伊東 直輝 (いとう なおき 1994年 9月23日 - )… 伊東 直輝 (いとう なおき 1994年 9月23日 - ) は、北海道千歳市生まれの技術者。 オランダ・ アムステルダムにて開催されたプレ技能五輪国際大会に出場し、優勝。それを経て、長谷川準選手と共に自動走行するマシンの設計、製作、プログラミングを2人1組で行う競技である、移動式ロボットに出場し、金メダルを獲得した。 北海道千歳市に生まれる。 2009年、北海道苫小牧工業高等学校へ進学。機械工作研究部にて活躍をする。 2012年、北海道苫小牧工業高等学校を卒業。 株式会社デンソーへ入社する。 2015年:第43回 技能五輪国際大会 ブラジル・サンパウロ大会に出場。
嶋田 健作(しまだ けんさく、1976年 - )は、日本の実… 嶋田 健作(しまだ けんさく、1976年 - )は、日本の実業家、エンジニア。室蘭工業大学を卒業後、半導体開発などを経て2001年に株式会社ライブドアに入社。その後、データセンター事業、アプライアンス事業、IP電話事業などのエンジニアを経て、データセンター事業の事業責任者に就任した。2012年にNHN Japan株式会社(現LINE株式会社)の子会社として、株式会社データホテル代表取締役社長に就任。その後、EC事業会社などと合併したテコラス株式会社(現、NHNテコラス株式会社)代表取締役社長としてネットワークからクラウドまで幅広い事業を展開したのちに、2015年に退任した。NHNテコラス株式会社特別顧問の他、日本MSP協会理事などを歴任している。
岩佐 俊秀(Toshihide Iwasa、いわさ としひで… 岩佐 俊秀(Toshihide Iwasa、いわさ としひで、1975年11月18日 - )は、日本のシンセサイザープログラマー、レコーディング・エンジニア、スタジオ設計者。北海道千歳市出身。O型。 1994年から小室哲哉のローディーを始め、安室奈美恵の1997年発売のアルバム「Concentration 20」にシーケンサーのプログラマーとして参加する。その後引き続き、小室の専属マニピュレーターとして活躍し、レコーディング・エンジニア、制作ディレクションを担当。3,000曲以上の楽曲制作と、数多くのライブ制作に参加。2017年まで師事する。当初は全く音楽を知らず、プログラミングなどは小室から学んだという。
砂原 良徳(すなはら よしのり、1969年9月13日 - )… 砂原 良徳(すなはら よしのり、1969年9月13日 - )は、日本のテクノミュージシャン、マスタリング・エンジニア。1991年から1999年まで電気グルーヴのメンバーとして活動。「日本プロ音楽録音賞」ベストパフォーマー賞受賞者。2022年よりTESTSETのメンバーとしても活動中。愛称は「まりん」。 北海道札幌市豊平区出身。小学4年の時、地元のロボット展示会で耳にしたYMOの『中国女』が、自らの音楽的な出発点だという。中学生でシンセサイザーを始め、YMOやクラフトワークなどの、テクノポップ・ニューウェーブの影響を強く受ける。 1991年、平沢進のコンサートツアー「ヴァーチュアル・ラビット・ツアー」でのサポートメンバーを経て平沢から解凍後のP-MODELへ加入の打診を受けるが、かねてから交流のあった石野卓球へ1991年春に渡したデモテープをきっかけにCMJK脱退後の電気グルーヴへ同年夏にメンバーとして加入。
桜井 通開(さくらい みちはる、1969年3月 - )は、日… 桜井 通開(さくらい みちはる、1969年3月 - )は、日本のライター、エンジニア、元予備校講師。 北海道生まれ。1987年3月、北海道旭川東高等学校卒業。高校卒業後に上京。御茶ノ水の駿台に通う浪人生活を1年間過ごす。秋山仁・長岡亮介(数学)、伊藤和夫(英語)、坂間勇・山本義隆(物理)らの授業を受けた。1988年4月に東京大学に進学。大学在学中より、音楽・映画などのライター、ミニコミの編集などを始める。桜井が編集・発行人を務めたミニコミ『shortcut』が評判を呼んだ。 『FOOL'S MATE』の編集長であった羽積秀明の講演を聞いて感激し手紙を送ったことがきっかけとなり、1989年より同誌に原稿を執筆するようになる。
植松 努(うえまつ つとむ、1966年8月17日 - )は、… 植松 努(うえまつ つとむ、1966年8月17日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道芦別市出身。 北海道芦別高等学校を経て、1989年北見工業大学工学部応用機械工学科卒業。1989年菱友計算に入社。1994年同社を退社し、父が経営する植松電機に入社。1999年同社専務取締役。2005年人間力大賞グランプリを受賞。2006年カムイスペースワークスを設立し、代表取締役社長に就任。2016年植松電機代表取締役社長に就任。この他に、NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター理事も兼職。
