東 美江(あずま みえ、本名:矢崎ミツエ、1941年1月20… 東 美江(あずま みえ、本名:矢崎ミツエ、1941年1月20日 - )は、日本の女優、声優。東京俳優生活協同組合所属。東京都出身。デビュー当時の芸名は青柳 明子。 東京都立北園高等学校卒業。 小学生の頃から目立ちたがりで、その頃の将来の夢も女優だったという。高校卒業後、柳家金語楼に弟子入り。「金語楼劇団」の一員としてデビュー。 東俳劇団、金星プロダクション、NHK現代邦楽8期を経て、東京俳優生活協同組合に所属。 声種はアルト。方言は甲州弁(甲府・塩山)。 特技は長唄。趣味・スポーツはテニス、登山、カラオケ、園芸。 免許・資格は中型自動車。
天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日… 天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2019年〈平成31年〉1月6日)は、日本の歌手、声優、女優。最終所属はプロダクションフーコ。本名は岩澤 総子。 東京都出身。国立音楽大学付属高等学校卒業。父はピアニスト・ピアノ教師の天地真佐雄。 童謡や子供向けの歌から、大人向けの歌までレパートリーは広い。特にコマーシャルソングを数多く2000曲以上も歌っており、楠トシエ、スリー・グレイセスと共に「コマソンの女王」とも称される。 阪田寛夫作詞、服部公一作曲で1965年10月にレコードで発売された「マーチング・マーチ」が40万枚を売り上げ、1965年の第7回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。
二階堂 有希子(にかいどう ゆきこ、1940年〈昭和15年〉… 二階堂 有希子(にかいどう ゆきこ、1940年〈昭和15年〉10月27日 - )は、日本の元女優、元声優。東京都淀橋区出身。八ヶ岳倶楽部初代社長。 夫は俳優の柳生博(2022年没)。長男は園芸家の柳生真吾(2015年没)。 東京女学館高等学校卒業。 劇団俳優座養成所9期生。入所試験ではトップであり、当時の劇団内では看板女優だった岩崎加根子の後継と目されていたという。また、夫となる柳生博ともこの頃に出会う。 劇団俳優座、東映、エヌ・エー・シー、江崎プロダクションを経て、フリーランスで活動。 主に舞台やテレビドラマなどで活躍し、俳優座卒業後は昼の連続ドラマに多く出演。海外ドラマ『ルート66』の吹き替え以降は声優としても活動していた。
草村 礼子(くさむら れいこ、1940年7月5日 - )は、… 草村 礼子(くさむら れいこ、1940年7月5日 - )は、日本の女優、ナレーター。本名:野口 禮子(のぐち れいこ)。
浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、本名;浅井 信子、1940年… 浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、本名;浅井 信子、1940年7月2日 - )は、日本の女優。愛称は「ルリルリ」。身長156cm、体重35kg。血液型はA型。前夫は石坂浩二。
栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2… 栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2026年3月21日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、女優。エス・オー・プロモーションの取締役。東京都中野区出身。 夫はフリーアナウンサー、元日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日)アナウンサーでエス・オー・プロモーション創業者・会長の押阪忍。長男はエス・オー・プロモーション代表取締役社長でDJの押阪雅彦(DJ OSSHY)。次男は、エス・オー・プロモーション監査役の押阪智彦。 1959年にタレントとしてデビューした。 1963年に押阪忍と結婚した。1971年、押阪忍と株式会社エス・オー・プロモーションを設立。1994年、押阪忍と「押阪忍のトークアカデミー」を開校し、副塾長となる。
