熱田 隆介(あつた りゅうすけ、1996年8月17日 - )… 熱田 隆介(あつた りゅうすけ、1996年8月17日 - )は、日本の東京都を拠点に活動している6人組YouTuber「アイルトンモカ」のメンバー、ボディビルダーである(3か月間のボディービルディングのコーチングサービスを提供する「フィジークの学校」に所属していた)。中学生時代から野球をやっており、中学生の時に2回全国大会(リトルシニア)に出場している。当時からのポジションは、内野手。 中学1年生(2009年)から、本格的に野球をやり始めた。当初は、東練馬リトルシニアに所属しており、2011年にリトルシニア全国選抜野球大会の二回戦目また、リトルシニア日本選手権大会に出場しており、リトルシニア日本選手権大会では準決勝という成績を収めている。
千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ、1988年11月1… 千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ、1988年11月14日 - )は、東京都荒川区町屋出身(出生地は葛飾区)で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は明月院 秀政(めいげついん ひでまさ)。身長181cm、体重190kg。最高位は西小結(2014年9月場所、2018年3月場所)、血液型はA型。好物は寿司(特に光もの)、焼肉、カルピス。嫌いなものは納豆とあんこ。趣味はトレーニング。好きな言葉は「温故知新」。都立高校出身者として初めての関取であった。 小学6年生の時にわんぱく相撲の大会で1回戦負けして帰ろうとしていたところ相撲を習うよう勧誘されて白鳥相撲教室で相撲を習い始める。当時の稽古の様子を本人は「白鳥公園に土俵がある白鳥相撲教室では、屋根が土俵の上にしかないので、雪が降ったら土俵はぐちゃぐちゃ、雨が降ったら滑って泥まみれ。
皇風 俊司(きみかぜ としじ、1986年9月23日 - )は… 皇風 俊司(きみかぜ としじ、1986年9月23日 - )は、東京都調布市出身で尾車部屋に所属していた元大相撲力士。本名は直江 俊司(なおえ としじ)。現役時代の体格は身長182cm、体重135kg。得意技は突き・押し。とっさの変化も得意としていた。最高位は西前頭13枚目(2012年5月場所)、血液型はB型。 調布市の木工店に生まれ、小学4年次にわんぱく相撲調布場所で優勝したことをきっかけに府中住吉相撲道場で本格的に相撲を始める。この時指導したのは元幕内・境澤にも指導をしたことのある布施美樹。明治大学付属中野高校3年次に国体予選にて個人優勝、団体優勝を果たす。その後は早稲田大学に進学、2年次に東日本学生相撲選手権大会で団体3位となる。
大翔湖 友樹(だいしょううみ ともき、1984年4月21日 … 大翔湖 友樹(だいしょううみ ともき、1984年4月21日 - )は、東京都江東区出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。身長178cm、体重148kg。本名は森 友樹(もり ともき)。最高位は東十両10枚目(2009年1月場所)。
北太樹 明義(きたたいき あけよし、1982年10月5日 -… 北太樹 明義(きたたいき あけよし、1982年10月5日 - )は、東京都町田市出身の山響部屋(入門時は北の湖部屋)に所属していた元大相撲力士。本名は讃岐 明義(さぬき あけよし)。現役時代の体格は身長184cm、体重150kg、血液型はB型、星座は天秤座。得意手は左四つ、寄り、うっちゃり。最高位は東前頭2枚目(2013年5月場所)。締め込みの色は緑。現在は年寄・小野川。YouTuber。 東京都町田市出身。町田市立原小学校(現・町田市立本町田小学校)、町田市立町田第三中学校卒業。 小学校1年から4年まで水泳、3年から5年までサッカー(ポジションはGK、通っていたクラブの先輩に北澤豪がいる)、3年から6年まで柔道を経験。
大道 健二(だいどう けんじ、1982年8月21日 - )は… 大道 健二(だいどう けんじ、1982年8月21日 - )は、東京都葛飾区出身で阿武松部屋に所属していた元大相撲力士。本名は中西 健二(なかにし けんじ)、愛称はケンちゃん。身長187cm、体重172kg、血液型A型。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は東前頭8枚目(2012年9月場所)。現在は年寄・阿武松。阿武松部屋の師匠として後進の指導に当たっている。 姉の勧めで小学校4年生の時から葛飾区の白鳥相撲教室で相撲を始め、目黒学院高校ではインターハイに出場、専修大学では東日本体重別無差別級優勝という実績を残した。なお、2年時に母が癌で死去するという苦難を経験している。当初はプロ志望では無かったが希望の進路に進めなかったこともあり、大学卒業後は阿武松部屋に入門して2005年3月場所に初土俵を踏んだ。
