倉林 明子(くらばやし あきこ、1960年12月3日 - )… 倉林 明子(くらばやし あきこ、1960年12月3日 - )は、日本の政治家、看護師、労働運動家。 参議院議員(2期)、日本共産党中央委員会副委員長、党ジェンダー平等委員会責任者。京都府議会議員(1期)、 京都市会議員(5期)を歴任。 福島県耶麻郡西会津町の農家に生まれる。父は西会津町議会議員を務めた三瓶猛(1936 - 2009)。福島県立喜多方高等学校卒業。1979年4月、京都市立看護短期大学に入学。同年12月、日本共産党に入党。1982年3月、同短大卒業。右京病院(京都民医連中央病院の前身)に入る。看護師生活は11年に及ぶが、この間京都民主医療機関労働組合西支部書記長、京都医療労働組合連合会執行委員を務めるなど、労働運動にも深く携わった。
瀨戸 弘幸(せと ひろゆき、1952年〈昭和27年〉3月3日… 瀨戸 弘幸(せと ひろゆき、1952年〈昭和27年〉3月3日 - )は、日本の政治活動家、ジャーナリスト、果樹園農家。維新政党・新風副代表、日本第一党最高顧問、外国人犯罪追放運動最高顧問などを務めた。行動する保守の代表的人物。 1952年3月3日、福島県生まれ。少年時代から英雄伝を読み、中学生の頃にヒトラーやムッソリーニへ興味を持つ。福島県立福島農蚕高等学校卒業後、実家の農業を手伝っていたが、力不足を感じ後継者となることを断念。福島市役所に臨時職員として入職し、1971年に正職員に昇格して公務員になる。 左翼系労組の影響が強かった職場に反発して、自民党に入党。東京の日比谷で大日本愛国党の赤尾敏の演説を目撃し、強い影響を受け、個人として右翼活動を始めた。
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月… 田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月22日 - )は、日本の航空自衛官、軍事評論家、政治活動家。第38代航空総隊司令官、第29代航空幕僚長。最終階級は空将(空軍中将相当)。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長。 防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊し、2007年3月に航空幕僚長に就任。2008年10月31日に政府の歴史認識と異なるアパグループ主催の懸賞論文を公表し、航空幕僚長を更迭された。論文では、日本は第二次世界大戦に蒋介石とルーズベルトの策略によって巻き込まれたと主張した。また、日本の戦時中の行動は「西洋の植民地主義からアジアを解放する」ための努力であったと論じた。
鈴木 尚之(すずき なおゆき、1947年6月23日 - 20… 鈴木 尚之(すずき なおゆき、1947年6月23日 - 2011年5月4日)は、日本の労働運動家、市民運動家。新しい歴史教科書をつくる会事務局長。鉄道労働組合(鉄労)書記長。 福島県白河市生まれ。1966年4月、新国労に就職。1968年3月、民社党入党。1970年3月、中央大学第二法学部卒業。1982年9月、鉄労経営対策部長、1984年9月、情宣部長、1985年8月、企画部長、1986年7月、副書記長、1987年2月、書記長に就任。同年9月、鉄労友愛会議副議長。 労働運動を離れてからは、1991年6月、大内啓伍衆議院議員秘書、1994年6月、民社党福島県連副委員長。同年12月、民社党の解党、新進党への合流に伴い福島民社協会代表理事になった。
鈴木 邦男(すずき くにお、1943年〈昭和18年〉8月2日… 鈴木 邦男(すずき くにお、1943年〈昭和18年〉8月2日 - 2023年〈令和5年〉1月11日)は、日本の政治活動家、「一水会」名誉顧問、思想家、文筆家、プロレス評論家、河合塾講師。 ほか、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)共同代表。コリア国際学園後援会発起人。 1943年、福島県郡山市に生まれる。税務署勤務だった父親の都合で、秋田県、宮城県と、高校生の頃まで東北地方を転々とする。横手に住んでいたときは、ジャーナリストのむのたけじがよく家に来ていた。 生長の家との関わりは、母親が病気になったとき、伊藤邦典(のちに全国学協と楯の会)の父親である生長の家の地方講師の祈祷によって、治癒したことがきっかけで、以降、鈴木家では母親が熱心な信者となった。
佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 198… 佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 1988年2月27日)は、日本の映画雑誌編集者、映画評論家、映画コレクター、映画上映活動家である。「アングラのジューシン」と呼ばれた。
