安藤 勲(あんどう・いさお、 1953年(昭和28年)2月4… 安藤 勲(あんどう・いさお、 1953年(昭和28年)2月4日- )は、元山形放送(YBC)のアナウンサー。後に山形放送の論説委員も兼ねており、YBC社説放送にも出演していた。 山形県山形市出身。東洋大学卒業。飛び出せ!全国DJ諸君では、1981年と1983年のそれぞれで共に優秀賞を受賞。 一時期、営業局次長となり現場から離れていたが、2008年4月にアナウンサーに復帰し、その後シニアスタッフとして活動しており、2024年3月にYBCを退社した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
齋藤 隆(さいとう たかし、1953年1月28日 - )は、… 齋藤 隆(さいとう たかし、1953年1月28日 - )は、山形県・酒田市出身の元ウエイトリフティング選手。モントリオールオリンピック日本代表。 1953年1月28日山形県酒田市に誕生する。 1971年、日本体育大学に入学。1976年に山添高校教員として臨んだモントリオールオリンピックでは4位入賞を果たした。 2020年、生涯スポーツ功労者賞を受賞。
須貝智郎(すがい ともお、1953年1月23日 - )は、山… 須貝智郎(すがい ともお、1953年1月23日 - )は、山形県を拠点に活躍する農業経営者兼インディーズのローカル・シンガーソングライター。同県南陽市内に個人事務所「ブリード」を立ち上げ、自ら所属している。 江戸時代から15代続く農家の長男として、東置賜郡和郷村(現:南陽市)法師柳に生まれる。 山形県立赤湯園芸高等学校(現:山形県立南陽高等学校)卒業後、コメの減反政策や農作物の価格低迷など農業を取り巻く環境に失望したこと、さらには泥まみれで働く父の姿を見て、百姓をやめて土木作業で生活の糧を得ようと決意。卒業と同時に家を出て日雇い労働者として全国各地を渡り歩いた。 そうした中、宿舎のラジオから流れてきた岡林信康の「山谷ブルース」の歌詞に自身の姿に重なり、感動を覚え、自分もそんな歌をつくりたいとの思いを抱いた。
五十嵐 仁之(いがらし ひとし、1953年(昭和28年)1月… 五十嵐 仁之(いがらし ひとし、1953年(昭和28年)1月11日 - )は、日本の画家、イラストレーター。山形県山形市生まれ。日本大学藝術学部美術学科油絵科卒業。三陽商会広告宣伝室を経て、現在、東京都渋谷区で有限会社スタジオ ジャングル・ジム代表。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
信夫 隆司(しのぶ たかし、1953年 - )は、日本の政治… 信夫 隆司(しのぶ たかし、1953年 - )は、日本の政治学者。日本大学法学部教授。専門は、国際政治学、地球環境問題。 山形県山形市出身。1975年日本大学法学部法律学科卒業、1977年同法学研究科修士課程修了、1981年ポートランド州立大学大学院修士課程修了。2010年「若泉敬と日米繊維交渉」で東海大学博士(政治学)。 日本大学法学部助手、武蔵野短期大学国際教養学科助教授、岩手県立大学総合政策学部教授を経て、2005年から現職。 2020年、日本政治法律学会より現代政治学会賞を受賞。
浅賀 正治(あさか まさじ、本名:浅賀正二、1953年 - … 浅賀 正治(あさか まさじ、本名:浅賀正二、1953年 - )は、日本の彫刻家(石彫家)、一般社団法人日本美術家連盟会員、日本ブルガリア協会理事、羽黒石材商工業協同組合理事、日本石材産業協会会員、株式会社綜合美術工房代表取締役社長。一級技能士 石材施工(石材加工作業)資格取得。いばらき観光マイスタ―S級資格取得。山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)出身で、茨城県桜川市在住。 キリル・メスキン展開催 ブルガリア派遣交流団現地石材での石匠7人制作建立事業 同国外務省での交流展 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
打田 稔(うちだ ねん、1953年 - 2016年)は、日本… 打田 稔(うちだ ねん、1953年 - 2016年)は、日本のモーターサイクルジャーナリスト、編集者、写真家(JPS日本写真家協会、JRPA日本レース写真家協会会員)、オフロードライダーである。本名:打田 稔(うちだ みのる)。エディトリアルプロダクション有限会社シフト代表。山形県鶴岡市出身、東京都在住。1987年から1999年までの12年間、月刊ガルル(実業之日本社・刊)の編集長を務め、国内にオフロードバイク人気とエンデューロブームを築いた。自らも国際ラリーレイドなどに出場し、海外のオフロードレースを紹介したオフロードバイク界の第一人者。