魁将龍 邦昭(かいしょうりゅう くにあき、1979年7月3日… 魁将龍 邦昭(かいしょうりゅう くにあき、1979年7月3日 - )は、東京都江東区出身で友綱部屋所属の元大相撲力士。本名は、西野 邦昭(にしの くにあき)。大相撲時代の体格は身長196cm、体重149kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西幕下6枚目(2004年7月場所)。 大関・魁皇の付け人を務め、懐の深い取り口で投げも得意とした。趣味は読書、スポーツ観戦、映画鑑賞。好きな食べ物は和食。スポーツ歴はバスケットボール、野球、柔道。 1995年3月場所、本名西野の四股名で初土俵、同期生には小結・栃乃花、幕内・大碇、十両・豊乃國らがいる、一番出世を果たし2003年9月場所から連続して勝ち越し、2004年7月場所は自己最高位の西幕下6枚目まで番付を上げた。
木村 吉二郎(きむら きちじろう、1977年12月10日 -… 木村 吉二郎(きむら きちじろう、1977年12月10日 - )は、大相撲の十両格行司である。本名は西野 昌宏(にしの まさひろ)。放駒部屋→芝田山部屋所属。血液型はA型。 東京都荒川区出身。父は渥美二郎の専属司会者を務めており、その影響で幼少期より普通のサラリーマン生活より誰も経験できないような職に就きたいと考えていた。その父と当時放駒部屋の師匠だった17代放駒(元大関・魁傑)が知り合いだったことから、父に「行司になれ」と言われ、いつの間にか担任とも話がついており知らぬ間に放駒部屋入門が決まったという。 中学校卒業後の1993年5月場所、15歳で初土俵。初土俵から名乗る行司名「吉二郎」は、父親の名と渥美の名に由来する。
鳥羽の山 喜充(とわのやま よしみつ、1977年7月10日 … 鳥羽の山 喜充(とわのやま よしみつ、1977年7月10日 - )は、東京都豊島区出身で出羽海部屋に所属していた元大相撲力士。本名は、小林 昭仁(こばやし あきひと)。身長191cm、体重202kg、血液型はA型。得意技は右四つ、寄り。最高位は西前頭13枚目(2002年3月場所)。好物はスイカ。 11代境川(後の10代出羽海)の勧誘を受け高校を1年途中で中退し、出羽海部屋に入門。1993年11月場所に初土俵を踏んだ。入門前はブラスバンド部の所属であり運動経験はほぼ無かったものの「体が大きかった。誰でもできる仕事じゃなく自分にしかできないことがしたかった」という理由で入門を決意した。長身の懐の深さを生かした四つ相撲で番付を上げて行った。
澤勇 智和(さわいさむ ともかず、1977年2月7日 - )… 澤勇 智和(さわいさむ ともかず、1977年2月7日 - )は、東京都品川区出身で式秀部屋に所属した元大相撲力士。本名は澤原 知和(さわはら ともかず)。最高位は東序二段53枚目(2014年7月場所)。好物は桃である。 1992年7月場所、本名の「澤原」の四股名で初土俵を踏む。序ノ口は2場所目で勝ち越したが、初めて序二段で相撲を取った1993年1月場所で7戦全敗。序ノ口に陥落した翌3月場所は頸椎の負傷により休場し番付外に陥落。以降も9場所連続で休場し、1994年11月場所で11場所ぶりに前相撲から復帰。番付に名前が戻った1995年1月場所前には、式秀部屋と出身地の品川にちなみ、四股名を「式乃川」(しきのかわ)に改めた。
巨武蔵 大喜(おおむさし だいき、1976年10月8日 - … 巨武蔵 大喜(おおむさし だいき、1976年10月8日 - )は、東京都新宿区出身で武蔵川部屋(現在の藤島部屋)に所属していた元大相撲力士。本名は木村 謹仁(きむら のりひと)。現役時代は、身長175cm、体重141.5kg。最高位は東幕下19枚目(2001年11月場所)。 小学生時代はわんぱく相撲全国大会の出場を経験。中学2年生のときに武蔵川部屋関係者の知り合いから勧誘され、部屋との交流が生まれる。 1992年3月場所が初土俵。翌5月場所まで木ノ村謹仁(きのむら きんじ)を名乗って土俵に上がった。7月場所以降は巨武蔵 大喜(おおむさし だいき)を引退まで名乗ることに。取組に対する恐怖心や部屋の雑用による負担から精神的に参ってしまうこともあったが、入門前に周囲から受けた激励を思い出し、角界でやっていこうと決意していた。
駿傑 悠志(しゅんけつ ゆうじ、1976年7月13日 - )… 駿傑 悠志(しゅんけつ ゆうじ、1976年7月13日 - )は、埼玉県三郷市出身(生まれは東京都葛飾区)で放駒部屋に所属した元大相撲力士。本名は石出 祐二(いしで ゆうじ)。身長176cm、体重124kg。最高位は西前頭12枚目(2005年9月場所)。得意技は左四つ、寄り。趣味は読書。血液型はAB型。 出羽平(平)、大翔山(西野)とは幼馴染である。 駒光の四股名と駿傑の四股名は両方とも知人が命名した。駒光から駿傑へ改名する際、当初は「俊傑」とする予定だったが、字のバランスなどを考え「駿傑」となった。以前同じ放駒部屋に駒光という別の力士が存在した。さらに、2007年5月場所には同部屋の林田が駒光と改名、偶然にも駿傑の引退と同時に引退している。
玉力道 栄来(たまりきどう ひでき、1974年4月19日 -… 玉力道 栄来(たまりきどう ひでき、1974年4月19日 - )は、東京都江戸川区出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。元在日本大韓民国民団(民団)所属の在日韓国人(3世)である。韓国籍時代の本籍地は、大韓民国大邱広域市。本名は安本 栄来(やすもと ひでき)、韓国名趙 榮來(チョ・ヨンレ、조영래)。現役時代の体格は184cm、139kg。得意手は諸差し、右四つ、寄り、上手投げ。時折掛け投げも見せた。最高位は東前頭8枚目(2003年5月場所)。血液型はB型。現在は、年寄・10代松ヶ根として放駒部屋で後進の指導に当たっている。 建設会社の次男。明治大学付属中野中学校・高等学校を経て明治大学に進学。
