三平 孝広(みひら たかひろ、1949年6月25日 - )は… 三平 孝広(みひら たかひろ、1949年6月25日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 木更津中央高校ではエースとして同期の佐藤清三郎(大昭和製紙)とバッテリーを組む。1967年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、中村勝広のいた成東高に惜敗し東関東大会には進めなかった。 1967年ドラフト14位で巨人に入団(佐藤も同15位で指名されるが入団拒否)。しかし1968年シーズン終了後に解雇。練習中に打球を左腕に受けた影響が尾を引きファームでも登板がなかった。
中村 勝広(なかむら かつひろ、1949年6月6日 - 20… 中村 勝広(なかむら かつひろ、1949年6月6日 - 2015年9月23日)は、千葉県山武郡九十九里町出身のプロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者、野球評論家。愛称は「カツ」「カッちゃん」。2012年9月5日より、プロ野球阪神タイガースの取締役ゼネラルマネージャー(GM)を務めていた。 成東高校では遊撃手、三番打者として1967年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進出するが、竜ヶ崎一高に敗退。1年下のチームメートには加瀬茂樹、藤田康夫の両投手がいた。 早稲田大学教育学部体育専修へ進学。東京六大学野球リーグでは、谷沢健一、荒川堯らのいた1968年秋季リーグで優勝を経験したが、自身の活躍の機会はなかった。
前田 三夫(まえだ みつお、1949年6月6日 - )は、帝… 前田 三夫(まえだ みつお、1949年6月6日 - )は、帝京高等学校硬式野球部名誉監督で社会科教諭。千葉県袖ケ浦市出身、木更津中央高等学校・帝京大学卒業。 高校時代は三塁手として活躍するも、甲子園の出場経験はなし。大学時代は4年の秋に一塁ベースコーチとしてグラウンドに立っただけで選手としては公式戦出場なし。 練習を手伝っていた縁で、1972年帝京大学卒業と同時に帝京高校野球部監督に就任。1978年春の選抜高校野球で甲子園初出場を果たし、1980年春の第52回選抜大会では伊東昭光投手を擁し、準優勝。以後、練習場である校庭が(こちらも強豪となる)サッカー部と共用という恵まれない環境に長らくありながら(2003年12月に専用グラウンド完成)、帝京高校野球部を全国優勝3度の強豪チームへと育て上げた。
山田 茂(やまだ しげる、1949年6月3日 - )は、千葉… 山田 茂(やまだ しげる、1949年6月3日 - )は、千葉県出身の俳優。身長は161cm、体重は59kg、バスト90cm、ウェスト84cm、ヒップ90cm、靴サイズ25cmである。趣味は絵を描くこと、特技は殺陣。大野剣友会出身。現在はイーアンドエー所属。。
四代目 吉原 朝馬(よしわら ちょうば、1949年5月18日… 四代目 吉原 朝馬(よしわら ちょうば、1949年5月18日 - )は、千葉県多古町出身の落語家、俳優。出囃子は『吉原雀』。落語協会、VALQANプロモーション所属。本名:佐藤 武。 千葉県立佐原高等学校卒業後1968年5月、十代目金原亭馬生に入門。翌年1月、前座となる。前座名は「駒八」。 1973年4月に柳家さん枝、林家辰平と共に二ツ目昇進。 1982年12月に初代古今亭志ん五、六代目古今亭志ん橋、七代目三遊亭圓好、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬、柳家せん八、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬と共に真打昇進、四代目吉原朝馬を襲名。 2021年、「ストップ・オレオレ詐欺47~家族の絆作戦~」プロジェクトチームの特別防犯支援官に任官。
千石 正一(せんごく しょういち、1949年4月23日 - … 千石 正一(せんごく しょういち、1949年4月23日 - 2012年2月7日)は、日本の動物学者。主に爬虫類と両生類を扱っていた。東京都世田谷区出身。 千葉県立船橋高等学校卒業、東京農工大学農学部蚕糸生物学科卒業。財団法人自然環境研究センターの研究主幹をつとめていた。東京環境工科専門学校の講師、帝京科学大学、星槎大学客員教授をつとめたほか、TBSテレビの『わくわく動物ランド』や『どうぶつ奇想天外!』に出演した。2000年、「みどりの日」自然環境功労者環境庁長官表彰(自然ふれあい部門)を受賞。 2012年2月7日、十二指腸がんのため死去。62歳没。
石井好博(いしい よしひろ、1949年4月3日 - 2023… 石井好博(いしい よしひろ、1949年4月3日 - 2023年11月26日)は、日本の高校野球の指導者。東葉高等学校野球部監督。元習志野市立習志野高等学校野球部監督。 1949年(昭和24年)、千葉県安房郡千倉町(現在の南房総市)に生まれる。1965年(昭和40年)4月、習志野市立習志野高等学校に入学し野球部に入部。2年生からエースとなり、1966年(昭和41年)夏の甲子園県予選では準決勝に進出するが、千葉工商の中山孝一投手に抑えられ敗退。翌1967年(昭和42年)は東関東大会決勝で竜ヶ崎一高を破り、夏の甲子園に出場。市原弘道監督の下、決勝で広陵高の宇根洋介(近大-電電中国)に投げ勝ち、千葉県勢初のチーム全国優勝に導く。
