市原 多朗(いちはら たろう、1950年1月2日 - )は、… 市原 多朗(いちはら たろう、1950年1月2日 - )は、日本の声楽家・テノール歌手。 山形県酒田市出身。2017年2月、酒田市から「酒田市名誉市民」の称号を授与される。 東京藝術大学大学院修了。加藤千恵、金内馨子、渡邊高之助に師事。1979年、第48回日本音楽コンクール第1位、および第15回日伊声楽コンコルソ第1位。1987年、芸術選奨新人賞受賞。 日本を代表するテノール歌手であり、主にイタリアオペラを中心としたレパートリーを持っている。正統派ベルカントの美声と表現力で、世界で活躍した。 二期会オペラ(日生劇場)、マスネ『ウェルテル』のタイトルロールでオペラ・デビューを飾る。 山形新聞社より「平和賞」受賞。
飯野 正光(いいの まさみつ、1950年 - )は、日本の医… 飯野 正光(いいの まさみつ、1950年 - )は、日本の医学者、医師。専門は、生理学、薬理学。学位は、医学博士。 東京大学名誉教授・ニューロインテリジェンス国際研究機構特任教授、日本大学生体機能医学系生理学分野上席研究員。元日本大学特任教授、元東京大学教授。 東京大学大学院医学系研究科副研究科長、ニューロインテリジェンス国際研究機構機構長特別補佐、日本薬理学会理事長、日本医学会副会長などを歴任した。紫綬褒章受章。山形市出身。
中村 秀一(なかむら しゅういち、1950年 - )は、日本… 中村 秀一(なかむら しゅういち、1950年 - )は、日本の経済学者。経済学博士(東京経済大学)。千葉経済大学短期大学部教授。2020年より千葉経済大学短期大学部名誉教授。山形県鶴岡市出身。 専門分野は経済政策・経済思想史。 特技はギターの弾き語り。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
佐藤 建吉(さとう けんきち、昭和25年(1950年) - … 佐藤 建吉(さとう けんきち、昭和25年(1950年) - )は、日本の工学者、工学博士(東京都立大学 (1949-2011))、元千葉大学工学部・大学院工学研究院准教授。山形県鶴岡市出身。
ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師… ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師、お笑い芸人、コメディアン、俳優。本名、兼子 二郎(かねこ にろう)。旧芸名は松鶴家二郎、空きよし、兼子きよし、ビートキヨシ。 漫才ブーム(MANZAIブーム)全盛時から現在まで活動を続ける人気漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役であり、たけしの毒舌に対するツッコミの「よしなさい!」は流行語になり、今も世間で使われている。神奈川県横浜市在住。 ボケ役である相方のビートたけし(北野武)のことは親しみを込めて相方と呼ぶ。かつてはダテ企画の所属だったが、2014年4月から相方の所属のオフィス北野所属となった。しかし相方の独立に伴い、2018年3月をもってオフィス北野から離れることになった。
石川 牧子(いしかわ まきこ、1949年11月12日 - )… 石川 牧子(いしかわ まきこ、1949年11月12日 - )は、日本のアナウンサー(日本テレビ → フリー)、元仙台大学客員教授、拓殖大学客員教授、財団法人日本ゲートボール連合理事。 山形県鶴岡市生まれ。酒田市立第三中学校卒業。山形県立酒田東高等学校2年時に宮城県仙台市へ転居した。東京女子大学短期大学部英語科卒業。 アナウンス部在籍時は報道からスポーツ、バラエティまで幅広く出演し、日本テレビの女性アナウンサーの看板的な存在だった。「元祖どっきりカメラ」、「アメリカ横断ウルトラクイズ」といった看板番組の司会を長きにわたり担当した。 現場からデスク職についてからはキー局では初めての女性アナウンス部長としても話題となったが、前任の舛方勝宏から引き継がれた新人アナウンサーへの厳しい指導は度々日本テレビの特番でも放送された。
菅野 芳秀(かんの よしひで、1949年10月31日 - )… 菅野 芳秀(かんの よしひで、1949年10月31日 - )は日本の百姓。社会活動家。農作家。山形県長井市出身、明治大学農学部卒。 大正大学地域構想研究所客員教授、置賜自給圏推進機構共同代表、アジア農民交流センター共同代表、置賜百姓交流会世話人。 循環型『菅野農園』経営https://kanno-nouen.jp/ 『令和の百姓一揆』代表 「みんなでなるべ柿の種」 農村は遅れた地域ではなく、“『土』『食』『いのち』との最も理想的関係を築くとができる”可能性に満ちているところ。だからこそ田舎の「出世」は都会になることではない。堂々たる田舎になること!と百姓としての農作業の傍ら、地域づくり、自給圏づくり、自然・農・食・いのちの循環を軸に活動。
