中野善壽(なかの よしひさ、1944年 - )は、日本の実業… 中野善壽(なかの よしひさ、1944年 - )は、日本の実業家。東方文化支援財団 代表理事。元・ACAO SPA & RESORT代表取締役会長。元・寺田倉庫株式会社代表取締役社長、元・亜東百貨COO、元・株式会社鈴屋代表取締役専務。 東京都生まれ。青森県立弘前高等学校を経て、1967年千葉商科大学商経学部卒業。株式会社伊勢丹(現・株式会社三越伊勢丹)を経て、株式会社鈴屋へ入社。代表取締役専務就任を経て1997年台湾へ渡り、力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問、ならび亜東百貨COO等を歴任。 2011年寺田倉庫株式会社入社。2012年代表取締役社長就任。2019年6月26日退社。 2019年8月、地域や国境を越えた信頼感の醸成をはかり、東方文化を極めたいというビジョンを持つ東方文化支援財団を設立し、代表理事に就任。
二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - … 二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で、二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。本名は山中 武(やまなか たけし)。現役時代の体格は178cm、113kg。最高位は西小結(1967年11月場所、1968年3月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、内無双、下手投げなど。 中学から相撲部に所属し、中学卒業後に相撲部の先生と再会した時、先生が横綱・初代若乃花から弟子探しを頼まれていたので勧誘され、1961年1月場所で花籠部屋から初土俵を踏んだ。 1962年5月場所をもって若乃花が引退して年寄・二子山を襲名し、間もなく二子山部屋を創設するとそれに同行し、1964年11月場所で十両に昇進。
後藤 正人 (ごとう まさと、1943年9月7日 - )は、… 後藤 正人 (ごとう まさと、1943年9月7日 - )は、日本の法制史学者。和歌山大学名誉教授。研究領域は日本法史学、憲法社会史、社会文学、社会科教育学。青森県青森市出身。 後藤は、現代日本の法学研究を行う視点を民主主義に置いている。その上で民主主義とは「自由・平等・友愛に関する運動・思想・制度の全体」であると考える。すなわち、自由・平等・友愛の概念がそれらに係わる運動・思想・制度の三つの次元を通して具体的に検証される必要があるとするのが法制史学者として彼の学問研究に対する基本的スタンスとなっている 。 具体的な研究領域の特徴については、先ず法制史関係として、近世法の土地法史や身分制史を中心に扱って来たが、中世及び近代との係わりも重視する中で先駆的な役割を果してきた。
小笠原 博(おがさわら ひろし、1943年4月23日 - 2… 小笠原 博(おがさわら ひろし、1943年4月23日 - 2022年8月26日)は、日本の元ラグビー選手。 弘前実業高校では野球部の長身投手で鳴らしていたが、肩を壊し、習志野自衛隊では教育隊の命令によりラグビーを始めた。最初は当たり負けしたが、たちまち生来の負けじ魂に火が付き、ほどなく当たり勝つようになると複数の大学の誘いがかかる。しかし大学に入れば社会人経由の年長者である自分が年下の先輩に殴られることが予想されたため、それを嫌って大学ラグビーに進むことを避け、21歳の時に近鉄に入社。坂田好弘、石塚広治、今里良三、原進(後の阿修羅・原)らとともに、近鉄の黄金時代の一翼を担い、全国社会人大会で4回、日本選手権で3回優勝を経験した。
立石 勝規(たていし かつのり、1943年 - )は、日本の… 立石 勝規(たていし かつのり、1943年 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 青森県弘前市生まれ。東北大学卒業。毎日新聞社に入社し、東京本社社会部副部長・編集委員・論説委員・論説副委員長などを務める。その後退職し、独立。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
増成隆士(ますなり たかし、1942年10月4日- 2022… 増成隆士(ますなり たかし、1942年10月4日- 2022年1月9日)は、美学者、筑波大学名誉教授。 青森県八戸市生まれ。東京大学文学部美学科卒業、同大学院博士課程中退、ミュンヘン大学で美学・哲学を学ぶ。東大文学部助手、筑波大学助教授。83年『思考の死角を視る-マグリットのモチーフによる変奏』でサントリー学芸賞受賞。のち教授、2006年定年退任、名誉教授。2022年1月9日没。叙正四位、瑞宝中綬章追贈。