浅川 みゆ起(あさかわ みゆき、1940年5月23日 - )… 浅川 みゆ起(あさかわ みゆき、1940年5月23日 - )は、日本の女優、声優。本名は佐藤 登美子(さとう とみこ)。東京都渋谷区出身。 日本芸術学院アナウンス科卒。東京俳優生活協同組合、綜芸プロダクション、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、エヌ・エー・シーなどに所属していた。趣味は日本舞踊、歌唱。 かつては渋沢詩子、日輪マコとともにヤンチャ・トリオとして活動していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )… 坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優・タレント。本名、櫻井美紀子。 父親は演劇評論家・坪内士行(宝塚歌劇団職員・宝塚音楽学校の顧問も歴任した)、母親は宝塚歌劇団1期生であり宝塚歌劇団卒業生の雲井浪子(本名:坪内操、旧姓:高井)。さらに母の姉と妹に同1期生の八十島揖子と同15期生の緒島なお子もいるという、演劇にゆかりのある家庭に生まれた(士行は坪内逍遙の兄の子で、一時、逍遙の養子だったが、1919年に養子縁組を解消した)。日本女子大学附属豊明小学校を経て、日本女子大学附属中学校・高等学校在学中に宝塚音楽学校受験を試みたが、元タカラジェンヌの母親に大反対されて受験を断念する。
高須賀 夫至子(たかすが ふじこ、1940年3月31日 - … 高須賀 夫至子(たかすが ふじこ、1940年3月31日 - )は、日本の女優。東京府出身。一時期、高須賀 不二子名義でも活動した。 トキワ松学園高等学校卒業。俳優座養成所11期生。俳優座研究生時代に映画『胎動期 私たちは天使じゃない』に主演。 劇団新人会、六芸社に所属していた。舞台の他、映画・テレビドラマにも数多く出演した。
北 あけみ(、1940年〈昭和15年〉3月3日 - )は、日… 北 あけみ(、1940年〈昭和15年〉3月3日 - )は、日本の元女優、モデル。東京市入谷町出身。本名は北原 明美。 上野学園高等学校卒業。高校卒業後、老舗のモデルクラブ「エフ・エム・ジー」に所属し、ファッション・モデルとして活動していたが、フランスの女優・パスカル・プティに似ていたことから、映画界からスカウトされ、1959年、東宝に入社する。同年『青春を賭けろ』で夏木陽介の相手役としてデビュー。 主に東宝のアクション映画や、コメディ作品(クレイジー作品や若大将シリーズ)に出演。東宝の女優としては珍しく、色っぽい顔つきとセクシーなボディから、お色気担当としてギャングの情婦や主人公を誘惑するような役柄が多く、1963年の映画『海底軍艦』では水着モデルを演じていた。
樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本… 樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本の元女優。東京都世田谷区出身。 八雲学園高在学中の1957年、『隠し砦の三悪人』のオーディションに応募し、百姓娘役を射止める。 1959年俳優座養成所に十一期生として入る。1962年卒業と同時に俳優座に入る。おもな出演作に『大学のお姐ちゃん』(1959年 杉江敏男)、『椿三十郎』(1962年 黒澤明)など。 工藤堅太郎の回想記『役者ひとすじ 我が人生&交遊録』(風詠社・2014年11月)では、実名こそ明かしていないが、樋口が病のため39歳で亡くなったと記されている。
小川 眞由美(おがわ まゆみ、1939年〈昭和14年〉12月… 小川 眞由美(おがわ まゆみ、1939年〈昭和14年〉12月11日 - )は、日本の女優。旧芸名および本名は小川 真由美。 東京府東京市足立区(現在の東京都足立区)出身。和洋女子短大国文科卒業。父親・丹真は戦前、田村秋子らが創立した劇団新東京に属した俳優。5歳よりバレエ、日本舞踊を習う。学生時代は永井荷風を愛読し、荷風の日記のとおり一日を過ごしてみたこともあったと語っている。また高校時代は足繁く歌舞伎に通い、三代目市川壽海の大ファンだった。[要出典] 1961年(昭和36年)、田村の推薦で文学座付属研究所を受験し合格、第一期研究生として入所する。同期に草野大悟、岸田森、寺田農、樹木希林らがいる。
朝比奈 愛子(あさひな あいこ、1939年11月22日 - … 朝比奈 愛子(あさひな あいこ、1939年11月22日 - )は日本の歌手、女優、作家、芸能企画プロデューサー。 1939年11月22日、東京府東京市目黒区大岡山に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の次女として生まれる。東京都立三田高等学校を中退。 1958年5月、姉の雪村いづみとのデュエット曲「シュガー・キャンデー」でデビュー。同年9月、「続々サラリーマン出世太閤記」で映画デビュー。 1988年、短編小説「赤土の庭」で中央公論社の第31回「女流新人賞」を受賞。 1993年、ミュージカル「クッキングガール」の原作を執筆。
