高野 雄一(たかの ゆういち、1916年11月3日 - 20… 高野 雄一(たかの ゆういち、1916年11月3日 - 2004年3月25日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。著書『国際組織法』(初版1961年)はこの分野の代表的な著作として知られる。 弁護士・高野弦雄の長男。1941年東京帝国大学法学部卒業、同助手。指導教官は横田喜三郎。1944年より外務省条約局勤務。1948年、法政大学教授。1949年、東京大学法学部助教授、1956年に教授。1977年定年退官後、上智大学法学部教授、1988年より八千代国際大学政治経済学部教授を務めた。1992年勲三等旭日中綬章受章。日本のポツダム宣言受諾を無条件降伏とする説に反対し、江藤淳を支持した。
笹間 良彦(ささま よしひこ、本名: 笹間 恒雄(ささま つ… 笹間 良彦(ささま よしひこ、本名: 笹間 恒雄(ささま つねお)、1916年10月6日 - 2005年11月5日)は、日本の歴史家、武具研究家。文学博士。 専門の武具関係を中心に、歴史・民俗に関する著書多数。 1916年、東京府東京市下谷区(現在の台東区)にて生まれる。1935年、埼玉県立浦和中学校卒業。 30歳前後から、武具、風俗史、民俗学研究の為、長期間日本全国を行脚し資料を収集する。以来半世紀以上にわたって歴史学研究を続ける事となる。甲冑研究の第一人者で、日本甲冑武具歴史研究会会長に就任し、武具の歴史研究で成果を上げた。その後も江戸時代の制度や司法に関する著作を著し、『江戸幕府役職集成』では海音寺潮五郎から推薦の辞を寄せられる。
柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日… 柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日 - 1996年〈平成8年〉2月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家、音楽学者。 東京府東京市神田区駿河台袋町(現:東京都千代田区神田駿河台)に生まれ、1945年まで東京府豊多摩郡大久保町字百人町(現:新宿区百人町)で暮らす。 1921年、東京女子高等師範学校附属幼稚園(現:お茶の水女子大学附属幼稚園)に入る。1923年、暁星小学校入学。1932年、暁星中学校から成城高等学校尋常科(現:成城大学)に編入。1933年、成城高等学校高等科理科甲類(英語クラス)に進んだ頃から、ピアノを岩井貞麿、ジェームス・ダンに、チェロを鈴木二三雄に、作曲を細川碧、諸井三郎に、指揮法を斎藤秀雄に師事。
澤田 允茂(さわだ のぶしげ、1916年9月26日 - 20… 澤田 允茂(さわだ のぶしげ、1916年9月26日 - 2006年4月14日)は、日本の哲学者、慶應義塾大学名誉教授。日本哲学会会長、日本科学哲学会会長を歴任。ヘーゲル批判を行ったことでも知られる。 1916年、東京府生まれ。愛媛県立松山中学校を経て、1934年3月、久留米市の福岡県立中学明善校を卒業。同年4月、慶應義塾大学に入学し、日吉の予科1期生となった。1940年3月、慶應義塾大学文学部西洋哲学科を卒業し、高等部の助手となった。 同年12月に陸軍に応召し麻布第3連隊に入隊。中国北部へ送られ、1941年1月、河南省の首都開封近隣に駐屯する第35師団の機関銃中隊に配属された。夏頃、保定に設けられた予備士官学校に入ったが、病気入院で卒業できず、乙種幹部候補生として原隊復帰し、軍曹となった。
浜口 隆一(はまぐち りゅういち、1916年3月26日 - … 浜口 隆一(はまぐち りゅういち、1916年3月26日 - 1995年1月2日)は、日本の建築評論家・建築史家。東京大学助教授等を経て、日本大学理工学部教授に就任。 東京生まれ。1938年東京帝国大学工学部建築学科卒業。丹下健三と共に前川國男建築設計事務所に入所。その後東京帝国大学大学院岸田研究室に進み、1943年に大学院修士課程修了。建築史の講師任用になるがいったん辞し、1948年東京大学助教授となるが、のち退官して評論家。1966年から1977年まで日本大学理工学部建築学科教授。
立見辰雄(たつみ たつお、1916年2月27日 - 1997… 立見辰雄(たつみ たつお、1916年2月27日 - 1997年10月17日)は、日本の鉱床学者・地球化学者。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1954年)(学位論文「宮崎県槙峰鉱山含銅硫化鉄鉱々床の地質と成因」)。東京大学教授を歴任。 陸軍大将・立見尚文の孫として立見子爵家の三男として生まれる。旧制成蹊高等学校を経て、1939年東京帝国大学理学部地質学科で、加藤武夫教授の指導を受けて鉱床学を専攻して卒業。兵役についた後、1942年東京帝国大学理学部助手となり、資源科学研究所などを経て、1949年から東京大学教養学部助教授。1954年に宮崎県槇峰鉱山の地質・鉱床の研究で東京大学から理学博士の学位を取得。
塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 200… 塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 2009年)は、歴史家、小説家。 山梨県生まれ。東京府立第七中学校(現東京都立墨田川高等学校)卒、日本大学卒。山梨県立甲府第一高等学校教諭。 京都の部落問題研究所に所属。下層の人間の歴史を研究した。『金印惑伝』では漢委奴国王印の金印を江戸時代の製作と主張した。
前田 直典(まえだ なおのり、1915年11月18日 - 1… 前田 直典(まえだ なおのり、1915年11月18日 - 1949年9月18日)は、日本の東洋史学者(モンゴル史・元朝史を研究)。京都市上京区生まれ。闘病・夭逝のため研究生活は短いものであったが、鈔法を始めとする元朝に関する実証的な研究、また中国史における新たな時代区分論を提唱したことで知られる。
常松 之典(つねまつ ゆきのり、1915年11月14日 - … 常松 之典(つねまつ ゆきのり、1915年11月14日 - 1980年5月10日)は、日本の微生物学者。東京大学医科学研究所の教授として、主にトキソプラズマの研究で知られている。医学博士。東京大学名誉教授。 1915年11月14日東京に生まれる。父は東京帝国大学を卒業し三菱重工で活躍した造船技師の常松四郎である。武蔵高等学校に学び、水泳部に所属していた。東京帝国大学医学部を卒業し整形外科に入局するが、胸を患ったことで予防を志し伝染病研究所で研究の道に就いた。 もともと伝染病研究所の第7研究部において髄膜炎菌や淋菌の研究に携わっていたが、1952年ごろから部長である長谷川秀治が着手したトキソプラズマの研究の中核を担った。
島田 正郎(しまだ まさお、1915年9月29日 - 200… 島田 正郎(しまだ まさお、1915年9月29日 - 2009年11月23日)は、日本の東洋史学者・法制史学者。学位は、法学博士(明治大学・論文博士・1951年)(学位論文「遼令の研究」)。元明治大学総長。東京市麹町区生まれ。 旧制明治中学校(現:明治大学付属明治高等学校)を卒業し、1939年に東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業。北京に留学し、41年に帰国。 1942年、東方文化学院(東京研究所)研究員。1947年、東京大学東洋文化研究所所員。1948年、明治大学専門部法律科講師。明治大学専門部法律科助教授。1951年、明治大学法学部教授。同年、「遼令の研究」で法学博士(明治大学)の学位を取得。
石川 馨(いしかわ かおる、1915年 <大正4年> 7月1… 石川 馨(いしかわ かおる、1915年 <大正4年> 7月13日 - 1989年 <平成元年> 4月16日)は、日本の化学工学者。工学博士。東京大学名誉教授、東京理科大学教授、武蔵工業大学(現東京都市大学)元学長。位階は正四位。旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長の石川一郎は父。鹿島建設会長、日本商工会議所会頭の石川六郎は弟。 東京都出身。1928年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1933年に同附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、中村光夫(文芸評論家)、島田秀夫(日本サッカー協会名誉会長)、小川平四郎(初代駐中国大使)などがいる。
塩野 宜慶(しおの やすよし、1915年5月23日 - 20… 塩野 宜慶(しおの やすよし、1915年5月23日 - 2011年1月22日 )は、日本の法律家。法務事務次官、東京高等検察庁検事長、最高裁判所判事を歴任。司法大臣を務めた塩野季彦の長男。子に最高検検事、福島地検検事正等を務めた健彦(中央大学法学部卒業)がいる。 父季彦の実家、山寺家は旧松代藩士の家系。本籍地の長野県松代町で出生、東京市で育つ。 東京府立第一中学校、府立高等学校を経て、1939年(昭和14年)に東京帝国大学法学部を卒業する。高等文官試験司法科(現在の司法試験に相当)に合格し、検察官に任官した。東京地検刑事部長、東京地検公判部長、法務総合研究所第一部長、甲府地検検事正、東京地検検事正を歴任。