生田 宏司(いくた こうじ、1953年 - )は、日本のメゾ… 生田 宏司(いくた こうじ、1953年 - )は、日本のメゾチント技法による銅版画家。元東北芸術工科大学講師。「ふくろう」、「猫」、「花」をテーマとした作品が特に人気がある。 1953年、山形県鶴岡市に生まれる。千葉県立佐倉高等学校を経て多摩美術大学絵画科日本画専攻を卒業。上野泰明、加山又造、堀文子に師事。 1986年国際ミニチュア版画展グランプリ(アメリカ)、1987年カンピナス国際版画ビエンナーレ受賞(ブラジル)、1987年 - 1988年ワークスオンペーパー展買上賞(アメリカ)、1990年インタープリント国際版画美術展大賞(ソ連)、2003年フランス・フォルバック市・メディアテルクギャラリー個展(フランス)、2007年ストラスブール ジャパンフェスティバル「花」個展(フランス)、2011年第23回国際蔵書票版画ビエンナーレ展(名誉メダル賞)(ポーランド)、2013年喜多方市美術館にて個展開催・図録刊行(福島県)、2015年 パリ・サンシュルピス広場「版画の日」個展開催(フランス)など国際的に活動。
飯嶋 和一(いいじま かずいち、1952年12月20日 - … 飯嶋 和一(いいじま かずいち、1952年12月20日 - )は、日本の小説家。ジャンルは主に歴史小説。 山形県山形市生まれ。山形県立山形東高等学校を経て、1977年3月に法政大学文学部日本文学科を卒業。中学校教員、予備校講師などを経て執筆活動に専念。 2008年までに刊行された長編作品は、文芸誌の連載ではなく、全て書き下ろしの小説である。 2009年8月から刊行されている小学館の「STORY BOX」に、初めての連載となる『狗賓童子の島』を執筆。 2012年5月に連載終了後、翌月号より『灯守り』が連載。 2009年に新潮社発行の月刊小説誌「小説新潮」10月号から『星夜航行』が連載。 「史料を読み込むと書き手の視点に引っ張られるため、視点を変えることが大事」との姿勢を持ち、権力者ではなく民衆や在野の主人公からの視点で描いた作品が多い。
遠藤 たつお(えんどう- 、1952年12月7日 - )は、… 遠藤 たつお(えんどう- 、1952年12月7日 - )は、日本の俳優。山形県新庄市出身。身長175 cm、体重63 kg。ケイエムシネマ企画所属。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
ますむら ひろし(本名、増村 博、1952年(昭和27年)1… ますむら ひろし(本名、増村 博、1952年(昭和27年)10月23日 - )は、日本の男性漫画家。山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校卒後、東京デザイナー学院二部商業デザイン科[要出典]卒業。 横尾忠則、伊坂芳太良に憧れてイラストレーターを志し、1971年に上京しデザイン学校に通った。 1973年に21歳でに本名の「増村博」名義で賞金目当てに応募した『霧にむせぶ夜』が第5回手塚賞に準入選。 その後『ガロ』誌に作品を発表。1975年からしばらく青林堂に入社して働いていたこともある。『マンガ少年』誌で「ますむらひろしのファンタジーゾーン」(単行本『アタゴオル物語』収録作品およびSF作品の短編)シリーズを発表。
五十嵐 憲(いがらし けん、1952年(昭和27年)9月17… 五十嵐 憲(いがらし けん、1952年(昭和27年)9月17日 - )は、山形県鶴岡市出身の、水泳指導者、遠泳スイマー。 友人に「地元の漁港から1.2km先の島まで泳いで渡ったら寿司を奢る」と言われたのをきっかけに遠泳を始める。 1999年に、津軽海峡の横断に日本人としては初めて成功し、2000年にはドーバー海峡横断に日本人では9人目として成功する。その後、2001年間宮海峡、2002年宗谷海峡、2003年対馬海峡西水道横断、2004年バイカル湖に、それぞれ世界初となる単独遠泳横断に成功した。 地元の小学生への水泳指導も行っている。 講演会などでは、かつて北尾光司が名乗っていた「スポーツ冒険家」の肩書きを使うこともある。
蔵玉錦 敏正(ざおうにしき としまさ、1952年9月3日 -… 蔵玉錦 敏正(ざおうにしき としまさ、1952年9月3日 - 2020年8月9日)は、山形県山形市出身で鏡山部屋(入門時は伊勢ノ海部屋)に所属した大相撲力士。本名は安達 敏正(あだち としまさ)。現役時代の体格は183cm、141kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西前頭筆頭(1981年1月場所)。 兄2人、妹1人の4人兄妹の三男として生まれた。小学校4年生の頃から体がどんどん大きくなり、スポーツも万能で陸上、柔道、水泳が特に好きだった。高校野球の名門である日本大学山形高等学校に在学中は学業面でも英語や数学が得意であり、日本大学工学部への推薦入学も内定していた。 しかしこの頃、創設間近だった元横綱・柏戸の鏡山部屋の庄内後援会会員で土地相撲でも活躍する知人に見出されて、勧誘された。