海老原 清治(えびはら せいじ、1949年4月2日 - )は… 海老原 清治(えびはら せいじ、1949年4月2日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。 実家は鮮魚店を営み、我孫子ゴルフ倶楽部の3番ホールの左側に家があった。生家の隣は林由郎の自宅で、年の近い林の子供と遊びながらゴルフを覚えた。子供は1歳年上の林由一で、近所では由一の家にしかまだテレビがなく、海老原は力道山の試合を見せてもらった。当時は由一の父がプロゴルファーということは知らなかったが、7歳の頃に近所の10数人と一緒に我孫子GCの2番ホール、ティーから150ヤード辺りに行った際、由郎がクラブセットと球を出して、一人ずつ打たせてくれた。海老原は由郎に右の小指と左の人さし指を絡める握り方を教えられたが、現在でもそのまま、インターロッキンググリップでプレーしている。
鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 -… 鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 - 1986年(昭和61年)11月)は、日本の冒険家。千葉県市原市八幡出身。習志野市立習志野高等学校卒業。法政大学経済学部二部中退。
千葉マリア(ちば まりあ、1949年3月31日 - )は、日… 千葉マリア(ちば まりあ、1949年3月31日 - )は、日本の歌手・タレント。千葉県茂原市出身。本名:十枝みつ(とえだ みつ)。 1971年に「千葉マリヤ」としてシングル『薔薇の涙』でレコードデビューした。途中「千葉真利亜」名義を経て「千葉マリア」に改名し、現在に至る。 俳優の松方弘樹と愛人関係にあった際、松方との間の隠し子が報道されて、芸能界を実質追われた。また政治活動では2001年7月の第19回参議院議員通常選挙で自由連合公認の比例区で立候補したが落選している(得票数3736票)。組織委員会女性局次長を務めた。 現在は館山市に住み、女性専用依存症リハビリ施設及びハーブやさつまいもの栽培・加工・販売を行う株式会社チバマリアの代表を務めている。
栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 -… 栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 - )は、千葉県千葉市出身で、大和証券バスケットボール部所属の元バスケットボール選手、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は浜中 忠(はまなか ただし)、旧姓は大野。大相撲時代は身長191cm、体重95kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。最高位は東十両13枚目(1973年9月場所)。父も元力士で、大野山の四股名で三段目まで昇進した。 千葉商業高校卒業後は、身長191cmの体格を見込まれて大和証券バスケットボール部に入社し、いきなり主力となり、1967年に行われた第22回全日本実業団競技大会で活躍、チームの日本リーグ入りに大いに貢献した。バスケットボールを続けていれば1972年ミュンヘンオリンピック日本代表入りを果たせると言われたほどの大器であったが「バスケットじゃ飯が食えない。
佐瀬 寿一(させ じゅいち、1949年3月30日 - )は、… 佐瀬 寿一(させ じゅいち、1949年3月30日 - )は、日本の作曲家。千葉県勝浦市出身。 佐瀬壽一の表記もある。 千葉県立大多喜高等学校を経て日本大学芸術学部放送学科卒業。 放送作家の高田文夫、落語家の古今亭右朝は大学の同窓生である。 学生時代はビートルズのコピーバンドなどをやっており、『勝ち抜きエレキ合戦』にも出演したことがある。 1969年、大学在学中にピオニーズの「消えた想い出」で作詞・作曲家デビュー。このとき印税か買取のどちらにするかと聞かれ、結局3万円の買取契約にしたものの、割と売れたので後悔したという。同時期にヤマハポピュラーソングコンテストで編曲の仕事をし、音楽で生計を立てることに興味を持ち始めた。
江畑 謙介(えばた けんすけ、1949年3月23日 - 20… 江畑 謙介(えばた けんすけ、1949年3月23日 - 2009年10月10日)は、日本の軍事評論家。元拓殖大学海外事情研究所客員教授。 千葉県銚子市生まれ。銚子市立銚子高等学校を経て、上智大学理工学部機械工学科卒業、上智大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士後期課程修了。 イギリスの防衛専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』日本特派員、通商産業省産業構造審議会「安全保障貿易管理部」臨時委員、スウェーデン・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)客員研究員、防衛庁防衛調達適正化会議議員、内閣官房情報セキュリティ専門調査会委員、経済産業省産業構造審議会安全保障貿易管理小委員会委員、日本国際フォーラム付属「日本予防外交センター」運営委員、外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」委員などを歴任。
