畑端 省吾(はたばた しょうご、1982年3月30日 - )… 畑端 省吾(はたばた しょうご、1982年3月30日 - )は、JRA・栗東トレーニングセンター所属の調教師・元騎手。 2000年、第16期生としてJRA競馬学校騎手課程を卒業。同期には嘉藤貴行、金子光希、小林慎一郎、鈴来直人、田嶋翔、西原玲奈らがいる。栗東・坂口正則厩舎に所属し、3月19日の中京3Rで自厩舎のゴールドカントリーで逃げ切り初勝利を挙げた(17戦目)。デビュー年は191戦4勝という成績を残す。 2年目の2001年には自身最多の13勝を挙げ、翌2002年8月18日の小倉10R阿蘇ステークス(OP)では7番人気ダンシングテンに騎乗し、安藤勝己騎乗の1番人気キタサンチャンネルを差し切って特別レース初勝利。
高柳 大輔(たかやなぎ だいすけ、1977年6月7日 - )… 高柳 大輔(たかやなぎ だいすけ、1977年6月7日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターの調教師。北海道門別町出身。美浦トレーニングセンターに所属する調教師の高柳瑞樹は実兄。 実家は北海道日高町の生産牧場である高柳牧場で幼い頃から馬に携わってきた。小学校、中学校はサッカー部に所属していたが札幌光星高校で兄・瑞樹の勧めで同じ馬術部に入部し、本格的な馬乗りを始める。しかし実際は大学の推薦をもらうための入部であった。京都産業大学に進学後も馬術部に所属し、4年生の時には全日本学生馬術大会に出場。 大学卒業後はノーザンファームに就職し、途中からノーザンファームが間借りしていた滋賀県のグリーンウッド・トレーニングに勤務した。
高柳 瑞樹(たかやなぎ みずき、1975年8月1日 - )は… 高柳 瑞樹(たかやなぎ みずき、1975年8月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属している調教師である。弟は調教師の高柳大輔。 実家は北海道日高町の高柳牧場。子供の頃から牧場の仕事を手伝いをしており、馬に関わっていた。高校から馬術を始め、大学では明治大学の馬術部に入部する。4年生の時に主将を務め、全日本学生馬術大会では馬場馬術競技に個人出場。明治大学としては完全優勝(障害・馬場・総合の3種目すべて団体優勝)を果たす。 大学卒業後、1999年に競馬学校厩務員過程に入学し、同年に卒業、吉永正人厩舎で厩務員になる。翌月から伊藤伸一厩舎に移り、調教助手を務めた。 2010年に6回目の挑戦で調教師試験に合格し、調教師となる。
櫻井 拓章(さくらい ひろあき、1973年2月17日 - )… 櫻井 拓章(さくらい ひろあき、1973年2月17日 - )とは、地方競馬のホッカイドウ競馬所属の調教師、元騎手である。勝負服の柄は紫、胴白玉霰。北海道函館市出身、身長166センチ、体重45キロ、血液型B型。函館市立亀田中学校卒業。 1990年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、林正夫厩舎から騎手デビュー。。同年4月17日、帯広競馬第7競走(アラ系D級一般戦)ミクロコスモスでレース初騎乗(8頭立て3番人気7着)。同年5月28日、帯広競馬第2競走(サラ系3歳一般戦)でモガミマイカ(10頭立て1番人気)に騎乗し、初勝利を挙げる。 1997年8月2日、札幌競馬第6競走(3歳500万下)でサントパレスに騎乗(11頭立て3番人気6着)し、中央競馬初騎乗。
田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は… 田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の調教師、元騎手。愛称は「カッチー」。シンクバンク所属。 1986年JRA競馬学校騎手課程入学。同期に佐藤哲三、角田晃一らがいる。 初騎乗は1989年3月4日に中京競馬の第2競走でチャンピオンミナミに騎乗し6着。その後ストレスからバセドウ病を患い半年間休養している。その年にデビューした新人騎手の中で初勝利はもっとも遅く、10月21日の東京競馬の第6競走、セキテイボーイだった。なお同馬の勝利が、大種牡馬テスコボーイ産駒の最後の勝利ともなった。 重賞初勝利は1990年9月9日の京王杯オータムハンデキャップでオラトリオに騎乗しての勝利だった。
蛯名 正義(えびな まさよし、1969年3月19日 - )は… 蛯名 正義(えびな まさよし、1969年3月19日 - )は、JRA所属の元騎手で現在は調教師。2001年度の全国リーディングジョッキーであり、2012年に史上7人目のJRA2000勝を達成した関東のトップジョッキーである。 愛称は「エビショー」。夫人は元土曜競馬中継司会者の石森かずえ。調教師の蛯名信広は遠縁にあたる。 北海道札幌市白石区出身。グリーングラスが勝利した菊花賞を見て騎手を志す。 小学生のときに足の難病を発症するが、その時に入院していた病院に当時読売ジャイアンツに在籍していた王貞治が慰問、じゃんけんを勝ち抜き抱っこしてもらう。後に騎手となった際に王とは再会を果たすことになる。 その後、病気は奇跡的に回復し、札幌市立東白石中学校卒業後に競馬学校入り。