栃の山 博士(とちのやま ひろし、1973年2月24日 - … 栃の山 博士(とちのやま ひろし、1973年2月24日 - )は、東京都立川市出身で、千賀ノ浦部屋(入門時は春日野部屋)の元大相撲力士で、現世話人。本名は山田 博士(やまだ ひろし)。身長175cm、体重130kg、血液型はO型。得意技は押し。最高位は西幕下2枚目(2001年9月場所)。 関東第一高等学校相撲部(現在は廃部)出身ではあるものの、高校時代の実績はほとんどない。拓殖大学進学後は相撲部へ入部してレギュラーメンバーとして大活躍。大学相撲部の1年後輩に栃乃洋がいる。 大学卒業を間近に控えた1995年1月場所、大学の先輩である千賀ノ浦親方(元関脇・舛田山)を頼って春日野部屋に入門し、初土俵を踏む。
貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年〈昭和47年〉8… 貴乃花 光司(たかのはな こうじ、1972年〈昭和47年〉8月12日 - )は、東京都中野区出身の二子山部屋(入門時は藤島部屋)に所属した元大相撲力士。第65代横綱。 本名は花田 光司(はなだ こうじ)。愛称は「貴」、「コウジ」。相撲協会退職後は本名や元 貴乃花親方・貴乃花氏・貴乃花さんと表記されることが多い。 引退のとき現役時代の功績に対して一代年寄貴乃花が認められ、貴乃花部屋の師匠を務めた。日本相撲協会では2010年に理事に当選以来、相撲教習所所長、審判部長、地方場所部長(大阪)、総合企画部長、巡業部長を歴任したが、2018年10月に退職した。 現在は相撲の普及活動を目的とする一般社団法人貴乃花道場の理事を務めており、「貴乃花光司」としてのタレント・絵本作家の活動は、2023年9月より新たに貴乃花事務所(個人事務所)として新体制を取っている。
床九(とこきゅう、1972年7月24日 - )は、大相撲の床… 床九(とこきゅう、1972年7月24日 - )は、大相撲の床山。本名は斎藤敏夫。東京都稲城市出身。九重部屋所属。現在一等床山を務めている。
嵐望 将輔(らんぼー しょうすけ、1972年7月2日 - )… 嵐望 将輔(らんぼー しょうすけ、1972年7月2日 - )は、東京都福生市出身で貴乃花部屋(入門時は二子山部屋)所属の元大相撲力士、現世話人。本名は井上 高雄(いのうえ たかお)。愛称はランボー。好物はマグロ。身長183cm、体重177kg。血液型はA型。最高位は東幕下13枚目(1999年5月場所)。 東京都福生市の中学校を卒業して二子山部屋に入門し、1988年3月場所で初土俵を踏む。この場所に入門した力士は花の六三組と呼ばれ、横綱曙、貴乃花、3代目若乃花、大関魁皇らそうそうたる面々が並んでいる。初土俵時の四股名は「若井上」。 1988年9月場所から序二段で伸び悩み、1990年5月場所から「福の隆」の四股名を名乗る。
火の竜 清徳(ひのりゅう きよのり、1970年1月19日 -… 火の竜 清徳(ひのりゅう きよのり、1970年1月19日 - )は、東京都日野市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士・元飲食店経営者・現在は株式会社KP所属のタレント。本名は平野 清徳(ひらの きよのり)。身長185cm、体重155kg、血液型B型。最高位は東幕下48枚目(1995年9月場所)。 火の竜の名は大相撲力士時代の1986年9月場所から四股名として名乗り始めて以降、タレントに転身した現在も芸名として名乗り続けている。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
戦闘竜(せんとりゅう、1969年7月16日 - 2026年1… 戦闘竜(せんとりゅう、1969年7月16日 - 2026年1月29日)は、アメリカ出身(出生地は東京都立川市)で友綱部屋に所属した大相撲力士。引退後は格闘家に転向した。志村道場/ファイティング・ドラゴン所属。なおCage Rageで試合をする際は本名のヘンリー・ミラーで出場している。大相撲力士時代の体格は、身長176cm、体重144kg。株式会社KPに所属している。「戦闘竜」と書くが「せんとうりゅう」ではなく「せんとりゅう」が正しい。 父は横田基地に所属した米軍のコンピューター技術師。母は日本人。東京都立川市に生まれ、6歳まで日本(横田基地)に暮らした。 引退後は元妻の実家の家業にてタイ工場で働いていたが、2018年に退職。
大凰 紀久(だいおう のりひさ、1969年5月16日 - )… 大凰 紀久(だいおう のりひさ、1969年5月16日 - )は、東京都葛飾区出身で、二所ノ関部屋に所属していた元大相撲力士。本名は秋本 紀久(あきもと のりひさ)。最高位は東幕下27枚目(1993年9月場所)。現役時代の体型は177cm、174kg。祖父は十両・大淀孫太郎、兄は幕下・秋本久雄。 小学校3・4・6年次にわんぱく相撲東京場所で優勝し、兄・久雄に次いで兄弟でわんぱく横綱となる。専修大学相撲部では2年次の1989年に全日本相撲選手権大会ベスト16、全国学生相撲選手権大会ベスト8に入り、3年次の1990年の学生選手権では大学としての団体戦初優勝に貢献。1992年1月場所に専修大学出身としては初の幕下付出(幕下最下位(60枚目)格)で初土俵を踏む。
