかい民芸舎の理事長、北海道民芸品の社長などを歴任した。
岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2… 岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2月22日)は、日本の政治家。江別市長(1983年 - 1995年)。北海道江別市出身。 北海中学校卒業後、1943年志願兵として海軍土佐航空隊で飛行兵となり、復員後江別町役場に入庁。1952年に結婚し3児をもうける。同市の総務課長、財政課長、経済建設部長を経て、1970年から1982年まで助役の後1983年に江別市市長選にて江別市長に初当選。以後連続3期を務める。1995年に4期目を目指すも新人候補者小川公人に敗れ、落選。1996年には江別市から市政功労者に選ばれた。2009年2月22日、急性呼吸不全のため死去、82歳。死没日をもって従五位に叙される。
別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 20… 別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 2010年12月25日)は、北海道旭川市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは内野手。 旧制明治中学校では内野手としてプレーし、明治大学に進学。大学3年生の時にマネージャーをする傍らに、島岡吉郎監督の後を受けて母校の明治中学の野球部監督を務めた。大学卒業後は大和証券に入社し、同社の軟式野球部の監督も務め、硬式への切り替えに取り組んだ。 1988年から1995年までに島岡吉郎の後任として、明治大学の監督を務めた。監督在任時には、東京六大学野球リーグでは、4回優勝を果たし、1995年の明治神宮野球大会では、エースの川上憲伸を擁して、日本一を果たした。
丸山 康雄(まるやま やすお、1926年 <大正15年> 2… 丸山 康雄(まるやま やすお、1926年 <大正15年> 2月26日 - 1994年 <平成6年> 6月25日)は、昭和時代の労働運動家。位階は従四位。 札幌市出身。1943年(昭和18年)、北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1948年(昭和23年)に北海道庁に入庁し、労政課に勤務した。1955年(昭和30年)全道庁労組書記長、1975年(昭和50年)全日本自治団体労働組合(自治労)委員長、1976年(昭和51年)日本労働組合総評議会(総評)副議長を歴任。1981年(昭和56年)に第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員を務める(2年間)。労働界からは総評副議長の丸山と、同盟副会長の金杉秀信の2人が委員となった。
寺前 巌(てらまえ いわお、1926年2月20日 - 202… 寺前 巌(てらまえ いわお、1926年2月20日 - 2020年6月6日)は、日本の政治家。日本共産党名誉役員。 北海道夕張市出身。京都青年師範学校(現、京都教育大学)卒。国鉄機関士、京都府議会議員を経て第32回衆議院議員総選挙に京都府第2区より立候補し初当選。以降、党中央委員、幹部会委員、国対委員長、常任幹部会委員、両院議員総会会長を歴任。国会では衆議院運輸委員会などに属した。 革新が強い京都において選挙では毎回安定した戦いを続けていたが、第37回衆議院議員総選挙において共産党が寺前と新人の有田光雄の2名を擁立したところ、絵に描いたような共倒れとなり落選した(両者の得票を足せば、1位当選者の得票をはるかに上回っていた)。
百目鬼 恭三郎(どうめき きょうざぶろう、1926年(大正1… 百目鬼 恭三郎(どうめき きょうざぶろう、1926年(大正15年)2月8日 - 1991年(平成3年)3月31日)は日本の新聞記者、文芸評論家。匿名で発表した原稿も多い。 北海道小樽市に生まれ、群馬県前橋市に育ち、旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に学ぶ。旧制新潟高等学校で丸谷才一と知り合う。東京大学文学部英文学科を卒業後、母校群馬県立前橋高等学校勤務を経て、補欠社員募集に応じて朝日新聞社に入る。入社当初は宇都宮支局にて刑事事件の記事を書いていた。 入社4年後に東京本社学芸部に転属。まもなく安西均の後任として詩壇を担当したが、現代詩に疎いため、大学時代の友人である篠田一士にたびたび意見を訊いていた。