サルトビ小山(さるとび こやま)、1949年10月5日 ‐ … サルトビ小山(さるとび こやま)、1949年10月5日 ‐ )は、日本の元プロボクサー。本名は小山 繁幸(こやま しげゆき)。山形県上山市出身。元日本スーパーバンタム級チャンピオン。4度の防衛後、眼疾によりタイトル返上し引退。引退後は様々な職を経験した後、ファイティング原田ジムでチーフトレーナーを歴任。現役時代は笹崎ボクシングジム所属。 山形県上山市にて3人兄弟の末っ子として誕生。笹崎ジム黄金期に全日本新人王、日本タイトルを獲得。 現役引退後は、役者を志願し千葉真一の設立したアクションスター養成のジャパンアクションクラブの3期生となり、数年役者としての活動。 その後、ファイティング原田ジムにトレーナーとしてボクシング界に戻り指導に当たっていた。
長谷川 吉茂(はせがわ きちしげ、1949年(昭和24年)9… 長谷川 吉茂(はせがわ きちしげ、1949年(昭和24年)9月30日 - )は、日本の銀行家。山形銀行相談役。山形県EU協会会長。公益財団法人山形美術館評議員。 山形銀行頭取、会長を歴任した長谷川吉郎の長男として山形県山形市に生まれる。 山形県立山形東高等学校を首席で卒業後、東京大学に進学する。在学中は、東大紛争の真っ只中、学生生活を送り自治委員も務めた。もともとは、天文学者を志望していたが、父の影響もあり経済学部に進路を変更し卒業する。 1973年(昭和48年)、住友銀行(現・三井住友銀行)に入行。調査部に長く在籍しあまたの企業を訪問したほか、出向も経験した。また、住銀発行の経済月報誌には数度にわたってレポートも執筆した。
渡辺 修一(わたなべ しゅういち、1949年9月28日 - … 渡辺 修一(わたなべ しゅういち、1949年9月28日 - )は、山形県上山市出身の元騎手(中央→上山)・元調教師(上山)。 上山競馬場の裏に実家があり、当時は競馬場には馬房がなく、民間の軒先を貸りて代用していたため、渡辺家でも競走馬を預かっていた。子供の頃から馬に接する機会はあったほか、東京・佐藤林次郎調教師と父が知り合いという競馬に縁のある環境でもあった。 馬事公苑に入学したての頃は勝負服や靴を着けても35kg程度で軽すぎると言われたが、その内に体重が増えてしまい、後には減量では随分と苦労をした。 1968年3月に東京・八木沢勝美厩舎からデビューし、同2日の中山第4競走4歳未勝利・キングオールトン(10頭中9着)で初騎乗を果たすと、20日の中山第12競走5歳以上160万下未勝利・メジロフブキで初勝利を挙げる。
細谷 知行(ほそや ともゆき、1949年4月7日 - )は、… 細谷 知行(ほそや ともゆき、1949年4月7日 - )は、日本の地方公務員。山形県副知事や、山形県住宅供給公社理事長、山形県道路公社理事長、山形県スポーツ振興21世紀協会理事長等を務めた。 山形県立山形東高等学校を経て、明治大学商学部卒業。高校の同級生に遠藤利明元東京オリンピック・パラリンピック担当大臣がいた。1974年山形県入庁。工業振興課開発主幹、工業振興課開発課長、土木部管理課長等を経て、2001年上山市助役。2004年文化環境部次長。出納局長、文化環境部長を経て、退職後、企業管理者、山形県信用保証協会理事長を経て、2013年から高橋節の後任として副知事を務め、公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会理事長、山形県住宅供給公社理事長、公益財団法人やまがた農業支援理事長、山形県道路公社理事長、山形県土地開発公社理事長も兼務した。
真島 俊夫(ましま としお、1949年2月21日 - 201… 真島 俊夫(ましま としお、1949年2月21日 - 2016年4月21日)は、日本の作曲家・編曲家。吹奏楽のためのオリジナル、ジャズやポップスの作・編曲作品が多数。 山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡南高等学校卒業(在学中は吹奏楽研究会に在籍)、神奈川大学工学部中退(在学中は吹奏楽部に在籍、パートはトロンボーン)。和声法と作・編曲法を兼田敏に師事。 全日本吹奏楽コンクール課題曲をはじめとする数多くの吹奏楽曲を作曲しているほか、二十数年以上にわたり「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」にスコアを提供、代表的な編曲としては「宝島」「オーメンズ・オブ・ラブ」「チュニジアの夜」等、そして「ドラゴンクエスト」シリーズの全吹奏楽編曲を担当。
