近藤 大雅(こんどう たいが、2005年9月18日 - )は… 近藤 大雅(こんどう たいが、2005年9月18日 - )は、兵庫県出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 中学時代は神戸市立上野中学校に在籍し、硬式野球チーム・神戸甲南ボーイズでは全国大会に出場。 専修大学北上高等学校では1年生秋から投手として公式戦に出場したが、チーム事情により2年生秋から捕手に転向。3年生夏の岩手県大会では出場全3試合でマスクを被り、打率.444・2打点を記録した。甲子園・全国大会出場は無し。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから育成5位指名を受けた。11月17日に支度金300万円、年俸340万円で仮契約した(金額は推定)。
佐々木 麟太郎(ささき りんたろう、2005年4月18日 -… 佐々木 麟太郎(ささき りんたろう、2005年4月18日 - )は、スタンフォード大学に所属する日本の野球選手(内野手、右投左打)。岩手県北上市出身。 ナイスガイ・パートナーズとマネジメント契約を結んでいる。 幼少期から野球を始め、北上市立江釣子小学校1年生のころに江釣子スポーツ少年団に入団、北上市立江釣子中学校時代は大谷翔平の父である大谷徹が監督を務める金ケ崎リトルシニアでプレーした。 2021年に父の佐々木洋が監督を務める花巻東高校に入学し、1年春からベンチ入りした。2年春の2022年に春の選抜大会で甲子園初出場。1回戦の和歌山市立和歌山高等学校戦は4打数無安打2三振に終わり、チームも敗れた。
齋藤 響介(さいとう きょうすけ、2004年11月18日 -… 齋藤 響介(さいとう きょうすけ、2004年11月18日 - )は、岩手県滝沢市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 滝沢市立滝沢小学校3年生のときに竹の子スポーツ少年団で野球を始め、滝沢市立滝沢中学校では軟式野球部に所属。3年時に岩手県選抜に選出され、全国大会で準優勝を経験した。 盛岡中央高等学校に進学すると、1年夏からベンチ入りし、同年秋から公式戦に登板。中学時代の最速は135km/hながら、入学当初は硬式球の影響で120km/h台まで低下したものの、トレーニングを重ねて1年冬には143km/hを計測した。背番号1を背負った2年夏は岩手大会ベスト8。同年秋は学校内で新型コロナウイルス感染者が出た影響で県大会1回戦で不戦敗となった。
川原田 純平(かわらだ じゅんぺい、2002年5月21日 -… 川原田 純平(かわらだ じゅんぺい、2002年5月21日 - )は、岩手県花巻市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 2歳年上の兄の影響で「北上リトルリーグ」で硬式野球を始め、中学校では「花巻リトルシニア」に所属する。チームメイトには高校の先輩になる堀田賢慎がいた。 高校は青森県青森市の青森山田高等学校に進学。1年生の夏からベンチ入りを果たし、2年生には遊撃手のレギュラーとなる。2年生の秋に秋季東北大会に進出するも、準々決勝で鶴岡東高等学校に敗れ、3年生の夏の第102回全国高等学校野球選手権大会は、コロナ禍の影響で中止となり甲子園出場はならなかった。代替試合として行われた夏季青森県高等学校野球大会では、決勝戦で八戸学院光星高等学校に8対5で勝利し県大会優勝を果たした。
松本 遼大(まつもと りょうだい、2002年5月17日 - … 松本 遼大(まつもと りょうだい、2002年5月17日 - )は、岩手県滝沢市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 滝沢市立滝沢第二小学校5年の時に巣子野球スポーツ少年団で野球を始め、滝沢市立滝沢第二中学校では軟式野球部に所属。 花巻東高等学校では1年秋からベンチ入りし、菊池雄星や大谷翔平も付けた出世番号「17」を背負った。2年夏にチームは第101回全国高等学校野球選手権大会に出場したが自身はベンチ外。2年秋の東北大会でもエースナンバーを背負うことはなかったが、冬に10kg以上の体重増と筋力トレーニングの成果もあり力を付け、エース格に成長した。3年夏の岩手県代替大会は、準決勝の盛岡大学附属高等学校戦に7回から登板し2回を無失点に抑えたが、0-4でチームは敗れた。
西舘 勇陽(にしだて ゆうひ、2002年3月11日 - )は… 西舘 勇陽(にしだて ゆうひ、2002年3月11日 - )は、岩手県二戸郡一戸町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 一戸町立一戸南小学校で3年生の時に野球を始め、一戸町立一戸中学校では軟式野球部に所属し、2年時に全国中学校軟式野球大会に出場。また3年時には岩手県選抜にも選ばれた。 花巻東高等学校では1年夏からベンチ入りし、同校OBの菊池雄星や大谷翔平に次ぐ「新怪物候補」として注目されたが、腰痛に苦しんだ。2年春の第90回記念選抜高等学校野球大会に出場し、大阪桐蔭との準々決勝で大会初登板するも7失点し、チームも大敗した。同年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会にも出場し、下関国際との初戦で延長10回に勝ち越された直後に救援登板したが、チームはそのまま敗れた。