臼田 甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月… 臼田 甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月25日 - 2006年〈平成18年〉10月26日)は、日本の国文学者・民俗学者・歌人(雅号:碧洋)。文学博士(國學院大学・論文博士・1961年)(学位論文「日本歌謡の文学史的民俗学的考察」)。國學院大學名誉教授。 東京都大田区生まれ。東京府立第一中学校を経て、1937年國學院大學文学部卒。柳田國男、折口信夫、河野省三らに師事[要出典]。1953年國學院大學文学部助教授、1957年同教授。1961年「日本歌謡の文学史的民俗学的考察」で國學院大学より文学博士の学位を取得。1985年定年退職、同大学名誉教授。1990年、勲三等瑞宝章受章。学外では日本学術会議会員や歌謡学会会長などを歴任した。
高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1… 高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1985年6月30日)は、日本の物理学者。日本のコンピュータのパイオニア。理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。文化功労者。正四位勲二等旭日重光章に叙される。東京府豊多摩郡代々幡村(現・東京都渋谷区代々木)生まれ。 父の高橋穣は、心理学者・倫理学者で東北帝国大学教授や学習院大学教授を務めた。心理学者・元良勇次郎の孫。船舶工学者・元良誠三の従兄。 1937年に東京帝国大学(現・東京大学)理学部物理学科を卒業し、助手に就任。1942年に助教授に、1957年に教授に昇任した。 早くから電磁気学、特に回路論的思考を深く身につけ、分野にとらわれない自由な発想で数多の卓越した研究を行った。
磯野 友彦(いその ともひこ、1915年 - 1986年11… 磯野 友彦(いその ともひこ、1915年 - 1986年11月9日)は、日本の哲学者。 東京出身。成蹊小学校、東京市立第一中学校、正則中学校、早稲田大学文学部哲学科卒、同文学部助教授、教授、85年定年、名誉教授。1966年『哲学逍遥 懐疑主義と動物的信』(ジョージ・サンタヤーナ)で日本翻訳文化賞受賞。
宮原 将平(みやはら しょうへい、1914年(大正3年)12… 宮原 将平(みやはら しょうへい、1914年(大正3年)12月17日 - 1983年(昭和58年)1月31日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(北海道大学・1943年)(学位論文「半導体の強磁性の理論について」)。北海道大学名誉教授。日本物理学会会長。 東京出身。1933年旧制東京高等学校卒、1937年北海道帝国大学理学部物理学科卒業。東北帝国大学金属材料研究所で本多光太郎の下で研究。1943年「半導体の強磁性の理論について」で北海道大学より理学博士の学位を取得、名古屋帝国大学理学部助教授、1949年北海道大学教授、1978年定年退官、名誉教授、中央大学商学部教授。固体物性論が専門、半導体の強磁性を電子論の観点から研究した。
今井 秀喜(いまい ひでき、1914年9月5日 - 2014… 今井 秀喜(いまい ひでき、1914年9月5日 - 2014年5月17日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。 父、今井登志喜は東京帝国大学文学部の学部長を務めた歴史学者。 東京府立第五中学校(現:都立小石川高等学校)から(旧制)第一高等学校を経て,1939年東京帝国大学理学部地質学科を卒業、同工学部助手となる。1944年助教授、1958年教授に昇進し、鉱山学科応用地質学第一研究室を担当した。1958年東京大学より工学博士の学位取得。学位論文の表題は「本邦における銅・亜鉛・鉛鉱床の地質構造、共生関係並びに成因に関する研究」。1975年定年退官し、名誉教授となる。 1987年、勲三等旭日中綬章を受章。
三浦 一郎(みうら いちろう、1914年6月6日 - 200… 三浦 一郎(みうら いちろう、1914年6月6日 - 2006年3月13日)は、日本の西洋史学者・エッセイスト。元茨城大学教授、上智大学名誉教授。 東京府豊島師範学校附属小学校、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学西洋史卒業。 戦後新制成蹊高等学校教諭を経て、茨城大学助教授、1966年同大学教授、1970年上智大学教授、1980年同大学特別待遇教授、1985年退職、同大学名誉教授。ギリシア古代西洋史を専門とするが、『世界史こぼれ話』が角川文庫に収められて人気を博した。 没年91。葬儀は日本基督教団高輪教会、喪主は長男の三浦久利夫(くりお)。