島影 せい子(しまかげ せいこ、1949年2月16日 - )… 島影 せい子(しまかげ せいこ、1949年2月16日 - )は、日本の元バレーボール選手、プロゴルファー。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。 山形県酒田市出身。酒田市立酒田中央高等学校を経て、1967年に日本リーグの日立武蔵(当時)に入部。日立武蔵は生沼スミエ、高山鈴江などレギュラーが決まっており、活躍の場を求め1968年の後期日本リーグからニチボー貝塚に移籍した。1970年の世界選手権、1972年のミュンヘンオリンピックでそれぞれ銀メダルを獲得した。 引退後の1977年にゴルフのプロテストに合格し、プロゴルファーに転身。1981年のシンコークラシック女子プロゴルフトーナメントで生涯唯一の優勝を飾っている。
若草 恵(わかくさ けい、1949年2月10日 - )は、日… 若草 恵(わかくさ けい、1949年2月10日 - )は、日本の作曲家、編曲家。山形県出身。男性。本名:斉藤 徹(さいとう とおる)。 父親はミノルフォン専属の演歌作曲家だった。幼い頃から音楽を聴いて育つ。中学、高校とブラスバンド部に在籍。同時期にクラシックを林三重子に師事。高校卒業後、18歳で一家揃って東京に出てくる。理由は「東京に出て勉強したい」と言うと、一家で山形から東京に出ようということになった。ヤマハ音楽振興会の渡辺貞夫のクラスでジャズ理論を学ぶ傍ら、CM音楽等の作曲活動を始める。その後、師であり親とも慕う中山大三郎の元で、歌謡曲の編曲を始める。研ナオコ「かもめはかもめ」などの編曲で注目され、演歌、ポップスとジャンルを問わず幅広く手がけている。
伊藤 哲雄(いとう てつお、1949年〈昭和24年〉2月4日… 伊藤 哲雄(いとう てつお、1949年〈昭和24年〉2月4日 - )は、日本の元外交官、神戸大学特命教授(経済学研究科)。カザフスタン駐箚特命全権大使、ハンガリー駐箚特命全権大使などを歴任した。 山形県山形市出身。1965年(昭和40年)山形大学教育学部附属中学校(現山形大学附属中学校)を卒業。1968年(昭和43年)AFS留学でアメリカに渡り、ミネソタ州エヴェレス高等学校を卒業した。翌1969年(昭和44年)慶應義塾高等学校を経て、1973年(昭和48年)慶應義塾大学経済学部を卒業し、外務省に入省する。
上林 恒平(かんばやし つねひら、昭和24年(1949年) … 上林 恒平(かんばやし つねひら、昭和24年(1949年) - )は、山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)出身の、刀工。山形県県指定無形文化財(工芸技術)保持者。致道博物館評議員。 人間国宝の宮入行平刀匠に師事し、柳村仙寿に刀身彫刻を学んだ。
上野 隆一(うえの りゅういち、1948年〈昭和23年〉12… 上野 隆一(うえの りゅういち、1948年〈昭和23年〉12月 - )は、山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)出身の実業家。株式会社ウエノ代表取締役社長。NPO法人庄内みずほの郷理事長、出羽商工会会長を歴任した。 1948年(昭和23年)、山形県東田川郡藤島町大字三和に農家の16代目として生まれる。長男であったことから「農業をやるのが当然」と考え、山形県立庄内農業高等学校に入学。高校卒業後は農業者大学校へ進学した。その後、山形へ戻って家業である農業や畜産関係の仕事に従事した。 田畑を引き継いだ際、土地は上野の叔父の名義である上、さらに3,000万円近い借金があることが発覚。利息の支払いだけで1日1万円が消えていった。
結城 章夫(ゆうき あきお、1948年9月23日 - )は、… 結城 章夫(ゆうき あきお、1948年9月23日 - )は、日本の文部官僚。学校法人富澤学園理事長。 2005年から2007年まで文部科学事務次官を務めた。事務次官退任後は山形大学の学長に就任し、2014年まで務めた。 山形県村山市に生まれる。山形県立山形東高等学校から東京大学理科一類に進学し、1971年6月に東京大学工学部物理工学科を卒業する。 1971年7月、科学技術庁に入庁。入庁後は主に原子力安全や研究開発行政に携わる。1982年 外務省在オーストラリア日本国大使館一等書記官。1987年 科学技術庁原子力局核燃料課長。1994年 科学技術庁科学技術振興局企画課長。1995年6月 科学技術庁長官官房秘書課長。
横山 リエ(よこやま りえ、本名:横山 真理子〈よこやま ま… 横山 リエ(よこやま りえ、本名:横山 真理子〈よこやま まりこ〉、1948年4月9日 - )は、日本の女優。 山形県山形市出身。山形県立山形中央高等学校卒業。 日本電信電話公社を退職後、劇団青俳研究生を経て、大島渚監督の映画『新宿泥棒日記』(1969年)にて主演デビュー。また若松孝二監督の『天使の恍惚』にも出演した。同作の中では歌も披露している。 その後は、映画やテレビドラマで助演に徹し、官能的な役柄や悪女を多数演じた。 現在は東京新宿でバー「新宿GOD」を経営。