33代 木村 庄之助(さんじゅうさんだい きむら しょうのす… 33代 木村 庄之助(さんじゅうさんだい きむら しょうのすけ、本名:野澤 要一〈のざわ よういち、旧姓は石橋〉、1942年3月28日 - )は、大相撲の立行司の1人。木村庄之助としての在位期間は2006年4月 - 2007年3月。高砂部屋所属。 青森県八戸市出身。師匠は元三役格行司4代木村誠道(2代木村朝之助)である。 初土俵は1955年5月場所。同期生は30代庄之助、31代庄之助、32代庄之助の合わせて4人で、全員が立行司の最高峰、木村庄之助に昇進したことになる。 初土俵で木村要之助を名乗り、その後、式守要之助、木村要之助、木村政裕、木村要之助、木村賢嘉、木村友一と改名。十両格昇進と同時に、高砂部屋代々の名跡3代木村朝之助を襲名した。
岸 千恵子(きし ちえこ、1942年3月26日 - 2011… 岸 千恵子(きし ちえこ、1942年3月26日 - 2011年12月9日)は、日本の民謡歌手。 青森県南津軽郡碇ヶ関村(現在の平川市)出身。所属事務所は株式会社ミュージック・オフィス合田、所属レコード会社はEMIミュージックジャパン(旧·東芝EMI、現·ユニバーサルミュージック合同会社)。 1949年に7歳で初舞台を踏んでより、幼少時は「津軽の天才少女」と称された。結婚して一時歌手活動を休止していたが、1975年に現役歌手に復帰した。以来、津軽民謡の第一人者として全国的に活動を展開。歌いながらステージを所狭しと走り動き回る「ゆさぶり民謡」というダイナミックな独自のパフォーマンススタイルを確立(「ゆさぶり民謡」のきっかけは二日酔いで歌ったときだという)。
今村 修(いまむら おさみ、1942年2月23日 - )は、… 今村 修(いまむら おさみ、1942年2月23日 - )は、日本の政治家。元社会民主党衆議院議員(1期)。 青森県青森市出身。法政大学法学部通信制卒。青森県労事務局次長、青森市議などを経て、1987年青森県議に当選。1993年の総選挙で旧青森1区から関晴正の後継者として日本社会党公認で立候補して当選。1996年の総選挙で落選。1999年の青森県知事選挙に立候補し落選。2000年、2003年の総選挙でも落選した。 2025年1月時点で社民党青森県連代表を務めている。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月… 白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月3日 - )は、日本の体育学者、アマチュアボクシング選手。 青森県青森市出身。青森県立北斗高等学校卒業後、早稲田大学に進学。 接近戦を得意とする選手で、1962年から1964年にかけてライト級の全日本チャンピオン。1962年アジア競技大会(第4回、ジャカルタ)にボクシング種目 (Boxing at the 1962 Asian Games) で出場し、ライト級で銀メダルを獲得した。 早稲田大学在学時、1964年東京オリンピックに日本代表の一人として選ばれ男子ライト級で出場した。メダルへの期待が高かったとされるが、3回戦で敗れた。のちに早稲田大学の授業で「自分がメダルを取れなかった理由」として、外国人選手の態度の大きさに圧倒されたこと(乱痴気騒ぎに辟易して寝不足になったという)、日本のボクシングチームのキャプテンとして試合前日まで奔走したこと(バンタム級の桜井孝雄が行方不明になったとして大騒ぎになったが、桜井は渋谷のバーで一人で飲んでいたという。
岩淵 慶造(いわぶち けいぞう、1942年1月18日 - )… 岩淵 慶造(いわぶち けいぞう、1942年1月18日 - )は、日本のイラストレーター。SF、ミステリ、児童文学等の挿絵で知られる。 青森県弘前市出身。子供の頃から絵に親しみ、中学・高校では美術部に所属した。1962年に上京し、亜細亜大学商学部へ入学。1966年に卒業した。 その後一時はフリーの商業デザイナーとして働くが、イラストレーターへの転身を目論み、早川書房にイラストを持ち込む。はじめ『ミステリマガジン』編集長の各務三郎に会うが、彼から『SFマガジン』編集長・南山宏のほうへ廻され、そこでイラストレーターとしての初仕事を得る(『SFマガジン』1967年8月号で、掲載された小説レイ・ブラッドベリ「火と霜」および眉村卓「Expo'87」の挿絵を描いた)。
魁罡 功(かいごう いさお、1941年11月16日 - 没年… 魁罡 功(かいごう いさお、1941年11月16日 - 没年不明 )は、青森県青森市金沢出身で二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。本名は大村 功(おおむら いさお)。現役当時の体格は182cm、111kg。得意手は右四つ、投げ。最高位は西前頭5枚目(1969年5月場所、同年11月場所)。 数ある四股名の中でも、最も読めない名の一つに挙げられる。1967年7月場所より名乗っていた魁罡とは、「星の王様」を意味するという。 中学生時代は自動車部に所属し、運転手を志していた。しかし、自動車以上に相撲が好きであったこともあり、巡業で横綱・初代若乃花が青森を訪れた際には、自ら若乃花に入門の意志を伝えそのまま上京してしまった。