池田 孝(いけだ たかし、1967年2月21日 - 2024… 池田 孝(いけだ たかし、1967年2月21日 - 2024年4月27日)は、川崎競馬場に所属していた調教師。南関東、川崎開催リーディングトレーナー争いに毎年のごとく顔を出す川崎競馬場を代表する調教師の一人であった。 2007年南関東リーディングトレーナー、2006-2010年及び2012年川崎開催リーディングトレーナー。厩務員時代には東京大賞典や東京王冠賞を制したドルフィンボーイを担当した。 北海道岩見沢市出身。姉はホッカイドウ競馬の元騎手で調教師の角川秀樹の妻。 母子家庭の育ちで、母親が厩舎内の食堂に勤務していた縁から、中学生の時から騎手見習いとして厩舎の手伝いをしていたが、身体の急成長もあり騎手を断念。
伊藤 圭三(いとう けいぞう、1963年3月28日 - )は… 伊藤 圭三(いとう けいぞう、1963年3月28日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の調教師である。札幌光星高校、日本大学農獣医学部(現在の生物資源科学学部)卒業。馬術部出身。 実家は競走馬生産・育成牧場であるグランド牧場で、3代目社長の伊藤佳幸(故人)は実兄、4代目社長の伊藤佳洋は甥にあたる。 札幌光星高校馬術部在籍時の第35回国民体育大会の少年の部・障害飛越団体で優勝(この時の団体メンバーは現・吉澤ステーブル代表の吉澤克己)、同じく少年の部・障害飛越個人で準優勝の成績を挙げる。 日本大学在学中に調教師として競馬に関わっていくことを決意。卒業後の1985年に競馬学校厩務員課程に進み、修了後1986年よりJRA美浦トレセンの小林常泰厩舎に調教助手として所属。
堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井… 堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は佐々木忠昭厩舎。北海道浦河町出身、血液型O型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・紫一本輪、袖紫。 1977年10月に地方競馬騎手免許を取得し、遠間波満行厩舎から騎手デビュー。1977年10月16日大井競馬第6競走ウインザヒーローで初騎乗(10頭立て9着)。同年11月1日大井競馬第5競走リユウジヤンボで初勝利。 1989年9月17日4回中山4日目第11競走第35回オールカマーでスーパーミストに騎乗のため遠征し、同日第1競走アラ系3歳未勝利戦をバーガンディで勝利し、中央競馬初騎乗初勝利。 1997年1月14日大井競馬第9競走ヨシカツタイコーで地方競馬通算1000勝達成。
的場 均(まとば ひとし、1957年3月25日 - )は、日… 的場 均(まとば ひとし、1957年3月25日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の元騎手で、現在は調教師。 1975年に騎手デビュー。若手のころより頭角を現し、関東所属の上位騎手として定着。1989年にドクタースパートで皐月賞を制したことを皮切りに、1990年代に入り数々のGI競走を制する。特にGI競走3勝のライスシャワー、同4勝のグラスワンダーとは名コンビを謳われた。また、なんらかの記録が懸かった馬を破る例が多かったことから「ヒットマン」などとも称された。2001年2月に引退。騎手通算成績は12387戦1454勝(うちJRA12309戦1440勝)、GI競走13勝を含む重賞68勝(同前63勝)。
加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、… 加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手。 1975年に中央競馬で騎手デビュー。所属する二本柳俊夫厩舎の主戦騎手として2年連続のJRA年度代表馬となったホウヨウボーイや、東京優駿(日本ダービー)優勝馬シリウスシンボリなど4頭の八大競走・GI級競走優勝馬に騎乗、またフリーとなってからもエリザベス女王杯に優勝したホクトベガなどに騎乗した。2005年に騎手を引退し、調教師に転身。主な管理馬にオーストラリアのGI競走オールエイジドステークスに優勝したハナズゴールがいる。 JRA元騎手で調教師の加藤士津八は長男。他に息子の1人が小島太厩舎の厩務員をしていた。