堀田 賢慎(ほった けんしん、2001年5月21日 - )は… 堀田 賢慎(ほった けんしん、2001年5月21日 - )は、岩手県花巻市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 小学校1年の頃から野球を始める。小学校時代のポジションは遊撃手、二塁手、捕手(小学校6年次)を守っていた。中学校は花巻リトルシニアに所属し、2年秋ごろに投手になる。高校は青森山田高校に進学し、投手に専念するが、甲子園出場ならず。同学年に本田真凜がいる。 2019年のドラフト会議で奥川恭伸・宮川哲の抽選を外した読売ジャイアンツから1位指名を受け、契約金8000万円、年俸800万円で入団に合意(金額は推定)。背番号は32。担当スカウトは柏田貴史。 2020年、1月の新人合同自主トレ期間中に右肘に違和感を訴え、病院で右肘の軽度の炎症と診断された。
久保 夏葵(くぼ なつき、1999年7月14日 - )は、日… 久保 夏葵(くぼ なつき、1999年7月14日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。ポジションは投手。 岩手県八幡平市出身で、3人きょうだいの真ん中に生まれた。2018年に高知県立室戸高等学校を卒業し、レイアに入団。 1年目は野手として公式戦に出場し、7打数 1安打 打率.143で終えた。 2019年に愛知ディオーネに移籍し、投手に専念。11登板し1勝2敗1ホールド、防御率4.60で終えた。同年11月1日に退団することが発表された。 2020年2月4日に兵庫ブルーサンダースに加入することが発表された。同年12月退団したことを発表した。 2021年4月に平成国際大学に入学、同大学の女子硬式野球部に入部した。
大里 昂生(おおさと こうせい、1999年7月7日 - )は… 大里 昂生(おおさと こうせい、1999年7月7日 - )は、岩手県滝沢市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 野球をやっていた父の影響で物心ついたころから硬球で遊び始め、小学校1年生の時に上級生に混じってリトルリーグの試合に出場するようになる。中学では野球部と盛岡南シニアに所属し、投手や遊撃手を務めていた。盛岡大学附属高等学校では1年生秋にベンチ入り。副主将となった3年時に春夏連続で甲子園に出場し、春の第89回選抜高等学校野球大会ベスト8、夏の第99回全国高等学校野球選手権大会ベスト8に貢献した。また同年に開催の愛媛国体にも出場した。同学年のチームメイトには、比嘉賢伸、三浦瑞樹、植田拓らがいた。
千葉 耕太(ちば こうた、1998年4月22日 - )は、岩… 千葉 耕太(ちば こうた、1998年4月22日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学1年から盛岡市立好摩小学校で野球を始める。盛岡市立巻堀中学校では軟式野球部に所属した。 花巻東高校進学後は、2年の夏に1学年先輩のエース高橋樹也を擁し、第97回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦の敦賀気比高校戦では7番ライトで出場し、平沼翔太からヒットを放った。3回戦の仙台育英高校戦では2打数0安打に終わり、チームも敗れた。2年秋から右肩痛を発症。3年夏も右肩痛の影響で登板機会が無く、4番ライトで出場したが、岩手県大会初戦の盛岡工業高校に敗れた。 2016年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスに育成ドラフト1巡目で、投手として指名され、支度金200万円、年俸240万円で合意、入団。
杉山 晃基(すぎやま こうき、1997年6月25日 - )は… 杉山 晃基(すぎやま こうき、1997年6月25日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 小学校1年からリトルリーグの東京北砂リーグで野球を始め、内野手を務めていた。葛飾区立立石中学校に在学していた当時は墨田ポニーに所属。 中学校卒業後は盛岡大学付属高等学校に進学し、2年から投手に転向する。高校卒業後は創価大学に進学。 大学では1年の春季よりベンチ入りし、2年の秋季には5冠(最多勝、MVP、最優秀投手、最優秀防御率)に輝き、第48回明治神宮野球大会に出場する。初戦の関大戦に登板し、5回1失点の投球内容で勝利を収める。続く2回戦の星槎道都大学戦でも登板するも、6回に暴投による失点で敗退する。