小笠原 好彦(おがさわら よしひこ、1941年8月17日 -… 小笠原 好彦(おがさわら よしひこ、1941年8月17日 - )は、日本の考古学者・日本史学者。学位は、文学博士(東北大学・論文博士・2006年)(学位論文「日本古代寺院造営氏族の研究」)。滋賀大学名誉教授。 青森市生まれ。1966年東北大学大学院文学研究科修士課程修了。同年、奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部に勤務。飛鳥藤原宮跡発掘調査部を経て、1979年滋賀大学教育学部助教授、教授、2007年定年、名誉教授、2009-11年明治大学特任教授。 2006年「日本古代寺院造営氏族の研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
種市 一正(たねいち かずまさ、1941年(昭和16年)6月… 種市 一正(たねいち かずまさ、1941年(昭和16年)6月15日 - )は、日本の政治家。元青森県三沢市長(3期)。 青森県三沢市出身。1960年(昭和35年)3月、青森県立三本木農業高等学校卒業。卒業と同時に当時防衛庁長官の職にあった赤城宗徳(旧茨城3区)の書生となる。茨城県の養豚・椎茸栽培を学ぶ。1979年(昭和54年)2月、青森農業協同組合青年部協議会の委員長に就任。 2002年(平成16年)7月25日、全国農業協同組合連合会(JA全農)経営管理委員会の副会長に就任。2004年(平成18年)7月29日、同経営管理委員会の会長に就任。 2005年(平成19年)7月29日、全農秋田県本部などのコメ不正取引問題にかかる責任をとって、JA全農会長を辞任。
北村 正任(きたむら まさとう、1941年(昭和16年)4月… 北村 正任(きたむら まさとう、1941年(昭和16年)4月29日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社社長、第15代横綱審議委員会委員長。 青森県出身。父は青森県知事を務めた北村正哉。青森県立八戸高等学校、東京大学法学部を卒業後、1965年(昭和40年)毎日新聞社に入社。 岡山、京都支局、大阪社会部、東京政治部、ボン支局長、東京本社外信部長、論説委員長を経て、1998年(平成10年)取締役・編集局長、00年常務・主筆、04年社長、08年会長。ほかに日本記者クラブ理事長、日本新聞協会会長、日本ユニセフ評議員、公益財団法人イオン環境財団の評議員も務めた。 現在は、毎日新聞社の名誉顧問、一般社団法人アジア調査会理事。
鳴海 広道(なるみ ひろみち、1941年(昭和16年)3月1… 鳴海 広道(なるみ ひろみち、1941年(昭和16年)3月10日 - 2020年(令和2年)12月15日)は、日本の政治家。青森県黒石市長(4期)。青森県議会議員(通算5期)。 青森県黒石市出身。日本大学法学部中退。黒石市議会議員を経て、1975年(昭和50年)の青森県議会議員選挙で初当選。1995年(平成7年)まで務める。この間、1991年(平成3年)議長に就任した。 1995年の第17回参議院議員通常選挙において青森県選挙区から自由民主党公認で立候補したが、新進党公認の山崎力に敗れた。 1998年(平成10年)6月の黒石市長選挙に出馬し、元青森県議の高樋憲を破って初当選した。 黒石市長を4期務め、2014年(平成26年)に退任した。
浅草 駒太夫(あさくさ こまだゆう、1941年2月22日 -… 浅草 駒太夫(あさくさ こまだゆう、1941年2月22日 - 2023年5月22日)は、日本のストリッパー。1960年代後半から1970年代初めに一条さゆり、桐かおるらと共にストリップ御三家と言われ、花魁ショーで一世を風靡した。本名は、斉藤 久子(さいとう ひさこ)。 1941年2月22日、岩手県宮古市で5人兄妹の長女として生まれ、戦後すぐに父の実家のある青森県八戸市に移る。9歳の時父親が死んでからは、母が朝から行商をして夜中は針仕事をして、一家の生計を立てるという貧しさの中で過ごす。久子は「朝は家と奉公先の食事の支度をしてから、妹を背負って学校に行き、帰りにはまた奉公先で掃除や洗濯をして帰ってくる。
田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、… 田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県青森市出身。1960年ローマオリンピックのフライ級銅メダリスト。不運な判定により五輪金メダルを懸けた決勝進出を妨げられ、プロ転向後は技術とパワーのバランスの取れた逸材として世界王座を嘱望されたが、世界挑戦を前に網膜剥離を発症し無敗のまま引退。 1958年、青森工業高校でボクシングを始め、高校日本一となった。 中央大学に進学。大学でアルバイトをしながら競技に打ち込み、国内タイトルを総なめにする。2年後輩に1964年東京オリンピック・バンタム級金メダリストとなった桜井孝雄がおり、公式戦では2度戦い、いずれも田辺が勝利。