矢内 博(やうち ひろし、1956年1月10日 - )は、船… 矢内 博(やうち ひろし、1956年1月10日 - )は、船橋競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は凾館一昭厩舎。北海道苫小牧市出身、血液型A型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・赤玉霰、袖桃。 凾館政一厩舎から騎手デビュー。1972年10月20日ヒサヤマヨシで初騎乗。同日イクセルプリンスで初勝利。 1999年6月13日3回東京8日目第9競走菖蒲ステークス15番人気アスキットマジックで中央競馬初騎乗(15頭立て13着) 調教師転身のため、2008年5月31日付けで騎手引退。 地方通算成績は10023戦891勝・2着939回・3着1002回・勝率8.9%・連対率18.3% 中央競馬通算2戦0勝 2008年5月21日調教師試験に合格し、同年6月1日付けで調教師免許取得。
小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - 2… 小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - 2012年1月23日)は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。 騎手時代の主な騎乗馬に、1982年の最優秀障害馬キングスポイント、1992年のクラシック二冠を制したミホノブルボン、1994年の優駿牝馬(オークス)優勝馬チョウカイキャロル、1995年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬タヤスツヨシなどがいる。騎手通算4722戦495勝。戦後デビューの騎手の内、平地・障害それぞれの最高級競走である日本ダービーと中山大障害で2勝ずつを挙げている唯一の騎手である。 2003年より調教師として栗東トレーニングセンターに厩舎を開業。2005年の中山大障害に優勝し、同年の最優秀障害馬に選出されたテイエムドラゴンなどを管理した。
金山 明彦(かなやま あきひこ、1951年10月16日 - … 金山 明彦(かなやま あきひこ、1951年10月16日 - )は、ばんえい競馬の調教師である。北海道旭川市生まれ。かつては、ばんえい競馬の騎手でもあり、「ミスターばんえい」と称される。 金山の養父は、ばんえい競馬の競走馬を売買していた。あるとき金山は養父にばん馬見物へ連れられてゆく。その時に金山が目にしたものは中西関松が活躍する姿であった。その姿に憧れを抱き、金山は小学校6年生の時に草ばん馬で騎乗するようになる。父と中西の間に親交があったこともあり、滝川市立開西中学校を卒業後、金山は中西関松厩舎で厩務員になることができた。 中西厩舎における厩務員生活は早朝4時の調教から始まり、全ての仕事を終えて就寝できるのが21時となる厳しい環境下にあったが、金山は「全く苦にはならなかった。
藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は… 藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。調教師として1570勝をあげた名伯楽として知られており、1993年から2009年までの間に、12度のJRA賞最多勝利調教師を獲得した。 戸籍上の表記は藤澤 和雄だが、JRAでは旧字体等での登録が認められていないため、新字体の「藤沢」に修正して登録、引退後の活動名も修正名義としている。ただし、一部媒体では旧字体の名義を使用することもある。 なお、同姓の調教師・藤沢則雄(栗東所属)との区別のため、競馬新聞・スポーツ新聞等では「藤沢和」と表記されていた(両者に血縁関係はない)。
堂山 芳則(どうやま よしのり、1951年1月16日 - )… 堂山 芳則(どうやま よしのり、1951年1月16日 - )は、ホッカイドウ競馬に所属していた元調教師。北海道帯広市出身。長男・堂山直樹は元騎手。 父の堂山大企知は繋駕速歩競走の騎手を経て平地競走の調教師に転じたが病に倒れ、三男である芳則も1970年から騎手を務めていたが、1980年12月1日に調教師免許を取得し、30歳で父の厩舎を引き継ぐ形で開業した。騎手としての通算成績は、2259戦255勝(うち重賞11勝)。 1981年4月26日岩見沢競馬第2競走においてマウタオロシが管理馬初出走、4月28日岩見沢第8競走をハクセカイで制して初勝利を挙げている。 1990年代中盤には西本博厩舎から移籍したササノコバンで道営記念連覇、第6回ブリーダーズゴールドカップでも2着と健闘した。