赤坂 祐二(あかさか ゆうじ、1962年(昭和37年)1月3… 赤坂 祐二(あかさか ゆうじ、1962年(昭和37年)1月3日 - )は、日本の経営者、技術者。日本航空代表取締役会長。公益財団法人日本交通公社評議員。 北海道札幌市出身。少年時代はプラモデルの戦闘機が好きで狸小路の中川ライター店に通い、中学生の頃から航空機の設計に関心を持った。小学生時代はのちに本田技研工業の社長となる三部敏宏と少年野球で一緒にプレーし仲が良かった。中学1年で三部の転居のため離ればなれになったが、社長となってから再会している。札幌北高等学校時代はスキージャンプの選手だった。 国産航空機の設計に携わりたいと考えたことから、東京大学の航空学科に進み、1987年に同大学大学院工学系研究科を修了後、同年技術系として日本航空入社。
齋藤 晋(さいとう すすむ、1961年1月23日 - )は、… 齋藤 晋(さいとう すすむ、1961年1月23日 - )は、日本の実業家、技術者。北海道電力代表取締役社長。 北海道札幌市出身。1983年に北見工業大学工学部環境工学科を卒業後、同年北海道電力に入社し、滝川発電所に配属された。大学の研究室で重油ボイラーの性能試験などを行っていたことから、発電所の仕事に興味を持ったという。 入社後は火力発電部門が長いが、火力保守センターの他、人事労務部、総合研究所(金属研究など)、企画部などを経験し、2008年から火力部次長、2012年から火力部火力企画グループリーダーを務めた。 2015年には苫東厚真発電所所長に就任。所長時代は世界一の石炭火力発電所になることを目標に掲げ、デジタル技術の導入や効率化を推進した。
村田 真(むらた まこと、1960年 - )は、日本のソフト… 村田 真(むらた まこと、1960年 - )は、日本のソフトウェア技術者である。工学博士。東日本国際大学名誉教授。W3C (World Wide Web Consortium) の XMLワーキンググループで、他のグループメンバーとともにマークアップ言語 XML1.0 の仕様を設計した。また、ジェームズ・クラークとともに XML のスキーマ言語 RELAX NG の仕様を設計した。EPUB 3.0の制定にあたっては国際化担当サブグループリーダを務めた 北海道旭川市出身。1978年に北海道旭川東高等学校、1982年に京都大学理学部を卒業。1985年に富士ゼロックスに入社。1993年から1995年の間は、米国ゼロックス社の研究所に滞在し、構造化文書の研究をした。
角島 秀輝(かくしま ひでき、1959年12月1日 - )は… 角島 秀輝(かくしま ひでき、1959年12月1日 - )は、日本の発明家、技術者である。 北海道室蘭市生まれ。北海道恵庭北高等学校卒業後、札幌トヨペット、航空自衛隊、ハドソンなどを経て30歳の時に株式会社アンフィニーシステムを立ち上げる。システム開発者、プログラマ、システムコーディネーター、システムエンジニアを兼務する。独立後は、親戚の関係で日本で最古のパソコン通信を使用した土木自動計測システム(地すべり自動監視システム)を手掛けた。 ハドソン時代では、ハドソンが手掛けたシャープX68000のガイドブックを著書として出筆し、ビジネスアスキー出版が出した。ハドソンを退社後、Human68kを手掛けた当時ハドソンの優秀な技術者である本迫芳夫氏からの友情かつ信頼からHuman68kの32BIT化を手伝った。
藤井 裕(ふじい ゆたか、1956年4月19日 - )は、日… 藤井 裕(ふじい ゆたか、1956年4月19日 - )は、日本の実業家、技術者。北海道電力代表取締役兼社長執行役員を経て、同社代表取締役会長、北海道経済連合会会長。元電気事業連合会副会長。 北海道美唄市出身。実家は農家。美唄市の中学校、岩見沢東高等学校を経て、1981年に宇都宮大学工学部電気工学科を卒業後、北海道電力に入社し、帯広電力所保修課保修第一係に配属された。 北海道電力では送電部門を中心とした工務分野を長年担当した。調整型の温和な人柄で知られ、2007年には室蘭支店長に就任。2010年人事労務部長。2011年理事人事労務部長。2014年上席執行役員お客さま本部副本部長、ビジネスサポート本部副本部長、流通本部副本部長、配電部・工務部担当。