高橋 樹也(たかはし みきや、1997年6月21日 - )は… 高橋 樹也(たかはし みきや、1997年6月21日 - )は、岩手県花巻市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。プロサッカー選手で鹿児島ユナイテッドFCの藤村慶太は従兄弟にあたる。 小学校(花巻市立笹間第一小学校)から笹間一スポーツ少年団(軟式野球)で野球を始める。花巻市立西南中学校卒。 花巻東高等学校では1年秋からベンチ入り。3年夏に岩手大会決勝戦で13回190球を投げ、第97回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献。初戦の専大松戸高校戦では2失点で完投勝利。3回戦では仙台育英高校と対戦し、1失点を喫し敗退した。U18ワールドカップにも出場し、中継ぎとして3試合に登板。6回を投げ無失点で準優勝に貢献した。
岸里 亮佑(きしさと りょうすけ、1995年4月3日 - )… 岸里 亮佑(きしさと りょうすけ、1995年4月3日 - )は、岩手県久慈市出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学1年から野球を始め、長内中時代は軟式野球部に所属。中学2年時に投手として岩手県選抜に選出。最高球速144km/hを記録し選抜大会・準優勝を達成している。100m走で11秒7の好記録を残し、陸上競技でも東北大会を経験した。 花巻東高等学校時代は左翼手のレギュラー。1年秋から中堅手でレギュラーとなり、1学年上の大谷翔平を擁して東北4強に進出し、1番打者として打率.407の好成績を残す。2年時は足の怪我に泣かされたが、2年秋に左翼手のレギュラーとなり、3年夏には背番号1をつけ(県大会での登板機会は無し)「3番・左翼手」として第95回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
河内山 拓樹(こうちやま ひろき、1995年3月30日 - … 河内山 拓樹(こうちやま ひろき、1995年3月30日 - )は、岩手県奥州市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小中学生時代は小柄な体格で、投手以外に二塁手などの内野手のポジションにもついていた。中学2年生時に肘を故障したが、岩手県立岩谷堂高等学校進学後は再び投手をできるまでに状態が回復し、体格も大きくなっていった。 2013年、岩手県立大学進学後は大学の硬式野球部には入部せず、クラブチームのオール江刺に参加。1年目の冬、仙台にある施設で鍛えた結果、130km/h台前半から140km/h台前半まで球速が急成長したが、またしても肘を痛めてしまう。チームは1年目、2年目、4年目とクラブ選手権に出場。
下沖 勇樹(しもおき ゆうき、1991年9月8日 - )は、… 下沖 勇樹(しもおき ゆうき、1991年9月8日 - )は、岩手県二戸市出身の元プロ野球選手(投手)。チーム内での愛称はシモ。陽川尚将はいとこにあたる。 岩手県二戸市出身。小学4年時より野球を始め、二戸市立福岡中学校3年時に全国軟式野球大会で優勝を経験する。 光星学院高校では1年春からベンチ入り、デビュー戦となった八戸商戦では5回参考ながらノーヒットノーランを達成。夏はベンチから外れたが秋からはエースとなる。2年時には主将となり、4番・エースとしてチームを牽引した。2年秋の東北大会では準決勝の花巻東高戦で菊池雄星との投げ合いを制するなどの活躍で優勝に貢献した。3年春の選抜では、初戦の今治西高戦にリリーフ登板。
菊池 雄星(きくち ゆうせい、1991年6月17日 - )は… 菊池 雄星(きくち ゆうせい、1991年6月17日 - )は、岩手県盛岡市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのロサンゼルス・エンゼルス所属。愛称は「U Say」他(後述)。 妻は元フリーアナウンサーの深津瑠美。代理人はスコット・ボラス。 盛岡市立見前小学校3年生の時に見前タイガースで一塁手として野球を始める。 盛岡市立見前中学校在学中は盛岡東シニアでプレー。この頃から本格的に投手へ転向した。3年春に岩手大会準優勝。東北選抜の一員に選ばれ、全国大会優勝に貢献。花巻東高等学校に進学。 高校1年時、第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦・新潟明訓高戦にリリーフ登板し5回を1失点に抑えるもその1点が決勝点となり0-1で敗退。
阿部 寿樹(あべ としき、1989年12月3日 - )は、岩… 阿部 寿樹(あべ としき、1989年12月3日 - )は、岩手県一関市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 愛称は「マスター」。 一関市立赤荻小学校1年(もしくは2年)で赤荻スポーツ少年団に入団して軟式野球を始め、一関市立山目中学校(2015年に一関市立中里中学校と統合し現在は一関市立磐井中学校)では、軟式野球部に所属した。硬式球や木製バットは自宅のビニールハウス内に設けられた父親手製の練習場でバッティング練習等をして親しんでいたという。 その後、進学した岩手県立一関第一高等学校では、3年春の県大会優勝、続いての東北大会優勝が最高成績だった。3年生の夏の予選では2回戦で花巻東高校と当たり、当時1年生でリリーフ登板した菊池雄星とも対戦し敗退した。