井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 199… 井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。
天野 慶之(あまの けいし、1914年4月1日 - 2002… 天野 慶之(あまの けいし、1914年4月1日 - 2002年10月31日)は、日本の水産学者。東京都町田市出身。 水産講習所(現東京海洋大学)卒。1975年より東京水産大学教授。1977年から1979年まで日本冷凍協会会長。1979年から1985年まで東京水産大学学長。 1953年に発表した『主婦の食品手帖 五色の毒』は、日本で初めて食品添加物の有害性を警告したとされている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
有倉 遼吉(ありくら りょうきち、1914年2月20日 - … 有倉 遼吉(ありくら りょうきち、1914年2月20日 - 1979年6月10日)は、日本の法学者。専門は、憲法学・教育法学。学位は、法学博士(1960年)(学位論文「公法における理念と現実」)。元早稲田大学法学部教授。 厳格な法実証主義による解釈を行った。閣議の議決方法については、多数決説を、憲法判断の回避の問題では、憲法判断先行説をとる。教育基本法の法的性格として、準憲法的法律説を提唱、日本教育法学会の初代会長を務めるなど、教育法学の理論形成に大きく貢献した。中国大連市(当時)生まれ。
北園 孝吉(きたぞの こうきち、1914年2月13日 - 1… 北園 孝吉(きたぞの こうきち、1914年2月13日 - 1984年12月)は、日本の作家、歴史家。 東京市日本橋区本町 (現・中央区日本橋室町) の提灯屋・大和屋四代目の家に生れる。彼の父は、番傘や提灯などにさまざまな書体や紋章を施す筆耕職人であった。9歳のとき、関東大震災を経験。 1937(昭和12)年10月、「明日はお天気」が第21回サンデー毎日大衆文芸賞に入選し作家デビュー。『新青年』や『宝石』などに執筆した。ユーモア小説、風俗小説、時代小説を書いた。ほか歴史ノンフィクションも書いている。 1958(昭和33)年1月刊行の『おとぼけ侍』 (和同出版社) を原作として、1961(昭和36)年6月公開の映画『橋蔵の若様やくざ』(河野寿一/監督、東映)が製作されている。
岩崎 武雄(いわさき たけお、1913年11月10日 - 1… 岩崎 武雄(いわさき たけお、1913年11月10日 - 1976年10月20日)は、日本の哲学者、元東京大学文学部名誉教授。専門は、ドイツ観念論。
前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 198… 前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 1982年1月16日)は、工芸研究家、東京芸術大学名誉教授。日本金工史、東洋工芸史、工芸論を講じた。 鋳金家・田中後次の子として東京府大森町(現東京都大田区)に生まれる。東京府立第五中学、松本高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部宗教史学科卒。東京帝室博物館、大阪市立美術館勤務、東京美術学校助教授、1959年東京芸大教授。77年定年退官、名誉教授。文化財保護審議会専門委員、日本伝統工芸展鑑査委員。
阿閉 吉男(あとじ よしお、1913年8月28日 - 199… 阿閉 吉男(あとじ よしお、1913年8月28日 - 1997年8月20日)は、日本の社会学者。名古屋大学名誉教授、創価大学名誉教授。 東京出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て1937年東京帝国大学文学部社会学科卒。名古屋大学文学部助教授、1960年教授、1977年定年、創価大学教授。1993年退職。 ジンメル、マックス・ヴェーバーを研究。1970年日本社会学会会長。1980年「ジンメル社会学の方法」で日本学士院賞受賞。
神谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年 <大正2年> 7月… 神谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年 <大正2年> 7月23日 - 1999年 <平成11年> 1月10日)は日本の生物学者。専門は植物学、細胞生理学。位階は正四位。 東京府で生まれる。府立高等学校を経て、東京帝国大学(現・東京大学)理学部植物科を卒業後、同大学講師となる。1948年に同大学で理学博士号を取得後、1949年に大阪大学理学部教授に就任。1946年の東京大学講師在任中に神谷美恵子と結婚した。1977年に大阪大学名誉教授となり、基礎生物学研究所教授に転身する。1972年 - 1973年に日本植物生理学会会長を務めたほか、国際細胞生物学連合会会長を歴任した。1971年に日本学士院賞を受賞しており、1981年に日本学士院会員に選任された。