床仁(とこじん、1966年9月24日 - )は、大相撲の床山… 床仁(とこじん、1966年9月24日 - )は、大相撲の床山。本名は熊西一郎。東京都葛飾区出身。現在荒汐部屋所属(所属部屋履歴は宮城野部屋→高島部屋→春日山部屋→追手風部屋→中川部屋→荒汐部屋)。現在一等床山を務めている。
琴旭基 太造(ことあさき たいぞう、1964年12月4日 -… 琴旭基 太造(ことあさき たいぞう、1964年12月4日 - )は、東京都杉並区出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は角田 博且(かくた ひろかつ)。最高位は東幕下5枚目(1992年9月場所)。最終場所は1998年5月場所。幕下時代の身長176cm、体重133kg。血液型はO型。 堀越高等学校中退。1982年3月場所にて初土俵。同年5月場所より「琴角田」に改名。1984年3月場所より「琴天旭」に改名。1991年9月場所より「琴旭基」に改名。地位的には、1992年にもっとも十両に近づいた。7月場所では全勝すれば昇進が確約される幕下14枚目で初日から5連勝。のちの小結智乃花に2場所連続で黒星をつけるなど勢いがあり、このまま一気に関取昇進か、と周囲の期待も大きかったが、6勝1敗と、あと白星一つ足りなかった。
寺尾 常史(てらお つねふみ、1963年〈昭和38年〉2月2… 寺尾 常史(てらお つねふみ、1963年〈昭和38年〉2月2日 - 2023年〈令和5年〉12月17日)は、鹿児島県姶良郡加治木町 (現在の姶良市)出身(出生地は東京都墨田区)で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は福薗 好文(ふくぞの よしふみ)。得意技は突っ張り、押し、いなし、叩き、下手投げ。最高位は東関脇。身長185cm、体重116kg。 現役時代は、力士としては稀な甘いマスクと筋肉質のソップ体型で女性ファンからの人気と声援が多かった。 引退後は年寄・錣山となり、井筒部屋部屋付き親方を経て、分家独立し、錣山部屋の師匠として指導にあたった。角界での愛称は「土俵の鉄人」、「アビ」、血液型はA型、趣味はパチンコ、音楽鑑賞、ゴルフ。
出羽の洲 聖(でわのしま ひじり、1962年11月3日 - … 出羽の洲 聖(でわのしま ひじり、1962年11月3日 - 2021年10月9日)は、東京都新島本村(現:新島村)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は前田 聖(まえだ ひじり)。身長189cm、体重150kg。最高位は東十両7枚目(1982年11月場所)。得意技は右四つ、寄り、突き。 小学校5年生の時から勧誘され、中学校を卒業する時には身長が180cmに達していた。進路決定の締め切り日まで悩んだ挙げ句に「力士になる」と両親に告げて入門し、1978年3月場所に出羽海部屋から初土俵。同期生には横綱・大乃国、幕下付出デビューの大関・朝潮、関脇・水戸泉、小結・琴稲妻、幕内・起利錦、若瀬川などがいる。
起利錦 利郎(きりにしき としろう、1962年8月31日 -… 起利錦 利郎(きりにしき としろう、1962年8月31日 - )は、群馬県桐生市(出生地は東京都大田区)出身、鏡山部屋所属の元大相撲力士。 本名は山田 利郎(やまだ としろう)。身長188cm、体重173kg。愛称は「キリちゃん」。得意技は右四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1987年3月場所)。現在は年寄・勝ノ浦として伊勢ノ海部屋に所属する。 知人の紹介で中学卒業と同時に鏡山部屋に入門。1978年3月場所に初土俵を踏んだ。入門当初は、部屋での生活になかなか馴染めず苦労し序二段を脱することが出来なかったが、連日の稽古により右四つ相撲の型を磨き着実に番付を上げていった。 1985年11月場所には東幕下15枚目の地位で7戦全勝の成績で幕下優勝を果たし、翌1986年1月場所に十両に昇進した。
小金富士 岳志(こがねふじ たけし、1961年10月7日 -… 小金富士 岳志(こがねふじ たけし、1961年10月7日 - )は、花籠部屋、放駒部屋に所属した元力士。弓取を担当した。本名は荒瀬 岳志。東京都小金井市出身。身長186.5cm、体重122kg。最高位は東幕下筆頭(1988年11月)。 同級生の父親が花籠部屋後援者と知り合いだった縁で、中学生の時から花籠部屋に出入りしていた。中学卒業後にそのまま花籠部屋に入門し、1977年3月初土俵。前相撲は一番出世だった。 1981年9月場所で幕下に昇進、10代のうちの幕下昇進ということで周囲からは期待されたが、その後は伸び悩んだ。放駒部屋に転籍する直前の1985年11月場所より弓取りを勤めた(担当期間は1985年11月場所から1987年1月場所3日目までと、1987年9月場所)。