下田 敦子(しもだ あつこ、1940年8月5日 - )は日本… 下田 敦子(しもだ あつこ、1940年8月5日 - )は日本の政治家。参議院議員(1期)、青森県議会議員(3期)、学校法人城東学園理事長を務めた。 青森県弘前市出身。弘前中央高校を経て秋田短期大学家政学科卒業。 学校法人城東学園理事長として、弘前医療福祉大学・弘前医療福祉大学短期大学部を運営する。1991年には青森県議会議員選挙に無所属で出馬し当選。2003年まで3期務めた後、2004年2月の弘前市長選に出馬。現職の金沢隆に対し互角に戦ったが、180票の僅差で落選した。2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では、民主党公認で比例区より出馬。党の東北ブロック重点候補となり、初当選。 2010年7月の第22回参議院議員通常選挙では再選を目指し、民主党の比例区から出馬するが落選。
工藤 紀夫(くどう のりお、昭和15年(1940年)8月2日… 工藤 紀夫(くどう のりお、昭和15年(1940年)8月2日 - )は、囲碁の棋士。青森県弘前市出身、日本棋院東京本院所属、前田陳爾門下、九段。元日本棋院副理事長。 第25期王座・第23期天元位。第31回棋道賞優秀棋士賞受賞。若い頃は力碁で「眠狂四郎」のニックネームがあったが、後年粘り強く冷静な棋風へと変化した。 現在、存命の七大タイトル獲得経験者では最年長である。 生後すぐ、家族とともに満洲にわたる。日本の敗戦により、苦難の旅で弘前にひきあげる。 小学1年生の時に囲碁をおぼえ、当時、妻の実家があった弘前に疎開していた勝本哲州(元「棋道」編集者)に師事する。1952年に勝本が家族と上京する。小学校卒業の1953年に勝本に誘われて上京し、日本棋院院生となり、1955年入段して前田陳爾門下となる。
平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 20… 平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 2018年8月14日)は、日本の政治家。青森県五所川原市長(3期)。元・青森県議会議員(2期)。 青森県五所川原市出身。青森県立弘前高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 1999年(平成11年)4月30日、青森県議会議員となる。2003年(平成15年)、再選。 2006年(平成18年)5月27日、五所川原市長の成田守が健康上の理由により辞職。これに伴って7月9日に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて立候補。前市議の前田清勝、「羽柴誠三秀吉」や「羽柴秀吉」名義の政治活動で知られる三上誠三らを破り初当選した(平山:21,174票、前田:12,713票、三上:1,415票)。
木村 隆文(きむら たかふみ、1940年1月2日 - 201… 木村 隆文(きむら たかふみ、1940年1月2日 - 2011年11月28日)は、日本の教育者。学校法人青森山田学園の理事長や青森山田高等学校の校長を務めていた。スポーツに力を入れ、卓球や野球、サッカーなどで青森山田高等学校の名前を全国に知らしめた。日本卓球協会副会長を務めており、10段を授与されている。 青森県出身。青森県立青森高等学校、日本大学法学部を卒業、1962年に当時母親が校長だった青森山田高等学校の教諭に赴任し、1995年に同校の校長となった。校長就任後はスポーツに力を入れて、野球の渋谷良弥や卓球の吉田安夫など優れた指導者を招くとともに、優秀な生徒を集め、バドミントンや卓球、サッカー、野球などで実績をあげた。
澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日… 澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日本の実業家。勲等は旭日双光章。津軽鉄道第6代代表取締役社長、東北鉄道協会会長、日本民営鉄道協会理事。 青森県五所川原市生まれ。平山為之助初代津軽鉄道社長は外祖父。青森県立五所川原高等学校を経て、1963年に一橋大学商学部を卒業。今井祐元富士フイルム代表取締役副社長は一橋大バドミントン部の同期で親しい。大学卒業後は三菱商事に入社し、タイ王国駐在、オーストラリア珪砂採掘会社社長、三菱商事資材部長を経て、2003年までエム・シー砿産代表取締役社長。 2004年、五所川原市に帰郷し、債務超過となっていた津軽鉄道の第6代代表取締役社長に就任。経費削減やイベント列車の拡充等を進め、地元の協力を得て、2008年までに義務付けられていた緊急保全整備事業の資金調達に成功し、鉄道存続に繋げた。