富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 - 20… 富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 - 2016年2月20日)は、日本の労働運動家、政治家。元日本労働組合総評議会(総評)事務局長、日本社会党衆議院議員(2期)。 福島県伊達郡国見町出身。1943年、国有鉄道に就職。1955年3月、明治大学政治経済学部(二部)卒。 1966年に国労東京地方本部委員長、1973年に国労本部書記長となる。 1975年の統一ストライキ(スト権スト)においては、公労協代表幹事として取り組んだ。 1976年7月から1983年7月まで7年間総評事務局長を務めた。 1983年12月の衆議院議員総選挙に旧神奈川5区より日本社会党公認で立候補し当選。1986年の総選挙は落選したが、1990年に返り咲く。
村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 198… 村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 1985年1月5日)は、日本の労働運動家、政治家、参議院議員(4期、日本社会党)。 福島県白河市出身。1939年仙台逓信講習所卒、白河郵便局に勤務する。第二次世界大戦中に召集され南方作戦を経験、多くの戦友を失ったことが戦後、労働運動に携わる動機となる。1956年全逓福島地区委員長、福島県労組協議会議長などを経て、1965年の第7回参議院議員通常選挙で福島県選挙区から日本社会党公認で立候補して初当選。4期連続当選した。この間、社会労働委員長、災害対策特別委員長、参議院国会対策副委員長、社会党県委員長などを歴任した。 議員在職中の1985年1月5日、心筋梗塞のため、福島県白河市で死去した。
浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15… 浅田 光輝(あさだ みつてる、1918年〈大正7年〉5月15日 - 2006年〈平成18年〉10月10日)は、日本の経済学者・政治運動家。立正大学名誉教授。 福島県須賀川市出身。1943年慶應義塾大学経済学部卒。在学中、三田新聞学会事件で検挙。応召し、戦後日本共産党に入る。1946年、豊田四郎のもとで日本経済機構研究所設立に参加。神山茂夫理論に共鳴、天皇制・ファシズム理論を展開。1954年共産党を除名。以後、新左翼活動を支援した。ハンガリー事件を契機に神山と離れ、全共闘運動を支援。 1949年専修大学商経学部非常勤講師、1951年静岡大学文理学部助教授、1967年立正大学教養部教授。1988年定年退任。
森山 諭(もりやま さとし、1908年2月14日 - 199… 森山 諭(もりやま さとし、1908年2月14日 - 1996年7月22日)は、日本の牧師、伝道者、日本イエス・キリスト教団顧問。中田羽後と共に荻窪栄光教会を創設した。 再臨待望同志会東京大会実行委員長、日本ケズィック・コンベンション財務委員、日韓親善宣教協力会会長、ビリー・グラハム国際大会財務委員長などを歴任した。 1908年(明治41年)2月14日 福島県耶麻郡塩川町下遠田(現、喜多方市塩川町遠田)において父幸七、母イチの長男として生まれる。幼い時より「生とは何か、死とは何か」「なぜ男と女とがあるのか」を問う少年だったという。 1926年(大正15年) 福島県立会津農林学校(現、福島県立会津農林高等学校)に入学後、極度のノイローゼにとりつかれ、線路に飛び込みする寸前に、劇的な回心を経験する。
澁川 善助(しぶかわ ぜんすけ、1905年12月9日 - 1… 澁川 善助(しぶかわ ぜんすけ、1905年12月9日 - 1936年7月12日)は、日本の政治運動家。 福島県若松市七日町の海産物問屋に生まれた。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て陸軍士官学校予科に進む。予科卒業時に「恩賜の銀時計」を贈られるほど成績優秀であったが、陸軍士官学校(39期)本科卒業目前に教官と衝突し退学となる。その後1928年(昭和3年)、明治大学専門部政治経済科に学び、国家主義運動にかかわる。明大卒業後の1932年(昭和7年)に、杉田省吾、西田税、福井幸、加藤春海等とともに維新同志会を結成した。1933年の救国埼玉青年挺身隊事件では取り調べを受けた。1935年には、渋川の拳銃が襲撃事件に使用された嫌疑で起訴されている。