維新力 浩司 (いしんりき こうじ、本名:飯橋 浩司(いいは… 維新力 浩司 (いしんりき こうじ、本名:飯橋 浩司(いいはし こうじ)、1961年1月24日 - )は、日本の元男性プロレスラー、日本の元大相撲力士、飲食店経営者。血液型A型。リングネームは維新力(いしんりき)。東京都杉並区出身。 大相撲時代の最高位は西十両筆頭(1989年11月場所)。 相撲の経験は小学校と中学校時代を通じて地域の祭で開催される相撲大会に出場する程度だったが、兄の影響で格闘技が大好きなため、プロレスラーよりも体格に関する条件が緩かった大相撲力士を志した。高鐵山を尊敬していたということと、大きな部屋だと「君のような小さな人は行司か床山になりなさい」と言われる恐れがあると考えたことから、弟子が2人しかいなかった高鐵山が率いる大鳴戸部屋に入門。
大富士(おおふじ、1958年8月26日 - 2012年10月… 大富士(おおふじ、1958年8月26日 - 2012年10月14日)は、東京都大田区出身で九重部屋(入門時は井筒部屋)所属の元大相撲力士、オフィス北野所属の日本のタレント・俳優。大相撲時代の四股名は大富士 慶二(おおふじ けいじ)、本名は伊藤 敬司(いとう けいじ)。身長194cm、体重150kg。特技は大食い、早食い。得意技は左四つ、寄り、突き。最高位は西十両6枚目(1980年5月場所)。 中学校を卒業してしばらくした後に元横綱・北の富士の井筒部屋(その後、師匠の九重部屋継承に伴い所属変更)に入門し、1974年9月場所、本名の伊藤で初土俵を踏んだ。序ノ口を1場所、序二段を2年、三段目を4場所で通過し、1977年3月場所で新幕下に昇進。
江戸の華 重信(えどのはな しげのぶ、1952年12月24日… 江戸の華 重信(えどのはな しげのぶ、1952年12月24日 - 2006年12月29日)は、東京都江東区出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は山本 重信(やまもと しげのぶ)。最高位は三段目東37枚目(1976年11月場所)。弓取力士として有名だった。 1968年に三保ヶ関部屋へ入門し、同年5月場所初土俵を踏む。 相撲では序二段と三段目の往復に終始したが、三段目在位時の1975年7月場所6日目から弓取式を担当し、最終出場場所となった1982年7月場所千秋楽まで約7年間弓取をしていた(途中、1976年3月場所に3日間だけ春日野部屋の太晃山が代役を務めた)。弓取の通算出場回数637回は2024年7月17日まで歴代1位の記録であった。
黒瀬川 國行(くろせがわ くにゆき、1951年5月13日 -… 黒瀬川 國行(くろせがわ くにゆき、1951年5月13日 - )は、東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市、出生地は福岡県福岡市)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士。本名は酒井 健作(さかい けんさく)。最高位は西小結。身長184cm、体重133kg、得意手は左四つ、寄り。引退後は年寄・20代桐山を襲名し、桐山部屋を運営した。 税務署員の二男で、小学生の頃から伊勢ヶ濱部屋に出入りをしていたが中学2年次に正式に入門し、1966年1月場所で初土俵。左差しを素早く返し、右上手を浅く引いて寄る、正攻法で理詰めと言える玄人好みの技巧派で、正攻法の取り口だったが、真面目すぎる性格が災いし、大勝ちがなく三賞受賞は1回もなかった。
修羅王 政勝(しゅらおう まさかつ、1949年7月15日 -… 修羅王 政勝(しゅらおう まさかつ、1949年7月15日 - 没年不明)は、東京都西多摩郡奥多摩町出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は江戸 政勝(えど まさかつ)。187cm、175kg。最高位は東十両4枚目。 1963年5月場所に初土俵。1971年3月場所に十両昇進、1975年5月場所限りで廃業。
増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいし… 増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいしろう」、1948年11月16日 - 2025年6月15日)は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。最高位は東大関。 引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。日本相撲協会を定年退職した後は本格的に歌手(ムード歌謡・演歌)として活動し、ゴールデンミュージックプロモーションに所属した。 7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都であるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。