加藤 みどり(かとう みどり、1939年〈昭和14年〉11月… 加藤 みどり(かとう みどり、1939年〈昭和14年〉11月15日 - )は、日本の声優、女優、ナレーター。東京府(現:東京都)出身。本名:伊藤 みどり(いとう みどり)。旧姓:加藤。 テレビアニメ『サザエさん』の主人公・サザエ役や、ドキュメンタリー・バラエティ番組『大改造!!劇的ビフォーアフター』におけるナレーションなどの仕事で知られる。 1939年、東京府(現在の東京都)に生まれる。 東京都立豊多摩高等学校卒業後、松竹歌劇団(SKD)の団員養成所・松竹音楽舞踊学校に13期生として入学。本来は水谷八重子に憧れ新派の女優を志しており、そのために必要な芸事が「いっぺんに安く教われる」と見込んでのことだった。
阿部 光子(あべ みつこ、1939年3月31日 - )は、日… 阿部 光子(あべ みつこ、1939年3月31日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。東京俳優生活協同組合所属。夫は俳優・声優の安田隆(1988年死別)。 1958年、東京都立新宿高等学校卒業。1959年、劇団東芸附属研究所に入所し、1960年に劇団員となる。1966年より東京俳優生活協同組合に所属。 趣味は手芸。特技は福島弁(会津弁)。ホールヘルパーの資格を持つ。
町田 祥子(まちだ ようこ、1939年2月2日- )は、日本… 町田 祥子(まちだ ようこ、1939年2月2日- )は、日本の女優。本名は同じ。 東京都豊島区巣鴨出身。十文字高等学校卒業。プロモーション・プラスワンに所属していた。 1956年に「ミス松竹」に選ばれ、松竹に入社。 翌1957年に映画「土砂降り」でデビュー。 1968年に劇団欅に参加。 特技は日本舞踊、清元。
仁木 多鶴子(にき たづこ、1939年1月3日 - 1983… 仁木 多鶴子(にき たづこ、1939年1月3日 - 1983年9月12日)は、日本の女優。本名は鶴田和子。 東京府(現東京都)出身。国立音楽大学附属中学校、附属高校を経て、国立音楽大学を中退後、1957年に大映に入社した。映画『猫は知っていた』に主演したのをきっかけに、仁木多鶴子と改名した。 人気絶頂期に、通算2244奪三振を記録した球史に残るプロ野球投手の小野正一(1933年9月30日 - 2003年3月19日)と結婚した。 1983年9月12日、クモ膜下出血で倒れ44歳で他界した。
野口 ふみえ(のぐち ふみえ、1938年10月13日 - )… 野口 ふみえ(のぐち ふみえ、1938年10月13日 - )は、日本の女優。東京都出身。調布高校卒[要出典]。本名は宇野ふみえ。夫は東宝のプロデューサー宇野博之[要出典]。
栗 葉子(くり ようこ、1938年9月21日 - )は、日本… 栗 葉子(くり ようこ、1938年9月21日 - )は、日本の声優、女優。東京都出身。本名及び旧芸名は村田 豊子(むらた とよこ)。 代表作に『ど根性ガエル』の吉沢京子役、『みなしごハッチ』のハッチ役、『小さなバイキングビッケ』のビッケ役などがある。 子供の頃から芸能が好きだったという。 1958年に東京都立富士高等学校を卒業後、NHK俳優養成所へ入所。1960年、同養成所卒業生により立ち上げられた劇団三十人会のメンバーの一人に加わり、後に河の会(劇団河)に移籍。 1960年、NHK総合テレビで放送されたアメリカドラマ『走れチェス』の主人公、ベルベット役で声優デビュー。 声種はソプラノ。NHKの学校放送や幼児番組、テレビアニメに多く出演し活動。
久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日… 久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日本の歌手、女優。本名は山崎 慈子(旧姓 - 栗原)。東京都墨田区出身。所属事務所はイーグル・ベイ。実弟は「トリオ・ザ・パンチ」で活躍した久里みのる。 共立女子高等学校卒業。ピーギャンヴォイスと称される独特な声で知られた。 元々オペラ歌手を目指しており、藤原義江が主宰する藤原歌劇団の研究科に入団。高校卒業後は劇団青春座、新作座を経て、1958年に20歳で女優としてデビュー。デビュー作は日本テレビのCMガール。以降、映画『渡り鳥シリーズ』『男はつらいよ』やテレビドラマ『あばれはっちゃく』シリーズのほか、毎日放送・東京12チャンネル(現在のテレビ東京)共同制作のワイドショー『ファミリースタジオ230』や中部日本放送の長寿番組『天才クイズ』の初代司会者も務めた。