國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7… 國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7月21日 - 2004年(平成16年)7月7日)は、昭和から平成時代の土木工学者。国分青崖の孫。 東京府に生まれる。旧制七年制高等学校の旧制東京高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、東京府に出仕する。1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)まで兵役に就く。1943年(昭和18年)東京帝国大学助教授を経て、1950年(昭和25年)吉田徳次郎の後任として東京大学教授となり、1974年(昭和49年)定年退官した。同年、武蔵工業大学教授に転じ1984年(昭和59年)まで務め、ついで足利工業大学顧問教授となった。
井本 農一(いもと のういち、1913年3月30日 - 19… 井本 農一(いもと のういち、1913年3月30日 - 1998年10月10日)は、日本の国文学者・俳人、お茶の水女子大学名誉教授。実践女子大学第8代学長で、勲二等瑞宝章受章者。 1913年、山口県新南陽市(現周南市)に生まれた。1933年、旧制成蹊高等学校文科甲類を卒業。1936年、東京帝国大学文学部国文科を卒業。 卒業後は、お茶の水女子大学教授をつとめた。1961年、学位論文『蕉風を中心としたる俳諧史の問題的研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1976年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。その後も聖心女子大学教授として教鞭をとり、1984年からは実践女子大学第8代学長をつとめた。
太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - … 太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - 2007年1月19日)は、日本の建築史家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。九州芸術工科大学学長等をつとめた。 1912年、東京生まれ。誠之小学校を経て、1932年旧制武蔵高等学校を卒業。この頃から建築史に関心を深め、奈良・京都の古建築に親しんだ。1935年、卒業論文「東大寺南大門の研究」を提出して、東京帝国大学工学部建築学科を卒業した。 1937年、妙成寺国宝建造物修理事務所助手となり、1939年、法隆寺国宝保存工事事務所助手となる。1943年、東京帝国大学助教授に就任。1960年、東京大学教授。1957年、学位論文『中世建築の基礎的研究』を東京大学に提出して工学博士の学位を取得。
山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1… 山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1997年8月17日)は、日本の哲学者。東大名誉教授。臨済宗の僧侶。谷中・興禅寺先住職。
安藤 正一(あんどう しょういち、1912年8月20日 - … 安藤 正一(あんどう しょういち、1912年8月20日 - 1995年3月22日 )は日本の歯科医師、歯学者。 東京出身。1930年、旧制日本大学中学校(現・日本大学第一高等学校)卒業、1934年日本大学専門部歯科卒業。1964年、日本大学歯学部歯科放射線学講座第3代教授。1973年から1977年まで日本大学歯学部付属歯科病院長。 日本歯科放射線学会会長、総務理事、日本歯科医学会副会長などを歴任した。 1995年3月22日、心筋梗塞のため死去。
鈴木 三郎(すずき さぶろう、1912年7月28日 - 19… 鈴木 三郎(すずき さぶろう、1912年7月28日 - 1997年9月23日)は、日本の哲学者。横浜市立大学名誉教授。 広島県出身。1936年東京帝国大学文学部哲学科卒。1961年「ヤスパースにおける実存倫理学の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。横浜大学[疑問点 – ノート]助教授、校名変更で横浜市立大学教授を務め、1978年定年退官、名誉教授。 1950年12月、草薙正夫・武藤光朗・金子武蔵らとヤスパース協会創立のための準備会を開き、翌年2月23日(2月23日はヤスパースの誕生日)発足、理事長を務めた。
糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 19… 糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットに始まるロケット開発や宇宙開発を先導し、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。 小惑星探査機「はやぶさ」が調査を行ったことでも知られる小惑星「イトカワ」は、糸川英夫にちなんで命名された。 1912年、東京市麻布区(現在の東京都港区西麻布)で生まれる。小学校では六本木、中学校からは東京青山に育った。教育者の家庭であり父は麻布の笄小学校の教師であった。英夫という名は、1912年の東大銀時計卒業者(首席)の鳩山秀夫にちなみ、秀才好きの父に命名された。越境入学で麻布の南山小学校に学び飛び級で卒業した。
吉永 榮助(よしなが えいすけ、1912年3月20日 - 1… 吉永 榮助(よしなが えいすけ、1912年3月20日 - 1998年9月28日)は、日本の法学者。専門は、商法・経済法。学位は、法学博士(一橋大学)。一橋大学名誉教授。東京出身。 1929年府立第七中学校(現・東京都立墨田川高等学校)卒業。東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1934年司法試験合格(旧制)。1935年東京商科大学商学部卒業。商学部助手。民法学の岩田新ゼミナール出身だったが、岩田が白票事件で退官すると、田中誠二に師事して商法研究に転じた。また、大平正芳(のちに内閣総理大臣)や武野義治(のちに初代駐イスラエル大使)、小島太作(のちに駐インド大使)、富樫総一(のちに労働事務次官)らと、憲法の田上穣治講師や国際法の大平善梧教授が中心となっていた研究会にも参加した。
中村 哲(なかむら あきら、1912年2月4日 - 2003… 中村 哲(なかむら あきら、1912年2月4日 - 2003年8月10日)は、日本の政治学者、憲法学者。法政大学総長、参議院議員。父方の叔母に竹越光代(婦人運動家、歴史家・政治家竹越与三郎の妻)がいる。 東京府出身。府立三中、旧制成城高等学校(現成城大学)を経て、1934年に東京帝国大学法学部卒業(美濃部達吉門下生)。台北帝国大学文政学部の助教授・教授を経て、戦後我妻栄の引きで法政大学法学部教授に。法学部長・常務理事を歴任し、1968年に法政大学総長となった。 総長就任時は学生運動が激しく、学内で内ゲバ殺人事件(海老原事件)が発生するなど危機的な状況にあったが、警官隊の学内導入をほのめかした秦野章警視総監と対立しながらも大衆団交を繰り返し、終に警官隊を導入することなく事態を乗り切った。
来栖 三郎(くるす さぶろう、1912年1月1日 ‐ 199… 来栖 三郎(くるす さぶろう、1912年1月1日 ‐ 1998年10月1日)は、日本の民法学者。東京大学名誉教授。1983年から日本学士院会員。穂積重遠門下。弟子に安達三季生、山田卓生、石田穣、中山信弘など。 台湾新竹州新竹市生まれ。研究に専念するため学会の理事職等は引き受けなかった。生涯独身であったため、研究を義姉が支えた。大変謙虚な性格で、日本学士院会員に推薦された際も躊躇するほどだったという。 同僚であった川島武宜を尊敬するといって憚らず、川島をして天才と言わしめた。そのため、両教授の門下が重複することしばしばであった。 川島、加藤一郎とともにセツルメント法相部の指導教授として活動し、稲本洋之助が社会学へ進む道筋をつけた。
石井 正之助(いしい しょうのすけ、1912年 - 1990… 石井 正之助(いしい しょうのすけ、1912年 - 1990年)は、英文学者、東京学芸大学名誉教授。東京都生まれ。麹町小学校、旧制豊山中学校を経て、1935年東京外国語学校英語部卒業、50年文部省内地研究員として東京文理科大学在籍。51年ガリオア留学生として米国オハイオ州立大学大学院に学ぶ。69年「ロバート・ヘリック研究」で東京教育大学文学博士。東京学芸大学教授、76年定年退官、名誉教授、白百合女子大学教授。83年退職。
森 有正(もり ありまさ、1911年11月30日 - 197… 森 有正(もり ありまさ、1911年11月30日 - 1976年10月18日)は、日本の哲学者、フランス文学者。 東京府豊多摩郡淀橋町角筈(現・東京都新宿区西新宿)生まれ。明治時代の政治家森有礼の孫に当たる。父の森明は有礼の三男で、有馬頼寧の異父弟、キリスト教学者、牧師。母は伯爵徳川篤守の娘。祖母寛子は岩倉具視の五女。妹は世界平和アピール七人委員会の委員を務めた関屋綾子。 生後間もない1913年に洗礼を受けてクリスチャンとなり、6歳からフランス人教師のもとでフランス語、後にラテン語を学んだ。暁星小学校・暁星中学校から東京高等学校 (旧制)を経て1938年に東京帝国大学文学部哲学科を卒業(卒論は『パスカル研究』)、同大学院を経て東京帝国大学の特研生、副手、助手を歴任。