宍戸 清志(ししど きよし、1948年1月28日 - )は、… 宍戸 清志(ししど きよし、1948年1月28日 - )は、東京都葛飾区出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。180.3cm、105kg。最高位は西幕下34枚目。 大相撲の公傷制度適用の第1号力士として知られる。公傷適用の元となったのは、1972年3月場所の朝ノ花戦で右膝の関節を脱臼したことによる。翌5月場所、自己最高位となった西幕下34枚目の地位で公傷休場となった。公傷休場明けの7月場所は1勝6敗と大敗し、皮肉にもこの地位が力士人生の最高位となった。 力士としては、1965年11月に初土俵、そして公傷休場の1年後の1973年5月をもって廃業している。廃業後は葛飾区内で、ちゃんこ料理屋「若瀬川」を経営した。
三鷹山 昌吾(みたかやま しょうご、1947年9月29日 -… 三鷹山 昌吾(みたかやま しょうご、1947年9月29日 - )は、東京都三鷹市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は斎藤 昌吾(さいとう しょうご)。178cm、135kg。最高位は東十両17枚目。得意技は押し。 三鷹中学校2年生の時点で身長176cm、体重135kg(当時は正確に計測できる秤がなかったので推定値)に達する程の体格であったが、自身は太っていても仕方がないと思っていたので、3年生から柔道を始めたが体重を減らすことができず悩んでいるうちに柔道の先生の知人である錣山親方(小結・若葉山)が勧誘に来た。相撲は嫌いだったが、餅搗きに招待したり豊山と話をさせてもらううちに、父から「東京都立高校に受かる自信があるなら角界に入らなくても良いが自信がないなら入れ」と言われて時津風部屋に入門し、部屋の近くにある墨田区立竪川中学校に通いながら相撲を取ることにした。
江戸響 博昭(えどひびき ひろあき、1941年9月4日 - … 江戸響 博昭(えどひびき ひろあき、1941年9月4日 - 没年不明)は、立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は池田 博昭(いけだ ひろあき)。現在の東京都台東区出身。177cm、128kg。最高位は東十両筆頭(1969年7月場所)。得意技は左四つ、寄り、外掛け。 1957年9月場所初土俵、初土俵から3年後の1960年5月場所に幕下へ昇進する。幕下では長く苦戦したが1968年5月場所で7戦全勝で幕下優勝を果たすと、翌1968年7月場所に十両に昇進した。1年後の1969年7月場所には東十両筆頭に躍進し、初日から3連勝と好調な滑り出しを見せるが右膝関節を捻挫し途中休場。幕内昇進の最大のチャンスを逃してしまう。
東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2… 東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2日 - 1994年11月9日)は、東京都新宿区西新宿出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は星野 栄三郎(ほしの えいざぶろう)。現役時代の体格は173cm、132kg。最高位は東前頭15枚目(1962年9月場所)。得意手は左四つ、吊り、寄り。 実家は豚カツ屋で、兄2人は共に明治大学付属中野高校から明治大学に進学し、野球で活躍。三男の栄三郎も、中学校卒業後は兄達と同じ高校に進学するつもりであった。だが、栄三郎の体躯の良さに目を付けた高砂部屋の幕内力士・藤田山が同部屋の横綱・東富士(後、年寄・錦戸)に彼の事を伝え、東富士の再三に亘る勧誘もあって高校進学を諦める事になった。
宇多川 勝太郎(うだがわ かつたろう、1939年12月3日 … 宇多川 勝太郎(うだがわ かつたろう、1939年12月3日 - 1989年7月24日)は、東京都足立区出身で宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は宇田川 秀男(うだがわ ひでお)。最高位は東前頭3枚目(1962年1月場所)。得意手は左四つ、寄り。現役時代の体格は179cm、110kg。 近所に住む肉屋の主人(横綱・吉葉山の知人であった)の紹介で、中学3年生の時に高嶋部屋へ入門。入門当時から吉葉山に可愛がられ、彼が独立した時には、行動を共にしている。1954年9月場所で初土俵を踏んだが、同期には後の横綱・柏戸がいた。 初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を残したため、翌場所の番付では序ノ口を飛び越して、序二段に四股名が載った。
勝己(かつみ、1937年(昭和12年)8月31日 - 200… 勝己(かつみ、1937年(昭和12年)8月31日 - 2004年(平成16年)4月13日)は、大相撲の三役呼出。本名は加藤 克己。東京都江戸川区出身。高島部屋→吉葉山道場→宮城野部屋所属。 12年先輩の3代目立呼出米吉と生年月日が一緒である。
安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - … 安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - )は、大相撲の元幕内呼出。本名は高沢 安雄。東京都荒川区出身。二所ノ関部屋所属。 番付制度が導入されてから、後輩呼出にどんどん抜かれた。番付では秀男に抜かれ、呼び上げでは秀男、拓郎、琴二、次郎、克之、志朗、重夫に抜かれていった。停年直前の2001年3月場所の時点では、順席は幕内呼出2番手でありながら、呼び上げは十両取組担当であった。
