滑川 友理(なめかわ ゆり、1986年10月31日 - )は… 滑川 友理(なめかわ ゆり、1986年10月31日 - )は、日本の政治家、人権活動家、介護福祉士。 性的少数者(LGBTなど)によるNPO法人「RAINBOW茨城」初代会長。2019年、レズビアンを公表して茨城県水戸市議会議員に立候補し初当選した。 茨城県水戸市出身。水戸市立梅が丘小学校、水戸市立見川中学校、大成女子高等学校、水戸教育福祉専門学校卒業。介護福祉士として働きながら、県内の教育委員会や学校、自治体などでセクシャルマイノリティに関する講演を行う。 2017年11月1日、県内初となるLGBT当事者によるNPO法人「RAINBOW茨城」を設立。初代会長に就任した。設立に際しては、元水戸市議会議員の玉造順一が支援者として関わった。
椎名 市衛(しいな かずえ、1953年(昭和28年) 5月1… 椎名 市衛(しいな かずえ、1953年(昭和28年) 5月17日 - )は茨城県在住の北辰一刀流の伝道者。北辰一刀流第七代宗家。武号は成胤。直心影流剣術師範。日本伝統文化保存会会長。剣道場床工事「武床工舎」代表。 茨城県龍ケ崎市に生まれる。大学卒業後、剣道修業。31歳公立中学の数学教員、52歳退職。同年、道場床工事「武床工舎」を創立。剣道場床工事の専門家として、日本並びに海外にて道場建設を行う。剣道場床工事の専門家。 2013年6月、北辰一刀流宗家継承。世界各地で、剣術等の指導を行う。鷹匠、猛禽類ブリーダー 中学に入り剣道を始める。最初に師事したのは、元陸軍大尉武田治衛教士。後に北辰一刀流第6代師範谷島三郎教士の指導を受ける。
石濱 哲信(いしはま てつのぶ、1951年(昭和26年)5月… 石濱 哲信(いしはま てつのぶ、1951年(昭和26年)5月9日 -)は、日本の海上自衛官、政治活動家。政治団体「日本党」党首。 茨城県下妻市に生まれる。父は鹿児島県出身の近衛士官。茨城県立下妻第一高等学校卒業。高校卒業後は航空学生となり、後に海上自衛隊の対潜哨戒機機長となる。1992年に民間企業に入社。2004年に退社し自営業を始める。2019年に一般社団法人日本安全対策推進機構代表理事に就任。2019年10月17日に日防隊を結成し初代代表に就任。 2021年に政治団体・日本保守党を設立する。この日本保守党は2023年に百田尚樹が設立した日本保守党より以前から存在する政治団体である。石濱は立ち上げた日本保守党を休眠団体にしておらず、石濱自らが党首として結党時から政治活動を行ってきており、その中にはつばさの党の黒川敦彦との連携もある。
持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2… 持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2013年〈平成25年〉9月24日)は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫の結成した「楯の会」の初代学生長。結婚後に姓が変わり、松浦博となった。茨城県水戸市出身。 1943年(昭和18年)に茨城県水戸市に生れた持丸博は、藤田東湖の流れの水戸学を学び、水戸学派的思想を育んだ。 1963年(昭和38年)、茨城県立水戸第一高等学校を経て早稲田大学へ入学。各地で学園紛争が吹き荒れる中、全学連、全共闘に対抗するため、1966年(昭和41年)11月14日に設立された保守・民族派系の学生組織「日本学生同盟」(日学同)の結成に参加した。 持丸はその趣意書等を起草するなど、理論派として活動し、1967年(昭和42年)2月7日発刊の機関紙『日本学生新聞』の初代編集長を務めた。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30… 石谷 行(いしたに すすむ、1931年(昭和6年)11月30日 - 2002年6月20日)は日本の教育学者、平和運動家。良心的軍事費拒否の会代表。 東京生まれ。13歳のときに長崎で被爆する。水戸第一高校在学中、米国クエーカー教徒で数学教師ニール・ハートマンの戦争拒否体験談を聴いて、クエーカー主義のキリスト教に入信、日本キリスト友会に加入する。茨城大学教育学部を卒業し、国際基督教大学大学院修士課程修了。明星大学講師の頃に、非暴力行動準備会に入り、ミニコミ誌『非暴力』を発行する。また、明星大学の学生闘争を支持して非常勤講師を解雇される。その後、「ジャテックの脱走兵支援活動」にも参加し、1969年(昭和44年)に法政大学助教授、のち教授。