大野 俊三(おおの しゅんぞう、1949年3月22日 -)は… 大野 俊三(おおの しゅんぞう、1949年3月22日 -)は、日本のジャズ・トランペット奏者。演奏に参加したジャズ・アルバムは何度かグラミー賞を獲得したこともあり、自身が作曲した『Musashi』は2014年のInternational Songwriting Competitionで最優秀賞(Grand Prize)を日本人として初めて、またジャズ部門からのノミネートで初めて獲得した。
大木 勝年(おおき かつとし、1949年3月17日 - )は… 大木 勝年(おおき かつとし、1949年3月17日 - )は、千葉県東金市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 東金市の農家に生まれ、成東高校では、1966年夏の甲子園千葉県予選準々決勝で、千葉工商の中山孝一と投げ合い0-2で完封負け、甲子園には出場できなかった。高校、大学の1年下に中村勝広がいる。早稲田大学へ進学。早大には1年上に小坂敏彦、安田猛(ヤクルトでも同僚)という好投手がおり、東京六大学野球リーグでは入学後3年間下積みを続ける。しかし4年生時には、同期のエース久保陽二(高松一高監督)とともに活躍。 1970年春季リーグに2勝1敗、防御率0.73(リーグ1位)、秋季リーグにも2勝3敗、防御率1.07(リーグ2位)を記録した。
風戸 裕(かざと ひろし、1949年3月13日 - 1974… 風戸 裕(かざと ひろし、1949年3月13日 - 1974年6月2日)は、日本のレーシングドライバー。1960年代後半から1970年代前半にかけて活躍し、当時の日本人ドライバーの中で「F1に最も近い男」と呼ばれた。通算成績は、全カテゴリー含め55戦8勝。 風戸レーシングリミテッドのオーナー兼ドライバーとして、レースをビジネスとして運営しようと試み、今日のプライベートレーシングチーム形態の先駆けになったと評される。 また自身のレーシングマシンメンテナンスのために、今日まで活動を続ける老舗コンストラクター、ノバ・エンジニアリングを設立した。 1949年3月13日、当時電子顕微鏡技術において最先端を行き、世界中から大きな評価を得たことで知られる日本電子光学研究所(JEOL)創立者である風戸健二の次男として千葉県茂原市に生まれる。
清水 正(しみず まさし、1949年2月8日 - )は、日本… 清水 正(しみず まさし、1949年2月8日 - )は、日本の文芸批評家、元日本大学芸術学部教授。 千葉県我孫子市生まれ。日本大学芸術学部卒。「D文学通信(Д文学通信)」編集発行人。 フョードル・ドストエフスキーと宮沢賢治を中心に論じ(経歴前半は精力的にドストエフスキーを多数論じ、中半から宮沢賢治論も充実してゆく)、のち学生との共著形式で「D文学研究会」から多数の著書・編著を刊行。対象はグリム童話、つげ義春、映画、漫画など多数に及ぶ。 1991年に発行された「Д文学通信」38号、および同初出を収録した「宮崎駿を読む 母性とカオスのファンタジー」(2001年)において、映画「となりのトトロ」のサツキとメイの母(草壁靖子)は死亡しているとする自説を提唱している。
木之本 興三(きのもと こうぞう、1949年1月8日 - 2… 木之本 興三(きのもと こうぞう、1949年1月8日 - 2017年1月15日)は千葉県出身の元サッカー選手。
矢吹 二朗(やぶき じろう、1949年1月6日 - )は、日… 矢吹 二朗(やぶき じろう、1949年1月6日 - )は、日本の俳優・経営者。別名義:千葉 治郎(ちば じろう)。本名:前田 満穂(まえだ みつほ)。 1982年に俳優を辞め、会社員を経て、特定非営利活動法人森林デザイン研究所代表。千葉県君津市八幡出身。木更津市出身。身長174cm。60kg(1976年2月)。 兄は千葉真一、姪は真瀬樹里、甥は新田真剣佑、眞栄田郷敦。 二男三女の二男で、父は高額のギャラが出るテストパイロットだった。戦時中の前田家は羽振りがよく、持ち家は何軒もあった。しかし戦後は生活が一転し、どん底に落とされた時期に矢吹は生まれている。中学校に上がると両親の負担を減らすため、芸能界に居た10歳上の兄・千葉真一の世話になることが家族内で決まり、東京へ向かう。
土屋 元(つちや はじめ、1949年(昭和24年)1月1日 … 土屋 元(つちや はじめ、1949年(昭和24年)1月1日 - 2022年(令和4年)7月12日)は、日本の政治家。千葉県勝浦市長(1期)。勝浦市議会議員(4期)。 千葉県勝浦市墨名に生まれ育つ。千葉県立一宮商業高等学校、専修大学法学部卒業。東急不動産に勤務。ゴルフ場やホテル開発を担当し、勝浦東急ゴルフコース総支配人を務めた。 2003年(平成15年)、勝浦市議会議員に初当選。2015年(平成27年)に4期目の当選。 2019年(平成31年)3月22日、任期満了に伴う勝浦市長選挙に立候補する意向を表明した。同年(令和元年)7月7日に行われた市長選挙で、自民党・公明党の推薦を得た現職の猿田寿男を破り初当選を果たした。