三浦 翔太(みうら しょうた、1989年11月10日 - )… 三浦 翔太(みうら しょうた、1989年11月10日 - )は、岩手県上閉伊郡大槌町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 小学校3年時から野球を始め、途中で滝沢村(現・滝沢市)へ引っ越す。滝沢村立滝沢南中学校時代は、滝沢いわてシニアに所属し硬式野球を始める。 盛岡大附高に進学し、野球部に入部。野球部では、唯一特進クラスに在籍していた。1年時にアンダースローに転向。2年時の秋からエースとなり、3年時の夏は岩手県予選準決勝で敗退。甲子園出場経験は無し。 高校卒業後は、国立大学の岩手大学教育学部生涯教育課程・スポーツ教育コース(現・教育学部学校教育教員養成課程)に進学。北東北大学野球連盟に加盟している同校野球部に入部する。
大谷 龍太(おおたに りゅうた、1988年〈昭和63年〉3月… 大谷 龍太(おおたに りゅうた、1988年〈昭和63年〉3月20日 - )は、岩手県水沢市(現:奥州市)出身の日本の元社会人野球選手、元プロ野球選手(外野手)。 社会人野球チームのトヨタ自動車東日本硬式野球部でコーチ、監督を務める。実弟はロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平。 3人兄弟姉妹の長男で、妹(大谷翔平の姉)と弟の大谷翔平がいる。神奈川県横浜市で生まれ、小学校に上がる前年の夏に岩手県奥州市に引っ越す。水沢市立南中学校では軟式野球部に所属。岩手県立前沢高等学校でも野球を続け、卒業後は一般企業に勤務しながらクラブチーム水沢駒形野球倶楽部に所属する。 2010年に、四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の高知ファイティングドッグスに入団。
銀次(ぎんじ、本名:赤見内 銀次〈あかみない ぎんじ〉、旧姓… 銀次(ぎんじ、本名:赤見内 銀次〈あかみない ぎんじ〉、旧姓:宇部〈うべ〉、1988年2月24日 - )は、岩手県下閉伊郡普代村出身の元プロ野球選手(内野手・捕手、右投左打)。2024年より東北楽天ゴールデンイーグルスのアンバサダーとして東北地方の野球振興に携わる。 愛称は「銀ちゃん」。ドラフト指名当時は「宇部」姓であったが、母親の再婚により「赤見内」姓となった。 小学校2年生まで岩手県久慈市に住んでいたが、祖父の住む同県普代村に引っ越し、野球好きの祖父の影響で野球を始め、普代小3年時に「普代村野球スポーツ少年団」に入団する。野球を始めた当時は右打ちであったが、左打ちに変更したのも祖父の指導による。
國保 陽平(こくぼ ようへい、1987年3月14日 - )は… 國保 陽平(こくぼ ようへい、1987年3月14日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。元・岩手県立大船渡高等学校野球部監督。現在は盛岡白百合学園高等学校教諭、同校男子硬式野球部監督。 岩手県立盛岡第一高校、筑波大学体育専門学群を卒業。大学時代の同級生に坪井俊樹がいる。 社会人クラブチーム「Tsukuba Club」を経て、2010年にアリゾナサマーリーグに参加。同年、アメリカ独立リーグのゴールデンベースボールリーグに所属するティフアナ・シマロンズ(英語版)と契約。25試合に出場し、打率.254(59打数15安打)、2本塁打、7打点の成績を残すも、同年限りで退団。 帰国後に体育教師として岩手県立花巻農業高校に赴任。
木村 正太(きむら しょうた、1986年5月24日 - )は… 木村 正太(きむら しょうた、1986年5月24日 - )は、岩手県一関市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は読売ジャイアンツの球団職員。 一関市立山目中学校(現:一関市立磐井中学校)時代から、その快速球には目を瞠るものがあったが、制球には難があった。 地元の進学校である一関一高に進学。公式戦でノーヒットノーランを2度達成。東北地方では「鉄腕機関車」と呼ばれ注目される投手へと成長した。2年秋には県大会準優勝で東北大会へ進むと初戦を完投、準々決勝は完封勝利。準決勝ではダルビッシュ有が先発した東北高に6回コールド負け。21世紀枠で49年ぶり第76回選抜高等学校野球大会に出場。夏の県大会はベスト8。ダルビッシュ有、佐藤剛士とともに「東北ビッグ3」とも呼ばれた。
藤原 麻起子(ふじわら まきこ、1983年11月6日 - )… 藤原 麻起子(ふじわら まきこ、1983年11月6日 - )は、岩手県東磐井郡千厩町出身の女子ソフトボール選手(投手)。引退後は吉田麻起子に姓を改めた。 1983年11月6日、岩手県東磐井郡千厩町千厩(現:一関市千厩町千厩)に生まれる。千厩町立千厩小学校に入学後、幼少期より姉のソフトボールの試合を観戦していたことを機に4年生からソフトボールクラブに入団した。練習では姉のプレーを意識していたという。 千厩町立千厩中学校に進学後はソフトボール部に所属し、1998年の全国中学校ソフトボール大会では優勝を果たした。 中学卒業後、埼玉県川越市の星野女子高等学校(現:星野高等学校女子部)に進学した。 高校卒業後、当時日本リーグ1部に所属していた東邦銀行女子ソフトボール部に入団。