孫内 あつし(まごない あつし、1940年 - 2025年1… 孫内 あつし(まごない あつし、1940年 - 2025年12月1日)は、もっぱらクレヨン画によって知られた日本の画家。 青森市生まれ。生家は遊郭街に近い神社で、次男として生まれた。 1958年に東奥義塾高等学校を卒業し、1960年に美術担当として青森放送に入社し、1972年に退社するまで、自社制作番組の美術制作に携わった。 青森放送退社後は、青森市を中心に、複数の飲食店やブティックを経営するかたわら、クレヨン画による創作活動を始めた。 1990年、初の個展を、青森市の五拾壹番館ギャラリーで開催した。 1992年以降、公募展に入選するようになり、1993年には東京都に転居して、1996年からは東京でも個展を開くようになった。
中村 寿文(中村 壽文、なかむら としふみ、1939年8月4… 中村 寿文(中村 壽文、なかむら としふみ、1939年8月4日 - 2024年12月1日)は、日本の政治家。元青森県議会議員(7期)、元八戸市長(1期)。 父は衆議院議員で八戸市長を務めた中村拓道。青森県立八戸高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。東北電力、衆議院議員船田中秘書を務める。父の死後、1976年・1979年・1980年の衆議院選挙に立候補するが落選。1976年は七日会保守系無所属候補、1979年は新自由クラブ公認候補、1980年は西岡武夫の保守刷新会議系候補だった。 1983年の青森県議会議員選挙で八戸市から無所属で立候補し、トップ当選。以後5期青森県議を務める(そのうち4期はトップ当選)。
高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2… 高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2018年5月23日)は、日本のプロボクサー・プロボクシング・トレーナー経験者、プロモーターである。青森県黒石市出身。現役時代は三迫ボクシングジム所属。階級はウェルター級、2017年3月まで国際ボクシングスポーツジム会長、東日本ボクシング協会副会長兼事務局長も務めた。 青森商業高校では1957年全日本高校選手権ライト級で優勝。 法政大学でも1961年、全日本大学ウェルター級優勝。 同年、三迫ジムに入門し、8月1日の奥山利夫戦でプロデビュー。 2戦目にKO負けを経験したが、その後は17連勝をマークする。 1963年3月9日、ウェルター級の世界ランク入り目指してアメリカの強豪ガーランド・ランドールと対決したが、2回KOに敗れた。
渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は… 渋谷 誠司(しぶたに せいじ、1939年4月24日 - )は、青森県弘前市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月… 長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月17日 - )は、日本の女優。本名、宗像 美那子。旧姓名は芸名と同じ。身長155 cm、体重41 kg。夫は俳優の宗方勝巳。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校、共立女子大学卒業。プロマージュ、アイティ企画所属(業務提携)。 大学進学と同時に演劇部に入部。 在学中の1959年に劇団青年座に所属し、1960年の舞台『八段』でデビュー。1971年に退団するまで『天一坊七十番』『肥前風土紀』などの舞台に出演する。 1964年、日活『生きている狼』で映画初出演。以後、『男の紋章・俺は斬る』(1965年)、『東京ナイト』(1967年)、などの映画に出演する。
たむら まさき(1939年1月26日 - )は、日本の撮影監… たむら まさき(1939年1月26日 - )は、日本の撮影監督。青森県出身。
響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年… 響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年不明 )は、青森県八戸市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は新山 影男(しんやま かげお)。176cm、109kg。最高位は東十両10枚目。得意技は突っ張り、左四つ、寄り。 1955年3月場所に本名の「新山」で初土俵を踏む。翌場所序ノ口で「響矢」を名乗る。1960年7月場所に幕下で青錦大太郎と改名。改名の効果があったためか勝ち越しが続き、1961年1月場所に十両昇進。この場所は3勝12敗と大きく負け越し1場所で幕下へ陥落した。その後も負け越しが続いたが、1961年11月場所で四股名を「響矢」に戻し、1962年に入ってからは調子を取り戻し、1962年9月場所に十両に復帰した。