今仲 幸雄(いまなか ゆきお、1949年 - )は、バリトン… 今仲 幸雄(いまなか ゆきお、1949年 - )は、バリトン歌手。元ドイツ国立デトモルト音楽大学講師。 ライプツィヒ国際バッハコンクールでの日本人初の優勝者。キリスト教の音楽伝道者。 以来、旧西ドイツ、旧東ドイツ、スイス、フランス、イタリア、イギリス、オランダ、シンガポール、台湾にて演奏活動。 またライプツィヒ国際バッハ音楽祭、ゲッティンゲン国際ヘンデル音楽祭、ヴァルスローデ国際リスト音楽週間にソリストとして招かれる。 NHKをはじめ、北ドイツ放送 (NDR)、ベルリン自由放送 (SFB)、西ドイツ放送第一、第三 (WDR I・III)、南西ドイツ放送、テレビ (SWF)、ドイツ・キリスト教放送 (ERF)等に出演。
横木 安良夫(よこぎ あらお、ALAO YOKOGI、194… 横木 安良夫(よこぎ あらお、ALAO YOKOGI、1949年 - )は、日本の写真家・作家。 1949年、千葉県市川市生まれ。日本大学豊山高等学校を経て日本大学藝術学部写真学科卒業。篠山紀信のアシスタントを経て、1975年独立。 広告、ファッション、ドキュメンタリー、タレント写真集、などあらゆる方面で活動。1998年ごろからは文筆活動も始め、ノンフィクションや小説も書いている。 撮影はさまざまな撮影テクニックを駆使する。TwilightTwistという懐中電灯でライティングするシリーズが有名 スナップでは「ノーファインダー」撮影を多用する。 2009年10月からテレビ朝日「世界の街道をゆく」(キヤノン提供)の、ムービーとスチールを担当している。
佐藤 滋(さとう しげる、1949年 - )は、日本の都市計… 佐藤 滋(さとう しげる、1949年 - )は、日本の都市計画家。地域プランナー。早稲田大学理工学術院教授、早稲田大学都市・地域研究所所長を兼務。工学博士。千葉県出身。
金丸 謙一(かなまる けんいち、1948年(昭和23年)12… 金丸 謙一(かなまる けんいち、1948年(昭和23年)12月23日 - )は、日本の政治家。元千葉県館山市長(4期)、元館山市議会議員(2期)。 千葉県館山市出身。千葉県立安房高等学校卒業。1999年(平成11年)4月の館山市議会議員選挙に初当選。2003年(平成15年)、再選。 2006年(平成18年)11月19日投開票の館山市長選挙に立候補。自民党推薦の鈴木陽一、現職の辻田実らを破り初当選を果たした(金丸:9,593票、鈴木:7,956票、辻田:7,366票)。投票率は59.65%。12月10日、市長就任。 2010年(平成22年)、再選。 2014年(平成26年)11月16日投開票の市長選に自民党・公明党の推薦を得て立候補。
村松 励(むらまつ つとむ、1948年12月23日 - )は… 村松 励(むらまつ つとむ、1948年12月23日 - )は、日本の心理学者、専修大学名誉教授。専門分野は臨床心理学、非行臨床、犯罪心理学。警察庁科学警察研究所顧問。元日本犯罪心理学会会長。 千葉県出身。東京都立大学 (1949-2011)人文学部卒業。東京大学大学院情報学環教育部中退。 大学在学中、家庭裁判所調査官補Ⅰ種試験(現・裁判所職員採用総合職試験(院卒・大卒、人間科学区分))に合格。その後家庭裁判所調査官として、長年に渡り少年保護手続を担当。少年事件における家庭裁判所の審判では一般の刑事訴訟と異なり刑罰を下すのではなく、少年法の規定に従って「非行少年の再非行の抑止や更生を目的」としており、これら審判手続きを通じて、臨床心理学、犯罪心理学等、少年の犯罪に至る過程及び更生における援助を法務省、警察庁等、関連諸機関と協力して対処することを専門としてきた。
長谷川 孝夫(はせがわ たかお、1948年(昭和23年)12… 長谷川 孝夫(はせがわ たかお、1948年(昭和23年)12月9日 - )は、日本の政治家、教諭。元千葉県鴨川市長(2期)。 千葉県鴨川市粟斗に生まれる。西条小学校、西条中学校(現:鴨川市立鴨川中学校)卒業。1967年3月、千葉県立長狭高等学校卒業。1971年3月、玉川大学文学部(現:教育学部)卒業。 1971年4月、館山市立北条小学校の教諭となる。1984年4月、千葉県教育庁に入庁。1995年4月、鋸南町立佐久間小学校の校長に就任。2年後の1997年に千葉県教育庁に戻る。2005年3月31日から2012年6月2日まで、鴨川市教育委員会の教育長をつとめた。 2013年2月24日告示、3月3日投開票の鴨川市長選挙に自由民主党、公明党および連合千葉の推薦を得て無所属で出馬。
河合 純二(かわい じゅんじ、1948年12月4日 - )は… 河合 純二(かわい じゅんじ、1948年12月4日 - )は、日本の実業家、馬主。 埼玉県草加市に本社を置く、不動産業・総合建設業を手がけるリベレステ株式会社の元代表取締役社長。 1948年、千葉県出身。父が3歳の頃に交通事故のために亡くなったため、小学生時代から新聞配達などをして家計を支えるという生活を送る。中学卒業後は建設現場でのアルバイトを経て、高校を中退し型枠大工職人の道へ進んだ。1970年9月に独立し「河合組」を創業、その後1979年6月に「有限会社河合工務店」を越谷市に設立した。1983年に河合工務店を株式会社に組織変更したのち、1999年10月には社名を現在の「リベレステ」に改めた。