武藤 武雄(むとう たけお、1916年(大正5年)3月20日… 武藤 武雄(むとう たけお、1916年(大正5年)3月20日 - 1978年(昭和53年)10月20日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員、初代日本労働組合総評議会(総評)議長。 茨城県那珂郡山片村(山方町を経て現常陸大宮市)出身。1930年(昭和5年)茨城県小貫農業公民学校を卒業した。 入山炭鉱(のち常磐炭鉱)に入社し坑内夫として勤務。労働運動に加わり、常磐炭鉱労働組合長となり、1946年(昭和21年)常磐地方炭鉱労働組合連合会の初代組合長に就任。1947年(昭和22年)炭労(のちの日本炭鉱労働組合)中央執行委員長となり、1950年(昭和25年)総評が結成されると初代議長に就任した。1952年(昭和27年)の炭労の労働ストでの対応を巡り、炭労臨時大会で不信任となり委員長を解任され、総評議長も退任した。
山口 武秀(やまぐち たけひで、1915年1月13日 - 1… 山口 武秀(やまぐち たけひで、1915年1月13日 - 1992年8月23日)は、昭和期の農民運動家、政治家。 茨城県鹿島郡鉾田町(現在の鉾田市)出身。旧家地主兼廻船問屋に生まれる。 茨城県立鉾田中学校(現在の茨城県立鉾田第一高等学校)で学ぶが、東京の女子大学に進学した姉の影響で資本主義の矛盾を知り、1931年に中退して農民運動に身を投じた。全国農民組合の若手活動家として活躍。18歳にして千葉県の農村争議に介入して名を上げる。 1933年日本共産党に入党。幾度かの検挙を経て転向し社会大衆党に入党。1937年に全農茨城県連書記長となる。日中戦争中に前線への慰問袋に農村の窮状を訴える手紙を挿入するよう指導し、同年検挙される。
菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年8月20日 - 19… 菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年8月20日 - 1990年10月3日)は、日本の政治運動家、殺人者、テロリスト、超国家主義者、政治家。別名は小幡五朗。
池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 199… 池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 1998年12月3日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)を務めた。日本農民組合 (統一派)中央常任委員及び同常総同盟委員長などを歴任。 茨城県筑波郡作岡村安食(現在のつくば市安食)の小地主の家に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)3年の時に、父の経営する会社が倒産し、新治郡土浦町(現在の土浦市)へ移住。同地の茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業後、結城郡宗道村(現在の下妻市)で代用教員に就く。この間、土浦中学校同級生の小林孝祐を介して文化サークルに参加、加藤四海ら全日本農民組合連合会(全農)関係者と親交を深めた。
藤田 卯一郎(ふじた ういちろう、1906年9月20日 - … 藤田 卯一郎(ふじた ういちろう、1906年9月20日 - 1968年7月8日)は、日本のヤクザ、右翼活動家。松葉会の設立者で初代会長。茨城県水戸市出身。旧制水戸中学校卒業。 若年期には不退の軍治、晩年は殿さま軍治、よかろう軍治と呼ばれた。 旧制水戸中学校を卒業すると、上京し、退役海軍中将・高橋邦之介の書生となった。高橋邦之介は大和民労会の後援者だった。 昭和7年(1932年)春、関根組組長・関根賢の子分となった。 昭和20年(1945年)の終戦直後、藤田は兄弟分・益戸克己の口利きで、佐藤栄助(後の松葉会二代目、四代目)を舎弟とした。さらに、佐藤栄助は関根賢から盃を貰って関根組の若衆となった。 昭和22年(1947年)7月8日、関根組は恐喝容疑で手入れを受けた。
橘 孝三郎(たちばな こうざぶろう、1893年〈明治26年〉… 橘 孝三郎(たちばな こうざぶろう、1893年〈明治26年〉3月18日 ‐ 1974年〈昭和49年〉3月30日)は、日本の政治活動家、農本主義思想家。農本ファシストであり、超国家主義者でもあった。 茨城県東茨城郡常磐村(現水戸市)生。茨城県立水戸中学校(現水戸第一高等学校)を経て第一高等学校に進むが中退。大杉栄や石川三四郎の著作を通じてエドワード・カーペンター、クロポトキンなどのアナキズムに影響を受けている。アンリ・ベルグソン、特に「エランビタル」に強い影響を受けた他、トルストイ、白樺派、柳宗悦、康有為などからも影響を受ける。 郷里で農業に従事する傍ら、講演活動を行い、1929年(昭和4年)11月に愛郷会を結成。