畠山 和洋(はたけやま かずひろ、1982年〈昭和57年〉9… 畠山 和洋(はたけやま かずひろ、1982年〈昭和57年〉9月13日 - )は、岩手県花巻市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、コーチ。 小学校から野球を始め、4年時には地元の少年団チームに加入した。当時は野球だけでなくバスケットボールなど他のスポーツも楽しんでいた。進学した中学校にはバスケ部が無かったため、野球に集中する。ずば抜けた飛距離の打撃で活躍したが、フォームは我流であった。中学3年の時に県大会で優勝している。その後、実兄がエースを務めており、1972年に実父も投手として所属し選抜出場を果たしている、専修大学北上高等学校に進学した。1年から三塁のレギュラーに定着し、打撃フォーム矯正にも成功した。
志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、… 志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、岩手県大船渡市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、中日ドラゴンズのアナリスト。 仙台育英高校では1年から3年連続で夏の甲子園に内野手で出場。青山学院大学時代は後に一緒にヤクルト入りする石川雅規と同期で、2年からは外野で4年時の2001年はセンターを守っていた。2年の大学選手権ではレギュラーで優勝。4年生の時には、翌2002年オフに読売ジャイアンツ(巨人)に自由枠で入団することになる木佐貫洋から本塁打を放つ活躍を見せている。東都大学リーグ通算95試合出場、326打数91安打、打率.279、4本塁打、34打点。ベストナイン2回受賞。
佐々木 洋(ささき ひろし、1975年7月27日 - )は、… 佐々木 洋(ささき ひろし、1975年7月27日 - )は、日本の高等学校教諭、高校野球指導者。メジャーリーグで活動する菊池雄星や大谷翔平らを育成した。 農家の次男として生まれる。幼少期はプロ野球選手を目指して、野球に打ち込む。 岩手県立黒沢尻北高等学校時代には甲子園大会などの全国大会への出場はない。 高校卒業後は国士舘大学に進学。同期に古城茂幸がいた。教育実習は、大学の先輩でもある、水谷哲也が監督を務める、横浜隼人高等学校にて行っていた。 大学卒業後はその縁から横浜隼人高等学校にて、コーチを務める。 2000年に岩手県の花巻東高等学校の教員として赴任。当初はバドミントン部や女子ソフトボール部の顧問を務めていた。
木立 章成(きだち あきなり、1973年10月13日 - )… 木立 章成(きだち あきなり、1973年10月13日 - )は、岩手県北上市出身の元プロ野球選手(遊撃手、右投右打)、北上リトルシニア監督。 専大北上高時代は内野手としてチームを牽引し、3年次の1991年に同校初となる夏の選手権出場を果たした。本戦では2回戦で敗退。高校のチームメイトに井上浩司がいた。 1991年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから7位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1996年に戦力外通告を受け任意引退となった。 引退とともにスカウト転身の打診を受け、23歳でスカウトに就任したが1年で退団。盛岡の実家に戻り、家業を継いだ。 2006年、社会人野球のクラブチームとして日本野球連盟に新規加盟した岩手21赤べこ野球軍団の監督に就任。
加賀 元(かが げん、1972年8月19日 - )は、岩手県… 加賀 元(かが げん、1972年8月19日 - )は、岩手県北上市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 北上市立飯豊小学校、北上市立飯豊中学校を経て盛岡工業高校に進学。父親の影響で幼少期から野球ボールを握っており、小学校5年生のころから投手としてプレーしていたとする資料がある一方、小学2年生で野球を始めた時点では中堅手だったが、中学時代に投手に転向したとする資料もある。高校時代は2年生だった1989年秋に県大会準優勝を果たし、東北大会でも2試合連続完投で準決勝へ進出したが敗退。3年生だった1990年夏の岩手県大会では1回戦で敗退した。 1990年12月3日、中日ドラゴンズにドラフト外入団することで合意し、仮契約を締結した。
猪久保 吾一(いのくぼ ごいち、1967年12月26日 - … 猪久保 吾一(いのくぼ ごいち、1967年12月26日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(捕手)。 盛岡商業高では高校1年秋から捕手として活躍し、山蔭徳法(のちに日本ハム入り)とバッテリーを組んでいた。 高校卒業後は、社会人野球の本田技研鈴鹿に進むが、実家の家業を手伝うために1987年7月に退団。しかし、ロッテオリオンズのスカウトから声がかかり、同年12月に練習生となり、1988年オフにドラフト外で入団。 入団2年目春季キャンプにて1軍合流、この年42試合に出場した。その後は青柳進や福沢洋一と正捕手争いをするが、決め手に欠け2軍生活が続く。1996年には自分の名前にちなんで背番号を51番にするが1軍出場はなく同年限りで現役を引退。