夏木 ゆたか(なつき ゆたか、1948年〈昭和23年〉12月… 夏木 ゆたか(なつき ゆたか、1948年〈昭和23年〉12月2日 - )は、日本の男性タレント、司会者、歌手。本名は馬目 豊(まのめ ゆたか)。バウスプリット所属。かつてはサワズ(現:三木プロダクション)に所属し、2015年にハブ・マーシーへ移籍。 銚子市立銚子高等学校卒業。1969年、川口豊名義にてクラウンレコードより「愛のかけら」で歌手デビュー。しかし、歌手としては芽が出ずタレントへ転向。 『ルックルックこんにちは』のコーナー「ドキュメント 女ののど自慢」の司会をなべおさみから引き継ぎ(なべやかんの明治大学替え玉受験問題を受け降板)、2代目に就任。陽気で高いテンションの早口トークで知られる。
猿田 寿男(さるた ひさお、1948年(昭和23年)11月1… 猿田 寿男(さるた ひさお、1948年(昭和23年)11月15日 - )は、日本の政治家。元千葉県勝浦市長(2期)。 千葉県大多喜町に生まれる。千葉県立大多喜高等学校卒業。明治大学法学部卒業後、千葉県庁に入庁。総合企画部参事兼知事室長、地域振興担当部長、商工労働部長などを歴任した。 2009年(平成21年)6月、千葉商工会議所専務理事に就任。 2011年(平成23年)4月、勝浦市副市長に就任。同年6月12日、勝浦市長の山口和彦が肺がんのため死去。これに伴って行われた市長選挙(7月24日告示、7月31日投票)に立候補し無投票で初当選した。2015年(平成27年)の市長選も無投票で再選。 2019年(令和元年)の市長選挙では、自民党・公明党の推薦を得て3選に挑むも、元市議の土屋元に敗れた。
高木 長之助(たかき ちょうのすけ、1948年10月26日 … 高木 長之助(たかき ちょうのすけ、1948年10月26日 - 2016年12月6日)は、日本の柔道家(講道館9段)。千葉県出身。 選手として1973年の世界選手権大会で金メダル、75年の同大会で銅メダルを獲得。引退後は指導者として日本大学柔道部の総監督を務める傍ら、全日本柔道連盟理事や全日本学生柔道連盟副会長等を歴任した。 千葉県は房総半島の先端、安房郡白浜町(現・南房総市)にて、半農半漁の家に生まれる。海に面した土地柄のため幼少時の遊びはもっぱら海の素もぐりで、アワビ・サザエ等の海産物を獲っては食べるというのが日課だった。 小学校では水泳をやっていたがレギュラーにはなれず、町立白浜中学校への入学と同時に柔道部に入部。
浅倉 むつ子(あさくら むつこ、1948年10月25日 - … 浅倉 むつ子(あさくら むつこ、1948年10月25日 - )は、日本の法学者。専門は労働法・ジェンダー法。学位は博士(法学)(早稲田大学・論文博士・1993年)。(旧)東京都立大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。 千葉県館山市出身。籾井常喜(都立大名誉教授)門下。1993年早稲田大学より博士(法学)の学位を取得。 東京都立大学法学部教授や、早稲田大学大学院法務研究科教授、日本労働法学会代表理事、ジェンダー法学会理事長、第23期民主主義科学者協会法律部会副理事長等を歴任した。 「九条科学者の会」呼びかけ人。「安全保障関連法案に反対する学者の会」発起人 を務めている。日本共産党に期待すると表明している。
志賀 直温(しが なおはる、1948年(昭和23年)10月1… 志賀 直温(しが なおはる、1948年(昭和23年)10月14日 - )は、日本の政治家。元千葉県東金市長(5期)、元東金市議会議員(3期)。 千葉県山武郡東金町(現・東金市)押堀に生まれる。東金市立東金小学校、東金市立東金第一中学校、千葉県立成東高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、弘前大学農学部卒業。 1989年(平成元年)、東金市議会議員選挙に初当選。以後、市議を3期務める。 1998年(平成10年)の東金市長選挙に初当選。4月25日、市長就任。2012年(平成24年)、千葉県市長会会長に就任。 2014年(平成26年)の市長選では5回目の当選を果たした。 2018年(平成30年)の市長選には立候補せず、5期20年を以て引退を表明した。
秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 20… 秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 2018年9月19日)は、日本の編集者、プロデューサー、クリエィティブディレクター、装丁家、俳優、作詞家、作曲家。千葉県松戸市生まれ。スコブルコンプレックス會社・主宰。資生堂文化デザイン部編集委員。 本人いわく「都市・空間・商品・宣伝・編集・芸能・芸術・食・身体・生活・ファッションなど多領域の仕事群を『魅力づくり』として遂行」する仕事を行っている。 1960年代には「秋山未知汚」「秋山未痴汚」名義を、1970年代には「秋山ミチヲ」名義を用いていた。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。同級生には南伸坊がいた。高校時代はバンドを組んでいて、おしゃれだった。