山尾 順紀(やまお じゅんき、1952年(昭和27年)8月3… 山尾 順紀(やまお じゅんき、1952年(昭和27年)8月30日 - )は、日本の政治家、僧侶。元山形県新庄市長(4期)、元新庄市議会議員(2期)。 山形県新庄市の真言宗智山派の円満寺に生まれる。新庄市立沼田小学校、新庄市立明倫中学校、山形県立新庄北高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、大正大学仏教学部卒業。同年4月、新庄市役所に入庁。1998年(平成10年)12月31日、同市役所を退職。 1999年(平成11年)5月、新庄市議会議員に就任。2003年(平成15年)、再選。同年12月、円満寺の住職となる。 2007年(平成19年)8月9日、新庄市長の高橋榮一郎が膵腫瘍のため任期中に死去。これに伴って9月30日に行われた市長選挙に出馬し、前副市長の八鍬長一を破り初当選を果たした(山尾:12,460票、八鍬:10,491票)。
斎藤 保(さいとう たもつ、1952年〈昭和27年〉7月13… 斎藤 保(さいとう たもつ、1952年〈昭和27年〉7月13日 - )は、日本の経営者。IHI社長を務めた。山形県出身。 山形県山形市出身。山形県立山形東高等学校を経て、1975年に東京大学工学部を卒業し、同年に石川島播磨重工業に入社。2008年4月に取締役に就任し、2011年4月に副社長を経て、2012年4月に社長に就任。2016年4月には会長兼CEOに就任2020年6月には相談役に就任。2023年4月、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長に就任。
伊賀 和洋(いが かずひろ、1952年2月28日 - )は、… 伊賀 和洋(いが かずひろ、1952年2月28日 - )は、日本の漫画家。 1952年生まれ、山形県南陽市出身。高校卒業後の1970年、さいとう・たかをプロダクションに入社。劇画の手ほどきを受ける。1972年に小池一夫主宰のスタジオ・シップ(現・小池書院)に移り、数々の作品を発表。 初期のペンネームは伊賀一洋。小池一夫の原作で、『槓聴(カンテン)の女』(「週刊現代」1976年8月)、『筒子裸五面待(トンズラゴメンチャン)』(「週刊サンケイ」1976年8月)などの麻雀漫画を執筆した。 2025年、南陽市立結城豊太郎記念館にて、企画展「劇画の魂を受け継ぐ人・漫画家伊賀和洋の世界」が開催された。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
板垣 信幸(いたがき のぶゆき、1952年 - )は、NHK… 板垣 信幸(いたがき のぶゆき、1952年 - )は、NHK解説委員、解説主幹。担当分野は財政、金融、国際経済。放送文化基金賞受賞。 山形県西村山郡大江町左沢出身。山形県立山形東高等学校理系コース卒業後、1年間の浪人を経て、1977年一橋大学社会学部社会学科(哲学専攻)卒業。同年日本放送協会入局。高校、大学では演劇活動を行う。 NHK岐阜放送局、NHK金沢放送局を経て、1984年から報道局経済部記者。農水、運輸、通商産業、大蔵といった中央省庁や日銀を担当。米価、国鉄改革、東芝ココム事件、公定歩合、銀行合併、リクルート事件、金融証券不祥事、湾岸戦争拠出金、東京サミットなどを取材。 1993年からNHKワシントン支局特派員となり、ホワイトハウス、FRBのほか、国務省や財務省など、経済官庁も担当。
坪井 眞里(つぼい まり、1952年(昭和27年) - )は… 坪井 眞里(つぼい まり、1952年(昭和27年) - )は、山形県鶴岡市出身の、NPOバンク『東京コミュニティパワーバンク』理事長。
小野瀬 由一(おのせ よしかず、昭和27年(1952年) -… 小野瀬 由一(おのせ よしかず、昭和27年(1952年) - )は、日本の経営学者、博士(経営学)(高千穂大学)、経営コンサルタント。山形県鶴岡市出身。 1952年8月 山形県鶴岡市に生れる(本籍:茨城県久慈郡大子町)。 1973年3月~2000年1月 東海大学海洋学部卒業後、海洋環境調査会社勤務、食品業界団体勤務、音楽ビジネス専門学校助教授などを経験。 1988年1月 学校法人産業能率大学学習サービスセンター委嘱講師に就任し、社会人向け通信講座を指導(現職)。 2004年6月 特定非営利活動法人東京ITコーディネータを設立し副理事長に就任し、ITコーディネータ活動を開始(現職)。 2006年3月 高千穂大学大学院経営学研究科博士課程にて、経営学修士及び経営学博士号を取得。