佐々木 一夫(ささき かずお、1950年9月28日 - 20… 佐々木 一夫(ささき かずお、1950年9月28日 - 2008年9月28日)は、ホッカイドウ競馬の元調教師(元騎手)。勝負服の柄は黄・胴赤一本輪、袖緑・黄一本輪。北海道函館市出身、身長158センチ、体重52キロ、血液型B型。函館工業高等専門学校卒業。 1969年4月29日函館競馬ツワイメリーでレース初騎乗。同年5月9日、函館競馬場でアツカシに騎乗し、初勝利。以来、1994年に引退するまでホッカイドウ競馬で数々の名馬に騎乗し、通算9510戦1539勝を記録。重賞も通算86勝を挙げた。 1995年3月31日に調教師免許を取得し、1996年に厩舎を開業。同年4月17日に調教師として管理馬を初出走。同年5月15日には調教師として初勝利。
若松 平(わかまつ たいら、1949年8月28日 - )は、… 若松 平(わかまつ たいら、1949年8月28日 - )は、ホッカイドウ競馬に所属していた元調教師。北海道河東郡音更町出身。 父若松進はホッカイドウ競馬で繋駕速歩競走の騎手会長を務め、繋駕速歩競走の廃止後は平地競走の調教師に転じた。 自身は当初父の厩舎で厩務員を務め、その後は調教師に転じ、1983年4月1日に開業。同年4月18日に初出走、同年4月25日に初勝利を挙げている。中村光春厩舎から移籍したシバフイルドーで1984年のクイーンカップを優勝、前厩舎から通算6連覇を達成し、日本記録となっている。 2000年にはオースミダイナーが13歳(馬齢は旧表記)で北海道スプリントカップを優勝しダートグレード競走の最高齢優勝記録を樹立、さらに同馬は翌2001年にも13歳(現表記)でエトワール賞を優勝し、日本重賞競走の最高齢優勝記録も保持している。
嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東… 嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東京都出身(北海道三石郡三石町 (現・日高郡新ひだか町)生まれ)の元騎手・元調教師。 同じく元騎手・元調教師の嶋田功は実兄。元騎手で現調教助手の嶋田高宏は長男。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であり、男3人女7人の10人兄弟であった。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、嶋田が育った時には馬だけではなく牛や羊も飼っていたが、長男の克昭の代からサラブレッドの生産牧場となった。 1966年に東京・藤本冨良厩舎に騎手候補生として入門し、1970年に同厩舎からデビューすると、兄・功の登録名が戸籍通りに「嶋田」となっている。
伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2… 伊藤 正徳(いとう まさのり、1948年10月22日 - 2020年8月20日)は、兵庫県宝塚市出身(北海道静内郡静内町生まれ)の元調教師・騎手。 それぞれ騎手・調教師を務めた伊藤正四郎は父、伊藤雄二は義兄。 太平洋戦争後の混乱期に両親は離れて暮らしており、父・正四郎は阪神で調教師として活動し、母は静内で美容室を営んでいた。正徳は母元で育っていたが、小学校卒業直前に正四郎が結核に倒れ、見舞いに駆けつけた病床で正四郎から「騎手にならんか」と誘われる。この段階で乗馬経験がなかったため、1度は首を横に振ったが、正四郎はそれで納得する父ではなかった。基礎から教えるという条件をのんで騎手になる事を決意したが、実際に正四郎が教えてくれる事はなく、それからすぐに意識不明になって間もなく死去。
嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020… 嶋田 功(しまだ いさお、1945年11月8日 - 2020年10月19日)は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。騎手時代はオークス通算5勝など牝馬限定競走で顕著な実績を残し、「牝馬の嶋田」「オークス男」等と称された。元騎手・元調教師の嶋田潤は実弟、元騎手の嶋田高宏は甥。 騎手の嶋田純次との血縁関係はない。 嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であった。嶋田は男3人女7人の10人兄弟で、上から5番目の三男として産まれる。 実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、3歳から馬に跨がっており、揺りかご代わりにした馬の背で寝ていて泥田に落ちたこともあった。
畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )… 畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。実家は有限会社畠山牧場で、長兄・重博は同牧場社長。 1964年に東京・田中和夫厩舎に騎手見習いとして入門し、1965年に騎手免許を取得。開業したばかりの田中にとって、笹倉武久と並ぶ第一号の弟子であった。年齢は畠山の方が上であったが、一度高校に入学してから入ったため、競馬界に入ったのは笹倉の方が早かった。畠山も入門当時は体が大きく、朝食の時に田中に「朝はパンで結構です」と言ってしまった。体重を気にしてのことであったが、それに合わせなければならない笹倉は「ただでさえ、腹が減っているのに、余計なことを言ってくれたんだ(笑)。
増沢 末夫(ますざわ すえお、1937年10月20日 - )… 増沢 末夫(ますざわ すえお、1937年10月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。騎手として全国リーディングジョッキー2回、八大競走7勝。通算2016勝は当時の中央競馬史上最多勝。44歳で初のリーディングジョッキー獲得、50代で年間100勝達成など中年期以降に顕著な活躍を示し「鉄人」の異名を取った。「ローカル男」とも呼ばれた。愛称は「まっさん」。 妻は師匠・鈴木勝太郎の長女。義弟に鈴木康弘がいる。 北海道亀田郡大野村(後の大野町、現・北斗市)出身。戸籍上の表記は増澤末夫である。 北海道大野村に6人兄妹の末っ子として生まれる。幼少期より農耕・ばんえい競走用のペルシュロンの世話をして過ごした。
田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 199… 田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 1991年5月27日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。騎手時代の1966年にニホンピローエースで皐月賞に優勝した。 いずれも騎手・調教師の田所秀雄は実兄、田所秀孝は甥、師匠でもある小川佐助は叔父、田所清広(旧姓・佐野)は娘婿である。 1932年、北海道浦河町の農家に生まれる。実家は兄弟が多く貧しかったことから、幼少の頃に伯母の家に身を寄せた。1950年、すでに騎手となっていた兄・秀雄を頼り、その師匠で叔父の小川佐助厩舎(京都競馬場)に入門した。1953年に騎手免許を取得。初騎乗は4月26日の第1回阪神競馬8日目第2競走で、マサミドリに騎乗したが最下位に敗れた。
石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )… 石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )は、日本の騎手、調教師。 1951年に国営競馬(のち日本中央競馬会)で騎手デビュー。1959年に引退し、1965年より調教師。主な管理馬には1980年天皇賞(秋)に優勝した牝馬プリテイキャストなどがいる。また横山典弘は門下生である。2000年に定年引退。日本中央競馬会調教師の石栗龍彦は長男。 1928年、北海道札幌市の商家に生まれる。取り立てて競馬に興味をもってはいなかったものの、騎手見習いとなった友人に誘われて競馬場に出入りをはじめ、馬に惹かれていった。太平洋戦争中には援農作業で農耕馬を扱っていた。 1945年に旧制北海中学を卒業し、1947年秋に稗田虎伊のもとへ騎手見習いとして入門。
中西 関松(なかにし せきまつ、1919年3月14日 - 1… 中西 関松(なかにし せきまつ、1919年3月14日 - 1990年1月9日)は、ばんえい競馬の元騎手・調教師。 北海道新十津川村の農家・中西岩吉の第6子として生まれる。中西家では第一子の長男が早世しその後女子の誕生が連続していたことから事実上の長男となる。子供時代から馬に親しみ近隣のばん馬大会に出場しており、13歳から荷馬車の馬追いや家畜商を行い、太平洋戦争中は中国大陸に出征、腹部に銃弾を受けるも腸を傷つけなかったことにより事なきを得て、また腸チフスにも罹患するも一命を取り留める。 1944年に復員し故郷で稲作や林業に従事したのち、終戦後は滝川町に移り林業や運搬作業に従事する傍ら草ばん馬大会に積極的に参加する。
高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 201… 高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 2013年8月9日)は、日本の元騎手(中山競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)、元調教師(日本中央競馬会)。義父の鈴木信太郎は元調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)次男の高橋祥泰は元調教師(日本中央競馬会〈JRA〉)。北海道上川郡屈足村(現・新得町)出身。 実家は農家で農耕馬の繁殖も手掛けていたため、幼少期から馬に親しんで育った。 1935年に上京して中山競馬場の函館孫作に入門。翌1937年春に騎手免許を取得し、同年秋に騎手デビュー。太平洋戦争中は徴兵されて室蘭に配属され、終戦後競馬界に復帰。当時函館が調教師を引退していたため、はじめは東京競馬場の藤本冨良厩舎に所属したが、結婚したのを機に中山競馬場の鈴木信太郎厩舎に移籍した。