桂 京丸(かつら きょうまる、本名:伊藤 総夫、1948年9… 桂 京丸(かつら きょうまる、本名:伊藤 総夫、1948年9月26日 - )は、落語芸術協会に所属していた噺家。出囃子は『あじゃら』。千葉県東金市出身。 1968年(昭和43年)4月、四代目桂米丸に入門。1972年(昭和47年)4月二ツ目昇進。 1983年(昭和58年)4月、雷門助三改メ 四代目春雨や雷蔵、二代目柳亭小痴楽、古今亭寿輔、三笑亭夢之助、春風亭愛昇改メ 五代目春風亭柳條、三遊亭春馬改メ 五代目三遊亭圓雀と共に真打昇進。1985年(昭和60年)6月の第23回国立演芸場花形若手演芸会新人賞では後述の『正しいラーメンの食べ方』で銀賞を受賞したが、その後ほどなくして廃業してしまった。正式な廃業時期は不明だが、1986年(昭和61年)3月の落語会に出演していることが確認できるため廃業したのはそれ以降と考えられる。
斎藤 恒雄(さいとう つねお、1948年9月24日 - )は… 斎藤 恒雄(さいとう つねお、1948年9月24日 - )は、福岡放送(FBS)の元男性アナウンサー。 千葉県習志野市出身。獨協大学卒業。1972年福岡放送に入社。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
長谷川俊明(はせがわ としあき、1948年9月13日- )は… 長谷川俊明(はせがわ としあき、1948年9月13日- )は、日本の弁護士。 千葉県茂原市出身。1973年早稲田大学法学部卒業、1977年弁護士登録(第一東京弁護士会)、1978年ワシントン大学法学修士。 1978年-79年サリバン・クロムウェル法律事務所(ニューヨーク)勤務、1979年-80年スローター・アンド・メイ(ロンドン)法律事務所勤務。現在、長谷川俊明法律事務所代表弁護士。2020年現在、電通取締役(監査等委員・独立社外取締役)を務めている。
林 由一(はやし よしかず、1948年9月12日 - )は、… 林 由一(はやし よしかず、1948年9月12日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。 林由郎の長男で、息子の由寿もプロゴルファー。 我孫子ゴルフ倶楽部の3番ホールの近くに実家があり、隣に住んでいた1歳年下の海老原清治と仲が良く、海老原は近所では林家にしかなかったテレビで力道山の試合を見せてもらった。 我孫子GC研修生時代の1966年1月には海老原に5番アイアンを譲り、後輩研修生となった海老原が「どう振ったらボールを真っすぐ飛ばせるのか」尋ねてきた際には「(ダウンスイングで)左肘をへその前に着けてクラブフェースを返してみたら」とアドバイスし、言われた通りにスイングした海老原はボールをしっかり捉えられ、ストレートボールを打てるようになった。
森 英介(もり えいすけ、1948年〈昭和23年〉8月31日… 森 英介(もり えいすけ、1948年〈昭和23年〉8月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、衆議院議長(第81代)。 法務大臣(第81代)、厚生労働副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、衆議院厚生労働委員長、衆議院原子力問題調査特別委員長、衆議院国家基本政策委員長、衆議院政治倫理審査会会長等を務めた。 父は環境庁長官、衆議院議員を務めた森美秀。三木武夫元首相の妻の三木睦子は伯母にあたる(森矗昶の次女で美秀の姉)。 東京都千代田区生まれ(本籍地は千葉県勝浦市)。東京学芸大学附属世田谷小学校、東京学芸大学附属世田谷中学校、東京学芸大学附属高等学校、東北大学工学部金属加工学科を卒業。
きたろう(1948年〈昭和23年〉8月25日 - )は、日本… きたろう(1948年〈昭和23年〉8月25日 - )は、日本の俳優、タレント。本名は、古関 安広(こせき やすひろ)。コントグループ・シティボーイズのメンバー。 千葉県市川市出身。ASH&Dコーポレーション所属。 千葉県立国府台高等学校、中央大学文学部を卒業した。 学生時代から俳優を目指し、しばしば舞台などで演劇活動をした。しかし、演出家から「芝居を学び直したほうがいい」と言われてしまい、大学4年生の時に劇団俳優小劇場(俳小)に入る(同期生には後にシティボーイズを結成する大竹まこと、斉木しげるの2人や風間杜夫がいた。女優では1期先輩に市毛良枝、同期には岡本麗がいた[信頼性要検証])。 1971年の秋、劇団俳優小劇場の解散にともない退団した。
