原田 敏廣(はらだ としひろ、原田 敏広、1967年12月5… 原田 敏廣(はらだ としひろ、原田 敏広、1967年12月5日 - )は日本の画家。 古生物・古代史・神話を三本柱として「現実に観ることの出来ない世界を精密に描く」ことを目標としている。 表現方法は鉛筆・水彩・油彩を用いる。創作以外にも人物画・静物画・風景画等も描く。 山形県酒田市で生誕。東京都大田区で育ち東京都立大森東高校(現:東京都立美原高等学校)を経て関東学院大学卒業。絵は「アトリエルネッサンス」を主催する北山良文に師事。
小池 隆英(こいけ たかひで、1960年〈昭和35年〉-)は… 小池 隆英(こいけ たかひで、1960年〈昭和35年〉-)は、日本の美術家、抽象画家。 山形県米沢市生まれ。1988年、東京藝術大学 美術学部絵画科油画卒業。1990年、東京藝術大学大学院 美術研究科油画修了。 小池隆英は絵画における色彩の関係性をコンセプトにして、具象イメージに頼らない色彩による抽象絵画を制作している。 彼の作品は、薄く溶かれたアクリル絵具が何層にも重なり連なり、具体的なモチーフも記号も用いられず、色の存在によって画面が構築されている。しかし決して平面的ではなく、色彩と色彩、色彩と形態、色彩とテクスチュアの関係により、独自の空間表現が展開されている。ステインニングと呼ばれるアクリル絵の具を綿布に染み込ませる技法が多用される。
五十嵐 仁之(いがらし ひとし、1953年(昭和28年)1月… 五十嵐 仁之(いがらし ひとし、1953年(昭和28年)1月11日 - )は、日本の画家、イラストレーター。山形県山形市生まれ。日本大学藝術学部美術学科油絵科卒業。三陽商会広告宣伝室を経て、現在、東京都渋谷区で有限会社スタジオ ジャングル・ジム代表。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
生田 宏司(いくた こうじ、1953年 - )は、日本のメゾ… 生田 宏司(いくた こうじ、1953年 - )は、日本のメゾチント技法による銅版画家。元東北芸術工科大学講師。「ふくろう」、「猫」、「花」をテーマとした作品が特に人気がある。 1953年、山形県鶴岡市に生まれる。千葉県立佐倉高等学校を経て多摩美術大学絵画科日本画専攻を卒業。上野泰明、加山又造、堀文子に師事。 1986年国際ミニチュア版画展グランプリ(アメリカ)、1987年カンピナス国際版画ビエンナーレ受賞(ブラジル)、1987年 - 1988年ワークスオンペーパー展買上賞(アメリカ)、1990年インタープリント国際版画美術展大賞(ソ連)、2003年フランス・フォルバック市・メディアテルクギャラリー個展(フランス)、2007年ストラスブール ジャパンフェスティバル「花」個展(フランス)、2011年第23回国際蔵書票版画ビエンナーレ展(名誉メダル賞)(ポーランド)、2013年喜多方市美術館にて個展開催・図録刊行(福島県)、2015年 パリ・サンシュルピス広場「版画の日」個展開催(フランス)など国際的に活動。
菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 20… 菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 2018年11月3日)は日本の版画家。山形県長井市出身。版画家棟方志功の兄弟弟子(版画家平塚運一に師事)。古民家、廃屋などの田舎の風景、子ども、最上川や雪景色など郷土の風景を題材とした作風で知られる。 その他、山形県長井市の文化誌、月刊「芳文」の表紙を長らく担当した。
福王寺 法林(ふくおうじ ほうりん、1920年11月10日 … 福王寺 法林(ふくおうじ ほうりん、1920年11月10日 - 2012年2月21日)は、日本画家、日本芸術院会員、日本美術院理事。名誉三鷹市民。位階は従三位。山形県米沢市生まれ。本名は福王寺雄一。 代表作は、『島灯』『ヒマラヤの花』等。息子の福王寺一彦も日本画家。
佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 20… 佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 2005年6月30日)は日本の洋画家。大正9年3月4日に山形県酒田市中之口町12番地(現-本町)に生まれる。旧制琢成第一小学校、山形県立酒田中学校、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。山形師範学校(現・山形大学地域教育文化学部)助教授となる。山形大学を退職後、東京へ移住。上京後は美術団体展や個展等で作品を発表。昭和34年に同志とともに洋画の公募美術団体「蒼騎会」を創立。1978年には第18回蒼騎会展が文部大臣賞を受賞。練馬区文化事業功労者表彰。
今野 忠一(こんの ちゅういち、本名:今野 忠市、1915年… 今野 忠一(こんの ちゅういち、本名:今野 忠市、1915年3月26日 - 2006年4月15日)は、山形県天童市出身の日本画家。埼玉県在住。故郷の蔵王や月山を始め、多くの山岳や巨木を題材に、前景から背景まで分厚く塗る重厚な作風で知られた。 1931年南画家の後藤松亭に入門し、松石と号す。1934年高嶋祥光を頼って上京し、児玉希望の門人となり、欣泉と号して写実的な風景画を学ぶ。1940年には新海竹蔵を介して郷倉千靱の草樹社に入塾、忠一と号して花鳥画に取り組む。1940年第27回院展に「菜園」が初入選。 戦後も院展に入選を続け、1954年「晩彩」、1956年「残雪」、1959年「吾妻早春」がいずれも奨励賞を受賞。
近岡 善次郎(ちかおか ぜんじろう、1914年(大正3年)8… 近岡 善次郎(ちかおか ぜんじろう、1914年(大正3年)8月10日 - 2007年(平成19年)6月3日)は、日本の洋画家。 1914年(大正3年)山形県新庄市に生まれる。1931年(昭和6年)山形県立新荘中学校(現・山形県立新庄北高等学校)を卒業。1933年(昭和8年)文化学院美術部にて、石井柏亭、有島生馬、山下新太郎に学ぶ。1946年(昭和21年)一水会優賞を受賞。1956年(昭和31年)文部省留学生として渡欧した後、帰国。1960年(昭和35年)一水会会員となる。1961年(昭和36年)太平洋地域絵画展に日本代表として出品(「飛びの森の天狗」)。1963年(昭和38年)第6回安井賞受賞。
伊藤 喜久井(いとう きくい、1911年(明治44年)11月… 伊藤 喜久井(いとう きくい、1911年(明治44年)11月15日 - 2002年(平成14年)6月8日)は、日本画家。山形県鶴岡市七日町出身。
桜井 浜江(さくらい はまえ、1908年(明治41年)2月1… 桜井 浜江(さくらい はまえ、1908年(明治41年)2月15日 - 2007年(平成19年)2月12日)は、山形県山形市出身の洋画家。独立美術協会会員。 1908年(明治41年)山形市宮町に生まれ、1925年に山形県立山形高等女学校卒業後補習科(現・山形県立山形西高等学校)を修了。1926年、結婚を勧める親の反対を拒否して、家出同様の状態で上京し、1928年~1930年まで協会洋画研究所で、日本のフォーヴィスム運動の中心人物である里見勝蔵や岡田三郎助らの指導を受ける。里見が率いる独立美術協会と、後に三岸節子らとともに結成した女流画家協会を主な発表の舞台として、女性洋画家の先駆けとして活躍した。
奥山 儀八郎(おくやま ぎはちろう、1907年(明治40年)… 奥山 儀八郎(おくやま ぎはちろう、1907年(明治40年)2月17日 - 1981年(昭和56年)10月1日)は、日本の木版画家。山形県出身。主に商業広告版画・創作版画を手がけた。広告版画のパイオニア。 1907年山形県西村山郡寒河江町(現・寒河江市)に生まれる。子供の頃から木版画に親しみを持ち、1928年に日本創作版画協会展に初入選を果たした。同年その技量を買われて日本毛織宣伝部の広告作家として数々の商業広告を手がけ、後に大高重治とともにニッカウヰスキーのポスター・ウイスキーラベルのデザインも木版画で制作した。1936年に浮世絵研究家の石井研堂に師事し、伝統的技法の復興に注力した。また、自らのコーヒー好きが高じて歴史等を研究しコーヒーの多様な呼び方を表した木版画「かうひい異名熟字一覧」を制作した。