真弓 明彦(まゆみ あきひこ、1954年5月7日 - )は、… 真弓 明彦(まゆみ あきひこ、1954年5月7日 - )は、日本の実業家、技術者。北海道電力代表取締役社長、同社代表取締役会長を経て、同社名誉顧問、北海道経済連合会名誉会長、北海道大学総長顧問。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1979年北海道大学工学部電気工学科卒業、北海道電力入社。工務畑を長く歩み、再生可能エネルギーの受け入れなども担当した。2008年理事工務部長。2012年常務取締役流通本部長。2014年取締役副社長流通本部長。 2014年北海道電力代表取締役社長に昇格。2015年から原子力推進本部長を兼務。電力自由化への対応を行い、2018年からは大口向けのガス小売りを開始。
佐藤 佳孝(さとう よしたか、1950年4月22日 - )は… 佐藤 佳孝(さとう よしたか、1950年4月22日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長や、同社代表取締役会長、電気事業連合会副会長を歴任した。 北海道小樽市出身。1974年東京工業大学(現東京科学大学)理学部情報科学科卒業、北海道電力入社。旭川支店営業部長、情報通信部長、理事企画本部副本部長等を経て、2006年常務取締役。2007年常務取締役お客さま本部長。 2008年から北海道電力代表取締役社長を務め、泊原子力発電所再稼働に向けた働きかけなどを行った。2012年代表取締役会長、JR北海道取締役。北海道胆振東部地震では大規模な停電が生じ、記者会見で謝罪した。 2016年財務省北海道財務局国有財産北海道地方審議会会長。
高井 修(たかい おさむ、1949年12月16日 - )は、… 高井 修(たかい おさむ、1949年12月16日 - )は、日本の土木技術者、地方公務員。北海道副知事を経て、伊藤組代表取締役会長、北海道経済連合会副会長。 北海道生まれ。1968年北海道札幌東高等学校卒業、1974年北海道大学大学院工学研究科土木工学専攻修了。同年北海道入庁。函館土木現業所勤務。1998年北海道総合企画部政策室参事。1999年北海道総合企画部構造改革推進室参事。2001年北海道帯広土木現業所所長。2002年北海道総合企画部政策室次長。2003年北海道総務部知事室長。2004年北海道知事政策部知事室長。2005年北海道経済部参事監。2007年北海道環境生活部長。2009年建設部からは初となる北海道副知事に就任。
大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、… 大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道電力取締役副社長を経て、北海道電気保安協会理事長や、北海道経済連合会会長を務めた。 北海道函館市生まれ。1972年北海道大学工学部卒業、北海道電力入社。取締役原子力部長、常務取締役泊原子力事務所長、常務取締役発電本部長、取締役副社長を経て、2011年北海道電気保安協会理事長。2014年から北海道経済連合会会長を務め、北海道新幹線延伸前倒し問題などにあたった。2015年から体調に問題が生じ2016年に退任した。北海道食産業総合振興機構理事長、北海道科学技術総合振興センター理事長等も歴任した。
鈴木 英一(すずき えいいち、1949年または1950年 -… 鈴木 英一(すずき えいいち、1949年または1950年 - )は、日本の国土交通技官、博士(工学)、技術士、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。国土交通省北海道開発局長や、北海道大学大学院工学研究院特任教授を経て、伊藤組土建代表取締役副社長。 北海道夕張市出身。1975年北海道大学工学部土木工学科卒業、北海道開発庁入庁。1988年北海道開発局石狩川開発建設部千歳川放水路建設事業所長。1991年北海道開発局帯広開発建設部帯広河川事務所長。1992年北海道開発局建設部河川計画課課長補佐。1993年北海道開発庁水政課開発専門官。1995年北海道開発局建設部河川計画課河川企画官。1997年北海道開発局旭川開発建設部次長。
