高崎宗司(たかさき そうじ、1944年 - )は、日本の歴史… 高崎宗司(たかさき そうじ、1944年 - )は、日本の歴史学者、韓国問題評論家、津田塾大学名誉教授。アジア女性基金運営審議会委員長。
茨城県:1,636人
高崎宗司(たかさき そうじ、1944年 - )は、日本の歴史… 高崎宗司(たかさき そうじ、1944年 - )は、日本の歴史学者、韓国問題評論家、津田塾大学名誉教授。アジア女性基金運営審議会委員長。
ローカル岡(ローカル おか、1943年12月13日 - 20… ローカル岡(ローカル おか、1943年12月13日 - 2006年1月16日)は、日本の漫談家である。本名、岡田 満(おかだ みつる)。茨城県那珂市出身。 飄々とした風貌と茨城弁の独特の語り口で世相を切り取る漫談が人気を集めた。漫談家になる前は漫才師として活動した。ボーイズバラエティ協会、落語芸術協会に所属していた。愛称は、漫才師時代は「セイちゃん」、ボーイズ以降は「岡ちゃん」である。 「ローカル岡」という芸名は、元スリートーンズのリーダー若菜春夫(元・日本演芸家連合事務局長)が命名した。それまで、ソロ活動の時は「岡三郎」名義だった。「ローカル岡」としてのソロ活動開始後は、茨城弁を主とした世相漫談を語っていた。
江橋 正彦(えばし まさひこ、1943年11月3日 - )は… 江橋 正彦(えばし まさひこ、1943年11月3日 - )は日本の経済学者。専門はアジア経済、開発経済。明治学院大学名誉教授、特定非営利活動法人JUNKO Association顧問、大洗大使、MERAC(ミャンマー経済研究・コンサルティング / Myanmar Economic Research & Consulting)社代表。 茨城県東茨城郡大洗町出身。早稲田大学法学部卒。ヘキスト・ジャパンを経て、1969年に日本貿易振興会(JETRO、現・日本貿易振興機構)に入会し、中国、ベトナム経済の調査研究に従事後、1979~1982年JETROマニラ勤務。また、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)コンサルタントを務める(1981 - 1982年)。
関根 忍(せきね しのぶ、1943年9月20日 - 2018… 関根 忍(せきね しのぶ、1943年9月20日 - 2018年12月18日)は、日本の柔道家(9段)。茨城県東茨城郡大洗町出身。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子80kg級金メダリスト。身長173cm。1964年東京オリンピック80kg級金メダリストの岡野功とは同じ茨城県の出身で、同年齢のライバルでもあった。 茨城県立那珂湊第一高等学校から中央大学を経て警視庁に進み、左手をぐいと伸ばして肩越しに背中をつかむ変形の組み手で実力を伸ばした。 1972年には中量級の選手ながら全日本選手権で優勝した。さらに1972年ミュンヘンオリンピックの男子柔道中量級でも金メダルを獲得した。5回戦で韓国の呉勝立に敗れたが、呉が勝ち進んだため敗者復活で救われ勝ち上がり、決勝で呉と再戦。
池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 -… 池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 - )は、日本の作曲家。学位は芸術学修士(東京芸術大学・1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授、文化功労者。本名:池邉 晋一郎(読み同じ)。 東京音楽大学音楽学部教授、東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。 茨城県水戸市出身。幼少期は体が弱く、小学校就学が一年遅れるほどであったが読書にいそしみ、そして体調によってはピアノを弾き、家にあったピアノを使って独学していた。近所にあった立花隆の家と家族ぐるみで付き合いがあり、立花も池辺も互いの家の蔵書まで読んでいた。1963年、東京都立新宿高等学校卒業。
檜山 良昭(ひやま よしあき、1943年9月5日 - )は、… 檜山 良昭(ひやま よしあき、1943年9月5日 - )は、日本の推理作家・SF作家。
石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日 - 20… 石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日 - 2023年10月23日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員。茨城県東茨城郡城里町(旧常北町)出身。 父は、茨城県議・常北町長を務めた石川稲實。 地元の中学卒業後、東京に単身上京。日本大学豊山高等学校から日本大学法学部に進学し卒業。 大学卒業後は、日本会・日本総調和連盟の総裁である内閣総理大臣佐藤榮作の秘書、また機関紙『総調和』(発行責任者は山岡荘八)の編集長も務めた。 その後、郷土に戻り常北町議会議員(3期)を経て、自民党選出の茨城県議会議員を7期 務める。この間、各常任委員会委員長・茨城県議会議長、自民党茨城県連政調会長・総務会長・会派「いばらき自民党」議員会長を歴任。