花輪 公雄(はなわ きみお、1952年 - ) は、日本の海… 花輪 公雄(はなわ きみお、1952年 - ) は、日本の海洋科学者。東北大学名誉教授。国立大学法人東北大学理事を経て、国立大学法人山形大学理事・副学長。元日本海洋学会会長。 山形市生まれ。1976年東北大学理学部卒業。1981年東北大学大学院理学研究科博士課程後期単位取得退学、東北大学理学部助手。1985年東北大学理学部講師。1987年理学博士、東北大学理学部助教授。1989年日本気象学会堀内賞受賞。 1994年東北大学理学部教授。1995年東北大学大学院理学研究科教授。2000年度日本海洋学会学会賞受賞。2006年気象庁気候問題懇談会座長、日本学術会議連携会員。2007年日本海洋学会副会長。
安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は… 安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は、日本の元陸上自衛官、剣道家。最終階級は陸将補、剣道の段位は教士八段。 山形県鶴岡市出身。第11特科連隊長、自衛隊福岡地方連絡部長、陸上自衛隊輸送学校長などを歴任した。1佐までの職種は野戦特科。 6歳から剣道を始め、2008年に合格率わずか1%の難関である八段昇段試験に合格した(防衛大学校出身者では2人目)。座右の銘は「謙虚精進」である。陸上自衛隊剣道連盟副会長、関東自衛隊剣道連盟会長を務める。
青木 辰司(あおき しんじ、1952年 - )は、現在東洋大… 青木 辰司(あおき しんじ、1952年 - )は、現在東洋大学社会学部教授。山形県山形市出身。専門は、環境社会学、農村社会学。
柳家 〆治(やなぎや しめじ、1951年7月28日 - )は… 柳家 〆治(やなぎや しめじ、1951年7月28日 - )は、山形県新庄市出身の落語家。落語協会所属の真打。本名:高山 安彦。出囃子:『御所のお庭』。紋:『羽団扇』。 落語家になる前は信用金庫に勤めていた。 1973年4月に十代目柳家小三治に入門し、一番弟子となる。前座名は「小りた」。初高座は1974年11月2日、上高田寄席で「道灌」。 1978年9月、古今亭菊弥、林家正雀、立川談之助と共に二ツ目昇進、「〆治」と改名。 1987年3月に金原亭馬治、古今亭菊龍、菊弥改め古今亭志ん彌と共に真打昇進。
南部 虎弾(なんぶ とらた、1951年〈昭和26年〉7月14… 南部 虎弾(なんぶ とらた、1951年〈昭和26年〉7月14日 - 2024年〈令和6年〉1月20日)は、日本のコメディアン、パフォーマー。電撃ネットワークメンバー。ダチョウ倶楽部初代リーダー。 本名は佐藤 道彦(さとう みちひこ)。愛称は南部ちゃん。身長168cm。血液型RHマイナスO型。既婚。オフィス電撃ネットワーク所属。メディア関係は主に、芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント(株式会社BBE)」に委託していた。芸名の名付け親は市原悦子。 山形県鶴岡市出身。実家は佐辰輪店という自転車屋。高崎経済大学中退。 第一生命営業マンを経て渡仏。帰国後、ロシア音楽舞踏団を経て、コント赤信号がいるテアトル・エコーに参加する。
大宮 登(おおみや のぼる、1951年6月12日 - )は、… 大宮 登(おおみや のぼる、1951年6月12日 - )は、日本の社会学者。高崎経済大学地域政策学部名誉教授、同大学の元副学長。群馬県選挙管理委員会委員長職務代理。山形県山形市出身。 なお、2013年には高崎経済大の学長選に立候補するも、現職の石川弘道に敗れた。 ◆平成23年度 各種委員会、学会、社会活動
菅根 光雄(すがね みつお、1951年(昭和26年)6月1日… 菅根 光雄(すがね みつお、1951年(昭和26年)6月1日 - )は、日本の政治家。元山形県尾花沢市長(1期)、元尾花沢市議会議員(6期)。 山形県新庄市生まれ。父親の仕事の関係で中学2年の時に尾花沢市に移り住んだ。尾花沢市立尾花沢中学校、山形県立楯岡高等学校、法政大学法学部法律学科卒業。1975年(昭和50年)から学習塾を経営。 1995年(平成7年)、尾花沢市議会議員に初当選。2011年(平成23年)8月4日から3年間、議長を務めた。2015年(平成27年)、6期目の当選を果たす。 2018年(平成30年)3月30日、任期満了に伴う尾花沢市長選挙に立候補する意向を表明。同年7月15日に行われた市長選に国民民主党・日本共産党・社民党の推薦を受けて立候補。