八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 20… 八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 2004年4月23日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)。日本社会党副委員長を歴任。 福島県伊達郡飯野村(飯野町を経て現福島市)に生まれる。福島中学校(現福島県立福島高等学校)を経て、早稲田大学専門部法科卒業。旧制中学の恩師だった阪本勝(後の衆議院議員、兵庫県知事)を頼り、安部磯雄らの日本フェビアン協会に参加。河上丈太郎、賀川豊彦、櫛田民蔵の知遇を得る。日本労農党、社会大衆党などに参加して無産政党運動をする。1929年に郷里に帰って東北新人会を結成、伊達郡を中心に小作争議を指導し度々投獄される。1933年に全国農民組合(全農)中央委員に選出。
高田 なほ子(たかだ なほこ、1905年(明治38年)1月1… 高田 なほ子(たかだ なほこ、1905年(明治38年)1月18日 - 1991年(平成3年)5月19日)は、日本の教育者、政治家、平和運動家。参議院議員(2期)。旧姓は渡辺。 福島県信夫郡福島町(現福島市)で、裁判官・渡辺晶、トヨ夫妻の三女として生まれる。福島県立福島高等女学校を経て、1922年、福島県女子師範学校を卒業。福島県伊達郡掛田尋常高等小学校訓導に就任。1924年に依願退職して勉学のため上京し、東京府(東京都)下の小学校で勤務した。 1945年11月、日本社会党創立に際し党員となる。同年12月、東京都教育労働組合の結成に参加。1947年4月、東京都品川区議会議員に当選し1950年まで在任。
原 実(はら みのる、1901年(明治34年)4月29日 -… 原 実(はら みのる、1901年(明治34年)4月29日 - ?)は、日本の市民運動家。 鎌倉市の自然保護をめぐる市民運動の先駆者の一人で、その活動は古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法、いわゆる古都保存法の成立に結実した。全国歴史的風土保存連盟(以下「全風連」)の初代事務局長、同名誉会長を歴任。神奈川文化賞を受賞。 父は日本鉄道、鉄道院に勤務した原勇。父は沼津、母は会津出身である。幼時は各地を転々としたが、母方の実家から会津中学に通学し、1919年(大正8年)に卒業。慶應義塾に進学し、小泉信三に師事した。卒業後慶應義塾大学学生局、鉄道院図書館に勤務し、ロバート・モリソン・マキーバー(英語版)の『共同社会・結社・国家』を訳説したほか、『青年のために – 勉学について』を著す。
澤田 半之助(さわだ はんのすけ、1868年7月27日(慶応… 澤田 半之助(さわだ はんのすけ、1868年7月27日(慶応4年6月8日) - 1934年6月17日)は日本の実業家、労働運動家。洋服の仕立職人としてアメリカ合衆国に在住中に高野房太郎と知り合い、帰国後の1897年に高野らとともに労働組合期成会を結成した。また、銀座に洋服店を開いた。のち、米友協会幹事として横須賀市久里浜のペリー上陸記念碑の建立に関わった。 1868年に現在の福島県須賀川市で生まれる。後述する在米時代以来の友人だった米山梅吉によれば、生家は須賀川でも有数の資産家の本家で、父は澤田喜兵衛だった。しかし、幼少期に父と死別し、遺産を欲する親族の意向から彼らの後見を受け、進学できずに寺子屋に学ぶなど不遇な環境に置かれた。
安部井 磐根(あべい いわね、天保3年3月17日(1832年… 安部井 磐根(あべい いわね、天保3年3月17日(1832年4月17日) - 大正5年(1916年)11月19日)は、日本の武士(二本松藩士)、自由民権運動家、政治家。衆議院議員(大成会→憲政本党)。 二本松藩士安部井又之丞の子として生まれる。戊辰戦争の際には、奥羽諸藩の衆議所詰となり仙台や白石などを奔走したが、二本松城陥落の際に又之丞は自刃した。 戊辰戦争終結後、若松県に出仕し、少参事、典事を歴任したが、まもなくして辞職した。1874年(明治7年)、板垣退助らによって自由民権運動がおこると、これに呼応して一政社という政社を組織した。1878年(明治11年)、福島県会議員となり、議長に互選された。
瓜生 岩子(うりゅう いわこ、1829年3月19日〈文政12… 瓜生 岩子(うりゅう いわこ、1829年3月19日〈文政12年2月15日〉- 1897年4月19日)は、明治時代の社会事業家。孤児・窮民の救済、授産指導などに尽力した。藍綬褒章受章者。瓜生 岩としても知られる。 陸奥国耶麻郡熱塩村(現:福島県喜多方市)に渡辺利左衛門、りえの長女として誕生。生家は会津藩領の商家(油商)で、山形に支店もあった。岩4歳の時に天保の大飢饉が始まり、会津でも天変地異や凶作のため農村は疲弊していた。天保8年(1837年)9歳で父が急病となり死別。その49日後に家が火災に遭い、母の実家である温泉業「山形屋」に母、弟と3人で身を寄せることとなり、瓜生姓を名乗る。 14歳の時に若松に住む叔父、山内春瓏のもとに行儀見習いのため預けられる。