松嶋 市平(まつしま いっぺい、1935年6月15日 -没年… 松嶋 市平(まつしま いっぺい、1935年6月15日 -没年不明 )は、東京都西多摩郡奥多摩町出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は松島 市平(まつしま いっぺい)。173cm、112kg。最高位は西十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 1953年5月場所に初土俵。初土俵から1度も負け越すことなく1957年5月場所に立武蔵の四股名で十両昇進するも4勝11敗と大きく負け越し、翌9月場所に幕下陥落。幕下陥落後もしばらく低迷していたが、1959年9月場所に幕下優勝を果たすと、1959年11月場所に松嶋の四股名で十両に復帰した。復帰した場所では11勝4敗の好成績を挙げた。その後は十両中位で相撲を取ることがほとんどであり、1961年7月場所に再度幕下へ陥落。
岩風 角太郎(いわかぜ かくたろう、1934年1月22日 -… 岩風 角太郎(いわかぜ かくたろう、1934年1月22日 - 1988年4月30日)は、東京都江戸川区春江町出身(出生地は宮城県)で若松部屋(一時、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は岡本 義和(おかもと よしかず)→大藤 義和(おおふじ - )→岡本 義和(おかもと - )→小沢 義和(おざわ - )。最高位は東関脇(1961年7月場所)。現役時代の体格は174cm、117kg。得意手は右四つ、寄り、上手捻り。 実家は鉄筋業(そのため、「鉄筋」という仇名が付いていた)。中学校卒業後、親の稼業を2年手伝ったのち、18歳の時に若松部屋へ入門し、1952年5月場所で初土俵を踏んだ。同期には後の大関栃光がいて、番付で先行する栃光を当初はライバル視していた。
若國 一男(わかくに かずお、1927年〈昭和2年〉2月23… 若國 一男(わかくに かずお、1927年〈昭和2年〉2月23日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元力士。本名は佐藤 一男(さとう かずお)。現在の東京都昭島市出身。身長169cm、体重83kg。最高位は西十両11枚目。得意技は右四つ、寄り。 1942年(昭和17年)1月場所に初土俵。1950年(昭和25年)9月場所に若國の四股名で十両昇進。4場所務めたのち幕下に陥落。1954年1月場所に國若の四股名で十両に復帰し4場所務めた。1955年1月場所に再び幕下に陥落すると、一度も勝ち越せずに番付を下げていき、1956年(昭和31年)1月場所に28歳で廃業した。
國登 國生(くにのぼり くにお、1925年(大正14年)4月… 國登 國生(くにのぼり くにお、1925年(大正14年)4月18日 - 1995年(平成7年)10月3日)は、東京府北豊島郡板橋町(出生当時、現在の東京都板橋区)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤 國松(ふじ くにまつ、旧姓は小川(おがわ))。身長174 cm、体重126 kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東小結(1954年1月場所・1954年5月場所)。 甥は、お笑いタレントのグレート義太夫。 小学校を卒業後、鉄工所に勤務する。体の大きさと力強さから周囲に力士になることを勧められた。1939年(昭和14年)1月15日、職場の休みを利用して両国の相撲部屋に入門しようとして出羽海部屋を訪ねて行った。
栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - … 栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、東京府南葛飾郡小岩村下小岩(現・東京都江戸川区南小岩)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。第44代横綱。本名は大塚 清(おおつか きよし)で、のちに栃木山守也の養子となって中田 清(なかた きよし)となる。 1925年に、小岩村(現・江戸川区南小岩)で蛇の目傘の製造を営む家の二男として生まれる。少年時代から運動神経は抜群で、並外れた体力と恵まれた体格を見た近所の八百屋の勧めもあって、下小岩尋常小学校(現・江戸川区立下小岩小学校)卒業後、13歳で春日野部屋の門を叩き、1939年1月場所で初土俵を踏む。十両昇進を機に名乗った四股名の「栃錦」は、春日野の現役名である栃木山守也と、その兄弟弟子だった大錦卯一郎から付けたものであり、当時の期待ぶりが窺える。
鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 -… 鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 - 1989年10月18日)は、井筒部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)、再度井筒部屋、陸奥部屋に所属した元力士、元若者頭。本名は近藤 貢(こんどう みつぐ)。現在の東京都荒川区出身。176cm、113kg。最高位は西十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1939年1月場所に初土俵。序ノ口で全敗したり、幕下から序二段まで下がるなど、出世が遅かったが、初土俵が同期の栃錦に「十両に上がったら俺の化粧廻しをやるから」と励まされて奮起し、初土俵から16年が経った1955年3月場所に30歳で十両昇進。1957年1月場所に32歳で引退し、若者頭に転じた。
大田山 一朗(おおたやま いちろう、1924年〈大正13年〉… 大田山 一朗(おおたやま いちろう、1924年〈大正13年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉11月11日)は、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区、出生地は岩手県盛岡市上田)出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤沢 一郎(ふじさわ いちろう)。身長177cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭20枚目(1957年9月場所)。 小学校卒業後は日立航空機に勤務していたが、当時の人気大関・前田山に誘われ、1939年(昭和14年)6月に彼が所属する高砂部屋へ入門した。 1940年(昭和15年)1月場所で初土俵を踏み、翌年5月場所にて前田山から2字を貰った「前田川」の四股名で、序二段に付け出された。
東海 稔(あずまうみ みのる、1924年3月14日 - 1… 東海 稔(あずまうみ みのる、1924年3月14日 - 1963年6月10日)は、東京都品川区北品川出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は近藤 稔(こんどう みのる)。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭14枚目(1953年3月場所)。現役時代の体格は174cm、166kg。 14歳の時、元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門し、1939年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は「御殿山」で、これは、出身地の北品川にある山に因んでいる。 その後幕下まで昇進するも、1944年に応召され、復員後の1945年6月場所を以って廃業した。 しかし、1950年に再度、伊勢ヶ濱部屋へ入門。
大江戸 勇二(おおえど ゆうじ、1923年11月22日 - … 大江戸 勇二(おおえど ゆうじ、1923年11月22日 - 1996年1月4日)は、東京都江東区出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は小林 勇(こばやし いさむ)。身長173cm、体重81kg。得意手は左四つ、上手投げ。最高位は西前頭16枚目(1949年10月場所)。 1939年5月場所初土俵。同部屋の栃錦とは共に小柄ということで仲がよく、2人で出世を競い合った。栃錦や常ノ山と2人で初っ切りをしたこともある。ある時に栃錦に「お前が一流の力士になったら東京中を逆立ちして歩いてやる」と賭けをして、横綱へ昇進した栃錦から当時の賭けの話を言われて苦笑したことがある。1948年5月場所新十両、十両は3場所で突破し、1949年5月場所で新入幕を果たした。
東富士 欽壹(あずまふじ きんいち、1921年10月28日 … 東富士 欽壹(あずまふじ きんいち、1921年10月28日 - 1973年7月31日)は、東京市下谷区(現・東京都台東区)出身で高砂部屋(入門時は富士ヶ根部屋)に所属した大相撲力士・第40代横綱・元プロレスラー・実業家。本名は井上 謹一(いのうえ きんいち)。 子供時代から巨躯・怪力で、大人に交じって家業の鉄工所を手伝っていたことから“下谷に怪童あり”と評判になる。その評判を聞きつけた富士ヶ根が勧誘して入門させ、1936年1月場所に初土俵を踏む。しかし、緊張から鍛え上げられた力を発揮できずに前相撲を通過して番付に載るまで2年を要したが、幕下時代から双葉山定次に目をかけられ、「キン坊、来い」と呼ばれては猛稽古で鍛えられた。
大岩山 大五郎(おおいわざん だいごろう、1919年5月20… 大岩山 大五郎(おおいわざん だいごろう、1919年5月20日 - 1980年12月5日)は、東京都中央区(入門時は東京府東京市京橋区)入船出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は船橋 金次(ふなばし きんじ)。最高位は西前頭9枚目(1948年10月場所)。現役時代の体格は179cm、120kg。得意手は右四つ、上手投げ。 17歳の時に立浪部屋へ入門し、1937年5月場所で初土俵を踏んだ。 序ノ口当初より「大岩山」を名乗り、以降は「東岩」や「羽衣」に改名した時期もあったが、いずれも短期間で元の「大岩山」に戻している。 その前後、1944年11月場所で新十両昇進、1946年11月場所で入幕と順調に出世。