加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1… 加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月16日)は、日本の文芸評論家、早稲田大学名誉教授。講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員。 『「アメリカ」の影』(1985年)で注目される。文学、政治、歴史認識と広く戦後日本の社会を独自の視点で考察。著書に『敗戦後論』(1997年)、『日本の無思想』(1999年)、『言葉の降る日』(2016年)、『敗者の想像力』(2017年)などがある。 山形県山形市出身。山形県立山形東高等学校を経て、1972年東京大学文学部仏文学科を卒業。1985年に『アメリカの影』でデビューする。 雑誌『思想の科学』に1980年代からかかわり、第八次『思想の科学』(1993-1996)の編集委員をつとめた。
元木 洋介(もとき ようすけ、1948年〈昭和23年〉4月1… 元木 洋介(もとき ようすけ、1948年〈昭和23年〉4月1日 - )は日本の政治家。元山形県最上郡鮭川村長(5期)。 新庄北高等学校農業科卒業。鮭川村商工会長や全国商工会青年部連合会副会長を歴任。1999年に鮭川村議会議員に初当選し、鮭川村議会総務常任委員長などを務めた。 2006年(平成18年)に鮭川村長に初当選、平成22年に再選、平成26年に三選、平成30年に四選、令和4年に五選。 2026年(令和8年)3月22日投開票の鮭川村村長で、元村役場職員かつ元村議会議員の西野桂一と一騎打ちとなり、落選した。 ※当日有権者数:3,112人 最終投票率:79.98%(前回比:-0.46pts)
桜多 吾作(おうた ごさく、1948年3月16日 - 202… 桜多 吾作(おうた ごさく、1948年3月16日 - 2022年12月12日)は、日本の漫画家。山形県上山市出身。本名は太田順一(おおた じゅんいち)。 石ノ森章太郎のアシスタントを経た後、「ボーイフレンドや~い」で少女漫画家・山上純一郎としてデビュー。単独名義のほか、萩尾望都との合作なども発表する。 少年誌に活躍の場を移行後、北川寛、本名の太田順一などのペンネームを経て「桜多吾作」名となる。一時、石森プロの先輩でもある永井豪が率いるダイナミックプロにも合流、同プロ原作アニメ作品のコミック化を数多く手がける。一方で、「桜多吾作とプロダクション・アドベンチャー」としても独立した作品を発表した。児童誌のコミックボンボンで執筆する際には、おうたごさくと平仮名表記で執筆している。
宗田 研二(そうだ けんじ、1948年2月12日 - )は、… 宗田 研二(そうだ けんじ、1948年2月12日 - )は、山形県新庄市出身の元バスケットボール選手である。 中央大学から日本鋼管に入社。日本リーグ4連覇に貢献し、1970年にベスト5選出。 全日本にも選ばれ、1967年世界選手権、1972年ミュンヘンオリンピックなどにも出場。 1970年アジア競技大会では相手選手に顔にツバをかけられて、殴ってやろうと思ったが、手を出さなかった。
北 重人(きた しげと、1948年1月3日 - 2009年8… 北 重人(きた しげと、1948年1月3日 - 2009年8月26日)は、 山形県酒田市生まれの小説家。建築士造園家。本名、渡辺 重人(わたなべ しげひと)。 山形県立酒田東高等学校を経て、1971年、千葉大学工学部建築学科卒業。 一級建築士、技術士建設部門(都市及び地方計画)資格取得後、ランドスケープコンサルタントの株式会社LAU都市施設研究所(現:LAU公共施設研究所)設立。 造園コンサルタント、都市計画コンサルタント業務の傍ら小説を執筆し、短編『陽ざかりの棗(なつめ)』をオール讀物新人賞に応募。最終選考まで残るが、決選投票で山本一力著『蒼龍』に敗れる。 1999年、『超高層に懸かる月と、骨と』で第38回オール讀物推理小説新人賞を受賞。
鏡 明(かがみ あきら、1948年1月2日 -)は、日本の小… 鏡 明(かがみ あきら、1948年1月2日 -)は、日本の小説家、SF作家、翻訳家、音楽・SF作品・漫画等文芸方面の評論家、広告ディレクター。電通顧問(元・執行役員)。 初期は岡田英明名義を使用した。 山形県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学第一文学部に進む。大学時代はワセダミステリクラブや、伝説的なSFファンの集まり「一の日会」に参加。またSF同人誌「宇宙気流」「SF倶楽部」などに関わる。 早稲田大学英文科を全優で卒業(指導教授には修士課程に進むことを切望される)後、電通に勤務。上司に小田桐昭、同僚に関三喜夫がいた。ジョージ・ルーカスを起用したパナソニックのCMなどで知られ、ACC賞、カンヌ国際広告賞、アジア太平洋広告祭をはじめとする国内外の広告賞を多数受賞。