菅野 矢一(すがの やいち、1907年1月19日 - 199… 菅野 矢一(すがの やいち、1907年1月19日 - 1991年6月15日)は、洋画家、日本芸術院会員。本名は彌一。 山形市生まれ。山形商業学校を中退した後、小学校代用教員や会社員を経て、画家を志して上京。川端絵画研究所に学び、1936年文展鑑査展に「黒牛」で初入選。1939年から安井曾太郎に師事し、翌年一水会展に初入選。1953年に渡仏し、グラン・ショーミエールで、ゴエルグやクラヴェに師事する。1954年に帰国した後、日展への入選を重ね、日展評議員、同参事、日展顧問などを歴任した。1982年「くるゝ蔵王」で日本芸術院賞受賞、1986年日本芸術院会員。 『菅野矢一画集』(日動出版部 1990)がある。
山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29… 山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29年)3月30日 - 1972年(昭和47年)9月12日)は、山形県鶴岡市出身の日本画家。挿絵画家。 高校時代は、美術講師の小貫博堂に指導を受け、大学時代は、結城素明に師事した。 大学卒業後は、絵画展覧会に作品を出品したり、同人誌などで挿絵を発表する。 その後は、主に小説本などの挿絵を描き、その中でも『神州天馬侠』 吉川英治(著)の挿絵は有名。 従甥に奇人の南画家として知られる服部二柳がいる。
椿 貞雄(つばき さだお、男性、1896年2月10日 - 1… 椿 貞雄(つばき さだお、男性、1896年2月10日 - 1957年12月29日)は、大正から昭和にかけて活動した洋画家。 1896年(明治29年)、山形県米沢市に生まれる。椿家の先祖は御館の乱にて上杉景虎方として戦った椿喜介。米沢藩では御扶持方(下士階級)の家柄であり、また分家は芸者組(下士階級)に組する芸能・芸術に明るい家系であった。医師を目指し早逝した長兄の影響で画家を志すようになった。1914年(大正3年)に山形県立米沢中学校を中退して上京し、岸田劉生の個展を見て衝撃を受け、彼に会いに行こうと決意した。自作の油絵を携えて劉生の自宅に向かい、ここで自画像を褒められたことから、劉生との交流が始まる。
石川 栄耀(いしかわ ひであき、1893年9月7日 - 19… 石川 栄耀(いしかわ ひであき、1893年9月7日 - 1955年9月25日)は、日本の都市計画家。 都市における盛り場研究の第一人者で新宿歌舞伎町の生みの親および命名者。戦前期から戦後にかけて、都市計画分野最大のイデオローグであり、日本の都市計画発展に貢献した。 早くから地方計画・地域計画の重要性を認識し、「生活圏」の考え方を提唱、これを国土計画へ拡大する地方計画の考え方の基礎としていた。 長男の石川允も都市計画家として活動した。 1893年9月、山形県東村山郡尾花沢村(現尾花沢市)に根岸文夫の次男として生まれる。兄は根岸川柳名人根岸栄隆。6歳で母親の実家である石川家の養子になる。養父の石川銀次郎は実父の弟で(妻同士も姉妹)、日本鉄道の職員。
本間 国生(ほんま くにお、本名:本間 国雄、明治24年(1… 本間 国生(ほんま くにお、本名:本間 国雄、明治24年(1891年)3月24日 - 昭和48年(1973年)12月30日)は、米沢市出身の日本画家。文学博士の本間久雄の実弟。号は逸老庵。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