村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月3… 村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月31日 - )は、日本の女優・詩人。身長162cm、体重50kg。 東京都出身。本名は南日英子。父は精神医学者の村松常雄、母方の祖父は田部隆次。実兄は文芸評論家の村松剛。兄の友人三島由紀夫の弟子で演劇活動を引き継いでいる。再従兄弟に当たる夫の南日恒夫(日本テレビ勤務の技師)は南日恒太郎(英語教育者)の孫。娘に女優の村松えり。 東京市淀橋区西大久保(現・東京都新宿区大久保)で誕生。学者一家の家庭に生れ、父・村松常雄の書斎で『マザーグース』『ペロー童話集』などを読み聞かされて育つ。芝居好きの祖母は英子を歌舞伎に連れていくこともあった。 日本女子大学附属豊明小学校の10歳の頃、兄・村松剛の影響で詩に親しみ、毎年夏に避暑に行く信濃追分で兄から『立原道造詩集』を買ってもらったのをきっかけに、自身も詩を書いたりするようになる。
曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006… 曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日)は、日本の女優、声優、歌手。東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。 東京府八王子市明神町でタバコ屋の娘として生まれる。一男三女の三女である。八王子市立第四小学校、八王子市立第五中学校、東京都立南多摩高等学校を経て、1955年に東京声専音楽学校を卒業。 あがり症を克服するため、日本ジャズ学校に通い、1956年に桑の実劇団に入団。同年にNHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後、1959年に伊藤道郎TV俳優養成所、1960年に東京アナウンスアカデミーアナウンス科及びCM科を卒業。
稲垣 美穂子(いながき みほこ、本名・丹野 美穂子(たんの … 稲垣 美穂子(いながき みほこ、本名・丹野 美穂子(たんの みほこ)、1938年2月20日 - 2024年8月6日)は、日本の女優・実業家。 東京都町田市出身。玉川学園小学部、玉川学園中学部、日本女子大学附属高等学校卒業、日本女子大学文学部国文科中退。 医師の父と看護師の母の間に、4人きょうだいの長女として原宿で生まれた。その後、父が開業することになり、町田市へ引っ越した。 夫は、『ハレンチ学園』等を撮った監督の丹野雄二。稲垣 光穂子の名義で活動した時期もある。甥の稲垣康治は2026年から町田市長を務める。
阪口 美奈子(さかぐち みなこ、1937年6月1日 - 20… 阪口 美奈子(さかぐち みなこ、1937年6月1日 - 2016年5月30日)は、日本の女優、声優。坂口 美奈子(読み同じ)名義での活動もある。劇団民藝に所属していた。東京都牛込区出身。 夫は俳優、声優の前田昌明。娘は舞踏家・振付師の前田新奈。 学校法人雙葉学園在学時、劇場公開されていた『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンを見たことで女優を志し、卒業後に劇団民藝へ入団。1950年代後半から舞台に立ち、同劇団の看板女優として活動。テレビドラマにも出演し、吹き替えでは声優としても活動した。 出産後の舞台で腰を痛めたことで、30代後半から活動は控えめになったという。2016年5月30日に死去。78歳没。
雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月… 雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月20日 - )は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。本名は朝比奈 知子(あさひな ともこ)。愛称は本名から「トン子」「トンちゃん」。 1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。 父・愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、幼少期のいづみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接して育った。1946年(昭和21年)、いづみが9歳の時、当時通信社に勤務していた父・愛三が自殺。
伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、… 伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、日本の女優、声優。東京市四谷区(現・東京都新宿区)出身。 東京都立戸山高等学校、早稲田大学教育学部歴史科卒業。 教員志望であったが、母親が新劇好きだった影響で学生劇団自由舞台に参加。自由舞台に入った理由は高校時代の先輩が在籍していたことから。 自由劇場の舞台を鑑賞した母親から「教師より俳優になった方が良いんじゃないかしら」と言われたことでプロの俳優となることを決める。1958年10月、NHKが設立した俳優養成所に入所。1960年、劇団三十人会の創立に参加し、1973年に同劇団が解散した後はフリーで活動。 夫は劇団俳優座の加藤剛。加藤とは「自由舞台」以来の付き合いである。
白木 万理(しらき まり、1937年2月23日 - )は、東… 白木 万理(しらき まり、1937年2月23日 - )は、東京都世田谷区出身の女優。本名は山口 澄子。旧芸名は白木マリ。
江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ… 江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)、1937年〈昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレント。 1937年(昭和12年)1月11日(月曜日)、東京市下谷区(現・東京都台東区入谷)に3男1女の末娘として生まれる。血液型はA型。 父・久保益雄は福岡県田川郡添田町の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりと、ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったと言われており、智恵美が生まれた頃は船のバンドマスター、吉本興業に所属していた。益雄はバンドマスターを経て吉本所属(東京吉本)の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務める。
有沢 正子(ありさわ まさこ、1937年1月6日 - )は日… 有沢 正子(ありさわ まさこ、1937年1月6日 - )は日本の女優。本名は篠山正子。大映時代は山内敬子を名乗る。
峯 京子(みね きょうこ、1936年11月12日 - )は、… 峯 京子(みね きょうこ、1936年11月12日 - )は、日本の女優。東京都出身。本名は成田美智子。
馬渕 晴子(まぶち はるこ、1936年〈昭和11年〉11月2… 馬渕 晴子(まぶち はるこ、1936年〈昭和11年〉11月2日 - 2012年〈平成24年〉10月3日)は、日本の女優。東京都出身。身長159cm、体重40kg。夫は井上孝雄(1994年死別)。次男は陶芸家の井上恵介。本名は井上明子(いのうえ はるこ)。 東京都立明正高等学校(現・東京都立芦花高等学校)在学中に日活にスカウトされ、1954年『女人の館』でスクリーンデビュー。1957年、NHK専属女優となり、小林千登勢・冨士眞奈美と「NHK3人娘」と呼ばれて人気を博す。 1960年に俳優の井上孝雄と結婚したことで一時芸能界を離れるが、1966年の『記念樹』で復帰する。 日本人女優として初めてヌードグラビアを披露しており、『アサヒカメラ』誌上での見事なヌードは話題を呼んだ。
沢 阿由美(さわ あゆみ、1936年9月14日 - )は、日… 沢 阿由美(さわ あゆみ、1936年9月14日 - )は、日本の女優。東京都出身。本名は中村 泰子。別芸名に中村 恭子(なかむら きょうこ)。 立教女学院高等学校卒業。1955年に松竹演技研究所に入り、1960年2月に現代劇場に入団。1963年2月に劇団新劇場の所属となる。その後は松竹芸能、新国劇、劇団鮎、衣笠プロダクションなどに所属した。創成期のテレビドラマに数多く出演した。
中原 ひとみ(なかはら ひとみ、1936年〈昭和11年〉7月… 中原 ひとみ(なかはら ひとみ、1936年〈昭和11年〉7月22日 ‐ )は、日本の女優。本名:土家 里子。愛称は「バンビ」。東京市(現東京都台東区)出身。アズユー所属。夫は江原真二郎。長男は土家歩、長女は土家里織。 共立女子高等学校中退。東映ニューフェイス第1期生として、東映へ入社。同期には山本麟一・高田敏江・南原宏治らがいる。1954年、映画『魚河岸の石松 女海賊と戦う』でデビュー。 『純愛物語』で原爆の後遺症で短い生涯を閉じるヒロインを演じ、1957年のキネマ旬報ベストテン第2位に入った。1958年6月25日、世界三大映画祭の一つ第8回ベルリン国際映画祭に出席のためドイツのベルリンへ出発。