加藤 豊(かとう ゆたか、1948年(昭和23年) - )は… 加藤 豊(かとう ゆたか、1948年(昭和23年) - )は、日本の彫刻家。山形県鶴岡市出身。 子供のあどけなさ、女性の優雅さを形にした作品を多く手掛ける。 1978年(昭和53年)二紀会同人となり、1983年(昭和58年)二紀会委員となるが、2001年(平成13年)に二紀会を脱退する。現在、無所属。日本美術家連盟会員である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
阿部 博行(あべ ひろゆき、1948年(昭和23年) - )… 阿部 博行(あべ ひろゆき、1948年(昭和23年) - )は、日本の著作家、教育者、鶴岡市史編纂委員。 山形県鶴岡市生まれ、1967年(昭和42年)山形県立鶴岡南高等学校卒業[要出典]。早稲田大学教育学部卒業後、山形県立鶴岡中央高等学校[要出典]、山形県立庄内農業高等学校等の県立高等学校教諭を歴任。
八束 はじめ(やつか はじめ、1948年 - )は、日本の建… 八束 はじめ(やつか はじめ、1948年 - )は、日本の建築家、建築史家、建築評論家、芝浦工業大学名誉教授。 ロシア・アヴァンギャルドを中心とする建築史研究や、卓抜な建築論でも知られる。 妹島和世や日埜直彦など多くの建築家を輩出している茨城県立水戸第一高等学校出身。 東京大学工学部都市工学科卒業。丹下健三が東京大学で教鞭を執っていた際の最後の教え子。同大学大学院(大谷幸夫研究室)修了。 2008年3月には、1994年から美術批評家の多木浩二らと編集委員として始めた雑誌10+1が最終号を迎えることとなり、自らNo50『Tokyo Metabolism 2010』(Inax出版)を編纂。
齋藤 文良(さいとう ふみお、1947年11月26日 - )… 齋藤 文良(さいとう ふみお、1947年11月26日 - ) は、日本の化学工学者。工学博士(東北大学・論文博士・1982年)。東北大学名誉教授。東北大学多元物質科学研究所所長、粉体工学会副会長、化学工学会粒子・流体プロセス部会長などを歴任。 山形市出身。1970年山形大学工学部化学工学科卒業。1972年山形大学大学院工学研究科修士課程化学工学専攻修了、山形大学工学部助手。 1974年東北大学選鉱製錬研究所助手。1982年東北大学より工学博士の学位を取得、横浜国立大学工学部講師。1987年横浜国立大学助教授、バーミンガム大学化学工学科客員研究員。1989年東北大学選鉱製錬研究所助教授。 1991年東北大学選鉱製錬研究所教授。
成山 哲郎(なりやま てつろう、1947年(昭和22年)11… 成山 哲郎(なりやま てつろう、1947年(昭和22年)11月21日 - )は、山形県山形市出身の合気道家。 1966年(昭和41年)に国士舘大学に入学し富木謙治と出会い、富木謙治、小林裕和のもとで合気道の研鑽を重ねる。 2012年に方向性の違いから(NPO)日本合気道協会を脱退した。 現在、国士舘大学体育学部武道学科、大阪府警察学校講師、道場昭道館師範。
小和田 敏子(こわだ としこ、1947年11月17日 - )… 小和田 敏子(こわだ としこ、1947年11月17日 - )は、日本の卓球選手。元世界チャンピオンである。 山形県河北町出身。現姓・竹内。河北町立谷地中学校(現在の河北町立河北中学校)、山形県立谷地高等学校卒業。体育の教師になることを夢見て、両親の反対を押し切って中京大学体育学部に進学。 1969年の世界卓球選手権ミュンヘン大会では女子シングルスで優勝、混合ダブルスと女子団体で銅メダルを獲得し、輝かしい成績を収める。 1970年3月、中京大学卒業。同大学体育学部の助手となる。 1971年の世界卓球選手権名古屋大会では、同じ河北町出身の大場恵美子、そして大関行江、今野安子と共に女子団体で優勝を果たした。
板垣 公一 (いたがき こういち、1947年11月12日 -… 板垣 公一 (いたがき こういち、1947年11月12日 - ) は、山形県山形市在住の日本の実業家、アマチュア天文家。株式会社豆の板垣代表取締役社長。アマチュア天文家としては、新天体ハンター・特に超新星発見数の国内最多記録・世界2位の記録を持つ、世界有数の超新星ハンターとして知られる。 日本大学山形高等学校卒業後、栃木県の菓子会社で修行後、家業に就く。株式会社豆の板垣は「板垣のピーナッツ」で山形県内で良く知られており、同社が豆菓子のミニパックを、国内業界で最初に取り入れたのは板垣の発案である[要出典]。 山形市の蔵王山中にある私設板垣天文台の他に、冬場の山形の悪天候を避けるため栃木県塩谷郡高根沢町に山形から遠隔操作が可能な第2観測所を所有している。