佐藤 勇(さとう いさむ、1918年3月13日 - 1999… 佐藤 勇(さとう いさむ、1918年3月13日 - 1999年4月14日)は、日本競馬会、国営競馬および日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。騎手時代には八大競走で3勝、中央競馬史上初めての通算500勝を記録した。調教師転身後も1975年に全国リーディングトレーナー(年間最多勝利調教師)を獲得、天皇賞(春)優勝馬ヒカルポーラ、東京優駿(日本ダービー)優勝馬オペックホースなどを管理し、通算1074勝を挙げた。騎手500勝・調教師1000勝は中央競馬史上唯一の記録である。 1933年、北海道上川郡士別町(現・士別市)に、小作農の長男として生まれる。少年期は教師を志していたが、家計の逼迫から学業を断念。
矢野 幸夫(やの ゆきお、1917年12月22日 - 200… 矢野 幸夫(やの ゆきお、1917年12月22日 - 2004年5月17日)は日本の競馬の騎手、調教師、および整体師。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。実家は軍馬を生産する牧場だった。 1930年、中山競馬場・東原玉造厩舎所属の見習騎手となり、1933年に騎手免許を取得。日本競馬会時代の1941年には優秀騎手として表彰され、国営競馬時代の1951年には最高技能賞を受賞している。 1952年に調教師免許を取得し、その後中山競馬場で厩舎を開業。1978年、美浦トレーニングセンター開設に伴い移転。1994年2月をもって定年引退するまでの間に通算1060勝を挙げた。同年2月27日に中山競馬場で引退式が行われ、代表してファンに挨拶を行った。
橋本 輝雄(はしもと てるお、1915年6月30日 - 20… 橋本 輝雄(はしもと てるお、1915年6月30日 - 2001年10月1日)は、日本の騎手、競走馬調教師。 1933年に騎手デビュー。太平洋戦争最中の1944年に「能力検定競走」として行われた東京優駿(日本ダービー)をカイソウで制したほか、1950年にはクモノハナに騎乗して皐月賞、日本ダービーのクラシック二冠を制した。騎手通算成績は1154戦154勝、うち八大競走3勝を含む重賞5勝。 1953年に調教師へ転身し、それぞれ菊花賞に優勝したコマヒカリ、アカネテンリュウ、中山大障害を4連勝し海外でも2勝したフジノオー、日本ダービー優勝馬メリーナイスなど数々の活躍馬を手掛けた。1993年に定年引退。調教師成績は日本中央競馬会が発足した1954年以降で通算7361戦931勝、うち八大競走・GI級競走4勝を含む重賞30勝。
佐々木 猛(ささき たけし、1912年11月11日 - 没年… 佐々木 猛(ささき たけし、1912年11月11日 - 没年不明)は、日本の競馬騎手、調教師。 1931年に騎手デビュー。1939年に騎乗馬ホシホマレで阪神優駿牝馬(オークス)を制した。1957年より調教師に転じ、1974年の桜花賞優勝馬タカエノカオリなどを管理し、1990年に引退。日本中央競馬会(JRA)調教師の佐々木亜良(つぐよし)は長男。 1912年、北海道函館市の農家に生まれる。3人いた叔父がそれぞれ高等馬車の御者を務めており、その姿に憧れて馬に関わる仕事を志した。1928年、叔父の紹介で札幌競馬倶楽部(札幌競馬場)の稗田虎伊厩舎に入門し、1931年7月に騎手としてデビュー。8月7日に騎乗馬エベツで初勝利を挙げた。
稲葉 幸夫(いなば ゆきお、1908年9月4日 - 2001… 稲葉 幸夫(いなば ゆきお、1908年9月4日 - 2001年10月7日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会所属)、調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会所属)。騎手としてロツクパークによる第1回横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)優勝など通算174勝。また調教師としては騎手兼業であった戦前期から顕著な成績を残し、八大競走13勝を含む通算1451勝を挙げた。特に牝馬の管理に長けたため「牝馬作りの名人」、「牝馬の稲葉」と称され、史上初の牝馬三冠トレーナーともなっている。1981年、黄綬褒章を受章。2004年、調教師顕彰者に選出され、中央競馬の殿堂入りした。