川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日 - 19… 川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日 - 1969年1月19日)は、1960年代に文学座で活動した、日本の新劇女優。テレビ・ドラマや映画にも出演し、1960年には日本映画製作者協会新人賞を受賞した。 東京、銀座で、両親とも長唄の師匠という家に生まれる。 親類の田村秋子に影響を受け、女優を志し、共立女子学園高等部を卒業して俳優座養成所に入った(川口は、田村秋子の姪とする記述と、従妹とする記述がある)。 1959年に俳優座養成所を卒業し、文学座に入って研究生となり、同年9月の公演『黄色と桃色の夕方』で大役に抜擢された。 1960年には、映画『赤坂の姉妹より 夜の肌』に、映画初出演にして淡島千景、新珠三千代とともに主演し、この年の日本映画製作者協会新人賞を受賞した。
横山 通乃(よこやま みちの、1936年〈昭和11年〉4月1… 横山 通乃(よこやま みちの、1936年〈昭和11年〉4月16日 - )は、日本の女優。本名及び旧芸名、横山 道代(よこやま みちよ)。東京府出身。中山昭二は元夫。東京都立桜町高等学校卒業。 高校卒業後、小牧バレエ団、石井みどり舞踏団を経て、1954年、東京放送劇団に第5期生として入団。同年に『ヤン坊ニン坊トン坊』でデビュー。 里見京子・黒柳徹子と「三人娘」と呼ばれて人気を得る。 1958年に劇団を退団し東宝に入社 。同年に『奴が殺人者だ』で映画デビュー。その後は芸映に所属。 映画では若い頃は岡本喜八作品、壮年期以降は市川崑作品の常連。伊丹十三作品にも複数回起用されていた。 21世紀を目前に、「まだまだ道の途中」の意を込めて本名の横山道代から横山通乃へと改名。
叶 順子(かのう じゅんこ。本名:吉田順子(旧姓・中沢)、1… 叶 順子(かのう じゅんこ。本名:吉田順子(旧姓・中沢)、1936年1月21日 - )は、日本の女優。東京都中野区野方出身。 スッポン料理店主の娘として育ち、都立北野高校を卒業。1954年、ミス資生堂に選ばれ、同社に入社して勤務。その美貌を目にした同社の美容部長・藤原あき(後の参議院議員)の推薦で1956年、第10期ニューフェイスとして大映に入社。同期に田宮二郎がいた。 1957年、「朝の口笛」でデビュー。「透明人間と蝿男」に主演。1959年、島耕二監督の「細雪」の四女役を演じスターの仲間入り。以後、京マチ子、山本富士子、若尾文子の三大女優に次ぐスター女優として売り出され活躍。 1963年7月、人気のピークで引退。
九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 -… 九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 - 2014年4月30日)は、日本の女優、演劇、映画プロデューサー。東京都麻布出身。女優時代の芸名は九条映子(九條映子)。本名:寺山 映子(てらやま えいこ)。1963年から1970年まで寺山修司と婚姻関係にあった。
吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年〈昭和10年〉8月9… 吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年〈昭和10年〉8月9日 - 2025年〈令和7年〉9月2日)は、日本の女優、エッセイスト、俳人。東京府(現:東京都)出身。 父は作家の吉行エイスケ、母は美容師の吉行あぐり。兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人の吉行理恵。 2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごす。1948年3月、千代田区立番町小学校卒業。 父は和子が4歳のときに死去、母は美容師として働いていたため、ひどい喘息の発作が起こると、岡山県の祖父の元に預けられていた。 1954年、女子学院高等学校を卒業。なお、卒業前に劇団民藝付属水品研究所を受験して入所。女優になるつもりはなく、絵を描くことや裁縫は得意だったことから「衣装係にでもなれれば」と思って受験したところ、思いがけず女優候補として採用された。
団 令子(だん れいこ、1935年〈昭和10年〉3月26日 … 団 令子(だん れいこ、1935年〈昭和10年〉3月26日 - 2003年〈平成15年〉11月24日)は、日本の女優。京都府出身。長男は同じく俳優の団優太。京都府立鴨沂高等学校卒業。 1956年、ミス日本コンテスト「ミス着物」に選ばれる。これがきっかけとなり東宝のプロデューサー藤本真澄から映画界へと誘われる。 1957年に東宝へ入社。芸名は藤本真澄が作曲家の團伊玖磨から取って名付けた。 1959年より始まった「お姐ちゃんシリーズ」で健康的な現代娘をコミカルに演じて、人気を得る。同時期の映画では、中島そのみ、重山規子と共演することが多かった。また、クレージーキャッツ主演のクレージー映画シリーズにおいては、初期マドンナとして多数の作品に出演する。