山蔭 徳法(やまかげ とくのり、1966年4月2日 - )は… 山蔭 徳法(やまかげ とくのり、1966年4月2日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。 盛岡商業高では猪久保吾一とバッテリーを組み、3年夏の県大会では同年春の選抜でベスト4に進出した大船渡高に準々決勝で惜敗した。 1984年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから4位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1987年に現役を引退した。 引退後は日本ハムの打撃投手を経て、岩手県の社会人野球・クラブチームの盛友クラブに参加していた。
太田 貴(おおた たかし、1965年11月28日 - )は、… 太田 貴(おおた たかし、1965年11月28日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロ野球選手(投手)。 盛岡市立高から、社会人野球の鷺宮製作所に進む。社会人時代は2年目から頭角を現し、右のオーバースローからストレートのMAXは148km/h程度。スライダー、カーブ、スピードが落ちずに小さく沈むというオリジナル・フォークを武器に通算72試合登板・32勝を記録した。 1988年オフに、ドラフト外で阪神タイガースに入団。 1993年4月20日には、二軍戦で打者27人のノーヒット・ノーランを達成するなど2軍ではトップクラスの選手だった。 しかし、一軍での登板数はあまり伸びず、1998年から打撃投手兼任になり背番号が30から106に変更となる。
高島 覚(たかしま さとる、1965年1月7日 - )は、岩… 高島 覚(たかしま さとる、1965年1月7日 - )は、岩手県一関市出身の元プロ野球選手(投手)。
小田 英明(おだ ひであき、1963年6月22日 - )は岩… 小田 英明(おだ ひであき、1963年6月22日 - )は岩手県出身の元プロ野球選手。
欠端 光則(かけはた みつのり、1963年〈昭和38年〉1月… 欠端 光則(かけはた みつのり、1963年〈昭和38年〉1月10日 - )は、岩手県二戸郡福岡町(現:二戸市)出身の元プロ野球選手(投手)。 岩手・福岡高では、1年秋の県大会準決勝では盛岡工の田鎖博美と投げ合って救援を受けるも勝利したが決勝は登板せずに敗退。1979年の2年生の時に夏の県大会決勝に進むが、久慈高に敗れ甲子園出場を逸する。秋は県大会を制して東北大会で高山郁夫が先発した秋田商戦で救援登板したが敗れた。翌1980年の春季東北大会でも決勝に進出し、途中救援で東北高の中条善伸と投げ合うが惜敗。しかし同年夏は県予選決勝で水沢高を降し、福岡高を19年ぶりの甲子園に導く。夏の甲子園では1回戦で大分商業高に敗退。
大谷 徹(おおたに とおる、1962年〈昭和37年〉5月17… 大谷 徹(おおたに とおる、1962年〈昭和37年〉5月17日 - )は、岩手県北上市出身の日本の元社会人野球選手(外野手)、少年野球監督。 妻は大谷加代子、長男はトヨタ自動車東日本で監督を務める大谷龍太、次男はロサンゼルス・ドジャースに所属する大谷翔平。 2人兄妹の長男として生まれ、岩手県北上市和賀町で育つ。父に勧められて野球を始めるが、中学では坊主頭になるのを嫌がり、当初は陸上部に所属。2年生時に三種競技A(100m走、砲丸投、走高跳)で県大会入賞の実績を残すが、明確に個人の優劣がつくことを嫌がり、2年生途中から野球部に転部。エース兼4番打者として活躍し、県内の野球強豪高校からも注目されるようになった。
田鎖 博美(たぐさり ひろみ、1961年6月15日 - )は… 田鎖 博美(たぐさり ひろみ、1961年6月15日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。 盛岡工業高では、2年秋の県大会準決勝では福岡高の欠端光則と投げ合って敗れ、1979年夏の県大会準決勝に進出するが、久慈高に惜敗し甲子園出場はならなかった。 好投手として評判が高く、高校卒業後は社会人野球のプリンスホテル入りすると言われるなかで、1979年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから2位指名を受け入団。貴重な大型左腕投手であり、新入団時に背番号18を与えられるなど期待された。 プロ入り後は故障もあって結果を残せず、1985年にはサンノゼ・ビーズへ野球留学した。結局7シーズンの在籍中一軍で一度も登板できず、1986年限りで現役を引退した。