大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - … 大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - 1981年6月11日)は、日本の競馬騎手、調教師。 1929年に騎手デビュー。1955年より日本中央競馬会の調教師となり、1970年にメジロムサシで天皇賞(春)に優勝。俗に「メジロ軍団」と呼ばれた北野豊吉所有馬を数々手掛けた。1973年度中央競馬全国最多勝利調教師。 実子の大久保洋吉も日本中央競馬会調教師。ほか兄の大久保福蔵、大久保亀治、弟の三井末太郎らも騎手や調教師を務め、親族は競馬一族として知られる。 1908年、函館競馬場の近隣で大久保福松の三男として生まれる。父・福松は近代日本ホースマンの祖・函館大経の一番弟子であった。長兄に福蔵、次兄に亀治がおり、末子として「末吉」と名付けられた。
武田 文吾(たけだ ぶんご、1907年2月19日(1907年… 武田 文吾(たけだ ぶんご、1907年2月19日(1907年12月28日説もあり) - 1986年12月3日)は、元騎手(京都競馬倶楽部、阪神競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、元調教師(阪神競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会〈JRA〉)。北海道石狩国札幌郡江別村(現・江別市)出身。1978年11月3日、勲五等双光旭日章を授章。1986年、正六位叙位。息子の武田博は日本中央競馬会の元騎手・元調教師。名馬シンザンの鞍上としてクラシック三冠を制した元騎手・元調教師の栗田勝は娘婿。 尾形藤吉とともに「東の尾形、西の武田」と並び称された名調教師。タケブン、ブンテキなどの愛称で親しまれた。五冠馬シンザン・二冠馬コダマ・牝馬二冠馬ミスオンワードなどの名競走馬、また栗田勝・福永洋一などの名騎手を育て、人馬両面において中央競馬、とくに関西地区の競馬の発展に大きな足跡を残した。
小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 198… 小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 1987年10月30日)は日本の競馬騎手、調教師。 1934年に京都競馬倶楽部で騎手となったのち、1937年より日本競馬会(後に国営競馬→日本中央競馬会)の調教師となる。以後八大競走2勝を挙げたニューフォードや、皐月賞優勝馬ニホンピローエース、1977年に中央競馬の年度代表馬となったテンポイント(JRA顕彰馬)などの活躍馬を管理した。1982年、黄綬褒章受章。 アイヌ民族の活動家としても著名であり、北海道アイヌ協会が社団法人化された際には組織の中枢を担った。 甥にそれぞれ騎手・調教師の田所稔と田所秀雄、又甥に田所秀孝、田所清広(義理)がいる。
小野 留嘉(おの とめよし、1900年11月10日 - 19… 小野 留嘉(おの とめよし、1900年11月10日 - 1987年5月31日)は、国営競馬ならびに日本中央競馬会 (JRA) の騎手で、京都競馬場→栗東トレーニングセンターに所属していた調教師。 北海道・小樽市出身、1928年に相羽仙一厩舎の騎手見習となり、1930年に騎手となるが、1938年にいったん騎手を廃業している。 戦後、繋駕速歩競走の復活に備え、1954年に助手として鈴木甚吉厩舎に復帰し、翌1955年3月1日に速歩競走の騎手免許を再取得した。当時54歳であった。 その後は、大久保亀治厩舎の所属となり、中央競馬で速歩競走が廃止される1968年まで騎手を務め、1969年より調教師へ転向した。
東原 玉造(とうばら たまぞう 1887年7月20日 - 1… 東原 玉造(とうばら たまぞう 1887年7月20日 - 1955年11月11日)は、日本の元騎手、調教師。別名:東原玉蔵。 1887年7月20日、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。 1901年に目黒競馬場所属の柴田安治厩舎に見習騎手として入門。5年後の1906年に横濱競馬場のレースにて騎手としてデビュー。騎手時代の1924年秋には横濱競馬場での帝室御賞典をナイトという馬で制覇した記録がある。 調教師となり中山競馬場に厩舎を構えてからは、東京優駿競走をワカタカ(第1回、1932年)、ミナミホマレ(第11回、1942年)で制覇、東京競馬場での帝室御賞典をワカタカ(1932年)で制覇、ミナミモアで天皇賞 (春)を1942年に制覇するなどして、戦中戦後にかけて日本競馬界の名門として名を高めた。