藤田 健次(ふじた けんじ 1939年-)は、青森県鶴田町出… 藤田 健次(ふじた けんじ 1939年-)は、青森県鶴田町出身の版画家、漫画家、エッセイスト。現代童画会会員。青森県八戸市在住。 公務員生活の合間をぬって版画家、漫画家、エッセイストとして作品を制作する。著書「看護婦のオヤジがんばる」シリーズは同名映画化され、昭和55年度文化庁優秀映画賞受賞。 1939年、青森県鶴田町生まれ。1958年、青森県立五所川原高等学校卒業。青森民友の新聞記者を経て公共職業安定所に勤務。 1999年、八戸公共職業安定所所長を最後に公務員生活を終了。 この間に版画家、漫画家、エッセイストとして活躍し、また1974年、朝日新聞に投書し、看護婦の労働条件の向上をめざして「看護婦のオヤジの会」提唱。
須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴… 須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴覚障害児教育の研究者、東京学芸大学名誉教授である。青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校を経て、1962年電気通信大学電波通信学部卒業。玉川大学工学部専任講師、東京学芸大学専任講師を経て、1992年に東京学芸大学教授に、2003年に同学名誉教授に就任した。聴覚心理学、言語指導論を研究する。 1992年に「聴覚障害児教育における言語指導の方法に関する実験的研究」で博士(教育学)を取得した(筑波大学、第471号)。
草刈 潤(くさかり じゅん、1938年12月13日 - 20… 草刈 潤(くさかり じゅん、1938年12月13日 - 2018年12月29日 )は、日本の医学者。専門は耳鼻咽喉科学、特に内耳疾患。青森県五所川原市生まれ。宮城県仙台市で死去、享年80。 日本聴覚医学会。日本耳科学会。日本鼻科学会。日本平衡神経科学会。日本口腔咽頭学会。日本咽頭学会。日本頭頸部外科学会。
成田 守(なりた まもる、1938年12月3日 - )は、日… 成田 守(なりた まもる、1938年12月3日 - )は、日本の民俗学・芸能学者、大東文化大学名誉教授。 青森県弘前市出身。1963年に國學院大學文学部を卒業した。 その後、大東文化大学助教授を経て、教授に就任した。1986年、『奥浄瑠璃の研究』『盲僧の伝承 九州地方の琵琶法師』で日本歌謡学会志田延義賞を受賞した。 2009年に定年で退職し、名誉教授となる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木村 かほる(きむら かほる、1938年〈昭和13年〉8月2… 木村 かほる(きむら かほる、1938年〈昭和13年〉8月27日 - )は、青森県八戸市出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1960年(昭和35年)2月、秋田県秋田市で失踪した。失踪当時は21歳であった。 1938年〈昭和13年〉8月27日生まれ。戸籍上は「かをる」だが、日常では「かほる」としていた。 幼少期、大日本帝国陸軍の獣医師だった父の仕事の関係で家族とともに満洲国に渡ったが、母・姉・かほるは第二次世界大戦直後、参戦したソヴィエト連邦軍の侵攻から逃れてたどり着いた平壌で抑留されて収容所生活を送った。かほるの姉は病弱な母とまだ幼かった妹の手を引き、8キロメートルの道を歩き続けて北緯38度線を越え、青森県八戸市に引き揚げた。
中島 淳一(なかじま じゅんいち、1938年6月18日 - … 中島 淳一(なかじま じゅんいち、1938年6月18日 - )は、青森県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 八戸高校では、3年生の時にエースとして1956年春の選抜に出場。選抜初出場で準決勝まで勝ち進むが、岐阜商の清沢忠彦に抑えられ敗退。同年夏の甲子園予選奥羽大会でも決勝に進むが、秋田高に惜敗、甲子園出場を逸する。高校同期に一塁手の福島孟男(近鉄)がいた。 1957年に西鉄ライオンズへ入団。1959年に一軍に上がり、翌1960年には先発陣の一角として8勝をあげる。しかしその後は故障もあって伸び悩み、1963年限りで引退した。 スライダー、カーブを武器とした。
追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 -… 追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 - 2014年1月2日)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市)出身で立浪部屋(入門時は追手風部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 貢(やまぐち みつぐ)。最高位は東前頭6枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は181cm、 131kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。現在の追手風親方(元前頭2・大翔山直樹)の岳父。 なお、夫人は最初の師匠・8代追手風(元大関・清水川)の義理の姪(夫人の叔母が、師匠の後妻に当たる)である。 5人兄弟の末っ子として生まれ、子供の時から体格が大きく多くの相撲大会に出て活躍していた。その活躍ぶりが、同郷で追手風部屋に所属した元幕下力士・清水岩の目に止まり、中学校在学中に同部屋へ入門する事となった。