喜多 道枝(きた みちえ、1935年〈昭和10年〉3月11日… 喜多 道枝(きた みちえ、1935年〈昭和10年〉3月11日 - 2024年〈令和6年〉11月6日)は、日本の女優、声優。 父は能楽シテ方喜多流十五世宗家喜多実。十六世宗家喜多六平太と喜多節世は兄である。 東京府(現・東京都)出身。 小さい頃から演劇が好きで役者を志す。 東京都立豊多摩高等学校卒業。 俳優座養成所第5期生。 劇団仲間、劇団四季、東京演劇集団「TES」、ユニオンプロ、プロダクション・エムスリーを経て、希楽星に所属していた。 2024年11月6日、東京都内の自宅で老衰のため死去。89歳没。同日の朝は同居する長男の出勤を見送る元気な様子を見せていたが、長男が帰宅したところ喜多が倒れているのを発見した。
根岸 明美(、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2008… 根岸 明美(、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2008年〈平成20年〉3月11日)は、日本の女優。本名は同じ。東京市麻布区出身。大妻高等女学校(現・大妻中学校・高等学校)中退。富士企画に所属していた。 高校中退後、1948年、日劇ダンシングチーム(6期生)に入団。母親の美代子は戦前に宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の宝塚歌劇団9期生の元タカラジェンヌだった。 1953年、アナタハンの女王事件をジョセフ・フォン・スタンバーグが映画化した際に、オーディションで見出されて『アナタハン』で主演デビュー。以後、映画、テレビを中心に活躍。 166cmと大柄で豊満でありながら引き締まった肢体で人気を集めたが「肉体派女優」と見られることを嫌って、演技を磨いて『赤ひげ』『どですかでん』などに出演。
森 今日子(、1934年3月4日 - )は、日本の女優。大連… 森 今日子(、1934年3月4日 - )は、日本の女優。大連市(現中華人民共和国遼寧省)出身(後に東京都へ引き揚げ)。東京都立三田高等学校卒業。 東宝第5期ニューフェイスとしてデビュー。同期には平田昭彦や青山京子がいた。 1950年代には本名の森 啓子名義で活動していたが、1959年より森 今日子へ改名した。 東宝の俳優専属システム崩壊後も、1970年代前半まで活動していた。
谷口 香(たにぐち かおり 、1934年1月11日 - 20… 谷口 香(たにぐち かおり 、1934年1月11日 - 2007年1月20日)は、日本の女優。旧姓・旧名は芸名と同じ:谷口香。本名は:丸山香、もしくは結婚後の本名は:関堂香 という典拠もあり、本名が丸山か関堂かは不明。 東京市(現東京都)出身。共立女子高等学校卒業。劇団昴に所属していた。 1953年に文学座研究生となる。 1963年に劇団雲創設に加わる。 1976年に福田恆存、小池朝雄らと共に劇団昴の結成に参加。 劇団の中心女優として活動する傍ら、映画・テレビドラマにも数多く出演した。 2006年12月、舞台の代表作である劇団昴『八月の鯨』公演前に体調を崩して降板し、2007年1月20日、直腸癌のため東京都内の病院で死去した。
波多野 ミキ(はたの みき、1934年 ‐ )は、日本の教育… 波多野 ミキ(はたの みき、1934年 ‐ )は、日本の教育者でカウンセラー、元女優、翻訳家。 夫は法学者の波多野里望、息子は小説家の波多野鷹。 高校卒業後、NHK劇団で女優となる。 読売新聞に掲載された記事をきっかけに波多野里望と知り合い結婚する。 社交上などからも大学での勉強の必要性を感じ、大学受験する。早稲田大学文学部仏文専修を卒業し、大学院に進学も、妊娠したため退学した。その後、東洋大学文学部教育学科へ学士入学、教育学士と社会教育主事の資格を取得する。義母の波多野勤子が創立した波多野ファミリースクールで副理事長に就任し、教育活動を行う。また、日本家庭福祉会理事長や東京家庭裁判所の家事調停協会副会長、日本尊厳死協会副理事長を務めたほか、国際法学者の里望と共に海外での活動経験も豊富である。