深町 章(ふかまち あきら、1943年4月16日 - )は、… 深町 章(ふかまち あきら、1943年4月16日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。本名は稲生 稔(いのう みのる)。助監督時代の筆名は伊能 実(いのう みのる)、監督デビュー後の筆名は稲尾 実(いなお みのる)、東活では荻西 太郎(おぎにし たろう)の名で作品を発表した。 1943年(昭和18年)4月16日、茨城県水戸市に生まれる。 1959年(昭和34年)4月、茨城県立水戸第一高等学校に進学、1962年(昭和37年)3月に同校を卒業、翌1963年(昭和38年)4月に日本大学藝術学部映画学科に進学した。同期にのちに映画監督・撮影技師になる久我剛(1944年 - )こと斎藤雅則がいた。
松光 正文(まつひかり まさふみ、1943年4月11日-没年… 松光 正文(まつひかり まさふみ、1943年4月11日-没年不明)は、茨城県日立市出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒澤 政文(くろさわ まさふみ)。172cm、111kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、押し。 日立市立多賀中学校ではサッカー部に所属して主将を務めたが、相撲も好きだったのでどちらを取るか考えた結果、相撲を取り、自分で部屋に手紙を書いて入門を願った。当初は同郷の大関・大内山がいる時津風部屋に入門しようと考えたが、大部屋であったので自分の実力でやっていけるか不安だったので、小さくても関取がいる若松部屋なら活躍できるだろうと踏んで入門を決意した。1959年5月場所に初土俵、1964年5月場所に十両昇進。
大高 松男(おおたか まつお、1943年1月28日 - )は… 大高 松男(おおたか まつお、1943年1月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、自由民主党茨城県支部連合会事務局長を務めた。 茨城県東茨城郡城里町出身。水戸農業協同組合非常勤理事を経て1975年に自由民主党に入職。後に自民党茨城県連事務局長に就任。2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙で比例北関東ブロックの名簿第36位で立候補し、次点となる。 2009年5月、小泉劇場の恩恵で比例34位で当選した中森福代がさいたま市長選挙出馬を表明し、議員辞職したことに伴い中央選挙管理会の決定を経て5月19日に繰り上げ当選した。 同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙には落選、議員在職日数はわずか2ヶ月余りだった。
江尻 亮(えじり あきら、1943年1月10日 - )は、茨… 江尻 亮(えじり あきら、1943年1月10日 - )は、茨城県高萩市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督。 実家は旅館。日立一高では1年次の1958年、秋季関東大会県予選の準々決勝で結城一高からノーヒットノーランを達成。準決勝で土浦三高に敗退するが、好投手として話題になる。3年次の1960年には夏の甲子園東関東大会県予選決勝に進出するが、0-1で水戸商に惜敗。 高校卒業後は一般入試で早稲田大学2部政治経済学部に進学。最上級生であった安藤元博の後継として期待され、東京六大学野球リーグでは1年次の1961年春季リーグから登板機会を得る。しかし同年秋季リーグでは1死も取れずに5失点を喫して降板、2年次の1962年春季リーグでも3度先発のチャンスを貰うも結果を残せず、同期のエース・宮本洋二郎の後塵を拝す。
飯島 秀雄(いいじま ひでお、1943年1月1日 - )は、… 飯島 秀雄(いいじま ひでお、1943年1月1日 - )は、日本の陸上短距離選手、元プロ野球選手・コーチ。 1964年、100メートルの日本記録を29年ぶりに更新した。1964年東京オリンピックおよび1968年メキシコシティーオリンピックでは日本代表選手となる。 メキシコシティーオリンピック後に俊足を買われ、代走専門選手として1969年にプロ野球・ロッテオリオンズに入団し、実働3年間で通算盗塁数は23を記録した。 その後は指導者・審判員・スターターとして陸上界に復帰した。 茨城県水戸市出身。父は郵便局員で、7人きょうだいの三男だった。父は町内運動会で俊足を披露しており、少年時代の飯島も運動会では負け知らずだった。