中山 孝一(なかやま こういち、1948年8月12日 - )… 中山 孝一(なかやま こういち、1948年8月12日 - )は、千葉県八千代市出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉工商では3年次の1966年、夏の甲子園千葉大会で東金商をノーヒットノーランに抑え、続く東邦大付も7回コールドながらノーヒットノーランで降す。その後も2試合連続で完封勝利、習志野戦で失点するも41回連続無失点記録を達成。続く東関東大会準決勝で竜ヶ崎一高に敗退し、甲子園出場はならなかった。同年の一次ドラフト6位で阪神タイガースに指名されるも入団せず、卒業後の1967年にサッポロビールへ入社。1969年の都市対抗に出場し、同年のドラフト5位で南海ホークスに入団。 入団後は速球投手として期待され、1年目の1970年から先発として起用されるが、同年は1勝に終わる。
河上 茂(かわかみ しげる、1948年8月5日 - )は日本… 河上 茂(かわかみ しげる、1948年8月5日 - )は日本の政治家。千葉県議会議員(8期)。第67代千葉県議会議長、松戸市議会議員(4期)を歴任した。 千葉県松戸市生まれ。1967年に専修大学松戸高等学校を卒業。1971年に専修大学法学部法律学科を卒業。建設会社社員を経て、1973年から染谷誠の秘書を勤める。1982年11月の松戸市議会議員選挙に立候補して初当選を果たした。以後、1995年2月まで4期務めた。同年4月の千葉県議会議員選挙に松戸市南選挙区から無所属で立候補して、初当選を果たした。当選後、自由民主党から追加公認された。1999年4月11日の県議選で松戸市選挙区から立候補して再選を果たした。
大熊 徹(おおくま とおる、1948年7月29日 - 202… 大熊 徹(おおくま とおる、1948年7月29日 - 2024年4月1日)は、日本の国語教育学者、東京学芸大学名誉教授。 千葉県市川市生まれ。1972年東京学芸大学教育学部国語科卒業。東京学芸大学附属世田谷小学校教諭、東京学芸大学大学院修士課程修了。東京学芸大学助教授、教授、2014年定年退官、名誉教授。全国大学国語教育学会常任理事、日本国語教育学会常任理事・編集部長、市川市教育委員長など。 2024年4月1日、嚥下機能障害のため東京都の自宅で死去。75歳没。
佐川 和茂(さがわ かずしげ、1948年(昭和23年)7月2… 佐川 和茂(さがわ かずしげ、1948年(昭和23年)7月24日 - )は、日本のアメリカ文学者、青山学院大学教授。中央大学Ⅱ部文学部英文科卒、青山学院大学大学院博士課程単位取得退学。江戸川区平井四郵便局貯金課、朝霞米軍基地宿舎管理部、赤坂プレスセンター宿舎管理部勤務、青山学院大学経営学部専任講師、助教授、教授。2017年退職、青山学院大学名誉教授。妻は佐川愛子(1948 - アメリカ黒人(ディアスポラ)文学、翻訳家、元女子栄養大学教授)。 •『英語検定試験のすすめ』雨宮剛ほか共著 青山学院購買会、1984 •『シャロンの華』神山妙子ほか共著 笠間書院、1986 •『アメリカ文学と暴力』元山千歳ほか共著 研究社、1995 •『映像文学にみるアメリカ』朝日由紀子ほか共著 紀伊国屋書店、1998 •『アメリカ映像文学にみる愛と死」遠竹護ほか共著 北星堂書店、1998 •『アメリカ映像文学に見る少数民族』広瀬佳司ほか共著 大阪教育図書、1998 •『アメリカ小説の変容』高田賢一ほか共著 ミネルヴァ書房、2000 •『アジア系アメリカ文学――記憶と創造』植木照代ほか共著 大阪教育図書、2001 •『民族主義とキリスト教』大庭昭博ほか共著 新教出版社、2003 •『越境・周辺・ディアスポラーー3つのアメリカ文学』松本昇ほか共著 南雲堂フェニックス、2005 •『ソール・ベロー研究――人間像と生き方の探求』半田拓也ほか共著 大阪教育図書、2007 •『神の残した黒い穴を見つめて 須山静夫先生追悼論集』松本昇ほか共著 音羽書房鶴見書店、2013 •『彷徨える魂たちの行方 ソール・ベロー後期作品論集』鈴木元子ほか共著 彩流社、2017 •『ユダヤ系文学に見る聖と俗』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2017 •『ユダヤの記憶と伝統』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2019 •『ソール・ベローともう一人の作家』鈴木元子ほか共著 彩流社、2019 •『ジューイッシュ・コミュニティ ユダヤ系文学の源泉と空間』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2020 •『現代アメリカ社会のレイシズム ユダヤ人と非ユダヤ人の確執・協力」広瀬佳司ほか共著 彩流社、2022 •『ソール・ベロー 都市空間と文学』鈴木元子ほか共著 彩流社、2022 •『父と息子の物語 ユダヤ系作家の世界』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2023 •『ホロコーストと〈愛〉の物語』広瀬佳司ほか共著 彩流社、2024