阿部 成章(あべ しげあき、 (1947-09-22) 19… 阿部 成章(あべ しげあき、 (1947-09-22) 1947年9月22日(78歳) - )は、山形県鶴岡市出身の元バスケットボール選手である。山形県加茂水産高校、日本体育大学卒業。ポジションはガード。 加茂水産高校から日本体育大学を経て、日本鉱業に入社。 入社一年目の第4回日本リーグでは、MVPこそ日本鋼管の谷口正朋に譲ったが、ベスト5・新人王・得点王とタイトルを総なめした。その時に手が届かなかったMVPも日本鉱業の日本リーグ初優勝時(第4回)に獲得している。日本リーグのベスト5は第4回大会から第8回大会まで5年連続獲得している。 全日本としてミュンヘンとモントリオールの五輪2大会に出場、モントリオールでは主将を務め、準決勝リーグのプエルトリコ戦で34点を叩き出した。
棚橋 光男(たなはし みつお、1947年9月11日 - 19… 棚橋 光男(たなはし みつお、1947年9月11日 - 1994年12月1日)は、日本の歴史学者。元金沢大学文学部助教授。文学博士。 山形県山形市出身。1966年、山形県立山形東高等学校卒業。1970年、京都大学文学部国史学科卒業、1976年同大学院博士課程満期退学。岸俊男・大山喬平に師事。卒業論文は『国衙領の研究』だった。1976年、香川大学教育学部助手、1978年、同助教授。1981年、金沢大学文学部助教授。 1987年、学位請求論文『中世成立期の法と国家』により、京都大学から文学博士の学位を授与される。 日本中世史を専門とし、中世成立期の公家政権について成果を上げるが、47歳で早世。 京大紛争で反全学共闘会議の活動家として活躍。
山本 信治(やまもと しんじ、1947年(昭和22年)7月1… 山本 信治(やまもと しんじ、1947年(昭和22年)7月17日 - )は、日本の政治家。元山形県天童市長(4期)。 山形県立山形南高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、日本大学経済学部経済学科卒業。同年4月、株式会社ダスキンに入社。1972年(昭和47年)4月、株式会社山本製作所に入社。1979年(昭和54年)4月、株式会社山本産業に入社。 2008年(平成20年)11月、遠藤登天童市長が健康上の理由により12月25日付で辞職することを発表。12月21日に行われた天童市長選挙に無所属(自民党・公明党推薦)で出馬。海鋒孝志県議との一騎討ちを制し初当選(山本:17,544票、海鋒:16,323票)。
工藤 美知尋(くどう みちひろ、1947年4月29日 - )… 工藤 美知尋(くどう みちひろ、1947年4月29日 - )は、日本の政治学者(日本外交史・国際関係論専攻)。前日本ウェルネススポーツ大学スポーツプロモーション学部教授。 1947年、山形県長井市生まれ。1970年、日本大学法学部卒業。1972年、日本大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。1972年-1974年、ウィーン大学(オーストリア)に留学。東海大学大学院政治学研究科博士課程満期退学。1985年、博士論文『日本海軍・太平洋戦争開戦原因論』(学位授与番号:甲第63号)により東海大学から政治学博士号を取得。日本大学大学院修士課程では戦前に京都学派の哲学者だった元京都帝国大学教授・高山岩男、東海大学大学院博士課程では日本国際政治学会第三代理事長を務めた田中直吉が指導教授であった。
あき 竹城(あき たけじょう、1947年〈昭和22年〉4月4… あき 竹城(あき たけじょう、1947年〈昭和22年〉4月4日 - 2022年〈令和4年〉12月15日)は、日本の女優、タレント。本名、竹田 明子(たけだ あきこ)。山形県米沢市出身。米沢市観光親善大使。オフィスあきこ最終所属。 6人兄弟の末っ子として米沢市に生まれる。 宝塚歌劇団に憧れて育ち、小学4年生または中学生からモダンダンス教室で踊りを学んだ。 米沢の女子高へと進み、そこでもダンス部に所属。大阪のキャバレーでフロアダンサーをしていた姉を頼りに女子高を中退し、大阪へ渡った。そこでダンサーとしてデビューし、全国各地を巡って踊った。 フロアダンサーやヌードダンサーなどの下積みを経て、1974年に日劇ミュージックホールに進出して舞台を踏む。
梅津 順一(うめつ じゅんいち、1947年4月1日 - )は… 梅津 順一(うめつ じゅんいち、1947年4月1日 - )は、日本の経済学者。第14代青山学院院長。博士(経済学)(東京大学)。青山学院大学総合文化政策学部教授。山形県上山市生まれ。