吉村 美栄子(よしむら みえこ、1951年5月18日 - )… 吉村 美栄子(よしむら みえこ、1951年5月18日 - )は、日本の政治家。山形県知事(公選第17・18・19・20・21代)。無所属。 山形県西村山郡大江町沢口に生まれる。旧姓は鈴木。山形県立山形西高等学校を経て、お茶の水女子大学に進学。大学では教育心理学を専攻。卒業後の1974年4月、リクルート入社。 1976年結婚、翌1977年退社。夫の母親が病気となり夫は司法試験を受けるために東京に残り、吉村は1978年長女を連れて山形に帰郷。義父母と同居しながら子育てに専念。46歳の時に夫が病死。以後社会復帰し、山形市総合学習センターで非常勤教育相談員として勤務。1998年県の教育委員に就任。その後、総合政策審議会、入札監視委員会など多くの委員を担った。
佐藤 博(さとう ひろし、1951年5月12日 - )は、山… 佐藤 博(さとう ひろし、1951年5月12日 - )は、山形県酒田市出身の元プロ野球選手(投手)。 酒田商業高校では1969年の西奥羽大会県予選準々決勝に進出するが、酒田東高に敗退し、甲子園には届かなかった。日立製作所へ入社。1971年から都市対抗野球大会に3年連続出場。1973年は再試合も含め5連投、3連勝で準決勝に進出。この大会に優勝した日本鋼管に敗退するが好投手として注目を集めた。 1971年ドラフトで大洋ホエールズから4位指名を受けた。大洋ファンだった佐藤は入団を希望したが、同時に同僚の渡辺孝博もドラフト指名を受け(ヤクルトアトムズ)、「一度に2人もエースが抜けられたら困る」と会社側に反対されたため、入団を拒否した。
本間 正義(ほんま まさよし、1951年5月2日 - )は、… 本間 正義(ほんま まさよし、1951年5月2日 - )は、日本の経済学者。専攻は農業経済学。アジア成長研究所特別教授、東京大学名誉教授。アイオワ大学博士(Ph.D.)。 山形県新庄市出身。5歳で小国町に移転、11歳に父の死で上京する。東京都立青山高等学校では激しい学生運動により学校閉鎖となり、その期間に北海道での研修旅行を行い、農業実習の経験から志望を固めた。1974年帯広畜産大学畜産学部卒業。1976年東京大学大学院農学系研究科修士課程修了。1982年アイオワ大学大学院経済学研究科博士課程修了。 1983年東京都立大学経済学部助手、1985年小樽商科大学商学部助教授、1991年同教授、1996年成蹊大学経済学部教授、東京大学農学部教授、西南学院大学経済学部教授を経てアジア成長研究所特別教授。
佐藤 長栄(さとう ちょうえい、1951年4月15日 - )… 佐藤 長栄(さとう ちょうえい、1951年4月15日 - )は山形県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。 米沢中央高校、中央大学を経て日本サッカーリーグの古河電工サッカー部(現-ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団しリーグ142試合、日本代表国際Aマッチ1試合出場の記録を残した。 引退後は1991年から1994年までジェフユナイテッド市原のコーチ、1995年に清水エスパルスのコーチを務め、1996年にブランメル仙台(現-ベガルタ仙台)の監督に就任したが1年限りで退任した。その後、1998年から1999年まで浦和レッズのコーチを務め、退任直前の第79回天皇杯では監督として登録(チームの指揮は総監督の吉田靖が執った)された。
八尾坂 修(やおさか おさむ、1951年1月29日- )は、… 八尾坂 修(やおさか おさむ、1951年1月29日- )は、日本の教育学者。専門は、教育行政・教育経営。開智国際大学教育学部教授、玉川大学教師教育リサーチセンター客員教授、九州大学名誉教授、放送大学客員教授。 山形県酒田市生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。青山学院大学大学院法学研究科修了後、高校教員を経て横浜国立大学大学院教育学研究科を中退して、1982年1月国立教育研究所指導普及研究員(文部教官)。研究所員としてハーバード大学に留学し、同大学教育学大学院行政・計画・社会政策研究科修士課程修了。1991年7月同教育経営研究部主任研究官、1993年奈良教育大学教育学部助教授、1998年教授、2001年「アメリカ合衆国教員免許制度の研究-教育史的考察」で九州大学教育学博士。
高橋 二雄(たかはし つぐお、昭和26年(1951年)1月1… 高橋 二雄(たかはし つぐお、昭和26年(1951年)1月17日 - )は、日本の外交官。2013年(平成25年)10月11日からアゼルバイジャン駐箚特命全権大使。 山形県村山市出身。1974年(昭和49年)上智大学外国語学部ロシア語学科を卒業し、外務省に入省した。1995年(平成7年)ハバロフスク領事。1997年(平成9年)外務省欧亜局ロシア課新独立国家室首席事務官。2001年(平成13年)駐英大使館一等書記官。2003年(平成15年)外務省欧州局ロシア課ロシア支援室長。2004年(平成16年)外務省欧州局ロシア課企画官兼ロシア支援室長。2006年(平成18年)外務省領事局政策課領事サービス室長。