鈴木 正幸(すずき まさゆき、1957年4月16日 - )は… 鈴木 正幸(すずき まさゆき、1957年4月16日 - )は、岩手県九戸郡出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 私立龍澤高校から、社会人野球の札幌トヨペットに入団。1980年の都市対抗野球にチームとして初出場。樋口博美(王子製紙苫小牧から補強)らの好投もあり決勝に進出。大昭和製紙との決勝ではリリーフとして起用されるが、佐々木正行に本塁打を浴びるなど攻略され、準優勝に終わった。 1980年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。 1982年には5月から先発として起用され2勝を挙げる。1安打完投を2回も記録するほど好調だった(内訳は1勝1敗)。6月18日の対大洋戦では、2回に屋鋪要の犠飛で1点を失うも8回2死まで無安打投球だったが、投手の野村収に唯一の安打を打たれ、味方打線はその野村に1安打完封を喫したため、両軍1安打ながら負け投手になった。
鈴木 弘規(すずき こうき、1956年9月11日 - )は、… 鈴木 弘規(すずき こうき、1956年9月11日 - )は、岩手県陸前高田市出身の元プロ野球選手(投手)。
神農 清治(かんのう きよはる、1953年9月22日 - )… 神農 清治(かんのう きよはる、1953年9月22日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 花巻商業高等学校では三番打者として活躍し、夏の全国高校野球予選ベスト4の原動力となった。 1971年のドラフトでロッテオリオンズから14位で指名され入団。 一軍公式戦に出場することはなく、退団した。
瀬戸 和則(せと かずのり、1950年8月17日 - 201… 瀬戸 和則(せと かずのり、1950年8月17日 - 2013年7月25日)は、岩手県釜石市出身のプロ野球選手(投手)。 大槌高ではエースとして活躍。在学中、甲子園には出場できなかったが、1968年春の東北大会県予選で黒沢尻工業高に次ぐ準優勝という実績を残す。東北大会では1回戦で小山田健一がいた日大山形高に敗退するが、好投手として注目された。 1968年のプロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズから13位指名を受けるも入団を拒否し、社会人野球の盛岡鉄道管理局へ入社。泉沢彰がプロ入りした後はチームのエースとなり、ややサイドから内外角をつくシュート、カーブでカウントをとるピッチングを身上に、都市対抗野球の常連として活躍した。
樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は… 樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は、岩手県久慈市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 東北高等学校から日本電信電話公社東北支社(電電東北、現在のNTT東日本宮城支店)へ入社した後に、同社硬式野球部(現在の東北マークス)所属の内・外野手として社会人球界で活躍。1970年のNPBドラフト会議において、読売ジャイアンツ(巨人)から4位で指名された。 電電東北からは1970年に佐藤政夫(高校の後輩にも当たる左投手)が巨人に入団していたが、1年在籍しただけで(この年から1972年までシーズン終了後に年に1回開催されていた)プロ野球選抜会議(ドラフト会議と同じ趣旨・要領で開催された「トレード会議」)を通じてロッテオリオンズへ移籍した。
佐々木 茂(ささき しげる、1949年3月20日 - )は、… 佐々木 茂(ささき しげる、1949年3月20日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。 大船渡高では、野球部に所属しておらず、バレー部に所属し国体にも出場している。 高校卒業後は、大船渡市場に入り、魚市場に勤め始めてから大船渡パイレーツという地元の軟式チームに入団。地方大会で活躍していた。その後は硬式の大船渡クラブで投げていたところヤクルトのスカウトの目にとまり、1972年にドラフト外でヤクルトアトムズに入団する。 1軍の試合には出場することなく、1978年に現役を引退した。その後は打撃投手も務めた。
及川 洋治(おいかわ ようじ、1949年2月6日 - )は、… 及川 洋治(おいかわ ようじ、1949年2月6日 - )は、岩手県北上市出身の元プロ野球選手(投手)。 黒沢尻工業高では、定時制に通っており、東京神宮球場で行われていた第十回全国高校定時制軟式野球大会で優勝した時のエースだった。卒業後は千葉県の川岸工業に就職。 サンケイアトムズのテストを受け、1968年にドラフト外で入団したが、1軍の試合には出場することなく1969年に1シーズン限りで現役を引退した。 現在は、岩手北上ボーイズの代表者を務める。
佐々木 剛(ささき たけし、1949年1月8日 - )は、岩… 佐々木 剛(ささき たけし、1949年1月8日 - )は、岩手県釜石市出身の元プロ野球選手(投手)。 釜石北高ではエース。上手投げの本格派で、速球とカーブ、スライダーを武器とした。 別所毅彦著のピッチング教室のモデルとなっている。 1966年にドラフト外でサンケイアトムズへテスト生として入団。一軍出場は偵察メンバーでダブルヘッダーの両試合のみであった。 1971年オフに東映フライヤーズへ移籍し、1972年に引退した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