井上 たかひこ(いのうえ たかひこ、1943年 - )は、日… 井上 たかひこ(いのうえ たかひこ、1943年 - )は、日本の水中考古学者。 茨城県日立市生まれ。法政大学経済学部卒業。米国テキサス州立テキサスA&M大学大学院文化人類学部(水中考古学専攻)修了。同大併設の水中考古学研究所にて「水中考古学」の父と呼ばれるジョージ・バス(考古学者)(英語版)に師事し、水中考古学の学位を授与される。この間、トルコのウルブルン難破船、ジャマイカのポート・ロイヤル海底都市、元寇船など水中遺跡の発掘調査に参加。その後、筑波大学歴史人類学研究科研究生、茨城大学非常勤講師、カルチャースクール講師など。現在は千葉県勝浦沖の黒船ハーマン号(ハーマン号事件)を調査中。日本水中考古学調査会会長。
村上 達也(むらかみ たつや、1943年 - )は、元茨城県… 村上 達也(むらかみ たつや、1943年 - )は、元茨城県東海村長。 茨城県那珂郡石神村(現在の東海村)生まれ。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1966年に一橋大学社会学部を卒業し、地元の常陽銀行に入行。主に融資業務を担当。融資業務部副部長、ひたちなか支店長を歴任。 1997年に東海村長に就任。 2016年安保関連法の廃止、立憲主義の回復を求める茨城県市民連合共同代表。 2021年7月9日付け朝日新聞投書面に、八街児童5人死傷事故に関連し「道路の安全整備が喫緊に必要」とする意見を寄せた。
持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2… 持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2013年〈平成25年〉9月24日)は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫の結成した「楯の会」の初代学生長。結婚後に姓が変わり、松浦博となった。茨城県水戸市出身。 1943年(昭和18年)に茨城県水戸市に生れた持丸博は、藤田東湖の流れの水戸学を学び、水戸学派的思想を育んだ。 1963年(昭和38年)、茨城県立水戸第一高等学校を経て早稲田大学へ入学。各地で学園紛争が吹き荒れる中、全学連、全共闘に対抗するため、1966年(昭和41年)11月14日に設立された保守・民族派系の学生組織「日本学生同盟」(日学同)の結成に参加した。 持丸はその趣意書等を起草するなど、理論派として活動し、1967年(昭和42年)2月7日発刊の機関紙『日本学生新聞』の初代編集長を務めた。
加藤 浩一(かとう こういち、1942年(昭和17年)11月… 加藤 浩一(かとう こういち、1942年(昭和17年)11月23日 - )は、日本の政治家。茨城県水戸市長(2期)、茨城県議会議員(5期)を務めた。水戸市名誉市民。旭日中綬章。 茨城県水戸市に父・正雄、母・まさの長男に生まれる。太平洋戦争の激化により、疎開で福島県に移り、同地で終戦を迎える。父・正雄は終戦直後に戦死する(昭和20年8月30日、フィリピンルソン島)。残された加藤の祖母と母は水戸市内で酒屋を開く。 水戸市立浜田小学校、水戸市立第三中学校を経て、茨城高等学校に入学。入学後は家庭の事情もあり、進学を断念。卒業後の進路を就職に選択し、茨城トヨペットに入社。このとき面接を担当したのが当時、社長だった幡谷祐一(のち茨城県信用組合理事長)で、幡谷は加藤が水戸市長に立候補した際の後援会長となった。
諸澤 英道(もろさわ ひでみち、1942年6月28日 - )… 諸澤 英道(もろさわ ひでみち、1942年6月28日 - )は、日本の刑事学者。専門は被害者学、犯罪学、刑事学、刑事政策学、少年法制。日本における被害者学の中心的な人物。常磐大学で理事長を務めた。 茨城県水戸市出身。諸澤正道(1923 - 2003、文部事務次官、常盤大学理事長)の甥。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1966年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1971年同大学大学院法学研究科博士課程満期退学。 1994年常磐大学人間科学研究科教授、学長、理事長。日本被害者学会理事(設立時の事務局長)。(財)アジア刑政財団学術評議員。全国被害者支援ネットワーク顧問。全国犯罪被害者の会顧問。いばらき被害者支援センター顧問。
塙 昭彦(はなわ あきひこ、1942年(昭和17年)2月12… 塙 昭彦(はなわ あきひこ、1942年(昭和17年)2月12日 - 2018年7月12日)は、日本の企業家。デニーズジャパン社長。
大出 健(おおいで けん、1942年1月4日 - )は、日本… 大出 健(おおいで けん、1942年1月4日 - )は、日本の翻訳家。電子書店グーテンベルク21主宰。 茨城県古河市出身。本名・大和田伸。1968年東京大学文学部卒、講談社出版研究所に入る。1980年からフリー。『ギネスブック』、ゲームブック、「修道士カドフェル」シリーズなどの翻訳をおこなう。1998年からインターネット上の書店「グーテンベルク21」を開始した。