秋葉 重幸(あきば しげゆき、1951年 - )は日本の通信… 秋葉 重幸(あきば しげゆき、1951年 - )は日本の通信工学者。工学博士。KDDI研究所特別研究員、東京工業大学大学院連携教授、KDDI常務、KDDI理事、KDD研究所所長、KDDI研究所所長、KDDI海底ケーブルシステム社長、電子情報通信学会副会長等を歴任。海底ケーブルに使用される、光増幅国際長距離海底ケーブル方式の開発で知られる。山形県出身。 1980年末から、海底ケーブルに光ファイバ通信技術が導入され、国際間の通信量が膨大になった。しかし、従来の通信方式では、ギガビット以上の伝送容量を実現するには信頼性、経済性の面で海底中継回路の高速化に限界があった。そこで、簡易な構成で飛躍的な伝送容量増加が図れる直接光増幅中継方式の開発が必要となる。
新田 孝彦(にった たかひこ、1951年 - )は、日本の倫… 新田 孝彦(にった たかひこ、1951年 - )は、日本の倫理学者。北海道大学大学院文学研究科教授。カント倫理学を主な研究対象としている。応用倫理学研究も行っており、北海道大学に設置された応用倫理研究教育センター長を務める。 山形県生まれ。山形県立新庄北高等学校卒業後、北海道大学文学部入学。在学中、イマヌエル・カント研究者として知られる宇都宮芳明の薫陶を受ける。1977年、同大学大学院文学研究科(哲学専攻)博士後期課程中退。愛知県立大学文学部講師などを経て現職。1994年 北海道大学博士(文学)。論文の題は「カントと自由の問題」。 1986年10月から1987年3月、および1999年12月から2000年8月の間、ミュンヘン大学にて在外研究を行う。
岡部 史(おかべ ふみ、1951年 - )は、日本の翻訳家、… 岡部 史(おかべ ふみ、1951年 - )は、日本の翻訳家、食文化研究者、児童文学作家、歌人。塔短歌会所属。 米沢興譲館高等学校を受験、入学するが、父の転勤により東京に移り、一年の二学期より都立雪谷高校へ編入学。1974年、日本女子大学文学部史学科卒業。 横浜市役所に10年間勤務後、夫の渡米に伴いアメリカのノースカロライナ大学で学ぶ。 1983年、塔短歌会入会。 帰国後は児童文学の翻訳に携わり、児童文学を中心に好きな本を翻訳。1989年に初の訳書『はだしのバレリーナ』(ポプラ社)を刊行。 1993年、翻訳作品『魔女図鑑』(マルカム・バード著)が、剣淵町絵本の館が主催する第3回剣淵絵本の里大賞を受賞。
杉原 志啓(すぎはら ゆきひろ、1951年 - )は、日本の… 杉原 志啓(すぎはら ゆきひろ、1951年 - )は、日本の音楽評論家、日本近代思想史研究者。 おもに音楽評論家として活動し、多くの編著書があるが、徳富蘇峰を中心とした日本近代思想史の研究者としての著作もあり、学習院女子大学、フェリス女学院大学、東京藝術大学のほか、出身地にある東北公益文科大学などで非常勤講師を務めた。 山形県酒田市出身。学習院大学で坂本多加雄に師事し、2002年に坂本が没した後は、坂本の選集などの編集・監修に当たった。1993年に『蘇峰と「近世日本国民史」 -大記者の「修史事業」』で、学習院大学より博士(政治学) を取得。
駒澤 博司(こまざわ ひろし、1951年(昭和26年) - … 駒澤 博司(こまざわ ひろし、1951年(昭和26年) - )は、山形県鶴岡市出身の、日本の陶芸家。 師匠は、木村一陽と大宮司崇人である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
佐藤 誠七(さとう せいしち、1950年〈昭和25年〉10月… 佐藤 誠七(さとう せいしち、1950年〈昭和25年〉10月27日 - )は、日本の政治家、白鷹町長、行政書士。
小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - … 小山田 健一(おやまだ けんいち、1950年9月13日 - 2001年3月20日)は、山形県山形市出身のプロ野球選手(捕手)。 プロ野球選手の小山田貴雄は実子。 日大山形高では、捕手、四番打者として左腕エース柳橋明(日本石油)とバッテリーを組み、1968年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で岩国商に0-1で敗れるが、強打が注目され東映フライヤーズにドラフト6位で指名を受け入団。 種茂雅之、加藤俊夫ら捕手陣の揃った東映では一軍に定着しきれなかったが、1974年9月には打力を活かし一塁手として2試合に先発出場を果たす。1976年にヤクルトスワローズに移籍。ここでも大矢明彦という不動の正捕手がいたため出場機会に恵まれなかった。