阿部 成宏(あべ なりひろ、1947年3月27日 - )は、… 阿部 成宏(あべ なりひろ、1947年3月27日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。1970年までの登録名は阿部 成行(あべ なりゆき)。兄は元プロ野球選手の阿部雄厚。 岩手・花巻商高(現・花巻東高)では1964年にエース、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦で鹿児島玉龍高を完封するが、2回戦では、この大会に優勝した高知高の光内数喜投手(芝工大-鐘淵化学)に抑えられ敗退。 1965年に大洋入団。 1969年には一軍で2試合に登板するが結果を残せなかった。 1970年11月の第1回選抜会議(トレード会議)の対象となり、12月に巨人に移籍。 1971年に外野手に転向する。
小笠原 正一(おがさわら しょういち、1946年1月1日 -… 小笠原 正一(おがさわら しょういち、1946年1月1日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 岩手県立盛岡農業高等学校から、1964年、日通盛岡へ。4番打者で強肩強打の外野手として活躍。 都市対抗野球で盛岡鉄道管理局の補強選手として後楽園の土を踏んでいる。 1971年のドラフトで阪神から4位指名され入団。「東北のスラッガー」と言われ、ウエスタンでは中軸を打ったが、一軍公式戦に出場がなく、1974年に引退。 引退後、フロント用具係・スコアラーとして活躍した後、阪神園芸でグランド整備を担当した。 鹿島アントラーズの小笠原満男の叔父にあたる。
泉沢 彰(いずみさわ あきら、1945年8月23日 - 20… 泉沢 彰(いずみさわ あきら、1945年8月23日 - 2017年10月21日)は、岩手県釜石市出身のプロ野球選手(投手)。 小学5年の時に野球を始め、投手となる。花巻商(現・花巻東)の3年の春は、夏は県大会初戦で完封したものの、2回戦で、1年下の阿部成宏(近鉄)が先発して押し出しで一点を与え、これが決勝戦で敗れた。社会人野球の盛岡鉄道管理局に入社し、自チームで2度、富士製鐵釜石の補強選手として1度都市対抗野球に出場し、1969年のドラフト1位で西鉄ライオンズへ入団。 下手投げのフォームで、1970年はルーキーでウエスタンリーグの防御率1位となり、カーブやシュート、シンカーを武器にこの年初勝利するが、73年に太平洋となってからは主に打撃投手をつとめ、その後は勝てず1976年に引退。
及川 宣士(おいかわ のぶじ、1944年6月8日 - )は、… 及川 宣士(おいかわ のぶじ、1944年6月8日 - )は、岩手県釜石市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 東北高校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に一塁手として出場。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に日下正勝左翼手、村上宏通二塁手(阪急ブレーブス)がいる。翌年の夏は東北大会準決勝に進出、リリーフとして登板するが、保原高に敗れ甲子園出場を逸した。 1963年に大洋ホエールズに入団。同年オフには高橋重行らとともに整理対象寸前であったが、翌年からコーチ就任予定の別所毅彦に手の大きさを着目されて現役を続けることになる。別所からフォークボールを伝授され、1965年4月27日に一軍初先発、阪神タイガースのジーン・バッキーと投げ合い3安打完封、初勝利を飾る。
立花 照人(たちばな てるひと、1943年3月4日 - 20… 立花 照人(たちばな てるひと、1943年3月4日 - 2015年3月19日[要出典])は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 遠野高校から1961年に阪急ブレーブスに入団。1試合しか出場できず(捕手登録だが一塁手として出場)、1962年に引退。引退後は地元岩手で食堂を経営。また、野球活動も務めており岩手プロ野球OB振興会の会長や岩手21赤べこ野球軍団の設立にも関わった。
阿部 雄厚(あべ ゆうこう、1942年12月4日 - )は、… 阿部 雄厚(あべ ゆうこう、1942年12月4日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。弟は元プロ野球選手の阿部成宏。 花巻商業高校から1961年に近鉄バファローへ入団。高校一年から投手をつとめ、春の県大会では宮古高を剛速球とドロップのノーヒット・ノーラン・ゲームを演じ、注目を浴びた。今夏の県大会でも一試合平均10三振を奪取するなど、その剛速球には大洋、大毎も目をつけていた。1964年に引退。