山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2… 山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2日 - )は日本の経営者、ウイスキー製造者、技術者。ニッカウヰスキーの代表取締役社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 5人兄弟の末っ子として北海道函館市に生まれる。函館市立柏野小学校、函館市立的場中学校、函館ラ・サール高等学校を経て、1970年、北海道大学農学部卒業。 同年、ニッカウヰスキー入社。生産部長、西宮工場長、アサヒビール酒類事業本部副本部長などを歴任、2002年、アサヒビール執行役員、2005年3月25日、ニッカウヰスキー株式会社代表取締役社長。2010年3月24日、同社代表取締役会長。同年4月1日、第4代マスターブレンダー就任。
小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 20… 小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 2019年10月21日) は、日本の技術者、実業家。アズビル代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本電気制御機器工業会会長、日本電気計測器工業会会長などを歴任した。藍綬褒章受章。 北海道帯広市生まれ。1970年北海道大学工学部応用物理学科卒業、山武ハネウエル入社。 1988年山武ハネウエルアドバンステクノロジーセンター所長。1994年山武ハネウエル工業システム事業部システム開発統括部長。1996年山武ハネウエルア取締役。2000年山武産業システム代表取締役社長。2003年執行役員常務アドバンスオートメーションカンパニー社長。 2004年から代表取締役社長兼執行役員社長を務め、社名をazbilに変更した。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の… 大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の自動車技術者、実業家。豊田工機代表取締役会長兼社長や、日本工作機械工業会会長、中部品質管理協会会長等を歴任した。 北海道函館市出身。1957年北海道大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。トヨタ生産方式の整備にあたり、1984年には大橋正昭、高橋朗らとともに、トヨタ自動車取締役に昇格した。1988年トヨタ自動車常務取締役。1994年トヨタ自動車専務取締役。 1996年豊田工機代表取締役社長。2000年豊田工機代表取締役会長。2001年日本工作機械工業会会長会長。 2003年豊田工機代表取締役会長兼社長。2004年豊田工機相談役、中部品質管理協会会長。
安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - … 安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - 2014年2月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 東京都生まれ。北海道小樽市で育つ。北海道庁立小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を経て、1955年東京大学工学部精密工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1959年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)転籍。自動巻き腕時計「ジャイロマーベル」、世界初のクォーツ腕時計「セイコークォーツ・アストロン」などを開発し商品化。1976年同社取締役。1991年セイコーエプソン代表取締役社長。1998年長野県経営者協会会長。2001年セイコーエプソン会長。
山田 基博(やまだ もとひろ、1918年 - 2012年)は… 山田 基博(やまだ もとひろ、1918年 - 2012年)は日本の技術者。 累計1万台以上の山田風車が製造され、北海道はもとより、国内外の各地に設置されたが、各地の電化が進むにつれて、1960年代にはその役割を終えた。この数はウィンドファームが設置されている現在の日本国内での設置台数よりも多い。数々の特許を取得した。風トピアで実験の結果、弱風から発電を開始して、強風では独特の構造で風を避け、発電効率が高く、耐久性にも優れ、輸入機より高性能であることが実証された。当時製造された風力発電機は現在の基準でも遜色ない水準で費用対効果に優れていた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