西海 和久(にしがい かずひさ、1950年(昭和25年)7月… 西海 和久(にしがい かずひさ、1950年(昭和25年)7月29日 - )は、日本の実業家。ブリヂストンエクスターナルアドバイザー。三井海洋開発取締役。山形県鶴岡市出身。 1994年に飯塚周平と共同で発明した特許、「高分子複合材料とその製造方法および使用方法」が公開されている。 2012年5月25日、津谷正明CEOと共にロシアにタイヤ工場を新設することを発表した。
制野 秀一(せいの しゅういち、1950年7月21日 - 2… 制野 秀一(せいの しゅういち、1950年7月21日 - 2005年8月21日)は、山形県山形市出身の漫画家、イラストレーター。別名:せいの秀一、生田正次。 漫画家を目指し、高校を中退して上京。横山まさみち・つのだじろう・赤塚不二夫らのアシスタントを経て、1973年に『怒りの朝』(『週刊少年キング』掲載)でデビュー。主に官能劇画誌で活動するが、特撮テレビ番組のコミカライズで児童誌にも執筆する。 長女は、2003年初代TBSベイスターズガールの中嶋愛(めぐみ、旧姓:制野)。親子とも血液型はAB型である。婿は、元プロ野球選手の中嶋聡。 2005年8月21日、心不全で死去。55歳没。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
中川 勝(なかがわ まさる、1950年(昭和25年)7月7日… 中川 勝(なかがわ まさる、1950年(昭和25年)7月7日 - )は、日本の政治家。山形県米沢市長(2期)。元山形県議会議員(3期)、元米沢市議会議員(5期)。 山形県米沢市出身。山形県立米沢商業高等学校卒業。 1983年4月の米沢市議会議員選挙で初当選。1997年3月には市議会議長に就任した。5期20年務めたのち、2003年4月の山形県議会議員選挙に自由民主党公認で出馬し初当選。 2015年11月22日に行われた米沢市長選挙に「産業振興会社の設立と、国からの副市長招請」を公約に掲げて出馬。現職の安部三十郎との接戦を制し初当選した。勝因として、2013年に新文化複合施設(新図書館)を建設中に巨大な地下残存物が見つかり撤去に巨額の費用を要したことや、市の財政収支が2014年度決算で3年連続実質赤字となったことなど、現職にとって負い目となる要素が多かったことが指摘される。
富樫 宜資(とがし よしもと、1950年6月1日 - )は、… 富樫 宜資(とがし よしもと、1950年6月1日 - )は、日本の空手家。日本空手道無門会の創設者・代表(宗主会長)で段位は十段。山形県酒田市常禅寺出身。亜細亜大学出身。 高校時代からキックボクシングに興味を抱き、大学入学後、空手を稽古し始める。 1970年には10日間の山篭り修行をおこなう。同年の第2回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に白帯でエントリーした。2回戦で西田幸夫と対戦するが判定負け。1971年の第3回全日本選手権では3回戦で佐藤勝昭に敗北。対戦した佐藤勝昭は試合内容を富樫の前額部に跳び膝蹴りをヒットさせ、大差の判定で勝利したと述べている。 1973年の6月から9月中旬まで奥多摩で100日間の山篭りを行い、空手の稽古に励んだ。
太田 三郎(おおた さぶろう、1950年〈昭和25年〉5月1… 太田 三郎(おおた さぶろう、1950年〈昭和25年〉5月11日 - )は、山形県西田川郡温海町(現・鶴岡市)出身の現代美術家。 郵便切手や消印を用いた作品や、身近なものをオリジナルの切手の形にした作品制作など、郵便を素材に「時間」と「場所」の関係性をテーマとする。近年は一般市民と共同制作するアート・プロジェクトを各地で展開している。 1950年、山形県西田川郡温海町(現・鶴岡市)大岩川に生まれた。1971年4月、鶴岡工業高等専門学校卒業後に上京。デザイン事務所に勤務しながら、写真に撮った身近な人々を鉛筆で細密に描く肖像画を描き始め、1980年の初めての個展で発表。個展をきっかけに銀座の画廊巡りをはじめた太田は、ニュー・ペインティングやコンセプチュアル・アート、ミニマル・アートなどの現代美術に遭遇し大きな衝撃を受ける。
飛島 正(とびしま ただし、1950年5月3日 - )は、山… 飛島 正(とびしま ただし、1950年5月3日 - )は、山形県酒田市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 正(たかはし ただし)。176cm、98kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り、捻り。 実家は農家で、中学時代は野球部に所属し、エースを務めた。当時としても小柄であったが、大相撲の世界の扉を叩いた。1965年11月場所に初土俵。1971年7月場所に十両昇進を果たすも3勝12敗と大敗を喫し、翌9月場所に幕下陥落。十両在位は1場所に終わった。1978年9月場所に28歳で廃業。左四つで食い下がれば頭捻りを引き、離れれば掻っ撥いたり引っ掛けたりと俊敏さと粘り強さを活かした取り口であった。