本間 正巳(ほんま まさみ、1947年(昭和22年)3月8日… 本間 正巳(ほんま まさみ、1947年(昭和22年)3月8日 - 2015年(平成27年)7月20日)は、日本の政治家。山形県酒田市長(1期)。 山形県酒田市生まれ。1970年の東北学院大学卒業後に山形県庁に入庁し、総務部長などを歴任。2007年、山形県企業振興公社理事長に就任。 2009年、酒田市の副市長に就任。2012年、同市市長阿部寿一が辞職し第46回衆議院議員総選挙に立候補したのに伴い行われた市長選挙に立候補し、初当選を果たす。 2014年5月、咽頭癌の除去手術のため宮城県名取市の宮城県立がんセンターに入院し、その後山形市の病院で投薬と放射線手術を受けた。入院する際には、市議会議長に日付を空欄にした状態の辞表を事前に提出していた。
布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名: 布川 郁司(読みは左… 布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名: 布川 郁司(読みは左記と同一)、1947年2月11日 - 2022年12月25日)は、日本のアニメーター、アニメ演出家、アニメーションプロデューサー、実業家。株式会社スタジオぴえろ創業者・取締役最高顧問、元東北芸術工科大学大学院仙台スクール教授、元日本動画協会理事長。ペンネームに坂田ゆう。 山形県酒田市で生まれ、実家は紳士服の仕立て屋だった。子供の頃から絵を描くこと、芝居・映画を鑑賞することが好きで、高校時代に所属していた美術部の顧問の推薦で宣伝美術を経験し、デザインの仕事に就くことを志望し上京する。昼間にアルバイトをしながら、夜間に日本デザインスクールで学び1967年に卒業。
横戸 長兵衛(よこと ちょうべえ、1947年(昭和22年)1… 横戸 長兵衛(よこと ちょうべえ、1947年(昭和22年)1月23日 - )は、日本の政治家。元山形県上山市長(4期)、元上山市議会議員(4期)。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山形県立上山農業高校(現上山明新館高校)卒業。1991年(平成3年)5月、上山市議会議員に初当選。2001年(平成13年)5月、議長に就任。議長を2期4年務めた。2006年(平成18年)12月、市議を辞職。 2007年(平成19年)2月4日に行われた上山市長選挙に自民党・公明党の推薦を得て出馬。元市議の枝松直樹ら3人の候補者との戦いを制し初当選した(横戸長兵衛9,144票、枝松直樹6,117票、奥村博3,785票、門間徹2,274票)。
日野 雅夫(ひの まさお、1947年 - )は、日本の地方公… 日野 雅夫(ひの まさお、1947年 - )は、日本の地方公務員。初代村山総合支庁長や、山形県副知事、東北公益文科大学理事長等を務めた。 山形県山形市生まれ。山形県立山形東高等学校を経て、東京大学医学部卒業後、1971年に山形県入庁。高校の同級生に小児科医の細谷亮太、文芸評論家の加藤典洋などがいた。1998年山形県健康福祉部長、2001年初代村山総合支庁長、2001年初代山形県危機管理監、2003年山形県総務部長、2004年山形県教育委員会教育長、2005年山形県副知事、2007年東北公益文科大学理事長。2009年に退任後、山形つのぶえ学園理事長。
奥山 正司(おくやま しょうじ、1947年 - )は、日本の… 奥山 正司(おくやま しょうじ、1947年 - )は、日本の社会学者。東京経済大学現代法学部名誉教授。博士(社会福祉学)。専攻は社会福祉学、老年社会学。家族社会学の第一人者、[要出典]、 森岡清美の弟子の一人。山形県新庄市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
丸屋 真也(まるや しんや、1947年 - )は日本の牧師。… 丸屋 真也(まるや しんや、1947年 - )は日本の牧師。臨床心理学博士、牧会学博士。 1947年、山形県西村山郡西川町生まれ。1965年、山形県立寒河江高等学校卒業。明治大学卒業。1973年、聖書神学舎卒業。1973年7月 - 1978年8月、保守バプテスト同盟上山聖書バプテスト教会牧師を経て、米国に留学する。バイオラ大学大学院博士課程修了。牧会学博士。アメリカ臨床心理専門大学院(臨床心理学)で臨床心理学博士号取得。 1996年に帰国し、ライフ・プランニング・センター(理事長、日野原重明)の研究教育部長、「臨床心理ファミリー相談室」室長として勤務した( - 2006年)。2006年9月 IMF(家族・結婚研究所)を設立し、代表就任(相談室長兼任)。