鎌田 慧(かまた さとし、1938年6月12日 - )は、日… 鎌田 慧(かまた さとし、1938年6月12日 - )は、日本のルポライター。シューレ大学アドバイザー。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業後に上京し、零細工場で働く。カメラ工場の見習工などを経て、1959年10月中央謄写学院印刷部を退職、1960年4月早稲田大学第一文学部 [要検証 – ノート]露文科に入学。 大学卒業後、業界紙(鉄鋼新聞社)記者、月刊誌「新評」編集部を経て、フリーのルポライターとなる。トヨタ自動車の期間工の経験をもとに『自動車絶望工場』を発表した。 1990年(平成2年)、『反骨 鈴木東民の生涯』で新田次郎文学賞受賞。翌年、『六ヶ所村の記録』で毎日出版文化賞受賞。1994年(平成6年)に発表した葛西善蔵の評伝『椎の若葉に光あれ』をはじめ、大杉栄、太宰治、鈴木東民、坂本清馬などを題材に、伝記も多数執筆している。
鈴木 日出男(すずき ひでお、1938年〈昭和13年〉4月7… 鈴木 日出男(すずき ひでお、1938年〈昭和13年〉4月7日 - 2013年〈平成25年〉10月3日)は、日本の国文学者。東京大学名誉教授。中古文学専攻。
栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)… 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)3月13日 - )は、青森県南津軽郡光田寺村(現在の田舎館村)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士、第49代横綱。身長177cm、体重110kg。得意技は左四つ、寄り、上手出し投げ、両前褌、足癖。本名は花田 茂廣(はなだ しげひろ)。花田という苗字で同じ青森津軽地方出身であるが、初代若乃花、貴ノ花との血縁はない。年寄・春日野時代、姓を『宮古』とするが停年(定年)退職後は再び花田に戻した。現在存命中の歴代横綱の中では最も古い代の横綱である。
木村 守男(きむら もりお、1938年1月24日 - 202… 木村 守男(きむら もりお、1938年1月24日 - 2023年6月25日)は、日本の政治家。青森県知事(3期)、衆議院議員(4期)、青森県議会議員(3期)などを歴任した。父は衆議院議員を務めた木村文男、長男は元衆議院議員の木村太郎。次男は衆議院議員の木村次郎。 青森県南津軽郡藤崎町出身。東奥義塾高等学校から青森県立浪岡高等学校を経て、1960年、日本大学法学部法律学科を卒業。 1967年から青森県議会議員を3期務め、その間、青森県議会農林常任委員長などを務める。 1977年、新自由クラブ公認で参議院青森県選挙区に立候補するが、落選。1980年、新自由クラブ公認で衆議院青森2区に立候補、初当選する。
小林 保治(こばやし やすはる、1938年 - )は、日本の… 小林 保治(こばやし やすはる、1938年 - )は、日本の国文学者。学位は、文学博士。専門は、中世の説話文学・仏教文学・能・狂言など。 青森県青森市出身。早稲田大学教育学部卒、同大学院文学研究科博士課程修了。その後、早稲田大学教育学部・大学院文学研究科兼担教授、浙江大学客員教授。2008年3月、早稲田大学を定年退職。 津軽弁を大切にしていて、さまざまな高校で地域の言葉に眼差しを向ける授業を展開してきた。 中学生の時に石器を発見してから、化石や石の収集を趣味としている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
赤羽 尭(あかばね たかし、1937年8月26日 - 199… 赤羽 尭(あかばね たかし、1937年8月26日 - 1997年1月22日)は、日本の作家。本名は庄司英樹。 青森県弘前市生まれ。明治大学文学部卒。 20代の前半に世界各地を放浪し、国際情勢を身をもって体験。帰国後、週刊誌の記者を経て、『スパイ特急』で文壇にデビュー。1986年『脱出のパスポート』が第96回直木賞候補に選ばれた。主として海外を舞台にしたスパイ小説・歴史小説を書く。
髙村 弘毅(たかむら ひろき、1937年8月15日 - )は… 髙村 弘毅(たかむら ひろき、1937年8月15日 - )は、日本の地理学者。立正大学地球環境科学部名誉教授。同大学元学長(第29・30代)。専門は、水文学、水資源学、地下水学。学位は文学博士(立正大学・論文博士・1976年)。青森県三戸郡倉石村(現・五戸町)出身。2014年春、瑞宝中綬章を受章。