堀辺 正史(ほりべ せいし、1941年10月14日 - 20… 堀辺 正史(ほりべ せいし、1941年10月14日 - 2015年12月26日)は、日本の武道家。日本武道傳骨法創始師範。茨城県水戸市出身。 著書『喧嘩芸骨法』において、「東條英機のボディガードを務めた父からその技を相伝され、骨法司家の第52代・源一夢(みなもとのいちむ)を襲名し、伝統的骨法の修行の傍らケンカ・他流試合に明け暮れた日々の中から、実戦的な格闘技術を習得、古流の骨法を改革して喧嘩芸骨法を創始した」と明かしている。 1980年代後半に新日本プロレスのアドバイザーを務め、同時期に新日と接点のあったビートたけしのスーパーJOCKEYにも出演した。 1994年のバーリトゥード時代の幕開けとともに喧嘩芸路線から脱却、より競技性を重視した格闘技路線に変更し『日本武道傳骨法』へと流派名を改称。
鈴木 正誠(すずき まさのぶ、1941年10月13日 - )… 鈴木 正誠(すずき まさのぶ、1941年10月13日 - )は、日本の経営者。NTTコミュニケーションズ(現・NTTドコモビジネス)初代社長を務めた。茨城県人会連合会会長。 1941年に茨城県那珂郡東海村に生まれる。1961年に茨城県立水戸第一高等学校を卒業、1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社。1993年に日本電信電話株式会社(現・NTT株式会社)取締役に就任し、1996年に常務取締役を経て、1999年7月に初代・NTTコミュニケーションズ代表取締役社長に就任。2005年6月に相談役に退いた。 2018年から茨城県人会連合会会長。2019年に旭日重光章を受章。 日本電信電話公社の民営化議論が激化していた時期には、真藤恒総裁の下で労務課長として9万人規模の合理化を担当し、分割・民営化に伴う労組対応の中心を担った。
宮崎 俊一(みやざき しゅんいち、1941年7月12日 - … 宮崎 俊一(みやざき しゅんいち、1941年7月12日 - 2024年5月9日)は、日本の医学者(生理学・発生生物学・細胞生物学)である。医師、医学博士、東京女子医科大学名誉教授。 東京女子医科大学教授、同大学学長(第5代)、学校法人東京女子医科大学評議員・理事、国立岡崎共同研究機構生理学研究所客員教授、文部科学省科学技術振興調整費国際統合医科学インスティチュート所長、淑徳大学客員教授、医学教育振興財団監事、医療法人精光会理事長などを歴任。 東京都出身、茨城県稲敷市育ち。1960年に開成高等学校、1966年に東京大学医学部を卒業。臨床研修を経て1967年に同医学部附属脳研究施設生理部門で研究を開始。
高久 泰文(たかく やすぶみ、1941年7月2日 - )は、… 高久 泰文(たかく やすぶみ、1941年7月2日 - )は、日本の法学者、行政学者。専門は憲法、行政法。拓殖大学大学院非常勤講師、同大学元教授。茨城県筑西市出身。
田村 隆(たむら たかし、1941年4月1日 - 2024年… 田村 隆(たむら たかし、1941年4月1日 - 2024年12月18日)は、日本の放送作家。茨城県古河市出身。明治学院大学文学部卒業。愛称は「タムセン」(田村先生の略。名付け親は加藤茶と木の実ナナ)。 大学在学中に「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)の秋元近史ディレクターに自作のコント台本を送付。それを目にした秋元から番組収録の見学に誘われ、そこで青島幸男を紹介されて弟子入りして放送作家としてデビュー。70年代〜90年代に多くのヒット番組を生み出し、多い時は週に14本のレギュラーを抱えていた。 妻は元女優、モデルの狩野恵子。 2024年12月18日午後7時40分、敗血症のため東京都内の病院で死去。
若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007… 若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007年4月16日)は、茨城県猿島郡七郷村(のち同郡岩井町→岩井市、現・坂東市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は冨山 順(とみやま じゅん)。最高位は東小結(1968年5月場所)。現役時代の体格は178cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり。 引退後は、年寄・大鳴戸から同・玉垣を襲名した。 実家は農家で土地相撲の大関を務めた父に似たのか、幼少の頃から怪力で、小学生の時に米俵を持ち上げ兄弟達を驚かせていた。自身の証言によると、米俵を担いだのは中学1年生の頃であり、2年生の時には80㎏の墓石を持ち上げた。兄弟はみな力が強く、冨山も野球、柔道、走り高跳び、砲丸投げで体を鍛えた。