折下 吉延(おりしも よしのぶ、1881年10月5日 - 1… 折下 吉延(おりしも よしのぶ、1881年10月5日 - 1966年12月23日)は、日本の造園家、都市計画家。官庁技師として活躍。また造園分野の教育者として後進の指導に当たった。日本における公園整備の第一人者として、世界的に知られる。 山形県新庄市出身。1881年(明治14年)新庄藩主戸沢子爵の東京麻布の邸内に、山形県士族折下済の長男として生まれた。麻布中学校、第一高等学校を経て、1908年(明治41年)東京帝国大学農科大学農学科を卒業。卒業後、宮内省内苑寮園芸掛技手となって新宿御苑に奉職。福羽逸人の指導の下で御苑と代々木御料地の管理に関与。御苑にて、洋蘭の品種改良や菊、果樹疏莱、庭園芸などを研究した。
吾妻 健三郎(あづま けんざぶろう、安政3年(1856年)‐… 吾妻 健三郎(あづま けんざぶろう、安政3年(1856年)‐ 大正元年(1912年)10月26日)は、明治時代の銅版画家、石版画家、印刷技術者、出版者、ジャーナリスト。 出羽国米沢(現山形県米沢市)に米沢藩医の吾妻寿庵の三男として生まれた。明治6年(1873年)、親戚などから受け取った餞別を元手にして東京へ出て大学南校で学び、ゴットフリード・ワグネルによって銅版画を知った。明治9年(1876年)に日本橋に出版社『東陽堂』を開店する。明治14年(1881年)頃から3色使用の銅版転写石版画を工夫しており、これを万筋と名づけた。明治20年(1887年)に雑誌『絵画叢誌』、明治22年(1889年)に日本初のグラフィック雑誌『風俗画報』を発行したほか、尾形月耕による絵本、画集などを出版している。
下条 正雄(下條、げじょう / しもじょう まさお、1842… 下条 正雄(下條、げじょう / しもじょう まさお、1842年8月29日(天保13年7月24日) - 1920年(大正9年)12月1日)は、幕末の米沢藩士、明治・大正期の海軍軍人、政治家、日本画家。最終階級は海軍主計大佐。貴族院勅選議員。雅号・桂谷(けいこく)。 出羽国置賜郡米沢(現山形県米沢市)で、米沢藩士・下条半兵衛の長男として生まれ、慶応2年6月(1866年)下条武兵衛の養子となり家督を相続。明治2年12月(1870年1月)権少属任官。1873年以降、海軍少秘書、同大秘書、同少書記官、同主計少監、同督買部理事官、横須賀鎮守府会計監督部長、佐世保鎮守府主計部長、海軍主計学校長、海軍部内の諸課長、海軍主計大監等を歴任し、1893年5月予備役に編入。
菅原 白龍(すがわら はくりゅう、天保4年11月13日(18… 菅原 白龍(すがわら はくりゅう、天保4年11月13日(1833年12月23日) - 明治31年(1898年)5月24日)は明治時代に活躍した日本画家。 天保4年(1833年)11月13日に出羽国置賜郡白龍時庭村(現・山形県長井市時庭)において菅原道栄(号・源龍斎)の長男として生まれた。本名は源暁。明治15年(1882年)から道雄の名を、明治17年(1884年)から白龍の号を本名とした。大岳、泰嶽、梵林、日本橋隠士、爽気龍人、五石十水楼、和楽斎など20を超える号をもつ。家は代々続いた真言宗の修験で、地元の諏訪神社に仕えていた。また、村に学校を開き子供たちに漢籍、手習いなどを教えていたので、白龍も父から書、習字などを学んだ。
佐藤 真生(MAO)(さとう まさお、(まお)、1963年(… 佐藤 真生(MAO)(さとう まさお、(まお)、1963年(昭和38年) - )は、山形県酒田市生まれの画家。 山形県立酒田東高等学校を卒業後、東京学芸大学美術教育科、同大学院教育研究美術科修了。 1990年大学院修了の年に目黒区立美術館区民ギャラリーにおいて初個展を開催。同年多摩秀作美術展準大賞(青梅市立美術館)、1991上野の森美術館絵画大賞展佳作(上野の森美術館)、1993年安井賞展賞候補など数々の受賞歴がある。 1997年には本間美術館において個展。「佐藤真生展 ―譚海への招待―(本間美術館 1997年)」継承される「譚(はなし)」をテーマとし故郷から得た心象風景を再構築する独自の作風は、国内のみならず国外からの評価も高い。