鈴木 由紀子(すずき ゆきこ、1947年 - )は、日本の作… 鈴木 由紀子(すずき ゆきこ、1947年 - )は、日本の作家。 山形県米沢市出身。山形県立米沢東高等学校、山形県立米沢女子短期大学、放送大学教養学部卒業。出版社勤務を経てフリーに。ノンフィクション、評伝、エッセイ、歴史小説など幅広く執筆する。 1997年、『闇はわれを阻まず 山本覚馬伝』で第4回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した。
加藤 国洋(加藤 國洋、かとう くにひろ、1946年(昭和2… 加藤 国洋(加藤 國洋、かとう くにひろ、1946年(昭和21年)12月17日 - 2024年 (令和6年) 6月2日)は、日本の政治家。元山形県尾花沢市長(2期)、元山形県議会議員(3期)、元尾花沢市議会議員。 山形県尾花沢市出身。日本大学法学部法律学科卒業。1970年(昭和45年)4月、殖産相互銀行(現・きらやか銀行)に就職。1988年(昭和63年)9月、同行を退社。1989年(平成元年)4月、株式会社佐藤商会取締役に就任。 1991年(平成3年)7月、尾花沢市議会議員に就任。何期市議を務めたかは不明。 1999年(平成11年)4月の山形県議会議員選挙に初当選。計3期、県議を務めた。県議時代は自由民主党に所属した。
佐藤 司郎(さとう しろう、1946年11月17日 - )は… 佐藤 司郎(さとう しろう、1946年11月17日 - )は、山形県山形市出身の神学者、東北学院大学名誉教授、日本基督教団の牧師。博士(文学)(東北大学)。現在、学校法人尚絅学院理事長・学院長。 主に組織神学の専門家で、カール・バルトなどのドイツ語の神学書を多数翻訳。 1964年、保守バプテスト同盟山形第一聖書バプテスト教会でバプテスマ(洗礼)を受ける。その後、東北大学文学部哲学科に入学して、哲学を学ぶ。そのころからカール・バルトに影響を受けるようになる。東北大学大学院文学研究科修士課程を修了(実践哲学専攻)。 その後、献身して、東京神学大学大学院に学び、1975年に修士課程を修了し、日本基督教団の教師になる。
若葉山 強(わかばやま つよし、1946年11月7日 - )… 若葉山 強(わかばやま つよし、1946年11月7日 - )は、山形県最上郡(現在の新庄市)出身で時津風部屋所属の元大相撲力士、日本競輪選手会神奈川県支部所属の元A級競輪選手。大相撲時代は身長183cm、体重91kg。本名は伊藤 強(いとう つよし)。最高位は西十両5枚目(1967年1月場所)。得意手は左四つ、押し。 時津風部屋に入門して、1962年7月場所に本名の伊藤の四股名で初土俵を踏んだ。翌9月場所から伊藤川(いとうがわ)に四股名を改めるとともに7戦全勝で序ノ口優勝を飾った。その後は日の出の勢いで番付を上げていき、1963年9月場所は16歳の若さで早くも幕下に昇進し、7戦全勝で優勝同点の好成績を残した。
長谷川 憲治(はせがわ けんじ、1946年(昭和21年)8月… 長谷川 憲治(はせがわ けんじ、1946年(昭和21年)8月31日 - )は、日本の実業家。きらやか銀行相談役。公益財団法人山形美術館監事。社会福祉法人山形いのちの電話理事長。山形県米沢市出身。 長谷川吉内殖産相互銀行社長の養嗣子。 山形県立米沢興譲館高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、松下電器産業(現:パナソニックホールディングス)に入社。その後、長谷川家の家業である電気関連企業「マルタニ」に転じ、社長に就任する。 1983年、殖産相互銀行(1989年普銀転換、殖産銀行に商号変更)社外監査役に就任する。以降、常務等を歴任。2000年、専務米沢支店長を務める折、荘内銀行との合併構想(ミライオン銀行)に距離を置いていたこと、創業家出身であることが勘案され、引責辞任した叶内紀雄頭取の後継としてトップに就任した。
大沼 保昭(おおぬま やすあき、1946年〈昭和21年〉3月… 大沼 保昭(おおぬま やすあき、1946年〈昭和21年〉3月8日 - 2018年〈平成30年〉10月16日)は、日本の法学者。専門は国際法学。学位は、博士(法学)(東京大学・論文博士・1999年)(学位論文「人権、国家、文明:普遍主義的人権観から文際的人権観へ」)。東京大学名誉教授。元明治大学法学部特任教授。 山形県山形市出身。寿虎屋酒造9代目社長大沼勘四郎の次男として生まれる。 東京大学法学部在学中の1968年、国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格、司法試験第二次試験合格。1969年6月、東京大学法学部公法コース卒業。1970年3月、東京大学法学部政治コース卒業。 1970年4月 - 1973年10月、東京大学法学部助手、1973年11月 - 1984年6月、同大学法学部助教授、1984年7月 - 1991年3月、同大学法学部教授、1991年4月 - 2009年3月、同大学大学院法学政治学研究科教授。