栗山 富夫(くりやま とみお、1941年〈昭和16年〉2月2… 栗山 富夫(くりやま とみお、1941年〈昭和16年〉2月20日 - 2025年〈令和7年〉6月18日)は、日本の映画監督・脚本家。 茨城県鹿島郡旭村(現・鉾田市)または東京都生まれ。茨城県立鉾田第一高等学校、国際基督教大学社会科学科卒業後の1965年、松竹に入社する。助監督を経て、『いとしのラハイナ』で監督に昇進する。1985年、『祝辞』で芸術選奨新人賞を受賞する。『釣りバカ日誌』の作者により映画化第一作の監督に指名。その後も監督を担当し、計11作を手がけ、国民的映画に育て上げた。 2025年6月18日、悪性リンパ腫のため死去。84歳没。
みつはし ちかこ(女性、1941年1月30日 - )は、日本… みつはし ちかこ(女性、1941年1月30日 - )は、日本の漫画家。本名青木 千禾子。代表作は『小さな恋のものがたり』『ハーイあっこです』など。 茨城県石岡市生まれで、1歳の時から東京都中野区で育つ。1947年に中野区立鷺宮小学校に入学、1953年に中野区立第八中学校に入学。1956年に東京都立武蔵丘高等学校に入学、美術部に所属したが、2年生の時に放送劇部に転部し、脚本の執筆などの活動を行った。同部における活動は、サリーのモデルとなる男子生徒と出会うなど、後の『小さな恋のものがたり』の原点となる。1959年に同校卒業後、皆川正インダストリアルデザイナーに1960年2月より入所。その後1961年4月よりヨーコーアニメーションに転職。
根本 萠騰子(ねもと もとこ、1941年1月15日 - )は… 根本 萠騰子(ねもと もとこ、1941年1月15日 - )は、ドイツ文学者、文芸評論家。横浜国立大学名誉教授。 茨城県生まれ。茨城県立下妻第一高等学校卒、東京大学文学部独文科卒、同大学院修士課程修了、ボン大学に学ぶ、フンボルト大学、マールブルク大学研究員。東海大学外国語教育センター助教授、文学部助教授、横浜国立大学教育学部助教授、教育学部教授、教育人間科学部教授、2006年定年退職、名誉教授、帝京大学教授、2011年退職。
小松崎 文夫(こまつざき ふみお、1941年(昭和16年) … 小松崎 文夫(こまつざき ふみお、1941年(昭和16年) - )は、日本の作家・元教員(国語科)。茨城県出身。正則高等学校で国語科教師として教鞭をとる傍ら、作家としても活動。万葉集を扱ったテーマが多い。愛称は「コマっちゃん」。
井上 宗迪(いのうえ むねみち、1941年 - 2011年)… 井上 宗迪(いのうえ むねみち、1941年 - 2011年)は、日本の国際経済学者である。茨城県水戸市出身。 1965年一橋大学を卒業し、丸紅株式会社に企業エコノミストとして入社。1970年から1972年にかけて英国ケンブリッジ大学大学院(指導教官リチャード・ストーン教授ケインズの愛弟子 ノーベル経済学受賞者)同大学応用経済研究所研究員。1979年から1981年までハーバード大学フェロー。2006年8月英国オックスフォード大学ラウンド・テーブル「21世紀の世界秩序を考える会」(通称アングロサクソン会議・参加者 全世界から34名)日本代表であった。 日・米・欧 世界経済に精通した国際エコノミストで、経済学における専門は、国際マクロ経済・外為経済。
佐賀 純一(さが じゅんいち、1941年 - )は、日本の作… 佐賀 純一(さが じゅんいち、1941年 - )は、日本の作家、医師、漢方専門医。 茨城県生まれ。茨城県立土浦第一高等学校を経て、慶応義塾大学医学部卒業。国立栃木病院、ハワイ・クワキニ病院に勤務した後、土浦市で祖父・佐賀武が開業した佐賀医院に父・佐賀進とともに副院長として勤務。そのかたわら執筆を続ける。診療の際に出会う古老たちの話を本にまとめ、父・佐賀進の絵とともに1974年『スケッチで綴るふるさと土浦』を出版。その後『絵と伝聞 土浦の里』を出版し、1989年に第1回日本私家本図書館賞を受賞。同書の英語版『Memories of Silk and Straw』はサントリー地域文化賞、国際出版文化賞、外国人記者クラブ最優秀図書賞を受賞した。
平塚 明(ひらつか あきら、1940年(昭和15年)10月5… 平塚 明(ひらつか あきら、1940年(昭和15年)10月5日 - )は、日本の政治家。元茨城県結城市長(3期)。結城市議会議員(9期)。 茨城県立結城第一高等学校卒。1979年結城市議会議員に初当選する。その後、市議会副議長となる。その傍ら結城市内でコンビニエンスストアを経営する。 1991年と1995年の結城市長選挙に立候補するが、いずれも落選。落選後に行われた市議選に立候補し、2回とも当選した。1997年結城市長の荒井秀吉が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、6人による激戦を制し、初当選した。2001年の市長選挙は無投票で再選。 2003年7月市が発注した公共工事に関し、業者から100万円を受け取った収賄の容疑で逮捕され、市長を辞職。
黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は… 黒澤 元治(くろさわ もとはる、1940年8月6日 - )は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 茨城県日立市にて日立製作所に勤める技術者の息子として生まれる。1960年代から1970年代に掛けて自動車競技で活躍した後、評論家に転向した。「ガンさん」のニックネームでも知られる。2012年からSUPER GTに関わり、LEON RACINGの監督も歴任した。 年齢が2025年8月で85歳となった現在においても、ビデオマガジンやYouTubeなどで高度な運転技術を披露する。 ホンダ系チームで2輪ライダーとして活動。1962年に鈴鹿サーキットで初開催された、第1回全日本選手権ロードレースの50ccクラスで優勝するなどの実績がある。
佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1… 佐川 一信(さがわ かずのぶ、1940年(昭和15年)8月1日 - 1995年(平成7年)11月19日)は、日本の法学者・政治家である。茨城県水戸市生まれ。 中央大学法学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科修了。金属加工会社経営のかたわら、法学研究者として、早稲田大学、中央大学、茨城大学などで労働法を講義。1978年水戸市民の会を主宰し「市民からの出発」を発刊。1984年水戸市長に当選。1992年、水戸市長に3選されたが、1993年8月、竹内藤男の汚職事件による辞職に伴って執行された茨城県知事選挙に出馬するため水戸市長を退任。橋本昌に敗れた。1995年に入院、死去。2007年、水戸市名誉市民の称号が贈られた。
篠田 勇(しのだ いさむ、1940年7月4日 - )は、茨城… 篠田 勇(しのだ いさむ、1940年7月4日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(内野手)。 水戸商では、1958年の夏の甲子園に遊撃手として出場。3回戦で石川陽造、岡村浩二のバッテリーを擁する高松商に延長16回0-1xでサヨナラ負け。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、1961年春季リーグ、1963年秋季リーグで打撃成績2位を記録、両季とも三塁手としてベストナインに選ばれている。 1964年に国鉄スワローズに入団、同年のジュニアオールスターにも出場する。1965年には水戸商の先輩でもある豊田泰光が故障で戦線離脱したため、主に遊撃手として85試合に出場(うち43試合に先発)。
海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1… 海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1997年7月5日)は、茨城県龍ケ崎市出身で小野川部屋(のち出羽海部屋)に所属した大相撲力士。本名は入井 勇(いりい いさむ)。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、蹴手繰り、蹴返し、突き落とし。 中学校卒業後に角界入りし、1956年5月場所、小野川部屋から初土俵を踏んだ。最初は本名でもある「入井」の名で番付に付いたが、当時日本で人気が高かった元力士のプロレスラー・力道山にあやかろうとして、「海力山(かいりきざん)」という四股名を考え、日本相撲協会に改名届を出した。ところが、実際に発表された1957年1月場所の番付表には、なぜか「海乃山」と記されていた。
立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和… 立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和15年〉5月28日 - 2021年〈令和3年〉4月30日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、「田中角栄研究」・「臨死体験」・「日本共産党の研究」など、詳しくは下に書いてあるが、多くの著書がベストセラーとなっている。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ。 1974年(昭和49年)、『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表して田中金脈問題を暴いて田中角栄首相退陣のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。
小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日… 小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。茨城県下妻市長(2期)。位階は正六位。 下妻市生まれ。日本大学理工学部卒。下妻市で自動車部品加工会社を経営、社長となる。下妻市監査委員、下妻二高PTA会長などを務める。 2002年(平成14年)2月、当時の下妻市長が図書館建設工事の価格を業者に漏らしたとして競売入札妨害の容疑で逮捕された(業際研事件)。4月の出直し選挙に立候補し、市長選挙は17年ぶりの選挙戦となり、元市議会副議長を破って当選した。 ※当日有権者数:28,088人 最終投票率:58.34%(前回比:-pts) 同月14日に就任した。