久保 正幡(くぼ まさはた、1911年11月26日 - 20… 久保 正幡(くぼ まさはた、1911年11月26日 - 2010年1月20日)は、日本の法制史学者。東京大学名誉教授。西洋法制史専攻。 栃木県出身。1931年に武蔵高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部入学。1934年に法律学科を卒業。助手を経て、1936年に助教授、1946年教授。1951年「サリカ法典」で日本学士院賞受賞。1954年「フランク時代におけるゲルマン法とローマ法」で東京大学法学博士。1965年東大法学部長。1972年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。1982年退職。日本学術会議会員、宗教法人審議会委員。
小寺 明(こてら あきら、1911年11月2日 - 2001… 小寺 明(こてら あきら、1911年11月2日 - 2001年9月28日)は、日本の化学者。専門は、高分子化学。東京教育大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学)。東京生。 この他に、東京教育大学理学部長、東京教育大学評議員、中央大学法学部通信教育課程兼任講師、日本化学会副会長、日本学術会議議員を歴任。
早瀬 喜太郎(はやせ きたろう、1911年10月22日 - … 早瀬 喜太郎(はやせ きたろう、1911年10月22日 - 1977年3月17日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。北海道奥尻島生まれ。 1929年旧制東京府立第五中学校を卒業後、朝鮮の金山や日本の喜茂別・大土森鉱山などに勤務。1940年早稲田大学理工学部採鉱冶金学科に入学、1943年に同学科を修業、1945年に早稲田大学専門部工科講師となる。1949年4月新制大学発足に伴い理工学部鉱山学科講師となり、同年10月助教授に昇進。1950年同大学より工学博士の学位取得。博士論文の表題は「松尾硫黄鉱床の成因と採鉱」。退任まで鉱物学実験・岩石学実験などを担当、該博な知識と長年の実務経験を生かし、多くの学生を育てる。
澤柳 大五郎(沢柳 大五郎、さわやなぎ だいごろう、1911… 澤柳 大五郎(沢柳 大五郎、さわやなぎ だいごろう、1911年8月23日 - 1995年11月3日)は、日本の美術史家。東京教育大学名誉教授。 東京生まれ。父は明治・大正期の教育官僚、教育者の澤柳政太郎。 西洋美術研究を開拓した児島喜久雄(東北帝国大学・東京帝国大学教授)の弟子の一人で後継者。 木下杢太郎(太田正雄)の研究・著作画集の編集を行った。新書などを除き歴史的仮名遣いで著訳書を刊行した。 弟子・同僚らによる『アガルマ 澤柳先生古稀記念美術史論文集』(同編集委員会編、同朋舎出版、1982年)がある。 (古田光、藤田健治、木田献一、屋形禎亮、澤柳大五郎、廣川洋一、中野幸次、秀村欣二、兼岩正夫、清水富雄、裾分一弘、下村寅太郎、西沢龍生、永井博による共編著) (澤柳大五郎、関根正雄、村治能就、浅野順一、中野幸次、秀村欣二、兼岩正夫、清水富雄、渡辺金一、下村寅太郎、西沢龍生、藤田健治、永井博による共編著)
藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997… 藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997年1月31日)は、日本のドイツ語学者、東京外国語大学名誉教授。 東京都生まれ。1931年武蔵高等学校卒業、東京帝国大学法学部入学、1935年同文学部独文科卒業、大学院進学、副手、1936年武蔵高校教授、1938年広島高等学校教授、1942年東京外国語学校教授、東京外国語大学助教授、1956年教授、1973年定年退官、麗澤大学教授、1982年退職。
氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 19… 氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 1986年9月16日)は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。ドイツ文学、比較文学、比較文化専攻。妻は南原繁の長女で歌人であった待子。