小川 正洋(おがわ まさひろ、1948年〈昭和23年〉5月1… 小川 正洋(おがわ まさひろ、1948年〈昭和23年〉5月15日 - 2018年〈平成30年〉11月26日)は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫が結成した「楯の会」の3期生で第7班班長。三島、森田必勝と共に、憲法改正のための自衛隊の決起(クーデター)を呼びかける三島事件に参加した一員である。 1948年(昭和23年)5月15日、会社員の父・敬と母・妙子の次男として千葉県山武郡松尾町借毛本郷685番地に誕生。父は元警察官であったが正洋が生れた当時は警備関係の職に就いていて、母は元教員だった3歳上の兄・直哉と姉がいた。その後、一家は千葉市仁戸名町(現・中央区仁戸名町)に転居した。 正洋は子供の頃に母親から、木口小平、広瀬武夫、乃木希典の話を聞かされ、一緒に映画『明治天皇と日露戦争』『敵中横断三百里』を見たことから、日本の歴史に興味を持つようになった。
ヨネスケ(1948年4月15日 - )は、千葉県市原市出身の… ヨネスケ(1948年4月15日 - )は、千葉県市原市出身の落語家、タレント。
國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 -… 國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 - )は、千葉県市川市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は堀木 兼初(ほりき かねはつ)。176cm、110kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 少年時代から宮相撲に参加する相撲好きであった。1964年5月場所初土俵、1972年5月場所に十両昇進するも2勝13敗と大敗を喫し、翌場所に幕下陥落。十両在位はこの1場所に終わる。1975年9月場所限りで廃業。その後は、料理屋を経営した。
太田 洋(おおた ひろし、1948年〈昭和23年〉3月7日 … 太田 洋(おおた ひろし、1948年〈昭和23年〉3月7日 - )は、日本の政治家。元千葉県いすみ市長(5期)、元岬町長(2期)。元・岬町長の太田儀男は父。 千葉県立大多喜高等学校、法政大学経済学部卒業。1972年(昭和47年)4月、千葉県庁に入庁。千葉県衛生部医療施設課長を務め、1999年(平成11年)に退職。同年10月、岬町長に就任。 2005年(平成17年)12月5日、大原町、夷隅町、岬町が合併しいすみ市が発足。同年12月25日に行われたいすみ市長選挙で前・大原町長の近藤万芳を破り初当選した。 2017年(平成29年)、無投票により4選。 2021年(令和3年)12月、元・いすみ市議会議員の田井秀明を破り5選。
高松 邦男(たかまつ くにお、1948年2月26日 - 20… 高松 邦男(たかまつ くにお、1948年2月26日 - 2021年6月4日)は、千葉県市川市出身の元調教助手・元調教師。 高松は長男で、男一人であったため、両親に大事 に育てられた。父・三太は元騎手であり、テレビで晩年の騎乗は見ていた。スターロッチの優駿牝馬、ヒロキミの菊花賞などで、スターロッチとホマレボシで連覇した有馬記念などは家から近かった中山で直接観戦。市川市立若宮小学校では、6年生を卒業する時になっても三太より背が低かった。市川中学校を卒える時にも身長は150cm台で、東京・世田谷の馬事公苑騎手養成所を目指そうと考えた。三太は「いや、きっと、お前の手足を見れば、これから伸びる」と言ったため、高松は伸びなかったら「高1の三学期で中退」すればいいと思い、1963年に市川高校へ進んだ。
斎藤 喜(さいとう よし、1948年1月29日 - )は、千… 斎藤 喜(さいとう よし、1948年1月29日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 習志野高校出身。千葉県の高校では遊撃手No.1の評判だった。また韓国高校選抜軍対全関東高校の試合に選抜され、5打数5安打を放つ。関東球界では大型内野手として注目されていた。高校同期には後に中日ドラゴンズで活躍する谷沢健一がいる(谷沢とは高校時代に3、4番のクリーンアップコンビを形成していた)。1965年夏の甲子園県予選準決勝では、銚子商の木樽正明(後にロッテ・オリオンズ入り)に抑えられ敗退するが、木樽から3安打を放っている。銚子商は夏の甲子園で準優勝。 1965年プロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスへ2位指名で入団。
阿天坊 俊明(あてんぼう としあき、1948年1月27日 -… 阿天坊 俊明(あてんぼう としあき、1948年1月27日 - )は、千葉県銚子市出身の元社会人野球の選手(内野手)。 銚子商業高校では、1965年夏の甲子園に三番打者、遊撃手として出場。同期の木樽正明の好投で順調に勝ち進み、準決勝ではエース牧憲二郎を擁する高鍋高に9回裏2-1でサヨナラ勝ち。決勝では三池工と対戦するが、上田卓三に0-2で完封を喫し準優勝にとどまった。同年の岐阜国体では、決勝で岐阜短大付の淵上澄雄を打ち崩し優勝。同年秋の第1回プロ野球ドラフト会議で南海ホークスより2位指名を受けるも入団を拒否。 立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは、入学直後の1966年春季リーグから二番打者として起用され、同季は槌田誠、谷木恭平、秋山重雄らとともに7年ぶりの優勝を飾る。