犬田 卯(いぬた しげる、1891年(明治24年)8月23日… 犬田 卯(いぬた しげる、1891年(明治24年)8月23日 - 1957年(昭和32年)7月21日)は、日本の小説家、農民運動家。 茨城県河内郡牛久村(稲敷郡牛久村、牛久町を経て、現在は牛久市)城中の農家の長男に生まれる。高等小学校卒業後農業に従事していたが、25歳の時上京し、1917年博文館に勤務した。1924年に中村星湖らと農民文芸研究会を作り、雑誌『農民』を刊行し、小説家として活動した。「自治村落」による「世界連合」を構想。汎農主義者。墓所は青山霊園の無名戦士墓。 妻は小説家の住井すゑ。次女は毎日新聞論説委員の増田れい子。孫は画家のHATAOでその妻は絵本作家の永田萠。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
半田 孝海(はんだ こうかい、1886年6月28日 - 19… 半田 孝海(はんだ こうかい、1886年6月28日 - 1974年9月17日)は日本の天台宗の僧侶、平和運動家。 茨城県水戸市生まれ。10歳で長野県上田市の常楽寺の養子となる。旧制京北中学校、旧制第七高等学校造士館、東京帝国大学文学部心理学科卒卒業。1917年常楽寺住職に就任し、上田自由大学を積極的に支援した。1920年上田蚕糸専門学校講師、1929年天台宗教学部長、同比叡山中学校長、学監などを経て、1950年天台宗大僧正となり、1959年善光寺大勧進副住職を務め、のち名誉貫主なる。また比叡山樹王院住職も務めた。 戦後は平和運動を推進し、1947年から長野県仏教会会長を務め、米軍の浅間山演習場計画には先頭に立ってこれを阻止し、1956年、原水爆禁止日本協議会の代表委員兼長野県協議会長を務めた。
黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月… 黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月28日 - 1982年(昭和57年)2月6日)は、茨城県出身の実業家、酪農家、政治家、教育者、環境運動家。衆議院議員。北海道製酪販売組合連合会(のちの雪印乳業、現在の雪印メグミルク)創業者、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)設立者。日本の酪農業の発展と北海道開発に功績を残し、日本酪農の父、北海道開発の父と呼ばれる。 1885年(明治18年)3月28日、茨城県久慈郡世矢村小目(現:常陸太田市小目町)で貧しい農家の四人兄弟の長男として生まれる。父母の家ともかっては相当な資産家であったが、黒澤の代には零落しており、又、父による過度の飲酒がもとで負債をつくり、家計は常に苦しかった。
小泉 秀吉(こいずみ ひできち、1879年(明治12年)9月… 小泉 秀吉(こいずみ ひできち、1879年(明治12年)9月21日 - 1959年(昭和34年)2月11日)は、日本の船員、労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 茨城県久慈郡馬場村(後の誉田村大字馬場、現在の常陸太田市馬場町)で、鋳物業・小泉長介、とみ夫妻の六男として生まれた。太田尋常小学校、太田町立太田高等小学校を経て、1893年4月、茨城県尋常中学校に入学。1896年3月、中学第3学年を修了後退学し、同年7月、官立商船学校(現在の東京海洋大学海洋工学部)航海科に入学。1902年1月、同校を卒業した。 大阪商船の貸費生であったので、卒業後直ちに同社に入社し監督課技士となる。1903年夏過ぎ、大阪商船を退職し、同年9月、三井物産船舶部に入社して阿蘇山丸に二等運転士として配属された。
高瀬 羽皐(たかせ うこう、本名: 高瀬 真卿(たかせ しん… 高瀬 羽皐(たかせ うこう、本名: 高瀬 真卿(たかせ しんきょう)、嘉永6年(1853年)-大正13年(1924年)11月17日)は、明治時代から大正時代にかけてのジャーナリスト、社会事業家、刀剣研究家。幼名・政吉。号は羽皐隠史、往生庵、菊亭静、茂顕、茂卿など。ほかに、高瀬真之助(介)、高瀬松吉、高瀬恭助、高真卿、高瀬鉄窓、高瀬紫峯、鉄窓学人、天賜苑、東台隠士、柳窓外史、茂湿、春雨、春雨静、藤原静、藤原茂、藤の舎茂、高瀬真藁、高瀬巳之吉、佐野尚、近藤東之助、春秋堂、萩村など、約30もの筆名を使った。 茨城県水戸市下市に米穀炭商・高瀬儀平次の長男・政吉として生まれ、水戸学派の川崎巌雄、庄司春村の塾で漢籍を学ぶ。