伊藤 文子(いとう ふみこ、1940年3月5日 - )は、日… 伊藤 文子(いとう ふみこ、1940年3月5日 - )は、日本の走幅跳選手。日本選手権2連覇、元日本記録保持者。1960年ローマオリンピックに出場し、1962年アジア競技大会では銀メダルを獲得した。夫も陸上競技選手の鈴木章介(1964年東京オリンピックに十種競技で出場)で、結婚後は鈴木姓を名乗っている。次男は元プロ野球選手の鈴木望。 茨城県龍ケ崎市出身。茨城県立竜ヶ崎第二高等学校卒業。高校卒業後はリッカーミシンに所属。1959年には日本陸上競技選手権大会女子走幅跳で優勝。翌1960年の日本選手権で2連覇を果たした。 1961年4月29日には走幅跳で6m11を記録。山内リエが1947年に立てた記録(6m07)を塗り替える日本記録であった。
金子 義昭(かねこ よしあき、1940年 - )は、日本の財… 金子 義昭(かねこ よしあき、1940年 - )は、日本の財務官僚。 1963年(昭和38年)、大蔵省入省。同期に、小村武(日本政投銀総裁、大蔵事務次官、主計局長)、日高壮平(FISC理事長、国税庁長官)、中平幸典(信金中央金庫理事長、財務官)、西村吉正(銀行局長)、金野俊美(ヒメノ会長、印刷局長)、龍宝惟男(オーミケンシ社長)、米沢潤一(政策研究院大学教授、日銀理事、関税局長)、川嶋烈(茨城銀行頭取)、石坂匡身(大蔵財務協会理事長、損保協会副理事長、環境事務次官、理財局長)、田中寿(造幣局長)ら。
櫻井 富夫(さくらい とみお、1939年11月27日 - 2… 櫻井 富夫(さくらい とみお、1939年11月27日 - 2019年4月3日)は、自由民主党所属の元茨城県議会議員。茨城県議会議長、全国都道府県議長会副会長を歴任。元自民党茨城県連副会長。茨城県石岡市出身。学校法人常総学院理事長。特別養護老人ホーム「シルトピア」理事長。元鹿島学園理事長。茨城県立土浦第一高等学校卒業。早稲田大学法学部中退。旭日小綬章受章。 鹿島学園を経営していた1992年から1999年の時期に、不明朗な土地取得などにより巨額の負債を発生させ経営を圧迫したとして、鹿島学園の経営を引き継いだ、余湖三千雄(早慶外語ゼミ創業者)から背任で告訴された。後に敗訴が確定し、3億6000万円の支払いを命じられた。
荒蒔 康一郎(あらまき こういちろう、1939年11月15日… 荒蒔 康一郎(あらまき こういちろう、1939年11月15日 - )は、日本の実業家。茨城県常陸太田市出身。 父親が満洲飛行機製造に勤務していたため満洲国の奉天で生まれ、4歳半の時に父親の転勤に伴い茨城県久慈郡里美村(現在の常陸太田市)に移り住む。茨城県立太田第一高等学校を経て、1964年に東京大学農学部農芸化学科を卒業し、キリンビールに入社。参与、取締役、医薬事業本部長、常務を経て、1999年3月に専務に就任。2001年3月に社長に就任し、2006年に会長に就任した。 2018年秋に旭日重光章を受章した。
筑波 久子(つくば ひさこ、1939年〈昭和14年〉11月6… 筑波 久子(つくば ひさこ、1939年〈昭和14年〉11月6日 - )は、日本の元女優で、アメリカ合衆国の映画プロデューサーである。筑波プロ、チャコフィルム代表。 アメリカ合衆国での別名はチャコ・ヴァン・リューウェン (Chako van Leeuwen)。 茨城県多賀郡大津町(現・北茨城市大津町)五浦出身。父・弥一郎、母・ハツの間に4人兄妹の末っ子として生まれる。 兄が2人、姉が1人いる。父は地元大手の旅館「五浦観光ホテル」と映画館を経営していた。旅館の女将であった母親に溺愛され、母を憧れにして育つ。小・中学校は地元の大津小学校、常北中学校に通った。中学時代は生徒会長を務め、トップ成績で慶應義塾女子高等学校に進学。
柴田 猛(しばた たけし、1939年9月9日 - )は、日本… 柴田 猛(しばた たけし、1939年9月9日 - )は、日本の弓道家。茨城県土浦市出身。範士九段。茨城県弓道連盟名誉会長、國學院大學弓道部 師範。全日本弓道連盟会長、国際弓道連盟会長、茨城県弓道連盟会長を務めた。 ※この間、関東大会へ31回、全国高等学校総合体育大会へ23回、全国高等学校弓道選抜大会へ8回など、指導者として多数の実績を残す。 ほか、アメリカ・オーストラリア等へ講師・主任講師として派遣される。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
大久保 太一(おおくぼ たいち、1939年(昭和14年)8月… 大久保 太一(おおくぼ たいち、1939年(昭和14年)8月2日 - )は、日本の政治家。茨城県元常陸太田市長(4期)、元常陸太田市議会議員(1期)。 茨城県常陸太田市亀作町生まれ。1958年(昭和33年)3月、茨城県立太田第一高等学校卒業。1962年(昭和37年)3月、茨城大学文理学部卒業。1991年(平成3年)8月、日立製作所旧水戸工場副工場長に就任。 2003年(平成15年)5月、常陸太田市議会議員に初当選。 2005年(平成17年)5月22日に行われた常陸太田市長選挙に立候補し初当選。同日、市長就任。 2009年(平成21年)の市長選から3回連続無投票で当選。以後4期務めた。 2022年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