網島 毅(あみしま つよし、1905年(明治38年)6月2日… 網島 毅(あみしま つよし、1905年(明治38年)6月2日 - 1995年(平成7年)4月2日)は、昭和時代から平成時代の通信技術者。 北海道小樽市出身。1929年(昭和4年)北海道大学工学部を卒業、逓信省工務局に奉職。無線課長、電波局電波課長、電波局長、電波管理局長官を歴任。この間、1936年(昭和11年)ベルリンオリンピック開催に際した日独間無線写真伝送実験、航空無線用超短波全方向式ビーコンの発明考案などに貢献した。 行政面では、1937年(昭和12年)カイロで行われた国際電信電話会議及び国際無線通信会議に政府委員として出席したほか、1948年(昭和23年)メキシコシティの国際短波放送会議にはSCAP代表の技術顧問として赴き、日本に対する国際放送周波数の割り当ての原則の確認を得た。
遠藤 幸吉(えんどう こうきち、1905年1月10日 - 1… 遠藤 幸吉(えんどう こうきち、1905年1月10日 - 1998年12月14日)は、日本の経営者、電気技術者。 東京エレクトロン研究所(現・東京エレクトロン)初代社長をつとめた。 北海道小樽市出身。1930年に東京帝国大学工学部電気科を卒業。電通での勤務を経て、1952年にラジオ東京に入社し、取締役を経て、1956年1月に常務取締役テレビ技術局長に就任。 1963年にラジオ東京などの出資により東京エレクトロン研究所が設立されると、同社の初代社長に就任。1974年には会長に就任。 1980年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年12月14日老衰のために死去。93歳没。
藤井 松太郎(ふじい まつたろう、1903年(明治36年)1… 藤井 松太郎(ふじい まつたろう、1903年(明治36年)10月5日 - 1988年(昭和63年)2月4日)は、日本の鉄道技術者。第7代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1973年 - 1976年)。太っ腹の親分肌といわれ、トンネルや橋梁の技術に精通していたことから“トンネル松”と呼ばれていた。 北海道雨竜郡一已(いちゃん)村(現在の深川市)の農家藤井豊吉・チエの長男として生まれる。農家の次男であった父豊吉と母チエは1900年5月に香川県大川郡福栄村から、当時開拓が始まったばかりの一已村に親戚を頼って娘2人を連れて移住している。移住してしばらくは極貧の生活であったが、1914年から始まった第一次世界大戦による豆需要により生活が安定。
相澤 次郎(あいざわ じろう、1903年 - 1996年)は… 相澤 次郎(あいざわ じろう、1903年 - 1996年)は、日本の技術者。北海道夕張市出身。 1914年、小学5年生の際に1860年のロンドンの博覧会に出展された人造人間「マシンボックス」の写真に感銘を受けロボットへの志向を高める。 1931年、日本初のロボット工作指南書「図解 人造人間の作り方」を著し、1933年には「ロボット管弦楽団」を展覧会に出品し1934年には「ロボット」「ROBOT」の登録商標を取得したが「ロボットはみな兄弟」の信念のもとに、その商標権を行使せずにロボットの普及に務める。 戦後は東京都立工芸高等学校の講師や安立電気の技師の傍らで子供向けの制作活動を再開、上野動物園のおサル電車や象型ロボット「多摩吉君」などを制作、また当時海外輸出で人気を博したブリキ製のロボット玩具についてのアドバイスも行った。
橋本 彦七(はしもと ひこしち、1897年(明治30年)8月… 橋本 彦七(はしもと ひこしち、1897年(明治30年)8月11日 - 1972年(昭和47年)9月12日)は、日本の政治家、技術者。熊本県水俣市長(4期)。日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)水俣工場勤務時代、水銀触媒を用いたアセトアルデヒドと酢酸の合成法を発明。1938年(昭和6年)から1946年(昭和21年)まで水俣工場長を務めた。 現在の北海道札幌市に南部家の四男として生まれる。旧制札幌第一中学校卒業後、1916年(大正5年)、東京市日本橋在住の橋本家の養子となる。1919年(大正8年)、東京高等工業学校電気化学科(現・東京工業大学)卒業。同年、日本窒素肥料(現・チッソ)に入社。 1931年(昭和6年)、橋本らは、カーバイトからアセチレンを作り,これを水銀触媒を使ってアセトアルデヒドに変える一連の合成方法を発明し、特許原簿に登録した。