富永 美沙子(とみなが みさこ、1933年11月30日 - … 富永 美沙子(とみなが みさこ、1933年11月30日 - 1975年5月2日)は、日本の女優、声優。東京市豊島区雑司が谷町(現東京都豊島区雑司が谷)出身。父親は挿絵画家の富永謙太郎。 日本大学第二高等学校を経て、1949年、敷島高校を中退し松竹歌劇団に5期生として入団。同期には草笛光子がいる。その後はテアトル・エコー、現代座、劇団新劇場、赤坂プロに所属していた。 1955年頃からはテレビで活躍。初出演作はラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)の『おやゆび姫』。1959年に始まった『うちのママは世界一』で主役のドナ・リードを吹き替えて以降は声優としても活動し、ソフィア・ローレンやドリス・デイなどを吹き替えた。
ホキ 徳田(ホキ とくだ、1933年11月14日 - )は、… ホキ 徳田(ホキ とくだ、1933年11月14日 - )は、ピアニスト、歌手、女優。アメリカの文豪 ヘンリー・ミラーの8人目の妻として知られる。東京出身。 エスペランティスト・NHK解説委員の徳田六郎の長女として東京上野に生まれる。本名・浩子。母方は弓の達人那須与一の子孫にあたり、祖母は東京六本木の東洋英和女学院の創立者である。3歳からピアノと音楽を学び、桜美林高等学校卒業後、カナダの音楽学校アルマ・カレッジに留学。級友が「ヒロコ」をなまって「ホキ」と呼んだためこれを芸名とした。帰国後、1958年にコーラスグループ「スリーバブルス」としてデビュー。日劇ミュージックホールやテレビドラマ『サラリーマンの勲章』、『ザ・ガードマン』、映画『にっぽんぱらだいす』(1964年)、『怪談昇り竜』(1970年)などに出演する。
池内 淳子(いけうち じゅんこ、1933年(昭和8年)11月… 池内 淳子(いけうち じゅんこ、1933年(昭和8年)11月4日 - 2010年(平成22年)9月26日)は、日本の女優。 東京市本所区東両国(現:東京都墨田区両国)の塩物問屋の長女として生まれる。幼稚園はトモエ学園に通う。 1952年(昭和27年)、十文字高等学校卒業後、日本橋三越への入社試験に受かるも親の反対に遭う。しかし祖父の許しを得て無事に入社、配属された呉服売り場に後の女優・前田通子もおり、そこで2人の美貌が評判となる。1年余り勤めたのちに退社し、花嫁修業のため和裁と料理の学校(日本女子割烹専修学校(現:池袋調理師専門学校))へ通った。 1954年(昭和29年)、週刊芸能誌『サンケイグラフ』の第2回「カバーガール」に応募。
石原 まき子(いしはら まきこ、1933年7月23日 - )… 石原 まき子(いしはら まきこ、1933年7月23日 - )は、日本の芸能プロモーター、女優。石原裕次郎の未亡人で、石原プロモーションの代表取締役会長・石原裕次郎記念館元館長。 旧姓は荒井、愛称は「マコ」。結婚前は北原 三枝(きたはら みえ)の芸名で女優として活動したスターであった。 東京都目黒区出身。目黒区立第二中学校卒業後、NDT(日劇ダンシングチーム)に5期生として入団。1952年に退団後、松竹のニューフェイスに合格して入社。『カルメン純情す』で本格的なデビューを果たす。 1954年に、活動を再開した日活に引き抜かれる形で移籍。女優陣のエースとして活躍する。『狂った果実』(1956年)で後に結婚する一歳年下の石原裕次郎と初共演後、日活のドル箱コンビとして23作もの共演作が製作された。
淡路 恵子(あわじ けいこ、本名:井田 綾子(いだ あやこ)… 淡路 恵子(あわじ けいこ、本名:井田 綾子(いだ あやこ)、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)1月11日)は、日本の女優。 1933年(昭和8年)、東京・品川に生まれる。家は二階建ての借家だった。父は大日本帝国海軍の軍人だったが、胸を患って海軍省を辞め自宅療養していた。母は助産婦。 集団疎開先の富山県から一時荏原に戻った時、激しい空襲に遭った。そのため茨城県の母の親戚の所へ疎開に行き、田舎暮らしを体験。 府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)を受験、合格する。13歳の時、終戦の翌夏父親が他界。「女医にしたい」という母の願いをよそに、淡路はSKD(松竹歌劇団)に合格、卒業まであと数か月だったが第八高女を退学した。
久松 夕子(ひさまつ ゆうこ、1933年6月29日 - 20… 久松 夕子(ひさまつ ゆうこ、1933年6月29日 - 2026年2月11日)は、日本の女優、声優。本名は鴻巣孝子。東京府(現東京都)出身。最終所属は劇団青年座(1968年 - 2020年まで)。東京都立小松川高等学校卒業。夫は劇作家・演出家の福田善之。 2026年2月11日午後5時30分、老衰のため死去。92歳だった。