三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) … 三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) 2月15日 - 1989年 (平成元年) 10月27日) は、日本の哲学者、言語学者、マルクス主義者。弁証法を武器とし、在野の理論家として、認識論、言語論、芸術論、組織論、人生論など、幅広い分野において、活発な研究を続けた。 本名、三浦二郎。1911年、父松五郎、母志津江の次男として、東京都小石川区に生まれる。1925年、東京府立工芸学校印刷科に入学、1927年中退。1928年17歳、窪田商会に就職、その後、フィリップス日本ラジオに入社。印刷工をしていた兄の影響を受け、マルクス主義を学び始める。1933年、このころ勤めを辞め、ガリ板製版で生計を立てるようになった。
宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5… 宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者・中国哲学研究者・国語学者。 学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学名誉教授。尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。斯文会理事長、日本中国学会理事長、日本会議顧問、スパイ防止法制定促進国民会議議長、世界平和教授アカデミー常任理事、国際勝共連合代表世話人、全国勝共教授団副会長などを歴任。 1910年(明治43年)、宇野哲人の長男として東京に生まれる。1923年(大正12年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1928年(昭和3年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月… 磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月29日 - 2004年〈平成16年〉)は、日本の法学者。民法、法社会学を専攻し、東京教育大学文学部教授などを歴任した。 1910年、東京に生まれる。旧制武蔵高校を経て東京帝国大学法学部に進む。1934年に卒業後同大学院に進学し民法を専攻、1939年に修了した。大学院修了後、地租改正資料整備会委員になり、同年10月から、国際文化振興会で、『英文日本百科事典』の編集に携わる。1941年に社会事業研究所に入所し、1943年から日本敗戦まで、北京近郊河北口の西北研究所員として、モンゴルで調査研究をした。敗戦のためウランバートルで抑留生活を送る。
江上 不二夫(えがみ ふじお、1910年11月21日 - 1… 江上 不二夫(えがみ ふじお、1910年11月21日 - 1982年7月17日)は日本の生化学者。戦後日本の生化学を牽引した一人。日本学術会議会長、国際生命の起源学会会長等を務めた。東京生まれ。考古学者江上波夫は兄。
本山 政雄(もとやま まさお、1910年(明治43年)10月… 本山 政雄(もとやま まさお、1910年(明治43年)10月10日 - 2009年(平成21年)5月11日)は、日本の教育学者、政治家。元名古屋市長(3期)。名古屋大学名誉教授。 東京都出身。東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)、府立高等学校(東京都立大学 (1949-2011)の前身)卒業。東京帝国大学文学部に入学。読書や勉学ではヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチやジャン=ジャック・ルソーに親しんだが、教育学を学ぼうという意思は特別なかったという。友人のすすめで教育学科を専攻することとなり、教育学者の阿部重孝から直接指導を受けた。1935年に大学を卒業し、大学院に進んだ。 1937年に召集。
中山 恒明(なかやま こうめい、1910年9月25日 - 2… 中山 恒明(なかやま こうめい、1910年9月25日 - 2005年6月20日)は、日本の外科医、外科医学者。 山梨県白州町に医師中村進の長男として生まれる。東京出身。旧制新潟高等学校卒。1934年、千葉医科大学卒。瀬尾貞信の元で学ぶ。1936年、同助手。1938年、医学博士。1947年、千葉医科大学教授、のち組織改編により千葉大学医学部教授。1964年、国際外科学会の「世紀の外科医賞」を受賞。1965年、東京女子医科大学客員教授。同大に消化器病センターを設立。同年中山癌研究所を創設。1966年ベルツ賞1等賞を受賞。日本消化器外科学会会長、国際外科学会会長。1991年、がん医学の中山恒明賞を創設。