福田 勝一(ふくだ かついち、1926年(大正15年)2月6… 福田 勝一(ふくだ かついち、1926年(大正15年)2月6日 - 2003年(平成15年)8月14日)は、日本の警察官僚。第74代警視総監。 北海道旭川市出身。旧制北大予科を経て1950年に東京大学法学部を卒業し、自治省に入省。警視庁公安部公安第一課長・同公安部長・兵庫県警本部長・内閣官房内閣調査室長などを経て、1984年10月に警視総監に就任。在任中はロス疑惑の捜査の指揮に当たり、1985年9月に当時起訴が困難と見られていた三浦和義の逮捕を断行し、世間を驚かせた。同年10月に退任し、以後は自治省中央選挙管理会委員、武富士非常勤顧問などを務めた。 武富士非常勤顧問時代の1992年12月に、同社の顧客情報が漏洩した問題で刑事告訴をするため、藤川忠政・武富士渉外部長とともに、警視庁刑事部長だった佐藤英彦元警察庁長官に面会した際、額面50万円の仕立券を渡したとして、2004年4月26日の参議院決算委員会で追及された。
門脇 佳吉(かどわき かきち、1926年1月6日 - 201… 門脇 佳吉(かどわき かきち、1926年1月6日 - 2017年7月27日)は、日本の神学者、宗教学者、イエズス会司祭。上智大学名誉教授。別名大基。 北海道旭川市出身。 旧制見付中学校(現在の静岡県立磐田南高等学校) 、1948年東京帝国大学工学部応用化学科卒業。上智大学大学院で文学修士・神学修士。1964年ローマ・グレゴリアン大学にてPh.D.取得。フォーダム大学で心理学を、レーゲンスブルク大学でマイスター・エックハルトを研究。上智大学教授、1996年定年、名誉教授。 大森曹玄老師(花園大学元学長)から嗣法。「道の共同体」師家。禅とキリスト教を比較研究。 2006年11月瑞宝小綬章受章。
小柄 義信(こづか よしのぶ、1926年 - )は、日本の政… 小柄 義信(こづか よしのぶ、1926年 - )は、日本の政治家。北海道余市郡余市町出身。北海中学校卒。北海道余市町町長(1971年-1986年)。 1946年余市町役場に入る。同町財務課長補佐を経て、1971年無所属で余市町長選挙に立候補、初当選。以後連続4期16年を町政を担い、北海道町村会副会長や後志町村会会長も務めた。1987年に落選。間もなく、町内の病院の入院患者などの票を現金買収した容疑(公職選挙法違反)で同年8月19日に逮捕された。 なお、町政では、1982年に余市町総合計画を掲げ、テーマは『豊かなる海と緑、経済と生活が調和した活力にあふれる北後志の拠点都市』とする計画を打ち立てた。
黒坂 正次(くろさか まさじ、1926年(大正15年) - … 黒坂 正次(くろさか まさじ、1926年(大正15年) - 2007年(平成19年))は、日本の経営学者。函館大学名誉教授、函館短期大学学長、函館大学付属柏稜高等学校校長。北海道函館市出身 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
出村 龍聖(でむら りゅうせい、1926年 - 1989年)… 出村 龍聖(でむら りゅうせい、1926年 - 1989年)は、八大龍王神八江聖団の創始者、教祖・元海軍軍人。本名は出村 勝雄。北海道檜山郡江差町出身。 漁業を営む父母の元に長子として出生。幼少の砌より信仰心が殊の外厚く、地元の賢光稲荷や福幸稲荷の社の掃除を地元の高等小学校の登校前に率先して行い日課にしたという。10歳の時に霊夢をみて、以来霊感による予言を始める。その後、横須賀市の海軍航空技術廠付属工業学校を卒業し、海軍工作科予備補習生を経て、第1海兵団に入団。1943年千歳海軍航空隊に配属され、北千島や横須賀第1海兵団などに転属。空母「信濃」に従事し、戦闘機設計にも携わった。終戦後、復員し、混乱した世相の中、滝修行や断食など生命を賭した荒修行を重ね、その荒修行の中で、八大龍王神が龍聖の体に降臨したという。