一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1937年6月30日 … 一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1937年6月30日 - 1977年4月19日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は須藤 良一(すどう りょういち)。最高位は西前頭4枚目(1962年3月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は右四つ、寄り。 明治時代初期から中期にかけて活躍した、大関・一ノ矢藤太郎の曾孫。 同郷で、後に十両まで出世した栃ノ森(後、栃ノ関に改名)の実兄が角界入りの橋渡し役となり、地元の公田寺中学校を卒業後に春日野部屋へ入門した。 なお、入門のために故郷・青森を発つ際には、栃ノ森本人が迎えに来てくれたという。 初土俵は、1953年5月場所。
米塚 義定(よねづか よしさだ、1937年5月19日 - 2… 米塚 義定(よねづか よしさだ、1937年5月19日 - 2014年10月18日)は日本及びアメリカの柔道家。柔道の段位は講道館9段で、空手道でも8段を所有している。アメリカでは“ヨネ”として知られた。 青森県北津軽郡武田村(のちの中泊町)出身。小さい頃は相撲や陸上競技に取り組んでいた。武田中学校を卒業後、五所川原高校に入学してから柔道を始め、受け身の練習を始めてから2年後の高校3年次には青森県代表として国体出場を果たした。日本大学に進学すると、4年間の学生生活で引き分けはあっても負け試合は1度もなく、副主将を務めて全日本学生柔道優勝大会などで活躍した。 1960年に大学を卒業後、ニューヨーク州柔道協会に招聘されてアメリカで柔道指導にあたる事になった。
阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集… 阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集者・著作家。本名は達児。 青森県青森市生まれ。1961年、早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、文藝春秋に入社し、編集者として勤務。『文學界』編集長、文春文庫編集長、出版局長、編集局長を歴任した。 1999年、文藝春秋を退職。以後、「阿部達二」名義で著述家として活動。江戸川柳や古典芸能に関する造詣が深く、古典文芸に関する作品を多く執筆している。 編集者時代の主な担当作家に藤沢周平がいる。藤沢とはデビュー以来30年以上の交友を持った。後年藤沢やその作品に関する講演を行い、また著作を発表している。
八木橋 惇夫(やぎはし あつお、1937年4月8日 - )は… 八木橋 惇夫(やぎはし あつお、1937年4月8日 - )は、日本の官僚。環境事務次官、商工組合中央金庫副理事長、沖縄振興開発金融公庫理事長などを務めた。
井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きん… 井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きんいち)、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉1月17日)は、日本の演歌歌手。青森県弘前市出身。女優の工藤夕貴と元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。2番目の妻は声優の青羽美代子。 青森県弘前市のひとかどの名家に出生、中学生の頃から歌唱力は評判だった。 中学卒業後、歌手を目指して上京。1963年に「男船」(作詞・松井由利夫、作曲・大沢浄二)で東芝音楽工業よりレコードデビューを果たし、同曲は30万枚を売り上げる。デビュー第三弾の「あゝ上野駅」は井沢八郎の代表曲であると同時に、高度経済成長期の日本の世相を反映する代表曲となる。
鈴木 孝雄(すずき こうゆう、1937年〈昭和12年〉2月1… 鈴木 孝雄(すずき こうゆう、1937年〈昭和12年〉2月10日 - )は、日本の政治家。元青森県南津軽郡田舎館村長(5期)。旭日小綬章受章。 田舎館村出身。青森県立黒石高等学校卒業後、家業の農業に従事。1983年10月に田舎館村議会議員になる。1991年10月1日から1995年9月30日まで第12代同副議長を、同年10月2日から2001年3月9日まで、第18・19代同議長を務めた。 1999年10月1日に行われた田舎館村議会議長選挙に絡み、9月4日に阿部潤司村議から現金30万円を受け取り投票を約束したとして、2001年2月9日に収賄の疑いで逮捕された。鈴木は賄賂を飲食代などに使ったものの別の村議から議長選に出馬するよう説得されたため賄賂を阿部に返金した上で議長選に立候補、阿部との一騎打ちとなったが議長に再選した。