天池 眞樹(あまいけ まき、1950年3月27日 - )は、… 天池 眞樹(あまいけ まき、1950年3月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー。YTS山形テレビの元アナウンサー。 山形県鶴岡市出身。オフィステイクワン代表。 國學院大學を卒業後、1973年にYTSに入社し、主にスポーツ実況や司会を中心に活躍。持ち前の美声が特徴。 2003年の人事異動でアナウンサー職を離れて置賜支社長を務めていたが、2009年の人事異動で本社勤務となった。 2010年7月17日に行われた、J1第13節モンテディオ山形対ベガルタ仙台戦(所謂みちのくダービー)のスカパー!事前番組に山形側コメンテーターとして出演した。 シビルウエディングミニスターに認定されている。 山形県スポーツウエルネス吹矢協会の会長も兼任している。
今野 ひろみ(こんの ひろみ、1950年3月9日 - )は、… 今野 ひろみ(こんの ひろみ、1950年3月9日 - )は、日本の女優、声優。山形県山形市出身。身長154cm、血液型はA型。プロダクション・タンク所属。 特技は日舞、狂言、手話、三味線、唄。方言は山形弁。
高橋 節(たかはし たかし、1950年2月3日 - )は、日… 高橋 節(たかはし たかし、1950年2月3日 - )は、日本の地方公務員。山形県副知事や、山形県スポーツ振興21世紀協会理事長、モンテディオ山形代表取締役社長等を務めた。 山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校を経て、1972年山形大学人文学部卒業、山形県入庁。財政課に長く勤務し、2001年に東京事務所長就任。2004年農林水産部長。2006年庄内総合支庁長。2008年健康福祉部長。2009年退職。 同年から副知事及び公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会副理事長を務め、東日本大震災への対応などにあたった。2012年から公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会理事長も兼務した。2013年退任。
遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月… 遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月17日 - )は、日本の政治家。日本スポーツ協会会長(第16代)。 東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣(第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次安倍内閣)、建設政務次官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、衆議院青少年問題に関する特別委員長、同農林水産委員長、衆議院議員(10期)、自由民主党総務会長(第60代)、同選挙対策委員長(第9代)、同2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部長、同政務調査会長代理、同教育再生実行本部長、同国際局長、同幹事長代理、同スポーツ立国調査会長、同財務委員長、同中央政治大学院学院長、山形県議会議員(2期)を歴任した。
神幸 勝紀(しんこう かつのり、1950年1月2日 - )は… 神幸 勝紀(しんこう かつのり、1950年1月2日 - )は、山形県西置賜郡小国町出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は小林 二男(こばやし ふたお)。最高位は西前頭8枚目(1980年7月場所)。現役時代の体格は188cm、136kg。得意手は左四つ、上手投げ。 小国町立小国中学校在学時より柔道で活躍し、地元の県立小国高校でも柔道を続け、2段まで昇った。2年生の時、伊勢ヶ濱親方(元横綱・照國)のスカウトを受け、高校を中退して伊勢ヶ濱部屋に入門。1966年9月、16歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の大関・魁傑らがいる。 当初の四股名は、本名と同一の「小林」。その後、「大神幸」(1967年3月場所~)から「神幸」(1970年1月場所~)へと2度四股名を改めたが、「大神幸」「神幸」という名はいずれも自分で付けたものである(「神幸祭」に因む、という)。