井原 哲夫(いはら てつお、1939年6月7日 -)は、日本… 井原 哲夫(いはら てつお、1939年6月7日 -)は、日本の経済学者、作家、SF作家。慶應義塾大学名誉教授。 茨城県龍ケ崎市生まれ。1963年慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院商学研究科博士課程満期退学、1977年「個人貯蓄の決定理論」で商学博士を取得。学部・大学院の指導教授は尾崎巌。1972年慶応義塾大学商学部助教授、1979年教授。2005年定年、名誉教授、尚美学園大学総合政策学部教授を務めた。 1976年「個人貯蓄の決定理論」でエコノミスト賞受賞。専攻は、サービス経済学。 原さとるの筆名でSF小説も書いた。
安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1… 安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1939年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身(兵庫県西宮市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 兵庫県西宮市平松町で出生後に、実父の転勤で土浦市内に転居。土浦一高進学後は、2年次の1956年まで木内幸男監督の指導を受け、3年次の1957年夏に遊撃手兼控え投手として夏の甲子園へ出場。山本秀一を擁する県和歌山商との初戦に勝利したものの、高木守道を擁する県岐阜商の前に完封負けを喫した。 高校卒業後は1958年に慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、3年次の1960年秋季リーグの早慶六連戦では一番打者、遊撃手として活躍。
荒砂 ゆき(あれさ ゆき、1939年1月25日 - )は、日… 荒砂 ゆき(あれさ ゆき、1939年1月25日 - )は、日本の女優。出生は宮崎県、茨城県水戸市出身。本名・旧芸:田原久子。劇団俳優座第9期生(同期は二階堂有希子、富士真奈美、鎗田順吉、菅貫太郎、可知靖之など)。元劇団四季所属。 映画全盛期のころから衰退期に至るまで各映画会社の作品に出演し、情熱的なヒロイン役から個性的な脇役まで幅広くこなす女優として活躍する。芸名変更後は、各映画会社のいわゆる「お色気路線」作品に多数出演。1974年、谷崎潤一郎原作、神代辰巳監督観世栄夫主演の日活文芸ロマンポルノ『鍵』で主人公の妻「郁子」役に抜擢され、倦怠期の夫婦関係に悩む人妻を演じた。その後、活動の主場をテレビドラマに移す。
寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」… 寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」、1939年1月17日 - 2021年6月18日)は、日本人のギタリストである。 作曲家、編曲家、音楽プロダクション経営者、実業家としての顔を持つ。 茨城県新治郡土浦町祇園町(現・土浦市)出身。ニックネームは「テリー」「エレキの神様」「寺さん」。1962年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。その後バニーズや第二期ブルージーンズなども結成した。1500校を超える高校を回り「ハイスクール・コンサート」を開催。ロシア、アメリカ合衆国、ブラジル、台湾などの各国でも公演を行った。代表曲は『太陽に叫ぼう』(ブルージーンズ)、『太陽の花』『悪魔のベビー』(バニーズ)など。
岡野 義光(おかの よしみつ、1938年11月28日 - )… 岡野 義光(おかの よしみつ、1938年11月28日 - )は、茨城県つくば市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。 土浦第一高校では、捕手として1956年春季関東大会県予選決勝に進出するが水戸商に惜敗。夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが水戸一高に敗れる。高校の1年下に安藤統男がいた。 明治大学に進学。1年上に佐々木勲がおり、その後継として4年生からレギュラーとなる。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかった。卒業後は三協精機へ入社。1962年の産業対抗では準々決勝に進むが東黎工業に敗退。 強肩に定評があり、1962年シーズン途中に中日ドラゴンズへ入団。当時の中日は吉沢岳男が近鉄に移籍し、中心打者の江藤慎一を捕手に回すなど苦しい状況にあり、一軍定着が期待された。